NHKの労組で講演(1998年)記録

 私は何度かNHKの研修会、労組の講演会で講師を務めています。
 1998年1月29日、日本放送労働組合(日放労)・技術系列主催でNHK放送センター421試写室で開かれた「日放労 放送と人権シンポジウム」、「情報渦時代における市民と放送機関の調和〜マスメディア発達と放送責任の確立〜犯罪報道と人権」で講演しました。日放労はNHKの職員の労働組合。
 私は98年4月7日には、日放労中国支部でも講演しました。松江市のNHK松江放送局の第一会議室でで開かれました。その時に松江放送局内で配付したり貼り出したチラシで次のように書いていました。
《昨今、刑事事件の報道における人権侵害
とりわけ、被害者と家族の人権・プライバシーなどの
侵害に対する批判が強まっています。
犯罪報道を巡るメディアの問題について
松本サリン事件など、実際の事件の当事者と共に
調査活動を行っている浅野氏と、真に公共の利益たる
犯罪報道のあり方について考えます。》
《管理職・スタッフの皆さんもどうぞ!》
 私はNHK福岡放送局でも九州全体の撮影部記者の研修会の講師も務めています。
 以下は1998年1月29日の日放労・技術系列主催の「放送と人権シンポジウム」での講演と質疑応答の記録です。この記録は冊子になってNHK内で配付されている。4年も前の講演だが、NHK職員に訴えた内容を知ってもらいたいと思い、HPに載せたい。NHKは私の講演を犯罪報道の改革に行かしていないと思います。NHKのみなさんに再読してほしいと強く望みます。
 

◆ 日本のメディアの全般的問題点

 現在、私は同志社大学の教授をしておりますが、84年に「犯罪報道の犯罪」という本を書きまして、その時に、たしか教育テレビで事件報道のことを取り上げていただいて、そのあと、ETV特集でも「オウムと報道」という形で出させていただいたりいまして、NHKも久しぶりに来たわけです。
 共同通信では、22年間、記者をしてまして、そのうち社会部にいて、千葉支局に行きまして、冤罪事件に出会いました。それは「首都圏連続殺人事件」というもので、小野さんという人が逮捕されて、この方は、皆さんよくご存知のように、去年全く別の事件を起こしまして、今日、最終弁論があります。それはよく、「松戸OL殺人事件」といわれるんですが、その人の冤罪を私は書くことによって、この問題に入ったわけです。「犯罪報道の犯罪」のベースは、小野さんとの出会い、そして小野さんに対する不当な報道、不当な県警の捜査、そういうものをジャーナリストとして暴いていったというのが、その本なんです。
 彼は、16年半、不当に投獄されて未決のまま91年4月に無罪が確定しました。16年半、不当に拘束されたわけですね。従って、刑事補償も確か5,6千万でたと思うんです。去年、彼は本当に殺人事件を起こしてしまったんですけれども、殺意があったかどうかというのが争点になっていますが、とりあえず、同居していた女性を死に至らしめていることは間違いない。そういう意味で、去年の今頃に事件が起きて、去年の春に4月、5月に、彼が逮捕され報道されたわけですけれども、その時、NHKも含めて多くのマスメディアは「松戸OL殺人事件」で冤罪が晴れて出てきた人が事件を起こした。何度も何度も彼が獄中から出てきて、喜びの会見とかそういうのを何度も何度も放送してですね、それを見た視聴者はあの松戸の事件もやっぱりやってたんじゃないかというような印象づけるような、意図はなくても見てるとそういう風に感じてしまうような報道です。
 それによって、多くのマスコミが小野というのはやっぱり凶悪犯だったんだということで本当に喜び勇んだような報道がありました。僕はそれを見て、16年半かけて裁判やって、無実が確定した人に対してそれが違うんじゃないかというのは自由ですけれど、本当に情けないと思ったんですね。しかし、やはりそうであるならば、小野さんが無実に至った過程の公判資料とかそういうものを全部引っ繰り返して見て欲しいですね。
 その時、唯一そういう報道を全くしなかったのが、読売新聞の社会部なんですね。読売新聞の社会部は新たに捕まった事件と、前の事件を全く結び付けなかったというか、一切報道しなかったです。もちろん殺人事件が起きているわけですから、そのことは報道しますが、その小野さんが「松戸OL殺人事件」で無罪が確定した人であるということは一切、読売新聞は報道しませんでした。弁護団が本人が上申書を書いて、罪を認めて会見をした段階で初めて触れました。それも非常に簡単にしか触れていませんでした。読売新聞以外の日本のマスメディアは全部、小野さんという人を紹介するために、必ず1972年に「松戸OL殺人事件」で逮捕され、何年確定した小野さんは足立区なんとかでこういう事件を起こして逮捕されましたというふううに報道しました。
 これ考えてみますと日本のマスメディアのルールというのは前科は問わないということなんですね。日本国の憲法もそうですが。一度刑務所に入っていて、刑期を終えた人は、前科を問わないわけです。小野さんは逮捕されたこと自体が間違っていたということで、国家が刑事補償しているわけですね。検察庁は上告しなかったわけです。ということは、東京高裁で確定してしまっているわけですね。ですから、実際に刑務所から出てきた人についても、その前科に問うてはいけないというのが民主主義社会の原則であるにもかかわらず、かつて冤罪であったということを冤罪の被害者だったということを報道する必要があるのかと私はずっと思ってたんです。
 この時に、あるテレビのジャーナリストに聞いたんですね、例えば松本サリン事件で犯人扱いされた河野さんが何か別の事件で今捕まったらどうしますかといったら、それは大きく報道するといっていました。「松本サリン事件」で全く無実の罪を着せられた河野さんがこういう事件を起こしましたというふうにして報道するということを堂々といいました。これは、私はとても信じられないことだと思うんですね。
 ですから、一度冤罪で当局に疑われた人というのは一生それを背負いながら生きていかなくてはならないと。むしろ、実際に全然、事件を起こしていないのに事件を起こしたというふうに報道されたんですから、そういう人たちについては、より慎重に報道すべきじゃないかと私は思うんですね。犯人でないのに犯人だというふうに思われただけのことですから。問題になるのは、誤った捜査をした当局に問題があるわけで、疑われた小野さんや河野さんに問題があるわけでは全くないわけですね。
 小野さんの新たな事件についてのバッシングというのは、まさに小野さんを支援した、あるいは小野さんの無罪を勝ち取ったために活動してきた多くの弁護士は文化人に対するそれみたことかという批判でした。それを見て、本当に情けない思いがしました。私は小野さんが起こした事件についても、非常に情けないと思ってますし、小野さんのどうしてそんなことをしたかということについても、いろいろ考えることがあって、自分の本にも書きましたけれども、それ以上に情けないのが、日本のいわゆる事件報道屋という人たちの、新聞の人たちを除いた人たちの情けなさを感じたわけです。
 日本のマスメディアというのは、全体的には非常にレベルが高いと思います。正確ですし、ジャーナリストの質は高いし、映像はきれいですし、非常に早く正確に報道されていると思います。読売ジャイアンツと阪神タイガースの結果を変える事はないし、新聞の日付は毎日合っているし、ラジオテレビ欄の俳優の名前とかほとんど間違えていないという意味で国際的にみても非常に優秀なマスメディアだと思うんです。けれども、やっぱり、私が専門としているところの刑事事件に係わる報道というのは、相当レベルが低いといわざるをえないです。
 それからもう一つは、女性の記者が少ない。女性のマスコミ関係者が少ないという意味でいえば、非イスラム圏では日本は最下位にいるというふうに考えていいと思うんです。それから政治報道にも問題があると思います。しかし、なかでも問題は、やはり事件・事故の報道だと思います。国際的にみればですね、皆さんのNHKのレベルも決して高いわけではないんです。
 私はNHKのニュースをよく英語で聞くんですけれども、そうしますと、同時通訳をしているネイティブが困っているわけですね。一番何が困るかというと、東京地検の調べで何々が明らかになりましたと。何々は既に明らかになっていますと。僕はNHKの報道というのは、全部、「明らかになりました」と「明らかになっています」この2つでつながっていくんですけれども。今日、放送したものは、もう明日は「明らかになっています」なんですね。しかし、これを訳すとき困るんですよ。どうしてNHKにそんなことがわかるんだろうと。つまり、○○容疑者はこのように供述していますと、東京地検はこういうものを押収して、その中にこういうものがありましたと。東京地検が記者会見しているならいいんですよ。しかし、どうしてそれがわかるんだろうなあというふうに思うわけです。いつも彼らがどうするかというと、according to sources とかですね、そういう言葉に入替えするんです。
 しかし、NHKのアナウンスの方が、キャスターの方が読む時には、それはいっておりません。1回か2回、東京地検のこれまでの調べによりますとぐらいはいいますけれども、その1つずつのセンテンスがその情報がどこからきたのかというのは全く触れていないわけです。これはBBCでは欠陥原稿になります。BBCではそんなことをしたら通りません。デスクが通しません。わかるはずがないんですから。ロンドンの警視庁が調べに対して、誰々被疑者がこういうふうに言っていますなんてことを放送したら、How did you know?とすぐデスクは聞くと思いますね。What,s the new,s source? 外信部の仕事をしている人が、これよく気がつくんですね。ニュースソースがいかに大事かというのはですね。ところが、警視庁の記者クラブの人は、警察の幹部がいえば、それは事実なんだということです。今の一連の大蔵省の関係でも全部そうだと思います。これは、私は間違えていると思います。

 河野さんの今日はNHKの方を前にしてこんなことをいうのは大変辛いんですけれども、NHKだけがこういうひどいことをやったわけではなくて、皆やってて、その中で、一番気をつけてきたNHKでもこういうことをやってしまったという意味で、申し上げているので。ぜひ、ご理解いただきたいのですが。
本当に悪い人であってもその人が一連の事件を全面自供したということを誤って全国に放送したら、していないということをきちんと同じ時間に同じくらいの長さで訂正すべきじゃないでしょうか。訂正してもたぶん、その訂正を見ない人は、前のものが生きていますから、ずっと知らないまま話が続く、いまだに河野さんが犯人だと思っている人いますから、長野県にいきますとね。これは本当に、あれだけ歴然とした事実があっても、なんかあの人が怪しんだとかね。あるいは河野さんは疑われるところがあったんだと。何もないのに長野県警はそんなことするはずがないというふうに言う人もいるんです。

◆神戸事件報道について

 それまで、中年男だといったマスメディアが、あれは10月何日の記者会見で、少年を逮捕したと。これはNHKのスクープで、賞が出たそうですけれども。記者の方にですね。私はあの時、非常に怖いなと思ったのは、少年は朝7時か8時に任意同行してるんですね。逮捕状の執行は3時か4時だと思うんですけれども、6時頃だったかな。NHKの第1報が8時半くらいですね。その時は少年ともわからないで、少年とわかったのが、8時50分くらいで、それは共同通信の方が早かったと聞いているんですが。
9時から兵庫県警1課長の記者会見という。あの記者会見は3分しかなかったんですね、たしか。3分の記者会見でこれまでの中年男が全部消えたんですね。
 これまで市民にそういうふうに報道してたんですが、それから簡単にころっと変わってしまったんですね。
県警が変わったからといってね。県警は変わってないんだ。県警は何もいってないですから。ずっと記者会見してませんからね。県警はずっと何も喋らないで、リークばかりしてるわけでしょ。
それから報道陣が勝手に公式の発表がないのに、自分たちでストーリーを持ち上げて、スポーツ新聞なんか以顔絵も出してましたね。
 あの時、1課長がいったのは、本人を任意同行して呼んだところ、犯行を自白して、自宅から犯行に使った銑利なナイフを発見しましたというふうにいったんですね。しかし、鋭利なナイフはいまだに発見されてませんよね。その後は、かな鋸に変わっておるわけですね。初めは鋭利な刃物で切ったということになってますけれど首をですね。あの記者会見でいった1課長は全部、いったことは証明できていないというか、ころっと変えているわけですね。しかし、そういうことの説明は全くいまだにないわけです。
 しかも、10月11日の神戸家庭裁判所の処分決定は、保護処分決定が出たわけで、刑事裁判でいえば有罪判決なんですけれども、でてるわけですね。その時に、なんと明らかになったのは、彼の神戸新聞に送った犯行声明文というのは、実際に筆跡が少年の筆跡と一致しなかったと科学換査研究所でですね。一致していないのに、一致したと嘘をついて、任意同行を求めて呼んでいる時に嘘をついて自白させたわけです。 ということを、裁判官が認定して。従って、その時が少年が、刑事さんは私がなぜ小学校6年生を殺したんだと、物的証拠はあるんですかというふうに少年が聞いたところ、そういうことを言って、君の筆鉢と一致してるんだよと。科学捜査研究所で一致したんだという嘘をついて、少年はそれを聞いて、物的証拠があるならしかたがありませんといって、泣いて泣きながら自白を始めたんです。従って、この捜査は違法であると。従って、裁判所としては、兵庫県警の「小六殺人事件」についての証拠を全て排除するという決定をしています。しかし、検索官の取り調べは、嘘をついて行われていないから、任意性があるということで、それを採用して有罪を言い渡したわけです。
 しかし、ニュースいくら聞いても、それを全然放送されませんでしたね。私はBBCだったら、かなりこれを大きく取り上げると思います。どうしてこういう嘘をついたのかと。国会でも取り上げると推察されます。というのは、やはりいくら相手の少年が実際の犯行に及んでいるとしても、嘘をついて自白を引き出したりしたら、その引き出した自白は、無効になるわけですね。手続きが誤っていれば、無罪なんです。
 OJシンプンソンさんについて、アメリカでよくいわれているのは、彼はやっている、しかし、彼がやっているということを証明できなかったら、無罪でいいんだということが平気で語られているわけです。アメリカのジャーナリストの間でも、市民の間でも。犯人と思っている人でもですよ。ですから、手続きが間違えたら、国家が憲法に違反した捜査をすれば、せっかく犯人であるのに、犯人を取り逃がすことがあるんだと。それは、検察官の裁判官のミスであると。そういう人は公務員をやめてもらうと。次の選挙で落とすと。アメリカでは裁判官とか検察官が選挙で選ばれますよね。その意味で、そういう人は選挙で落とせばいいと。あるいは、そういうことをする人は、もう立候補できないというふうにして排除していくとなるわけですが、いまだかつて、この少年に嘘をついた兵庫県警の警察官の名前も明らかにされていませんし、その人の反論も聞けていないわけですね。おそらく、黙っていますので、事実なんだと思うんですね。もし、そんなことがないのに、そういうことが裁判所が認定したら、県警は抗議するはずですから、していない。県警がどういうことを発表したかというと、捜査は適正であったと。捜査は適法に行なわれたと我々は考えているという1課長のコメントを文章にして、記者クラブで配った。それが朝日新聞と毎日新聞に小さく報道されただけです。毎日新聞は、警察の違法な捜査を指摘という小さな記事ですけれど、23行ぐらい、毎日新聞だけが報道しましたが、他のメディアはそれも報道していないわけです。私は、もしこの犯行声明文と彼の筆跡が一致していないというならば、あの犯行声明文は立花隆さんがいったように、高学歴の人しか書けないものではないかという意味でいえば、あの犯行声明文は少年以外の人が書いた可能性が高まるわけですね。
 私は、神戸事件だって、本当に真相が全て解明されているのかなというふうに思います。ですから、問題は警察が中年男を疑っていれば、中年男だというし、警察が少年だといえば、少年なっちゃうし、警察が河野さんが除草剤を作って失敗したと言えば、それを報道するし、しかし、そうではないんじゃないかということをなかなか報道しないというか、そういう市民団件もあるわけですね。この事件は、真相をはき違えしてるんじゃないかということをいっても、なかなかそれは報道されない。ここで、明らかなのは、当局がいうことは、事実として報道してもかまわないと。それが間違っていても、それは当局が間違えたんだから、当局に責任をおおいかぶせればいいと。当局以外の人が、市民団件や被疑者や被告人や弱い立場の人がなにか、いわゆる一般の市民と言っていいでしょう、河野さんのような人がなにか訴えることについて、それを報道してもし間違えたらえらいことになるわけです。警察が情報を取れなくなるとか、そういうことで今のメディアの報道というのはされているんじゃないかなと。

◆海外の報道

 これは、日本だけではなくて、世界的にそういう傾向は強まっているということです。アトランタの、オリンピック公園で起きた爆弾事件のリチヤード・ジュエルさんに対する不当な報道、これは河野さんと全く同じような目にあっています。ジュエルさんにFBIに疑われただけで、逮捕もされていません。 しかし、家に捜査官がきたり、事情聴取を受けたりしておりまして、8週間に渡って、お母さんと同居してたんですけれども、お母さんも犬の散歩にも行けない、買い物にも行けない状態が続きました。これは、FBIがジュエルさんを疑っているという情報を得た地元のアトランタジャーナルが報道し、そして、その号外をCNNがアトランタジャ一ナルという非常にコウレキの高い地元紙が−面トップでFBTがジュエルさんを疑っているという記事を見せながら、報道したわけです。それが日本にも全部報道されて。
 しかし、その時の日本のテレビ局は素晴らしいと思ったのは、ジュエルさんの名前もふせて、そしてジュエルさんの顔は絶対打さなかった、匿名報道に徹したんです。ですから、アメリカの人だったら、守るんですけれども、河野さんは守れなかったわけです。河野さんは途中から会社員というふうに、確かにNHKもしたんですけれども、もう地元紙には被害者として河野さんの名前が出てるわけです。そして、民放なんかは、河野さんの表札を映しているんです。上から撮ってますし、あれを匿名報道といえるんでしょうか。
 アメリカでも当局がジュエルさんを疑っているということは事実ですよね。ですから河野さんの場合も当局者が薬剤の調合に失敗して煙りを出したと河野さんが言っているということをNHKの記者が言ったことは事実なんですよ。問題は、河野さんがそういうことをしたかどうかが、事実かどうかはわからない。ですが、それが視聴者にはそれが伝わらないわけです。これは、単にそういうことを警察の幹部が非公式にNHKの記者に語っている、その人の名前も明らかにしないで、こっそり記者に話しているということを伝えないわけですよね。
 先ほどの全面自供もそうですけれども、NHKを信頼していない人は、日本人の中にはほとんどいないですから、NHKがあれだけやれば、ほら間違えないと思われるわけです。
 NHKというのは、そういうふうに信頼されているわけです。朝日新聞もそういうふうに信頼されているわけです。いろいろ間違えがあって、そんな大きい間違えはしないだろうというふうに皆思っている。
 そのあと、ダイアナさんの死ですね。これは、さらに大きな問題として浮かび上がり、しかも、ダイアナさんの問題はイギリスの夕刊紙が使うであろう写真を、フランスの写真通信社の人が撮ってぶつかったと。ですから、国境を越えて有名人のプライバシーを暴きあうということが起きたという意味で、ダイアナさんの死については、ダイアナさんもマスメディアを使っていたし、ダイアナさん自身が自分の言い分を世の中に訴えるためにマニピュレートしてたんじゃないかという人もいますが、私はそれは、確かにそうかもしれないけれども、やはりダイアナさんがそれじゃあ、好き好んでやっていたのかどうか、そういうところに追い込まれていたという状況を、考えてなきゃならないと思います。
 やはり、マスメディアの問題、あるいはパパラッチの人たちから写真を買っている資本の問題、マードックをはじめとするそういうセンセーショナリズムのジャーナリスティックなメディアの経営者の問題というものの倫理性というものを問わなきゃならないと思うんですね。マードックはこの事件についてどう言ったかと言うと、この事件で我々が唯一教訓とすべきは、我々はパパラッチに金を払いすぎたと言う風に言っているわけです。なかなか正直な人だなと思いますが。そのあと、伊丹十三さんがまた亡くなると。昨日ですか、大蔵省の方が自殺すると。私はこの一連の東京事件の捜査を見てましても、やはり明らかになりました。明らかになっていますという報道が続いているんですね。

◆ フェアな報道を

 ここで考えていただきたいのは、去年の確か今ごろだと思うんですけれども。京都大学の付属病院のある講師が、薬の難病のそういうことで原稿料でもらったのが、賄賂にあたるということで逮捕されました。京都地検の特捜部の、特捜チームみたいなものが、初めて京都地検にできて、東京地検の真似をして作ったと言われているんですね。その人が張り切っちゃって、その講師を逮捕して、めちゃめちゃな報道をしたわけです。ところが、処分保留のまま釈放され、去年の10月くらいですかね、不起訴の決定がなされたわけですね。彼は、助教授になるはずだったんですが、結局なれませんでした。今の東京地検を見てると、地検がやってることは全て正しいというか、地検というのは間違わないという風な感じで報道してますけれども、それでいいんだろうかと思うんですね。実際に、大蔵省の公務員の方が、犯罪を犯したというのは、やっぱり裁判できちんと明らかにされるべきではないでしょうか。
 地検に逮捕されると、これは田中角栄さんが逮捕された時もそうですけど、もう、それまでは、彼がはじめて学歴がたいしてない人が今太閤とか言ってもちあげたり、頭脳明晰だとかいろいろなことを言ってた人が、急に東京地検に逮捕されたら、もうぼろぼろ。顔面神経痛だとか、やっぱり成り上がり物はだめだとか。新潟のお母さんまで取材して、どう思いますかとか、マイクを突きつけると。つまり、お上がアクションを起こすと、ころっと変わる。
 また、政治家で地検から逃れれば、そのまま政治家で生き延びるケースがありますが、
そういうことを考えると、私はちがうんじゃないかなと思うんですね。ジャーナリズムというのは、逮捕しようがしまいが、悪いことは悪いという風に、批判すべきじゃないでしょうか。あるいはそういうことで疑われるとか、そういう問題があるということをきちんと報道すべきじゃないでしょうか。クリントンさんの女性問題を言うなら、橋本龍太郎さんの女性問題も同じくらいのスペースで、つきあった女性が中国の公安スパイかどうかということについても、きちんと報道すべきじゃないかなぁと思うんですね。
つまり、原則を貫くべきだと。バランスと言うかフェアに報道すべきだと思うんですが。ずっと見てるとそうではないと。ちょっと弱い立場になった人は、ばっと叩いていくという構造が、非常に見え隠れするというような気がします。

◆ 被害者の呼び捨て禁止

 日本の犯罪報道に大きな問題があるんですが、一番最初にこの犯罪報道について改革を試みたのは、NHKの84年の4月からの被疑者の呼び捨て廃止ですね。私は容疑者と言う言葉を使わないんですが、どうして日本のマスコミは容疑者なんて言葉を使うと思うんですね。法律では、被疑者なんですから被疑者でいいんですね。被疑者というのは、疑いをかぶっている人ですからsuspectですね、英語で。英語のsuspectを被疑者と訳したわけです。容疑者とする必要は全くないですね。
 NHKはフジサンケイグループもそうですが、同じ時期に呼び捨てを止めました。さきほど、私が、松本サリン事件の関係でも、麻原さんと言っているんですけれども、皆さんには非常に違和感があると思うんですね。どうして、「さん」つけるんだろうという風に。しかし、世の中で今、麻原被告に対して、麻原さんと言っているのは、わたしと河野さんくらいでありまして、他の人はほとんどいません。日弁連の人でさえ、自分たちの仲間が殺されたという風になってますので、そういう憎しみもあるのでしょうが、私と河野さん、私の家族でも、なかなか麻原さんとは言いませんので、私はあえて、「さん」と言っていますし、全部、「さん」でいいんじゃないかと思います。とりあえず、NHKは被疑者の呼び捨てを止めました。
 私は知ってるのは、70年代の終わりから、犯罪報道について、全国でいろいろな意見を聴取して、今、日本大学に行っている、元NHK放送研修センターの方が、世界の人権と報道、報道評議会、あるいはプレスオンブズマンとか、そういうのを調査してそれが、立派なレポートとして出ています。そういう議論の末に決めてるんです。
 日放労の運動も、その中に入ってるんです。日放労の運動方針に82、3年だったと思いますけれども、報道オンブズマン、人権と報道といものは、日弁連なんかの主張を受けて、当時マスコミ市民、そこでもそういう問題を提起していくという、その積み重ねがあって決まったわけですね。
すべてに「さん」をつけるべきだということ。なになに容疑で○○さんが逮捕されたと、これは、警察がこう言ってますと、しかし、○○さんは今、本人とNHKは接触できておりませんので、弁護士も○○さんの弁護をしたいという弁護士が現れなくて、今、誰もついておりませんとか。したがって、○○さんの言い分も伝えられませんので、○○さんの言い分が伝わり次第、次のニュースでお伝えしますと言えば、ああそうか、○○さん捕まってて、○○さんはどういうふうに言ってるのかわからないんだなぁと言って済むわけですね。
 というのは、ジャーナリストというのは別にその人に刑罰を与えるのが仕事ではないし、事実を報道するわけですから、○○と呼び捨てにしたり、○○被疑者、○○容疑者といえば、何かそこに評価が下るわけですね。
 ところが、そこまで踏み切れなかったこともありましたが、最終的には「さん」にはならなかった。その後、89年には、TBSも朝日も含めて共同通信も含めて、全部NHKにならって、呼び捨て廃止実現します。

◆ メディアの責任制度

 しかし、90年以降、どんどん悪くなります。「筑波母子殺人事件」とかですね。そこでは、妻の方がパブにいてとかアルバイトにしてとかいう報道があり、甲府の信用金庫の方、誘拐事件と。それまで連行写真のなるべく手錠姿は放送しないとか、そういうこともNHKとか朝日新聞は決めるわけですけども、そういう流れがばっと止まるわけです。そして、そこでオウム報道になだれ込むわけです。そうすると、もう何をやってもいいと。赤信号止まった人が、赤信号無視で逮捕して、その中から何か出てきてなんとかなったとか、しだいに別件逮捕の別件の内容も全然言わないで、本件しか報道しなくなるような時代も発生していて、それまでの人権と報道の反省というのがどっかに飛んでしまったわけです。
 これは、オウムに対しては何をやってもいいということをどうどうと言う人たちが弁護士の中にも現れたし、文化人の中にも現れたということもあって、マスメディア総ヒステリー現象というのが起きてしまったわけです。それから、今日の時代が起きてるというふうに私は思ってます。そこから、なかなか一度原則を失ったマスメディアというのは、元にもどれない。そこで、最近ではとにかく、女性が亡くなるとめちゃくちゃ書かれる傾向があります。オーストラリアで殺されたりすると、本人がふらふら行くからいかんとか、上智大学の学生が殺されると、その女の人がどうと書かれると、東京電力の社員の方が書かれるとか、とにかく安心して殺されないというほど、日本のマスコミはおかしくなっている。いわゆる正当派のメディアですね、NHKとか朝日新聞とか共同新聞とかメインストリームジャーナリズムがかなり気をつけて報道するんですが、しかし、やっぱりそこにひきずられて、ここまではいいかなと報道する、それにばくっとワイドショーがNHKが報道されない分を報道すると、そこでまた報道されないものを週刊誌が書くという構造になっていると思います。
 私は、フォーカスとかワイドショーなんかがあるから、いくら朝日やNHKががんばっても、どうしようもないよと絶望的になっている人がいるんですけれども、やっばりそうではなくて、メインストリームがどういう報道しているかということが、ちょっとはずれたジャーナリズムも気になっています。これは、神戸の事件で少年については匿名報道をするということを皆で守った。一部フォーカスなんかが破りました。インターネットでも破りましたけれども、しかし、メインのところのジャーナリズムは、守るということを貫いたわけで、それはやればできるということをあそこで証明したと思うんですね。ですから、そういう正当派メディアがどこまで踏ん張れるかということが非常に重要だというふうに私は考えております。
 今日のタイトルの情報化社会というこの「化」が「渦」という字になっていますが、ワープロの転換ミスじゃないかなとちょっと思いまして、聞きましたら、これはわざと「渦」にしているということなんですが。まさに、情報が本当にあふれすぎて、特にどんどんメディアが増え、情報が多く渦まいているような状況です。
 もう一方で、インターネットでは誰でも情報発信できるということですが、危険なことは野放し状態だということです。神戸の事件の時も、インターネットを使って、お父さんの職業とか住所まで流れている。顔写真も流して。恐ろしいことがおきています。例えば、この大学の講師の女性は、昔の男はこの人だとかいうのを流している人もいますし、もうむちゃくちゃですね。
 ですから、もうこれどうしようもないぐらい流れてるんですが、これをどうするかということなんですけども、今、はっきり警察庁は例えば、テレクラの情報とかインターネットも含めて、なんとか次々と逮捕してますよね。大阪とか、いろいろなところで愛知県警とかで逮捕して、ここまでいけるか、ここまでいけるかとやっております。私は、おそらくそのうち、そういうプライバシーを守るという理由にして、そういうことを考えてくるんじゃないかというように思います。

 インターネットに限らずマスコミをちゃんと法律で規制してほしいというふうに思う市民がどんどん増えてる。それがいろいろな調査で明らかになっている。つまり、マスメディアというものが、自分たちの知る権利を代行している機関であるというふうにあまり思っていない。なんか難しい大学を出て、難しい試験に受かってエリートの人たちが何かやってるというふうに覚めた目で見る人たち。信用しないという意味じゃないんですけども、自分たちとは別世界のような感じで、受け止めてる人たちが増えてる。特に、新聞なんか読まない人が増えてるし、ニュースも見ないという人も増えてるという意味でのマスメディアに対する無関心ということに乗じて、政治家のなかにはなんとか規制しようという人もでてくる。そういう意味で、TBSのオウムの関係も問題とかもそうですけども、テレビ朝日の報道局長の時のも、すぐあいつを呼べと。ついでにNHKの会長も呼ばれるわけですね。NHKはそういうわれると、予算をいろいろあるから、行かざるを得ないんでしょうけれども、国会なんかに行く必要ないと思います。

 私の友人のイギリス人のジャーナリストが言ってましたけれども、あれ、逆じゃないの。ジャーナリストというのは、政治家を呼びつけて記者会見して、ああだこうだと批判する、あるいはしやべらせるものであって、ジャーナリズムの長が国会の呼ばれて、ぺこぺこ頭下げるのはおかしいという。頭下げるんだったら、下げる相手を間違えてるんじゃないですか。なんで、あんな人たちに頭下げなきやいけないんですか。我々が選んで国会議員やってる人たちに頭下げる必要ない。でも何故そうなるかというと、そういうシステムが日本にないからです。つまり、マスメディアがなにか問題を起こした、倫理的な問題とか報道に於ける問題点を起こした時に、それを平場で議論できるところがないので、いきなり国会に行ってしまう。そのことは認めざるを得ないと思うんですね。マスメディアの人たちは。だから、それを作らなきゃならない。それは、現にBRO(放送と人権等権利に関する委員会機構)とかBRC(放送と人権等権利に関する委員会)というのが去年の6月11日にスタートして、今、NHKや民間放送で作った。すごいお金をかけて運営されてて、日本でもいよいよ外国にみられるような報道評議会みたいなシステムがスタートしたわけです。私は、高く評価しております。その内容がどうころぶか、それはNHKの呼び捨て廃止の時もそうだったですけれども、その内容がどうころぶかは別にしても、そういうものを作ったということは高く評価できるし、大事にしなきやならない。これをうまくいかないからやめてしまえとかするのじゃなくて、大事にしなきやならないと思うんです。

 しかし、放送にはこれができたわけですけれども、新聞、雑誌にはこれがないわけですね。放送は放送法に縛られているところがあるので、作らざるを得なかったということがあるわけですけれども、しかし、放送界は国家権力の介入は許さないと。郵政省の多チャンネル懇談会が出したような3つの案の1つである国家による規制ですね。国会による法律に基づく委員会みたいなものは、氏家さんこういいましたね、言論の自由に対するサリン攻撃であるとか、破防法攻撃と同じだと。プレスの方にはこれがないですから。いよいよBRCを成功させて,ある程度軌道に乗せて、これはテレビとラジオだけではだめなんですから、新聞や雑誌も一緒になって、こういうものを作りましょうというふうにするべきです。

 これは、台湾に全くお手本になるシステムがあります。台北には中華民国新聞評議委員会というのがありまして、そこでは新聞と放送が一緒になって、150人ぐらいのスタッフでニュースを全部記録し、新聞を全部切り抜き、人権やそれに係わるものについて審議をしております。そして、台湾の大学には他の外国には多いんですけれども、新聞学部とかジャーナリズム&マスコミュニケーション学部とかいろいろあります。こういうのがないのは日本だけなんですけれども。そういう大学院の学生たちを大量にアルバイトで雇ってやっております。ですから、ぜひ日本にもプレスと放送メディアと一緒になった、一緒に議論できる、やりかたは違うと思います。メディアによる特性がありますので、違うと思うんですけれども、そういうものを一日も早く作ってもらいたい。

 ですから、80年代に日放労がこうした「人権と報道」で先駆けとなって運動を展開したということをその原点をもう1回、特にお若い方はご存じない方もいらっしやると思いますので、当時の運動方針や、議論の経過とかそういうものを見ていただいて、日本全体に私はメディア責任制度と呼んでいるんですがそういうものを作ることを考えて欲しいと思います。

 メディア責任制度と呼んでるのは、よく第3者機関というんですね。決してメディア責任制度は第3者機関ではないんです。第3者機関というのは、家庭裁判所の夫と妻が離婚する時に、調停を依頼するような機関を第3者機関といいます。しかし、報道評議会というのは、今度できたBRCもそうですが、これは、放送界が作ってるんです。放送界が放送界のために作ってるんです。しかし、BRCのメンバーに放送界の人が入らないで、この人だったら任せるというような人になってもらってるわけですね。いわゆる学識経験者とか横綱審議会みたいなもんですね。そういう、この人に判断を委ねたらいいじゃないかという人に委ねているという意味で、第3者的な中立的な人を委員にしてもらってるだけであって、システムは第3者機関ではないんです。これは絶対にメディアが自ら作っている、ですからメディアが自分の責任でやるわけです。
 編集権やそういう権利に外部が介入するわけでは全くないのです。放送の内容や番組の内容や記事の内容をこういう記事を作れとか、そういうことを命令することは全くありません。市民とメディアの側に対立が起きた時に、そのことについて両方から意見を聞いて、しかも弱い立場の人をサポートするんです。例えば、河野さんとNHKというのは、NHKの方がよっぽど大きいです。実際に一個人がメディアと喧嘩するというのは並大抵じゃありません。NHKの顧問弁護士もいるし、河野さんがNHKを訴えようと思ったら、2千万を要求すれば、2%ですか印紙を払わなきゃいけない、40万払わないといけないわけですね。弁護士を雇わなきゃいけない。着手金50万かかる。そういう弱い立場のある河野の側に立ってあげるわけです。その機関はですね。そういう自分に対して非常に不利な立場に追い込むような制度を自分のために作るという、それがオンブズマン制度なんです。スウェーデンでは男も女もマンなんですね。オンプズというのはスウェーデン語で「代理をする」という意味です。オンビハーフオブ、英語でオンブーズということなんです。私は「オンブ」という発音はちょうど日本語の「おんぶ」に合っていいなと思うんです。おんぶするのはNHKではなくて、河野さんをおんぶしてあげて、松本から連れてきて、NHKの玄関に私はBRCの調査をしている者です。河野さんがこういうことで報道されたということで辛いという訴えがありました。ですから、お話を聞いてやってください。といえば、誰かが出てくるんです。広報室の誰かが。しかし、河野さんが一人で受付に行ったら、しかるべき人にはなかなか会えないでしょう。私も時々NHKに電話したりするんですが、大変時間がかかります。同志社大学の教授といっても、なかなか時間がかかりますから、一般の市民はなかなかだと思いますね。そういう意味で、弱い立場の人に代理してあげるわけです。

 メディア責任制度というのはそういうものだと思います。自分に不利なものをわざわざ作る制度だと。こういうものをプレスの人、新聞や雑誌の人に作らせるのは非常に困難なんです。今、新聞社は儲かってますし、これほど儲かる業界はないぐらい儲かってると思います。ですから、自分たちは商売がうまくいっている以上、なかなかそういうものをわざわざ作ろうとしないと思うんですね。そういう意味で、ぜひ皆さんが、プレスの方にも呼びかけて、そういう形で展開していただくことをお願いして、ちょっと長くなりましたが、お話を終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

◇参加者からの質問1

 浅野さんは今、匿名ということをおっしゃいましたが、報道では匿名原則であるべきということをたしか述べられたと思うんですけれど、やはり同じようなセミナーである新聞社の社会部の方のお話を聞いたことがあるんですが、新聞というのは、実名報道を原則として行っているというのが、警察の安易な逮捕ですね、けっこう、警察の人というのは暴走しがちというところもあると思うので、警察の安易な逮捕を牽制する意味もあるとおっしやられたわけなんですけれども、この点について浅野さんの主張をお聞きしたいと思うんです。

◇こたえ

 さきほどの神戸の例もわかるんですけれども、神戸に警察が大勢で対応し、記者も300人ぐらいいたんですね。その日は台風がきたので、記者がちょっと薄かったという話もあるんですけれども、しかしその台風も被害があったわけじゃないし、土曜日ですよね。 それでもNHKの記者が気がつくまで、少年が逮捕されていることがわからなかったわけです。逮捕状を請求しているのが午前11時らしいですから。だから、今おっしゃった社会部の記者の論理も、崩れているんですね。実名報道をいくらやってても、警察が発表しない限り分からなかったんですね。逮捕状執行してるのが夕方6時に執行してますからね。つまり日本の問題は、警察が隠そうと思ったらなんでも隠せるということじゃないでしょうか。以上のことから考えますと警察が不当な逮捕をしないために実名報道をしているとは言い難いことも事実じゃないでしょうか。

 警察庁は逮捕状が執行されたという段階で当番弁護士とか日弁連にすぐ報告すべきだと思うんです。あるいは東京都の警察スイドウ委員会でたぶんあると思うですよね。東京都都議会の。そういうところと、東京弁護士会、東京に3つ弁護士会ありますから、どこにやるかちょっと難しいですが、全部やるかどうかは別にして。そういうところにわかればいいんであって、我々皆が知る必要がないんじゃないでしょうか。
 ですから、私が匿名報道の原則を「マスコミ市民」で書いたのが83年の11月か12月なんですけれども、その時には全くそういう反論はなかったんですよ。その時の反論は、警察に捕まった奴はだいたい悪い奴だとかとか悪い奴は社会的に制裁を加えていいんだとかね。あるいは、日本では有罪率が99.5%だからとかね。そういうことを皆言ってました。それは、当時84年にある雑誌が特集しましたけれども、マスコミ関係者100人に聞くという中で、今の論理を言った人は一人もいません。警察権利をチェックするために、実名報道が必要であるというのは84年の12月に「朝日ジャーナル」で、私が対談をした柴田テツジさんという社会部長と筑柴哲也さんたちが考えた論理です。

 「マスコミ市民」で私を含め4人ぐらいで朝日新聞と毎日新聞の人と、匿名主義賛成派がいたんです。その人が社会部長になれば、たぶん匿名主義は成立したんじゃないでしょうか。しかし、彼は社会部長になれなくて、匿名主義反対してた人が社会部長になって、朝日新聞はずっと実名主義でいくことになりました。
 その時の論理が、質問してくださった警察の安易な逮捕を牽制するという論理です。しかし、現にNHKの社会部の方でも、警視庁を担当している人のお仕事が警察権力を監視しているというふうにはとても思えません。監視したいと思ってやってる良心的な記者はたくさんいると思うんですが、システムとしては、そうではなくていかに取材対象である警察官僚と仲良くなって、親しくなって、仲良くなってというのはまずいかな。親しくなって、密着した上で情報を取って、それは情報公開制がない日本ではそれしか方法がないという苦情の中で行われていることなんです。
 ですから、我々が今、やるべきことは、誰が逮捕されたかという事実をしかるべく弁護士などが知れるようにする。そして、全ての逮捕者に弁護人を付ける公選弁護人制度というのを設けることです。これがない先進国は日本だけです。OECに加入している先進工業国は全部、逮捕されたら無料で弁護士がつきます。弁護士が同席しないと取り調べができないんです。そういう制度が日本にないから菟罪が起きるわけであって、新聞が実名報道をしているから冤罪を止められるなんていうのはとんでもないことです。
今やるべきことは、公的弁護人制度を作ること、そしで情報公開制を進めること。しかし、警察に誰が捕まっているという情報は、これは情報公開法が進んでいる国でも非公開なんです。つまり、スウェーデンでもアメリカでも逮捕情報というのは秘匿されてるんですよ。チャージの段階で、日本でいう起訴です。裁判を受ける段階で公文書になります。ですから、裁判を受ける人は見れますよ。日本でも見れますよ。東京地方裁判所に行けば、小野さんどこそこの法廷、名前も皆見れます。しかし、逮捕された人が誰かということを公示している国はありません。それは、あたりまえのことなんですよ。捜査段階で捜査情報を公開したら捜査になりませんよ。犯人を逃がしてしまうことになりますから。ですから、捜査情報を秘匿するのは、あたりまえであって、問題は警察が刑事訴訟法や憲法にのっとって仕事をしてるかどうかを監視すべきなんです。そういうふうに監視できる社会的なシステムを作っていく。それは、いろいろな法律学者が例えば、取調室にビデオを入れろとか、ある大学の名誉教授の方は、取調室に録音機を入れろといってます。イギリスは全部録音してるんです。本人と取調官が両方録音して、両方がお互いが交換をしてテープを持って帰るんです。従って、イギリスであれば少年に嘘をついて、「君、筆防が一致してるんだよ」とか録音されてるんです。それを私たち聞くことができるんです。裁判所の法廷でそれを聞くことができますし、研究者はそれを聞くことができる。ただし、ある程度プライバシーがありますから、スウェーデンでは逮捕された情報というのは80年間、プライバシーの対象となります。それから、病院のカルテも80年間です。だいたい、人間は90年ぐらいで死にますから。80年たったら、それはプライバシーではなくなるという考え方です。そういう意味で言えば、外交文書はアメリカでは30年とかありますよね。外交機密文書でも30年後には皆見れることになります。日本は永久に見れないんですよ。それがおかしいわけです、そういうシステムが。ですから、情報の自由な流れを促進するようにマスメディアは社会部の記者は頑張るべきじゃないかと私は反論しているところです。

◇参加者からの質問2

 浅野さんの趣旨、今のお話の流れからはちょっとはずれてしまうんですけども、私ずっと疑問に思ってましたのは、今までのお話というのは、罪を犯したか、犯さないかわからない、そういう被疑者になった人が被害を被る、いろいろな権力によって被害を被るという話だったんですけども。一方、その犯罪に巻き込まれた被害者の方の人権とか権利とかいうのは、今いろいろ言われてて、非常にそのことがあいまいでよくわらない。加害者の被疑とか被疑者に対しての権利は非常に膨大な量で議論されてるんですけども、被害者の方の権利とか人権とかそういうものを守る、守ることはできないかもしれないんですけども、それに対する相反する保護ということに関しては、どういうふうな議論がなされてるんでしょうか。

◇こたえ

 今、私さきほど東電事件とか申し上げましたね。あの人は被害者なんですよね。ですから、私も言及しないわけではなくて、私は、被疑者、被害者の匿名原則というものを当初から言っております。殺したというふうに疑われる人の匿名を主張しているわけですから、殺された人のプライバシーを守るのは当然なんです。悪くもなんともないんですから。加害者として疑われている人は悪いかもしれないわけですから、しかし、殺された方は何もないわけですから、あたりまえなんです。

 NHKがいつも飛行機が落ちると乗客名簿を放送しますね。こういうことをしている先進国も日本だけです。NHKのニュースでは、交通公社の手書きの名簿まで画面に出しますが、それはプライバシーの侵害だと思うんです。飛行機に乗るということはプライバシーなんです。雄鷹山で五百何人亡くなりました。あの中に夫婦じゃない男女が2組いたんですけどね。その事故でばれて、生き残った人が自殺してしまったこともありました。熱川の温泉では、温泉火事で13人亡くなりましたね。そのうち6人は早稲田のグリンピースクラブの人だったんですけども、7人か8人は普通の、いわゆる社会人の方ですね。それはほとんどの人たちが夫婦じゃない人たちだったんです。それを朝日新聞は図まで載せて、死んだ位置まで載せました。名前も全部、たまりませんね。生き残った片方はですね。

 これは、諸外国では当然なんですけれども、たとえば、あなたの夫がどこどこで亡くなりましたということを知らせます。そこで、残された妻には、それを公開しないで欲しいという権利があるんです。あるいは、警察は公開する時に、それを聞かなきゃならないんです。その上で、発表するんですね。
アメリカでは、写真を撮る時も、この写真はこういうものに使いますということをちゃんと許可を得てサインをもらわないと、出版できません。ですから、たとえばアップでハーバード大学を歩いている学生、男女の学生をアップで撮ったら、それは許可を得ないといけません。その人の顔が誰かわからない時はいいですけれども。日本だとスキー場開きだといって、野沢温泉スキー場開きってやりますね。そうすると、風邪だといって休んでいるやつがよく載っていることがあるんですね。そうすると、それでクビになるかもしれないんです。確かに風邪でとうそをつくことは悪いですよ。しかし、そのこととNHKに出てクビになるということはまた、別だと当然考えるわけですけども。ですから、犯罪の被害にあうということは、本人が全く予期できないことなのです。

 もうひとつは、犯罪というものは、殺人事件の場合は特に、片方が100%悪いということはあまりないんですね。先に片方が殴ってそいつを追い込んで、むしろ殺された方が本当は悪い場合もあるんです。その人を追い込んでいってね。
 たとえば、昔ある事件がありまして、アイヌの出身の人がいたんですね。その人がすごく仲がいい親友にジャイアンツの負けたことについて議論をして、二人ともジャイアンツフアンだったんですね。あの時のバントがよかった、悪かったみたいな議論をしててけんかになったんです。二人とも酔っ払ってて、そして、最も信頼した人にアイヌ人であるということを侮辱されて、刺したんです。自分が最も好きだった人に冷たいことを言われて人を刺すこともあるわけです。私は彼の裁判をずっと見たんですけれども、単純に彼が悪い、殺した方が悪いというだけで済むんだろうかと考えさせられました。犯罪というのは、非常に複雑な要素が絡まりあっていることが多いんです。通り魔事件以外はですね。
 特に、男女の愛情のもつれなんかで事件がおきる場合は、結構殺された側がひどいことをしていることもあって、そう単純に加害者が悪いということを言えない場合があります。被害者のことを根掘り葉掘り報道することには、遺族にとってもたまらないことですし、天国の人もたまらないことになりますので、当然、報道される被害者の権利というのを考えなくてはならないんです。

 しかし、私はその被疑者の権利と被害者の権利は対立するものではなくて、全然別の次元のものだと思うんですね。犯罪、特に殺人の場合はとにかく殺人の被害者の人権を守るということは、殺人を起こさないようにしなくてはいけない、殺人がもう起きてしまっている以上は、それを予防するという議論はできないんですよね。その事件に関しては。そうすると、できることといえば、その人のプライバシーを守ってあげること。あるいは、遺族の人たちが、悲しみを増幅させないように、努力することと、もう一つできることがあるんですね、社会が。それは、被害者のケアです。金銭的なケアと精神的なケアです。この二つを、日本以外の先進国は全部やっております。

 アメリカでは、殺人事件の被害者の遺族には、5000万から1,000万払わなきゃいけない。ところが、一番損なのは、殺されることです。今、やっと日本では、犯罪被害者見舞金制度というのができまして、サイン事件の被害者には、800万円ですね、重度の障害が出た人には400万円でることになりました。ですから、松本サリン事件では、亡くなった7人の人に800万ずつ、それから、河野さんの奥さん、スミコさんに、400万でてるだけです。河野スミコさんの400万は、3ヶ月でなくなったそうです。
 今は、河野さんの手当てとかを全部自腹でやらなければならない。ですから、サリン事件の被害者の人たちが、麻原彰光を八つ裂きにしろというのは当然です。麻原さんがやった場合はですね。そういう気持ちになるのは当然です。しかし、諸外国にあるような、犯罪の被害者に法的な、私は地下鉄サリン事件と松本サリン事件の被害者を支援する会というのもやってるんです。これやってるのがテレビ朝日でずっと河野さんを追ってる、ニュースステーションで追っている磯貝さんというフリーのディレクターがいるんです。日本電波ニュースに元いらっしゃった方ですが。この人は、さきほどマスメディアが非常に河野さんを傷づけたといいましたけど、河野さんが犯人じゃないということでがんばったジャーナリストであり、そういうジャーナリストもいたんです。私は河野さんに会いに行った2人目のジャーナリストであり研究者なんですけども。最初、行ったのは文芸春秋なんですね。その次に行ったのが磯貝ですし、そのあと行ったのがスペースJの下村健一さんですね。TBSのニューヨーク特派員になってますね。そういう人たちは、河野さん宅から出てきた薬品ではサリンなんかできないということを証明してみせる番組を作りました。そのことで河野さんがどれくらい救われたかは、はかり知れないと思います。

 この間の12月25日には、日本キリスト教団松本教会でまたコンサートをやりましたけども、その時にお金をかなり集めることができました。そのお金を東京都と松本市に寄付をして、その治療代とかに使ってくださいというふうに、あるいは遺族の子供たちの奨学金とかにしようということで東京都と松本市に相談しに行ったら、東京都はそれを受け取る機関がないんです。いまだに、そのお金はどうやって使おうかといって、因ってるわけです。松本市はとりあえず松本市の市議会で健康診断だけは無料にすると。サリン事件の被害者の144人いるといわれてますけども。その人たちの健康診断については無料にするという条例を作って、そこがお金を引き受けてくれまして、そこで被害者の人に渡るようにしましょうと。
ですから、問題なのは、そういうところが貧困だということですね。これは、犯罪被害者学というのが諸外国ではあるんですね。そういう学問が。日本では犯罪被害者学という講座があるのは、常磐大学と慶応義塾大学と明治大学と日大ぐらいじゃないでしょうか。どうやって犯罪者を処罰したらいいかとか、どうやって裁判をやるかという学問はたくさんあるんですけれども。犯罪被害者のケアを考えた場合お金の面もありますが、もう一つ重要なのは精神的なケアですよね。
 これは、神戸の震災もそうでした。要するにメンタルケアというのは非常に大事なんですね。亡くなった家族の人が自分の愛する人が亡くなった時は非常に苦しむわけです。ですから、麻原彰光を憎い、憎いと思うわけですけども、いくら麻原ショウコウを憎いといっても生活は改害されないし、むしろある人が憎い、憎いといっているあいだ、その人の人間性が下がっていくというふうに、諸外国では考えるわけです。従って、河野さんが言ってるのは、もし、麻原さんがやったとしたら、麻原さんが何故そういうことをやってしまったのか、オウム真理教の人が、何故そういうことをしてしまったのかということを私も社会の一員として考えたいと言ってるんですね、河野さんは。そこまで、河野さんは自分を高めていると思うんですね。私たちは河野さんに習わなければならないし、放送事業者とか報道事業者というのはそういうレベルに達した人がなるべきじゃないかなと私は思ってるんです。だから、どっちがいいとか悪いとか、単純な発想ではなくて、もうちょっと人間の深いところ、社会の深いところに目をやるような、視点を持つことが、そういうことを持つことが犯罪をなくしていくことだと思うんですね。犯罪を減らしていくということは、犯罪を起こす原因を皆で考えるということですから。麻原ショウコウが悪い、誰々が悪いと個人を責めてる分には、神戸の少年が悪い、あいつは生まれつき悪い奴なんだという、記事もありますが、それでは改善されないんです。
 私はそうではなくて、どんな人間も生まれた時も赤ちゃんの時は皆真っ白で、そこにどういう絵をぬっていくかということが大事だと思います。それを塗っていく時に、親や兄弟やそれから学校やマスメディアや、そういうものが人きく影響するんだと思います。私たちもオウムがもし本当に全部やったとすれば、オウムを生み出したそういう94年から95年の日本というものの一員だったという責任を考えていくという、そういう作業をやっていくことが、犯罪を無くすことだし、亡くなった方に報いることだというふうに私は思うんです。皆さんも是非そういうふうに、考えていただきたい。そセきたいと思います。

 それから、放送で言えば、もう一つ今日いい忘れたんですけれども、放送されたものを皆が見れるようにする仕組みをこれは国会で決めてもらいたいと思ってるんですね。これは民間では無理です。膨大な放送を保存するというのは無理ですから、なんとか、日本では映画は全部保存しているんですよね、それからプレスは全部国会図書館にあります、どんな小さな圧縮版としても、出版コードがつくものは、全部国会図書館に入れなければならないんです。そういう意味でいえば放送でオンエアされたものは全て市民がアクセスできるという、この時、プライバシーをどう守るかという問題があるんですが、そういう難しい問題を諸外国ではクリアしています。スウェーデンでは全部見れます。そういうガイドラインは作っております。さきほどもちょっと申し上げましたけれども、NHKで報道されたことを一個人で見る場合、非常に難しくなります。

 今、BROとBRC、あるいは放送法で決まっているのは、その当事者が請求すれば6ケ月以内であれば、テープを提供しなきゃならないということになってるんですけども、たいがいの当事者は獄中にいたり、通り魔事件で30件を自供したなんてことをNHKに報道されたりしてますけども、あの人も本当は文句いいたいんだけども、ビデオも見れませんし、今、弁護士さんと相談して近く、NHKにその人が申立をすることになってますので、たぶんそれは受入れざるを得ないんじゃないかと思うんですけども。それは、我々が、放送というのは一つの歴史的な事実ですよね。放送したという事実を後世の研究者や市民が見ることができないという状況は絶対に打開してほしいと思うんですね。これも是非、日放労でとりあげていただきたいと思うんですよね。これは、お金で解決できることですし、こういう制度があることは、絶対に放送メディアにとってプラスになると思います。面倒なことはたくさん起きるとは思いますけれども、その面倒なことをやっぱり引き受けないといけないと思うんですね。

 かつて、日本のメーカーがそういう面倒なことを昔は嫌がっていたわけですが、それじゃだめだということを公害問題が発生して70年代にパブリック・リレーションズとか消費者相談室とかそういうものを作り、行政も消費者センターというものを作り、国民生活センターとかを作って、消費者のいろいろな意見を聞いて、クオリティを高めていってます。そこでは優秀な人材を配置してますよね。松下電気でもどこでもトヨタでも。昔、そういうセクションは会社が排除した人を座らせるというような傾向があったんですが、今マスメディアでこう言ってはちょっと失礼かもしれませんけども、新聞社では、そういう読者の応対とかしてる人たちというのは、どっちかというと本流ではない人たちが言ってるんじゃないかなという気がちょっとします。そうではなくて、バリバリの本流の人がそういう外側の意見を聞くところに来るように、おそらくそういうものを作ればいいと提言したいと思います。
 スウェーデンでは、ジャーナリストのことをこう言います。市民がたまたまジャーナリストの職業になっている。偉い者でもなんでもない。国会議員もそうです。市民がたまたま国会議員という仕事をしてるわけであって、偉いわけではないという発想です。「a general citizen happens to be a journalist」と私に言いましたけれども、そういう感覚ですね。ですから、記者だから偉い、だから見せろじゃなくて、市民が権利として見せろという権利がある、それが情報の自由ということなんですね。

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