2001年1月25日

新聞労連・報道評議会「成案」への意見書

浅野健一

 新聞労連の報道評議会構想が原理原則から逸脱する恐れが出てきた。とてもオンブズマンなどとは呼べない新聞四社の新・苦情対応機関を過度に評価し、報道評議会設立を新聞協会などに強く迫っていく姿勢が後退しているようにみえる。新聞労連が顧問、講師に度々招き、マスメディアにもしばしば登場し、報道評議会は「理想だが」とか「ゆくゆくは」などと言ってきたメディア論学者やジャーナリストが新・委員会にメンバーとして入っていることが影響しているように思う。
 オンブズマン研究家の潮見憲三郎さんは1月22日、新聞労連に意見書を送った。労連が報道評議会を「救済機関」ととらえ、救済するかどうかは新聞社が決めるというのでは、国際的水準の報道評議会・オンブズマン制度ではないと論じている。
 私も同日、労連へ2回目の意見書を送った。労連書記局の担当者から電話があった。「潮見さんの意見書と一緒に役員に読んでもらう。報道評議会を目指す点には何の変更もない。毎日新聞などがオンブズマンと読んでいるので、労連もそういう表現にした」。
 私は「新聞界全体での対応こそいま法規制を阻止するために必要であり、削除はおかしい。各社の対応は前からやっており、それでも報道被害が減少しないから、報道評議会を中心としたメディア責任制度が必要だ。報道界がこれをつくらなければ夏にも法規制がかけられることになる。正念場だ。労連は方針を変えてはならないと思う」と述べた。
 労連への意見書は次の通り。



2001年1月22日
                同志社大学文学部社会学科新聞学専攻教授
                         浅野健一
                   

日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委院長 畑 衆様
前略 ファクスで失礼します。昨年10月に報道評議会に関する意見書を電子メールとファクスで送らせていただいた同志社大学の浅野健一です。新聞労連のどなたからも連絡がありませんが、私の意見を読んでいただいたものと思っています。
 1月16日の機関紙を読み、新聞労連の報道評議会特別プロジェクト会議が1月10日に労連新研部と合同で開かれ、原案の一部手直しが行われたことを知りました。この手直しでは、二つの東京紙が最近つくった苦情対応機関をオンブズマンと追認し、そのことを理由に「はじめに」から重要な文言を削除しえちるようです。全文を読むことはできませんが、このとおり臨時大会で採択されると、日本における「報道評議会」設立にマイナスになると危惧します。
 北村肇委員長時代に決まった「報道評議会構想」はどうなったのでしょうか。報道評議会は「理想」だが現実的には無理で各社対応でという動きがあるのですが、これらは苦情処理機関でしかなく、多くの報道被害者が長年にわたって望んできたのは、報道評議会ではないでしょうか。
 また春闘議案でも、毎日新聞の委員会を「オンブズマン・システム」と呼び、朝日や共同通信と地方紙などの「報道と人権」機関の設置を評価していますが、これらの委員会の設立に各社の労働組合は組織的参加もしていないようで、あまりにも高い評価を与えすぎてはいないでしょうか。
 各社の外部の「有識者」を入れた苦情対応機関はないよりあったほうがいいのは当然ですが、問題は、それらが報道評議会やプレスオンブズマン制度の代替には成りえないというところにあります。
 政府与党が活字媒体にも報道評議会をと要望している中で、今春までにプレス全体の報道評議会ができない場合には、法規制が導入される危険性が高まっています。「理想的だが」とか「ゆくゆくは」とかのんびり構えているときではないと思います。
 新聞労連が毎日、朝日の新・委員会をオンブズマン制度と呼ぶことをやめ、「はじめに」の中の「市民の報道への信頼は、もはや各報道機関ごとに読者対応室や法務室などを作って対処するだけでは回復できない段階にきている」との表現を削除するとの方針を撤回し、国際的な最低水準を充たすような報道評議会・オンブズマン制度を設立するための方策を臨時大会で探るよう強く求めます。
 労連の修正と、二紙の委員会に関する私の見解です。長文ですが参考にお読みいただければ幸いです。
                             草々



参考1 
01年1月21日
 新聞労連成案への疑問

 新聞労連は二○○○年九月一九日、「報道評議会」に関する原案を発表していたが、原案の成案化をはかる報道評議会特別プロジェクト会議が二○○一年一月一○日に労連新研部と合同で開かれ、原案の一部手直しを行った。二五日からの第九七回臨時大会に提案・採択されることを確認した。
 労連は原案の「はじめに」で、「臓器移植報道や事件・事故取材での必要以上のプライバシー侵害、行き過ぎた性表現や不適切な差別表現、容疑者と決めつけたような報道による人権侵害など、いわゆる報道被害が繰り返され、市民の報道への信頼は、もはや各報道機関ごとに読者対応室や法務室などを作って対処するだけでは回復できない段階にきている」と述べ、「権力による無用の介入を防ぎ、報道機関が自律した存在であり続けるために、メディアが引き起こした報道被害に業界として自ら対処するシステムが今こそ必要になっている」と強調している。報道評議会は、「権力からの監視、コントロールを一切拒否すると同時に、報道被害が起きた時には速やかに救済を図ることによって、報道の自由と責任を体現していくとうたっていた。
 ところが、成案では、《昨年秋から毎日新聞が「開かれた新聞」委員会、朝日新聞社が「報道と人権委員会」を立ち上げるなど、新聞各社の自主的なオンブズマン制度創設を受けて、[はじめに]の中の「市民の報道への信頼は、もはや各報道機関ごとに読者対応室や法務室などを作って対処するだけでは回復できない段階にきている」との表現を削除》した。
 また、《「設置場所・形態」の項目では、誤解を招く恐れのある「権限の集中を招くオンブズマン型ではなく、合議制によるカウンシル型」の表現を削除》した。
 後者の削除は当然だが、前者を削ったのは大問題だ。そもそも毎日、朝日の委員会をオンブズマン制度と見なすことは、到底賛同できない。
 また、二○○○年一月一日の新聞労連の機関紙によると、新聞労連の「01春闘」運動方針案は、毎日新聞の委員会を「オンブズマン・システム」と呼び、朝日や共同通信と地方紙などの「報道と人権」機関の設置を評価している。前にも述べたように、社別の苦情処理機関(それ自体はいいことですが)をいくら充実させても、報道評議会を中心としたメディア責任制度にはならない。
 者別苦情対応機関の委員会にメンバーとして入った学者やジャーナリストが、「世界」(岩波書店)などを舞台に、「当面、報道評議会は無理だから市民とメディアの評議会を」などと「提言」してきた人たちだったことも忘れてはならない。日弁連の人権と報道調査研究委員会の一部幹部が、「新聞各社は社内オンブズマンをつくろうとしている」と発言していたのも、思い起こそう。
 新聞労連の現役員は、北村肇委員長時代に行った報道評議会に関する労連の調査報告書を読み直すべきである。社別の苦情処理機関(それ自体はいいことだが)をいくら充実させても、報道評議会を中心としたメディア責任制度にはならない。両者は全く別のものなのだから、両方とも不可欠なのだ。
 新聞労連は法的規制の動きがある中で、メディア責任制度の原理原則を忘れずに、97年の臨時大会での決議をもとに活動してほしい。
 「各社の対応」は苦情処理の域を出ない。絶対にオンブズマン制度ではない。労連が設立を目指した報道評議会は、新聞社のための機関ではなく、すべての市民のための仕組みだったはずだ。



参考2
2001年1月21日
毎日・朝日の新・委員会の創設とメディア責任制度をどう見るか(略)
(以上)

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