2001年2月17日
「微罪は匿名」も消えた報道現場
高松・成人式妨害青年の実名と外務省室長匿名扱い
浅野健一
日本の主要な報道機関は、政府の機密費を流用した疑いを持たれている外務省の松尾克俊・元要人外国訪問支援室長の名前を約二○日間伏せていた。新聞各紙は一月二十五日夕刊から松尾氏の姓名と顔写真を報道した。
河野洋平外相が同日午後、機密費の私的使用疑惑の存在を示した調査結果報告を発表し、外務省が懲戒免職処分としたため「実名報道」になったのだ。お上が公表するまで名前が書けないのだ。
ある民放テレビは、最初にモザイク付きの元室長の姿を映しながら、次第にモザイクを消して顔を出して、「やっとモザイクがとれました」とコメントしていた。外務省が発表したからモザイクをとるのか。どうしてモザイクをかけていたのか説明すべきだろう。
朝日新聞の場合は、一月六日に「外交機密費流用か 一時は預金二億円に」と初めて報道。その後、一七本の記事を出したが、ずっと名前を伏せていた。一月二十五日朝刊では「「業務上横領の疑いで警視庁に告発する」とまで書いているのに名前がなかった。一般刑事事件で「正確な事実の報道」「権力チェックのために実名が不可欠」というメディアが、馬やマンションを税金で買ったことが判明しているのに、姓名を書かないのは全く理解に苦しむ。
朝日新聞はかつて、神奈川県警の公安警察による共産党緒方国際部長宅盗聴の実行犯を、警察庁が認めるまで匿名にしていたのと同じだ。「警察が逮捕していないから匿名だ」と当時の社会部デスクは説明していた。
「刑事事件で身柄を拘束されたら実名」というのが朝日のルールだ。それなら、松尾氏はまだこの時点では捜査当局に逮捕されていないのだから実名にするのはおかしいのではないか。
私は一月二五日午後、朝日新聞広報室に「なぜ名前を伏せるのか」についてファクスで問い合わせた。翌日、「朝日新聞広報室」から「河野洋平外相が同日午後、機密費の私的使用疑惑の存在を示した調査結果報告を発表し、外務省が懲戒免職処分としたため実名報道にした」という回答がファクスで送られてきた。なぜ一九日間名前を報じなかったかを聞いているのに、これでは回答になっていないので、広報室に電話した。しばらく待たされて、「岡田です」という男性が出てきた。「刑事事件として立件されておらず、外務省の処分も発表されていなかったから名前を書かなかった。外務省が処分を発表したから実名を出した。刑事事件で身柄を拘束されていなければ実名を出さないというわけではない。いつも正確な報道のために実名が必要というわけではない」ということだった。なんとも分かりにくい説明だ。「ファクスでの回答がすべてで、電話での私の発言は回答ではない」と最後に言った。
報道機関の人間ほど、広報を通せなどと取材に条件を付けたり、記事にするのは困ると言ったりする職種はない。「こんな短時間で回答できるはずがない」などと言う幹部も多い。自分たちは電話一本で人に話を聞くのに、取材される側に回るとがらりと態度が変わる。
ところで、河野外相の会見の後、調査結果について三時間にわたって詳しく説明したのは阿部知之外務省官房長だった。この人こそ、一九九二年、ジャカルタの日本大使館で私を追放するためインドネシア軍にプッシュした張本人だ。当時は在インドネシア日本大使館の公使。彼の顔をテレビで見ながら当時のことを思いだした。
一月三十一日の毎日新聞は、「在外公館にも裏金」という見出しで、各国の日本大使館には機密費をプールした「スペシャルファンド」と呼ばれる裏金があり、大使が私的に流用するほか、接待費に使っていると報じた。閣僚「AA」、国会議員や経済界の大物「BB」、文化人やマスコミ関係者「CC」などのランク分けをして接待していると書いてある。
機密費の一部を使っているのが記者クラブだ。『日本大使館の犯罪』で書いたが、官邸や外務省のクラブの記者たちの中には、要人の海外出張の同行取材で、空の領収書を配ってもらって、会社に請求している不届き者がいる。また記者への多額の餞別や慶弔費も機密費から出ている。
私がジャカルタ支局長の時に、海部首相が来たが、政府の随行員と記者クラブの同行記者はホテル・ボロブドールに泊まった。首相のASEAN訪問の最後だったので、「打ち上げパーティー」が宴会場であった。乾杯の音頭をとったのが、官邸クラブの幹事社の読売新聞の官邸キャップだった。「海部首相の歴訪の成功を・・・・」とやっていた。お酒をつぐのは、日本航空のフライト・アテンダントたちで、大使館の職員の妻たちは和服を着て要人のアテンドをしていた。こうした費用も機密費から出ていたのだろう。
官邸や外務省だけではなく、各省庁には報償費がある。記者クラブの接待費や慶弔費が含まれていないかどうかチェックすべきだろう。
何十億円という公金が、領収書も保管されず、幹部の知らないところで勝手に支出されていることに問題がある。海外での情報収集などは秘密に行われるべきだから、ある程度の非公開性はやむを得ないという見方があるが、平和憲法下でそうした諜報活動は不要だろう。もし機密にすべきだとしても、米国のように一定の期間を置いて開示されるべきだ。
▼成人式騒いだ青年は即実名
「週刊金曜日」一月二六日号で山口正紀氏が、高松市の「成人式」にかかわる「威力業務妨害」事件で逮捕された五人のうち成人四人が実名報道された問題を論じているように、二十歳をすぎた市民が捜査当局に逮捕されると自動的に名前、住所、職業などが報道される。共同通信は四人の住所を番地まで伝えている。外務省の松尾元室長の住所はほとんど出ていない。
朝日新聞などは識者談話で、元検察幹部の河上和雄弁護士らに、逮捕は当然と言わせている。
高松区検は二十二日、四人を略式起訴し、少年一人を高松家裁に送致した。四人は罰金二十万から三十万円を支払い、少年ととともに釈放された。
罰金刑が決まったときには、多くの新聞が匿名報道に切り替えた。しかし、NHKは依然として実名、住所を報じた。
「フォーカス」は《2児のパパもいた 逮捕高松バカ成人の「顔」》というタイトルで、四人の顔写真を掲載。未成年の一人の顔写真には目線を入れて、「たった2カ月違いでひとりだけ顔を見せられないなんて、すごく不公平だし本人も残念に思っていることだろう」と書いた。週刊文春も家族関係などプライバシーを暴露した。
高松は私が高校卒業まで住んだふるさとだ。一月一四日に高松で講演があり、その翌日に高松でこの事件について調査した。
市役所の広報担当者は「逮捕まで行くとは思わなかった」と述べたが、市長が告発したから逮捕に至ったのではないか。なぜ告訴の罪名を威力業務妨害にしたのか、その根拠を知りたい。
増田市長は高松市のホームページにある「市長のひとりごと」(一月一五日)の中で、「行政が成人式をする時代は終わったと思います」と書いている。若者たちの暴力行為をきっかけに成人式を見直すということであるのなら、彼らの「反乱」には意味があったということになる。今年の成人式に騒動がなければ、来年も同じように式が行われるということになる。
増田市長は成人式の騒ぎの後、妨害した若者にその場で何も注意しなかったのは「目立ちたがってやっていることなので、挑発に乗ればかえって面白がると思い、無視した」(翌九日の朝日新聞)と言っていた。ところが一月九日夜、幹部ら六人の会合で告訴を決めたという。増田市長は二月二日放送のNHK「クロ−ズアップ現代」のインタビューで、事件後のテレビ、新聞の論調と、電子メールの意見に影響されて告訴したと述べている。なんという主体性のない人なのだろうかう。
市長は一月一六日付の「市長のひとりごと」では次のように書いている。
《マスコミは,早速,大学教授や評論家など,いわゆる識者と称される人々を通じて論評を加えてきました。賛否両論を併記するのはいいのですが,このような場合でも,その扱いがまったく対等というのは,釈然としませんでした。
ともあれ,圧倒的に多くの人々は,私のとった行動に賛意を示していただきました。
反対意見は,「告訴は短絡的で行き過ぎ」「大人気ない対応だ」「見せしめ,報復に過ぎない」「もっと若者たちの気持ちを理解すべき」といったものでありました。いちいち反論したい気持ちはありますが,それこそ大人気ないと思いますのでいたしません。
ところで,このような若者たちの出現や行動には,さまざまな原因が考えられると思いますが,私は戦後50数年を経たこの私たちの社会の負の遺産,陰の部分,ひずみが遂に火を噴いてきたのだと思います。それだけに,事はクラッカー事件で終わらせてはならない大きな問題であると認識しております。戦後のいわゆる民主教育がこういったところへ行き着いてきたとの思いもあります。
これからの時代,私たち大人社会が反省し,改めていかなければならないことは,あまりに多く,今回の事件がそのための一つの契機となることを心から願っております。
1月11日付けの産経新聞「産経抄」に「クラッカー騒ぎを醸成したのは,戦後教育と進歩派マスコミと人権派たちなのだ」とありました。私たちは,戦後50数年間にわたって日本と日本人をスポイルしてきたある種の民主主義、正義、人権といったものを、今こそ冷静に見直し,検証しなければいけない時期を迎えているのではないかと、切に感じております。》
まるで石原慎太郎東京都知事の発言のようだ。増田市長は革新市政の脇元市長の後継者と聞いているが、常に民主主義、平和、人権を非難する産経新聞「産経抄」を無批判に引用し、まるで人権、民主主義に問題があるかのような記述をしている。
私は一月二九日に市長あてに電子メールを送った。
《増田市長のHP読ませてもらっています。成人式の騒ぎ、大変だったとお見舞い申し上げます。私は1月15日に広報課長らとお会いして話を聞きました。
16日のHPで、増田市長がマスコミの半分が反市長だというのは事実に反します。圧倒的に5人が非難されています。さらしものです。
市長の言い分は26日の朝日も含めて、同情的に報道されています。
また市長が書かれている以下の文章は問題が多いと思います。〈1月11日付けの産経新聞「産経抄」に「クラッカー騒ぎを醸成したのは,戦後教育と進歩派マスコミと人権派たちなのだ」とありました。私たちは,戦後50数年間にわたって日本と日本人をスポイルしてきたある種の民主主義,正義,人権といったものを,今こそ冷静に見直し,検証しなければいけない時期を迎えているのではないかと,切に感じております。〉
増田市長は脇さんの後継者と聞いています。「戦後教育と進歩派マスコミと人権派たち」「ある種の民主主義,正義,人権」に敵対するかのような立場を表明されたことに驚きます。国連の人権基準、憲法などを尊重する義務が市長にはあるはずです。
私は、同志社大学で新聞学を教えています。高松出身です。戦後の民主主義教育、人権環境教育が不十分だったことこそが問題です。戦後の権力者が官僚制、企業本位でやさしさのない社会をつくってきたことに問題があります。人権派が支配した時期など戦後史に一秒もないのです。自民党と財界が今の社会をつくってきたのです。
市長のこの言葉を英語に訳してみてください。人権を大切にする人々を「人権派」と呼び軽べつする社会や新聞は、他の先進国にはありません。
「産経抄」に「プロの人権屋」とか「加害者人権だけを擁護する」などと非難されてきた一研究者・ジャーナリストとして、市長のこのパラグラフは見過ごすことはできません。
人権や民主主義を大切にするように五人も含め若い人に教育指導するのが公務員の仕事です。市長発言のこの部分を撤回してください。》
▼謝罪文を12日間も隠した市役所
ここで重大な事実が、一月二三日の毎日新聞(大阪本社統合版)で報道された。「妨害の4人に罰金」という見出し記事の末尾の段落にこう書いてあった。
《一方、5人が告訴当日の10日、連名で市長あての謝罪文を出していたことも分かった。同市秘書課によると、告訴の前に届いたが、「方針を既に決めており、司法の判断にゆだねたい」として告訴したという。》
高松市はそのことを公表せずに告訴したのだ。私が高松市の広報課長に取材したときにも、こういう事実は知らされなかった。那覇など各地で騒いだ若者が市長らに謝罪して、ある種の和解がなされたという報道があったが、高松の若者は一月一一日に出頭するまで、謝罪がなかったと思われていた。こんな重大な事実をなぜ明らかにしなかったかについて、高松市当局者は新聞記者たちに「聞かれなかったから言わなかった」と釈明しているが、これは情報操作ではないか。
私が二月二日、氏部秘書課長に聞いたところ、謝罪文を連名で書いたのは六人。逮捕された五人のほかにもう一人いた。六人のうち一人とその父親が、一月一○日午前一一時ごろ、市役所の職員に手渡した。職員は父親の知り合いだった。職員は午後一時ごろ、秘書課に届けた。社会教育課長らが高松北署に告訴状を提出したのは午後三時ごろだった。増田市長と助役はその直前に謝罪文を受け取っている。
また一月二○日ごろに、五人のうちの一人の母親が市役所を訪れ、謝罪を表明したという。
増田市長は一月一○日夕、告訴状の提出について記者クラブと約三○分会見している。その中でもこの謝罪文について何も話さなかった。秘書課長は次のように説明した。
「隠そうという意図は全くなかった。記者の質問に答える形で会見はすすんだ。記者から聞かれなかったので言わなかっただけだ。一月二二日に、毎日新聞高知支局の記者から、高知では成人式で騒いだグループの四人が橋本知事を訪問して謝罪したが、高松ではどうかという取材があったので、そこで謝罪文のことと、母親の訪問について伝えた」。
読売新聞、四国新聞、産経新聞は二四、二五日に市が謝罪文のことを隠していたことを報道したのは、毎日と読売だけだという。
一月二四日の四国新聞と一月二五日の産経新聞によると、五人のうちの一人が二三日午前、父親とともに知り合いの市職員を訪ね、増田市長への謝罪の意思を伝えた。この日は市長が出張していたため、職員が不在を告げると「ご迷惑を掛けましたと伝えてほしい」と伝言して帰ったという。また別の一人は二二日昼過ぎにに、本人が書いた謝罪文を母親が持参。高松市秘書課を通じて市長に手渡した。文書には「酒を飲んで気が大きくなって騒いだ。反省している」などと書かれていた。秘書課は同日夕方に増田市長に渡した。
四国新聞は一月二四日の記事の最後に、「また、五人は十日、連名で市長に当てた謝罪文を提出している」とさらりと書いている。
市長は五人にまだ会っていないという。会うべきではないかと思う。
氏部課長によると、増田市長は、私が一月二九日に送ったメールを読んでいるというが、市長から何の返事もない。。
▼一社だけ匿名報道した毎日新聞
マスコミの中で四人を匿名報道したのは毎日新聞だけだった。適切な判断だったと思う。
関係者によると、毎日新聞高松支局の記者は他社と同じように実名で出稿したが、大阪本社編集局次長と地方部デスクの最終判断で、匿名になったという。支局段階で匿名にするという話は全く出なかったそうだ。大阪本社から匿名にするという連絡が入った際は、直ちに同意したという。
毎日新聞大阪本社編集局に問い合わせたところ、森山三雄特別報道部長から一月二九日、ファクスで次のような回答があった。
《ご存知のとおり、毎日新聞の報道基準による「事件・事故報道における人名表記」は実名が原則でありす。しかし、「微罪事件について報道する必要があり、実名を掲載すると過度の制裁になる場合は、匿名も選択できる」としております。何が微罪事件か、何が過度の制裁にあたるかは、ケースバイケース、その時々で判断することになっています。
大阪本社編集局ではこの事件の報道につき、当日、以下のように判断した。
今回事件は、各地で見られた成人式での妨害行為に対する社会的非難が噴出する中、一罰百戒、スケープゴート的に逮捕まで踏み切った感じが強い。
行為自体は度が過ぎた悪ふざけの印象であり、妨害した5人も反省して、出頭してきている。
非難噴出の社会的状況の中で、新成人(一人は19歳)になったばかりの青年を実名で報道することは、青年達の将来を考えると、過度の制裁になる。
また、議論の過程で、「社会的に反響の大きい事件、ニュースであり、事件を正確に伝える報道機関の使命からも、実名原則を適用すべき」との意見もありました。》
毎日新聞社内では、その後、四人が起訴され、「有罪」となったことで、異論もかなり出ているようだ。
毎日新聞は昨年一二月一九日に公表した「事件・事故報道における人名表記」の中で、「実名を掲載すると過度の制裁になる場合は、匿名も選択できる」との規定が効果を表したと言える。しかし、微罪事件ではなくても、過度の制裁になる場合は多いし、成人になったばかりでなくても「将来」は考慮されるべきだ。
毎日新聞の「人名基準」は、「実名報道が原則」と規定した後、「特に、政治家・高級官僚・法曹・捜査関係者ら公的立場にある人物が、その職務に関する容疑で捜査対象になった場合は、実名扱いとする」と明記している。「匿名報道が原則」として、「特に」ではなく、「しかし」公人は顕名を原則とすると規定すればいい。
「何が過度の制裁にあたるかは、ケースバイケース、その時々で判断する」というなら、凶悪事件も含めて、「容疑者・被害者」は実名が原則という規定を捨てるべきであろう。まず匿名から出発して、記者とデスクが「ケースバイケース」で顕名にするかどうかを話し合うべきだ。
今回は微罪事件だから、大阪本社の判断で匿名になったが、微罪事件でない場合も、常に被疑者・被害者を顕名報道するかどうかの議論があるべきなのだ。「警察が逮捕したら実名だ」では議論にならない。
日本テレビの報道部長は八四年末の「11PM」で、テレビに実名報道されると懲役五年ぐらいの刑罰に匹敵すると述べていた。被疑者は加害者と決まっていないのだから、捜査段階で「適度な制裁」を与えること自体が誤っているのだが、被疑者は加害者と仮定しても、「過度の制裁」にあたらない実名報道はほとんどないだろう。
▼迷わず実名を書く記者たち
成人式の取材をした記者たちに聞いたが、「あの逮捕は山陽新聞記者への傷害事件の取調のための別件逮捕なのに報道はそれを絶対書かない。警察に気をつかっている。勾留がついたのもそのためだ」。
地元のある記者は、「逮捕されたら実名と決まっているから、記者は何の迷いもなく実名を書き、デスクもそのまま通した。議論もなく実名を書き、そのまま掲載された」と話した。四国新聞の編集局幹部は「少年などの例外を除き、逮捕されたら実名ということで、現場記者には絶対に匿名の選択はさせない。匿名でいいとなると今の若い記者は取材が甘くなる」と述べた。
朝日新聞は一九九〇年八月五日に、「編集局から」で、「微罪事件の被疑者や、単純な事件の被害者など実名を伝える必要性に比べて当事者に与える不利益が大きいケースは匿名にする」と表明。一部地方紙でも、微罪は匿名にという流れにあった。オウム報道以降、これも吹っ飛んでしまった。
若い記者たちの間では、八○年代に、実名報道主義が問われて、オールタナティブな犯罪報道のあり方として、匿名報道主義やメディア責任制度が提唱されたことを知らない記者が多い。犯罪報道の犯罪性をよく知っているデスクや中堅記者は、会社が逮捕されたら実名という報道基準を変えていない以上、実名報道が人を傷つけていることを知りながら、日々の仕事をこなさざるを得ないのだ。
この事件で暴行を受けた新聞記者、は一般紙で社名と年齢は出たが、匿名になっている。メディア界の仲間が配慮したのだろう。一般刑事事件では、犯罪被害者は本人が希望しないかぎり、匿名を原則にすべきだと思う。
しかし被害を受けた記者の属する新聞社は、ほぼ本人と推定できる署名記事を、記者の意図に反しながらも二度に渡って掲載した。さらに日本テレビ系のワイドショー「ルックルックこんにちは」では顔は出なかったものの、取材時の約束に反して、実名が流れた。この取材は新聞社の広報担当者を通して本人に取材があったという。記者は新聞社に対し、文書で抗議するよう労組を通じて申し入れた。
新聞社はある意味で、自社の記者が被害に遭ったことを宣伝に使ったようなところがあるのではないか。被害を受けたのだから、加害者に怒りを抱いてほしいという意図が垣間見えているような気がする。
「偶発的な暴力事件の被害に遭った一マスコミ産業の会社員として、自社も含めた報道被害(程度としては微々たるものですが、本人には重大なことです)を経験した次第です。微罪の別件逮捕で大きく実名報道され、そのことが被害者としての私の不安をさらに大きくしているのも事実です」と記者は語っている。
新聞記者への傷害事件は次のような経過で起きた。被害に遭った記者はクラッカー騒ぎの前から、地元の放送局のカメラパーソンと共に、会場の前方にいた。クラッカー騒ぎのときの写真はとっていないが、騒ぎの後の混乱はカメラに収めた。若者たちの中には「写真撮ったやろが」「写真を撮るなら了解をとれよ」と怒った者もいれば、「撮らんかい」と言いながらピースサインを送ったグループもいた。
五人が市長にクラッカーを投げつけた後、若者たちのグループが会場の外のホールでいざこざを起こしていた。激しいけんかも始まった。ワインや日本酒のビンが散乱していた。他社の記者は現場から離れた。暴漢たちは一人残っていた新聞記者に「クラッカーの写真を撮ったろうが」とからんだ。「フィルムを出せ」と脅された。その瞬間十数人の輪の中に放り込まれた。頭部を強く殴られ、強度の近視の彼はメガネが飛ばされほとんど何も見えなくなった。新聞記者は両手で頭を抱えていたが、猛然と蹴られ続け、ぼこぼこに殴られるなどの暴行を受けた。「殺されると思った」。記者は輪の中でうずくまって、死の恐怖を感じていた。靴は見えたが、顔を見ていない。
医者で全治三日と診断された。
この事件はごった返した群集の面前で起きた。現場近くには市職員や「二十歳の献血」を行っていた赤十字の職員もいたのに、誰も記者を助けようともしなかった。会場内には多数の市職員がいたはずだ。現場に戻ってきた記者仲間が110番通報した。
記者は「人を呼んで」と言ったが、誰も協力してはくれなかった。加害者から逃れるようにして現場から自力でよろよろと去り、パトカーが到着したのでそこまで自力で行き、警官に事情を説明。その後、警官が別の場所に移動したため、記者は一人でパトカーの外で、お礼参りを恐れ、おびえながら待っていた。
切れる若者も怖いが、犯罪を目撃しても知らん顔をしてしまう社会も怖い。
別の記者は「成人式だから暴れたというより、どこにもいる暴漢が成人式場でも騒いだということで、成人式のあり方が問われたという報道自体がおかしい」と指摘した。
被害者の記者はこう振り返る。
《少なくとも私は彼らの別件逮捕、実名報道には反対です。もっとも職場で匿名報道を主張しても相手にされないでしょうが。私も実名報道に関わり被害を出してきました。その責任は免れないと思います。半ば機械的に書いてきた記事がいったいどんな結果を招いたのか知る由もなく、想像する余裕もなく過酷な労働に追い立てられてきました。しかし、経営者の命令がなければわざわざ報道加害に加担したでしょうか。記者個人の良心や見解にかかわらず、意にそぐわない記事を書かされ人を傷つけているのです。
今や、日本のマスコミ産業にジャーナリズムとして期待するものはきわめて少ないと感じます。私同様に、書きたくない記事を書かされて、やりたくない取材をやらされ、人を自分を傷つけて苦悩している会社員記者は全国にごまんといることでしょう。サラリーマン記者に「書かない自由」が保証されていないことがより本質的な問題ではないかと思います。労働条件すらめちゃくちゃなのですから・・・。匿名にしたい記事を上司が実名にかえた経験が私にも何度もあります。これは社員記者自身の精神衛生上もきわめてよくありません。
報道加害の前線にいる記者というのは、戦場に駆り出され、場合によっては洗脳され、人殺しを強いられる兵士みたいなもんじゃないかと思います。もう金輪際、実名入りの事件報道を含め良心に反する記事は書かないと心に誓いました。そのことで会社がいったいどういう対応をしてくるか・・不安であり楽しみでもあります。その際にはまたご相談いたしますのでよろしくお願いいたします。》
新聞記者にも「良心的兵役拒否」の権利を認めるべきではないか。良心に従って書かないことを守るのが、新聞労連の「新聞人の良心宣言」であったはずだ。
新聞、通信社の女性記者はまだ八%(七〇年前後は一%だった)で、女性に対する明らかな就職差別がある。管理職の女性の比率は一%以下だ。朝日新聞は女性記者に、取材先でセクハラされるからという理由で、スカートやキュロット(脚が見えるという理由で)をはかせない時期があった。夜遅く、一人住まいの警察や検察の幹部の住居に夜回りさせるのだから、性暴力の危険に毎日のように遭わせているようなものだ。
新聞はオジサン(妻はほとんど家庭にいる)がつくっている。男で、「有名大学」卒で、非「障害」者が紙面をつくっている。ほとんどのメディアは採用時に、興信所を使っている。労働時間が異常に長い。若い記者は睡眠時間3時間前後で、一昔前のたこ部屋みたいだ。一カ月の残業が三〇〇時間を超えることも珍しくない。タバコの煙が常に充満している職場も少なくない。
また在日外国人はメディアになかなか就職できない。大新聞、通信社は八〇年代後半まで、外国人をほとんど採用してこなかった。NHKは九六年が初めてだった。中国からの留学生が合格したが、NHK人事部員は「日本国籍をとってほしい」「中国籍の君がNHKワシントン特派員になったらややこしいからだ」と迫ったという。
フランスでは編集方針に合わない記者は、次の勤務先を探すための資金をもらえる「良心の宣誓」が法律で認められている。一種の良心的兵役拒否だ。「ル・モンド」では投票で社長を選ぶ。「女房・子供が病気でも、夜討ち朝駆けなんのその、男新聞記者は今日も行く」(黒田清氏)などという古い感覚を捨てるべきだ。サツ記者は女性にはできないというオジサンがいるが、今の非人間的な仕事は、「人間」にはできないのだ。
▼社内議論を公開した聖教新聞
一月十六日付の「聖教新聞」は「横並び、速報競争など他山の石に 成人式で騒いだ若者の実名報道 」という見出しで次のように書いた。
《新世紀初の成人式は、各地で暴行騒ぎなどが相次ぎ、“学級崩壊”に比して“成人式崩壊”と話題になった。高松市では、市長に向けてクラッカーを鳴らし、式典を妨害した五人が威力業務妨害の疑いで逮捕された。確かに傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な振る舞いは度を越していた。
逮捕後、十九歳の一人を除いて実名、住所(町名)、職業などが一斉に報じられた。在京の主要全国紙でも、十二日付朝刊で匿名(とくめい)報道したのは毎日新聞だけ。本紙も検討の上で実名報道したが、編集局内には「彼らの行為と報道の影響とのバランスを考えると、匿名でもよかったのではないか」という声もあった。
この報道は、現在の「実名・匿名報道」基準の限界をあらわにしたといえよう。今後、どの程度の事件まで実名報道するのか、線引きは事実上困難だ。公人などを除いて原則匿名で報道する「匿名報道主義」の導入は有効な解決策の一つとなろう。
高松市の四人は、実名報道されたことにより、法的な償いを終えた後も世間の目にさらされ続ける。まさに社会的な制裁になりかねない。彼らの家族が被(こうむ)る不利益も考えれば、代償は大きすぎるのではないか。
今回の報道を省(かえり)みると、“悪いことをしたのだから叩(たた)かれて当然”“成人になったのだから責任の重さを教えてやらねば”といった、上から見下すような視線はなかっただろうか。実は、マスコミ側のこの「目線の高さ」が、しばしば報道被害を引き起こす元凶になっている。
「踏まれた痛みは、踏んだ人にはわからない」というが、視点が高すぎると“踏んだこと”すら気づかない。一人の記者は小さくても、マスメディアという集合体はとてつもない巨体を持っているのだ。踏みつぶされる側はたまらない。 今回に限らず「実名報道は本当に必要なのか」と自問することは、高くなりがちなマスコミの視点を書かれる側の位置まで下げる。報道被害の予防にも役立つだろう。 (落合克志記者)》
聖教新聞は時事通信から配信された記事をそのまま掲載しているが、配信された記事が真実かどうかをチェックできない以上、匿名原則にすべきではないかという意見が出て、一月三一日から報道基準の見直しを始めた。
▼当事者になってはいけない?
毎日新聞高松支局の久田宏記者が二月七日付で「記者の目」で《大反響に一変、「微罪」告訴 大人げなかった大人側 成人式クラッカー事件》と次のように書いている。増田市長の姿勢を適切に批判したすばrしい記事である。
《各地で荒れた今年の成人式。中でも新成人が市長にクラッカーを鳴らした高松市は、橋本大二郎・高知県知事が一喝した高知市とともに繰り返し報道された。これをきっかけに成人式のあり方と絡めた現代の若者を巡る論議は、1カ月を経ようとする今も続いている。現場で取材した私は、多くの人が忘れているだろう新成人による山陽新聞記者への傷害事件は早く解決して厳しく処罰すべきだと思う。だが、クラッカーを鳴らした5人が逮捕され、うち4人が罰金刑を受けた展開には異論がある。迷惑行為をした5人の肩を持つ気はないが、「大人」の側の反応は、微罪に罰を与えることに固執した、感情的で実に大人げないものだったと思う。
1月8日に高松市の総合体育館であった成人式では、開始直後から会場最前列で十数人の新成人が酒を飲み、やじを飛ばしていた。増田昌三市長が祝辞を述べ始めると、5人が駆け寄ってクラッカーを鳴らし、クラッカーのかすを投げ付けた。だが市職員はなだめるだけで、強く制止したり退場させようとはしなかった。体育館のロビーで起こった新成人同士のけんかや記者への暴行も、止める職員はいなかった。暴行に危険を感じて110番通報をしたのは私だ。
増田市長は、終了直後の会場で取材した時、けんかや傷害事件をまだ知らなかったとはいえ、「式は平穏に進んだ」と話した。クラッカーのことは問題にしていなかったのだ。香川県警高松北署も傷害事件では、すぐ捜査を始めたものの、クラッカー事件の方は、市長が無視してあいさつを最後まで続けたため、捜査現場では当初、威力業務妨害に当たるのか否かについて、慎重な考えが主流だった。
ところが、8日夜からテレビでクラッカーが鳴らされた瞬間の映像が繰り返し全国に流れると、鳴らした新成人に厳しく対応するように望む意見が、全国から電子メールで市長に続々寄せられ始めた。9日朝の地元紙1面コラムは、クラッカーを鳴らした新成人を「法律で厳正に処罰してあげてこそ『はなむけ』になる」などと市に告訴を求めた。増田市長は、反響のあまりの大きさに態度を変えた。10日、クラッカー事件の5人を氏名不詳として威力業務妨害容疑で高松北署に告訴。実は同日の告訴前に、5人は市長あてに謝罪文を出していた。どこが氏名不詳なのか。市側は5人に直接対応することなく、準備していた告訴状に謝罪文を添えて提出した。そして、市は告訴の記者発表では、なぜか謝罪文が出ていることを伏せた。
増田市長はその日の記者会見で、「彼らには言動に責任をとってもらう必要がある。猛省を促したい」と述べた。一方で「全国的に報道され、地元出身者から大変な怒りや悲しみのメールを頂き、事の重大さにびっくりした」と、反響の大きさが告訴の理由の一つだったことを認めた。クラッカーを鳴らされた時に、その迷惑行為を無視した理由を、市長は「挑発に乗りたくなかった」と説明する。だが、後で「行政による告訴」という強硬手段をとったのは「挑発に乗った」のではないのか。考えに一貫性がないと言わざるを得ない。
高松北署は11日、出頭した5人を逮捕した。5人は「式を盛り上げようと面白半分で騒いだが、大きく報道されて大変なことをしたと反省している」と話したという。12日間の拘置の末、20歳の4人は30万〜20万円の罰金刑を受け、19歳の1人は家庭裁判所に送られて、ともに釈放された。高松市の成人式に対する怒りの声が、これほどわき上がったのは、各地の成人式で、新成人が私語をやめなかったり、携帯電話をかけるなどマナーの悪さが問題になっていたことと、若者のマナーの悪さに対してどう対処すべきか、大人の側に議論があったからだ。
こうした状況の中で、テレビカメラの前で映像的に分かりやすいクラッカー事件が起き、鳴らした5人は怒りのターゲットになった。記者への傷害は間違いなく刑事事件だが、クラッカー事件は刑事事件としては「微罪」だ。ところが、高松市が告訴を検討していると報じられると、市長に寄せられる電子メールはほぼすべてが、告訴し刑事罰を与えることを支持する内容になった。若者に対して確かな将来を約束できないのが、現在の日本社会だ。だから、大人の側は若者を従わせようとして、安易に脅しや厳罰を求めてしまうのではないか。今回の事件は、明らかな「ワルさ」をし、立場の弱くなった5人が「とにかく処罰を」と強硬姿勢を示す人々の声で「見せしめ」にされたのだ。
繰り返すが、もちろん彼らがやったことは幼稚でばかばかしく、認められる行為ではない。だが、「大人」の側にも、迷惑な行為をしかり、立ち向かう意思や気迫が欠けていたのではないか。処罰に向かう流れの中に、何か「フェア」でない、危険なにおいをかいだ気がする。》
この記事では、逮捕された五人が市長の告訴前に謝罪文を出していたことを伏せた経緯を伝え、「どこが氏名不詳なのか。市側は5人に直接対応することなく、準備していた告訴状に謝罪文を添えて提出した。そして、市は告訴の記者発表では、なぜか謝罪文が出ていることを伏せた」と指摘した。
市長は五人(実際は六人)から出された謝罪文を本人たちの了解もなしに警察に提供したのだ。市の広報公聴課長も秘書課長も、市長が謝罪文を警察に出したことは私のインタビューでも言わなかった。私が聞かなかったからだろうか。しかも氏名不詳」で告訴した。
この「記者の目」を読んだ毎日新聞大阪本社の編集局幹部は「こんな事実があったのか」と驚いたという。
一月二六日に行われた市長の定例会見で、一部の記者が謝罪文の提出の事実を伏せていた問題を追及したが、市長は「告訴の方針を既に決めていた」としか説明しなかった。
市当局が謝罪文提出を伏せていたことをきちんと報道したのは毎日新聞と読売新聞だけだという。
久田氏が110番したことについて、一部の記者は「新聞記者は当事者になってはいけないんだ」と非難しているという。新聞以外の事業に幅広く手を出したりする新聞も多い。高校野球やワールドカップの当事者になったり、大学入試問題に一番よく出題されるなどと宣伝している新聞社にそういう資格があるのだろうか。目の前で市民の人権が侵されているとき、助けるのは当然の義務だろう。「当事者」云々はマンガだ。(以上)
Copyright (c) 2001, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2001.02.17