2001年3月4日

匿名報道主義の導入とメディア責任制度
マス・コミュニケーション学会で再論を


浅野健一

 私は同志社大学人文学会発行の「評論・社会科学」64号で、日本の新聞界は二〇〇〇年六月に新・新聞倫理綱領を制定し、同年秋から、各社がこれまで持っていた紙面審議会・記事審査室・読者モニター制度などの延長線上に、外部の「第三者」を加えた「苦情処理」の新組織を立ち上げた経緯を論じた。希望者には抜き刷りをお送りします。送料と印刷実費合わせて200円を切手でお送り下さい。
 3月20日に発行予定の65号でも続いて、各社の苦情対応組織とメディア責任制度を論じている。
 二〇〇〇年一〇月の毎日新聞を皮切りに、新潟日報、朝日新聞、東京新聞が新組織を発足させたのだが、共同通信加盟の他の地方紙も近く同様の組織を新設する模様だ。名称は様々で、組織形態も活動内容も異なる。各社の委員会の実態を見ると、委員会の事務局長でさえ広報部長と兼任している社もあり、専任の調査スタッフもほとんどいない。報道被害者から積極的に苦情を受け付けようという姿勢が不十分で、毎日新聞も朝日新聞もいまだに当事者からの苦情が一通も届いていないようだ。国際的な基準を充たした報道評議会やオンブズマンではないことを自ら証明している。
 政権党の自民党は一九九九年三月、脳死移植報道・ダイオキシン報道などを理由に、「報道と人権等のあり方に関する検討会」を設置し、同年八月、「活字メディアに対して、欧米に見られるような自主的なチェック機関や苦情処理機関の設置を強く求める」などと提言。「個人情報保護法制化専門委員会」は二〇〇〇年一一月、マスメディアも対象にする個人情報保護基本法の大綱案を発表した。また、法務省の人権擁護推進審議会は、同年一一月二八日、人権を侵害された被害者を救済するための人権救済機関に関する審議の「中間とりまとめ」を提言として公表した。
 「低俗番組」やヘアヌードなどの追放を口実にメディア統制を狙う「青少年社会環境対策基本法案」や東京都条例改悪の動きも危険だ。
 その一方で、犯罪や事故の被害者に対する「非人間的な取材と報道」(京都小2殺害事件近くの住民代表)が社会問題化しており、日本弁護士連合会は二〇〇〇年一〇月五、六日の人権擁護大会で、マスメディアによる名誉・プライバシー侵害も対象にした公的な人権機関を設置するよう提言した。メディアに対する法的規制に強く反対してきた日弁連までが、法規制に言及したのである。
 報道被害者の中には、マスメディアの自主規制には到底期待できないという理由で、法的規制を強く望む声も少なくない。一般市民の間でも、報道界が報道評議会をつくらないのであれば法規制もやむなしという世論もでき上がりつつあるように思われる。
 二○世紀中に誕生しなかったメディア責任制度を今年こそ設立する好機だと私は考えてきたが、新聞・通信各社は報道評議会の創設を当面、あきらめたようにみえる。主要新聞各社は苦情対応機関の委員にメディア学者・文化人を選定している。「メディアの実際に認識がある有識者」を選んだと正直に言う新聞社もあるが、これでは「書かれる側」のオンブズマンになれるはずがない。
 メディア学者の苦情対応機関への参加自体に問題はないが、これらの新組織がオンブズマンだとか、報道評議会は当面無理だと言って、メディア責任制度の実現を結果的に妨げてはならない。メディア責任制度確立を放棄した報道界のアリバイ工作に使われてはならない。そうであれば、河野義行さんら無数の報道被害者の願いを踏みにじる行為になると私は思う。
 一部メディア学者・法律家の無理解から、新聞労連、日弁連でさえ、「第三者機関」とか「社内オンブズマン」などの誤った用語を使い、メディア責任制度をめぐる論議を混乱させている。
 日本新聞協会は一月一一日、人権擁護推進審議会の「人権救済制度の在り方に関する中間取りまとめ」に対する次のような意見書を発表した。
 《メディアによる人権侵害を差別や虐待と同列のものとして取り上げ、強制調査、勧告など人権救済機関による積極的救済の検討対象としていることは、極めて遺憾である。日本新聞協会加盟社は、人権尊重の理念に従って差別や虐待などのさまざまな実態を明らかにしてその是正を求めるとともに、公権力に対しても、えん罪、代用監獄や出入国管理での収容所の問題点など、人権侵害行為を追及してきた。人権擁護に関連して社会的な啓発活動の一翼を担い、人権意識の定着・高揚などの面で重要な役割を果たしてきた新聞・通信各社の役割とその成果は、正当に評価されるべきである。
 今回の「中間取りまとめ」では、「犯罪被害者とその家族、被疑者・被告人の家族、少年の被疑者・被告人等に対する報道によるプライバシー侵害や過剰な取材等」について、積極的な救済を図るべきだとしているが、この問題について新聞・通信各社は十分に配慮してきたところである。「中間取りまとめ」は「憲法上保障された表現の自由、報道の自由の重要性にかんがみ、まずメディア側の自主規制による対応が図られるべきである」「強制調査について慎重な配慮が必要」との表現を取ってはいるものの、「積極的な救済」を名目に人権救済機関の関与が取材段階にも及ぶということになれば、行政命令による記事差し止めと同様の効力を持つと言わざるを得ない。表現の自由は大きな制約を負わされることになり、とうてい承服することはできない。
 新聞・通信各社は「報道による人権侵害」を防ぐため、これまでさまざまな自主努力を積み重ねてきた。各社はさらに、紙面の在り方に対する読者代表の参加や苦情対応の仕組みの工夫など、一層の自主努力を進めている。報道にかかわる問題は、表現の自由を守る見地から、あくまでもメディア自身の手による自主解決を基本とすべきである。》
 新聞協会の意見書は、《新聞・通信各社は「報道による人権侵害」を防ぐため、これまでさまざまな自主努力を積み重ねてきた。各社はさらに、紙面の在り方に対する読者代表の参加や苦情対応の仕組みの工夫など、一層の努力を進めている》というのだが、各社の対応でやってきた結果が、人民のメディア不信であり、ジャーナリズムの脆弱さだ。
 《日本新聞協会加盟社は、人権尊重の理念に従って差別や虐待などのさまざまな実態を明らかにしてその是正を求めるとともに、公権力に対しても、えん罪、代用監獄や出入国管理での収容所の問題点など、人権侵害行為を追及してきた。人権擁護に関連して社会的な啓発活動の一翼を担い、人権意識の定着・高揚などの面で重要な役割を果たしてきた》というが、メディアに二二年間勤め、七年間メディア調査をしてきた私には、そういう「評価」はとてもできない。
 各社の「苦情処理」部門を充実・強化することはいいことだ。しかし、各社がつくった新組織だけで、4月以降本格化するであろう法規制の動きに十分対抗できるのだろうか。市民からの支持を得ることは可能だろうか。
 政府自民党は、マスメディアによる人権侵害を法律で規制する動きを強めている。報道界はこうした動きに対して、本気で対抗する気がないと受け止められても仕方がないであろう。
 私は二〇〇一年六月三日午後に同志社大学(今出川校地)で開かれる日本マス・コミュニケーション学会春季研究発表会ワークショップのテーマの一つとして、「新聞各社の苦情対応組織とメディア責任制度」を学会企画委員会に提案した。提案が認められれば、このワークショップでは、八五年に「日本にプレスオンブズマン・報道評議会を」という目標を掲げて発足した人権と報道・連絡会事務局長として活動してきた山際永三氏が、新聞各社の新組織の設立経緯、運用内容などを報告し、各社の動きをメディア責任制度確立の過程にどう位置づけるか問題提起する。これを受け、松本サリン事件被害者の河野義行氏が報道被害者の立場から、新組織をどう考えるかを報告する。河野氏は九六年から全国各地で私と一緒に、メディア責任制度を創設するように訴えてきた。
 私は学会ワークショップで四回にわたり、報道による人権侵害に対応するためのメディア責任制度(報道倫理綱領制定と報道評議会設立)について討論の場を提案してきた。九九年秋のワークショップでは、「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)の経験から報道評議会を展望する」をテーマに話し合った。
 日弁連や新聞労連が提言しているように、活字メディア全体が、権力による法規制を避けるためにも、統一倫理綱領の制定と報道評議会設立をセットにしたメディア責任制度を確立するしかない。そのための具体的第一歩を踏み出すべきときである。メディア研究者の責任も重い。
 64号の拙稿を読んだある市民からこんなメールが届いた。
 《法務省の人権擁護推進審議会がすすめる「人権救済機関」に関して日弁連も、提言に条件付きで賛成することになった。報道関係者のコメントなどを見る限り、事態が極めて深刻であるという認識が欠落しているように思えてならない。
 浅野先生たちの提案した「メディア責任制度」の実現どころか、小手先の改革だけでお茶を濁そうとしているようにも見えるが、このままの状態では「権力」による「介入」を阻止することは困難だろう。》
 日本の新聞界も「報道被害」という言葉が普通に使うようになった。朝日新聞の苦情対応組織の名前は「報道と人権委員会」である。私の第一作『犯罪報道の犯罪』が出版された八四年ごろでは、考えられないことであった。それだけマスメディアの振るまいが悪くなっているのであろう。報道界は問題の深刻ささを熟知しながらも、実名報道主義と各社での対応という因習から脱することをせずに、ただただ「表現の自由」をおうむ返しするだけである。
 「表現の自由」とは「権力からの表現の自由」のはずだ。報道界は権力によるメディアに対する法規制を危険だと思っているのだろうか。元朝日新聞記者の本郷美則氏が『新聞があぶない』(文藝春秋)で書いているように、新聞社は各種のの公的規制のもとで特権を享受している。森喜朗首相の「神の国」発言での記者会見の前日に、記者仲間の追及をどうかわすかの「指南書」を首相に宛てて書いた記者がいたのに、官邸記者会は何もしなかった。権力が提供する記者クラブ室を不法に独占している日本新聞協会加盟のメディア企業には、そもそも「権力」の一部になっているから、権力からの規制に鈍感なのではないだろうか。
 メディアに対する法規制を本気で怖いと思っていれば、各社の苦情機関設置などでこの危機を乗り切れるはずがないことぐらい分かると思う。報道界は本当にあぶない。

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