ささやかな願い「匿名報道」を無視する朝日
浅野健一
「匿名報道は私たち市民のほんのささやかな要求です」。99年10月の日弁連人権大会で、山田悦子さんはマスメディアに訴えた。
それから五ヶ月後の3月27日の朝日新聞は《「報道される立場」さらに尊重 朝日新聞社の事件報道》と題する次のような社告を出した。がっかりした。
《朝日新聞社は事件報道にあたり、人権に一層の配慮をする立場からさまざまな検討を重ね、被疑者の呼び捨てをやめ、写真の慎重な扱い、見出しの付け方の改善などを通じて改革を進めてきました。こうした流れの中で、二十一世紀を前に社内の指針を新たにまとめ直し、日々の紙面編集に生かしていくことにしました。
新たな指針は、「実名報道」の原則を保ちつつ、正確さとわかりやすさを兼ね備えた記事を目指し、犯罪被害者をはじめとして「報道される側」の立場を尊重することに力点を置いています。そのあらましは次の通りで、四月一日付紙面から実施します。
(1)犯罪被害者については最大限の保護を心がけ、プライバシーには必要以上に踏み込まない。取材にあたっては、被害者側の意向を十分に酌み取り、人権に細心の注意を払う。容疑者・被告、被害者の写真について、どのような場合は掲載を控えるのかという基準をより明確にする。
(2)捜査当局に身柄を拘束された者については、これまで通り原則として実名の後に「容疑者」を付ける。上級公務員や企業幹部の肩書、警察官の階級などで敬称と受け取られるような肩書呼称はしない。警察の組織犯罪など、肩書を付けることで事件の内容が分かりやすくなる場合は、同じ記事の中で二回目以降は肩書呼称を用いることがある。
(3)精神障害者や精神障害の可能性のある者が事件に関与したとされる場合、「精神障害者」と「刑事責任能力のない心神喪失者」とは別の概念であることに留意する。容疑者に通院歴や入院歴があっても、十分な取材を尽くしたうえで刑事責任能力があると判断されるときは「実名報道」の原則を適用する。報道に際しては、原則として、病名や通院歴などの事実には触れない。こうした報道によって精神障害者全体に対する社会の偏見や差別を温存、助長することがないよう心がける。
(4)これまでは一律に「拘置」と言い換えていた被疑者、被告人の身柄拘束を、「勾留(こうりゅう)」とルビを付けて正確に表記し、刑の言い渡しを受けた者に対する拘束である「拘置」と区別する。罪名の「昏酔強盗」は「昏睡強盗」に、「とばく開張」は「とばく開帳」と改める。
(5)捜査段階では断定的な見出しを避ける、という従来の方針をさらに徹底させる。捜査当局が事件として取り上げる前の使い込み問題などを扱った記事の見出しについても、断定調にならないように心がけ、「容疑」を付ける。事件報道をめぐる環境はめまぐるしく変化しています。たとえば、ここ数年、犯罪被害者の声に耳を傾けようとする動きが広まってきました。国も対応の改善に乗り出し、遺族や被害者の会も発足しました。こうした中で被害者側の意識も変化し、報道被害の回復を求める声も上がるようになりました。
報道機関にとっても、従来の原則だけではとても対応できない、予想もしなかった事件が次々と発生しています。「国民の知る権利」と「報道される側の権利」の調和を目指した自主的な取り組みとして、本社は一九九〇年以降、社内向けにまとめた事件報道の指針を作り替えてきました。今回は三度目の改訂になります。新たな指針も、機械的に当てはめるのではなく、個々の事件について、ケース・バイ・ケースで慎重に対応します。
朝日新聞社は今後とも事件報道のあり方についてさまざまな角度から検討を加え、さらに努力していく考えです。》
ケースバイケースといいながら、「捜査当局に身柄を拘束された者については、これまで通り原則として実名」で、犯罪の被害者も実名を原則にしている。スウェーデンなどで実践されている、被疑者・被告人も被害者も私人は原則として匿名で、公人は顕名という報道方法があることから学ぼうとしない。
朝日の新基準では、精神医療を受けたことのある人も実名になり、後に「刑事責任能力のない心神喪失者」であると判断されると、そのことが報道される。「病歴」を書くことで匿名にすると「精神障害者全体に対する社会の偏見や差別を温存、助長する」ことはその通りだが、だからといって現在、匿名になっている権利を奪ってもいいということではない。
全日空機ハイジャック事件の時に、「創」で発表したとおり、逮捕段階で匿名原則にすることでしか、この矛盾は解決しない。朝日の新基準は改悪である。
なぜ、逮捕されたら実名なのか。逮捕する警察が信用できないことは、3月に明らかになった愛媛県の冤罪事件でも明白。一連の「不祥事」があっても、「身柄拘束」は重いといえるのか。権力チェックのために実名報道が必要というのは全くの詭弁。朝日の植竹伸太郎氏は、実名報道は、他社がやっているからという理由しかない、と断言している。その通りだろう。
Copyright (c) 2000, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2000.05.08