2000年10月23日
新聞労連の「報道評議会」原案についての意見
浅野健一
私は2000年10月23日、日本新聞労働組合連合(新聞労連)中央執行委院長 畑 衆さん=03−3221−0948(FAX)=に次のような手紙をファクスで送った。
《長い間空席だった新聞労連委員長の役職に、畑さんが就任されたことをお慶び申し上げます。
本日は突然のファクスで、大変失礼いたします。
私は1972年から22年間、共同通信記者を務め、社会部、外信部、ジャカルタ支局に勤務しました。94年4月から同志社で教鞭をとっています。労連の欧州報道評議会視察団に同行したこともあります。専門は「表現の自由と名誉・プライバシー」で、特に人権と犯罪報道に関心を持っており、刑事事件報道において「報道の自由」と「被疑者・被告人の公正な裁判を受ける権利」などの人権をどう調整・両立させるべきかなどについて研究・教育しています。
新聞労連が9月19日に発表した「報道評議会」に関する原案をお送りくださり感謝します。日弁連までが、先の第43回人権擁護大会で、報道による名誉・プライバシー侵害も視野に入れた「政府から独立した調査権限のある人権機関の設置を求める宣言」を決めるという状況の中で、新聞協会が労連の問題提起に真摯にこたえることを期待しています。そうした努力をほとんどせずに、「表現の自由」「報道の自由」を叫ぶだけでは、何も変わらないと私は思っています。
さて、労連原案についての私の意見を、次のように書きましたので、新聞研究部などでの議論の参考にしていただきたいと思います。》
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新聞労連の「報道評議会」原案についての意見日本新聞労働組合連合(新聞労連)は二○○○年九月一九日、「報道評議会」に関する原案を発表した。労連は原案の「はじめに」で、「臓器移植報道や事件・事故取材での必要以上のプライバシー侵害、行き過ぎた性表現や不適切な差別表現、容疑者と決めつけたような報道による人権侵害など、いわゆる報道被害が繰り返され、市民の報道への信頼は、もはや各報道機関ごとに読者対応室や法務室などを作って対処するだけでは回復できない段階にきている」と述べ、「権力による無用の介入を防ぎ、報道機関が自律した存在であり続けるために、メディアが引き起こした報道被害に業界として自ら対処するシステムが今こそ必要になっている」と強調している。報道評議会は、「権力からの監視、コントロールを一切拒否すると同時に、報道被害が起きた時には速やかに救済を図ることによって、報道の自由と責任を体現していくシステムである」と規定している。
権力を批判・監視し読者・市民の知る権利を代表して行使するメディアの使命は、「読者・市民からの信頼があってはじめて成立するもので、この信頼感を欠如させるようなメディア活動については自らをもって厳しく戒める必要がある。その自律的な制度の一つとして報道被害の救済が挙げられ、被害者の立場に配慮し、誠意を持った解決をはかることが求められる。同様の観点から、大事件、大事故などの際の周辺住民への傍若無人なふるまいなど、行き過ぎた取材活動に対し、評議会は見解の公表など自発的な問題提起をする」ともうたっている。
全体的によくできた案だと思う。報道界が自らの業界のためにつくる制度であることが明確になっており、「第三者機関」と一線を画している。また、最近の少年犯罪などで社会問題化している「取材過程における被害、例えば一カ所の現場に多数の記者が詰めかけることに伴う集団的取材被害」など「取材被害」についても、真剣に取り上げていることを評価したい。日本新聞協会が、この原案をもとに真剣な取り組みを始めることを期待する。
ただし、原案の中に、大きな誤りや不十分な点がいくつかあるので指摘しておきたい。
現案は「申立人(評議会に訴えを申し立てられる者)」として、「報道による被害を受けた本人、もしくはその家族を原則とする。ただし、評議会が特に必要であると判断した場合は、団体や複数の関係者も申し立てをすることができる」としているが、その【解説】で、《個人ではあるがプライバシーなどの面で一定の制約があることが社会的に認められている存在、即ち「公人」については申立人に含めないこととする。公人の範囲については今後の議論にゆだねる。》
この解説では、「新聞人の良心宣言」の公人の概念では、皇室、企業人、とりわけ大企業の役員らが漏れていると指摘する。この件に関しては、人権と報道・連絡会が一線記者やデスクの共同研究会を積み重ねて八五年に発表した匿名報道主義下の「顕名報道基準試案」(浅野健一著『新・犯罪報道の犯罪』、講談社文庫に所収)で発表しているので参照してほしい。
「公人」を申立人から一切除外するのはどうか。公人による職務上の犯罪容疑や不適切な行為を疑われた場合に、取材・報道され、論評されることは当然であり、だからこそ報道倫理綱領が重要になってくる。公人のプライバシーなど困難な問題があるが、公人が受ける報道被害も視野に入れるべきだと思う。英国のPCCの場合は女王も申し立てができる。
大事件、大事故などの際の周辺住民への傍若無人なふるまいなど、行き過ぎた取材活動に関する被害は、「取材規制」につながるので報道評議会では対応しないとしか言及していないのは残念である。
スウェーデンでは、報道被害に対処する報道倫理綱領と報道評議会とは別に、個々のジャーナリストの取材・報道活動についての細かなガイドラインと、そのガイドラインを順守しているかを監視する職業ジャーナリスト委員会を持っている。
原案は「設置場所・形態」の解説の中で、こう述べている。《評議会は東京に置く。形態としては「プレスカウンシル型」とする。形態については、権限の集中を招くオンブズマン型ではなく、合議制によるカウンシル型が適していると思われる。》
「権限の集中を招くオンブズマン型」というのはかなり誤解を招く表現である。
ここで言うオンブズマンとは、「プレスオンブズマン」(press-ombudsman for the general public)のことであろう。オンブズマンは一八○九年にスウェーデンで導入された「国会オンブズマン」が起源。「政府と人民のあいだの確執の局面に公正な立場で介入して、人間の尊厳を守るという目で、正邪の判断を下す役職」(潮見憲三郎『オンブズマンとは何か』講談社、1996年)で、多くの国に広がった。スウェーデンでは一九一六年に@メディア界全体の報道倫理綱領の制定A倫理綱領を守っているかどうかをモニターする報道評議会ーーをセットにしたメディア責任制度が誕生したが、報道に関する苦情が急増したため、六九年に「一般市民のためのプレスオンブズマン」職を導入した。報道評議会と同義語と考えてもよい。「オンブズ」とは「代理する」という意味。市民とメディアの間に入って第三者として裁定するのではなく、取材・報道される市民の立場を代弁する。北米ではいくつかの新聞社が独自のプレスオンブズマンを置いている。ワシントン・ポストのオンブズマンが有名。
労連原案は、北米型の新聞社別のオンブズマンはおかないという意味だろうが、「権限の集中を招く」オンブズマンは、オンブズマンではない。
参考文献:潮見憲三郎『スエーデンのオンブズマン』核心評論社、1979年。浅野健一・山口正紀『匿名報道』学陽書房、1995年。
次に、報道評議会が「勧告」する場合の、判断基準となる報道倫理綱領について明確な記述がない点も問題だ。「受理基準」の項で、九七年二月に採択した「新聞人の良心宣言」の一部が引用されているだけだ。メディア責任制度に参加する報道機関とジャーナリストは、メディア界全体で策定した報道倫理綱領にサインし、報道評議会はメディアが倫理綱領を守っているかどうかをモニターするのである。報道倫理綱領を市民に開示しておかなければならない。「新聞人の良心宣言」を報道倫理綱領として使うことを明記してはどうか。
その際、人権と報道・連絡会の「顕名報道基準試案」も参考にしてほしい。「新聞人の良心宣言」の「犯罪報道」の項で「新聞人は被害者・被疑者の人権に配慮し、捜査当局の情報に過度に依存しない。何をどのように報道するか、被害者・被疑者を顕名とするか実名とするかについては常に良識と責任を持って判断し、報道による人権侵害を引き起こさないように努める」と規定、実質的に匿名報道主義の立場をとったのだから、倫理綱領でもこう明記してほしい。
また、メディア責任制度は、報道被害の救済のためだけにあるのではなく、報道被害を生み出す構造を改革し、報道被害を防ぐための方策を見いだすことも重要な任務であることが、十分には明示されていないと思う。
私が九六年に発表した報道倫理綱領試案と日本報道評議会運営要綱試案メモを参考にしてほしい。その要旨は、新聞労連・現代ジャーナリズム研究会編『新聞報道[検証]SERIES 新聞人の良心宣言』(CPIサコー)の資料の一部として掲載されている。(了)
Copyright (c) 2000, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2000.11.07