2001年7月8日
本当に被害者のことを考えているのか 浅野健一
大阪の児童殺傷事件の後、「今回の事件は精神障害者を匿名にしてきたから起きたのではないか。お前はどう思うのか」「お前のような人権屋がいるからこんな事件が起こった」などという電子メールがたくさん届いた。「犯人を許さない。実名報道を支持します」というメールも多かった。嫌がらせ電話もあった。私のところには「実名報道を支持する」「犯人を許さない」などというメールが来た。一部の弁護士や人権擁護活動家にも脅迫電話がかかってきている。
インターネットの匿名発信のサイトでも、私たちへの中傷が続いている。まるで私や匿名報道主義に賛成する人たちが事件を起こしたかのようである。保安処分に反対した人に責任があるという大学教授もいる。
今回の事件も非常に怖いが、こういう「大衆」や知識人も恐ろしい。「犯罪者を許さない」と言っている人間が、自らは名前を伏せて、インターネットを使い、名誉・プライバシーを侵害したり、ハラスメントを繰り返しているのは滑稽である。立派に刑法違反だ。私や私の周辺の人間に危害を与えようという呼びかけまである。
私の「反論」がたくさん出ている。ログを秘匿するという触れ込みのサイトで、私の名を語って、むちゃくちゃをやっている。あまりにもひどいので引用できない。「○○というサイトを見たか」というメールもよく来る。
そうした大衆の怒りを感情移入して、被疑者をバッシングするメディアはもっと悲惨だと思う。
結局、この人たちは、この事件が起きてハイな気分になり、何の罪もない被害者の児童の悲しい死を利用しているように感じる。人権擁護や戦後民主主義教育が悪いという某慶大教授らのキャンペーンに至っては全くの言い掛かりだ。
私はマスメディアによる犯罪報道のあり方を議論しているのだが、「犯人が憎い」ということだけを考える人々は、「匿名報道を主張する奴は許さない」「実名報道でやっつけろ」と短絡的に考えるのだ。
実名報道は被害者にも及んでいる。実名・顔写真を出されている児童たちは取材を受けたことで、事件のショックをさらに強めた。ヘリが飛ぶ度に脅える児童もいる。被疑者の写真がテレビに出ることで、トラウマを思い出している子どもたちもいる。そいう報道がある。実名報道は被害者の二次被害にもなっている。被疑者も被害者も匿名でいい。少なくとも被害者は匿名である権利が絶対にある。保護者の了解なしに報道すべきではない。
「事件の重大性」を考えて匿名原則を捨てるというのはおかしい。事件の重大性は、実名報道の根拠にはならない。懲罰の意味で実名を出すというのなら、それはリンチの肯定だ。
「人権派」の弁護士や医師らが保安処分に反対した実現しなかったから、今回のような事件が起きたという短絡的な主張が出てきた。これもまた社会の病理である。
Copyright (c) 2001, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2001.07.08