2001年7月7日

以下は週刊金曜日に書いたものです。

精神医療ユーザーの匿名原則を無視
大阪校内児童殺傷事件報道

浅野健一

 それは六月八日午後七時のNHKテレビ「ニュース7」から始まった。大阪府池田市の小学校で起きた児童殺傷事件の被疑者の実名、住所がカラー顔写真のアップとともに報道された。八日の各紙夕刊は産経新聞以外はすべて「三七歳の男」と仮名報道でだった。関西の一部を除くほとんどの民放ネットワークの夕方までのニュースでも仮名報道だったのだが、NHKが大胆にも実名報道に踏み切り、共同通信が追随した。
 日本の報道界には、被疑者が精神医療のユーザーであった場合、刑事責任が問えると判断されるまで匿名報道するという大原則があった。ところが、各社は逮捕の半日後から一斉に実名報道に転換。その後、前科や精神科への入・通院歴があることなどの個人情報が流れ、顔を隠した元妻の友人や元職場の同僚、アパートの家主や近所の人たちの発言が報じられている。池田署の前で「晒し者」にもした。匿名報道しているのは「しんぶん赤旗」だけだ。
 事件の数日後から、「精神障害を装ってウソをついていた」などと供述しているとして、被疑者が仮病を使っていたという報道が活発になっている。法律書を読んで、刑を免れようとしていたとも強調している。その一方で、「エリート校の子どもたちを殺せば確実に死刑になると思った」という動機はそのままになっている。いったいどっちが本当なのか。ほとんどは警察からの非公式情報の垂れ流しだ。
 被害者の実名や顔写真を繰り返し報道するのもどうか。朝日新聞はこの事件を論じる社説の冒頭に子どもの名前を並べた。名前は本当に必要だろうか。学校か行政機関に連絡すれば分かるようにしておけばいいのだと思う。
 事件発生の第一報は午前一○時半までに報道各社に入った。すぐにヘリが上空を舞う。多くの記者やカメラパーソンが学校の中に入り込み、救急車や捜査車両の妨害になった。テレビのニュースに、警察官が「救急車が通れんやないか」「どかんかい」などと報道陣を怒鳴って制止する声が入っていた。深夜になって学校の正門に花束を置きに来た関係者が「写真はやめてください。やめてください」と懇願しているのに、フラッシュを次々とたいて撮影する報道陣が画面に写った。
 報道陣は現場を目撃した被害者の同級生らの児童にカメラとマイクを向けた。児童の顔をそのまま出した局も少なくなかった。陰惨な事件に遭遇して小さな胸を痛めている児童に対して、「犯人の男はどうだった」などと聞いて、恐怖の瞬間を思い出させた。捜査本部は被害者の子どもたちや、現場に居合わせた同級生たちの本格的な事情聴取を控えているのにだ。
 朝日新聞、毎日新聞は二○○○年三月と一○月にそれぞれ事件報道基準を見直したが、その中心の一つが「精神障害者の扱い」だった。朝日新聞の新基準は《「精神障害者」と「刑事責任能力のない心神喪失者」とは別の概念であることに留意する。(中略)報道に際しては、原則として、病名や通院歴などの事実には触れない。こうした報道によって精神障害者全体に対する社会の偏見や差別を温存、助長することがないよう心がける。》と規定している。毎日新聞も「精神鑑定など科学的なデータや取材結果を総合的に判断する」と指摘した。
 朝日、毎日の両新聞は、精神障害になるべくふれずに実名にするという「配慮」もかなぐり捨てて、子どもを八人も刺殺した「事件の重大性」から、今回、精神障害治療歴を強調したうえで、実名報道するという最悪の事態になった。「事件の重大性」というが、それを誰がどのような基準で判断するのかが不明確だ。「実名報道でやっつけろ」という懲罰の意味で実名を出すというのなら、それはリンチの肯定にならないか。
 精神障害の治療歴がない人でも、心神喪失と判定される場合もある。精神医療ユーザーであっても、精神鑑定も受けずに刑務所に収容される人も少なくない。
 大阪地検は被疑者の精神鑑定を行う。そうであるならば、現在の段階で、精神障害と事件との関係を言うのは差し控えるべきではないか。
 今回のような悲惨で残酷な事件はどうしたら防げたかについて、今後冷静に究明されなければならない。被疑者が精神医療を受けてきたことを伝えた後で、「法に触れた精神障害者と一般の精神障害者を区別し、精神障害者一般を差別してはならない」と強調しているマスコミ企業の姿勢は、まさに典型的なマッチポンプ的であると言っておきたい。

浅野ゼミのホームページに戻る


Copyright (c) 2001, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2001.07.08