2001年12月30日


ワイドショー騒動から実名・有罪視報道へ
野村沙知代氏逮捕報道の大問題

     浅野健一

 東京地検特捜部は12月26日、5億6800万円余の所得を隠し、2億1300万円余を脱税したとして、野村沙知代氏と野村氏の経営する、「ノムラ」と「デイ−アンドケイ−」(D&K)の2社を法人税法と所得税法違反(脱税)の罪で起訴した。野村氏は12月27日、逮捕から22日後に保釈された。
 200人以上の報道陣が東京拘置所から保釈された野村氏を取材した。NHKも映像を流し、28日の朝日新聞なども写真を掲載した。ワイドショー報道の追認である。
 野村氏は、プロ野球「阪神タイガース」前監督の野村克也氏の妻で、宣伝企画会社「ノムラ」など2社の社長。起訴状によると、野村氏は1997年から2000年にかけて、2社で架空経費の計上を繰り返したり、前監督の年棒や沙知代被告の個人所得、米国のコンドミニアムの賃料収入も隠ぺいしたとされる。
 毎日新聞によると、沙知代被告は「いつまで収入があるか分からず、将来のことが心配で、税金を納めたくなかった。悪いことをしたと思っている」と起訴事実を認めているという。
 これで12月初めからの野村氏に対する逮捕=有罪視の報道は決着した。しかし、1999年の「サッチー・バッシング」報道の犯罪は消えない。
 私は12月8日朝のTBSラジオで下村健一さんのインタビューを受けた。TBSのHPでオンエアされた内容が紹介されている。
 「週刊文春」2002年1月3・10日合併号の《総力取材 消されたスキャンダル 50》のトップにある《懲りない女 野村サッチー 「報道被害」で梨本サンを訴える?》に、私のコメントが載った。電話してきた取材記者(女性)が上げた原稿をデスクがかなり手を入れてあんな形になったようだ。野村氏に関するワイドショー・タレントの不当な発言を取り上げるというので電話取材に応じた。どういう発言が報道倫理、客観報道原則上で問題になるかをということで、具体例を挙げて、記者の側でビデオや新聞、雑誌にあたって書いてほしいと伝えた。
 「懲りない女」という見出しは問題だ。また、タレントたちの暴言などがを私の発言として引用している。私は野村氏を支援しているわけではなく、野村氏への不当な報道を検証していると何度も言ったのだが、記事を見ると、「野村氏を支援している」と書かれていた。
 文春のやり方はカニングだと改めて思う。しかし、「この記事が出てから野村氏への中傷発言がパッタリ止まってしまった」(野村氏の本を二冊出しているモッツ出版社長の高須基仁氏)らしい。
 
 今回の逮捕報道を振り返って見よう。
 地検の逮捕を受けて、新聞、テレビ、雑誌は、野村さんの容疑が真実であるという前提で有罪視報道を展開した。かつて田中角栄元首相が東京地検に逮捕された際、それまでの評価をすべて捨て去って、田中氏の全人格を否定したのと同じだ。
*大新聞もバッシングに加担
 《「猛母猛妻」ずさん脱税 架空経費、査察で判明》。東京地検特捜部が一二月五日、野村沙知代氏を法人、所得両税法違反(脱税)の疑いで逮捕したことを報じた六日付朝日新聞の社会面トップ記事の見出しだ。
 「孟母三遷」をもじったのだろうが、悪意を感じる内容で、高級紙を自称する大新聞が載せるべき見出しとして適切だろうか。本文中にも「こわもて」「トラブル」「開き直り」という小見出しが立ち、《税理士事務所の職員に「領収書がないものは経費にならない」とたしなめられると、「領収書は私の頭の中にある」と言い放った。》《申告書には、思いつきで書いたとしか思えない数字が並んでいた。裏付けとなる証拠書類の提示を求めた係官に、沙知代容疑者は答えたという。「そんなものないわよ」》などと伝えた。引用部分の情報源は明示されていない。
 朝日が出している「AERA」一二月一七日号も表紙で「妻トラわれ、監督去ッチー」と書いた。記事は《サッチー不思議人格を解剖する 精神科医らが読み解く「金への執念」と「むき出しの自我」》という見出しだった。
 朝日新聞は一二月一五日夕刊の「ウィークエンド経済」面で、「不良妻君処理」という文字の入った風刺マンガを載せている。筆者は「つだゆみ」で、検察官に連行される女性の前で、夫が記者会見をしているマンガだ。女性の描き方には相当な悪意が感じられる。
 山口正紀氏が「週刊金曜日」一二月二一日号の「人権とメディア」で書いているように、新聞のワイドショー化がすすんでいる。
*ワイドショーは言いたい放題
 五日夜の民放テレビ各局のニュースはすべてトップだった。地検は野村さんの自宅兼会社事務所を家宅捜索し、二億一五○○万円の脱税の疑いがあるといいうのだが、これがトップにすべきニュースだろうか。 夫の野村氏が六日未明に監督辞任を発表し、さらに騒ぎが大きくなった。
 六日からのテレビのワイドショーと週刊誌は一九九九年三月から二百日続いたあの「サッチー・バッシング騒動」を再現した。番組のタイトルは「栄光から転落」「虚飾の日々」「野村ファミリーの崩壊」など。野村氏に「虚飾の人生」「悪妻」「脱税サッチー」「脱税魔女サッチー」などと罵詈雑言を浴びせた。 辞任した野村前監督についても、「妻を指導できない男が選手を指導できるか」などと非難。二人の結婚の経緯まで非難し、「野村ファミリーの崩壊だ」とまで言った評論家もいる。「週刊ポスト」一二月二一日号は《醜聞スクープ 野村克也が「脱税サッチー」に離縁状》というタイトルを付けた。
 私は「週刊金曜日」二〇〇〇年三月三日号で野村さんと対談し、最近刊行された別冊ブックレット「金曜芸能 報道される側の論理」に収録されている。(このHPでも、私はなぜ野村氏と対談したかを書いている。) このブックレットに野村氏の「メディアは私を殺したかったのか」という声が載っている。私はブックレットの中で「こうしたワイドショーが白昼堂々と半年以上もオンエアされる文明国は、絶対他にないと確信します」と書いている。
*逮捕されたら全人格否定
 今回、検察庁が有名人を逮捕したからといって、その人の全人格を否定するような報道機関は先進国にはないと言っておきたい。
 テレビのワイドショーはバッシングのころの映像を再現。とくに野村氏がリトル・リーグ野球チームの選手を怒鳴ったり、脱税容疑を否定している場面を繰り返している。視聴者が見たら反感を抱くであろう場面や音声を抜き出してつないでいる。今回の逮捕容疑にはない、コロンビア大学留学問題も再燃させている。
 米国在住の二男、ケニー氏と野村氏の電話での会話を録音したテープがオンエアされた。このテープで、野村さんがケニー氏に口止め工作を行ったことが分かり、国税当局も極めて悪質と判断し、告発に踏み切ったと報道された。
 録音テープがあることは、週刊誌の報道で明らかになっていたが、逮捕の前は、電話のやりとりを声優が読んでいた。「子どもが親の脱税を告発するのは例がない」(土本氏)ということで、興味本位の報道になっていると思う。
 テレビ各局は野村氏宅前から中継。にやにや笑う報道陣の顔が写った。NHKは家宅捜索の模様を建物のすき間から撮影して伝えた。
 共同通信が逮捕の数日前から「地検が立件」と報道したため、一二月三日ごろから自宅周辺に報道陣が数十人包囲していた。共同の配信記事では、脱税額が三億円を超すと書いてあった。「三億円以上なら実刑になるので、ひどい間違い。地検特捜部以外でとったガセネタを地検をソースにして書いたので、地検はかなり憤慨している」(民放司法担当記者)。
 なんでもありの復活だ。「サッチー・ミッチー騒動」の「敵」側のタレントたちは「やっぱり神はいた」「天罰だ」などと言いたい放題だ。検察は神か。ワイドショーのキャスター、自称ジャーナリストたちも「裸の女王」「戦争の時代からそのままだ」などと悪意を隠さずにコメントした。ワイドショーに出て、自分は一度も悪いことをしたことがないような顔で、人間を誹謗中傷する人たちの品性を疑いたい。
 ワイドショーは自局に出演した野村氏夫妻のビデオ映像をつなぎあわせて、「栄光から転落まで」を回想した。野村夫妻の結婚についても、「(沙知代さんに)取り込まれたというのが当時の南海ファンの見方だ」(大谷昭宏氏)などと野村氏夫妻を責めた。 
*夫妻は別人格のはず
 野村・元監督を誹謗する発言も目立った。一一月に札幌で急死した元南海ホークスのエースでバッテリーを組んでいた杉浦忠・元監督の葬儀に来なかったことなどを理由に、「人の道に反している」(大沢啓二元日本ハム監督)などと人格攻撃している。葬儀にいけない事情があったかどうか確かめたのだろうか。「野球人生は終わった」などと決めつけるコメンテーターも多数いた。妻の脱税で、野球界から永久追放になるというのか。
 脱税で逮捕というのも意外だった。明らかに見せしめ的な身柄拘束だった。東京地検特捜部が担当するのも不思議な気がした。逮捕要件の「証拠隠滅・逃亡の恐れ」はあるのだろうか。自治労の後藤元委員長は約1億2000万円の税法違反の嫌疑だったが、逮捕されずに在宅起訴だった。
 九二年八月、金丸信・元自民党幹事長への五億円献金問題が明らかになった際、政治資金規正法の量的制限違反の罪で略式起訴された。逮捕はなかった。罰金二十万円での決着だった。
 土本武司・元最高検検事は九日朝のTBS番組で「脱税事件では普通は逮捕しない。二男ケニー氏の録音テープがなかったら逮捕していないだろう。口止めの仕方が悪質で、証拠隠滅の恐れがあるということで逮捕したと思う」と述べた。しかし、テープが重要な証拠になったのなら、隠滅すべき証拠はあまりないのではないか。
 私の知人の税理士事務所職員は、《あの読むからに意味不明の「税法」なるものを、普通に生きてるひとに守れということ自体、無理だと思う》と言っている。
 逮捕=犯人の実名報道主義の悪習がここでも見られた。裁判で有罪が確定するまで無罪を推定されるという法理は忘却されている。検察捜査に誤りはないのかという権力監視の姿勢は皆無だ。取材・報道する記者の姓名を明らかにし、情報源を明示し、両者の言い分を公平に報道するという客観報道主義にも違反している。
 元プロ野球選手の張本勲氏が九日朝のTBSテレビで、「脱税事件にマスコミも加担したのではないか。サッチーを非難する前に、テレビに出演させ、本を出版したマスコミの人たちも、間接的に加担したことを反省すべきだ。当時の責任者の人たちの顔を見たい」とコメントしていた。正論だと思う。
*メディアは見抜けたのか
 また、野村さんが九四年の衆議院選に新進党から出馬したことが問題になった。「人を見る目がなかった政党、政治家の責任は重い」とタレント評論家は言う。当時、新進党の代表だった小沢一郎自由党党首は五日の定例記者会見で、「かつて新進党から立候補したことのある野村沙知代氏が逮捕されたが」と聞かれて小沢氏は「そりゃもう、法に触れることをすれば司直によって厳正に裁かれる。誰であろうが同じ」と答えた。
 ワイドショーはこのやりとりを録画映像で流し、コメンテーターたちは、「この時点で既に脱税は始まっていた」と責任を追及した。ならば、テレビや週刊誌もなぜ見抜けなかったんか。
 松本サリン事件被害者の河野義行さんは一二月八日、同志社大学で開かれた人権と報道関西の会主催のシンポジウムで、「逮捕されたからといって、その人に社会的制裁を与えてはいけない。メディアは、警察・検察の言い分を垂れ流すのではなく、被疑者が無実なのではないかという視点で報道すべきだ」と強調した。
 脱税は確かに反社会的な犯罪だが、野村さんは被疑者であって「法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」(憲法三一条)のである。
 日本のメディアの最大の欠点は、逮捕=犯人を前提として被疑者を社会的に葬り去る実名報道主義である。裁判で有罪が確定するまでは、何人も無罪を推定されるという世界人権宣言の法理は無視されている。 また今回の報道には「逮捕された側」の言い分は全く出てこない。取材・報道する記者の姓名を明らかにし、情報源を明示し、両者の言い分を公平に報道するという客観報道主義にも違反しているのだ。
 野村さんは有名人で自らマスメディアに登場していたから、プライバシーは放棄しているという言い方もされているが、有名人にも一般よりは制限されるがプライバシーはある。逮捕されただけで悪人と断定されていいわけはない。
*検察庁技官がVサイン
 野村氏逮捕に関する報道がいかに「法の支配」を歪めているかを表したのが、検察庁技官のVサインだ。脱税容疑で逮捕された野村氏を任意同行した際、車を運転した東京地検の技官が写真記者に向かって右手で「Vサイン」をしてその写真が七日付(六日発行)の「東京スポーツ」一面に掲載された。技官は公用車の運転手で、5日午後に東京都内のホテルから野村氏を東京地検まで同行する車を運転していた。東京地検は一二月一三日、この技官を厳重注意処分にし、上司にあたる総務課長を注意処分にしたことを明らかにした。処分は一一日付で、東京地検事務局長名で行い、処分理由は「官職全体の不名誉になる行為に当たる」とされた。
 この技官は、多数の報道陣がシャッターを切るのを見て、興奮して思わずVサインを出したのだと思う。司法手続きがまだ始まってもいないのに、「制裁」が下ったと勘違いしたのだろう。新聞、テレビはこの技官の姓名を報じなかった。東京地検事務局長と総務課長も仮名だった。実名報道が基本というメディアは、なぜ上司まで仮名にするのだろう。
*隠される需要ニュース
 また、前回の「サッチー騒動」の裏で戦争ガイドライン、盗聴法などの悪法が次々に成立したことも忘れてはならない。深刻化する不況の中で、庶民の不安、不満のガス抜きのために野村さんがスケープゴートにされたとも考えられる。自衛隊の米国の戦争への参加、天皇の孫誕生に対する祝賀強制とも関係しているのではないか。自治労事件、朝銀事件にからむ朝鮮総連への強制捜査などの動きもきな臭い。外務省で税金を不正使用したキャリア幹部は誰も逮捕も起訴もされていない。巨悪がやり放題で放置されている。
 私は六月初めごろ、野村さんと電話で話した。「マスコミ相手に裁判をやりたいが、夫が阪神の監督だからできない」「浅野さんたちのメディア改革の運動で、私が協力できることがあったら言ってください」。
 野村さんは二○○○年春から夏にかけて、最も悪質な報道をしたメディア企業に対して、裁判を起こす準備をしていたが、断念した。野村さんは今回の逮捕報道で、刑事事件被疑者として新たな報道被害を受けた。監督が辞任した、いま、裁判を提起する可能性が出てきた。その際、今回の逮捕報道のほとんどが名誉棄損訴訟の対象になるだろう。
 前回のあのバッシングと、今回の逮捕報道の両方の活字、ビデオをすべて収集・保存して、野村氏についてひどいことを言ったタレント、評論家、学者・法律家などの責任を追及する動きがある。私も協力したいと思う。

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