日本の侵略責任答責会議

 2001年12月7、8日には同志社大学(今出川本部)で侵略戦争の責任に答えるための「日本の侵略責任答責会議」(代表・寿岳章子元京都府立大学教授、祖父江孝男放送大学教授)が開かれます。山田悦子さんの呼びかけで10年前にできたこの答責会議は、日韓交代で毎年シンポジウム(第一回は1991年8月)を開いています。1965年の日韓条約を廃棄し、両国民の尊厳確立のための新条約締結を求める声明を出しています。みなさんの協力をお願いします。
 以下は2000年8月にソウルで開かれた答青会議で私が発表(欠席のため日本側参加者に代読してもらった)したテキストです。


答青会議    2000・8・27
同志社大学文学部教授 浅野健一
E-mail:kasano@mail.doshisha.ac.jp VZB06310@nifty.ne.jp(メールは、両方に送信を)
同志社大学文学部・浅野ゼミのホームページindex.html 

「天皇中心の神の国」「三国人」発言を受容する日本社会
 消えた森発言批判
 森首相は、2000年5月12日神道政治連盟の集会で、「日本は天皇を中心とする神の国」と発言した。首相は「教育勅語には日本の伝統、文化の継承などが含まれていたが・・・本当にいけなかったのか」とも発言している。
 森氏は3月、石川県加賀市の講演で「君が代斉唱の時、沖繩出身の歌手の一人は口を開かなかった。学校で教わっていないのですね。沖縄県の教職員組合は共産党支配で、何でも国に反対する。沖縄の二つの新聞もそうだ。子供もみんなそう教わっている」。平和問題、基地問題で精力的な報道を続けている沖繩の新聞を「共産党系」などと批判しているのだ。
 「神の国」首相が議長を務めた6月の沖縄サミットは日米安保条約、自衛隊の軍隊としての公然化、在日米軍基地を固定化した、「国内」向けサミットだった。日本を再び侵略戦争の可能な国にするための策動がすすんでいる。
 石原知事の人種差別発言
 一方、石原慎太郎東京都知事は、これまでも「憲法九条は改正すべきだ。核開発は必要だ」(67年)「日本人が南京で大量虐殺を行ったといわれるが、事実ではない。中国人が作り上げたお話であり、うそだ」(90年)「憲法なんて破棄したらいい」(99年)「日本人がなぜ“シナ”という言葉を使ったらいけないのか」(99年)などの極右的発言を繰り返してきた。
 2000年4月の自衛隊式典で、「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪犯罪をですね、繰り返している。(略)大きな災害が起きたときには大きな大きな騒擾事件すら想定されるそういう状況であります」「今年9月に陸、海、空三軍を使って災害を防止する大演習を行う」「警察の力に限りはあり、災害の救急だけでなく治安維持も目的として遂行してほしい」と公式発言した。
 この発言は、かつての関東大震災における在日朝鮮人・中国人6000人に対する虐殺を思い起こさせるばかりではなく、国際人権規約や人種差別撤廃条約が厳しく禁止している人種差別、全体主義の扇動発言そのものであり、これらの国際人権条約が完全に実施されていれば、本来刑事罰の対象にされる内容です。
 石原知事は9月3日に自衛隊約7800人という空前の兵員を動員して、銀座の武装パレードや白鬚橋周辺での空挺部隊による降下訓練などを行うことを決めている。「週刊現代」9月2日号で「三国人というのは差別用語じゃないですからね」と撤回したはずの「三国人」をまた使っている。
 日本帝国崩壊記念日8月15日には、靖国神社に公式参拝した。公人としての参拝かと聞いた記者団に、「くだらないことを聞くな」とすごんだ。
 こういう人物が首相候補としてもてはやされているのが、今の日本の社会政治状況である。
権力監視忘れたメディア
 こうしたファシズム化を阻止するのがジャーナリズムの任務だと思う。
 メディアは司法の民主化に向けて市民を啓蒙すべきなのに、一般刑事事件で当局と一体となって、市民いじめばかりに熱中している。
 日本のネオ・ファッショ化、警察国家化をチェックできないメディア。人民が最も知りたいことを取材せず、伝えようともしないこの国のジャーナリズム。
 日本軍慰安婦はお金をもらっていたとか、南京大虐殺はなかったなどという言論がまかり通り、若者のほとんどが侵略戦争が日本のファシズムによって引き起こされたことをほとんど知らない国はもっと危険だ。
 東京の天皇一家の住む皇居の近くにある神道の靖国神社には、アジア太平洋で二千万人の無辜の市民を死に至らしめた侵略戦争のA級戦犯、東条英機元首相らが「神」として祭祀されている。天皇を神として、アジア諸国の人民に「あなたたちは天皇の子供だ」と教え込み、「大東亜圏」建設に狩り出したカルト宗教である。天皇は戦争責任を免責され、皇国史観を支えた神道も、解体を免れ、戦後、宗教法人として存続した。最近では東条元首相を美化する映画や、第二次世界大戦はアジア諸国を欧米列強の植民地主義から解放するための聖戦だったとする漫画がベストセラーになっている。8月には、ついに『国民の道徳』(西部著)という本も出版された。「祖国のために死ぬということ」という章がある。
 あのいまわしい侵略戦を遂行するための中心的なイデオロギーだった国家神道はほぼ同じ形で存続している。
森首相「釈明会見」への「指南書」徹底解明を
 内閣記者会(官邸クラブ)といえば、日本で最も大きく重要な記者クラブであろう。その内閣記者会が、市民の知る権利を代行して権力を監視しているのかどうか、疑わしい「事件」が起きた。
 森首相は、2000年5月12日神道政治連盟の集会で、「日本は天皇を中心とする神の国」と発言した。「神の国」発言は、公明党の反発もあって、政治問題になった。内閣記者会は首相に会見を要求し、5月26日に「釈明会見」が行われた。
 6月2日の西日本新聞は「直言 曲言」と題したコラムで、「記者室に落ちていた首相釈明会見の”指南書”」というタイトルの記事を載せている。記事の末尾には「(彰)」という署名。
また、5日発売の日刊ゲンダイもほぼ同様の記事を、より断定的に書いた。
 これら記事によると、森首相が「神の国」発言の釈明記者会見を開く前日の朝、首相官邸記者室の共同利用コピー機のそばに、「明日の記者会見についての私見」というワープロ感熱紙が落ちているのを見つけたということで、首相側近に宛てた文書のようだ。その内容には、「総理の口から『事実上の撤回』とマスコミが報道するような発言が必要」「いろいろな角度から追及されると思うが、準備した言い回しの繰り返し、質問をはぐらかす言い方で切り抜けるしかない」などと助言している。筆者は文書の中身とさまざまな状況から、「官邸に常時出入りしている記者の一人が書いたと考えるのが自然」と指摘している。
 そもそも森首相の就任には法的に問題があるのではないか。首相官邸と政権党は、小渕首相の入院を23時間隠した。首相秘書は4月2日、共同、時事両通信社への「首相動静」連絡で、「書類を整理」などとをウソ発表した。日本新聞協会の代表取材に対して虚偽の情報を提供したわけで、絶対に許せない。
 昔のソ連以下の情報非公開である。それを正面からほとんど批判しなかったマスメディア。5人組と公明党首にしか知らせず、青木官房長官の首相代理就任が決定し、後継首相が決まった。なぜ森首相なのか。これは談合政治であり、メディアは厳しく批判すべきなのに、森氏が有力、森氏が後継などと予測報道していた。
 当初、クラブ内では怪文書だとか、個人の問題だという「反発」があったようだが、他メディアが報道し始めたため、クラブでも対応策を協議することになった。
 内閣記者会、そして日本新聞協会は、事実関係を調査し、市民に真相を明らかにすべきだと思う。そうしなければ、日本の報道機関は警察以下ということになる。
 私は6月5日に内閣記者会に対して質問書を送った。
 2000年6月8日、内閣記者会幹事社(共同通信・東京新聞)から以下の回答が、電子メールであった。
 《「文書」には筆者の記入はなく、現在(6月8日)、筆者を名乗る人物も現れていません。
 「文書」の内容はご指摘の通り、記者の本分を大きく逸脱したものであることは、間違いありません。
 内閣記者会に加盟しない雑誌などからいくつかの問い合わせがあったため、記者会の代表者には、問い合わせ状況を報告するとともに、西日本新聞からも報告を受けました。その結果、記者のモラルの問題であり、各社ごとに対応することが妥当ということとなり、記者会全体としての対応の集約はしませんでした。このため内閣記者会としての対応はありません。内閣記者会幹事社(共同通信・東京新聞)》
 内閣記者会は、「記者のモラルの問題であり、各社ごとに対応することが妥当」という形で逃げた。これでは、記者クラブが人民の知る権利を代行するという看板は下ろして、官邸近くの貸しビルにクラブ室を移してもらうしかない。こういうクラブには税金を1円も使ってほしくない。
 内閣記者会は、この問題をうやむやにせず、この文書が森首相の手に渡ったのかどうかなど、真相を明らかにしてほしい。内閣記者会として対応できないなら、内閣記者会は即時解散すべきであろう。
なぜ憲法を擁護するべきなのか
 象徴天皇制を規定する第一章1−8条は問題だし、確かに修正したほうがいい点はある。しかし、今の権力の狙いは前文と9条を改革するのが狙い。戦後初めての憲法調査会が衆議院と参議院に設置され、改悪の危険が大きい。なぜ前文、第9条があるのかを考えよう。2300万人のアジア太平洋の人民、300万人の日本国内の人民の犠牲のうえにある。なぜ日本は、3軍を廃止し、不戦を誓ったのか。
「時代に合わせて憲法も変えるべき」という意見が若者に受けている。しかし、日本には明治時代にできた監獄法がある。いまだに代用監獄(警察の留置場を拘置所として代用する)を認めている。21世紀は、日本国憲法の非武装中立を世界に広げる世紀であり、憲法を大切にしたい。
 日本は今でも国連では、民主主義の「敵国」と規定されている。この旧「敵国」条項を削除しないかぎり、安保理常任理事国にはなれない。
 小沢一郎自由党党首は文芸春秋99年9月号で憲法に環境権、知る権利、私学助成、地方自治などについての規定がないから、改正すべきだというが、これらの権利は、現在の憲法で何の不都合もなく確立してきた。住民運動や公害被害者の闘いでかちとってきた。邪魔をしてきたのは「改憲」を叫ぶ中曽根元首相たちだ。
 人民を守ってくれる軍隊なんてない。阪神・淡路大震災の際の自衛隊の無責任さを見よ。日本に必要なのはサンダーバードのような救命救急のための支援組織だ。(水島朝穂早大教授の著作を参照)
 かつて日本帝国軍が侵略した東南アジア、東アジアで振れない「日の丸」。91年10月に天皇夫妻がインドネシア訪問した際、当時の国広道彦インドネシア大使は、在留日本人に、街頭で日の丸を振らないように指示した。
 京大の佐伯啓思教授らの「エリートが指導するのが民主主義」というとんでもない論理も受けている。
 憲法は新しい社会を模索する際に、人民が使うことのできる立派な法規範。
 私たち日本人は、まだ本当の意味での民主主義を理解していない。アジア太平洋の2300万人以上のひとびとの犠牲で、紙の上で、人権や民主主義の仕組みを与えられたので、自ら闘い取ったものでない。
 答責会議こそ重要
 私の大学では、毎年6月、答責会議事務局の山田悦子さんが「マスメディアの現場」の講義で、ゲスト講義している。彼女は日本の捜査当局に無実の罪で25年間も被告席に座らされた経験から、冤罪事件がなくならないのは、日本がアジア太平洋の人々に対して侵略した責任をとっていないからだと強調している。「人間の尊厳」「司法の正義」を国民のものとするには、答責の運動を広げるしかないというのだ。
 山田さんのこうした話に一部学生は猛反発する。前期の試験で山田さんの説く「人間の尊厳」などについて問題を出したのだが、答案の中に、「戦争だったから仕方がない」「日本ばかり悪くいうのはどうか」「冤罪と侵略は関係ない」と書いてきた学生がかなりいた。
 山田さんが警察から受けたひどいしうちについても、「警察が違法なことをしたわけではない。犯人と疑うだけの理由があったから逮捕し取り調べたのだから、仕方がない。補償はしてもいいが」などと論じるものも少なくなかった。
 答案を読んでいて怖くなった。しかし、これが関西でトップの私学の学生の歴史認識なのだ。京大など他大学でも、学生の体制化が強まっているという。
 日本の1895年からのアジアへの侵略、民族優越意識、カルトとしての皇国史観などをきちんと総括して、ゼロからやり直すしかない。侵略戦争の責任を日本国民一人ひとりがどうとるかから始めたい。
 日本と朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)との国交交渉が始まった。日韓基本条約のような形でな、日本が過去についてきちんとした歴史認識を示し、侵略について謝罪し、二度と過ちを起こさないと誓約する条約を結ぶべきだ。日本政府は早くも日韓の時と同じように経済協力でという方針を示している。これでは何もならない。人間の尊厳を見つめて、歴史に真正面から立ち向かった国交交渉が求められている。(了)

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Copyright (c) 2001, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2001.01.12