2002年4月10日
撮影は自分の研究目的?
右陪席裁判官が証言に激怒
迷走したNHKの“切り札”証人

浅野健一

 NHKと坂本氏は、自分たちが「報道被害者」で、私と「現代」編集部が「報道加害者」だというでっちあげを行ってきた。NHKが唯一頼りにしている「目撃者」がM氏だった。これまでも、M氏が私たちの取材や調査に対して供述してきたことに一貫性がなかった。NHKにも講談社側にも「いい顔」をしようという姿勢だけは不変だった。
 三月五日、午前九時四○分、東京地裁の六階のエレベーターを降りたところで、M氏に偶然会った。もう一人の背の高いサングラスをかけたインドネシア人と一緒で、小柄なNHK職員〈いつも傍聴している総務部の管理職)が付き添っていた。M氏は笑顔で私にあいさつをし、握手を交わした。私がM氏と話を始めると、NHK職員が「話をしないでくれ」と二人の間に割って入った。「うちの証人なんだから・・・」と言っていた。法廷横の傍聴人控室には坂本氏、梅田弁護士、NHK職員と通訳が計一○人もたむろしていた。そこへM氏が入った。NHK以外の人間は私だけだった。私の存在に気づかないNHK職員は通訳たちとあれこれ話していた。すると、誰かが「浅野がいる」とこそこそと伝えて、静かになった。
 しばらくして、私が二月に送った写真が届いているかどうかをM氏に聞いたら、小柄で頭髪に特徴のある眼鏡のNHK職員が間に割って入り、「話しかけるな。証人だ。喜田村弁護士を呼べ」と怒鳴った。私は「ここはNHKの庁舎ではない。公共のスペースだ。どんな権利があってそういうことを言うのか」と抗議した。
 そこへ、フランス氏、浜野氏、小坂田氏も到着し、M氏とあいさつを交わした。
 M氏は午前の主尋問で、喜田村氏の質問に答えた。M氏は八月一八日にNHK取材班と会う前に、フランス氏が「爆弾漁」の映像を撮りたいと提案してきたというでっちあげの話を繰り返した。また、自分の研究と自然保護運動のために、爆弾漁の映像を撮るプロジェクトがあったと強調した。インドネシア科学協会(LIPI)やサンゴ礁保護計画(COREMAP)などの名前を出して、爆弾漁をなくすためのプログラムに参加していると述べた。これはNHK職員がM氏に言わせた内容だと思われる。M氏は二○○一年四月にこの話を突然私たちにしたが、同九月の再取材の際は、引っ込めていた。
 M氏は、「坂本氏が当初、漁民が爆弾を製作するところから爆弾を投げるところまですべてをやらせで撮影したいと言っていたので、五○万ルピアを払えば可能だと答えたら、それを渡された。C氏に渡したが、八月二三日になって、やらせは中止すると言ってきた。C氏から五○万ルピアは返してもらっていない。中止になったことも伝えていない」と述べた。
 M氏は「D氏にお金を払ったのはポケットマネーからで、坂本氏に分からないようにお金をたたんでふににD氏の舟の中に置いた」とも繰り返した。お金の渡しかたについての供述はまた変わった。
 M氏はNHKから受け取った金は、バランロンポ島へ行った船のチャーター料金などの交通費だけで、他には記念品の計算機の贈り物以外はNHKから何も受け取っていないというのだ。
 坂本氏は、島の取材を終えて帰ろうとしたとき、フランス氏が「島を回ってみよう」と言ったと主張しているが、M氏は誰がそう言ったかは覚えていないと答えた。
 坂本氏は爆弾漁撮影に成功した後、島に戻り、島の長にあいさつしてからマカッサルに戻ったと主張しているが、M氏は「島には寄っていない」と断言した。
 M氏は、バランロンポ島では今も爆弾漁が行われていると平然と答えた。大学職員として、またサンゴ礁を保護する活動家を自称している人が、そうした現状を憂慮しているという感じが伝わってこない。D氏らが爆弾を投げるところを何度も見たとも言った。なぜやめさせないのか。

 私はこの日、午後三時から教授会があり、午後の法廷は傍聴できなかった。傍聴した友人によると、午後の法廷のやりとりは次のようだった。
《喜田村氏 2000年の浅野さんの取材についてお聞きします。浅野さんと会った経緯を教えてください。
M氏 浅野さんと会ったのはフランスさんから頼まれたからです。フランスさんから電話があり、浅野教授がマカッサルに爆弾漁法の取材にくるとのことでした。
喜田村氏  その時、浅野さんは「現代」の取材ということを言っていましたか。
M氏 それは言っていません。
喜田村氏 浅野さんはどんなことを言いましたか。
M氏 九七年の漁法の調査に来た。島へは行けないかと言いました。
喜田村氏 その時、「現代」の取材で来たと言いましたか。
M氏 その名前は出していません。
喜田村氏 浅野さんに会うに当たって、フランスさんから何か指示されたことはありますか。
M氏 浅野さんに会ったら、「一五万ルピアを払ったと言ってください」と言われました。私は貨幣価値が変わったんだろうかと思いました。また、その金はNHKが払ったものだとフランスさんは言いましたが、D氏に払ったのは私の金です。
喜田村氏 お金の問題で、フランスさんと口論したのか。
M氏 電話の時は少々ケンカになった。私は自分の金だと思っていたが、フランスさんはNHKが払ったと言っていたからだ。
喜田村氏 フランスさんがあなたへ宛てた二〇〇〇年九月一五日、二〇〇一年六月二一日、二〇〇二年二月一八日の手紙があります。中身については聞きませんが、これを受け取って、あなたはどう感じましたか。
M氏 二度目の手紙はインドネシアで裁判をするつもりでPBHIに連絡しているというもので、脅迫めいていたため、両親や家族は心配しました。だから私は日本へ行って法廷の場で真実を話すことに決めました。マカッサルからジャカルタへ飛び立つ三〇分前にも手紙が来て、両親は大変心配しました。その手紙を飛行機の中で読んで私は不愉快に思いました。学部長には「片方だけの話だけで判断しないでほしい、戻ったら話をするので、双方の意見を聞いてほしい」と言いました。フランスさんは大学を通して圧力を掛けてきたのです。私は爆弾漁法に加担したと言われますが、当時は大学を卒業したばかりで、研究者としての自覚があったかはわからない。今日は真実を語る機会ができて嬉しい、今日証言したことは真実である。
的場徹弁護士 あなたがお金を払わなければ、Dさんは爆弾を投げたのか。
M氏 撮影はさせなかったと思う。2万5000ルピア(払うこと)が大変必要な条件だった。
的場氏 NHKのビデオをいつ見たのか。
M氏 何日か前にフランスさんから送られてきてジャカルタで見た。
的場氏 それ以前にビデオはもらっていないのか。
M氏 もらっていない。資料として残っていない。しかし、フランスさんはビデオをくれる約束をしていた。「大丈夫だろう」と言っていた。フランスさんの(ビデオをくれる判断ができるかどうかの)権限については知らない。
的場氏 あなたは爆弾漁法を撮影した当時、頼める漁師はどれだけいたのか。
M氏 Cしか居なかった。
的場氏 坂本さんから渡された(爆弾製作段階からのやらせ用の)金は何のためのお金だと言われたか。また、誰からもらったのか。
M氏 爆弾漁法のやらせのためのもので、直接坂本さんから渡された。
的場氏 八月一八日の話では、どんなことが決まっていたか。
M氏 NHKがクンダリから帰ってきてから撮影する、爆弾はバランロンポ島で作る、投げる場所は決めていなかった。
的場氏 八月一八日はなぜトランジットすると聞いていたか。
M氏 五〇万ルピアを渡すためにトランジットすると聞いていた。この金の用途はどうなのかを聞かれた。準備のために五〇万ルピア必要だからと説明した。坂本さんが来る前にやることは決まっていた。ただ、Cがどの漁師に投げさせるかは知らなかった。
的場氏 八月二三日、やらせが中止となった理由は何だったのか。
M氏 「やらせは撮りたくない」ということだった。
的場氏 中止となったら、NHKは費用を返せと言ったのではないか。
M氏 もう準備期間に入っていたし、NHKから返せとは言われていない。
的場氏 中止になったことはC氏に伝えたのか。
M氏 八月二三日に彼には会っていない(ので,伝えていない)。NHK取材班がジャカルタに帰った後で、Cに会ったところ、中止を伝えた。彼に「支払い(返還)できないよ」と言われたが、私は「それはNHKの問題だ」と答えておいた。
的場氏 坂本氏は「取材謝礼の一部を漁師への謝礼に回したら困る」とあなたに言ったと言われるが、本当か。
M氏 それは聞いたことはない。
的場氏 あなたは爆弾漁法を見たことがあるのか。
M氏 何度かある。ただDがやっているところは見たことがない。いつも同じところでやっているわけではない。島の近くでやる人は非常に少ない。D以外でやっている人の名前は知らない。
的場氏 Dがその場で爆弾漁法をやっていた根拠はあるのか、あなたは爆弾の音を聞いたのか。
M氏 私の経験上、漁師が集団で居るということは爆弾漁法をしているということだ。爆弾の音は聞いていない。
的場氏 Dに近づくまでに、坂本氏と話をしたか。
M氏 坂本氏は撮影する準備ができていた。もう一回やりますと伝えた。
的場 撮影するときではなく、Dに近づいていくまでのことを聞いている。
M氏 自然な形で行われていたので、聞く必要もなかった。
的場氏 Dとの交渉はどのくらいかかったか。その場面を坂本氏は見ていたか。
M氏 交渉はほんの僅かで、坂本氏は見ていた。
的場氏 再度聞くが、なぜお金が必要だったか。
M氏 撮影するためには必ずお金が必要だ。
的場氏 週刊新潮の取材に「坂本さんは黙っていたが、暗黙の了解だったはず」と答えているが、本当か。
M氏 自分が話したこととはかけ離れていた。だから,その後の取材に対してはテープに取ってあります。
的場氏 では、あなたはあの撮影はやらせではないと思ってるんですか。
M氏 インドネシアの法律に則って(インドネシアのサンゴ礁を守るためなら,法律的に許されるとムクシンは言っている)やったもので、やらせではない。
的場氏 NHKの要求を満たして撮影したわけですね。
M氏 そうです。

喜田村氏 あなた方が近づくまでに爆弾を投げていたか。
M氏 はい。
喜田村氏 昨日、NHKで見たビデオの中に「アポーロギー」と聞こえる言葉がありますが、これはどんな意味で、誰が言った言葉ですか。
M氏 マカッサル語で「不発だった」という意味で、何人かの漁師が言った言葉です。
喜田村氏 「トゥング」という言葉は、どんな意味で、誰が言った言葉ですか。
M氏 インドネシア語で、投げるから(海に入るのは)待ちなさいという意味で、D氏の声です。
喜田村氏 「トゥング スランラギ」というのは、誰の言葉ですか。
M氏 自分が言った言葉で、「ちょっと待て、彼はもう一回投げます」という意味です。
喜田村氏 「バゲマナ」というのは、どうですか。
M氏 それは忘れました。

塚田裁判官 テープのコピーを渡すのを約束してくれたんですか。
M氏 それが仕事を引き受ける条件だった。
塚田裁判官 それで届いたのですか。
M氏 (今年2月、訪日のためマカッサルから)ジャカルタに出発する前に届いたので、約束は果たしてもらったと思っています。
岸裁判官 あなたのプロジェクトとはどんなものですか。
ムクシン 費用や機材が足りないため、まだ計画中のもので、支援してくれる人を探しています。
岸裁判官 そのプロジェクトは国のものか、個人のものか。
M氏 ハサヌディン大学と社会研究所の合同の予定だったが、まだ計画中です。(ここで、ムクシンが長々と述べていたところ、岸裁判官が大きな声で、「簡潔に答えてください」と怒鳴るように言った。)》

 M氏は二月二五日に来日したことを明らかにした。約一週間、NHK代理人、坂本氏らと入念に打ち合わせをしたのだろうが、この日の証言はNHKにとって失点が多かったと思う。
 D氏との金銭授受に坂本氏は関与していないという点はNHKの要請通り、証言した。しかし、NHKがD氏と遭遇する前まで、D氏ら船団は爆弾漁をやっていたということは説明できなかった。M氏は自分もサンゴ礁を保護する活動をしており、爆弾漁がいかにサンゴ礁を傷つけるかを示す映像を撮りたかったと繰り返した。M氏は我々が二○○一年四月末に会った際に、この話を突然出した。しかし、九月に再会したときには、《NHKの話を聞いたとき、自分もそういう計画があったんだと思い出しました。爆弾漁法を撮りたいというのがあったんだけれども、爆弾を投げていたあの映像は、基本はNHKのためのものだというふうにもちろん自分は思っています。ただ偶然自分もそれがほしいなと思っていたので、「コピーがもらえたらすごくうれしいな、だって自分はほしかったんだから」という気持ちがありました。ただ、基本としては、NHKのものだ、NHKの人が撮りたがっていると思っていました》とかなりニュアンスが変わった(注1)。
 今回、M氏は裁判官らから「そのテープのダビングをなぜもらわなかったのか」と追及されて、今回日本へ来る前にフランス氏から送ってもらってうれしかったと答えた。フランス氏が送った手紙を「脅されて怖かった」と言いながら、テープは感謝しているのだ。フランス氏が送ったテープは、NHK・坂本氏のやらせを告発するためのテープであり、五年前の「約束」を果たしたわけではない。
 「やらせではない」と明言しながら、当時の自分はまだ公務員になったばかりで、未熟だったと弁解する。D氏との交渉の間、坂本氏はそれを見ていたと認めた。
 的場弁護士の追及に疲れて、ひじをついて答えるなど、証言の態度もよくなかった。フランス氏は六時間集中して答えていた。
 フランス氏によると、M氏がNHKに不都合な答弁をするたびに、傍聴席にいた広瀬部長は、いったいどうなっているのかと右往左往していたという。他のNHK傍聴団も同じだった。

 喜田村氏が「トゥング スランラギ」(トゥング、ディア・ウランラギ)と言ったのは誰かと尋ね、M氏が自分だと認めた。喜田村氏はフランス氏への反対尋問でも、M氏への主尋問でも、未編集テープの映像を前提に質問していた。本物のマザーテープが見つからず、「違法性の強い手段で入手しており証拠にならない」と主張していた、未編集テープをマザーの真正コピーと認めて尋問しているのだ。
 今回の裁判ではNHK側が未編集テープの法廷での上映に強く反対したが、双方の証人への尋問では、未編集テープを見たことを前提にした尋問が行われており、喜田村弁護士も何の躊躇もなく未編集テープについて聞いていた。
 私は三月一一日、NHKに情報開示を求める五通目で請求を行った。開示を求めたのは、M証人来日に関する文書である。
 《NHK側証人として、2002年3月5日の第11回口頭弁論の証人となったインドネシア国立ハサヌディン大学職員・M氏と同氏に随行してきたインドネシア人の訪日に関する全スケジュール(誰といつどこで何のために会ったか、インドネシア大使館へ連絡したかなど)と2人にかかった総費用。随行者の職業、姓名、年齢。代理人の弁護士への日当など謝礼の額。2人の滞在中に接待した職員名、ムクシン氏の証言を当日傍聴した職員の役職と姓名》

解雇問題はジャカルタの法廷へ

 NHKジャカルタ支局の代理人の弁護士(インドネシア人)は三月八日、フランス氏の雇用問題の代理人であるバシル弁護士に会い、NHKがフランス氏の退職金として三万五千ドルを支払う用意があると申し出たという。バシル弁護士は京都に滞在中のフランス氏に国際電話をしてきた。フランス氏の解雇問題は労働省による調停が不調に終わり、裁判に移行することになっている。NHK側は「解雇はしていない。フランス氏は自己都合で退職した」という主張を変えていない。フランス氏は帰国した一○日夜、電話で「NHKから公式の謝罪文をとるまで和解には応じない」と私に述べた。
 私は三月五日夕、インドネシア大使館のシャヒリ・サキディン情報部長に、英文で、M氏の証言内容を伝えて、インドネシアの国家公務員が爆弾漁常習者に金を払って爆弾を投げさせたのは違法ではないかと指摘した。大使館のシャヒリ・サキディン情報部長から、すぐに電話があった。「なぜM氏はわざわざ日本まで来て証言する必要があるのか。今も爆弾漁が頻繁に行われているというのは、国の名誉を汚すものだ。NHKの取材のためでなく、自己の活動のために投げさせたというのはもっと犯罪的だ」と語った。四月二日の私の証言は傍聴したいと述べた。その前に一度会うことになった。
 フランス氏はサキディン部長と面識がある。フランス氏が部長から聞いたところによると、NHKは二○○一年南スラウェシ州でのリゾート関係の映像取材を申請したが、途中でとりやめたという。この事件が裁判になっていることが理由らしい。インドネシア大使館は、そのことがきっかけで「やらせ爆弾漁」撮影のことを知ったようだ。
 フランス氏が三月一八日国立ハサヌディン大学学長に出した手紙に対し、海洋水産学部長から学長への報告書のコピーがフランス氏に送られてきたという。それによると、(1)M氏の大学でのステータスは、研究者や講師ではなく、海洋水産学部研究所の研究者を助ける職員(2)フランス氏の手紙に書かれているようなM氏の活動について学部当局は全く知らない(3)フランス氏の手紙に書かれているようなM氏のすべての行為は、M氏個人の責任においてなされたことである---という内容。また、M氏の賃金は九四年の採用時は月額約一二万ルピア、二○○一年一月は約二九万ルピアであることを明らかにした。
 大学当局はM氏の帰国後に事情を聞くであろう。M氏が大学当局の事情聴取で、NHKに頼まれてウソの証言をしてきたことを暴露する可能性もなくはない。M氏が公務員としての地位を維持したいとすれば、東京地裁での証言内容を変更するしかないのではないだろうか。
 繰り返すが、「現代」編集部と私は、M氏の供述には真実でない創り話がかなり含まれていると当初から見ていた。「元貴族の家柄に生まれ、誰にでも親切にしたいという性格で、自分のしっかりした考えはあまりないタイプ」(M氏をよく知る研究者)であり、NHKの多数の幹部に頼み込まれて、彼なりに坂本氏も守り、「現代」記事についてもある程度認める苦しい立場に追い込まれたのであろう。
 M氏のマカッサルでの代理人のマプティナワン弁護士は、「NHKによるやらせであることは間違いない。誰が金を払おうと、撮影者の依頼で投げたのだからやらせだ。M氏は報道倫理に無知だ」と断言した。日本のメディア研究者も一致して「NHKが爆弾投擲をやらせたのは、未編集テープを見るだけでも間違いない」と明言している。
 M氏のような善良なインドネシア市民を、自分たちの「やらせ」を否定するために、日本にまで招き、一○日以上も滞在させて、「証言」させたNHKは、M氏の今後の人生をどう考えているのか。
 東京地裁民事四五部の裁判官たちは、フランス氏とM氏の証人尋問で、実に的確な質問をした。M氏がNHK坂本支局長を長とする取材班のために、誰かを介してか直接か、D氏と海上で落ち合う約束をしていたという疑惑が濃厚になったと私は思う。M氏は、坂本氏が当初から、漁民が爆薬を購入してダイナマイト爆弾をつくるところから、海で爆弾を投げて魚を獲るところまでをどうしても撮影したいということを知っていた。なぜ、マカッサルに帰る時に、偶然に、奇跡的に、広い海でM氏と親しいD氏の船団と遭遇できたのか。「現代」記事では、この点についてだけは、謎が残ったまま書かざるを得なかった。
 NHKは名誉棄損で最も著名な弁護士を雇い、若い弁護士を「インハウスローヤー」(日本に現在約八〇人ほどおり、日本テレビなどメディア関係の会社にも置くところが増えつつある)として採用し、本裁判を、報道被害として「闘って」いる。口頭弁論が開かれる度に、背広姿の男たちが傍聴席の左側を埋める。真っ昼間から、多数の管理職が駆けつける。今どき、優雅な組織だと思う。NHKはネット事業に参入しようとしているが、NHKの仕事は、いい放送をすることではないか。そのためには、フランス氏が「NHKを愛するがために、迷った末に告発した」坂本氏による「やらせ」問題を、法廷の場ではなく、市民・研究者が参加するオンブズマン的な機関で再調査すべきではないか。裁判が最高裁まで続けば、あと数年「係争中だから」という理由で、外部のモニターができなくなる。NHKは訴訟を取り下げるべきである。
ーーーー
(注1)二○○一年九月一七日の取材から。
浜野:Mさん、いいですか。まず映像をなぜ撮ったかというと、Mさんの研究のために自分が撮りたかったからだと前回おっしゃいましたよね。そうすると、8月24日のバランロンポ島での取材はどこからどこまでがNHKの取材で、どこからどこまでがあなたの研究のためだったのですか。それは区分けできますか。
M氏:私は前からサンゴのことが心配で、そういうのが撮りたいなあというのがありました。自分にはカメラがないということもあり、NHKの話を聞いたとき、自分もそういう計画があったんだと思い出しました。爆弾漁法を撮りたいというのがあったんだけれども、爆弾を投げていたあの映像は、基本はNHKのためのものだというふうにもちろん自分は思っています。ただ偶然自分もそれがほしいなと思っていたので、「コピーがもらえたらすごくうれしいな、だって自分はほしかったんだから」という気持ちがありました。ただ、基本としては、NHKのものだ、NHKの人が撮りたがっていると思っていました。
浜野:そうじゃない場合は、NHKは、カメラは自分で撮ったんだけれど、「Mさん提供」みたいなクレジットを入れなければおかしいんですよね。
浅野:まだコピーをもらってないんですよね。
M氏:今もまだもらっていません。
浅野:どうしてそれを頼まないんですか。坂本さんに言えばいいのでは。
M氏:自分はコピーを一部もらえたらいいなということだったし、それに緊急にそれが必要だということではなかったので、「早く送ってくれよ」ということではなく、お金もないわけだしもらったって今すぐ何かどうこうできるわけでもありません。自分が話したのはフランスさんにだけで、フランスさんが坂本さんに伝えてくれたのかどうかもわかりません。
浅野:要するに、日本だけじゃなくアメリカでもイギリスでもどこでもそうだと思うんですけど、マス・メディアがちゃんとしてるというか、わりと報道の自由がある国では、違法なことを、たとえばサンゴを破壊するとか、それをジャーナリストが撮ることが許されない。それとムクシンさんのように自分のための研究だとか、WWFの運動だとか、そういうところに記録として残す、どんな方法を使うかはいろいろとルールがあるでしょうが、とりあえずそれは許されると私は思います。NHKという報道機関、講談社でもいいし新聞社でもいいんだけれど、いまだかつてNHK以外の報道機関はどこも撮ってない。それを問題にしているんです。「現代」で、「問題じゃないですか」という問いかけをしただけです。

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