2000・11・1


日弁連の新・人権機関と報道の自由
新聞協会こそ責められべきではないか

浅野健一
元は創 00・11月号

 日本弁護士連合会(日弁連)は10月5,6日の両日に岐阜市で開く第43回人権擁護大会で、「政府から独立した調査権限のある人権機関の設置を求める宣言(案)」を討議する。日弁連が構想する「人権機関」は、公権力による人権侵害を含め「あらゆる人権侵害」(日弁連機関誌「自由と正義」8月号)を取り上げ、立ち入り調査や資料の提出命令などを含めた強制調査権を与えることになっており、マスメディアによる人権侵害も対象になる。
 9月14日に開かれた日弁連の理事会などで、宣言案の提案理由の中で、報道の自由がからむ問題について人権機関が判断することについて言及した部分があることに反対意見があり、一部が削除されるなど、決着は人権擁護大会での第1分科会シンポジウム「一人で悩んでいませんか?ー21世紀を開くために 『独立した人権機関』を創ろう」と大会での議論にゆだねられることになった。
 報道の自由に深い理解を示し、報道界の自主規制による解決を提言してきた日弁連のシンポジウムで、メディアの人権侵害を法律で規制することを認める提案が行われるのは、私にとって非常にショッキングなことである。ついにここまできたかという思いもある。報道被害が社会問題化して10数年になるのに、いまだに活字メディア界には、統一した報道倫理綱領の制定と報道評議会を中心としたメディア責任制度を設立するための具体的な動きも見られていない。政府与党が犯罪被害者や脳死移植患者らのプライバシー侵害に対する市民の反発を理由に法規制の動きを強めているのに、報道界は「報道の自由を守れ」というだけで、自主規制の努力を怠ってきた。
 私は一切の法規制強化には反対だが、こうした日弁連提案が出てこざるを得なかった社会的背景を検討し、法規制を避けるために一日も早くメディア責任制度を確立するために具体的な行動に移るべきだと思う。
▼マスコミの人権侵害も対象
 日弁連宣言案は、国連が欧州人権機構のような地域人権保証の設立を推進し、各国内の人権機関の設置を求めた。また98年に国際人権(自由)規約委員会から日本政府に「政府から独立した人権機構を設置する必要がある」と勧告され、2003年までに返答する義務があることから検討された。
 宣言案は、法務省の人権擁護委員制度が「委員に調査方針や最終処理の決定権がなく、加害者が国や自治体の場合はほとんど役立たない」と批判。司法による人権救済は時間や費用で問題がある、と主張。「準司法的権限を持ち、実効ある救済措置を講ずることのできる独立行政委員会の設置を国に対して求める」としている。この機関は 1人権救済、立法・政策提言及び人権教育の3つの機能を有する 2公権力行使に伴う問題も所管し、法定の調査権限も有する 3経費は独立して国の予算に計上し、固有の採用権限に基づく事務局を有する 4委員の任命は、その独立性と構成の多元性を実質的に保障し得る方式により両議院の同意を得て行う 5委員はすべての都道府県に配置するーとされている。
 宣言案の提案理由によると、国内における人権侵害として次のような問題があげられている。《取調時の暴行、拘置所・刑務所・入管あるいは精神病院における被収容者に対する暴行、男女差別、部落差別、在日朝鮮人あるいは滞日外国人に対する差別、ドメスティック・バイオレンス、子どもの虐待、学校における体罰やいじめ、マスコミによるプライバシーや名誉侵害、ハンセン病患者に対する強制隔離、科学技術の急速な進展に伴うインターネットなどによる名誉棄損》
 朝日新聞によると、第1分科会実行委員会で決まった法の試案(要綱案)では、新機関の名称を「人権委員会」とし、委員を内閣の推薦委員会の推薦に基づき、両議院の同意を得て任命するとしている。
 権限としては、関係人・参考人らに対する出頭命令をはじめ、尋問、物件の提出命令、立ち入り調査などを定め、出頭などを拒んだ場合には三万円以下、立ち入り調査の拒否や妨害に対しては三十万円以下の罰金という刑事罰を科すことも想定している。
 ▼1年前の日弁連大会と不連続
 分科会実行委員会の議論の中で、人権機関が報道による人権侵害を警察官や拘置所職員などの公権力による人権侵害と同列に扱っていることに反対論があった。日弁連は一年前の99年10月14日に前橋市で開いた第42回人権擁護大会の第二分科会シンポジウム「人権と報道」では、マスメディアに対して、犯罪報道で原則匿名を採用するように求め、報道評議会の設置を要請する宣言を採択した。日弁連は新聞協会、雑誌協会、新聞労連、市民団体などが日本報道評議会設立のための協議を進めるために努力すると表明した。日弁連が人権と報道でシンポを開いたのは12年ぶりだった。
 今回の提案が昨年の決議と乖離しているのは間違いない。昨年の宣言をまとめた日弁連の「人権と報道に関する調査研究委員会」のメンバーが、反発したのは当然だろう。
 宣言案の原案の提案理由の「(3)救済機能」の冒頭は次のようになっていた。
 《救済の対象としては、人権侵害の重要な部分を占めている公権力行使に伴う人権侵害が含まれるべきである。人権救済の手続き及び判断においては、表現の自由、思想及び良心の自由、信教の自由など憲法で保障された基本的人権の重要性が十分配慮されるべきである。報道の自由がからむ問題について人権機関が判断することは、「権力による介入」となりかねないとの懸念もあるが、われわれがめざす人権機関は、前述のように、既存の独立行政委員会よりもさらに独立性が確保されたものである。また当然のことながら検閲はこれを行ってはならない》
 これに対し、9月14日に開かれた日弁連の理事会で、人権擁護委員の梓沢和幸弁護士らが、この部分を次のように修正するように求めた。
 《救済の対象としては人権侵害の重要な部分を占めている公権力行使に伴う人権侵害に重点をおくべきである。民間の人権侵害の調査、救済にあたっては、表現の自由、思想及び良心の自由、信教の自由など憲法に保障された基本的人権の重要性に一層配慮する手続きが考慮されなければならない。大学、弁護士会、報道その他、その自治が尊重されるべき分野については、その分野における先議を尊重すべきである。いまだ自主的な救済機関が不十分な活字メディアについては、我々は報道評議会設立をめざす努力を続行する》
 理事会での議論の結果、原案のうち《報道の自由がからむ問題について人権機関が判断することは、「権力による介入」となりかねないとの懸念もあるが、われわれがめざす人権機関は、前述のように、既存の独立行政委員会よりもさらに独立性が確保されたものである。》が削除された。
 9月15日の朝日新聞は、「日弁連、白紙に戻す 報道機関への規制 新人権機関設立案」などの見出しで、「警察官や拘置所・刑務所職員など公権力による人権侵害と同じように規制対象とすることを認めた部分が削除された」と伝えた。朝日新聞は、日弁連の藤井範弘・事務次長の「報道被害は深刻だが、報道などによる人権侵害をどう救済するかは現時点では合意に至らず、さらに検討していくことになった」というコメントも載せている。
 同日の毎日新聞も《当初案には、報道機関による侵害行為も対象と明記されていたが、「報道の自由に重大な脅威となり、権力による報道介入の根拠を与えかねない」などと内部から反対意見が出ていたことから宣言案には盛り込まず、日弁連人権擁護大会でさらに議論する》と報じていた。
 ▼委員長が「偏向報道」と批判
 しかし、第1分科会シンポジウム実行委員長の村上重俊弁護士は私の取材に対して、こうした報道は「偏向報道の典型」だと断言して、こう言うのだ。
 「提案理由の中の3行が削除されたが、この個所は報道の自由に配慮して書いていたもので、なくなってかえってすっきりした。報道機関の人権侵害も扱うという全体の趣旨は変わっていない。梓澤弁護士の修正意見が通ったという報道こそ、何でも自分たちの都合のいいように報道するというメディアの体質をよく示している。要綱案は実行委員会の案なのに、日弁連案だと報道しているのも意図的だ。要綱案には強制立ち入り件などについて書いてあるが、あくまでも実行委員会がつくったたたき台だ。日本では人権や差別という言葉がまだ定着していないこともあり、決定に強制力を持たせないことにっている。細かな点はこれから詰めるところだ。人権と報道に関しての日弁連の取り組みは、メディア界に遠慮しすぎてきた。報道界は報道による人権救済にまじめに取り組んでこなかった」と述べている。
 確かに、提案理由の中に、さまざまな人権侵害として「マスコミによるプライバシーや名誉侵害」「インターネットなどによる名誉棄損」と明記されている以上、報道機関による侵害行為が対象から外れたとは言えないと思う。
村上委員長は《報道と人権調査研究委員会はメンバーをずっと固定化してきた。「社内オンブズマン」
などオンブズマンでは全くないものをつくろうと言っている。今のメンバーには、報道界に自主規制機関をつくらせる力はないと思う。昨今の報道による人権侵害の深刻さを考えると、報道の聖域化は世論の了解を得られない。日本の現状を見ると、報道評議会などの自主規制機関とともに、新・人権機関でも報道被害を取り扱うのがいい。オーストラリアがモデルだ。二つのオプションを用意することにより、両方が競い合い、被害者が自由に選べるようにするのがいい》と強調した。委員長の「報道と人権」メンバーに対する評価は非常に厳しい。
 ▼東京新聞が最初に報道
 実行委員会の人権機関提案とメディアの関係を最初に報じたのは東京新聞だ。八月一六日の一面に、《メディアへも強制調査 侵害認定『差し止め』も 日弁連提案の『新人権機関』》という見出しを掲げて報じた。飯室勝彦編集委員による「報道委縮招く恐れ 事実上の検閲」と題した解説記事もあった。 
 飯室氏は「週刊現代」9月9日号の「ジャーナリズムの現場から」で、「今回の日弁連の構想について、他紙がどこも触れなかった。現場の記者の感度が問われています」と述べている。
 東京新聞の報道から四週間後の9月13日に、朝日新聞が《人権救済「強制調査権を」 新機関の設置へ、日弁連内で試案》という見出しで、「日弁連が独立性の強い新たな人権救済機関をつくって関係者に対する立ち入り調査や資料の提出命令などを含めた強制調査権を与えるを内部機関で検討していることが分かった」と伝えた。
 この記事は、日弁連が提案する人権救済機関は、公権力を含めたあらゆる人権侵害を対象に「申し立ての容易さ、迅速かつ実効的な救済」をめざしたものだと指摘、強制調査の対象には報道機関も含まれており、日弁連内部では「報道の自由を侵害する恐れがある」などの反対論も出ていると書いている。さらに、《宣言・試案に対して、日弁連会員弁護士の中には修正案を出そうという動きも生まれている。人権擁護委員の梓沢和幸弁護士らは(1)法試案では政府からの独立性が十分担保されていない(2)公権力の報道への介入の口実に使われ、結果的に市民の知る権利を侵害する恐れがある、などから「行き過ぎた報道への対処は、報道機関の自主的な苦情処理機関の設立で対処すべきだ」と訴えている》。
 「日弁連検討の人権救済機関、強大な権力持つおそれ」と題した解説記事では、次のように指摘する。
 《例えば、報道機関も強制調査の対象に含むことを具体的に考えると、新聞社や放送局内に「人権委員会」が立ち入り、取材メモなどの提出命令さえ出せることになる。
 試案(要綱案)では、調査継続中であっても緊急時は「人権侵害行為」の即時中止の「仮救済決定」ができることにもなっている。報道機関に適用されれば、場合によっては事前差し止めとなり、憲法二一条の禁じる検閲に触れる可能性もある。内部からのこうした批判を受けて、実行委員会側は当初の案に「検閲であってはならない」との文言を加えたが、こうした経緯自体、起案者らの慎重さに疑念を抱かせる。
 報道による人権侵害の深刻さに対しても市民の目は厳しくなり、これを背景に自民党や法務省はメディアに対する法的規制を検討しはじめている。確かに「表現の自由」を掲げ、商売上の利益のために人権侵害を省みない報道もある。
 日弁連も昨年の人権擁護大会では「権力による言論・出版への介入」の口実をつくらせないために、報道機関による自主的な報道被害救済組織「報道評議会」などの設立を提言した。日弁連が新たな提案を検討したことは、報道機関側の自浄努力の歩みが遅い、と受け止められていることも示している。》
 この解説記事には署名もない。《確かに「表現の自由」を掲げ、商売上の利益のために人権侵害を省みない報道もある》とか、《日弁連が新たな提案を検討したことは、報道機関側の自浄努力の歩みが遅い、と受け止められていることも示している》などと、他人事のように言うのではなく、日弁連が87、99年に提言し、多くの報道被害者が要望しているメディア責任制度を設立するべきであり、それを怠っておきながら、「報道の委縮」を持ち出すのには違和感がある。
 飯室編集委員の解説の後半に「確かに一部メディアによる人権侵害は目に余るが、表現、報道の自由は民主社会の基盤だけに、一般国民の批判、メディアの相互批判による改善が望ましい」とあった。こんなことでメディアによる人権侵害は防げない。東京新聞もまた社会面報道において東京渋谷の会社員殺人事件の被害者らのプライバシーを暴いたり、河野義行さんへの虚報などの罪のあることを忘却している。メディアの取材・報道の被害の深刻さに認識が薄く、「加害者意識がない」(河野義行さん)ことが問題である。
 朝日新聞の解説記事で、奥平康弘・東大名誉教授(憲法)は「人権を権力で取り締まるのでは法務省と同じ発想だ」と指摘。「公権力による人権侵害と、知る権利に直結する分野での人権侵害は区別し、後者の規制は報道機関の自主性にゆだねるべきだ」との意見を表明している。
 権力による人権侵害と、知る権利に直結する分野での人権侵害を区別するには、犯罪報道などにおいて、匿名報道主義を導入するしかないと思う。
▼99年人権大会の限界
 前橋で開かれた昨年の人権擁護大会に私も参加したが、一部の弁護士から「12年前にも同じ提言をしたのに、報道界は何も変わらないではないか」などという厳しい声が出ていた。第二分科会シンポジウム「人権と報道」では、河野義行さんが基調講演し、名古屋大学の平川宗信教授、上智大学の田島泰彦教授、原寿雄氏(元共同通信編集主幹)らがパネリストになって討議したが、田島、原両氏は「経営者が報道評議会をつくる可能性は低いので、市民によるメディア評議会をつくろう」と呼びかけていた。これでは敗北主義だ。
 私は99年6月15日、第42回人権擁護大会シンポジウム「人権と報道」実行委員会勉強会で講師を務めた。匿名報道主義に反対する委員の弁護士たちは勉強会には出席しなかった。
 私はこの席で、メディア責任制度は「第三者機関」でも「社内オンブズマン」でもなく、メディア界がメディア界のために自主的につくる組織であり、スヴェーデンで誕生したオンブズマン制度の真の意味を理解してほしいと述べた。そのうえで、メディア責任制度をつくるのは日本新聞協会・日本記者クラブ・新聞労連であり、日弁連がこの三者による懇談の場をセットしてほしいと強調した。また、メディア責任制度の前提となる「報道倫理綱領」には、被疑者・被告人と被害者の匿名原則(公人の職務上の犯罪容疑または不適切な行為の場合は例外として顕名)を明記すべきで、権力に強いジャーナリズムをつくりだすためにこそ、匿名原則と報道評議会が必要だと述べた。
 講演の後、ある弁護士は、「浅野さんは日弁連が日本新聞協会に要請すべきだというが、私個人の意見としては、新聞協会に対する具体的働き掛けは、もういいのではないかと思っている。市民による独立した組織にすべきだ。日弁連内部に報道評議会を設けたらどうかと考えている」と述べた。ほかの弁護士からも「これまで新聞協会に要望してきたが、実現しない。再び働き掛けても展望がない」などという意見があった。
 私は、「新聞労連が報道評議会を新聞協会とともに設置することを運動方針として決定しており、河野義行さんら報道被害者を含む市民が強く要望している。不十分とはいえ放送界には自主規制機関が誕生した。新聞協会に今こそ働き掛けを強めるべきである」と答えた。
 ところが、宣言文では「第三者機関の設置」や「社内オンブズマンの設置」がうたわれた。まだこうした言葉にこだわった。ある弁護士は「いわゆる社内オンブズマンということですから、ご理解してほしい」と弁解していたが、今も報道機関の内部にある記事審査機構をいくら改編しても、メディア責任制度はつくれない。「社内オンブズマン」は「屋内の屋外運動場」といったようなものであり、滑稽でさえある。
 シンポジウムの討論で飯室編集委員は会場から、「日弁連は報道機関に対して、何をしてはいけないということしか言わない。がっかりした」と発言。またTBS報道記者は「正確な事実報道には実名報道が必要だ」などと述べた。これに対して、甲山事件で無罪が確定した山田悦子さんと大分・みどり荘事件で犯人にでっちあげられた沓掛良一さんらが「逮捕時に実名報道されると、家族もろとも社会的に抹殺される。母親は表札の名前を変えた」「匿名報道してほしいというのは、我々のささやかな要求だ」などと訴えた。河野さんは「人間の命の大切さを上回る『知る権利』というのはあり得るのか」と述べた。
 私は、司会者に会場から発言を求められ、新聞労連が報道評議会を新聞協会とともに設置することを運動方針として決定しており、河野義行さんら報道被害者を含む市民が強く要望しているのだから、新聞協会は報道評議会をつくる義務があると訴えた。
 ▼法規制狙う権力
 日弁連はそれなりに、新聞協会などに報道評議会の設置を働き掛けてきた。しかし、活字メディアはいまだにその設置のための具体的動きを見せていない。その一方で、与党と政府はメディア規制を狙っている。
 自民党は99年3月、脳死移植報道、ダイオキシン報道などを理由に設置した「報道と人権等のあり方に関する検討会」(座長・谷川和穂衆議院議員)は8月、「活字メディアに対して、欧米に見られるような自主的なチェック機関や苦情処理機関の設置と、記者教育の徹底を強く求める」などと提言した。自民党の「選挙報道に係わる公選法検討委員会」も世論調査報道に対し、立法措置を含めて対処する方法を検討している。
 公明党は今年8月、党本部に「報道と人権問題委員会」を設置した。委員会は「報道機関の自主規制システムの整備などについて研究するという。
 また、個人情報保護の法制化を目指す政府の「個人情報保護法制化専門委員会」(委員長・園部逸夫前最高裁判事)は今年8月、中間的な報告として大綱案を発表した。日本新聞協会、日本民間放送連盟、NHKの計314社は8月、委員会に「表現の自由への配慮」「報道・出版目的で扱う個人情報は適用の対象外に」を求める共同声明を出した。三者が政府に共同で申し入れするのは初めて。日本雑誌協会も9月14日同様の緊急アピールを出した。
 9月23日の毎日新聞によると、個人情報保護法制化専門委員会は「利用目的による請願」など五つの基本原則について、「自主的な苦情処理を行う責任はすべての事業者にある」と述べ、報道機関に対しても、政府の関与のない努力規定として盛り込む意向を示した。
 一方、法務省の人権擁護推進審議会は、7月、人権を侵害された被害者を救済するための独立性をもった人権救済機関の設置を提言する方向で検討を進めていることが分かった。2001年夏までに法相への答申をまとめる方針だ。審議会は救済制度の対象とすべき具体的な人権侵害の一つとして、「差別」「虐待」「公権力」などとならんで「メディア」を含めている。
 99年12月6日の朝日新聞「声」欄に、千葉在住の山田真也判事が、「被害者保護の新たな立法を」と題して、犯罪被害者に対する「メディアの無法」の横行をくいとめるには、「新たな立法」が必要だとして、次のように述べている。「犯罪被害者や、その近親者の生活の平穏を乱す取材行為を制限すること。家庭環境、学歴、職業、収入、言行など、通常人が開示することを望まない個人情報の公開を、民事上の不法行為とみなすこと。賠償額の算定には、同種行為の反復を防止するための懲罰的賠償を科し得るものとすること。このような立法なくしては、被害者の保護が望めないだけでなく、報道の自由そのものが、自滅への道をたどりかねないだろう」。
 山田判事の投書は、自民党などのメディア規制法の動きと連動しているのではないか。
 こうした権力からの法的規制の動きの中で、今回の宣言案がそのまま採決されれば、「日弁連さえメディアに対する法規制を提言している」ととらえられる危険性がある。
 ▼オンブズマン導入を
 日本にも人権機関が必要なことは言うまでもない。今回の人権機関で最大の問題は「政府からの独立」が保てるかだろう。委員の任命は国会の同意を得て内閣が行うとされている。私はここで、北欧型のオンブズマン制度にならった人権救済機関の設立を提案したい。
 私は7月ロンドンで開かれた米国弁護士連合会主催の「オンブズマンの定義と基準」に関する国際シンポジウムに参加した。スウェーデンで一八世紀初頭に誕生した「オンブズマン」は、第二次世界大戦後、世界各地に広がった。議会、政府、企業、大学、プレスなどの分野で、社会的に弱い立場にある市民などからの苦情申し立てを受け付け、独自に調査をしたうえで、その訴えに合理性があるかどうかを裁定し、その結果を声明・勧告などで発表し、関係者に改革を促す職務である。
 今回採択された新基準は、オンブズマンには@任命する組織体からの独立性A不偏性B秘密保持ーの三要素があり、それぞれについて詳細に規定した。
 日本で法律家や研究者が今日的な意味でのオンブズマン制度についての関心を 持ちはじめたのは1960年代後半だ。79年、弁護士の成富信夫博士は日弁連の中にオンブズマン研究サークルをつくり、「日本版・モデルオンブズマン法(案)」をつくって提唱した。
 また、日弁連は、報道による人権侵害について、メディア責任制度での対応を粘り強く働き掛けてほしい。即効性を期待するあまり、結果的に市民の知る権利を狭め、権力監視機能を失ってはいけない。表現の自由は思想信条、学問、信教の自由と同じように、絶対に権力の介入を招いてはならない。権力によるメディア規制を排除して,人民の人権を守り権力を監視する生き生きとしたジャーナリズムをつくりだすために、宣言案はこのままでは困ると私は思う。
 日本新聞協会は二○○○年六月、新しい新聞倫理綱領を制定した。一九四六年に制定した旧新聞倫理綱領の初の全面改定で、前文の冒頭に「国民の知る権利」を新たに明記したほか、「読者との信頼関係をゆるぎないものにする」などの表現を新しく盛り込んだ。また、「人権の尊重」の項目を設け、「反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる」とした。
 「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」の五項目を規定。「人権の尊重」では、《新聞は人間の尊厳に最高の経緯を払い、個人の名誉を重んじ、プライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる》と述べている。
 誤報被害に「反論の機会を提供する」のは当然だが、誰がどのような基準で「正当」かどうかなどを判断するのか。名誉回復はどのように実現するのか。綱領を掲げただけではほとんど役に立たない。報道体制を構造的に変革する詳細な指針づくりが急務だ。
 新聞労連は「今後、この綱領の精神、理念を制度的に担保していくためには、具体的な行動規範や運用指針を示す必要がある」「『人権の尊重』を実現するために、人権を侵害した場合の救済機能を持つ自律的な機関の検討が必要だ」などとする見解を発表した。
 日弁連は報道界に対して、具体的に2001年6月末までにメディア責任制度を設立せよと迫ってはどうだろうか。
 報道界は今回の実行委員会の問題提起を「報道の自由への介入」だと頭から拒否するのではなく、こうした提案まで出てきた時代背景を真摯に受け止め、報道評議会・プレスオンブズマン制度の導入に着手してほしい。過去13年間、「表現の自由」「報道の自由」を叫ぶだけで、そうした努力をほとんどせずにきた報道界の無責任さこそがいま問われている。その報道界に遠慮してきた一部弁護士や研究者(「リベラル」文化人としてメディアに度々登場する)の責任も追及されなければならない。

浅野ゼミのホームページに戻る


Copyright (c) 2000, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2000.11.07