2001年9月26日
大阪・池田事件でHP読者からの疑問に答える
浅野健一
大阪・池田事件は、被疑者が鑑定を受けているので、事件報道は少なくなった。犠牲者の家族、友人の方々の悲しみはご本人たちにしか分からないと思う。被害者の受けた傷はいまも癒えない。学校の関係者も苦しまれていると思う。悲しい事件で、二度とあってはならない。
この事件は、事件報道においては詐病を使っており刑事責任は問えて、起訴できると報じられている。政治・行政的には、「触法精神障害者」対策が必要だと伝えられる。いったいどっちが本当なのか。
私は「むすぶ」01年8月号(368号)で、インタビューを受けているので、ぜひ読んでほしい。「大阪・池田小事件に見る報道のあり方」がタイトルで、聞き手は山咲じゅん氏。「むすぶ」の連絡先は、075−721−0647(電話・ファクス)。2001年 7月 17日 (火) 午前、ある大学の法学部学生からメールが来た。大学名、実名、アドレスが明記されていた。超多忙だったが、まじめに考えている学生で、なぜ保安処分が憲法に違反しており、この国では危険かを知ってほしいと思い、数日後に返事をした。そのやりとりを学生の承諾を得て、HPの読者のみなさんに公開したい。
個人的な事柄に関する記述については削除した。
《2001年 7月 17日 (火) 10:34 AMのメールに返事をします。
ーー池田の事件についてなのですが、先生のWEBでの主張について少し伺いたいと思います。
全体的に先生の文章には具体性が無く、現状に対する批判としては説得力に欠けます。
今回の事件に関して、報道はどうあるべきだったのか?ということをお聞きしたいです。
先生の率直な意見を聞かせて頂きたいのです。
今先生に対する謂れの無い非難があるのは、先生の説明不足に原因があると私は思っています。そうでしょうか。私は日本の特に若い人の社会科学の知識が不足していると思っています。それから。たとえばあなたは、創8月号の私の記事を読みましたか。
「謂れの無い非難」は1984年に私が匿名報道主義を主張したときにはあまりありませんでした。誤った正義感、法意識、人権感覚が横行しています。この大学も同じです。ーー>実名報道は被害者の二次被害にもなっている。被疑者も被害者も匿名でいい。
何の脈絡もなくいきなり「被疑者も被害者も匿名でいい。」では全く意味不明です。
何故そう思うのか、その根拠を教えて欲しいと思います。感情論ではありません。人に対して「先生の文章には具体性が無く、現状に対する批判としては説得力に欠けます」という前に、日弁連や私が1970年代から主張してきたこと、北欧などで実践されてきた匿名原則を勉強すべきです。私のHPにも中学生に説明したものがありあますよ。それらを読んでから書くべきことでしょう。『犯罪報道の犯罪』はぜひ読んでからにしてほしい。そういう努力をしないで、説明不足だとかいうのはどうか。人間としての常識です。
>「人権派」の弁護士や医師らが保安処分に反対したから・・・。
>今回のような事件が起きたという短絡的な主張が出てきた。これもまた社会の病理である
言葉が少なすぎます。なぜそれが社会の病理と思うのか補足して欲しいです。
また、先生はその病理に対してどのように望んでいかれるつもりですか?
先生の考える病理対抗策を是非教えて欲しいと考えます。保安処分とはどういうことか。そもそも今回の事件は、事件と精神障害との関係が不明です。あなたが知っている情報は、ほとんど警察からの情報をメディアが、ソースを明示せずに流しているものです。私は、犯罪は社会の病理だと思っています。個人の責任ももちろんですが、どうしてあんな悲惨で不幸な事件が起きたのかを、社会の構成員みんなが考えるべきです。ですから、そういうプロセスを経ずに、「人権派」の弁護士や医師らが保安処分に反対したから、今回のような事件が起きたというような「識者」をメディアは使うべきではないでしょう。メディアの病理の解決策は、わたしの著作の中で書いています。それを読んで、分からないことがあったら聞いてください。
繰り返しますが、私は百科事典ではないので、言葉の定義をすべてはできません。私の著作を見てください。
近く発表する文章です。
《私は週刊金曜日六月二二日号で、大阪児童殺傷事件の被疑者の氏名の扱いについて、「民放の(六月八日)夕方のニュースでも匿名報道だった」と書いたが、読者の方から大阪の一部民放が午後から実名報道していたという指摘があった。各局に聞いたところ、FNN系の関西テレビは午後二時五分に、ワイド番組に「緊急カットイン」で現場からニュースを伝える中で姓名を報じた。午後五時から、顔写真を出した。
関西テレビの担当者は「フジ・産経系だから応報主義、社会防衛的に実名を出したと思われているかもしれないが、全く違う。現場に出向いたデスクは精神医療の取材をしてきた人で、『事件があまりにも凶悪なので、精神科への入・通院歴を理由に匿名報道すると、精神科患者への差別・偏見をますます助長する』という理由で実名報道を主張したために、本社の報道幹部、デスクの間で激しい議論をしての判断だった。病歴はなるべく伝えずにしようと決めたが、他のメディアがそれを伝えるので、やらざるを得なくなった。NHKが実名にしたときは、正直言ってホッとした」という。
読売テレビもいったん実名を出したが、これは被疑者の車にあった運転免許証に書かれた名前を報道しただけで、すぐに匿名に切り替えていた。午後九時のスポットニュースから実名にした。
大阪の事件の被疑者は六月二九日、再逮捕(七人の殺人と児童一○人、教師二人に対する殺人未遂)された。最初の逮捕事件(一人の殺人と三人の殺人未遂)では処分保留のまま、再逮捕され、七月七日に三カ月の予定で鑑定留置が決まり、翌八日、大阪拘置所に移送された。この被疑者は逮捕から四カ月半以上も処分が決まらずに、裁判を受ける権利(憲法第三二条)を奪われることになった。
児童殺傷事件を二つの事件に分けて二回逮捕し、詐病を使っていたと断じて責任能力があるという情報を提供してきた捜査当局は、なぜ起訴しないのか。責任能力があるといいながら、政治家は「触法精神障害者」を対象にした新法をつくるという。司法と行政の迷走である。》>そうした大衆の怒りを感情移入して、被疑者をバッシングするメディアはもっと悲惨だと思う。
>私はマスメディアによる犯罪報道のあり方を議論しているのだが、「犯人が憎い」ということだけを考える人々は、
>「匿名報道を主張する奴は許さない」「実名報道でやっつけろ」と短絡的に考えるのだ。
何が悲惨なのか全く理解できません。明らかに説明不足です。
それから、短絡的だとお思いならば、先生自身その短絡性を否定できる根拠を明示してくれなければ困ります。
先生の放言でしかありません。人に説明を求めるときに、「先生の放言」という言葉を使うあなたの感性を疑います。まして、感情的ではないとことわった上ですから。「犯人」を憎む感情から、メディアは一歩離れるべきなのです。犯罪者を裁き刑罰を与えるのは、基本的にメディアの仕事ではないのです。裁判所の仕事です。
私は罪を犯した人を放免せよとは言っていません。メディアがやるべきことは、犯罪者をさらし者にすることではないのです。まして被疑者はまだ裁判も受けていないのです。捜査段階の報道のあり方を問うているのです。>朝日、毎日の両新聞は、精神障害になるべくふれずに実名にするという「配慮」もかなぐり捨てて、
>子どもを八人も刺殺した「事件の重大性」から、今回、精神障害治療歴を強調したうえで、
>実名報道するという最悪の事態になった。
配慮とは、何なのでしょうか?具体的に報道に関する法律等を指していっているのでしょうか?
あるいは言葉の通りの「配慮」を指しているのでしょうか?
もし「配慮」であるならば、配慮するべきだという根拠は何処からくるのか説明して頂きたいです。朝日、毎日の両新聞だけでなく、多くの報道機関は警察が被疑者について精神科への入・通院歴があると発表すれば、精神障害になるべくふれずに実名にするという「配慮」をすると決めているのです。8日の夕刊では産経以外は「刑事責任を問えない可能性がある」という理由で、仮名報道したのです。それがなぜ変わったのかの合理的説明がないのです。
ーー報道はありのままを伝えることがその使命だと私は思います。
今回の先生の論法は、むしろ積極的に情報を隠蔽しようとしているようにしか見えません。
先生は被疑者・被害者を同一視して、事件当事者(弱者)対報道(強者)という別次元の話に摩り替えて、
事実から逃避しているように感じます。あなたは被疑者・被害者の人権を対立的にとらえています。今の報道は「ありのままを伝え」ているのでしょうか。この事件の真相は、そう簡単には分かりません。彼はまだ起訴もされていないのです。死刑になりたかったという供述と、精神病を装って罪をまぬがれようとしていたという報道はどうつながりますか。精神障害でないとすれば、なぜ首相がこの事件を理由に保安処分的な新法を言うのでしょうか。
なぜ裁判制度があるのか、なぜ法学部があるのかを考えてください。
大マスコミの前では、事件当事者(弱者)対報道(強者)なのです。昨年末京都のある大学生がテレビ局の人と路上で口論になり一時拘束されました。すぐに警察から帰されましたが、別の大学の友人とともに朝日と毎日に実名報道されました。4回生でした。大変でした。不起訴になりましたが、実に大きなダメージでした。大阪の事件でも子どもたちはテレビを怖くて見れないそうです。ヘリも怖いようです。事件のトラウマだけでなく、メディアの取材と報道での後遺症です。加害者が悪いというだけではすまない二次被害です。正義とか事実の報道とかきれいごとを言っているぶん、悪質です。京都日野小事件でのメディアのやりたい放題は「マスコミがやってきた」〈現代人文社)を読んでください。「新しいメディア倫理の確立を」という記事が2001年6月29日朝日新聞朝刊(大阪本社版)に載りました。徳山という記者の記事です。
《事件直後、ある犠牲者の葬儀会場を訪れた。
会場前には葬儀条の警備員に加えて役10人の警察官が張り付いていた。報道関係者が近づくと「遺族の意志なので」と立ち去るよう求められ、私たちは片側2車線の道路を隔てた位置から見守った。
法要は2階で行われ、中の様子は何も見えない。出棺の時も車の出入り口に白い幕が張られ、最後まで遺族の姿を見ることはできなかった。
「一市民」と名乗る若い男性が「参列者にマイクを突き付けないでほしい。ストロボも使わないで」と訴えて回っていた。現場の責任者らしい私服警官は「遺族の気持に配慮して、すべての葬儀場に警官を配置した」と話した。
この光景を見て、メディアを取り巻く事態の深刻さを改めて思い知らされた。「権力対マスコミ」というのがあるべき姿であろう。それが、被害者の家族ら市民を警察がメディアから守るという構図になり変わっていた。》
警察がメディアの《人権侵害》から市民を守っているのです。警察は、児童の事情聴取も控えてきているのです。メディアは捜査の妨害をしていると思います。ー結局お聞きしたいのは、今回の事件で先生ならどうするか?です。
先生が共同通信に居たとして今回の事件に望む場合、どのようなスタンスをとられるか?
是非お聞きかせくだい。三つ考えるべきでしょう。
1 現状の実名報道主義(逮捕されたら未成年、心神喪失のおそれのある者以外は実名)というルールでは、仮名報道するしかないでしょう。被害者は亡くなった児童の場合は遺族、負傷者は家族の同意を得てから実名、写真報道すべきです。これは外国では常識です。子どもへの直接取材は保護者、教員の承諾が必要です。結果的に被害者の実名がでるにしても、本人の承諾を得るというプロセスが大事です。
被疑者がどんなに凶悪な事件の被疑者であろうと、日本国憲法、国際条約に規定された人権が保証されています。したがってメディアは、捜査当局が違法な調べをしていないかを取材します。捜査段階ではほとんどが逮捕した側の捜査官からの情報しかとれないことを肝に銘じて取材します。いつどこまで何を報じるかを吟味します。
被疑者が弁護士を解任した際の、警察の「関与」はなかったかを取材するでしょう。弁護士側は警察の妨害があったと言っています。
事件の発生についての報道も、冷静にと気をつけます。とくに被害者のケアです。事件の真相、とくに犯行の動機については、慎重に報道すべきです。
真相は裁判で明らかにすべきだという視点で、今回の被疑者がいまだに起訴もされずにいることを問題にします。責任能力があると当局も言っているのだから、起訴して、裁判所が鑑定するかどうか決めるべきでしょう。2 次は現状のルールを変更することを前提に考えます。心神喪失のおそれのある者を仮名にするという原則をやめて、成人は実名という原則にする。精神医療ユーザーであるかどうかは、心神喪失がはっきり認されたときにふれる。
3 さらには、これがベストですが、北欧で実践されているように、犯罪を私人による一般刑事事件と公人、準公人による犯罪嫌疑とに分けるやりかたです。前者一般刑事事件については匿名、公人は顕名を原則にするのです。従って、心神喪失、年齢によって実名、仮名の区別が概ねなくなります。これしか解決の方法がないと思います。詳しくは『犯罪報道の犯罪』『メディア・リンチ』などを読んでください。金曜日に出る週刊金曜日に沖縄の強かん被疑事件についての、米国による日本の司法制度批判は当然という記事を書きました。読んでください。
法学部の学生も、私の主張をなかなか理解できない。質問するときに、こういう文章を書いてしまう。こんな状況はあなたの個人の問題なのか、それとも大学の教育に問題があるのか。あなたがこれまで受けてきた教育とか、情報をどこから得ているのかに興味があります。日本の若い人の多くは、現状を固定的に考えがちです。日本の警察と報道がいかに世界の常識とかけ離れているかをぜひ学んでください。
最初、メールを読んだときには、非常に不愉快で、返事をするのはやめようと思いましたが、ひょっとしたら私の返事がきっかけになって、法律の本当の意味を考えてくれるかもしれないと思い、これを書きました。甲山事件の冤罪被害者、山田悦子さんは法学部の学生にイエーリングの「権利のための闘争」を薦めます。人間の尊厳を守ることとは何かを考えてください。
大阪・池田の事件はどうやったら防げたのか。今後再発を防ぐためには短期的にまた長期的に何をすべきなのか。みんなが冷静に考えるべきです。オウム事件がなぜ起きたのかもです。今のような報道、学問ではほとんど解決できないでしょう。私はそういう姿勢で共同通信で働きたかったのですが、徹底的に排除されました。安易な勧善懲悪、警察との二人三脚での取材報道が主流です。そうした構造を一歩一歩変えるために努力しています。ですから「浅野のように匿名報道を主張し、加害者の人権だけを守る奴がいるから、こういう事件が起きる」というネット上の中傷は、この国のレベルの低さを象徴しています。
人を殺したやつは悪いやつだと言うのは簡単です。でもすべての人に人権をというフランス革命以来の考え方は、学ばないと分かりません。外国では人々が闘って人権と民主主義をつくりあげてきました。日本は違いますね。そのぶん、本気で学ばないと分からないでしょう。
例えば私の勤める大学の創立者、新島襄先生は、そのためにこの大学をつくったと思います。》この学生からは返信がなかったので、7月27日、次のようなメールを送った。
《17日に質問のファクスをいただきました。回答を送りました。
質問の仕方がかなり失礼と思いましたが、私なりに誠意をもって回答しました。不明な点などありましたら、連絡ください。
あなたの姓名を「ありのままの事実として」は開示しませんが、あなたのような疑問を持つ人が、他にもいると思うので、あなたが特定されないように、あなたとのやりとりを人民の利益のために明らかにしようと思います。いかがでしょうか。あなたの大学名など書きません。ただしあなたが実際に学生であるかどうかは、私個人は知りたいと思っています。大学生も、税金を使って学問しているので、社会的責任があります。HPの京大新聞インタビューを参照ください。》
7月28日未明、返事が来た。
《御返事ありがとうございました。
失礼なメールで本当に申し訳ありませんでした。お詫びします。
丁寧な回答に心から感謝しています。先生に対する一方的な誹謗中傷が、一面的で見当違いであることは、なんとなく納得できました。 とりあえず知識がないので勉強しています。 先生の書いた講談社の文庫を買って、今読んでいるところです。
さて公開する件ですが、全く問題ありません。 むしろ私が公開したいくらいです。 実名でも結構です。全てオープンにして構いません。
先生の考え方を特に僕と同年代で同様の疑問を持っている人に知ってもらうことは、とても意味があると思います。
私は△△大学法学部の学生です。間違いありません。京都大学のインタビューの内容も読んでいます。
正直なところ、京大生の先生への質問の仕方が鈍重で、馴合いのようなインタビューだったのでつまらないという印象をもっていま す。
先生に対してならもっと現実的に突っ込むところが沢山あると思います。 先生は共同通信でいじめにあっていたというが、その「いじめ」にはどう向き合って行って、その後どのように会社から排除されて いったのか?そのプロセスが不透明なので、単なる逃亡とも解釈できる。 あるいは先生の報道に対する信念は、どう形成されたのか?そのきっかけは何処にあるのか?入社前からそのような意識を抱いていた のか? など、知りたいのです。
しかし、私自身新聞学などという学問は全くの素人で、質問できる立場にも無いような気がしてきたので、 今は報道の存在理由を自分なりに突き詰めて考えている最中です。 ある程度意見がまとまったら、再びメールさせていただくことがあるかもしれません。
以上よろしくお願いします。 》
私はその日に返事を出した。
《メール受け取りました。
講談社の文庫を買ってもらったとのこと、ありがたいです。
市民革命を経ていないこの国では、法律や民主主義、人権について、まだまだ18世紀以前のような状況があり、死刑制度も存続し、警察の違法、不当捜査もやりたい放題に近いのですから、私の言うことが、なかなか分かりにくいと思います。
あなたの方で公開する場合は、私の記述の引用部分を私に事前に見せてください。もちろん最終的にはあなたが決めることですが。
私はあなたの実名、大学名を出すつもりは全くありません。HPを読んだ大学生(法学部まで書くかもしれません)と表記します。失礼ながら、学生は文学賞をもらったり芸能界にいる人以外は顕名にする必要はないと思います。実名でも結構です、というお申し出は、大変フェアでいいとは思います。あなたが全てオープンにして構わないと言ってきたが、匿名にすると説明します。
私のHPに流す前に、そちらに送らせていただきます。直すべきところなどあれば連絡ください。といっても、相変わらず多忙でいつになるか、結局やめてしまうか分かりません。新しい仕事がたくさん入ってくるので。
(略)
京都大学新聞のインタビューをした京大理学部の1年生(当時)の飯田君は高校生の時から私の本を読んでいて、いまはゼミ(3回)の潜り学生です。かなり周到に準備し、先輩の編集責任者と一緒に長時間聞いて書いて います。なれ合いとは思いません。メディアの中で戦っている労働者にはわりあい評判がいいですよ。
もし聞き方に問題があると思うなら、あなたのインタビューを受けてもいいですよ。ーー先生は共同通信でいじめにあっていたというが、その「いじめ」にはどう向き合って行って、その後どのように会社から排除されて いったのか?そのプロセスが不透明なので、単なる逃亡とも解釈できる。 あるいは先生の報道に対する信念は、どう形成されたのか?そのきっかけは何処にあるのか?入社前からそのような意識を抱いていた
のか?これは「犯罪報道の再犯」など第三書館の3冊に書いています。ぜひ読んでください。
私のメディア論は三〇年かけて到達したもので、あなたの年代のころや、そして記者になってすぐのころは、全く知識がなかったです。
でも大学時代に、白井厚先生(現在、帝京平成大学教授)に社会思想史を習ったことが今も生きています。白井先生は今も私の教師です。「アジア太平洋戦争と大学」の編者で、アナーキズム研究の第一人者です。学問はなんのためにあるのか、を教えてくれています。いい仲間と、自分が師と考える人にこれからもたくさん出会ってください。
ではいつでも連絡してください。
(2001年7月17日現在のプロフィールを付けた)》その後、学生から連絡はなかった。
9月25日、学生にHPに以上のような内容で掲載するというメールを送ったところ、快諾していただいた。「読み返してみると、誹謗中傷・人格攻撃で恐縮してしまうのですが、恐らく僕のような人は居るでしょうから、その人たちに読んで貰えればと思います」と書いてあった。私の言いたいことが分かってくれたようだ。(以上)
Copyright (c) 2001, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2001.09.26