「システム疲労」の記者クラブ「開かれた警察」言う前にメディアの透明性を確保せよ
浅野健一
警察庁記者クラブが田中警察庁長官の記者会見場から西日本新聞記者を排除した問題で、「週刊金曜日」3月31日号に書いた。ここでこの「事件」について詳しく報告したい。
▼常駐社以外はだめ?
「さきほど幹事社から退席してほしいとの要望があったので、出てください」。三月二日夜、田中節夫警察庁長官の記者会見に出席しようとしていた新聞記者二人が、警察庁長官官房総務課広報室室員に腕を軽く引っ張られ、外に出さされた。田中長官の会見場から排除されたのは、ブロック紙の西日本新聞東京支社の記者たちで、理由は「クラブの常駐社ではないから」だった。
会見は、新潟県警の女性監禁事件をめぐる一連の「不祥事」について、人民の怒りが頂点に達する中、国家公安委員会が三月二日、田中長官に対し、減給100分の5(一カ月)の懲戒処分を行った直後に行われた。
西日本新聞記者によると、同社のX記者とY記者は二日午前九時五○分ごろ、警察庁広報室を訪れて、「国家公安委員会など今日一日の動きを取材したい」と申し入れた。二人は広報室員から「記者クラブ幹事さんに、一応ことわってほしい」と言われたので、記者クラブに出向いて、クラブの一番手前にブースのある読売新聞社の記者に、加盟社と同じように取材したいと申し入れた。この記者はクラブの奥に入った後、すぐ戻ってきて「いいです」と答えたという。
X、Y両記者は午前一○時から始まった公安委員会終了後のぶら下がり取材、午後五時二五分からの第二回の公安委員会も公安委員会室前で待ち、午後八時五○分から警察庁五階の会議室で始まった公安委員長と公安委員主席の記者会見(公安委員も出席)も取材した。
公安委員会の記者会見後に引き続き,午後九時二○分すぎから、同じ会議室で開かれた田中長官の会見に先立ち、警察庁広報室員が出席している社名と人数を確認する作業を行った。その際、会議室にいたX記者に、警察庁広報室員が「どちらの社ですか」と質問。X記者は「オブザーバーの西日本新聞です」と回答した。広報室員は幹事社の時事通信社記者に伝えた。この記者は「長官の記者会見は記者クラブの主催であり、常駐社以外は参加できないことになっており、事前に申し入れもなかったので、出ていってもらいたい」と要請した。X記者が「幹事のA社記者に午前中伝え、了解をもらっている」と反論したが、「私は聞いていない」と言われて、会見時間が迫っていることもあり、退室した。
X記者は会議室を出て、会見場の外にいたY記者に伝えた。二人は会見が始まると会議室に入った。ところが、二人に気づいた警察庁広報室員に「出てください」と腕を軽く引っ張られ、退去させられた。二人は別の広報室員から「さきほど幹事社から退席してほしいと言われたでしょう。なんで入ったんですか」と詰問された。
Y記者は「私は幹事社から聞いていない」と答え、X記者が「聞いたのは私だ」と答えた。
二人は「後ほど事実関係を調べたいので、幹事の時事通信の記者の名前を教えてほしい」と要請した。広報室員はしぶしぶ名前を明らかにした。
警察庁長官が在任中の不祥事に絡んで処分を受けたのは初めてだった。察当局にとっては、「広報」したくない不名誉な記者会見だったのだろう。しかし、記者たちにとっては市民を代表して長官に、「市民に開かれた民主的警察」のあり方を質す重要な機会だったはずだ。権力監視の同志であるジャーナリストを、警察庁広報の意を汲んで、排除した記者クラブの責任は重い。
警察と二人三脚で犯罪報道の犯罪を続けてきた「警察記者クラブ」も解体、再編されなければならないと思う。
▼警察庁もクラブも情報非開示私は三月二二日、警察庁広報室に電話をかけた。問い合わせ先とファクス番号を知りたかったのだが、電話を回された後、電話に出た室員に、記者会見で西日本新聞記者が締め出されたことで聞きたいと伝えたが、「会見のことは記者クラブに任せてあるので、クラブに聞いてくれ」と言うだけだった。私が「目撃者によると、警察庁広報室員が、常駐社以外の記者がいると幹事社に告げて、物理的に排除したということなので、警察庁にも聞きたい」と言うと、「それは、警察庁と記者クラブの間で、取り決めがあるからだ」と語った。「取り決めがあるということなら、クラブに聞いてくれというのはおかしいのではなですか」と指摘すると、「質問書は郵送してください」と言った。「雑誌に書くので、急ぐのですが」と話すと、「それならファクスの番号は・・・」と教えた。
この件の事実確認をするために、私は二二日夕、警察庁記者クラブと小谷渡・警察庁広報室長に、それぞれ質問書を送り、二四日正午までに文書回答するように求めた。
記者クラブに聞いたのは次の五点である。(クラブとのやりとりは、たまたま最初に電話で対応した読売新聞の記者を通じて行った。)
@警察庁記者クラブの常駐社、オブザーバー加盟社のそれぞれの社名と記者の人数、会費を教えていただきたい。
A警察庁記者クラブにおける常駐社とオブザーバー社の違いは何ですか。それぞれの入会資格などを教えてください。、あた、記者会見など取材上でどう違うかなど何でも教えてください。クラブの規約、警察庁との取り決めなどの文書があればどういうものか教えてください。また慣行として行われているのであれば、その慣行の実態について説明してください。
B警察のあり方が厳しく問われた3月2日夜の長官会見に西日本新聞記者2人が入れなかった経緯について、上記経緯の中で違うところや不正確なところなどがありましたら、ご指摘ください。
Cこの件について西日本新聞社から警察庁記者クラブに質問や意見表明があったでしょうか。あればその内容と回答内容を教えてください。
D日本新聞協会は97年12月、「記者クラブ」を、それまでの親睦団体で取材上のことには関与しないという立場から、公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする「取材のための拠点」と見解を改めました。また、鎌倉市(竹内謙市長)は96年4月、鎌倉記者会に便宜供与していた記者室を廃止し、広報メディアセンターを開設しました。新聞労連も記者クラブ改革に取り組んでいます。市民に開かれた記者クラブにするために、警察庁記者クラブが取り組んでいることなどありましたら、お知らせください。
警察庁記者クラブ幹事社(読売、時事、TBS三社の社名入り)は二三日午後、「ご質問には幹事社限りで回答できるものではなく、クラブとしての考えを取りまとめなければならない都合上、ご要望の二四日正午までの文書回答は困難な情勢にあることをご理解いただければと存じます。(中略)また、当方よりご連絡申し上げますのでので、いましばらくお時間を頂戴したく、お願い申し上げます」というファクスを送ってきた。警察刷新会議の初会合が開かれるなどで多忙だというのだ。
私は三月二四日から何度も幹事の読売新聞記者に電話で、「常駐社とオブザーバー加盟社の数などの事実は回答できるではないか」と催促した。週刊金曜日に書くことも明らかにした。彼は「そのことも含めて、クラブ全体で話し合うので待ってほしい」と答えた。数回のやりとりがあった後、三月二七日、「警察庁記者クラブ」名で、「回答」がファクスで来た。回答文では、常駐加盟一四社の社名を明らかにしたうえで、「ご質問に対しては多忙につきお答えできません」とだけ書いてあった。読売新聞記者に「オブザーバー加盟社の数と社名も知りたいのだが」と聞いたが回答を拒否した。メディア研究者が記者クラブの構成について尋ねても、情報を開示しないのだ。こうしたクラブ側の居直りの姿勢は、警察権力以上に退廃していると断言できよう。
また小谷警察庁広報室長には四点聞いた。三月二四日午後六時すぎ、ファクスで回答があった。括弧内が回答。
@警察庁記者クラブの常駐社、オブザーバー加盟社のそれぞれの社名と人数を教えていただきたい。
「記者クラブに関する事項でありますので、お答えする立場にはありません」
A警察庁と記者クラブの間には「取り決めがある」と先ほどの電話でお聞きしましたが、常駐社とオブザーバー社の違いは何ですか。会見など取材上でどう違うかなど何でも教えてください。
「例えば、毎週木曜日の定例の警察庁長官記者会見には、常駐社の記者が参加されております」
B3月2日夜の長官会見に西日本新聞記者2人が入れなかった経緯について、上記経緯で違うところや不正確なところなどがありましたら、ご指摘ください。
「西日本新聞社の記者に対してましては、当庁広報室が退席を願った事実は承知しておりますが、それ以外の詳細につきましては承知しておりません」
Cこの件について西日本新聞社から警察庁に質問や意見表明があったでしょうか。あればその内容と回答を教えてほしい。
「報道各社記者との個別のやり取りの有無や、その内容につきましては、お答えいたしかねます」
以上が広報室長の回答である。
▼現状のキシャクラブは解体しかない
警察庁記者クラブ幹事社は西日本新聞東京支社編集長の質問書には、オブザーバー加盟社が会見に参加するためには、その都度、クラブ幹事の承諾を得るという慣行があり、今回のケースは事前の申し出がなかったために遠慮していただいた、などという見解を示したという。
日本の記者クラブは、官庁・大企業など主要なニュース・ソースの記者室に置かれている排他的な記者集団である。記者クラブのメンバーは、日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関の記者に限られ、クラブに常駐できるることが条件だ。新聞協会は四九年の「記者クラブに関する方針」で、「記者の親睦社交を目的として組織するものとし、取材上の問題には一切関与せぬこと」と規定。しかし、新聞協会は九七年一二月、公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする「取材のための拠点」と見解を改めた。鎌倉市(竹内謙市長)は九六年四月、鎌倉記者会に便宜供与していた記者室を廃止し、広報メディアセンターを開設した。
私は、日本型の記者クラブは廃止、解体すべきだと主張してきた。
外国メディアは古くから記者クラブ制度を厳しく批判してきた。このため外務省、首相官邸、大蔵省などはオブザーバー加盟の報道機関にも会見などへの参加を認めて、質問も自由にできるようにしている。
日本の「記者クラブ」(kisha club)について、ニューヨーク・タイムズのハワード・フレンチ東京支局長は三月二三日、私の取材に対して次のように語った。
《記者クラブは、言論の自由という概念そのものと相入れない。記者クラブが、記者と取材源との癒着を促すものであることは、実に明白である。つまり、記者に怠け心や取材対象寄りの偏りを植え付ける役割を果たすのである。
日本の新聞が健全倫理感を持たず、これらの「クラブ」を廃止しないのならば、せめて記者個人がプロとしての誇りを持ち、記者としての仕事および職業像が記者クラブによっておとしめられていることを自覚し、記者クラブを非難するべきだ。
しかしながら、そのようなことは起こらない。というのも、マスコミは、国民に仕えることが一義的使命であるという意識を喪失しているようだからである。むしろ、マスコミは、日本社会によく見られる、ある種の論理に捕われているようだ。すなわち、よきジャーナリズムの本質であるところの客観性より、チームの一員として調和を保つことに重きを置く論理である。》
私が警察庁とクラブへ質問書を送った翌日の三月二三日、警察の共済会館で警察刷新会議の初会合が開かれた。会議の取材には警察庁クラブに所属しない記者たちも駆けつけたのだが、警察庁広報室のスタッフは、警察庁記者クラブの常駐社の記者だけを集めては「広報」に余念がなかったという。「常駐社だけ来てください」と声を掛けて広報室が伝えた内容は、何時ごろに終わりそうだとかのくだらない情報だったようだ。この会議では、報道陣を遮断するためのロープが張られたが、ある若手の放送記者が、「どうしてこんなものを張るのか。取り除くべきだ」と警察庁職員に抗議した。その時、あるベテラン記者が「何を文句付けるのか。要望があるなら幹事を通せ」と述べた。この放送記者は「あんたは何だ。ちょっっと表に出ろ」と言い返す場面もあった。ある新聞記者は「クラブ員だけを呼んでこそこそやるのはこっけいだ。まさに御用記者の集まりだ」と話している。
田中長官会見の翌日、新聞各紙は警察機構の制度疲労についてあれこれ論評した。毎日新聞東京本社の清水光雄社会部長は三月三日、「立て直しは情報公開から」と題した署名記事を載せ、「システム疲労」した警察の「解決策の一つは徹底した情報公開で警察の姿・形を国民の目にさらし、諸批判の中から自らを鍛え上げていくことだろう」と提言している。また朝日新聞東京本社の松本正社会部長も《責任感忘れた「警察一家」》と題して、「キャリア制度を含めて体質、体制の根本的な改革を急ぎ、組織の再生のための道筋をいかに示しうるか。そこに外部の知恵や力を借りる勇気を持ちうるか。警察に課せられた責任は、きわめて重いものがある」と述べている。
マスコミ人には、二人の社会部長が書いた「警察」を「マスコミ」または「記者クラブ」に置き換えて自問してもらいたい。
▼あれだけ隠されても怒らないメディア
日本の新聞、通信社の記者は、警察の記者クラブで記者としての訓練を受ける。若い時代に染みついた記者クラブ体質は、本社で各部に配属されてからもそう変わらない。日本で最も影響力のある記者クラブが首相官邸記者クラブである。
首相官邸と政権党は、四月二日未明の小渕首相の入院を二三時間隠した。マスメディアは二二時間も気付かなかった。首相秘書は同日の「首相動静」について、共同、時事の両通信社にウソの発表をした。昔のソ連以下の情報非公開である。それを正面から批判しないマスメディア。なぜ森首相になったのか。これは談合政治であり、メディアは厳しく批判すべきなのに、森氏が有力、森氏が後継などと予測報道。森氏は「沖縄の二つの新聞は反対、反対ばかりだ」などと批判、共産党に影響されているなどという妄言を吐いている。森氏の記者とのやりとりがよくテレビで放送されたが、記者をなめきっている。怒りを込めて事を記事を書くべきだ。
警察取材のあり方を変えないかぎり、国政などの取材・報道も改善されない。「記者クラブ」問題は、日本の「ジャーナリズム」問題なのである。
Copyright (c) 2000, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2000.04.14