2001年1月9日


三一独立運動から学ぶ「東洋平和」
「日本支配下の裁判」に関する日韓共同研究会の報告

浅野 健一

 来年のサッカーのワールドカップ(W杯)を共催する日本と韓国が史上初の合同チームを結成して世界選抜チームと対戦した試合を一月三日、テレビで見た。「日韓が合同チームをつくるなんて今までは考えられなかった」と三浦知良選手がコメントしたように、両国の過去の歴史を考えるとき、まさに「正夢」が新世紀の幕開けに実現したと思う。
 スポーツの世界では、日韓の新時代が切り開かれているが、三十一年間にわたる日本の植民地支配の精算は、今世紀に持ち越されたと言わざるを得ない。日本軍慰安婦などの国家賠償問題は未解決のままで、朝鮮民主主義人民共和国とはいまだに国交がないからだ。
 韓国の金大中(キム・デジュン)大統領が九八年十月に訪日した際、日本政府は「植民地支配に対する痛切な反省と心からのお詫び」を共同声明に盛り込み、両国首脳は未来志向を強調し、「両国の国民、特に若い世代が歴史認識を深めることが重要である」との考えで一致した。しかし、金大統領は小渕首相(当時)との首脳会談で「歴史問題で首脳が合意しても、その後、さまざまな発言や雑音があって疑念が生じた。今後はそうした発言がないことを希望する」とクギを刺している。
 日本国民が朝鮮をはじめアジア太平洋の国々に何をしてきたかを正確に知ることが今世紀初頭になすべき仕事だと思う。
 その一つの作業として、日韓の学者による「日本統治下の裁判」に関する共同研究会(代表、笹川紀勝・国際基督教大学教授)の初会合が昨年十二月二十五日から二日間ソウルの国民大学で開かれた。この共同研究にはトヨタ財団が助成金を出している。
 日本側は笹川代表ら十人で、私もメディア論の専門家として参加した。
 共同研究会は一九一九年三月一日に朝鮮民衆が独立を求めて起した「三一独立運動」で拘束された人たちの裁判の判決を調べるころから始めた。三一運動には二百万人以上が平和的なデモンストレーションに参加し、朝鮮総督府の弾圧で七五○九人が殺害され、五万二七七○人が検挙された。三一運動は中国の「五・四」運動や、インドのガンジーらによる非暴力主義抵抗運動に影響を与えたといわれる。
 日本の司法当局には全くといっていいほど裁判記録は残っていない。笹川教授は十年前から、韓国の金哲洙・ソウル大学名誉教授、金勝一東国大学兼任教授らの協力を得て、韓国各地で三一運動で逮捕された人々の裁判記録を調べてきた。先行研究を分析する一方、韓国の政府記録保存所、国史編纂委員会のマイクロフィルムを根気よく調べ、約一六○○の判決文を見つけた。事件ごとに、予審関係、地方法院(地裁にあたる)、覆審法院(高裁)、高等法院(最高裁)の各判決をリストアップして、先行研究の著書とも照合して一覧表を作成した。このうち主な判決文を「三一独立運動判決精選」として三巻にまとめ、昨年末、共同研究者用に限定して出版した。
 韓国側の専門家によると、三一運動だけで約一万件の裁判があると見られ、「まだ第一ステップの段階にすぎない」(笹川教授)のだ。研究会では四五年に植民地支配が終わるまでの裁判の調査も視野に入れており、今後も気の遠くなるような作業が必要だ。
 三一運動は世界史的に見ても、最初の非暴力抵抗運動だった。裁判記録を分析すると、朝鮮総督府の司法官僚が国際世論を念頭において裁判を進めざるを得なかったことも分かる。三二人の署名で発表された「朝鮮独立宣言書」冒頭は次のようにうたっている。
 「私たちはここに、我が朝鮮が独立国であることと、朝鮮人が自由の民であることを宣言する。このことを世界の全ての国や民族に告げ、人類平等の大いなる道義を明らかにするものである。このことを子々孫々にまで教え伝え、民族が自らの生を独自に営む正当な権利を永久に持つことを主張するものである」。
 池明觀・元東京女子大学教授は、「三一独立運動判決精選」序文に次のように書いている。
 「(この三一運動は)自分の国を武力で支配した日本を憎んではならないと言う。日本と朝鮮と中国が真の『東洋平和』を打ち立て、『世界平和』『人類幸福』に貢献したいと言う。そして日本をアジア支配の『邪路』から引きだすこの戦いに暴力を使ってはならないと言う。日本を糾弾するためではなく、三・一独立運動の精神に従って日韓関係の正しいあり方、『東洋平和』、『人類幸福』を求めるためである。このような発想がいったいどこからきたのであろうか。そうして彼らはいのちを失い傷つきまた捕われた。この彼らを裁いた法廷の記録をこのたび日本の社会に向けて公開しようとするのである。それは日本を糾弾するためではなく、三・一独立運動の精神に従って日韓関係の正しいあり方、『東洋平和』、『人類幸福』を求めるためである」。
 今回の共同研究会が開催された国民大学は、三一運動のころ、上海で臨時政府をつくった閣僚の一人、申翼煕が創立した大学だ。鄭城鎮・国民大学総長は研究会の開催にあたって「支配した側と支配された側では歴史に対する見方が異なり、難しいことも多いかもしれないが、日本による支配で実際に何があったかを明らかにしてほしい」とあいさつした。
 韓国側を代表して劉準基・總神大学副総長は「日本では過去の歴史をねじ曲げ、侵略の事実を美化する動きが強まっていることを歴史研究者として憂慮している。こうした中で歴史を真正面から見ようとする学者の皆さんが集まったことを心から歓迎したい」と述べた。
 これを受けて笹川教授は「無名の人々が高等法院まで争っている。一つ一つの裁判に人間の尊厳がかかっている。それで、支配者から見ると犯罪であるとして行った裁判の記録が、結果として、被支配者の抵抗の実態を皮肉にも残すことになった」と語った。
 私は、三一運動を日本の新聞がどう報道したかや、運動に朝鮮人ジャーナリストがどうかかわったかなどについて研究したいと表明した。
 会場の参加者も交え、両国の法学、教育、歴史、文学など幅広い分野の研究者が活発に議論し、@裁判の独立性は保障されていたかA宗教者・文学者・言論人など運動の主体になった人たちの分析B地域性による差異C日本の植民地支配の欧米との比較ーなどを今後検討することになった。
 九五年に村山政権下で、日韓両国政府は共通の歴史教科書をつくることで合意した。第二次世界大戦後に、ドイツとポーランドが統一教科書をつくったように、両国の専門家が納得のいくまで議論して完成させたい。
 日韓共同研究会のメンバーの何人かは、日本の侵略戦争の責任に答えるための「日本の侵略責任答責会議」(代表・寿岳章子元京都府立大学教授、祖父江孝男放送大学教授)のメンバーと重なっている。今年の十二月七、八日には同志社大学(今出川本部)で「答責会議」の第?回シンポジウムが開かれる。甲山事件の無実の元被告、山田悦子さんの呼びかけで十年前にできたこの答責会議は、日韓交代で毎年シンポジウム(第一回は一九九一年八月)を開いている。一九六五年の日韓条約を見直し、両国民の尊厳確立のための新条約締結を求める声明を出すなどの活動を続けてきた。
 二一世紀は平和で、人権と民主主義が確立される世紀でなければならない。特に東アジア全体が欧州連合(EU)のような共生の地域になるためには、日本がドイツが行ったように過去の歴史的事実を直視し、近隣諸国の人々が納得する謝罪と補償を果たすことで、平和のリーダーとして地域に貢献するべきだと思う。

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