朝日新聞への質問書

浅野健一
2001年2月16日
同志社大学文学部社会学科新聞学専攻教授

 朝日新聞高松支局長 吉川幸男様
 (ご参考に)朝日新聞「報道と人権委員会」事務局長 佐藤公正様
 拝啓
 厳寒の候となりましたが、貴殿におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 突然のファクスで失礼します。
 私は同志社大学文学部社会学科で新聞学を教えております。1972年から22年間、共同通信記者を務め、社会部、外信部、ジャカルタ支局に勤務しました。94年4月から同志社で教鞭をとっています。 1999年3月から10月まで、厚生省の公衆衛生審議会臓器移植専門委員会の委員(メディア論)を務め、医療の透明性の確保と患者のプライバシー保護について意見を表明しました。専門は「表現の自由と名誉・プライバシー」で、特に人権と犯罪報道に関心を持っており、刑事事件報道において「報道の自由」と「被疑者・被告人の公正な裁判を受ける権利」などの人権をどう調整・両立させるべきかなどについて研究・教育しています。
 今日は突然で申し訳ありませんが、2000年1月8日に行われた高松市の「成人式」にかかわる「威力業務妨害」事件で逮捕された五人のうち成人四人が、毎日新聞を除いて、逮捕直後から実名報道されたことと、増田市長のこの間の姿勢に関する報道について疑問に思っており、質問させていただきます。

 1 4人を実名報道する必要があったのでしょうか。
 朝日新聞は一九九〇年八月五日に、「微罪事件の被疑者や、単純な事件の被害者など実名を伝える必要性に比べて当事者に与える不利益が大きいケースは匿名にする」と表明しています。一部地方紙でも、微罪は匿名にという流れにありました。
 今回のケースは微罪にあたると思われます。また警察の身柄拘束があれば実名にするという社内基準の例外としてもよっかたのではないですか。いかがでしょうか。

 2 1月22日に罰金刑が決まった際に、4人の姓名が出ていなかったと思いますが、なぜでしょうか。

 3 貴社のHPの検索で入手できる電子データに四人の姓名が今も流れていると思いますが、これを削除するお考えはありませんか。

 4 この事件で暴行を受けた新聞記者は年齢は出ていますが、匿名になっているのはなぜでしょうか。一般の事件では被害者も実名が原則で、不公平ではないでしょうか。(匿名が悪いと言っているのではありません)

 5 4人の逮捕、勾留は、見せしめの意味のほかに、新聞記者への傷害事件の取調のための別件逮捕だったという見方がありますが、貴社はこうした問題についてほとんど報道していないように思われます。それはなぜでしょうか。

 6 1月23日の毎日新聞(大阪本社統合版)で報道された「妨害の4人に罰金」という見出し記事の末尾の段落にこう書いてありました。
 《一方、5人が告訴当日の10日、連名で市長あての謝罪文を出していたことも分かった。同市秘書課によると、告訴の前に届いたが、「方針を既に決めており、司法の判断にゆだねたい」として告訴したという。》
 私が2月2日、氏部秘書課長に聞いたところ、謝罪文を連名で書いたのは6人で逮捕された5人のほかにもう1人いたということです。毎日新聞高松支局の久田宏記者は2月7日付「記者の目」で《大反響に一変、「微罪」告訴 大人げなかった大人側》と題して、逮捕された5人が市長の告訴前に謝罪文を出していたことを伏せた経緯を伝え、「どこが氏名不詳なのか。市側は5人に直接対応することなく、準備していた告訴状に謝罪文を添えて提出した。そして、市は告訴の記者発表では、なぜか謝罪文が出ていることを伏せた」と指摘しています。市長は謝罪文を本人たちの了解もなしに警察に提供したのでしょうか。しかも「氏名不詳」で告訴したのです。
 1月26日に行われた市長の定例会見でも、一部の記者が謝罪文の提出の事実を伏せていた問題を追及しましたが、市長は「告訴の方針を既に決めていた」としか説明しなかったということです。
 市当局が謝罪文提出を伏せていたことを報道したのは毎日新聞と読売新聞だけだということですが、貴社は報道していないのでしょうか。もしそうであれば、それはなぜでしょうか。

7 (6の質問で謝罪文のことを報じていない場合)高松市以外の自治体の成人式騒動では、問題を起こした若者が謝罪し、首長らと話し合いで一定の解決をしたのに、高松のクラッカー騒ぎの人たちは名乗り出なかったということで、市長の告訴や警察検察の強制捜査を支持する世論ができていたように思われます。市当局が12日間も謝罪文の存在を伏せていたことを「ニュース」にしない理由をお聞かせください。

8 増田市長は1月16日付の市のHP「市長のひとりごと」で、1月11日付けの産経新聞「産経抄」を引用して、「私たちは,戦後50数年間にわたって日本と日本人をスポイルしてきたある種の民主主義、正義、人権といったものを、今こそ冷静に見直し,検証しなければいけない時期を迎えているのではないかと、切に感じております」と書いています。
 このことを報道していますか。していなければ、それはなぜでしょうか。

9 貴社を含む日本の主要な報道機関は、政府の機密費を流用した疑いを持たれている外務省の松尾克俊・元要人外国訪問支援室長の名前を約20日間伏せていました。1月25日夕刊から松尾氏の姓名と顔写真を報道しています。
 貴社は1月6日に「外交機密費流用か 一時は預金二億円に」と初めて報道。その後、17本の記事を出しましたが、ずっと名前を伏せていました。1月25日朝刊では「「業務上横領の疑いで警視庁に告発する」とまで書いているのに名前がなかった。一般刑事事件で「正確な事実の報道」「権力チェックのために実名が不可欠」というメディアが、馬やマンションを税金で買ったことが判明しているのに、姓名を書かないのは全く理解に苦しむとこころです。
 朝日新聞はかつて、神奈川県警の公安警察による共産党緒方国際部長宅盗聴の実行犯を、警察庁が認めるまで匿名にしていたことがあります。「警察が逮捕していないから匿名」「逮捕されれば実名」という
説明では市民は納得できません。四国新聞には、なぜ室長は匿名なのかという読者からの問い合わせがあったと聞いています。貴社ではいかがでしょうか。高松の成人になったばかりの4人の氏名の扱いとの関係でお答えください。

 以上9つの質問をさせていただきます。高松で18日に開かれる集会との関係で、1月17日夕方までに回答ください。私がお電話でお聞きするという形でも結構です。急なお願いで申し訳ありません。
 文書の場合は、回答に回答者の役職名、姓名を、明記してください。公表の際、匿名を希望される場合は、そうさせていただきます。

                                敬具



参考資料
 増田市長は1月16日付の市のHP「市長のひとりごと」で、次のように書いています
 《マスコミは,早速,大学教授や評論家など,いわゆる識者と称される人々を通じて論評を加えてきました。賛否両論を併記するのはいいのですが,このような場合でも,その扱いがまったく対等というのは,釈然としませんでした。
 ともあれ,圧倒的に多くの人々は,私のとった行動に賛意を示していただきました。
 反対意見は,「告訴は短絡的で行き過ぎ」「大人気ない対応だ」「見せしめ,報復に過ぎない」「もっと若者たちの気持ちを理解すべき」といったものでありました。いちいち反論したい気持ちはありますが,それこそ大人気ないと思いますのでいたしません。
 ところで,このような若者たちの出現や行動には,さまざまな原因が考えられると思いますが,私は戦後50数年を経たこの私たちの社会の負の遺産,陰の部分,ひずみが遂に火を噴いてきたのだと思います。それだけに,事はクラッカー事件で終わらせてはならない大きな問題であると認識しております。戦後のいわゆる民主教育がこういったところへ行き着いてきたとの思いもあります。
 これからの時代,私たち大人社会が反省し,改めていかなければならないことは,あまりに多く,今回の事件がそのための一つの契機となることを心から願っております。
 1月11日付けの産経新聞「産経抄」に「クラッカー騒ぎを醸成したのは,戦後教育と進歩派マスコミと人権派たちなのだ」とありました。私たちは,戦後50数年間にわたって日本と日本人をスポイルしてきたある種の民主主義、正義、人権といったものを、今こそ冷静に見直し,検証しなければいけない時期を迎えているのではないかと、切に感じております。》
 まるで石原慎太郎東京都知事の発言のようです。常に民主主義、平和、人権を非難する産経新聞「産経抄」を無批判に引用し、まるで人権、民主主義に問題があるかのような記述をしています。
 私は1月29日に市長あてに電子メールを送った。
 《増田市長のHP読ませてもらっています。成人式の騒ぎ、大変だったとお見舞い申し上げます。私は1月15日に広報課長らとお会いして話を聞きました。
 16日のHPで、増田市長がマスコミの半分が反市長だというのは事実に反します。圧倒的に5人が非難されています。さらしものです。
 市長の言い分は26日の朝日も含めて、同情的に報道されています。
 また市長が書かれている以下の文章は問題が多いと思います。〈1月11日付けの産経新聞「産経抄」に「クラッカー騒ぎを醸成したのは,戦後教育と進歩派マスコミと人権派たちなのだ」とありました。私たちは,戦後50数年間にわたって日本と日本人をスポイルしてきたある種の民主主義,正義,人権といったものを,今こそ冷静に見直し,検証しなければいけない時期を迎えているのではないかと,切に感じております。〉
 増田市長は脇さんの後継者と聞いています。「戦後教育と進歩派マスコミと人権派たち」「ある種の民主主義,正義,人権」に敵対するかのような立場を表明されたことに驚きます。国連の人権基準、憲法などを尊重する義務が市長にはあるはずです。
 私は、同志社大学で新聞学を教えています。高松出身です。戦後の民主主義教育、人権環境教育が不十分だったことこそが問題です。戦後の権力者が官僚制、企業本位でやさしさのない社会をつくってきたことに問題があります。人権派が支配した時期など戦後史に一秒もないのです。自民党と財界が今の社会をつくってきたのです。
 市長のこの言葉を英語に訳してみてください。人権を大切にする人々を「人権派」と呼び軽べつする社会や新聞は、他の先進国にはありません。
「産経抄」に「プロの人権屋」とか「加害者人権だけを擁護する」などと非難されてきた一研究者・ジャーナリストとして、市長のこのパラグラフは見過ごすことはできません。
 人権や民主主義を大切にするように五人も含め若い人に教育指導するのが公務員の仕事です。市長発言のこの部分を撤回してください。》
 市長はこのメールを読んでいる(秘書課長の話)が、何の返事もない。

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