2001年4月4日
新刊情報
どきっとするタイトルの本が出た
『新聞記者をやめたくなったときの本 Advice to be a Genuine Journalist』
浅野健一『新聞記者をやめたくなったときの本 Advice to be a Genuine Journalist』が2001年3月に発行された。元新聞労連委員長、北村肇さん(「サンデー毎日」編集長)の編著だ。定価1,700円(本体)+税◎A5判◎並製◎176頁。発行:現代人文社 発売:大学図書
本の帯には、《新聞記者を選んだあなたへ贈る 困った上司をあしらいながら、やりたい取材・載せたい記事のためにはどうすればいい? コツと少しの勇気を持っていれば、うまくやっていける……はず》とある。
現代人文社がつくった本に関するデータは次の通りだ。
【もくじ】
●座談会[本物の記者になる1の法]
……(共同通信・毎日新聞・下野新聞記者)
●ケンカの仕方とかわし方
……北村 肇(「サンデー毎日」編集長)
●座談会[恋愛と仕事を手にする1の法]
……(全国紙・地方紙女性記者)
●出過ぎた杭は打たれない
……竹信三恵子(朝日新聞)
●中途退社しないために〜22年で辞めた元記者からのアドバイス〜
……浅野健一(元共同通信)
●本業ジャーナリスト、副業会社員
……伊藤千尋(朝日新聞)
●●なぜジャーナリストを選択したのか〜知的面白さの追求と仕事の環境改革こそ〜
……原 寿雄(元共同通信)〒160-0016東京都新宿区信濃町20 佐藤ビル201
(株)現代人文社
電話03-5379-0307 FAX03-5379-5388共同通信社会部は権力監視ができているのか
『新聞記者をやめたくなたときの本』の中で、元共同通信編集主幹の原寿雄氏は、「記者の職場の中で社会部は一番権力から遠いポジション、権力に批判的な姿勢でないと務まらない」と指摘、「恵まれた社会部生活」を振り返り、共同通信社会部が自分を鍛え育ててくれたと強調している。
私も、日本の報道機関の中で共同通信がいちばん働きやすいと書いている。しかし、新世紀に入った共同通信社会部主流派は、犯罪報道の再犯を無反省に繰り返す「主犯」になっているようだ。仙台で「筋弛緩剤」事件で冤罪を訴えている守大助さんに関する取材と報道でも、医療関係者やメディア関係者の間でも共同通信はと朝日新聞とともに最も評判が悪い。
守さんは一月六日朝、同居していた女性と共に泉署に任意同行された。逮捕されたのはその日夜だった。守さんの自宅に最初に電話をしてきたのは共同通信の男性記者だった。一月七日朝、「息子さんの逮捕についてのお気持ちは」という質問だった。
共同通信は本社社会部から警視庁キャップや遊軍(いまだに軍隊用語を使っている)らを出張させて、イケイケの取材だった。北陵クリニックから「急変」患者が多数移送された仙台市立病院は総務課の名前で、共同通信仙台支社編集部長に対し、医師の自宅への深夜の執拗な取材をやめるよう文書で申し入れた。他の社も行き過ぎた取材をしていたが、病院側が口頭で注意すれば自粛したが、共同の女性記者だけは、医師の自宅へ押し掛けることをやめなかったという。
共同通信の田中章社会部長は「編集局報」(一月一五日付)で、「准看護士は二十人前後の患者に筋弛緩剤などを投与しており、うち十人が死亡している。大量無差別殺人事件に発展する恐れが強い」と書いている。また田崎科学部長も「現代文明は崩壊の瀬戸際にあるのだろうか。犯罪は社会そのものの病の噴出との見方もあるから、例えば仙台で起きた准看護士による大量殺人疑惑などは、社会が壊れだしていることを物語っているとも言える。同じような筋弛緩(しかん)剤を使った犯罪が欧米で出ていることも、いずれも病院が犯行現場という異常さゆえに、社会秩序の崩壊を感じさせる」と書いている。
また「編集週報」第一八二八号(二月一日付)では、古賀社会部副部長が「フル回転」という題で、次のように書いている。
《ルーシーさん失跡事件は異例の六度目の逮捕に入っている。仙台の筋弛緩(しかん)剤点滴事件は八十九歳女性の殺人容疑で再逮捕したが、容疑者が全面否認に転じている。いずれもどこまで真相に迫れるかが焦点だ。
警察不祥事で引責辞職を余儀なくされた警察官僚は今年の年賀状に「治安の悪化が警察バッシングの結果でないことを念じています」と書いてきた。
こんなたわ言を許してはならない。》
別件逮捕を肯定するものだ。男性は、ルーシーさん失跡事件では一度も逮捕されていない。別の女性に対する「準強かん罪」で六回も逮捕されているのだ。
私が警察担当記者時代には、共同、朝日新聞、NHKは、一般刑事事件報道にそう力を入れていなかった。八四年に始まった貿易商、三浦和義さんに対する「情報の銃弾」とも言うべき不当報道の際も、共同、朝日、NHKは当初かなり慎重に取材・報道していた。ところが、九五年のオウム報道をきっかけにその三社は、まるでスポーツ紙、ワイドショーのようになった。読売新聞の方がまともというケースが増えている。
「瀬戸際」にあるのは日本のジャーナリズムであり、「たわごと」を言っているのは共同通信の社会部系幹部たちだ。
Copyright (c) 2001, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2001.04.07