2001年2月17日

続・高松成人式の捜査と報道

浅野健一

▼当事者になってはいけない?
 毎日新聞高松支局の久田宏記者が二月七日付で「記者の目」で《大反響に一変、「微罪」告訴 大人げなかった大人側 成人式クラッカー事件》と次のように書いている。増田市長の姿勢を適切に批判したすばらしい記事である。
 《各地で荒れた今年の成人式。中でも新成人が市長にクラッカーを鳴らした高松市は、橋本大二郎・高知県知事が一喝した高知市とともに繰り返し報道された。これをきっかけに成人式のあり方と絡めた現代の若者を巡る論議は、1カ月を経ようとする今も続いている。現場で取材した私は、多くの人が忘れているだろう新成人による山陽新聞記者への傷害事件は早く解決して厳しく処罰すべきだと思う。だが、クラッカーを鳴らした5人が逮捕され、うち4人が罰金刑を受けた展開には異論がある。迷惑行為をした5人の肩を持つ気はないが、「大人」の側の反応は、微罪に罰を与えることに固執した、感情的で実に大人げないものだったと思う。
 1月8日に高松市の総合体育館であった成人式では、開始直後から会場最前列で十数人の新成人が酒を飲み、やじを飛ばしていた。増田昌三市長が祝辞を述べ始めると、5人が駆け寄ってクラッカーを鳴らし、クラッカーのかすを投げ付けた。だが市職員はなだめるだけで、強く制止したり退場させようとはしなかった。体育館のロビーで起こった新成人同士のけんかや記者への暴行も、止める職員はいなかった。暴行に危険を感じて110番通報をしたのは私だ。
 増田市長は、終了直後の会場で取材した時、けんかや傷害事件をまだ知らなかったとはいえ、「式は平穏に進んだ」と話した。クラッカーのことは問題にしていなかったのだ。香川県警高松北署も傷害事件では、すぐ捜査を始めたものの、クラッカー事件の方は、市長が無視してあいさつを最後まで続けたため、捜査現場では当初、威力業務妨害に当たるのか否かについて、慎重な考えが主流だった。
 ところが、8日夜からテレビでクラッカーが鳴らされた瞬間の映像が繰り返し全国に流れると、鳴らした新成人に厳しく対応するように望む意見が、全国から電子メールで市長に続々寄せられ始めた。9日朝の地元紙1面コラムは、クラッカーを鳴らした新成人を「法律で厳正に処罰してあげてこそ『はなむけ』になる」などと市に告訴を求めた。
 増田市長は、反響のあまりの大きさに態度を変えた。10日、クラッカー事件の5人を氏名不詳として威力業務妨害容疑で高松北署に告訴。実は同日の告訴前に、5人は市長あてに謝罪文を出していた。どこが氏名不詳なのか。市側は5人に直接対応することなく、準備していた告訴状に謝罪文を添えて提出した。そして、市は告訴の記者発表では、なぜか謝罪文が出ていることを伏せた。
 増田市長はその日の記者会見で、「彼らには言動に責任をとってもらう必要がある。猛省を促したい」と述べた。一方で「全国的に報道され、地元出身者から大変な怒りや悲しみのメールを頂き、事の重大さにびっくりした」と、反響の大きさが告訴の理由の一つだったことを認めた。
 クラッカーを鳴らされた時に、その迷惑行為を無視した理由を、市長は「挑発に乗りたくなかった」と説明する。だが、後で「行政による告訴」という強硬手段をとったのは「挑発に乗った」のではないのか。考えに一貫性がないと言わざるを得ない。(略)
 高松市の成人式に対する怒りの声が、これほどわき上がったのは、各地の成人式で、新成人が私語をやめなかったり、携帯電話をかけるなどマナーの悪さが問題になっていたことと、若者のマナーの悪さに対してどう対処すべきか、大人の側に議論があったからだ。
 こうした状況の中で、テレビカメラの前で映像的に分かりやすいクラッカー事件が起き、鳴らした5人は怒りのターゲットになった。記者への傷害は間違いなく刑事事件だが、クラッカー事件は刑事事件としては「微罪」だ。ところが、高松市が告訴を検討していると報じられると、市長に寄せられる電子メールはほぼすべてが、告訴し刑事罰を与えることを支持する内容になった。
 若者に対して確かな将来を約束できないのが、現在の日本社会だ。だから、大人の側は若者を従わせようとして、安易に脅しや厳罰を求めてしまうのではないか。今回の事件は、明らかな「ワルさ」をし、立場の弱くなった5人が「とにかく処罰を」と強硬姿勢を示す人々の声で「見せしめ」にされたのだ。
 繰り返すが、もちろん彼らがやったことは幼稚でばかばかしく、認められる行為ではない。だが、「大人」の側にも、迷惑な行為をしかり、立ち向かう意思や気迫が欠けていたのではないか。処罰に向かう流れの中に、何か「フェア」でない、危険なにおいをかいだ気がする。》
 この記事では、逮捕された五人が市長の告訴前に謝罪文を出していたことを伏せた経緯を伝え、「どこが氏名不詳なのか。市側は5人に直接対応することなく、準備していた告訴状に謝罪文を添えて提出した。そして、市は告訴の記者発表では、なぜか謝罪文が出ていることを伏せた」と指摘した。
 市長は五人(実際は六人)から出された謝罪文を本人たちの了解もなしに警察に提供したのだ。市の広報公聴課長も秘書課長も、市長が謝罪文を警察に出したことは私のインタビューでも言わなかった。私が聞かなかったからだろうか。しかも氏名不詳」で告訴した。
 この「記者の目」を読んだ毎日新聞大阪本社の編集局幹部は「こんな事実があったのか」と驚いたという。
 一月二五日に行われた市長の定例会見で、一部の記者が謝罪文の提出の事実を伏せていた問題を追及したが、市長は「告訴の方針を既に決めていた」としか説明しなかったという。
 市当局が謝罪文提出を伏せていたことをきちんと報道したのは毎日新聞と読売新聞だけだという。
 久田氏が110番したことについて、一部の記者は「新聞記者は当事者になってはいけないんだ」と非難しているという。新聞以外の事業に幅広く手を出したりする新聞も多い。高校野球やワールドカップの当事者になったり、大学入試問題に一番よく出題されるなどと宣伝している新聞社にそういう資格があるのだろうか。目の前で市民の人権が侵されているとき、助けるのは当然の義務だろう。「当事者」云々はマンガだ。(以上)

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