2002年9月1日
朝日パリ支局長を通して見える日本の右傾化
 欧州「極右」とメディア
  記者に考えてほしいこと

                  浅野健一(同志社大学教授)

[以下の文章は、週刊金曜日2002年5月24日号「人権とメディア」の原稿に加筆したものである。同記事については、学習塾自営の塩見元彦氏の投書が同誌6月21日号に掲載されたので、塩見氏への私の再反論も入れた。国際的な基準から見て、現在の日本が「極右化」していると私は思っているので、欧州の極右に対する闘いの本質を見誤ってはいけないと思う]

*「極右」阻止のバリケードを
 「ルペンが負けたから、私たちはフランスに残る。残れるのだ」。五月五日投開票が行われたフランス大統領第二回選挙で、現職のシラク氏(保守・共和国連合)が極右政党、国民戦線党首のルペン氏に完勝したことが判明した夜、小雨の降るパリ中心部の共和国広場で、勝利を祝って深夜まで気勢を上げる人々の輪の中にいた。
 私は四月一八日から英ウエストミンスター大学の客員研究員を務めているが、同二一日に行われた仏大統領選第一回投票で、最有力候補のジョスパン首相(社会党)の得票が二位になったルペン氏を下回り、上位二人で争われる決選投票に残れなかった。移民排斥と欧州連合(EU)反対を掲げるルペン氏の台頭は欧州全体に衝撃を与え、フランス内外で市民、労働者が「ネオファシズムにバリケードを」と呼び掛ける反ルペンデモが頻繁に行われた。
 決選投票をこの目で見ようと、五日早朝、ユーロスターでパリに向かった。パリ一六区の小学校で投票風景を見た。投票に来た労働者が「前回は多くの人が棄権した。今度はファシズムにノン(否)を表明するために投票した」と話した。
 勝利集会には若者たちとアフリカ北部からの移民が目立ち、アラビア語が飛び交った。フランスの三色旗とともに、アルジェリアなど出身地の国旗を振る人もいた。ある移民は「この選挙で勝たなければフランスを離れなければならなかった」と言って、飛び跳ねていた。
 敗れたルペン氏は「既成政党は子供まで駆り出し、旧ソ連型の選挙運動で私たちを攻撃した」と批判した。
 翌日のフランス各紙は「OUF!(やれやれ、ふう)」(フィガロ)などの大見出しで安堵の気持ちを表した。英国の各紙も左右を越えて、「この選挙の勝者はシラク氏ではなく、フランスの人民だ」(ガーディアン)などと論評した。
 しかし、ルペン氏は第一回投票の得票率を一%上積みし、ドイツ国境に近いアルザスなどでは三〇%以上を獲得した。他の欧州諸国でも人種差別主義者が増えており、今後に注意が必要だと思った矢先の翌日六日、オランダで極右政党党首のピム・フォルタイン氏が、一五日の総選挙投票日を前に環境活動家によって銃殺された。フォルタイン氏は「オランダの価値観に沿おうとしない移民は不要」「イスラムは遅れた文化」などという発言を繰り返していた。
 
*大野博人記者のコラム批判
 ロンドンに戻ると、大学の教員たちは「一番いいときに欧州に来ましたね」と言ってきた。世界各地から来ている大学院の学生たちはクラスで「民主主義にとって危険な極右はつぶさなければならない」「欧州統合、通貨統一が進む一方で、移民排斥、反EUの扇動も確かに人々の心をつかんでいる。フォルタイン氏たちの言うこともわかる」などと真剣に議論していた。
 そんな雰囲気の大学を出て、アパート探しに訪れた日系不動産屋で、九日付の朝日新聞国際版をめくっていたら、大野博人パリ支局長による「記者は考える」というコラムの《「極右」を通して見える日本人》という見出し記事があった。(注1)
 大野氏は、ルペン氏を《「極右」と呼ぶのに少し気が引ける》という書き出しで、彼が率いる国民戦線が「非合法政党」ではなく、《移民を減らすための方法としての理想と考えている国籍法の一つは日本のものなのだ》と述べる。
 続けてこう書いている。《両親が外国人で、日本で生まれ育った若者を想像してみよう。少年時代、かなり素行が悪く、警察の世話にもなり、言葉もあまり堪能ではないとする。彼が成人して、両親の国の国籍も捨てないまま、日本の国籍を取りたいと言ったら、日本人はどう考えるだろう》
 大野支局長は、彼が日本では国籍を取るのが難しく、フランスなら自動的に国民になると指摘し、《フランスでは、外国人とは国民になるかもしれない人たちでもある。それをおかしいと考えて、国籍法改正を叫んでいるのがルペン氏たちだ》と論じる。
 その上で、《日本が「極右」でないのならわれわれも「極右」ではない》という国民戦線副党首のコメントを引用して、《国籍法だけで日本を「極右」と決め付けるのは無理だ》など主張。最後に、《その思想には日本人の感覚と重なる部分を持っている》《自分とは無関係なキワモノだと考えてすますべきではない》と述べている。
 その後に、ルペン氏に否定的な言説も述べ、日本への警告を発しているかのように巧妙に書いているが、《人種差別的言動を繰り返す》《移民排他を目論む》ことは、多様な民族、文化が共生すべき国際的な潮流に反する行為であり、断固反対していかなければならないという構えが全く感じられない。むしろ、「移民排斥主義者」の感性に理解を示しているように私には思える。
 特に、「素行の悪い」移民の例を持ち出して、短絡的かつ情緒的に反移民論を展開するのはルペン氏の煽動の手口と酷似している。この記事を英語や仏語に翻訳したら、人権感覚を疑われるであろう。よくこんな記事が掲載されたものだと思った。
 南仏に住むフリージャーナリストの三崎由美子さんは《欧州の人々は「自分とは無関係なキワモノだと考えてすます」のではなく、死刑復活や人種差別を公然と主張するルペン氏ら極右の思想・政見の実像、その行きつくところの恐ろしさを知り尽くしているからこそ、「キワモノ」の位置に封じ込めようとしている、私はこのように欧州の見識を感じた。また、「その思想が日本人の感覚と重なる部分を持っている」とはどういうことだろう。「日本人の感覚」ではなく、「オレは純粋な日本人だ」といったようなご自身の感覚と言うべきではないだろうか》と指摘している。
 また、ルペン氏が今回の大統領選挙で日本型の国籍法導入を提唱していたというのも初耳だが、日本の「戸籍」制度こそ中世の封建主義の遺物であり、血統主義・純血主義に固執する日本の国籍法こそ改正されなければならないのではないだろうか。
 「日本で生まれ育った外国人」の多くは強制連行などで日本に来た在日朝鮮・韓国人の子孫だ。京都に住む在日朝鮮人の友人は《日本政府は戦争責任について十分な補償もしていない。国際人権規約や難民条約を批准しておきながら、年金、福祉などの法律に「国籍条項」を設け、在日朝鮮人を差別している事実を大野氏はどう認識しているのか》と問い掛けている。
 「国民」とは別に市民、住民という概念があることを見ない姿勢はまさに「反動極右」と言ってもいいだろう。
 日本こそ血統主義を捨てるべきなのだ。天皇が2001年12月18日に宮内記者会の記者たちに、自分の先祖は朝鮮から来たと表明した。
 日本は外国人に対して、国籍取得の条件として、「素行の健全な日本社会に有益なる者」に限定している。「帰化」と呼ばれるように、外国人は自分の民族、文化などのアイデンティティを放棄することを強制されている。在日朝鮮人に対しても同様である。
 ほとんどの国のように「外国人とは国民になるかもしれない人たちでもある」社会にするには、どうしたらいいのかを、記者は考えるべきではないか。
 多くの日本人がかつて南北アメリカに移民した際に、激しい日本人排斥運動で傷ついたことも忘れてはならない。

*追放された記者を見殺し
 大野記者は今から約12年前、私が共同通信のジャカルタ支局長時代に約二年間一緒だった。
 私が1992年4月初め、スハルト軍事政権から突然、追放命令を受けた際、大野氏は何の支援もしてくれなかった。日本大使館は、インドネシア当局の追放命令に連動して、ジャカルタ駐在の日本の報道機関に発行していた「日本人記者」取材パスが無効になったと、日本人記者会の幹事社を通じて通告してきた。当時、ジャカルタには共同、朝日のほか毎日、読売、日本経済、NHKの特派員(6社、6人)がいた。
 大使館の文化広報部長は、「今後、大使と日本人記者との懇談の場にも出席できない」と伝えてきたので、私は強く抗議した。大使館の中は日本に主権がある。大使館の措置について、読売新聞以外の特派員4人(NHK、毎日、日本経済、朝日)はそれを黙認した。大野氏を含む4人はインドネシア当局の追放に抗議するどころか、追放を仕組んだ日本大使を擁護したのだ。後にアラタス外相が私に明らかにしたところによると、日本大使館が私を追放するようインドネシア治安当局に要請したという。
 とりわけ、大野氏と日本経済新聞の小牧特派員は当時の国広道彦大使(スハルト元大統領、丸紅支店長らと盟友)と一緒になって、私の排除に加担したと私は思っている。当時私の立場を理解してくれたのは、読売新聞の服部眞特派員だけだった。
 このあたりの経過は『出国命令』(『日本大使館の犯罪』と改題して講談社文庫)に詳しく書いたので参照してほしい。
 大野氏は日本経済新聞特派員と共に、私の長女の人権を侵害した。私が強制退去された時、長女は現地の国際高校の最終年だった。卒業しないと日本の大学に帰国生徒枠で受験できないし、この学年では日本の高校へに編入することもできないので、彼女の学生ビザを取るために奔走した。私が追放されるのはスハルト体制が悪いからだと思ったが、長女の教育問題は私と妻にとって最も困ったことだった。結局、日本大使館の外交官(専門職)が身元保証人になってくれ、インドネシア政府は長女の学生ビザを出してくれた。彼女は商社駐在員のお宅に下宿させてもらい、1992年12月無事に卒業できて、翌年4月から帰国生徒枠で希望の大学に進学できた。当時の大使や特派員は「親の罪を子は負わない」ということも分からなかったのである。そういう大使や記者たちが、1998年5月スハルト体制が崩壊すると、スハルト一家のことを激しく非難した。全く一貫性がない。
 小牧特派員から直接聞いたのだが、大野氏らは、「インドネシア政府の出国命令や日本大使館の出入り禁止処分を批判しながら、長女の国際学校を続けるために、ビザを頼むのはおかしい。非難している相手に娘を守ってほしいと言うのは虫が良すぎる」などと私を非難した。子どもには子どもの人権が民族や国境を越えてあるということが分かっていないのだ。
 天皇夫妻が1991年、インドネシアを訪問した際、私はインドネシア軍の諜報部員に24時間尾行、監視された。大野氏は私が尾行されている一部始終を同じ飛行機や車の中で長時間目撃している。日本帝国軍が雇って戦後何の補償もしていない「兵補」の人たちが、天皇訪問に合わせて日本人記者会と記者会見したいと申し入れた際、大野氏は「生々しすぎる」「時期が問題}と拒否した。会見はジャカルタ外国特派員協会で行った。兵補の補償問題を最初に報道したのは朝日新聞大阪本社社会部だった。
 日本以外の多くの国では、どんな理由であれ、記者が弾圧されたら、まずは仲間の記者が支援する。当局が追放や取材妨害などをすれば一致団結して抗議する。記者の取材報道の自由を不当に侵すものを許さないのだ。大使館も記者を保護する。ジャーナリストの仕事は国境や人種を越えて行うものだからだ。
 そこが大野記者には理解できないようだ。私の追放を見て見ぬふりした大野記者ら当時の日本人記者たちにはジャーナリストとして最も必要な倫理観、歴史観、社会観が欠けていた。現に、ジャカルタにいた外国人(日本以外)の特派員や地元インドネシアのメディアの記者たちは私の送別会を開いてくれた。

*「今日逮捕を2回抜け」
 大野氏は私の犯罪報道改革提言についてよく知っていた。警察から独立した取材・報道が求められるというような話を私がしたとき、大野氏は「浅野さんの言うことは正論だと思うが、現場の記者の気持ちも分かってほしい。私は九州で二カ所、警察を担当したが、そこで各一回は、警察が今日逮捕する、逮捕状が出たなどの情報をとって、他社を抜かなければ転勤できなかった。内容は何でもよかった。地元新聞、読売、毎日を抜いて特ダネを書かないといけなかった。そのため毎日のように、警察官に夜討ち朝駆け取材を行った。私は二回特ダネを書いたので、東京本社に来ることができた。警察取材が無駄だとか言われると反発がある。我々のそういう苦労をきちんと考えてほしい」。
 私は警察官への夜回り取材は弊害が大きすぎると思っているので、大野氏の気持ちはわかるが、今の犯罪報道のシステムを根本的に変えるしかないと思うと答えた。
 大野氏は「浅野さんは、現場記者の気持ちを分かっていない」と納得いかない様子だった。

*11年前の暴言
 大野氏の発言でいまでも鮮明に覚えていることがある。私が追放される数カ月前だった。
 大野氏はジャカルタの日本人会(ジャパン・クラブ)の役員(総合商社支店長、日航支店長らの日本企業幹部)と日本人記者との懇親会で、「インドネシア、インド、カンボジア、ミャンマーなどは強権政治で民衆が苦しんでいる。経済もうまくいかない。こういう国々は独立せずに欧州の国の植民地のままでいたほうが経済も安定して幸せだった」と真面目な顔で言ったことがある。発展途上国の経済や社会が不安定なことが話題になったときだ。人間の尊厳、民族の誇りの意味を全く理解しない発言だと驚いた。そのとき、私は反論したと記憶している。
 当時、スハルト大統領、マハティール・マレーシア首相、江沢民中国主席などは、西洋型の人権とか民主主義の「押し付け」に反発して、民主化よりも経済発展が先だという論理を持ち出していた。大野氏らは、彼らにシンパシーを感じていた。
 当時の総合商社支店長は「日本は欧米から学ぶものは全くなくなった」「米国の知的水準は急激に低下した。字をまともに読めない市民が四分の一近くいる」などと豪語し、小牧特派員は「日本の企業ほど薄利でいいものを作り、売るところはない」と言ってのけていた。日本がバブルに酔っていた1991年前後のことだ。
 あれから11年。二度目のパリ駐在の大野氏は、今回こういう記事を書いた。アルジェリアとの関係について前に書いた記事も、日本の戦争責任について歪曲する記事だった(注2)。この記事は最後に「ひとごととは思えない」と日本への警告であるかのように結んでいるが、この記事を読んだ人が、日本でもアジア太平洋諸国に対する1895年以降の「残虐行為」「拷問や裁判抜きの処刑」などの歴史の暗部に「光をあてなければ」とか、教科書の拷問についての記述を改善しようとか、過去を正視してこなかった後ろめたさに立ちすくんでしまうだろうか。
 大野氏が冒頭に書いているように、「たいていの国は、うしろ暗い過去を子供たちに教えたがらない」のだら、日本もそうだが、仕方がないという諦観の思想を広めるだけではないか。フランスでは、大野氏が取り上げたような、フランス軍の暴虐の歴史を認めた元情報将校がいたり、アルジェリアで植民地支配を批判する新聞の編集長や、仏軍に捕らえられ拷問を受けたジャーナリストがいたり、小中高校でアルジェリア独立をどう教えているかを調べた月刊紙ルモンド・ディプロマティックが存在していることを評価すべきだろう。記者クラブ体制につかりきって、横並びで報道する日本の新聞社とは違う。
 天皇の軍隊の犯罪を隠蔽し続けてきた日本とフランスは「たいていの国」としてひと括りにできないと私は思う。
 このように、大野氏の書くコラムや解説記事には、日本が一番いいとか、日本だけが悪いのではないという論がよくある。結局、日本を擁護するのだ。東大の高橋哲哉さんも大野氏のコラムの問題をいつも批判している。
 大野氏のような考えの朝日記者はいま少なくない。朝日が左翼的とか進歩的というのは全く事実に反している。特に現場記者にはエリート意識の強い人が多い。インドネシアでも80年代後半からの特派員たちは、スハルト軍事政権を評価し、東ティモールについて、「あんな小国がやっていけるのか」という意識だった。
 大野氏は一橋大学で大学院修士課程まで進み、フランスの思想などを学んだと記憶している。また配偶者の父親は大手商社パリ支店幹部だと聞いた。
 欧米で学んだ人たちの中に、差別を受けたことなどが原因となって、日本的なものに回帰していく人が少なくない。日本で極右になった学者、文化人にもドイツなどに留学した人が多い。確かに差別がある。私もそう感じることがないわけではない。しかし、欧州にも差別があるから、日本にあっていいわけではない。
 また欧米はキリスト教だからという言い方もよくされる。しかし、公正で平等な社会、国家から独立した自由な諸個人の連合としてのコミュニティーを目指す欧州の社会民主主義の実践を私は見習いたいと思う。
 欧州の歴史をねじまがった形ではなく、まっすぐに見たい。学ぶところがたくさんあるのだ。
 フランス革命の意味、民族の自治、国家と市民の関係についての大野氏の考えを知りたいと思う。また朝日新聞外報部では議論は起きていないのだろうか。こんな記事をよく載せたと思う。
 五月三日に時効となった朝日新聞阪神支局襲撃事件で犠牲になった小尻知博記者は、定住外国人の指紋押捺問題などを精力的に取材していた。小尻記者は日本の「極右」に殺されたと私は思っている。
「極右」を通して日本を見たければ、「大和民族」の優越性を強調し、移民の存在が日本社会を撹乱するなどと扇動する石原慎太郎・東京都知事と、「石原新党」待望論などを捏造し、石原氏を持ち上げるマスメディア(テレビ朝日など)と石原氏を80%近い東京都民が支持し、国民全体が次期首相ナンバー・ワンと見ている「極右化」状況を見ればいいと思う。

*英文の名刺
 ジャカルタ時代の大野博人氏の名刺の英文には「Hirohitio Ohno」と書いていた。それを見たインドネシアの人に、「ヒロヒト・オーノー」と読んで、すごい名前だと驚いていた
 『天皇の記者たち』(スリーエーネットワーク)に詳しく書いたが、朝日新聞は日本帝国陸軍のジャワ侵略直後に、軍の広報機関として、ジャワでジャワ新聞など活字ディアを独占していた。ヒロヒトの軍隊がインドネシアで行った侵略と強制占領について、天皇も朝日新聞も責任をとってこなかった。
 「アジア、アフリカの途上国は、欧州の植民地のままでいたほうが、社会が安定し、経済もうまくいっていたのではないか」という発言をしたとき、大野氏はお酒がそう入っていたわけではない。私はその言葉を忘れない。80年代末から90年代までの朝日新聞は、東ティモール民族の悲劇にもほとんど目を向けなかった。「人口80万しかない小国がやっていけるのか」などと書いて、インドネシアとの統合を求める「併合派」住民と「独立派」が対立しているという大嘘を書いていた。日本外務省のPRどおりだった。そして朝日は今、自衛隊の東ティモール派兵を賛美しているのである。

*週刊金曜日に不可解な投書
 「週刊金曜日」2002年5月24日号の「人権とメディア」に大野氏を批判する記事を載せた後、6月21日号に《浅野氏が批判した新聞記事は日本への警告と読むべきでは?》と題した学習塾自営の塩見元彦氏(60)の次のような投書が掲載された。「人権とメディア」の拙稿への批判だった。

 《412号(五月二四日)の「人権とメディア第163回」で浅野健一氏の「差別感を露呈した日本の新聞」を読み、アレレ違うゾ、『朝日新聞』の記者は「日本の極右である東京都知事」と同じ手口の「短絡的かつ情緒的な反移民論」など展開していなかったゾ。と思ったので、五月九日付の『朝日新聞』を再読してみた。
やはり、浅野氏の「驚愕」したような「欧州の見識からあまりにもかけ離れた論調」を読み取ることはできなかった。
 私の読解ではパリ支局長の大野博人氏は、ルペン氏たち「極右」の移民排斥を狙った国籍法改正の考え方が、われわれ日本人の現に持っている国籍法や外国人観に極めて近いことを指摘した上で、彼らを「極右」と呼ぶならわれわれ日本人は何に当たるのだろうか、と問うているように思える。
 あえて言外の意を汲み取れば、日本人は自分自身を自由主義者・民主主義者と思っているだろうが、西欧の良識から見ると「極右」に見えかねないのだぞ、と警告を発している、ともとれる。
 私には、大野氏が、差別観を持たず、自己を客観視することのできる公平な思考の持ち主だと思えるが、どうだろうか。
 思うに、浅野氏は、大野氏のコラムの書き出しのルペン氏を「『極右』と呼ぶのに少し気が引ける」という部分でカーッと頭に血が昇ってしまったのではないだろうか。「極右」と呼びたくないなら親極右だ。親極右が何を語ろうとそれは極右擁護論だ、けしからん奴だ、と短絡してしまい、文章全体の意味するところを誤解してしまったのではないだろうか。
 それとも、読解力不足の私が、大野氏にまんまと嵌められているのだろうか。》
 
 塩見氏は私が批判した大野博人朝日新聞パリ支局長の記事は日本への警告であり、文章全体の意味するところを誤解していると述べ、大野氏のことを、「差別観を持たず、自己を客観視することのできる公平な思考の持ち主だと思える」と断定した。ところが、私については、大野氏のコラムの書き出しのルペン氏を「『極右』と呼ぶのに少し気が引ける」という部分でカーッと頭に血が昇ってしまい、けしからん奴だ、と短絡してしまったと言うのである。
 塩見氏がどういう人が分からないが、大野氏(朝日新聞というブランド)には絶大な信頼を抱き、私にはかなり偏ったイメージを持っているように思う。
塩見氏のような読み方はできるだろうか。確かに、朝日新聞の記者、ましてやパリ支局長まで務める記者が人種差別を肯定するはずがないと思う「善意の人」がいるのは分かる。しかし、大野氏の論は明らかに、ル・ペン氏の人種差別主義に無警戒で、ある意味で肯定しているとも言える。日本への警戒というより、同氏らを「極右」と批判することを批判しているのではないか。
 大野氏は明らかに人種差別をしており、外国のまともなメディアがこのようなコラムを載せるはずはない。
 大野氏のコラム記事には二つの大きな問題がある。一つは、「警察の世話になった」少年の例だけを出していること。《両親が外国人で、日本で生まれ育った若者を想像してみよう。少年時代、かなり素行が悪く、警察の世話にもなり、言葉もあまり堪能ではないとする。彼が成人して、両親の国の国籍も捨てないまま、日本の国籍を取りたいと言ったら、日本人はどう考えるだろう。抵抗を感じる人も多いのではないだろうか。実際、彼が国籍を取るのは難しい。
 だが、フランスだったら彼はほぼ自動的に国民になる。国民や外国人の意味がかなり違う。フランスでは、外国人とは国民になるかもしれない人たちでもある。それをおかしいと考えて、国籍法改正を叫んでいるのがルペン氏たちだ。そして、彼らは「極右」と呼ばれる。》

 もうひとつは、国民戦線副党首の談話だ。
 《日本研究者でもある同党副党首のブルーノ・ゴルニシュ氏は「日本が『極右』でないのならわれわれも『極右』ではない。むしろナショナリスト政党と呼んでほしい」という。日本を「極右」と考えるか、国民戦線を「ふつうの政党」と見るか、というわけだ。》
廃止すべき日本の戸籍制度(血統主義》を前提にして議論している。またこの副党首の考えは5月の大統領選挙では公約になっていない。ちなみに副党首の連れ合いは日本人だそうだ。

 大野氏の記事が世界人権宣言など国際的な人権基準(注3)を明らかに逸脱しているのは、《両親が外国人で、日本で生まれ育った若者を想像してみよう。少年時代、かなり素行が悪く、警察の世話にもなり、言葉もあまり堪能ではないとする》という例を出して、 彼が成人すると日本では彼が国籍を取るのは難しいが、フランスだったら自動的に国民になると指摘。その上で、国民戦線副党首に《「日本が『極右』でないのならわれわれも『極右』ではない》と言わせている点にある。
 6月2日の朝日新聞に載った森巣博氏(オーストラリア在住の作家)の《政治家 「極右」と呼ぶ基準は何か》と題する記事にあるように、石原慎太郎東京都知事みたいに外国人が犯罪を行ったと紹介した後に、人種や民族を論じると欧州などでは「人種差別・助長行為」として起訴されるのである。しかも、「警察に世話になった少年」は被疑者でしかない。犯罪を犯していたことが裁判で認定されたとしても、少年時代の非行はプライバシーであり、日本でも少年法などにより、匿名性を保障されている。
 森巣氏の記事は、大野氏のコラムについて言及していないが、大野氏のコラムへの反論として掲載されたと私は見ている。何を極右と定義し、われわれがなすべきことをきちんと書いている。

 私は前述したように、大野氏を個人的に知っているので、彼の書き出しだけを読んで興奮などしない。大野氏は変わっていないと残念に思い、あの記事をそのまま載せた朝日新聞の見識を疑ったのである。
 大野氏のコラムは論旨があいまいで、最後の10行ぐらいでは、日本への警告として書いたかのように記述している。

 私は週刊金曜日の記事を書くに当たって、フランス在住の日本人、英国の教員・学生、日本の定住外国人である在日朝鮮人、ゼミ学生ら多くの人たちに読んでもらった。週刊金曜日の連載担当の田中裕司氏にももちろん読んでもらった。私は大野氏のコラムを英語やフランス語に訳して、欧州の人たちにも読んでもらい意見を聞いた。
 大野氏の文章に怒りを表明した人は多数いたが、塩見氏のような読み方をする人は全くいなかった。
 理由は不明だが、塩見氏は《大野氏にまんまと嵌められている》としか私には思えない。

 私は、塩見氏の投書を載せる決定をした週刊金曜日編集部の人たちは、大野氏の文章をどうとらえるかを明らかにしてほしいとメールを送った。塩見氏の文章には、私に対する予断と偏見があるようにも感じた。特に《大野氏のコラムの書き出しのルペン氏を「『極右』と呼ぶのに少し気が引ける」という部分でカーッと頭に血が昇ってしまい》、けしからん奴だ、と短絡してしまったと言うくだりは、ディーセンシーに欠けると思った。見てきたような書き方だが、なぜそう思うのかの根拠が示されていない。

 黒川宣之編集長(当時)から返事が来た。それによると、「週刊金曜日」の投書は黒川編集長自身が選んでいるそうで、「大野氏の記事は論旨があいまいで、できがよいとは思えませんが、日本への警告として書いたのではないか、と受け取る読者がいても不思議ではないと判断しました」「特に末尾の10行くらい。編集部のなかにもそうとれないことはない、と読んだ部員はいます」という。
 大野氏のコラムは、筆者(大野氏)の人権に対するスタンスがはっきりしていないので、「どちらともとれるような記事」になっているというのだ。
 編集長は、塩見氏のように読む人もいるなら議論を広げることになると思って、投書に取り上げたという。
 編集日は、私からの反論の投書は歓迎するということだった。

 投書は自由な意見表明の場といっても、太陽は西から昇るとか、地球は回っていないという論は載せないはずだ。大野氏のコラムを読んで、大野氏が人種差別に反対しており、日本に警告するために書いたと読めるはずがないと私は思う。
 私は7月8日、反論の投書を送った。7月19日号に私の投書が載った(注4)。《移民と犯罪を持ち出すのが短絡であり人種差別だ》という見出しを私はつけていたが、《「大野氏にまんまと嵌められた」のでは?》になっていた。7月2日に届いた校正ゲラで、森巣博氏の前に「作家の」を挿入したのだが、これが一段落前の「大野氏」の前に誤って入っていた。「作家の大野氏」となっていたのだが、編集・印刷作業の単純ミスで、訂正が出た。

*産経vs森巣氏
朝日新聞に載った森巣氏の文章に対し、文芸評論家の入江隆則・明大教授が産経新聞「正論」(6月21日)で、「ありふれた誤解」に過ぎないと反論した。また毎日新聞の山田孝男論説委員が6月25日の「発言箱」のコラム《石原知事は「極右」か》で、入江教授の見方におおむね賛成であると書いた。山田論説委員は、小泉首相の「涙は女の武器」発言を全面的に擁護するなどの暴論を度々書く記者である。

(注1)2002年05月09日朝刊、オピニオン1、15ページに掲載された大野氏の記事は以下のとおり。

[「極右」通して見える日本人 大野博人(記者は考える)
 私は、ジャンマリ・ルペン氏を「極右」と呼ぶのに少し気が引ける。
 確かに、フランス大統領選挙で現職のシラク氏と争ったこの国民戦線の党首を、マスコミも知識人たちも政界も一致して「極右」と位置づけた。人種差別的な言動を繰り返している政党だ。「移民排斥をもくろんでいる」という批判も正しいと思う。
 だが、「極」の字が付いていても、非合法政党ではない。それに、ルペン氏が発言しているように、移民を減らすための方法として理想と考えている国籍法の一つは日本のものなのだ。
 フランスが国内で生まれ育った外国人にほぼ自動的に国籍を認めるのに対し、日本ではそうはいかない。
 □ □ □
 両親が外国人で、日本で生まれ育った若者を想像してみよう。少年時代、かなり素行が悪く、警察の世話にもなり、言葉もあまり堪能ではないとする。彼が成人して、両親の国の国籍も捨てないまま、日本の国籍を取りたいと言ったら、日本人はどう考えるだろう。抵抗を感じる人も多いのではないだろうか。実際、彼が国籍を取るのは難しい。
 だが、フランスだったら彼はほぼ自動的に国民になる。国民や外国人の意味がかなり違う。フランスでは、外国人とは国民になるかもしれない人たちでもある。それをおかしいと考えて、国籍法改正を叫んでいるのがルペン氏たちだ。そして、彼らは「極右」と呼ばれる。
 これをどう考えるべきか。
 日本研究者でもある同党副党首のブルーノ・ゴルニシュ氏は「日本が『極右』でないのならわれわれも『極右』ではない。むしろナショナリスト政党と呼んでほしい」という。日本を「極右」と考えるか、国民戦線を「ふつうの政党」と見るか、というわけだ。
 問題はそれほど単純ではない。日仏は歴史的にも地理的にも違う。国籍法だけで日本を「極右」と決めつけるのは無理だ。一方、欧州は20世紀に戦争と荒廃を引き起こした排他的なナショナリズムを克服しようという思いも込めて統合を進めている。その基本を否定しかねないから国民戦線を「極右」として退ける。日本を尺度にふつうの政党だと言っても意味がない。
 □ □ □
 それでも、その思想が日本人の感覚と重なる部分を持っていることには注意を払ってもいいのではないか。「極右」という表現には、常軌を逸したというイメージがあるが、自分とは無関係なキワモノだと考えてすますべきではないだろう。
 ルペン氏たちのフランスでの「極右」という位置づけは、われわれ自身が持つ「国民」とか「外国人」という概念を相対化して考えてみるのに大いに参考になると思う。
 (パリ支局長)]
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(注2)2001年06月08日東京本社朝刊、オピニオン2(14ページ)に載ったコラム。

[文字うしろ暗い過去に苦悩の仏 大野博人(記者は考える)
 たいていの国は、うしろ暗い過去を子供たちに教えたがらない。
 フランスもそうだ。植民地だったアルジェリアの独立戦争(1954〜62)の際の仏軍による残虐行為についてしっかりと教えてきたとは言いがたい。
 最近、元情報将校が拷問や裁判抜きの処刑を繰り返していたことを認める証言を出版し、社会に動揺が広がった。ジョスパン首相は歴史の暗部に「光をあてなければ」と言った。
 しかし、ジャーナリストのアンリ・アレグ氏(80)は吐き捨てるように言う。「証言内容はとっくの昔にわかっていたことだ。無視してきただけではないか」と。フランス人だがアルジェリアで植民地支配を批判する新聞の編集長だったため、仏軍に捕らえられ拷問を受けた。
 □ □ □ □
 水責め、火責めをはじめ、体に高圧電流を流されたり、自白剤を注射されたり。「気が狂うかもしれない」という極限状態を経験した。多くのアルジェリア人が同様な目に遭い命を落とした。
 同氏は57年に軍の妨害をかいくぐるようにして体験記『尋問』を出版、拷問の実態を暴いている。歴史家たちも続いた。が、国は黙殺し続けた。元将校の証言で抜き差しならなくなって「真実の究明を」などと言い出すのは、同氏には欺瞞(ぎまん)と映る。
 小中高校でアルジェリア独立をどう教えているかを調べた月刊紙ルモンド・ディプロマティックの2月号の記事は「教育省の指導も時間割りも教科書も、生徒たちに最小限のことしか知らせないようにできている」と批判する。教科書の拷問についての記述はわずか。しかもゲリラ戦への対抗上やむを得なかった、と容認するような書き方だ。
 さらに植民地支配の問題に踏み込まないため、戦争は「理由もなく始まり何の痕跡も残さず終わった」かのように教えられている、と指摘する。アレグ氏も「人権の国として世界中に説教をたれるくせに、教育の場ではこの問題に覆いをしてきた」と嘆く。
 今のアルジェリアでは人権侵害が続いている。しかし「世界中に説教をたれる」フランスがそれをあまり批判できないでいる。ベドリヌ仏外相は「歴史的事情から、アルジェリアに何をするべきか、などといえる立場にない」という。フランスは過去を正視してこなかった後ろめたさに立ちすくんでいる。
 □ □ □ □
 元将校の証言後の世論調査で、56%が「アルジェリアに謝罪するべきだ」と答えた。だがアレグ氏は「謝罪することで、さっさと歴史のページをめくろうというのは間違っている」と話す。教育などを通じて国民の自覚を深めることが先、というのだ。
 ひとごととは思えない。
 (パリ支局長)]

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(注3)
世界人権宣言
(1948年12月10日、国連総会で採択)
前文
 人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、
 人権の無視及び軽悔が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
 人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要であるので、
 諸国間の友好関係の発展を促進することが、肝要であるので、
 国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、
 加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、
 これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要であるので、
 よって、ここに、国際連合総会は、
 社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の規準として、この世界人権宣言を公布する。

第1条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第2条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2 さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
第3条
すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。
第4条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
第5条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
第6条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下においても、人として認められる権利を有する。
第7条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
第8条
すべて人は、憲法又は法律によつて与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。
第9条
何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。
第10条
すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当って、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。
第11条
1 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。
第12条
何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
第13条
1 すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する。
2 すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。
第14条
1 すべて人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利を有する。
2 この権利は、もっぱら非政治犯罪又は国際連合の目的及び原則に反する行為を原因とする訴追の場合には、援用することはできない。
第15条
1 すべて人は、国籍をもつ権利を有する。
2 何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。
第16条
1 成年の男女は、人種、国籍又は宗教にいかなる制限をも受けることなく、婚姻し、かつ家庭をつくる権利を有する。成年の男女は、婚姻中及びその解消に際し、婚姻に関し平等の権利を有する。
2 婚姻は、両当事者の自由かつ完全な合意によってのみ成立する。
3 家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。
第17条
1 すべて人は、単独で又は他の者と共同して財産を所有する権利を有する。
2 何人も、ほしいままに自己の財産を奪われることはない。
第18条
すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。
第19条
すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。
第20条
1 すべての人は、平和的集会及び結社の自由に対する権利を有する。
2 何人も、結社に属することを強制されない。
第21条
1 すべての人は、直接に又は自由に選出された代表者を通じて、自国の政治に参与する権利を有する。
2 すべて人は、自国においてひとしく公務につく権利を有する。
3 人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない。この意思は、定期のかつ真正な選挙によって表明されなければならない。この選挙は、平等の普通選挙によるものでなければならず、また、秘密投票又はこれと同等の自由が保障される投票手続によって行われなければならない。
第22条
すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。
第23条
1 すべて人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する。
2 すべて人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有する。
3 勤労する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公正かつ有利な報酬を受け、かつ、必要な場合には、他の社会的保護手段によって補充を受けることができる。
4 すべて人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及びこれに参加する権利を有する。
第24条
すべて人は、労働時間の合理的な制限及び定期的な有給休暇を含む休息及び余暇をもつ権利を有する。
第25条
1 すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する。
2 母と子とは、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を受ける。
第26条
1 すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない。技術教育及び職業教育は、一般に利用できるものでなければならず、また、高等教育は、能力に応じ、すべての者に等しく開放されていなければならない。
2 教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的若しくは宗教的集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない。
3 親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する。
第27条
1 すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。
2 すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。
第28条
すべて人は、この宣言に掲げる権利及び自由が完全に実現される社会的及び国際的秩序に対する権利を有する。
第29条
1 すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。
2 すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。
3 これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。
第30条
この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。
--------------------------------------------------------------------------------(注4)
 以下は、7月8日ロンドンから週刊金曜日へメールで送った投書。一部ゲラで修正した。
 
[◎移民と犯罪を持ち出すのが短絡であり人種差別だ
 英国在住大学客員研究員 浅野健一(53)

 六月二十一日号本欄で、塩見元彦氏は五月二十四日号の拙稿「人権とメディア」を取り上げ、大野博人朝日新聞パリ支局長によるコラム(五月九日)の文章全体の意味するところを私が誤解していると論評した。
 塩見氏は、私がコラムの書き出しでカーッと頭に血が昇ったという仮説を立てて論じている。しかし、大野記者とは、私が共同通信ジャカルタ支局長時代に約二年間一緒で、パリ発のアルジェリア関係などの記事にも問題があったので驚きはしなかった。
 約十一年前のことだが、ジャカルタの日本企業幹部と日本人記者との懇親会で、大野氏は「インドネシア、インドなど途上国は独立せずに植民地のままでいたほうが経済も安定して幸せだった」と真面目な顔で言ったことがある。その時は、カーッとなった。
 『日本大使館の犯罪』(講談社文庫)に書いたが、私がスハルト政権からインドネシアを追放された際、大野氏は追放に抗議するどころか、ジャカルタ国際高校最終学年だった長女の学生ビザ延長について、「インドネシア政府や日本大使館を批判しながら、娘は滞在させてほしいと言うのは虫が良すぎる」と私を非難した。
 大野氏のコラムが国際的な人権基準に逸脱しているのは、《少年時代、かなり素行が悪く、警察の世話に》なった移民の例を出して、人種・国籍を論じている点だ。
 作家の森巣博氏が六月二日の朝日新聞に《「極右」と呼ぶ基準は何か》と題して書いたように、外国人犯罪を紹介した後、人種論を持ち出せば、欧州などでは「人種差別・助長行為」として起訴される。大野氏は犯人とも認定されていない被疑者の少年を例に出しているのだから、より悪質だ。そこを見落とした塩見氏は《大野氏にまんまと嵌められ》たと思う。]
(以上)

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