2003年1月21日

東京地裁で2月4日に判決
NHK「爆弾漁やらせ」裁判報告

浅野健一

 NHKが月刊「現代」を訴えていた「やらせ爆弾漁法」訴訟で、昨年一一月一三日、東京地方裁判所より講談社法務部に連絡があり、一一月一九日に予定されていた判決言い渡しを二〇〇三年二月四日午後四時三〇分に変更すると通知があった。法廷はいままでと同じ東京地裁631号法廷。理由は明らかにされていない。
判決を六日後に控えての突然の延期通告は信じがたい。
 二月四日午後四時三〇分の傍聴をみなさんにぜひお願いしたい。
ある大学で昨年11月、メディア論の講義で、本件に関するビデオと「現代」の記事などを学生に見せ、「判決」をさせたところ、九〇%以上は、講談社の無罪、つまりNHKはヤラセという意見だったそうだ。同志社での学生調査とほぼ同じ結果だった。
 NHKが二〇〇二年九月四日に講談社を提訴したとき、「支局長がやらせをやっておいて、やらせをやった本人と会社が講談社を名誉毀損で訴えるとは、NHKはほんまにすごい」と大阪の司法記者会で言われたと聞いた。それが普通の市民の感覚だろう。この裁判は、裁判所がどこまで常識的な判断を下してくれるかにかかっている。
 私が「現代」記事で中心になって取材したとわかってからは、マスコミは冷たくなった。ある報道機関はジャカルタ支局に、「浅野がからんでいるから報じるな」と指示している。メディア各社が判決をどう報じるかも見て行きたい。

*ジャカルタでNHKを提訴、告発へ
 NHKの坂本・元ジャカルタ支局長のやらせを告発しているフランス氏の代理人である二人の弁護士が1月16日、坂本氏、海老沢NHK会長、田端ジャカルタ支局長に最後通告の文書(インドネシア語でSOMASI)を送った。東京での裁判におけるNHK側の文書や「現代」の取材や「週刊新潮」に対するコメントで、フランス氏に名誉毀損、中傷をしたとして損害賠償、謝罪広告を求め、一週間以内に満足できる回答がない場合、名誉毀損・中傷での民事訴訟と、NHKと坂本氏が爆弾漁法やらせ撮影のため漁民D氏に爆弾投擲をさせたことで、インドネシアにある三つの法律に違反したとしてインドネシア警察に告発することを通告している。
 フランス氏は、「NHKを恨み、金をとるために、やらせをでっちあげた」と主張するNHKを名誉毀損で訴える準備をしてきたが、なかなか適切な弁護士が見つからず苦労していた。今回インドネシア大学法学部で講師を務める優秀な弁護士二人が引き受けてくれたという。ソフィアン弁護士はインドネシア国家警察学校の講師でもあり、アスルン弁護士は同大学で博士号をとり、NGOの「インドネシア司法ウオッチ」のメンバーで東ティモールの人権侵害を扱う人権委員会の委員もしている。
通告文(仮訳)は次の通り。
《2003年1月17日 ジャカルタ
1. 坂本つとむ氏
日本放送協会(NHK)
150-8001東京都渋谷区神南2-2-1
日本

2. NHKジャカルタ支局
ヌサンタラ・ビルディング27階
タムリン通り59
ジャカルタ10350

3. 海老沢勝二氏
NHK会長
150-8001東京都渋谷区神南2-2-1
日本

件名:通告

拝啓

十分な収入印紙が張られた2003年1月13日の特別委任状(本状に添付)をもって、我々
の依頼主であるフランス・パダク・デモン、記者、住所・・・・通り、の代理人となる。

これをもって、以下の通り、日本のNHKと坂本つとむ氏に通告または警告を伝える。

1. 1997年8月23日から24日までに、ジャカルタ支局長として坂本つとむ氏は南スラウェ
シ州、マカッサル、バランロンポ島地域で爆弾漁法のやらせを行った。
2. 第1項によって、爆弾漁法を行うよう漁民に指示し、支払い、NHKがその映像を撮影
できるようにした。そして、その映像を1997年8月29日、1997年9月6日にNHKテレビで
放送した。
3. 前述の爆弾漁法やらせ事件の際、坂本つとむ氏は、特定の人々を集めてシナリオを
作成した。その人々は;

a.ムクシンST氏、マカッサル、ハサヌディン大学研究所職員
b.〇〇〇氏、マカッサル、バランロンポ島の漁民

4. 第3項に挙げた人々は、坂本つとむ氏によって爆弾漁法やらせの目的で動かされ、
それはインドネシアの人々と国の名誉を汚すものであったことは明確である。
5. 第4項での、やらせの爆発、及び法律に違反し不法な爆発物の所有という行動の中
で、坂本つとむ氏は首謀者(マスターマインド)の役割を果たした。
6. 坂本つとむ氏とNHKは継続的に我々の依頼主、フランス・パダク・デモンの名誉を毀
損した。それは、日本でのメディアとの取材においてであり(特に、2000年9月21日号
の「週刊新潮」、2000年8月22日に行われた月刊「現代」とのインタビュー)、またNHK
及び坂本つとむ氏の正式な陳述書においてである。それらは、例えば、この爆弾漁法や
らせの件は、依頼主がNHKから金銭を得るために創ったものである、依頼主はNHKから金
銭を得るために脅迫した、我々の依頼主は全く信用できない人間である、依頼主は爆弾
漁法のオリジナル映像を編集する捏造を行ったなどという非難である。
7. 第6項で述べたNHKと坂本つとむ氏からの非難は、民法法典(民法)1365条で定めら
れた通り民法上インドネシアの法律に違反しており、また刑法上も違反している。それ
は1982年法律第4号(1982年法4号)、1951年緊急事態法第12号(1951年緊急法12号)、
及び刑法法典(刑法)である。これらにより、5年の拘禁刑のおそれが法律上存在する

8. 海老沢勝二氏が会長を務めるNHK経営陣は、1997年9月から現在まで、我々の依頼主
が伝える爆弾漁法やらせについての報告を無視し続けた。また、日本のNHKテレビで、
バランロンポ島での爆弾漁法やらせが放送されたことで、NHKテレビに対する日本の人
々の信用を傷つけた。NHKは放送するニュースへの信頼度、公正さ、誠実さを常に保持
してきていたにもかかわらずである。
9. 第6項で述べた通り、法律違反であり根拠のない非難によって、我々の依頼主は精
神面、物質面ともに非常に傷つけられた。
10. その精神面、物質面の損害に対し、インドネシア及び日本における5社の活字・電
子メディアでの謝罪と損害賠償金10億ルピアを請求する。

以上が、我々の通告であり、坂本つとむ氏、NHKジャカルタ支局、NHK会長からの個人ま
たは共同での返答が通告作成日から平日の7日間に得られない場合、我々はインドネシ
ア共和国警察、インドネシアのジャカルタ中央地方裁判所への通報という法的処置をと
る。

この問題が平和的に解決するための迅速な協力と関心を心から望む。

敬具
法的代理人

(サイン)  (サイン)
ソフィヤン・マルタバヤ      アンディ・M・アスルン》
(坂本つとむ氏の「つとむ」の漢字はワープロにないので平仮名で表記し。「務」という漢字の力が下にくる)

 私は1月13日から17日までジャカルタを訪問。フランス氏と共に、坂本氏とNHK側証人のムクシン氏が、陳述書や準備書面で引用したインドネシア海軍クンダリ基地司令官のギト・ウトモ大佐(故人)とインドネシア国立社会科学研究所(LIPI)のスワルソノ博士(英ニューキャッスル大学で博士号取得)の発言が事実かどうかを、海軍広報部幹部と博士本人に会って確認してきた。いずれもNHK・ムクシン氏側の発言が完全な捏造、歪曲であることが判明した。詳しくは後日明らかにする。
 NHKの田端支局長は、どこでフランス氏の代理人の動きを知ったのか、「フランスは雇用問題に続いて、また新たなことを持ち出して、NHKからカネをとろうとして、脅している」と日本人社会で”説得”しているらしい。これもまた名誉毀損だ。
NHKジャカルタ支局は1月18日、代理人弁護士に、最後通牒の期限はいつかと聞いてきたという。フランス氏の代理人は、「27日(月)になる」と答えた。NHKから満足のいく回答がない場合、30日(木)に民事と警察への告訴をし、ジャカルタ市内で記者会見を開くことにしている。

 フランス氏の代理人は、NHK関係者が東京の裁判の証言記録や準備書面の中でフランス氏を誹謗中傷している箇所をすべてインドネシア語に訳した文書を作成し、民事裁判に備えている。
 ジャカルタで民事裁判が始まれば、ムクシン氏とD氏が口頭弁論で証人として喚問されることは必至で、両氏が東京での裁判やNHKが提出した尋問ビデオにおける証言と同じこと(D氏への爆弾投擲依頼は私がやったことで、坂本氏からお金ももらっていないなどの主張)を述べれば、爆弾投擲の教唆と、爆弾製造・爆弾使用の罪が刑事事件として問われることになる。ジャカルタの名誉毀損裁判では、NHK・坂本氏が被告になって、爆弾によるサンゴ礁や海の自然破壊と報道倫理を問われることになる。
 フランス氏は「この名誉毀損裁判と刑事告発手続きをすすめるためにも、先に雇用問題での和解が必要だった。NHKは私の解雇が誤りだったことを事実上認めたと思う。謝罪文はとれなかったが、名誉毀損裁判で公的な謝罪を求めていきたい。日本とインドネシアの新聞での謝罪広告とNHKでの謝罪放送をさせたい」と語っている。
 代理人二人の告発でインドネシアの捜査当局がどういう捜査をするのか分からないが、バリでの爆弾テロ事件をはじめ、インドネシア各地で爆弾テロ事件が頻発しており、爆弾漁法の漁民がテロに関連して取り調べを受けるケースも多いようだ。インドネシアの警察、検察、軍は爆弾漁法により厳しい姿勢を示しており、NHK爆弾漁法やらせ事件は大きな関心を集めよう。
 NHKと坂本氏は、1997年8月24日の爆弾事件について、インドネシアの司法当局者・人民と日本の人民に納得のいく説明を求められる。

*NHKが解雇問題で二万七〇〇〇米ドル支払い和解
 NHKは、本裁判においてフランス氏が自分のわがままで依願退職したと強調して、雇用契約が切れた際に、法令で認められた退職金などを支払っていないことを正当化していた。フランス氏が労働省に救済を求めた際、NHKの坂本支局長(当時)は、労働省幹部に賄賂を渡して、フランス氏の訴えを却下させた疑いが濃厚である。スハルト体制のインドネシアの労働行政は国際労働機構(ILO)からしばしば警告を受けるなど、ひどい状態だった。
 この裁判と並行して、フランス氏は一方的な解雇だったとして、退職金の未払いも含め、労働省ジャカルタ地方労働局に再び救済を求めた。しかし、NHKは労働当局での審理を望まず、ジャカルタ支局(田端祐一支局長)の顧問弁護士ルフット・パンガリブアン氏を通じて、フランス氏の代理人ヘンダルディ氏に、何度も示談を申し入れている。当初は和解金は一万ドルだったが、二〇〇二年六月には、二万五〇〇〇ドルを支払うと提示していた。
 ところが、NHKジャカルタ当局は、東京の裁判が結審した後は、フランス氏の雇用問題についていったん先延ばしの作戦に出た。フランス氏が本裁判で提出した履歴書を証拠にして、フランス氏のNHK退職後の経歴について異議を申し立てたるなど迷走を深めていた。 
 その後、NHKは再び方針を転換し、ヘンダルディ氏に和解を打診してきた。フランス氏はヘンダルディ氏に、白紙委任した。
 その結果、NHKジャカルタ支局は一〇月一〇日、フランス氏と、雇用問題で和解した。NHK側から田端支局長、代理人のルフット・パンガブリアン弁護士が出席した。フランス氏は代理人のヘンダルディPBHI代表とともに和解の席に臨んだ。また、和解の席には、NHKの要請で公証人が同席した。
 和解金は二万七〇〇〇米ドルで、一九九七年一〇月にフランス氏がNHKを離れた雇用問題がこれで解決した。NHKは「NHKとフランス氏との間の問題はすべて解決した」という和解文書にサインを求めたが、フランス氏は、東京での講談社提訴を取り下げない限り、問題は解決しないと拒否した。
 インドネシアではスハルト独裁体制が崩壊した後の民主化が進まず、労働行政も依然として労働者の権利擁護のために有効に機能しておらず、労働委員会、裁判所での解決の早期見通しがないことから、和解に同意した。NHKは、「フランス氏が雇用問題で金をとるために、旧知の浅野と組んで、ありもしない坂本・元支局長による『やらせ爆弾漁撮影』事件をでっちあげた」と東京の民事法廷で繰り返し糾弾したばかりで、その主張の一貫性が問われよう。
 フランス氏によると、パンガブリアン弁護士と公証人はフランス氏の立場に極めて同情的だったという。同弁護士は和解の場で、田端支局長や他の出席者に対し、「一九八九年に日本の法律家グループが日本軍慰安婦問題や環境問題でジャカルタへ調査に来たとき、当時インドネシア法律扶助協会(LBH)の創設者だった私は、NHK記者のフランス氏からインタビューを受けたことがある」などと話した。田端氏は、NHK側の弁護士がこういう話をしたことに困惑し、他の話題に変えようと必死だったという。
 フランス氏から一〇月一四日に届いたメールによると、バリで起きた爆弾事件で、NHK報道局の衛星放送担当ディレクター・K氏から一三日深夜、フランス氏がニュースプロデューサーをしているメトロTVに映像提供の要請があり、フランス氏が契約の窓口になって提供した。提供されたのはメトロTVが一四日朝にオンエアした英語ニュース番組で、フランス氏の手配で衛星回線を使ってNHKに送られた。BSの特別番組で映像が使われた。
 K氏の依頼を受けた通訳の女性がメトロTVに電話を入れたところ、「日本のNHKから番組を買いたいという依頼だ」ということで、NHKに昔いたフランス氏に電話が回った。
 また、NHK報道局は、私の古くからの友人であり、大学で非常勤講師としてインドネシア語を教えている女性に五年前から、通訳、翻訳を依頼していたが、彼女が、「やらせ」裁判で講談社側の訴訟関係の翻訳をしたことを知って、二〇〇二年三月ごろから仕事を頼まなくなった。ガルーダ航空機の事故などインドネシアがらみの事件事故があると、真っ先に一報があり、スタンバイするように言われ、仕事を頼まれていたのに、今回のバリの爆弾事件では一切連絡がなかったという。彼女はNHK報道局でインドネシア語の通訳として第一人者だった。
 私は一〇月三〇日と一一月一二日に、NHKジャカルタ支局とフランス氏が一〇月一〇日、雇用問題で和解したことについて、田端支局長とNHK広報局にファクスを送って事実確認を求めた。フランス氏から聞いた内容を文書にまとめて、「別紙のような事実はありますか。何か事実と違う点などありましたら、ご指摘ください。同志社大学の紀要にNHKが講談社を提訴した裁判報告の後編を書いています。一週間以内にご返事ください」と書いた。
 また坂本元支局長が一九九七年八月二四日にインドネシア・バランロンンポ島で撮影したビデオがまだ見つかっていないかどうかも改め て聞いた。
田端支局長からもNHK広報局からも返事はない。

*喜田村洋一弁護士は新潮社の代理人でもあった
 二〇〇二年一一月二八日の朝日新聞朝刊に、NHKの顧問弁護士、喜田村洋一氏が大きな写真入で出ているという情報があり、近くのニュースエージェントで、朝日の国際衛星版を買った。1ポンド70ペンス(340円)も出した。 
 「石に泳ぐ魚」出版差し止め裁判で新潮社の弁護士はこれまで名前を明らかにしておらず、誰がやっているのだろうと思っていたら、なんと「NHKやらせ爆弾漁法」裁判で、原告のNHKの代理人を務め、NHKと坂本・元ジャカルタ支局長は報道被害者だと主張している喜田村洋一氏だと分かった。驚いた。
 朝日記事の見出しは《対論・柳美里さん「石に泳ぐ魚」出版差し止め最高裁判決をどう見る》《表現の自由と人格権、調整は》で、原告側代理人の梓澤和幸弁護士との討論
本田雅和、中井大助両記者の署名記事で、次のような前文がある。
《芥川賞作家柳美里さんの小説「石に泳ぐ魚」をめぐり、登場人物のモデルにさせられた女性が「顔の障害を詳細に描かれ、プライバシーを侵害された」と訴えていた訴訟で、最高裁は「出版差し止めは表現の自由を定めた憲法に違反しない」との判断を示し、文芸作品の出版差し止めが初めて確定した。女性側の代理人を務めた梓澤和幸弁護士と柳さん側の代理人を務めた喜田村洋一弁護士に、表現の自由と人格権について討論してもらった。》
喜田村氏と梓澤氏の討論を引用したい。
  まず、《名誉権とごちゃまぜ 喜田村氏/人格否定の内容認定 梓澤氏/判決の意義と評価》 という見出しで次のように言う。

 喜田村 判決に失望した。プライバシーによって小説の差し止めができるのか、できるとすればどういう要件が必要か。新しい憲法判断が求められているのに、具体的には何も示されず、原審の結論維持だけが示された。下級審での差し止めや賠償などの判断で、プライバシー保護の流れが強まるだろう。
 名誉毀損は社会的評価を低下させたかどうかだから、一般読者にとって本人が特定できなければ成立しない。一方、プライバシー侵害は私事の公表だから、知られるのが少数か多数かは直接は関係がない。仮名でも匿名でも少なくとも本人の周りには分かってしまい、容易に侵害と判断される恐れがある。判決は名誉権とプライバシー権をいっしょくたに判断した。

《問答無用は自己検閲 喜田村氏/ネット社会、やむなし 梓澤氏/国会図書館閲覧禁止》ではこう述べる。
 喜田村 上告棄却されたときに何ができるかということを法律的にチェックした。それに基づいてのことだろう。
(国会図書館が作品を閲覧禁止にした。)
 喜田村 論外だ。判決は作家と出版社が対象で、判決の効力が及ばない第三者は関係ない。自発的な行為として見た場合でも、図書館は情報の自由な流通を率先して行う立場にあり、公開禁止は本来のあり方に反する。判決を受けて公開の仕方を考えるのはいいが、問答無用で公開しないのは事実上の自己検閲。自らの存在を否定することになる。
 
《理念は犠牲にできぬ 喜田村氏/場合によって制限も 梓澤氏/差別する自由》の見出しの項では次のように書いた。
(表現の自由に人を傷つけたり、差別したりする自由は含まれるか。)
 喜田村 含まれる。それによっていたみを被る人が出た場合、損害賠償などで救済すべきで、事前の差し止めなどはほとんど許されない。
 民主政治の基本である表現の自由は、米国でも建国の理念のようなものだ。モア・スピーチというあらゆる方向からの表現が保障されることによって真理が発見されていくという考え方だ。目の前の人が差別されているという理由で、社会全体の安全装置である大きな理念が犠牲にされていいはずはない。
 喜田村 裁判所だから芸術的な判断はできないし、させてもいけない。
 ただ、どこまで抽象化されているかとの判断に、創作性とからむ「現実からの離脱」度への評価が入ってくる。判決も「モデルがいる」ということを作家が公にしたことに触れている。
 名誉毀損やプライバシー侵害の判断の前提として「だれについての言及か」ということが前提になり、その時に「芸術としての完成度」という問いが、裁判官の思考の過程に入ってくる危険がある。

 喜田村氏はこのように、表現の自由の絶対性を主張している。名誉毀損とプライバシー侵害の違いを論じているが、よく分からない。
講談社に対して、名誉毀損だと主張している論理と、「石に泳ぐ魚」のモデルになった女性の訴えを不当だとする論理がどうつながるのかさっぱり分からない。
 喜田村氏は文藝春秋の顧問弁護士を長くやっているが、新潮社の代理人もしているとは全く知らなかった。報道被害者の本も出している喜田村氏の人間としての一貫性はどこにあるのだろうか。弁護士の倫理としても問題である。NHKの梅田弁護士も喜田村氏に近い。
 新潮社と柳美里氏は、原告の意向を無視して「石に泳ぐ魚」の改訂版を出した。ひどいと思う。原告代理人は「傷を与えて、せめて相手にかさぶたができるまで待てなかったのか」と批判した。
 喜田村弁護士は「あらゆる方向からの表現が保障されることによって真理が発見されていく」「目の前の人が差別されているという理由で、大きな理念が犠牲にされていいはずはない」と述べている。果たして今の新潮社に「表現の自由」を語る資格があるだろうか。デタラメな記事やプライバシーを暴いた本を書かれて、生死をさまよう苦しみの中にある市民を目の前にして、「理念」が優先するという喜田村氏ら新潮社の代理人の弁護士たちの倫理もまた問われよう。(終了)

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