「報道評議会はいま無理」なのか
またも「オンブズマン」詐称の疑い
毎日新聞の「開かれた新聞」委員会をどう見るか

2000年12月15日   浅野健一

 毎日新聞は二○○○年一〇月一四日、社告で「『開かれた新聞』委員会」の設置を発表した。発足から二カ月たったのに、当事者からの苦情申し立てがいまだにないそうだ。毎日新聞の二カ月間の取材や報道には、一件の名誉・プライバシー侵害もないのであろうか。
 毎日新聞は一一月七日と一二月五日に、《「開かれた新聞」委員会から》という記事を載せた。一回目は四つのケースで委員会の委員が論評しただけで、二回目は毎日新聞が一一月五日朝刊でスクープした「旧石器発掘ねつ造事件」報道を評価する記事を載せた。後者は、新聞社のPRページのようだった。
 毎日新聞は、この委員会を毎日新聞の「オンブズマン」と自称しているが、「報道された側」から一件の苦情も届かない制度がオンブズマンとは言えないと思う。読者・市民はこの委員会が「報道によって傷ついた市民をオンブズ(スウェーデン語で代理するという意味)する」オンブズマン制度などではなく、新聞社のための機関であることを見抜いているから、電話の一本もかからないのであろう。
 毎日新聞は、報道評議会の設立は当面無理だから、この委員会をつくったと説明している。この委員会はないより、あったほうがいいが、報道評議会の替わりには絶対になりえない。組合などとの社内議論も不十分で、かえって報道評議会の設立を妨害する結果になる懸念さえある。一部のジャーナリスト、学者や法律家の間でも、雑誌「世界」(岩波書店)などを舞台に、報道評議会は日本になじまないとか現実的には無理などの主張がされてきた。こうした人々は、私たち人権と報道・連絡会の長い闘いにいつも「敵対」し、「実名報道主義」を擁護し、メディア界の民主化を妨害してきた。
 政府・与党が活字媒体の業界にも自主規制機関をつくるように提言し、もし十分なシステムができなければ法的規制もやむを得ないという方針を公言している中で、業界全体でメディア責任制度をつくるのは「非現実的」とか「今は無理」などとのんきなことを言っている場合ではない。
 この委員会の二カ月を検証してみたい。

1 「オンブズマン」と言えるのか
 「報道評議会はすぐにはできませんからね。個人的には評価しています」「せっかくの試みを全否定するのはどうかと思う」。毎日新聞が一〇月一四日、社告で創設を発表した「『開かれた新聞』委員会」について、一一月一七日、毎日新聞労組の見解を電話で聞いたところ、電話に出た役員がこう言った。私が世話人の一人を務める人権と報道・連絡会は一九八五年から日本にも報道評議会を設置するための市民運動を展開してきたが、最近になって、「すぐには報道評議会は無理だ」という主張が一部の研究者、法律家の間で目立ってきた。
 《社外の識者5人委嘱 「第三者」の目で意見》という見出しの毎日新聞の社告記事は新設の委員会を次のように規定している。
 《読者に開かれた新聞作りを目指す本社の基本姿勢をさらに具体化する一歩になると考えたからです。本社は報道による名誉・プライバシーなどに関する人権侵害だとして当事者から寄せられた苦情、意見の内容と本社側の対応を、委員に開示します。委員は必要なケースについて意見を述べ、報道を検証します。読者と毎日新聞の間に立った委員が「第三者」の視点から毎日新聞の報道をチェックするシステムで、毎日新聞の「オンブズマン」といえます。さらに、報道をめぐるさまざまな課題についても委員から参考意見をいただき、新聞報道に生かしていきます。》
 公表されたメンバー五人は元日弁連会長・中坊公平、テレビプロデューサー・吉永春子、作家・柳田邦男、フリージャーナリスト・玉木明、上智大学教授・田島泰彦の五氏である。
 毎日新聞の新組織は、ないよりいいことは間違いない。しかし、報道評議会をつくるのは困難だから、社内の苦情処理部門を改革するという論理と方針は疑問だ。しかも、毎日新聞の新組織が、外国のプレスオンブズマン制度に匹敵するとまで主張しているのは、到底納得できない。

2 編集幹部が相談して決めた
 朝比奈豊毎日新聞社編集局次長は、月刊『創』二〇〇〇年一二月号で、《毎日新聞「『開かれた新聞』委員会」の試み》と題した談話を発表している。朝比奈次長は、《去年の9月ぐらいから、社内の関係者が報道評議会の是非も含めて議論を続けてきた結果です。主筆の下に四本社の編集局長、次長が集まって検討し、今年の夏にGOサインが出ました。》と述べ、次のように説明している。
 《プレスオンブズマン制度も調べました。オンブズマンというと、ライバル紙の編集局長を迎えたワシントンポストの例が有名です。しかし調べてみると、欧米の新聞のオンブズマンは自社のベテラン記者が就任している例が多いことがわかりました。これは、毎日新聞でいうと、紙面審査委員と読者室とメディア欄を合わせたものに近いといえます。つまり、欧米のオンブズマンの水準に近いものはすでにあることがわかりました。
 結局、私たちは、第三者機関を作って、そこに問題を任せてしまうのではなく、自分のところをまず改革する必要があるのではないかという結論に達しました。それがこの「『開かれた新聞』委員会」です。いきなり報道評議会を作るというのは現実的ではないし、むしろ、新聞社としての自律的処理能力を発揮すべきではないかと考えました。》
《委員を選んだのは、主筆、各本社の編集局長、次長らが集まる場です。あくまでも新聞社が主体性をもって、報道の実際にある程度認識のある方を選びました。
 実際の判断の基準になるのは、編集綱領です。今回私たちは報道基準(主筆通達)の見直しも行いました。具体的には精神障害者の報道の仕方についてですが、この件は今後メディア欄や特集ページで紹介していこうと思っています。》
《政治家など公人の苦情は受け付けません。》
《報道評議会などについては今後の検討課題にしたいと思っています。》

3 「報道に理解」のある田島委員の誤ったオンブズマン観
 また、委員に選ばれた田島泰彦上智大教授は「メディアが自律的に救済のための組織を」と題してこんな談話を出している。    
 《スウェーデンとアメリカ・イギリス・カナダとの間でスタイルの違いはありますが、欧米のオンブズマンは普通一人です。一人の人が意見を言ったり、苦情を受け止めるというやり方です。しかし、毎日の委員会のみそは複数の人間で構成されていることだと思います。》
《私は、今の新聞協会の体制下で、号令一下で一つの機関を作ってしまうことには懸念も持っています。評議会・オンブズマンの問題は意見を重ねて行って、各社が自発的なイニシアティブで始め、積み上げていくのが望ましいのではないでしょうか。上からの命令で作ると、「メディア浄化機関」のようなものになって、「枠に入らないとダメだ」と、「上品でない」メディアを排除していく機関になる危険性があります。
 毎日以外の新聞社でもかなり議論をしているところはあるようです。ほかの社から違う形の機関が出てくればおもしろいと思います。そして、将来的に新聞界全体の評議会を目指していけばいい。》 
《新聞社も毎日に続いて、オンブズマンや評議会の仕組みを積極的に取り入れていくべきです。》
 朝比奈氏も田島氏も、毎日新聞の委員会が「オンブズマンや評議会の仕組み」の範疇に入っていると認識しているらしいが、オンブズマンとは何かを十分理解していないとしか言いようがない。
 朝比奈氏の「欧米の新聞のオンブズマンは自社のベテラン記者が就任している例が多いことがわかりました。これは、毎日新聞でいうと、紙面審査委員と読者室とメディア欄を会わせたものに近い」という主張は、英訳して欧米の「オンブズマン」に読んでもらいたい。
 また田島氏は、「欧米のオンブズマンは普通一人です。一人の人が意見を言ったり、苦情を受け止めるというやり方です」というが、オンブズマン発祥の地、スウェーデンでは、オンブズマンは一八○九年にスウェーデンで導入された「国会オンブズマン」が起源で、「政府と人民のあいだの確執の局面に公正な立場で介入して、人間の尊厳を守るという目で、正邪の判断を下す役職」(潮見憲三郎『オンブズマンとは何か』講談社、1996年)で、多くの国に広がった。スウェーデンの「プレスオンブズマン」(Press-ombudsman for the General Public)は、メディア責任制度の一形態である。一九一六年に@メディア界全体の報道倫理綱領の制定A倫理綱領を守っているかどうかをモニターする報道評議会ーーをセットにしたメディア責任制度が誕生したが、報道に関する苦情が急増したため、六九年に「一般市民のためのプレスオンブズマン」職を導入した。報道評議会と同義語と考えてもよい。
 外国のプレスオンブズマンの中に、いんちきなものが少なくないのは事実だ。スハルト政権下にもインドネシア報道評議会があったが、そんなものが報道評議会とは言えない。
 田島氏は、今の新聞協会の体制下で、「号令一下で一つの機関を作ってしまう」「上からの命令で作る」ことに懸念を表明しているが、NHKと民間放送連盟が九七年六月一一日に設置し、田島氏も委員の一人を務める「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)」の「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRC)は、郵政省や自民党などからの圧力を受けて、氏家民間放送連盟会長らの号令一下で設置したと私は理解している。田島氏はBRCをかなり評価している。なぜ新聞協会(氏家氏の“盟友”の渡辺恒雄氏が会長だ)がつくることに懸念を表明するのだろうか。

4 現段階ではオンブズマンとは言えない毎日の委員会
 委員が判断の基準とする報道基準が、毎日新聞の編集綱領以外、読者・市民に開示されておらず、今後検討するという。倫理綱領や報道基準に違反しているかどうかを審判するのが、オンブズマン・報道評議会であり、綱領や基準を隠しているのでは話にならない。 
「委員を選んだのは、主筆、各本社の編集局長、次長らが集まる場」で、「報道の実際にある程度認識のある方」を選んだというのでは、オンブズマンではない。委員を選ぶ主体に、独立性が不可欠で、「報道の実際」に理解がある人だけを選ぶのでは、とても公正、公平とは言えない。編集局の幹部が記者を代表し、報道倫理上も優れているとは、かならずしも言えないところに、日本の報道機関の深刻な問題がある。とくに犯罪報道に関してはそうである。
 委員会の設置に当たって、毎日新聞労働組合は公式には全く関与していないようだ。毎日労組は、この間、人権と報道に関して独自の取り組みを展開してきた。新聞労連が報道評議会設置を提言した背景に、毎日から出た北村肇委員長(当時)の功績が大きい。毎日労組は、ジャーナリズムを語る会も開催してきた。労働組合が設置の直前まで知らなかったのは、きわめて不自然である。
 朝比奈氏は毎日労組と主筆との交渉の席で、委員会は裁定書、裁定文などを出さないと断言したという。 将来、事務局に専任を置く意向だが、当面は読者室のメンバーが兼務している。委員会の平沢事務局長は読者室長である。
 毎日新聞の内部で匿名報道主義に反対してきた人たちは、公人と私人に分けることはできないと言ってきたが、今回は公人による苦情を受け付けないと明言している。

5 新聞労連もオンブズマンを誤解
 日本新聞労働組合連合(新聞労連)は二○○○年九月一九日、「報道評議会」に関する原案を発表した。原案は「設置場所・形態」の解説の中で、こう述べている。《評議会は東京に置く。形態としては「プレスカウンシル型」とする。形態については、権限の集中を招くオンブズマン型ではなく、合議制によるカウンシル型が適していると思われる。》
 権限の集中を招くオンブズマン型」というのはかなり誤解を招く表現である。
 労連原案は、北米型の新聞社別のオンブズマンはおかないという意味だろうが、「権限の集中を招く」オンブズマンは、オンブズマンではない。

6 飲酒運転警官の実名報道は「当然」か
 毎日新聞は二〇〇〇年一一月七日付け毎日新聞朝刊二二ページで「開かれた新聞委員会から」を掲載、一○月に寄せられた記事に対する読者の声と本社側の対応について委員会の意見をまとめた。「読者の苦情 委員から見解、課題に提言」などの見出しがついている。リードは、「記事で人権や名誉を侵害された」という当事者からの苦情は一件もなかったと述べ、「新しい報道のありかた」を考える参考例として原則として扱わないとしていた「公人や、官庁からの抗議」も含め五つのケースを取り上げている。
 「抗議・苦情と本社の対応」という見出しに続いて、〈ケース1〉として次のような事例が載っている。 《青森署巡査長らによる酒気帯び運転事故を毎日新聞が実名報道した記事(9月20日)に関して、青森県警本部から「懲戒処分者の氏名の発表方法について検討の参考とする」ため、実名報道の理由や公務員の懲戒処分の実名公表の是非についての質問が青森支局にあった。同支局は「毎日新聞は事件・事故の人名報道に当たっては実名を原則としている。このような公務員の懲戒処分は実名で公表すべきだと考える。質問の要旨を問いたい」と回答した。県警は「10月に設置した県警改革推進委員会情報公開部会で、処分事案の発表方法を検討委しており、実名報道した各社に質問している」と説明している。》
 警察が報道機関に「なぜ実名報道か」という質問書を文書で送るのは極めて異例だと思う。
 各紙の報道によると、事故の概要は次のようだ。
 青森県警青森署の巡査長と巡査部長は九月一八日午後六時半ごろから、市内の飲食店で開かれた同僚の送別会で酒を飲んでいたが、午後八時半に青森署刑事課長から呼び出しを受け、翌午前二時からの張り込み勤務を命じられた。巡査部長は、一度自宅で休憩した後張り込み現場に向かおうと考え、同日午後九時五○分ごろ、同課のキーボックスにあった捜査車両のカギを勝手に持ちだした。巡査部長は自分で車を運転しようとしたが、一緒に駐車場に向かった巡査長が運転を申し出たため、巡査長が飲酒していることを知りながら、乗用車のカギを渡したという。巡査長は巡査部長を自宅に送り届けた後、午後一○時五分ごろ、市内のカーブを曲がりきれず、右側の電柱などに激突する事故を起こした。けがはなかった。
 青森署は一一月六日付で、巡査長と巡査部長を停職四カ月の懲戒処分とし、道交法違反(酒気帯び運転、同ほう助)の疑いで青森地検に書類送検した。
 青森県警記者クラブ(正式には青森社会部記者会)には一七社が加盟しているが、毎日、朝日、読売、デーリー東北、NHKが巡査長と巡査部長の実名報道した。一方、東奥日報、陸奥新報、河北新報、産経、日経は匿名報道した。
 青森県警広報課の鈴木誠課長補佐によると、県警広報課の名前で、実名報道した五社の県警担当キャップに手渡ししたという。
 青森県警は九月一九日午前五時過ぎに、二人の事故について幹事連絡で公表した。県警はその際、二人の実名を発表しなかった。鈴木課長補佐は私の取材に対して、「一般市民の場合なら、発表もしないし、実名を出さない。警察官が飲酒したうえで、公用車を使っている時に起きた事故なので、発表した。二人の処分を発表した際も、実名は発表していない」と述べている。
 鈴木補佐は毎日新聞が《開かれた新聞」委員会》を発足させたことを全く知らず、一○月七日の新聞で県警が「抗議」したり「苦情」を申し立てかのように大きく報じられているのを見て驚いたという。「県警の広報の担当者として私が、キャップの人たちに参考意見を求めただけなのに、委員会に大きく取り上げられた」という。
 毎日新聞青森支局幹部は私の取材に対して、「県警から文書で問い合わせがあったので、本社と協議したが、委員会のメンバーに開示されたことは知らなかった。県警が参考意見が聞きたいというなら、担当記者らに口頭で聞くべきで、文書で問い合わせるのは、実名報道を問題にしていると推察できる」と述べている。
 県警が二人を匿名で発表したのは問題がある。記事や番組で実名にするか匿名にするかは、報道機関が判断することで、当局は実名を明らかにすべきだ。一般市民の場合は実名を発表することが多いのだから、 ただし、鈴木補佐は「我々が実名で発表すると、報道機関は実名報道することが多い。実名報道による被害を防ぐために、匿名発表する場合もある。普通の市民が今回のケースのような事故を起こした場合は、実名を出さない。だから二人も匿名にした」と説明している。
 県警が二人を匿名にして発表したにもかかわらず、ほぼすべての報道機関が、実名をつかんだことは評価できる。「匿名報道主義になると、当局が匿名発表し、誰が逮捕されたかがわからなくなる」という実名報道主義者の論理がここでも破綻している。
 この事例について、田島泰彦委員は、「問われているのは感性だ」という見出しの「見解」でこう指摘している。  
 《ケース1は、クレームや苦情案件ではなく、処分事案の発表方法を検討中の青森県警から参考のため質問が寄せられたケースであり、実名記事の妥当性そのものが争われたわけではないが、考えさせられたことがいくつかあった。警官が酒気帯び運転で事故を起こし、しかも捜査車両を使用していたという疑いがもたれている以上、取り調べ中とはいえ、実名で事故を報道することは当然だ。 
 ただ、記事によると、この警官は同僚の送別会に出席した2時間後に呼び出しを受けて署に戻り、そこで深夜の張り込みを命じられ、仮眠を取るため自宅へ向かう途中だったようだ。私の疑問は、酒気を帯びた警察官が数時間後の張り込みを命じられ、公用車両を運転して仮眠をとるべく自宅に向かうということが堂々と行われたことである。上司を含めこうした事態を回避する当然のチェックシステムが働かないとしたら、これこそ空恐ろしい状況ではないか。このあたりの真相ももっと取材し、伝えてほしかった。
 また事件・事故等の報道における人名表記の基準について、報道機関は各社それぞれ相当詳細なルールやガイドラインを定めている。こうした報道基準は、報道等に異議を申し立てる人にとって重要な資料となるだけでなく、本委員会のように取材・報道を客観的に検証し、よりよいあり方を探求するためにも、不可欠である。「開かれた新聞」を実現するために、出来る限り、今後そうした基準を公表していく方向での検討を望みたい。》
 柳田委員も県警への回答について、「公務員の違法行為や非倫理的行為は、厳しい姿勢で報道に臨む必要があり、特に公務員のモラル低下が課題となっている最近の状況ではその姿勢が重要であることを言及すべきだった」と強調。吉永委員も「警察官は交通違反を取り締まる立場であるから実名報道は当然だ。自らの職務についてどう考えているのか逆に聞きたいと思った。この際、警察の公務に対する考えや人権感覚をただし、読者に伝えるべきだ」と断定している。
 田島、吉永の各氏は巡査長と巡査部長の実名報道を「当然」と断言しているが、両氏が問題にしているのは、こうした非常識な行動を防ぐためのチェックシステムがないことである。そうであるならば、勤務を終えて送別会に参加していた二人の警察官が、深夜に再び勤務を命じられた後に起きた酒気帯び運転事故の個人名を明らかにする必要はなく、二人の上司に当たる署長、刑事課長や県警警務部長らの実名を出して、署内の管理体制の不備について聞くべきであろう。
 柳田氏は、「厳しい姿勢」を示すために実名報道を肯定している。これは彼が、九八年に大阪堺で起きた幼児刺殺事件で少年の実名報道を肯定している論理ともつながるのだが、実名報道による社会的制裁機能を是認している。
 現状の犯罪報道では、二人は実名報道されても仕方がないという見方もあるだろう。しかし、地元のメディアの半数以上が二人を匿名報道しているのに、五人の委員のうち誰もが、「実名報道でよかったのか」とか「実名を出す必要性が十分にあったのか」という疑問すら呈していないのは理解できない。毎日新聞は二人の実名報道を肯定する委員の意見について、どう考えるかを明らかにしていない。
 毎日新聞は一二月五日朝刊のに《「開かれた新聞」委員会から》という記事(23面全面)を載せた。毎日新聞が一一月五日朝刊でスクープした「旧石器発掘ねつ造」事件報道に関する全国の読者からの二○○件近い意見を取り上げ、五人の委員の見解を載せている。これでは、メディア欄の特集にいつも載る「識者」談話とどこが違うのだろうか。「多くの読者から賛辞、励ましをいただいた一方、一部の読者からビデオ撮影による取材方法や映像の紙面掲載に関する疑問や反対意見もありました」として委員の意見を聞いたのだが、ほとんどの委員が毎日新聞の立場を「理解」している。

7 精神論だけでは無理
 先に述べたように、政府与党はさまざまな方法でマスメディアの法規制を狙っている。「報道評議会などの自主規制機関を設置しなければという最後通告を突きつけている。
 こうした動きを阻止し、報道被害をなくしていくためには、^匿名報道主義を軸としたメディア界が守るべき統一報道倫理綱領を制定し、_倫理綱領を守っているかどうかを監視する市民参加型のプレスオンブズマン・報道評議会の仕組みをつくるしかない。
 ところが日本新聞協会などのメディア業界団体は、各社で対応するとかいうだけで、業界を網羅するメディア責任制度をつくろうともしていない。毎日新聞は、こうした状況をみて独自に「報道評議会」に代わるものをつくったのだ思う。
 新聞経営者だけでなく、現場の記者の多くも深刻に受け止めていない。二〇〇〇年一一月二日の朝日新聞は、《「痛み」理解する取材を 徳山徹(私の見方)》 を掲載した。徳山記者は「書かれる人々」を社会面で五回にわたって連載した取材班の一人として、「個人的な印象」を書き残した。徳山記者は、五月初旬に起きた西鉄バスジャック事件の被害者ら十四人と直接会い、電話も含めて二十人前後の思いを聞いた。
 《一家殺傷事件の現場近くの男性(四〇)は、同級生の死を悼む中学生を取り囲むマスコミの姿を「ハイエナなみだ」と言い放った。バスジャック事件で母親を失った画家の塚本猪一郎さん(四四)は、マスコミを「遺族に群がる亡者」と表現した。》
 この後、「こんなやり方を続けていれば法で規制される日が来るぞ、と警告を突きつけられていると思った」「法的な規制を検討する動きは現実的な形をとり始めている」と述べて次のように書いた。
 《マスコミ自身による「報道評議会」を求める声も根強い。だが、本質的な解決とは思えない。取材する側が変わらなければ、評議会に「人権侵害」と指摘される例が続くだけだ。
その前に、私たちがすべきことがありはしないか。
私たちは、取材活動を中途半端に和らげたりやめたりすることはできない。中高校生の「いじめ自殺」のケースを考えて欲しい。学校や警察がいじめを否定したり、ぼかしたりするなかで、遺族らへの取材は不可欠な前提なのだ。
 大切なのは、記者一人ひとりが特権意識を捨てることだ。相手の痛みを理解しようと努めれば、取材の意味を分かってもらえる時がくるはずだ。少なくとも傍若無人と映ることは避けられるのではないか。》
記者一人ひとりがしっかりする。意識改革こそ大事だ。こうした精神論でやってきたきた結果、徳山記者が嘆く報道被害を生み出してきたのだ。各社が記事審査室を充実させ、苦情に対応する。悪いことではないが、それでは不十分だ。
 腐敗しきった警察をどう改革するかというときに、一人ひとりの警察官の意識を変えることだと言っても始まらないのと同じで、報道界も、古く硬直化した仕組みを組み替え、新しいシステムを構築するしかない。
 新聞各紙は二○○○年一○月の新聞週間にちなんで、報道被害の問題を取り上げた。政府・自民党だけでなく、「公権力の介入に批判的だった弁護士の間でも、規制に理解を示す意見も出始めた」(一○月一八日の毎日新聞大阪本社版)という危機感もあるようだ。しかし、日本新聞協会は「あくまでも自主的な措置として行われるべき」で、法規制に反対と主張するだけで、「一部」どころか、マスメディア全体が「世間」の非難を浴びていることまだ気付いていないようだ。
 二○○○年一一月二九日の読売新聞社説も法務省の人権擁護推進審議会が提言がメディアを対象に含めたことを問題にしたうえで、こう述べた。「ただ最近、報道による人権侵害への社会的批判が高まっている。(中略)一部の無責任な報道が、社会の批判と不信を招いているのは事実だ」。ここでも、無責任な報道が「一部」ではなく、読売新聞にも責任があることに無自覚である。

8 松井教授の驚くべき見解
 研究者の中にも無責任に報道評議会に敵対する人が現れた。松井茂記大阪大教授は前述の『少年事件の実名報道は許されないのか』の後書きの中で、「メディアの苦情救済機関の確立を」という小見出しでこう書いている。
 《プライヴァシー保護の観点から、導入を考えるべきだとすれば、それはメディアの自主的な救済機関である。この点、現在のように、マス・メディアによる報道被害に対する人権救済を求める声の高まりに応じて、プレス・カウンシルのような業界の自主的な救済機関の設置の提案がなされている。たしかにそのような救済機関の構想にはうなずけるものがあるが、新聞、雑誌、書籍その他の多様なメディアが混在し、しかも新聞メディアと雑誌メディアの間に一種のライバル関係が存在する現在、すべてのメディア横断的なプレス・カウンシルの実現は困難であろう。そのうえ、業界横断的な自主規制機関の存在は、情報統制の手段となり、自主規制という名前の情報流通談合組織となる可能性ももっている。 
 それゆえ、まず早急に整備すべきは、個々のマスメディア内部の救済機関である。この機関が、たとえ報道等が違法でなくても、苦情や批判を受け付け、きちんとそれを報道の現場にフィードバックさせることによって、救済の役割を果たすべきである。それが、責任あるマス・メディアのとるべきみちだというべきであろう。》
 各社ごとに誠実に対応すると何十年も言ってきたが、ほとんど効果がないから法規制が迫っているのだ。
報道評議会ができたあとにも、各社の記事審査室も苦情承り部門も大切だ。「社内オンブズマン」「オンブズマン的組織」などの紛らわしい名前はよくないが、そう自称したい職制は何らかの役に立つと思う。しかし、それらがメディア責任制度を代替はできない。お互いに異なる機能で複合的に補完すればいい。
 明るい兆しもある。横浜市で開かれた日本新聞協会の第五三回新聞大会は最終日の一○月一八日、研究座談会で、新聞倫理綱領検討小委員会委員長の中馬清福・朝日新聞社専務が、六月に制定された新しい新聞倫理綱領の精神などについて特別報告した。
 《中馬氏は「人権の尊重」や「プライバシーへの配慮」など新綱領策定にあたって特に重視した点にふれた後、昨今の報道による人権侵害が「知る権利」や「表現の自由」の規制につながりかねないことに懸念を示し、「手遅れにならないうちに、新聞は人権問題について手を打つべきだ」と指摘した。さらに「その場合、肝心なことは、あくまで新聞自体が、自主的に解決を策定し、具体的に実行することだ。政府をお目付け役にするなど論外、『政府から独立した新しい人権機関』も受け入れるわけにはいかない」などと述べた。》(一○月一八日の朝日新聞)
 中馬氏の問題意識は正しい。「新聞自体が、自主的に解決を策定し、具体的に実行する」という宣言を現実化してほしい。

7 法規制の動きを逆利用しよう
 NHKと民間放送連盟は九七年六月から「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO、03ー5212ー7333、ファクス03ー5212ー7330)」を設置している。委員の選び方や事務局体制に問題があるが、ないよりは全然ましだ。
 新聞労連は九七年二月の臨時大会で報道倫理綱領「新聞人の良心宣言」を採択し、報道評議会設立を目指すことを決めた。「新聞人の良心宣言」の「犯罪報道」の項で「新聞人は被害者・被疑者の人権に配慮し、捜査当局の情報に過度に依存しない。何をどのように報道するか、被害者・被疑者を顕名とするか実名とするかについては常に良識と責任を持って判断し、報道による人権侵害を引き起こさないように努める」と規定、実質的に匿名報道主義の立場をとった。
 九八年三月には「報道被害相談窓口」(報道被害ホットライン)を設けた。相談は郵便かファクスで受け付けている。《101ー0061 東京都千代田区三崎町3ー5ー6 造船会館5階 新聞労連「報道被害相談窓口」係 ファクス 03ー5275ー0359》。また、二○○○年九月、報道評議会原案を発表した。
 外国でも、一般市民によるメディア批判と、それをバックにした政治家による法規制の動きがあって、メディア責任制度が確立されてきた。政府などからの法規制の意図を見抜いて、市民にその危険性を訴えて、日本にメディア責任制度を設立する好機である。日弁連が、労連と新聞協会の橋渡し役を務めることを望んでいる。
 榊原英資慶応大学教授は 一○月一日の毎日新聞の「時代の風」で、「カルテル体質 改革を 日本のマスメディア」と題して、日本の政治・行政システムあるいは民間大組織が極端に時代遅れになってきているが、「何といっても、規制と日本語という非関税障壁に守られ続けてきたマスメディアの特殊性は群を抜いている」と書いている。「メディア批判はある種のタブーになってきた」と指摘し、「特に記者クラブの存在は極めて異常で、さまざまな日本的現象を引き起こしている」と断言している。
 榊原教授は「記者クラブの古いカルテル体質が、日本の公的セクターに近代的広報システムを採用することを妨げている」「記者クラブ等によるマスメディアのカルテル体質は、他方で優秀かつ専門的ジャーナリストを育てることの障害になっている」とも書いている。
 元大蔵官僚の榊原教授は、父親が今の共同通信と時事通信の前身である同盟通信の外報部記者だったという。「それ故か。筆者にも多少、ジャーナリストの血が流れているのかもしれない。厳しいマスメディア批判を展開したのも、メディアを自分のより近いところに感じているからであろう」。
 マスメディアの構造改革こそ日本の最も重要な改革の柱だという榊原教授の提言を真剣に受けとめたい。
また、河野義行氏は「メディアの人たちには加害者意識が欠如している。報道被害は市民を社会的に抹殺するということを分からせなければならない」と訴えている。記者たちが、自らの信条に従いジャーナリズムの大道を歩むかどうか。それを支えるのは一般市民のメディアへの積極的参加である。おかしな記事、番組があったらすぐに抗議し、いいものがあれば誉めること。市民がメディアを監視しているという緊張感を持たせることが今絶対に必要だと思う。

8 まず「オンブズマン」自称を訂正せよ
 毎日新聞「開かれた新聞」委員会の平沢忠明事務局長は、「事務局に全本支社の取材部門から紙面に関する苦情や意見と対応結果が報告されるシステムを整備している」ので、青森県警の質問書と回答を委員に開示して意見を紙面で報告したという。またこの委員会は《毎日新聞独自の「オンブズマン」制度であり、欧米のオンブズマンとは異なる面もあると思う》などと書いていた。
 毎日新聞が、この委員会をオンブズマン的だとか、報道評議会に代わるのようなものだと報じてきたことをまず、訂正するように勧告することが、この委員会の最初の仕事ではないかと思う。
 私は12月15日、ファクスと電子メールで、私の疑問と見解を伝え、斎藤明社長と各委員に2001年1月10日までに回答を求めた。(以上)

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