「コミッティー21」による《メディアと市民・評議会》提案の問題点
浅野健一
2000年2月22日付けで、「コミッティー21」を名乗る原寿雄、桂敬一、梓澤和幸、藤森研、田島泰彦、飯田正剛各氏から人権と報道・連絡会に「アンケートへの回答のお願い」が届いた。返送先は「上智大学田島研究室」。この6人と前沢猛氏の7人は、雑誌「世界1999年11月号で、「《メディアと市民・評議会》を提案する」と題する共同提言を発表した。今回のアンケートは、その提言についてメディア界、市民団体を含むメディア関係の各種団体に送り、その結果を「世界」(岩波書店)に掲載する予定だという。
このアンケートの発送者からなぜ前沢氏が抜けたのかについて説明がない。
連絡会の回答は事務局から送ったが、私はこの提言について次のような見解を発表したい。
共同提言《メディアと市民・評議会》の問題点 2000・3・14
自民党、政府のメディア規制の動きが公然化する中で、《メディアと市民・評議会》の提案がなされたことはいいことだ。まさに権力は報道被害を放置するプレスを法規制する意図を隠していない。
ただし、この提言を載せたのが、ジャーナリズムの問題について疑問を抱かざるを得ないような記事を載せてきた岩波の「世界」と、メンバーの中に大マスコミ企業の労使双方に近い学者・弁護士らが入っていることに注意が必要だ。
メンバーの学者の中には、匿名報道主義に対して、全く理解できないような理論を持ち出して反対して、新潮社などによる少年実名写真掲載を支持している人もいる。岩波新書で匿名報道について誤った記述をしている人もいる。この人たちは、著作の中で私を匿名にして批判している。私は出版社と本人に何度も質問書や訂正申し入れを行っているが、本人からは何の返事もない。出版社からは、「著者が訂正する必要がないと言っている」という回答があるだけだ。弁護士の中には報道加害の民事裁判でメディア企業の代理人を務める弁護士もいる。彼らはしばしば新聞、テレビに登場する。また、元メディア幹部は、通信社で合理化に反対する労働組合を弾圧した人で、今は日本民間放送連盟放送番組調査会委員長でもある。(注1)
▼人権と報道・連絡会の運動を無視
共同提言〈1〉で、日本における報道評議会への動きを紹介する中で、日本弁護士連合会、マスコミ倫理懇談会、新聞労連の構想についてふれているが、1985年に日本で初めて報道評議会をつくろうというスローガンを掲げて設立された「人権と報道・連絡会」の活動が無視されているのは、なぜだろうか。メンバーの7人の中には、連絡会の報道被害者救済活動や、対メディア訴訟の支援に対して、「メディアとの対決路線」ではメディア改革はできないとか、報道評議会は報道機関の編集権に介入するおそれがあり、萎縮効果が懸念されるとか主張してきた人たちがいる。
▼設置主体はメディア諸団体
《メディアと市民・評議会》の「目的・性格」に、「新聞・雑誌・出版界と市民・専門家が共同で設置する自主的な機関」とあるが、「市民・専門家が共同で」は削除されるべきである。「メディアと市民・評議会」ではなく、日本報道評議会を設置すべきなのだ。
設置するのは日本新聞協会、雑誌協会、新聞労連、出版労連、日本記者クラブなどメディア界である。市民がこの仕組みを信頼し、支援していくことは大切だが、「専門家・市民」が設置主体にはなれない。
また、提言の「救済・措置」で、評議会は裁定内容を「掲載することを求めることができる」とあるが、メディア責任制度に参加する報道機関は、掲載しなければならないのだ。
▼「メディア団体が加わることが重要」?
提言は最後のところで、「評議会制度は、外国のプレス・カウンシルやBRCの経験などからみても、日本新聞協会など、業界団体をはじめジャーナリスト組織やメディア関係団体が加わることがきわめて重要であることは疑いないが、それがすべて実現しえない段階ではまったく立ち上げることができないわけでもない」と述べ、ベルギーの例などをあげている。
「メディア関係団体やジャーナリスト組織」が「加わること」が重要という表現に、「メディアと市民評議会」提唱の限界が見事に現われている。
報道評議会はメディアのためにメディアがつくる仕組みである。メディア責任制度とは、第三者機関ではなく、メディア(経営者、労働組合と記者会)がつくるべきで、報道評議会の委員に市民代表も入るべきなのだ。その活動をできるだけ透明にして、市民の見えるところで、委員には市民代表を入れて運営する。
新聞協会の動きは鈍かったが、協会に粘り強く働き掛けるしかない。協会はどうせつくらないから、「市民と記者でつくろう」というのはどうか。新聞労連を後押しして、権力の介入を防ぐために、早急に日本報道評議会をつくりたい。▼報道倫理綱領の制定が重要
提言では、8ページに初めて、「メディア倫理コード」について言及がなされているが、報道界はまず倫理綱領を策定すべきである。
BRCには放送界が全体で守るべき倫理綱領がないので、法的に人権侵害があったかどうかの議論を委員会で行うという混乱がある。
その際、新聞労連が九七年二月に採択した報道倫理綱領「新聞人の良心宣言」が叩き台として参考になる。浅野も試案を提案している。
▼匿名報道主義
この提言には匿名報道主義を求める運動も一言も言及されていない。7人の中に実名報道主義を明確に批判する人が一人も入っていないのだから当然だが。
▼甘すぎるBRC評価
提言は、放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)についての評価が甘すぎると思う。私もBRCの発足は高く評価するが。
1ページに「BRCの制度や判断に対して、厳しい批判を投げかける新聞さえある」と述べているが、今のBRCは厳しく批判されて当然であろう。
機構内の八人で構成する評議会のメンバーが「市民とメディア」によって選ばれていないからだ。国家公安委員会の委員の選考と似ている。東大名誉教授(元最高裁判事)、慶応義塾大学名誉教授、大企業会長、東北大学名誉教授、作家たちだ。この評議会が「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」の委員を選考することになっているから、BRC委員も「市民とメディア」の代表とは言えない面がある。
BRCは98年3月19日、米サンディエゴで起きた教授父娘殺害事件で、被害者の妻がテレビ報道で事実と異なる報道をされて名誉を傷つけられたとして四社に名誉回復を求めた申し立てについて、「権利侵害非難に価する点は見い出し得ない」と判断したNHKを除くテレビ朝日、TBS、テレビ東京に「直ちに権利侵害と言えないが、放送倫理上問題があった」との審理結果を発表した。初の裁定だったが、法律的な判断しか示さず、勧告に至らなかったのは疑問だ。
また98年1月大学のラグビー部員らが婦女暴行の疑いで逮捕された事件で、逮捕された8人のうち2人の部員とその家族が、2人は暴行に全く加わっていなかったにもかかわらず犯人と断定して放送され、名誉を損なわれたとして、BRCに申し立てた。BRCは99年3月17日、民放三局について、「ワイドショーの報道を見ると犯人としての断定的な報道につながりかねない表現や顔写真の繰り返し使用などがみられ、名誉を毀損したとまでは言えないものの、放送倫理上問題があった」と裁定した。しかし訂正などは命じなかった。「逮捕や起訴猶予などの基本的な事実関係に誤認はなく、問題はなかった」という表現もあり、2人が逮捕されたことを正当化しているように受け止められる。部員の父親たちは「救済を求めたのに、二次被害に遭った。息子が報道されたようなレイプ犯ではないということを世間に知ってもらうために頑張ってきたのに、民放の一部は、逮捕は間違っていなかったというふうに受け取られる報道をした。この一年間の苦労はなんだったのかと思う」と嘆いている。審判結果を公表した記者会見で、清水委員長は「犯罪行為があったかどうかについて、委員会には調査する権限も能力もない」と明言した。それなら、なぜ「名誉毀損はなかった」などと判断できるのだろうか。この決定では、弁護士委員2人が少数意見を出している。
京都の其枝幼稚園(清水潔理事長)の元保護者たちが、NHK「クローズアップ現代」(97年12月9日放送)による被害を訴えたケースでは、NHKがBRCの決定をねじ曲げてオンエアしたと申立人は抗議している。
委員に市民代表や報道被害者が入っていないことや、判断の基準となるべきメディア全体の報道倫理綱領がないことなどが今後解決すべき課題だろう。
▼メディア責任制度について無理解
世界で最もすすんだメディア責任制度をもっている国はスウェーデンだと思われるが、提言では「制度の硬直化(スウェーデン)」としか言及されていない。どういう「硬直化」があったのか何も説明されていない。あの朝日新聞連載を鵜呑みにしての言及か。
7人は、スウェーデンで開花した「メディア責任制度」の本質について十分理解していないと思われる。
メディアに対する法的な規制は、憲法上も、権力を監視し批判する健全なジャーナリズム活動のためにも、あってはならない。そこで、メディアが自らの責任で、報道の自由と名誉プライバシーを守るディーセンシーに、どう折り合いをつけるかを調整するためにつくった仕組みである。^メディア界で統一した報道倫理綱領の制定と、_ジャーナリストが倫理綱領を守っているかどうかをモニターする報道評議会・プレスオンブズマンの設置ーーをセットにした制度である。
報道評議会とプレスオンブズマンは同義語と考えていい。両者とも、メディアと報道される市民の間に立って仲介する「第三者機関」ではない。報道された市民や団体の訴えに耳を傾け、大メディアに対して対等な関係に立てるようオンブズ(スウェーデン語で「代理する」の意)し、調査・審理する。ただし調査して勧告はするが、編集には一切圧力は加えない。報道評議会はメディアが倫理綱領に違反したと判断した場合は、叱責の裁定文を公表する。
報道評議会のメンバーを選ぶ選考委員会は「メディアと市民」で構成する。メディア界以外の市民代表が入るのだ。委員の半数は「非メディア界」の市民代表が務める。
スウェーデンでは弁護士会会長と国会オンブズマンらが選考委員会に入っている。潮見憲三郎著『オンブズマンとは何か』(講談社)を参照。
提言に見られる「社内オンブズマン」という訳語は前沢氏が創った用語で、日弁連が87年の人権擁護大会で使ったた後、誤訳と知りながら使用しているのだが、「社外オンブズマン」「公的オンブズマン」と同様に誤訳である。
スウェーデンでは報道評議会とプレスオンブズマンが任務を分担して活動している。北米などではいくつかの新聞社が独自のプレスオンブズマンを置いている。ワシントン・ポストのオンブズマンが有名だ。参考: 潮見憲三郎『スエーデンのオンブズマン』核心評論社、1979年。浅野健一・山口正紀『匿名報道』学陽書房、1995年。
(注1)メンバーの中には、これまで報道評議会をつくろうという我々の運動について、協力的ではなく、報道被害者の対メディア闘争を批判的に論じたことさえある事実を、以下の著作で詳しく書いている。
単著『犯罪報道は変えられる』(日本評論社、『新・犯罪報道の犯罪』と改題して講談社文庫に)、『犯罪報道と警察』(三一新書)、『過激派報道の犯罪』(三一新書)、『客観報道・隠されるニュースソース』(筑摩書房、『マスコミ報道の犯罪』と改題し講談社文庫に)、『メディア・ファシズムの時代』(明石書店)、『「犯罪報道」の再犯 さらば共同通信社』(第三書館)、『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)、『犯罪報道とメディアの良心 匿名報道と揺れる実名報道』(第三書館)、『メディア・リンチ』(潮出版)。
共著『匿名報道』(山口正紀氏との共著、学陽書房)、『激論 世紀末ニッポン』(鈴木邦男氏との共著、三一新書)、『松本サリン事件報道の罪と罰』(河野義行氏との共著、第三文明社)。
Copyright (c) 2000, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2000.04.14