2001年4月4日


5回逮捕・4度目の起訴を追認するマスメディア
仙台・「筋弛緩剤」事件報道の犯罪

私は「週刊金曜日」3月30日号の「人権とメディア」で、仙台市の「北陵クリニック」で点滴に筋弛緩剤を混入したとして殺人などの疑いで宮城県警泉署の捜査本部に五回も逮捕(うち四件は起訴)されている元准看護士の守大助さんの捜査と報道について書いた。
[私は一般刑事事件の被疑者・被告人、被害者は匿名報道すべきだと考えているが、本稿では「名前も顔も出して冤罪を晴らしたい」という本人、家族、弁護人の意向を尊重して顕名としたい。]

「私は無実なのだから顔も名前も出して社会に訴えたい」。仙台市泉区高森四丁目の「北陵クリニック」で点滴に筋弛緩剤を混入したとして殺人や殺人未遂の疑いで拘禁されている守さんがテレビニュースに出たときは、いつも顔を隠していた。彼は逮捕後しばらくの間、上着を頭からすっぽりとかぶっていたのだが、顔を隠すように演出したのは宮城県警捜査本部だった。手錠をかけられているから自分で上着を裏返しにしてかぶせることはできない。世間に顔向けできない凶悪犯というイメージを植え付けるためだった。逮捕から繰り返し、この写真、映像が使われた。
一月六日に小学生の少女(一一)に対する殺人未遂容疑で逮捕されて以来、マスメディアは警察情報を垂れ流した。各紙は連日一面トップで、彼が「全面自供した」「女児以外にも投与した」「クリニックでの待遇に不満があった」などと供述したと伝え、計約二十人を超す患者に筋弛緩剤を投与したかのような報道を繰り広げ、「大量無差別殺人事件」に発展すると予測した。
彼は最初の逮捕から三日後の一月九日から完全否認を続けている。ところが、捜査当局はこれまでに四回も逮捕し、三件で起訴している。起訴された事件の裁判は全く開かれていない。
彼が否認していることが伝わり、阿部泰雄弁護士らの弁護団からの積極的な記者への働きかけもあり、メディア記者の間でも、「これは冤罪事件ではないか」という声が上がっている。「真実は分からないが、裁判で無罪になる可能性は高いと思う」と司法記者は話した。すべての刑事事件でも、無罪推定の視点を持つべきなので、それ自体は評価すべきことではないのだが、捜査段階で「犯人ではないのではないか」という見方がこれだけ伝わってくるのは珍しい。
「週刊朝日」三月一六、二三日号と月刊「現代」三月号などは、彼の無実の主張や、捜査当局の見解には解明されない疑問が多くあるなどと報じている。中でも、「週刊朝日」が朝日新聞が最初に使ったと言われる「急変の○」(○は被疑者の苗字)という呼ばれ方について疑問を呈しているのは興味深い。彼が当直勤務のときに患者の容体が急変することが多かったので、クリニックの職員仲間の間で呼ばれていたというのだが、職員の中でこういう表現を聞いた人はいないという。
また、筋弛緩剤を混入するチャンスはなかったという証言も相次いでいる。
北陵クリニックで患者の溶体急変で転送されるケースが異常に多かったのは事実のようだが、応急医療のうまい医師が副院長との対立でやめたためだという見方も出ている。
新聞報道によると、捜査本部からの依頼を受け、愛犬家殺人事件の捜査で筋弛緩剤の鑑定実績のある大阪府警がクリニックの保存していた女性の血液を鑑定したところ、筋弛緩剤が検出されたという。ところが、この血液がどこでどのように採取されたかが不明で、証拠が開示されていない。
メディアは逮捕事件があると、被疑者の周辺の人たちに聞いて人物評価をするが、彼については「誰にも優しい好青年だ」とか「あってはならないような事件を起こしたとは信じられない」などというコメントばかりだった。
県警は逮捕の度に記者発表しているだけで、それ以外のニュースはすべて捜査官がリークしたか、メディアの独自取材によるものだ。県警は一回目の逮捕のときは、約三○分会見したが、「余罪はあるのか」という質問に、「あるともないとも言えない」と述べただけだ。二回目以降は、被疑事実だけを発表して、そそくさと会見場を後にしているという。
一月六日の逮捕は、県警による発表だったが、朝日新聞は当日から大量の取材陣を投入した。「品川ナンバー」の黒塗りのハイヤーが仙台の街を走り回った。「朝日のジュウタン爆撃はすごかった」と地元記者は振り返る。
NHKの報道もまるでワイドショーのようだった。ニュースを見た市民は、彼が何人も殺したと思ってしまうだろう。二月一六日午後九時のNHK「ニュース9」は、二度目の起訴と再々逮捕をトップで伝えていた。拘置所から護送車で出る被告人の映像をオンエアした。足下しか写らなかったが、顔写真を画面左下に映し出した。この日は森首相のゴルフ場会員権問題、KSD事件、沖縄の米兵による性暴力などの重要ニュースがたくさんあったのにである。
共同通信も本社社会部から警視庁キャップらを出張させて、イケイケの取材だった。共同通信の田中章社会部長は「編集局報」(一月一五日付)で、「准看護士は二十人前後の患者に筋弛緩剤などを投与しており、うち十人が死亡している。大量無差別殺人事件に発展する恐れが強い」と書いている。また田崎科学部長も「現代文明は崩壊の瀬戸際にあるのだろうか。犯罪は社会そのものの病の噴出との見方もあるから、例えば仙台で起きた准看護士による大量殺人疑惑などは、社会が壊れだしていることを物語っているとも言える。同じような筋弛緩(しかん)剤を使った犯罪が欧米で出ていることも、いずれも病院が犯行現場という異常さゆえに、社会秩序の崩壊を感じさせる」と書いている。
阿部泰雄弁護士らが記者会見した際、彼が逮捕から三日目に否認したことについて、「弁護士による洗脳があったのではないか」と会見で聞いた記者がいた。他社の司法記者が「なんというひどいことを言うのかと腹が立った」と言うほどだ。阿部弁護士は、「刑事手続きについて全く無知な記者だ。接見時間は一五分か二十分ぐらいしかない。我々が面会で洗脳なんかできるわけがない」と話している。
死刑囚の再審無罪の「松山事件」でも活躍した阿部弁護士は「記者クラブ制度で、警察べったりの記者が前よりも増えた。記者の質は明らかに落ちている」と断定した。
阿部弁護士は二月初旬、私に、「この“事件”は殺人や殺人未遂の事件ではない。筋弛緩剤は使われていないと思われる。過剰な投薬、未熟な救命救急医療、医療過誤などがあって、警察に説明を求められたために、彼を犯人にして突き出したのではないか。北陵クリニックは副院長の夫である東北大学医学部教授ら医師たちが国や県からの資金も得て、FES(機能的電気刺激)の臨床を行うために設けたが、運営二行き詰まっていた。この事件の背景には『黒い巨塔』がある」と語った。

▼母親は無実を信じている
有名女優が自分の息子が覚せい剤事件で逮捕されたことで、約半年、舞台に立てないでいる。日本では家族が刑事事件で逮捕されると、肉親まで社会的に抹殺されてしまう。中世の封建時代にあった連座制が続いている。
ところが、守大助さんの父親は、今も仕事を続けている。父親は宮城県警察本部高速隊の警部補である。
私は三月三○日、守大助さんの母親と会い、約二時間話を聞いた。守さんの父は宮城県警高速交通隊の警部補である。両親は息子の無実を固く信じている。
守さんは一月六日朝から泉警察署に任意同行を求められ、その日の夜に逮捕された。守さんには阿部泰雄弁護士ら五人の弁護人がついている。守さんは逮捕直後に自白を強要されたが、三日目から否認を続けている。三月に入って「週刊朝日」が二回、冤罪説を報じた。「急変の守」というのは誰も聞いたことのない言葉で、クリニックで溶体が急変したのは、守さんの当直以外でも多かった。筋弛緩剤が検出されたという報道があったが、証拠は全く開示されていない。
守さんが逮捕された際、両親はテレビの臨時ニュースも見ておらず、午後一二時に息子の友人からの電話で逮捕を初めて知った。警察はその友人に「両親には警察から連絡してある」とウソをついていた。
翌日朝、共同通信が電話をかけてきて「今のお気持ちは」と聞いた。答える必要はないと思ったが、「息子の無実を信じている。その他はコメントできません」と答えた。その後一カ月は、勤めを休み、妻と共に友人が経営する旅館などに避難した。
「職場に戻るとどういう目で見られるのだろうか」と心配だった。ところが、同僚たちは、ごく普通に対応してくれた。両親は泉署で事情聴取を受けたが、昔同じ職場にいた知り合いの警察官は「がんばれよ」と目で励ましてくれた。久しぶりに戻った自宅の近所の人たちも普通に接してくれている。
県警の中にも、守さんに対する捜査の仕方に批判があるようだ。
「週刊新潮」二月八日号は「最初から無罪ありきで結成された弁護団」と弁護士たちを中傷した。また「週刊現代」は守さんの親類の家まで取材した。一月一○日の産経新聞の社説は、警察官が逮捕された息子の無実を口にするのは「信頼と過信をはきちがえた」行為だと非難した。
刑事手続きに無知な人たちがメディアに多い。まだ裁判も始まってもいないのに、守さんが凶悪犯人のように扱われるメディア状況は異常である。

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