2002年8月23日
選挙戦でも隠される前知事の「脱・記者クラブ」の功績
長野県議会と県政記者クラブは「表現センター」に賛成せよ
浅野健一[以下は、「週刊プレイボーイ」8月6日号と、「創」9月号に発表した文章をもとに、HP用に最新情報も入れて書き下ろしました]
《冷房のスイッチを切った会見場「表現センター」にはテレビカメラ約30台が設置され、300人を超える報道陣・・・》。長野県議会の不信任決議を受けて7月15日、「失職」を発表した田中康夫・前長野県知事の記者会見の模様を伝える7月16日付のスポーツニッポンの書き出しである。
会見に同席した長野県政策秘書室秘書・報道担当企画員の池田秀幸氏によると、県庁5階にある仮設・表現センター(155・52平方メートル、当初はプレスセンター・表現道場などと呼んでいた)にエアコンは入っていたが、多数の報道陣とカメラのライトでサウナのような状態になり、記者が一部の窓を開けたため、冷房のスイッチを切ったと誤解したのだろうという。
田中氏の会見が行われたセンターは、前知事が2001年5月15日、日本で初めて本格的な「脱・記者クラブ」宣言を発表し、同6月末、県庁内にあった3つの「記者室」から3つあった「記者クラブ」メンバー全員を退去させた後、暫定的に使われている会見場だ。ここで開かれる会見には、大手のマスコミ以外の雑誌、ミニコミ、インターネットなどで情報を発信する「表現者」は誰でも自由に会見に参加できる。「失職会見」にも、開かれた県政改革という理念から、約30人の一般市民の表現者も参加し、前知事に拍手を送った。
田中氏の宣言では、記者クラブが占有していた記者室の後に、すべての「表現者」が利用できる「表現センター」を設置する予定だった。しかし、記者クラブと県議会が強固なスクラムを組んで反対したため、いまだに実現できていない。○なぜ不信任3会派は逃げるのか
田中康夫・前長野県知事が2001年5月15日、「脱・記者クラブ」宣言を発表し、同6月末、県庁内にあった3つの「記者室」から「記者クラブ」メンバー全員を退去させてから1年1カ月がたった。前知事は、「脱・記者クラブ」宣言の3カ月前に出した「脱・ダム」宣言をめぐる混乱の中、長野県議会において県内最大会派で自民党など保守系の県政会、自民党系の政信会、民主・公明系の県民クラブの3会派の共同提案による不信任案が可決されたのを受け、7月15日に失職、9月1日に県知事選が行われることになった。
田中氏は7月24日に「県民とともに引き続き改革を行うため知事選に立候補する」と再出馬を表明。長野市出身の前・産経新聞社論説副委員長の花岡信昭氏も同日県庁内の表現センターで出馬表明を行った(告示日前日の8月14日に突然辞退)。その後、石原慎太郎・東京都知事のブレーン的な活動もしている同県南木曽町出身の経営コンサルタント市川周氏、元鹿島社員の中川暢三氏、同県飯田市在住の弁護士長谷川敬子氏、青森県金木町のホテル社長の羽柴秀吉氏が立候補を表明。8月15日夕方、弁護士の福井富男氏が新たに立候補を届け出て、6人の争いとなった。全員が政党の公認、推薦を受けない無党派、市民派を名乗るユニークな選挙となった。守旧派の県議、首長たちと記者クラブの記者たちと連帯しての「反田中攻撃」が強まる中で、投票は9月1日に行われ、即日開票される。
「知事としての資質」という言い方で田中氏の人格だけを問題にし、多数派の権力を行使して不信任決議を強行した3会派が候補者を擁立しないのは全くおかしい。推薦もしない。田中氏が県議会を解散せず失職を選んだことを激しく非難しながら、自分たちが辞職もしない。なぜ「反田中」の候補者が全員「無党派」なのか、理解に苦しむ。長野県議会にある県政会、政信会、県民クラブの3会派によって知事選挙になったのだから、3会派の県議たちが「一市民」として特定候補を支援するというのは、前知事が軽視したと何度も批判した知事と県議会という「代行制度」そのものの否定ではないか。
田中氏に不信任を突きつけた県議たちは、「知事は人間性はもちろんない人だけど、そのうえ頭の構造もおかしいんじゃないかと思う」(宮沢勇一県議会議長、『週刊朝日』7月26日号)などと、差別用語を使って攻撃までした。また田中氏を批判する県議や文化人は田中前知事を「理念は評価するが手法が乱暴」などと、たいした根拠も示さず酷評している。感情的な反発だけで前知事を追い詰めたと私には思える。○犯罪的な報道管制
また、マスコミ企業は「脱・ダム」問題は詳しく報道するが、前知事が1年1カ月前に全国に先駆けて実現した「脱・記者クラブ」宣言に基づく公的スペースからの「記者クラブ追放」は黙殺されている。記者クラブ解体は前知事の偉大な業績であり、市民主権の政治姿勢を最もよく現していると私は確信する。
「反田中」の候補者も記者クラブ問題について積極的にはふれない。花岡氏が出馬会見で質問されて、「脱・記者クラブ」宣言は間違っており、県庁内の記者クラブをもとに戻すと発言。会見終了後に、記者クラブが存置されていれば会見に参加できなかった雑誌記者やフリーライターから「前知事のつくった表現センターで会見したから我々はここにいることができる」と反論され、「これはいい雰囲気の記者会見だ」という意味不明の回答をして失笑を買ったぐらいだ。
この間の不信任から知事選挙告示まで、マスメディア報道では、田中県政に記者クラブ問題はなかったことになっている。これは守旧派県議とマスコミの共謀による悪質な情報管制(ブラックアウト)と言っていい。日本にはまじめな意味でのジャーナリズムが、日本新聞協会に加盟する大手マスコミ企業には存在しないことを明確にしたと言えよう。○不信任騒動直前に
私は一時帰国中の6月8日に長野市で田中氏に1時間半にわたってインタビューした。《脱・記者クラブ宣言》から1年たった記者クラブ問題を検証する記事を「週刊プレイボーイ」に書く企画だった。また、7月14日にソウルで開かれた国際コミュニケーション学会(ICA)プレコンファレンスのワークショップ「東アジアにおける民主主義とメディア」で、《調査報道を衰退させる日本の「記者クラブ」》と題する発表の中で、長野のモデルを取り上げるためでもあった。このワークショップではソウルにあるヨンセ(延世)大学のユン・ヨンチョル教授(新聞学博士)が韓国の「記者クラブ」問題を発表し、日韓の記者クラブ比較を行った(注1)。
田中氏とはテレビの討論番組で一緒になったことがあるほか、文化放送の「梶原しげるの本気でDONDON」のレギュラー・ゲストを務めていたときに、神戸連続児童殺傷事件、和歌山カレー事件などでメディア問題を取り上げたときに出演したことがある。久しぶりの再会だったが、「浅野さんは変わりませんね」と声をかけてくれた。
私は田中氏が脱・記者クラブ宣言を発表した直後の昨年5月21日、田中氏にメールを送った(注2)。その中で、《記者時代から記者クラブはつぶすしかないと考えてきた。知事の宣言に全面的に賛同する。個人情報保護法案などメディア法規制に反対する人たちは、マスメディアのことには権力は介入するなと声高に叫ぶのだが、彼らはどうして官庁の一室を占拠し、光熱費などを税金でまかなわれている「記者クラブ」を認めるのかと疑問だ》などと書いた。
その後も何度かメールを送り、2002年1月25日には《メールを嬉しく拝見しました。下記の「K嬢の長野県政ウォッチング日記」(http://www2.diary.ne.jp/user/95992/)は30代の女性のサイトですが、プロフェッショナルを自任する連中よりも遙かに感性を感じさせます》などと書いた返事があった。
インタビューの直後に、田中氏と県議会との「対立」が深刻化したため、「週刊プレイボーイ」8月6日号(7月23日発売)に《独占インタビュー 9・1知事選へ!! "脱・ダム"以上の大問題"脱・記者クラブ"を語り尽くす!》と題して掲載された。
ここでは、同誌の記事や「創」9月号ではふれることができなかった「表現センター」設置問題などを中心に報告したい。○「脱・記者クラブ」宣言の革新性
「創」2002年3月号に《記者クラブはやはり「解体」するしかない》と題して書いたように、私は通信社の記者をしているころから、全国の官庁、自治体、大企業などにある「記者クラブ」を解体しない限り、日本にまともなジャーナリズムは望めないと確信し、公言してきた。
記者クラブの問題はマスコミや行政だけのものではない。そこに使われている金がすべて税金であることからして、我々とも多いに関係している。だからこそ「脱・記者クラブ」は大きな改革の意味を持つ。
田中氏はインタビューでこう切り出した。
《記者クラブという存在は日本に800以上あります。そのスペースは役所の中にあるんですね。ですから、新聞社やテレビはそのスペースをただで借りてるわけです。光熱費もただ。世話を焼いてくれる事務職員の費用もただ。でも、本当はただではない。税金で払われているんですから。
その税金は、もちろん市民が払ってくださる。行政の仕事は市民が税金を払ってくれて初めてできるし、働いている公務員の給料も市民が払ってくれてるんです。でも、世間一般の商売の場合は、よい商品を開発して、よい商品をよい接客で販売して、初めてお客様がお金を払ってくれるんです。ところが、行政は前もって税金を納めていただく、前払いなんです。しかも、それをどこに使うか明らかになっていない。年度末に事務経費を全部使いきるためにボールペンを1万本買ってるかもしれない(笑)。しかも、いくらで買っているかも、納税する市民の側は知らないわけです。税金というのは本来払っている人たちによって使い道が決められなければならないのに、です。ですから、記者クラブの費用を税金で払うことが市民のためになっているのか? 端的に言うと、その部分をきちんと正しましょうということです》
《長野県の本庁舎には3つの記者クラブがありました。いちばん長い歴史があったのが、テレビや全国紙を含む新聞が入っている県政記者クラブです。しかし、松本市を中心とする『市民タイムス』という地域紙の記者はそこに入ることができませんでした。たとえば松本の市民が県の本庁舎にやってきて何か要請をし、その後会見を開いたとします。従来は県政記者クラブで会見は行われていました。そこに『市民タイムス』の記者は同席できなかったんです。税金でまかなわれているスペースにです。ですから松本の市民は、松本でもっとも読まれている『市民タイムス』に改めて会見をしなければならなかった。
そんな記者クラブに税金を使うことが市民のためになっていると言えるでしょうか? 私は知事就任以来、繰り返し私の会見は『赤旗』や『聖教新聞』やその他、ウェブサイトをやっている人も入れるようにしましょうと言っていました。それまで、知事の会見の主催権は3つの記者クラブが合同で持っていました。スポーツ新聞の人は前日に記者クラブに言って了解を得なければ、私の会見に出席できなかったわけです。『赤旗』や『聖教新聞』といった政党や宗教団体の新聞は申請しても入室が認められていませんでした。しかし、しゃべるのは私です。私は県民から選ばれた公人です。なぜ、公人の会見に出席できない人がいるのかということです。その点を私は記者クラブに対して、再三申し上げてきましたが、検討するというばかりでした。ですから、私は「脱・記者クラブ宣言」を出したというわけです》○表現者は平等
作家や市民運動家としての活動で、田中氏は「記者クラブ」が公的情報の自由な流れを妨害し、市民の知る権利を制約していることを熟知していた。2000年10月に知事に就任したとき、長野県の本庁舎の中には、一番古い歴史の信濃毎日新聞、全国紙、通信社、テレビが入っている「県政記者クラブ」のほか、地元の業界紙などが入る「県政専門紙記者クラブ」、地域紙などの「県政記者会」という3つの記者クラブがあった。知事の会見はこれら三つの記者クラブが共同で主催していた。県の部課長や各種団体の会見は県政記者クラブの会見場で行われ、二つのクラブは排除されていた。松本市の市民が会見したときに、松本市内で最もよく読まれている「市民タイムス」という新聞の記者が会見に参加できず、同紙のために改めて会見しなければならなかった。
田中氏は知事就任後、スポーツ新聞や日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」や創価学会機関紙「聖教新聞」やウェブサイトで表現活動をしている人も会見に入れるようにしようと繰り返し提案していた。公人である知事の会見に出席できない人がいるのはおかしいという考えだった。田中氏の再三にわたる呼び掛けに対し、記者クラブ側は「検討する」と役人のような態度しか示さなかった。そこで、田中氏は「脱・記者クラブ」宣言を出したのだ。
宣言によると、長野県庁内の3つの記者クラブがあった記者室の総面積は263・49平方メートルあり、これらの部屋だけでなく駐車場も含め無賃で占有してきた。電気、冷暖房、清掃、ガス、水道、下水道の管理経費、クラブに配属されていた職員の賃金も県民の血税から支払われていた。推計での総額は年間1500万円の税金が使われていた。
岩瀬達哉著『新聞が面白くない理由』(講談社文庫)によると、「記者クラブ」に対するそれぞれの役所の経済的な便宜供与は、全国紙一社当たりで約5億3000万円に上ると推定されるという。○他の自治体は記者クラブ擁護
マスコミ記者は、彼や彼女自身が市民でもあり、市民の知る権利にこたえて取材・報道の仕事をしているだけで、何の特権もないはずだ。だから民主主義の時代に、記者クラブ解体は当然のことである。
しかし、大マスコミがこんなにおいしい特権を簡単に手放すわけがない。またクラブを使っている権力者もクラブを手放さない。だから宣言は広がらなかった。
同じ長野県内の市長たちはクラブの存続を表明。県外でも、「改革」を常に唱える石原慎太郎・東京都知事は「(田中知事のような)乱暴なこと申しません」とコメント。彼は記者クラブの本質を全く知らない。石原知事は田中氏の「脱・記者クラブ」宣言の後、加盟社から部屋などの使用料を徴収すると思いつきで発言したが、すぐに撤回。ところが、東京都庁にある都庁記者クラブ加盟の常駐社は都との協定に従い、2002年年10月から各社のブースの専有面積(平均約30平方メートル)に応じて、光熱費、水道料金、清掃料などを支払っている。法令に基づく協定ではなく、新聞・通信、放送各社は個別に代表が都知事と協定を結び、自発的に支払う形式をとっている。マスコミはこの支払いについてほとんど報じていない。
日本新聞協会は、記者室の設置は公的機関による行政の責務として公共目的のために置くべきだと主張しており、記者室の占有使用にランニングコストを払うというのは全く理解に苦しむ。一般の表現者とは違って公共性の強い特権集団「ザ・プレス」を自称する報道機関の自殺行為ではないか。「脱・記者クラブ」宣言に刺激された試みだろうが、「記者クラブ」の矛盾を深めるだけである。
無党派でTBS出身の堂本暁子千葉県知事も、記者クラブの問題点について詳しくなく、『記者クラブ制度』も一種の情報公開」などと「記者クラブ」をヨイショした。○違法な記者室占拠
記者クラブを外国人に説明するときは、「キシャ・クラブ」(kisha-kurabu, kisha-club)としか表現しようがない。日本新聞協会の英文ホームページ(http://www.pressnet.or.jp/english/index.htm)も‘kisha club’と表現している。外国にも「記者クラブ」があるというウソを言う学者やマスコミ人がいるが、特定の報道機関に属する記者たちだけで構成する記者集団が法手続きを経ず、公共施設を独占使用し、その集団以外の記者を排除している国は日韓両国以外にない。韓国に記者クラブがあるのは、日本帝国主義による強制占領のなごりである。キシャ・クラブは日本独特の制度なのだ。
明治時代に生まれた「記者クラブ」は記者たちが権力に情報を開示させる連帯の拠点だったが、戦時体制に入った1941年にクラブの自治が禁止された。治安維持法下に現在の「記者クラブ」が定着し、戦後も米軍が「記者クラブ体制」を日本統治の手段に使うため存続させて今日に至っている。
日本の「記者クラブ」は読売、朝日、毎日などの大新聞社とブロック・地方紙、共同通信などの通信社、NHK、民放局などのマスコミ企業でつくる日本新聞協会の加盟社、または、これに準ずる報道機関から派遣され、クラブに常駐できる記者で構成される。「記者クラブ」のメンバーになれるかどうかはクラブが決める。「国民の『知る権利』にこたえる報道機関」(「ザ・プレス」と称している)には記者クラブを使う特権があるというのだ。○ほかの団体なら強制排除
「記者クラブ」はどんなものかをわかりやすいたとえ話にしてみよう。公立図書館が完成した直後に、図書館によく出入りしている人たちが「読書クラブ」をつくって、図書館長とかけあって、図書館の中にある部屋を占有し「読書クラブ」の看板を出して、「クラブ・メンバー以外は入れない」と宣言し、実際にクラブ員以外の利用者には使わせない。冷暖房完備の「読書クラブ」室の使用料はただ。クラブ員専用の机、イスが用意され、電話、ファクス、コピー機、冷蔵庫、休憩室なども完備していて、公務員である図書館員がクラブ員の世話をするために1人派遣されている。
クラブに入会を希望できるのは、本を読むことによって社会に貢献する日本読書協会の会員で、かつ週最低5回は図書館に顔を出す読書常習者であり、クラブ総会で承認されなければならない。
もっと簡単に言えば、組織暴力団に所属するやくざの人たちが、「任侠道」を掲げて、勝手に公園や役所の建物の一部を占有して活動をしているというのと構造的には何も変わらない。日本のマスコミ企業に人権を侵害された人たちは、「日本の大新聞は暴力団以下だ」とよく言うが、暴力団だってこんな乱暴なことはしない。和歌山毒入りカレー事件の被告人の女性の自宅を殺人の逮捕の4カ月も前から包囲するような集団取材による暴力も同じだが、もし、「報道」以外の団体なら、警察が出動して強制的に排除するだろう。
マスコミ企業の記者たちは、ほとんどがいわゆる有名大学を出ており、社会的地位も高いので、暴力団とは違うと考える人もいるかもしれないが、「記者クラブ」がやっていることを構造的に見ればそうなるのだ。
1996年に鎌倉市の竹内謙・前市長(元朝日新聞記者)が記者室を廃止して広報メディアセンターを設置したが、センター利用者をマスコミに限っており、不十分だった。この点については『無責任なマスメディア』(山口正紀氏との共編、現代人文社)の拙稿を参照してほしい。
田中氏の「脱・記者クラブ」宣言は、日本で初めての記者クラブ解体の実行であり、快挙だった。宣言は、「須(すべから)く表現活動は、一人ひとりの個人に立脚すべきなのだ」とうたい、雑誌、ミニコミ、インターネットなどで情報を発信する市民すべてを「表現者」とみなし、県庁内に「表現者センター」を設けた。大マスコミに何の特権を認めないというのがすばらしい。
マスコミ記者は、彼や彼女自身が市民でもあり、市民の知る権利にこたえて取材・報道の仕事をしているだけで、何の特権もないはずだ。だから民主主義の時代に、記者クラブ解体は当然のことである。
ニューヨーク・タイムズのハワード・フレンチ東京支局長は2002年2月4日、新聞協会などの記者クラブ新見解を読んで、《日本のメディアにとって最も深刻な問題の一つは、権力に対して挑戦したり、独立した立場で調査することに緩慢であることだ。記者クラブはすべて廃止すべきだ。記者クラブは時代錯誤記者クラブは、よきジャーナリズムにとって存在理由が全くない。健全な競争とアグレッシブな報道に有害である》と私に述べた。同感である。
しかし、大マスコミがこんなにおいしい特権を簡単に手放すわけがない。またクラブを使っている権力者もクラブを手放さない。だから宣言は広がらなかった。○記者クラブが宣言に反対
三つの記者クラブは、宣言について公式に態度を表明しなかった。宣言の中には、記者クラブを記者室から2001年6月末に撤退させると明記されていたが、これについて反対するという姿勢も示さなかった。記者クラブが最もこだわったのは、クラブでの会見の開催権の問題だった。記者クラブ側は県と、クラブの代わりにできる表現センターをどう整備するかについて話し合っていた。県側は、開催権で調整ができれば、宣言を実現できると見ていた。
ところが、県政記者クラブは2001年6月21日に発表した《「『脱・記者クラブ』宣言」に対する見解》の中で、「報道の根幹かかわる問題を含んでいるにもかかわらず、何の意見交換もないまま、突然一方的に出された。日々の取材活動に大きな支障をきたす恐れがあり、このまま受け入れることはできない」と反対を表明した。
しかし、3つの記者クラブのメンバー全員は、同年6月末、それぞれの記者クラブがあった記者室からおとなしく退去した。「記者クラブ」は「国民の知る権利」に応えるために不可欠と主張しながら、何の抵抗もせずに記者室を明け渡したのである。宣言が不当と考えるなら、居座って法廷闘争も辞さずに抵抗すべきではないか。鎌倉市が記者クラブを撤廃したときは、記者クラブは新たに設置された広報メディアセンターへの登録を1年前後にわたって拒否して抵抗した。○県議と守旧派記者がつぶした「表現センター」
田中氏の宣言では、県庁3階の県政記者クラブが占有していた記者室(194・4平方メートル)の後に、情報を発信する市民すべてを「表現者」が利用できる「表現センター」(当初はプレスセンター、表現道場、表現者センターなどと呼んでいた)を設置。また、1階にあった県政記者会の部屋(38/85平方メートル)を執筆場所の「表現工房」(ワーキングルーム)にして、2階にあった県政専門紙記者クラブが使っていた空間(30・24平方メートル)に荷物置場の「表現倉庫」を開設する予定だった。
しかし、記者クラブと県議会の反対でいまだに実現できていない。このため記者クラブ解体後に、県庁5階の会議室につくった仮設の表現センターが使われており、300人の表現者が参加した7月15日の田中氏の「失職会見」もそこで行われた。東京の新聞、テレビ企業はほとんど報じていないが、《開かれた県政改革という理念からこの日の会見には約30人の一般市民も参加し、知事に拍手を送った》(スポーツニッポン)という。
長野県庁の「表現センター」がうまく運用すれば全国に波及するはずだった。だから「記者クラブ」守旧派の人たちは、表現センターの設置を妨害した。その経緯を見てみよう。田中知事の「脱・記者クラブ宣言」は、「須く表現活動は、一人ひとりの個人に立脚すべきなのだ」とうたい、雑誌、ミニコミ、インターネットなどで情報を発信する市民すべてを「表現者」とみなし、県庁内に「表現者センター」を設け、そこで記者会見などを行っている。
《「脱・記者クラブ宣言」によって、私の会見には誰でも出席できるようになりました。春休みなどには小学生も来ます。高校生が来て質問することもあります。すべての人を私は表現者と呼んでいます。それに対して記者クラブに属している人たちは、すべての人を表現者としてひとくくりにするのはおかしいと言い出しました。しかし、プロフェッショナルとアマチュアがいるとして、プロフェッショナルが本当にアマチュアよりも優れていたんでしょうか? 福田官房長官の「非核三原則」をめぐる発言を報じた新聞やテレビは“政府首脳”という言い方をしました。政府首脳が懇談会の場でオフレコにしてくれと言ったから政府首脳と書いたそうです。じゃあ仮に福田氏が「これはオフレコだが、明後日、日本がアメリカに、あるいは中国に戦争をしかけるぞ」と言った時にも報じないんですか? 報じたとしても“政府首脳の発言”としてボカすのですか? そもそも安倍官房副長官が早稲田での講演で「法理論と政策論は別だが、核兵器の使用は憲法上、問題ない」と発言したのを報じたのは「サンデー毎日」だけ、雑誌だけでした。日本が核武装可能だと言っているのにです。新聞やテレビの番記者も付いて行ってたであろうに。一体、何しについて行ったのかと。国会だろうが大学の講演だろうが、公人が吐く言葉はすべて公の言葉です。その言葉が国民益、市民益にどう影響するのかという観点から報ずるべきことを報じてこそ初めて意義があるのです。そんなことすらできなくて、何がプロフェッショナルですか》○2度も否決された表現センター予算
田中前知事は表現センターをつくるため、2001年6月の定例県議会の総務警察委員会(10人)に改装費約3000万円を提案したが全員一致で予算案から削除され、本会議でも共産党が知事提案に賛成しただけで修正案が可決された。
知事は9月の定例県議会にも約1800万円に減額して再提案したが、再び削除され、結局表現センターは県庁五階の会議室に仮設でつくられたままとなっている。県側は表現センターの設置をあきらめ、三つの記者室のあった部屋は、県庁の事務室として使われることになった。
県議側は「無駄に他ならない」と指摘したほか、《「知事の「脱・記者クラブ」宣言に記者クラブ側がいまだに合意しておらず、適切なプロセスで進められたとは言い難い。記者クラブ側と十分に協議すべきだ》(01年7月7日の毎日新聞、朝日新聞)などと反対の理由を説明している。
田中氏は表現センターの予算が二度否決された事に関して、その際、NHK長野放送局のN記者(県政担当キャップ、本HPでは姓名とする)らが県議会議員に予算案に反対するように要請したと田中氏は雑誌に書いており、私のインタビューでも強く批判した。田中知事がN記者の言動についてさまざまな機会に非難したところ、それを知ったNHK長野放送局側が県庁に対し、「そういうことを言わないでほしい」と言ってきたそうだ。NHK側は田中氏本人には何も言ってきていないという。
共産党以外の会派の県議が全員、表現センターに反対したのはあまりにも不自然だと思っていたが、大手メディアの記者たちが、反対するように働き掛けていたとすれば大問題だ。
《浅野 県に3つあった記者クラブの場所を使って「表現センター」を作ることを提案しながらも、県議会が予算を認めず、いまだに実現していないことをどう思いますか。
田中氏 ブロードバンドで常時接続できるようにしてさしあげましょうと、無料のお茶を飲む場所も作ってあげましょうと、テレビの回線コードも下に引いてあげましょうと僕は 言った。本来ならばマスメディア側も喜んで、議員らにそのことを認めてくれといいに行くのかと思っていた。ロビー活動のように。ところが逆に、幾人かの記者たちは、このような予算を通さないでくれと言いに行ったらしいんです。驚きました。表現センターの充実を望んでいなかったのかと。利用者が望んでないんだったら、税金を使う必要はないんです。それだけの話です。
浅野 個々の記者は表現センターができたほうがよかったと絶対思っているはずですし、実際に記者クラブがなくなって困ることは何もないし、足を使って取材するようになったと言っています。
田中氏 じゃあなぜ個々の記者が自発的に署名を集めないんですか?支局長クラスが田中がけしからんといってるから集められない。そんな意気地なしで記者を続けていちゃいけないよ。そんな意気地なしだったら、フリーターの子たちのほうがよっぽどアルバイト先でも機転が利きますよ。意気地なしで、何で表現者ですか。
浅野 全く同感です。NHKのN氏の言動について、調査します。》田中氏は「SPA!」2001年7月18日号(7月11日発売)で、次のように書いていた。
《「『脱・記者クラブ』宣言」に基づき会見場所の「表現道場」、執筆場所の「表現工房」、荷物置場の「表現倉庫」を開設するべく提出の予算案も、同様に葬り去られました。「無駄」に他ならぬ、との事由を以て。
慨嘆すべきは公共放送が身上のNHKを筆頭に、公平なる報道を社是に掲げる複数の長野県政記者クラブ加盟社の人間が、予算案「否決」を求める「根回し」を、共産党を除く県議らに行っていた事実です。併せて、中島史恵嬢との午後8時過ぎからの県知事室での対談を、県政会所属現職県議会議員の令嬢、との説明を敢えて省く報道振りも又。いやはや、県民不在の「神聖なる議場」での紛議に相応しき「高邁なる報道」の営為と評すべきなのかな。
長野県政記者クラブ室跡に開設予定の「表現道場」予算案が県議会で否決されたのに伴い、仮設「表現道場」を5階に開設。原則週1回の1時間に亘る知事会見。更には県民のみならず広く市民の方々も会見開催可能》○「根回しはしていない」とNHKキャップ
N記者は県政担当のキャップでデスククラスの記者だ。50歳代のようで、長野勤務は2度目。県が提案した表現センターの改装予算案が2001年に長野県議会総務警察委員会で二度否決された裏に、NHKの県政キャップが県議会議員に予算案に反対するように要請したという事実があれば大問題だ。
N記者は7月12日、私の電話取材に対して、「私を含め予算に反対するよう議員に働き掛けるようなことはあり得ない。当時の政策秘書室長に抗議している」と述べ、田中前知事の指摘を否定した。
《前知事は2001年の6月定例議会が終わったあとに、連載している雑誌に、「公共放送の県政担当記者が県議会議員たちに働き掛けて予算が通らなかった。
当時は記者クラブ問題、表現者道場の改装予算は一つの焦点だったので、もちろん県議に取材はした。議員に表現道場の予算について質問されたことはある。県政記者クラブは6月21日に見解を発表していたので、そのことについて県議に聞かれたこともある。しかし、私も含めクラブの記者が、予算を通さないようにとかの働きかけをすることは絶対ない。根回しなどするはずがない。
県議の人たちも、誰かの働きかけがあって反対したわけではないと言っている。
この雑誌記事について、NHKとして正式に抗議することになり、首都圏センターの上滝・担当部長と私が青山篤司政策秘書室長(現、総務部長)に会って、口頭で抗議した。
こういう話は泥仕合になる。言った言わないの世界に入り込むので、それ以上の対応はしなかった。前知事はもう一回雑誌に同じことを書いた。まだそういうことを言っているのかと驚いている。
長野放送局幹部がパーティかなんかで知事に会った時に、「うちの記者はそんなことを言っていませんよ」などと言ったことはあったかもしれないが、私は知らない。いずれにせよ、そういうことがあったとしてもそれはフォーマルなものではないと思う。NHKは中継用の放送機材などを置く場所がなくなったとして、県庁近くの貸しビルを借りている。N記者は「表現センターでは、あるスペース占有使用することができないので、固定回線を入れることができない。センターは機材などを固定することを認めない。これでは災害などの時に困る」と話した。NHKや地元民放局が中継用の機材を置く必要があれば、県に要求すればいいと思う。県民が判断すると前知事は言っていたのだから、報道機関の要望に正当な理由があれば受け入れたはずだ。新聞協会加盟の報道機関だけが占有していることに問題があるのだから。
「記者クラブが反対しているから」という全くふざけた理由で予算を認めなかった県会議員は議員失格だ。前知事は、記者クラブをなくそうと言っていたわけで、記者クラブが反対したというのは理由にならない。
週刊プレイボーイの岩瀬朗・副編集長が6月下旬に電話で長野放送局に事実確認を求めたところ、放送部の小林さんという人から、雑誌の校了寸前の7月中旬、「そのような事実は一切ない」という連絡があったという。
私は本稿を書くに当たって、7月25日、NHK長野放送局に電話してNHK広報局を通して聞くべきかどうか訪ねたところ、電話に出た放送部の細田修二デスクに宛てて質問書を送るように言われたので、以下の8点について聞いた。必ずしも東京の広報を通す必要はなく、長野で答えられれば対応できるということだった。
この時点では、NHK長野放送局から岩瀬副編集長に回答があったことを知らなかった。
《1 N氏がこうした言動をしたという事実はありますか。
2 田中知事(当時)が6月定例議会が終わったあと、雑誌に「公共放送の県政担当記者が県議会議員たちに働き掛けて予算が通らなかった」などと書き、また度々批判したことに対して、NHKとして正式に抗議することになり、首都圏センターの上滝・担当部長と中村記者が青山篤司・政策秘書室長(現、総務部長)に会って、口頭で抗議したという事実はありますか。
3 昨年6月21日の長野県政記者クラブの見解にNHKは今も賛成ですか。
4 表現センターの改装はしたほうがよかったと思いますか。
5 NHK長野放送局長が知事に、「うちの記者はそんなことを言っていませんよ」などと言ったことはありますか。
6 昨年6月から10月ごろまでのNHK長野放送局長のフルネームを教えてください。転勤されている場合は現職も教えてください。また、現在の長野放送局長はどなたでしょうか。
7 NHKは記者クラブにあった中継用の放送機材などを県庁近くの貸しビルを借りて置いていると聞きました。その事務所の住所、家賃などを教えてください。
8 脱「記者クラブ」宣言について、いまどう考えていますか。
「創」9月号に書いていますので、明日26日午後5時までに回答ください。
以上、よろしくお願いします。》細田デスクからは何の連絡もなく、NHK広報局経営広報部から26日午後4時すぎ、次のような回答があった。長野放送局からから東京の広報に回ったようだ。
一枚目のNHKのロゴ入りの送信票の《担当》の右にある下線のところは空欄になっていた。二枚目の回答者の末尾には「NHK広報局」とあるだけで、役職、姓名はない。警察・検察などの一部役所のやり方である。《NHK長野放送局あてにファックスをいただいた件についてお返事します。
まず、長野県の田中前知事へのインタビューをめぐる、週刊プレイボーイの岩瀬氏からの取材について、「NHKからの返事がなかったようだ」と記述されていました。他の社との取材に関することなので、本来、申し上げる筋ではありませんが、岩瀬氏からの取材に対しては、電話で、NHKの担当記者が県議会議員たちに予算案に反対するよう働きかけたことは一切ないと、はっきり回答しています。
また、1から8までの質問についてですが、これまで、浅野さんからの取材申し込みについて、誠意を持ってお答えしてまいりましたが、掲載された記事等を拝見すると、残念ながら、必ずしも私どもの真意が伝えられないことが多々ありました。
したがって、今回の申し込みについては、回答いたしかねます。
NHK広報局》私はすぐに次のような手書きのファックスを送った。
《fax拝受しました。手書きのfaxで失礼します。7月26日付のfaxでご回答の担当者のところが空欄になっています。「NHK広報局」のどなたのご回答でしょうか。
他の報道機関は回答に、担当者などの姓名、役職が明記されています。
また「これまで、浅野さんからの取材申し込みについて、誠意を持ってお答えしてまいりましたが、掲載された記事等を拝見すると、残念ながら、必ずしも私どもの真意が伝えられないことが多々ありました」という部分の根拠を具体的にお示し下さい。私はNHKから、そのような指摘を受けたことがありません。
同志社大教授・NHK受信契約者 浅野健一》
田中氏の様々な政策には賛否両論があるだろうが、「記者クラブ解体」は税金を納める市民にとって何の弊害もない。
私が長野放送局長の姓名を聞いたのは、電話に出たNHK職員(複数)が局長の姓名を知らず、「それも今から送ってくれる質問書の中に書いてほしい」と言ったからだ。公人中の公人たるNHK長野放送局長の姓名を「答えない」というその体質に強い違和感を持つ。
NHK広報局は月刊「創」(創出版)での和歌山毒カレー事件での私の記述などを理由に、「取材拒否」を一時行っていたが、「真意が伝えられない」という説明はなかった。私の論評内容が気に入らないようだった。
長野放送局の姓名を私に回答すると、「真意が伝えられない」ことがあると本気で思っているのだろうか。
NHK長野放送局長が田中氏にこの件で何かを言ったという事実はないようだ。
N記者を含めNHK当局者は前知事になぜ直接抗議しないのだろうか。雑誌の責任者にも文書で抗議して反論の場を要求すべきだと思う。NHKとNHKの元ジャカルタ支局長は私もかかわった「現代」2000年10月号の記事をめぐり、講談社と「現代」編集長を相手に1億2000万円を請求する名誉毀損訴訟を起こしているのだ。
NHK記者が表現センターの予算に反対するよう働き掛けたかどうかは、文字通り、水掛け論で終わるだろうが、状況証拠はいっぱいある。県民にとって何のマイナスもない予算が削られたのは、あまりにも不自然だ。
NHKも含め、県政記者クラブは昨年6月に出した見解を変えていない。いまも「脱・記者クラブ」宣言と表現センター設置に反対ということのようだ。「記者クラブが反対しているから反対」「記者たちとの合意がない」という3会派に属する県議たちの言い分を黙認しているのだから、NHKをはじめとする報道機関が《表現センター予算案「否決」を求める「根回し」》を今もしていることになる。県政記者クラブは昨年6月末に記者室から全面撤退した後も存在しており、信濃毎日新聞、日本経済新聞、信越放送、時事通信の4社が4月から9月まで幹事社を務めている。県政記者クラブはただちに総会を開いて、「脱・記者クラブ」宣言と表現センターについての現在の見解をまとめるべきである。○県政記者クラブの「検討」はウソ
共産党県議団団長の石坂千穂県議は「県政会の議員もマスコミ記者も、前知事の理念を理解していない。県議会を支配する県政会などの県議たちは、マスコミに自分たちの主張を取り上げてもらっているので、クラブと一体なのだと思う。ある県議が『公共事業を見直すと、長野に来るべきお金が隣の新潟県に流れてしまう』という子どもだましのようなことを言ったことがあるが、NHKはそれをテレビで紹介していた。NHKだけではないが、マスコミは保守系県議側に偏った報道をしている。我々の言い分はほとんど出ない。ダム問題でも、地元経済への影響を強調している。民放テレビ局が住民の世論調査をしたりして公平な報道に務めているのと対照的だ」と語っている。
石坂議員は「記者クラブの見解で、『加盟社以外の出席要請に可能なかぎり応じてきた』というのはウソだ。共産党県委員会の記者クラブでの発表に『赤旗』は入れない。何度も出席要請をしてきたが、クラブは検討も了承も一度もしたことがない」と指摘した。そのうえで、「現在の表現センターは、県に届けるだけで、誰でも会見を開ける。表現者は誰でも出られる。何の問題もなく運営されている。当初、記者室そのものがなくなると誤解している市町村もあったが、廃止されたのは記者クラブだと分かってきた。パソコンの端末などを用意する表現センターができなくなったのは実に残念だ」と述べている。
私が千葉県政記者会にいた1970年代後半でも、クラブでの会見に赤旗記者を入れることぐらいはしていた。何という時代錯誤かと思う。田中氏の知事就任以降、県庁で秘書課長・政策秘書室長・総務部長を務め、報道関係者との対応を担当してきた青山総務部長によると、三つの記者クラブは当初、記者クラブのあった部屋からの撤退について反対せず、宣言のいう表現センターをどうするかに関心があった。青山氏は2001年6月上旬、政策秘書室長として、三つの記者クラブに対し、表現センターに関する話し合いの場を持つことを提案して、何度かクラブ側と協議している。記者クラブ側からは「実際に記事を送るときに使う電話やファクスなどの機器の設置」や「災害など緊急時の連絡方法」など具体的な要望が出て、それらをもとにセンター整備予算を組んだという。
青山氏は「宣言が突然出たという記者の方々の不満は理解できるが、クラブから撤退することについては同意があったと県は理解していた。宣言の意味することはわかってくれ、表現センターをいいものにするための協議をしていた。そこへ突然、6・21声明が出た。表現センターをつくるために旧クラブ側の意向を十分に入れて予算を提案したのに、宣言に反対する立場になったのは残念だ。これで、県議の人たちが、県政記者クラブの6・21声明をもとにして、『記者の皆さんとの合意がない』ということなどを理由にセンター整備予算が通らなかった。記者の人たちから、宣言と宣言に基づいてつくる表現センターに関する意見を聞いた県議の人もいると思う」と述べている。
青山氏は会見の開催権について、「表現センターでは誰でも届けさせすれば会見できる。認可制ではない。届けてもらうのは、それなりの準備が必要で、会見を制限するつもりは全くないし、実際の運用を見てもらえばわかる」と説明した。
表現センターは公共の建物の中にあるのだから、利用者が届けるのは当然だろう。
また、NHKが災害時などのために放送機材を固定する必要がると述べている点については、「災害などのときにどうするかは、ある放送局がどうということにとどまらず、県として放送メディアをはじめ報道機関も含め広報体制を敷くかは重要な課題であり、対応している」と語った。
県側はNHKを含め大手マスコミ企業との調整を目指しているのであり、県政記者クラブは、市民に見えるところで、正々堂々と要求を掲げて、「県との合意」を目指すべきではないだろうか。○「マスコミ用心棒」学者の迷走
「宣言」に対し批判的な報道機関や学者たちがこだわるのも、それまで記者クラブの主催であった知事の記者会見を県主催に変更した点だ。「会見を県が主催するというのはとんでもない発想。権力者の自覚に欠けている」「会見を県が主催するというのはとんでもない発想。宣言は国民の知る権利の妨害であり、現場の記者がこれに断固反対しなければ、メディアはますます見くびられる」(桂敬一・東京情報大学教授・2001年5月16日の産経新聞長野版)とまで述べる学者もいる。
しかし、「記者クラブ」は市民の知る権利を制限し、表現者の取材を妨害しているのだから、そんないかがわしい組織に開催権があったことのほうがおかしいのだ。
また、今までも記者クラブの主催だったと言っても、行政側が広報機関ととらえる記者クラブに対して会見してきたのだ。
長野県庁の建物の中には、長野県警本部も入っており、県警を取材する「長野県司法記者会」がある。県警本部側の会見の主催権はすべて県警側にあってクラブにはないが、クラブがこれに抗議し、改善を求めたという話は聞かない。司法記者会では、弁護士や市民活動家による県警を批判するような記者発表はできない。
行政の会見が恣意的にならないようにするのはすべての表現者、市民の責任であり、報道機関も知事が会見を情報操作に使うなら、徹底的に批判すればいい。かつて米ホワイトハウスでレーガン大統領の会見を意味がないとボイコットしたことがあった。市民の支持が背景にあれば主催権がどこにあるかは主要な問題ではない。《知事会見は現在、長野県が主催しています。それに対して彼らは当初、県が主催では言論の自由が守れないと言いました。そうではないということです。長野県ではすべての人が、誰もがいつでもどこでも発言ができ行動ができる県にしていくということを行っているわけです。行政が行うことのすべては、
市民によって判断されなければならないのです。仮にクラブが主催だとして私がどうしても緊急に会見を開きたいと言った場合、クラブはそれを拒めるわけですね。そしてクラブが拒んだら私は次ぎの定例会見まで喋れない。でも、そのクラブ側が拒んだ事実は誰も報じないということです。他方、長野県では天変地異があったり、緊急会見の時は、事前にメールのアドレスとファクスを登録している個人、もしくは報道機関には自動的に連絡するシステムにしてあります。そして私の自宅は公開されていますし、私の携帯電話も公開されています。私はいつでも夜討ち朝駆けを受けますし、ぶら下がり取材も常に受けているわけです。であるならば、彼らが会見を開いて欲しいという場合、緊急に要請してきたときに私がそれはぶら下がりで十分だと、あるいはペーパーを出すだけで十分だと、あるいは翌日定例の会見があるからそこで話せば十分だと、私は判断します。それに対して彼らは、ペーパーやぶら下がりの10分だけでは不十分だと思うのならそれを書けばいいんです。報ずればいいわけです。それで、田中知事が会見を開かなかったことを横暴だととらえるか、ぶら下がりで十分だったととらえるか、すべてを判断するのは市民なのです》
市民の知る権利を制限し、クラブ員以外の表現者による取材を妨害してきたのだから、記者クラブに会見の開催権があったことのほうがおかしいのだ。行政側が会見を拒否したり、都合の悪い情報を隠したりすれば、表現者が団結して当局者に抗議すればいい。結局は行政と表現者の力関係で決まるのだ。かつて米国ではホワイトハウスの記者たちがレーガン大統領の会見を意味がないとボイコットしたことがあった。表現者センターを使う市民(記者を含む)が知事などの発表者と協議すればいいだけの話だ。事実、この1年、一般市民30人が参加した失職会見も含め、何の支障もなく会見は行われている。
《『脱・記者クラブ宣言』から1年経って、新聞協会が(ここはテレビ各局も入っている団体ですが)述べるようになった内容はほとんど私と同じです。そして新聞労連は会見の主催権にも、こだわらない方向で模索すると言っている。脱・記者クラブ宣言の時にあれだけ騒いだ新聞社は1年経つと私と同じことを言ってるではありませんか。いずれにしてもリナックス的社会を目指す私には、いつでも、どこでも、誰でもインタビューできるんだから。ぶら下がりでも、知事室の前で待ってりゃ話せるんだから、車に乗るまでの間、トイレに行く間も、どこも閉ざされてないです》山口正紀氏が「週刊金曜日」で、マスコミ用心棒学者と呼んだ田島泰彦・上智大教授は「メディアやジャーナリストと一般市民を『素朴な平等論』で同じ扱いにしていいのか」と田中氏を批判。「いかがわしい雑誌社が入ってくるなどの混乱も予想される」(今田高俊・東工大教授)という「社会学者」もいた。表現者を差別して当然だというのだからあきれてしまう。田中氏はインタビューで、田島教授を非常にきつい形容詞で批判した。
「知事が自分に都合のいい情報ばかりを出すことが心配される」と指摘、「長野県政の記者クラブはふんどしを締め直して田中知事と対峙してほしい」(産経新聞)と記者クラブに檄を飛ばした桂敬一・東京情報大学教授の論理も破綻した。「ふんどし」とは記者クラブと同様に古くうさんくさい。若い記者たちはそんな下着など見たこともないだろう。
また「革新」であるはずの新聞労連の元委員長である藤森研・朝日新聞論説委員や新聞労連法規対策部長の山田健太氏(青山学院大学講師)らは、自分たちを「ザ・プレス」と規定して、記者クラブには「記者室スペースを占有する権利、優先取材の権利がある」とまで言うのであった。田中氏は藤森氏の論理も別の形容詞を使って厳しく批判した。
両氏は田中知事の宣言の意味が全く分かっていない。マスコミ企業に属さない表現者を差別して当然だというのは暴論であった。
県政記者クラブは昨年6月21日に発表した《「『脱・記者クラブ』宣言」に対する見解》の中で、「報道の根幹にかかわる問題を含んでいるにもかかわらず、何の意見交換もないまま、突然一方的に出された。日々の取材活動に大きな支障をきたす恐れがあり、このまま受け入れることはできない」と反対を表明した。しかし、3つの記者クラブのメンバー全員は、同年6月末、それぞれの記者クラブがあった記者室からおとなしく退去した。「記者クラブ」は「国民の知る権利」に応えるために不可欠と主張しながら、何の抵抗もせずに記者室を明け渡したのである。
長野の画期的な試みは県内外の役所には広がらなかった。なぜか。永田町と霞ヶ関に象徴される政治家と官僚は記者クラブで大マスコミの記者たちと馴れ合いの関係でいたほうが便利だからだ。○クラブを広報機関と見る行政
大手マスコミが排他的なクラブをつくるのは自由だ。しかし、特定のマスコミ企業だけが税金でつくられている官庁の一室を独占使用する権利は絶対にない。「報道機関」と「全ての表現者」を同一視するのは間違いだというなら、「報道機関」だけで官庁街に近い貸しビルの一室を借りて看板を掲げるべきである。
実際、東京外国特派員協会(JFCC)は東京・有楽町の駅前ビルの二つの階を借りている。
「記者クラブ」は公的機関を監視しているというが、最近でも政治家の犯罪や不祥事はほとんどクラブに属さない雑誌記者によって暴かれてきた。
また官庁は「記者クラブ」を広報機関とみなしている。京都市に住む住民が京都市と京都府の記者クラブを訴えた裁判で、最高裁は「府は広報活動の一環として提供しているのであり、行政財産の目的内使用」と認定した。
2001年7月24日の新聞協会報(日本新聞協会発行)によると、同編集部によるアンケ−ト結果によると、「行政側は記者室の設置やそれに伴う諸経費を広報活動の一環としてクラブ側に便宜供与している」という。行政側は「広報活動の一環として記者クラブを運営」「事務、事業の遂行のための目的内使用」(京都府)「県政情報の適切な広報」(鳥取県)「広報・報道活動の一環として記者室を設けている。記者室の維持管理にかかる経費は、行政上の経費に含まれ、本来は便宜供与に当たらないと思われる」(大阪市)などと回答している。
記者クラブがなくなると権力の監視ができなくなるというのだが、行政は広報活動の一環とみなしているのだ。○長野の改革受けて協会、労連が動く
日本新聞協会編集委員会は「記者クラブ」批判の高まりを受けて、2002年1月17日、「記者クラブ」についての新たな見解をまとめた。4年ぶりの改定だった。新見解は《記者クラブが主催して行うものの一つに、記者会見があります。公的機関が主催する会見を一律に否定するものではないが、運営などが公的機関の一方的判断によって左右されてしまう危険性をはらんでいます。その意味で、記者会見を記者クラブが主催するのは重要なことです》としている。
新聞協会の新見解は「記者クラブ」加盟の条件を緩和しているが、加盟条件にしている新聞倫理綱領の順守などについて、誰がどういう手続きで審査するかは明らかにされていないし、フリーの記者が入会できる可能性はほとんどないなど問題は多い。しかし、記者クラブの会見開催権にはこだわらないなど、田中氏の宣言を受けて改革案を示している。
また、新聞労連も2002年2月8日、独自の記者クラブ改革案を発表したが、記者会見の開催権について、《取材者ならびに記者クラブは、公権力に対して記者会見を要求できる。また、記者クラブは、市民の「知る権利」に応えるため、公権力に対し記者会見を開かせる役割を果たさなければならない》と述べ、《国や自治体、政党などの公権力が主催する会見》を認めている。
○情けない県議たち
NHKの記者が表現センターの予算に反対するよう働き掛けたかどうかは、文字通り、水掛け論で終わるだろうが、県政記者クラブのメンバーたちの影響が大きいように思われる。
委員会の全員が予算に反対し、本会議でも共産党以外の会派はすべて反対した。予算を通さないように、議員に頼むほうもひどいが、マスコミ記者に言われて予算に反対する議員は、もっと情けない。選挙のためには、マスコミにこびなければならないのかと思う。
表現センターができれば日本における理想的なプレスセンターの誕生となったはずだ。
新聞協会や新聞労連は、「開かれた記者クラブ」を目指すと強調しているが、記者クラブは排他的な組織だから「記者クラブ」足りえるのであり、「開放された記者クラブ」はあり得ない。
問われているのは、記者室の「記者クラブ」以外の表現者の使用を拒んでいる現在の仕組みである。成り立ちそのものが不当な「記者クラブ」をいったん解体して、公的機関を取材するジャーナリスト(表現者)集団の新秩序を作り出すしかない。田中知事の宣言を全国化する以外に「記者クラブ」問題を解決する方法はないのである。
長野の1年間の実践で、「記者クラブ」がなくても市民には何の不都合もないことがはっきりした。「記者クラブがなくなってみんな自分で取材するようになった。記者の原点に戻ったようでいいと思う」。長野で会った中堅記者はこう評した。
マスコミはマスコミの抱える問題を報道しない。だから市民はマスコミのひどさを知ることができない。「記者クラブの犯罪」は世の中になかなか伝わらない。
田中知事の記者クラブ解体は、日本のマスコミを生き返らせることにつながることは間違いない。逆に言えば、記者クラブがある限り、日本のマスコミは権力の広報機関としての機能しか果たせず、インターネット時代に自壊するしかなくなるであろう。
表現センターがきれいにできて、表現者がうまく使えることがわかったら、メディア企業用心棒学者や新聞労連などの「労働組合」(革新政党の影響下にある)にとって都合が悪いのだと思う。
会見の「開催権」のこじつけも同じだが、長野の実践が成功すれば、永田町や皇居の記者クラブも存在できなるので、困るのだろう。「キシャ・クラブ」を解体するとメディア企業の既存の体制が壊れるから怖いのだと思います。解体する以外に、生き残る道はないのに・・・。○画期的な河野義行さん公安委員任命
田中氏の知事としての最後の仕事は、松本サリン事件の被害者で当初、長野県警による家宅捜索や事情聴取を受けたうえ、メディアによって犯人視報道された会社員の河野義行さんの県公安委員任命式への出席だった。
田中氏が河野さんに公安委員就任を要請するというニュースは最初、ロンドンで知った。ある報道機関の特派員を訪ねたとき、日本の新聞の衛星版を見せて、「すばらしいことだ」と言って教えてくれた。
田中氏は「日本の黒い夏」の上映会で河野さんと出会っている。田中前知事が6月定例県議会に提案。一部の保守系県議は「名誉職にふさわしくない」とか「サリン事件は裁判が続いており、係争中であり不適格」などと反対していたが、前知事の不信任案が可決される直前に承認された。河野さんは被害者であり、裁判が継続中であることは何の関係もない。いままでは名誉職で、警察機構のモニターを真剣にしてこなかったことが問題なのだ。こういう県議こそ「資質」に問題があると思う。
河野氏は知事の不信任騒動の最中、「県議会の動き次第では、幻の公安委員になるかもしれない。でも指名されたということだけでも光栄だ」と私に語っていた。
公安委員就任後は、「警察官から流れる非公式情報が、今も堂々と新聞記事になっている。内部告発など市民のために必要な場合は別だが、公務員が職務上知り得た情報を報道機関に漏洩するのは公務員法違反なので、どういう経路で情報が漏れているかなどをチェックしたい」と抱負を語った。
長野県警の関一・本部長は、7月15日の任命式の前に本部長室を訪れた河野氏に、「事件の捜査の過程で多大なご迷惑とご心労をおかけしましたことにつき、長野県警察として誠に申し訳なく思っております」と直接、謝罪した。県警による河野氏への直接の謝罪は初めて。県警の謝罪の事実は、河野氏が19日に県公安委員の初仕事に就いた際、報道陣に明らかにした。河野氏は「県警が私に謝罪したことを公表することで、県警も救われるし、私もわだかまりをなくすことができた」と評価している。
放送界は1997年5月に「放送と人権等権利に関する委員会機構」(BRO)を設立し、新聞・通信各社も2000年末から社内に、「第三者」委員を入れた苦情対応機関を相次いでつくっているが、メディアを監視する市民=読者代表の委員として一番いいのは河野さんだと思っていたが、どこの報道機関もやらなかった。政府の審議会や大相撲の横綱審議会のメンバーと同じような顔ぶれだ。前知事の卓越したアイデアで警察が一足先に自浄能力を示した。メディアは猛省すべきだ。田中氏は私の質問にこう答えた。
《浅野 昨年、宣言の直後に東京の外国特派員協会で講演されましたが、外国の記者の考えはどうでしたか。
アメリカだって記者クラブ証というのはアメリカの政府が出してるわけだ。だから僕の主催権がおかしいというのだったら、新聞やテレビはアメリカの大統領の会見に出ることを拒否すべきでしょう。ダブルスタンダードなんですよ。別にアメリカがいいと言ってるわけじゃないんだけど。
浅野 河野義行さんを公安委員にという提案は素晴らしい。
田中氏 河野氏が第三者機関である公安委員になってですね、長野県の警察活動とというのは大変優れていると市民のために機能していると言われれば、それはまさに、もっとも素晴らしいお墨付きをいただくことになるのではないですか。県警は幸いにして本部長以下、河野氏が公安委員になることを同意していますし、ある意味でいえば河野氏が第三者機関としてチェックをしてですね、長野県警が機能すれば、彼らにとっても大変な勲章だと思うんです。
浅野 新聞社も苦情対応機関を作っていますが、委員として一番いいのは河野さんだと思います。
田中氏 河野さんや、埼玉県桶川市のストーカー殺人被害者の猪野詩織さんのお父さんのような人になってもらうべきです。読売新聞はその後の検証特集で報道によって猪野さんの無実が晴らされたなんて書いてるけど、それは誰の報道によってなんですか、あなたがたが唾棄していた『フォーカス』の功績じゃ ないですか。あなたがたは猪野さんが派手な人間関係だったとウソを書き続けてた人たちじゃないですか。それに対して、それを書いた人間の名前を全部、その当時の支局長から、デスクから、本社の担当者から、載せるべきですよ。やはり、巨大な権力になってるんだから、巨大な権力は市民によってチェックされなければならないんですよ。
浅野 東京情報大学の桂敬一教授(元日本新聞協会職員、JCJ代表)らは、記者クラブが官庁の中に拠点を置いて権力を監視しているのといいますが、それについて意見は。
田中氏 朝日新聞論説委員の藤森研氏は、僕たちは内視鏡だって言う。内視鏡だって、言い得て妙だなと思ったのは、内視鏡はちっちゃなね傷口は見つけるよ。だけど、マスコミは小さな時時刻刻の話だけじゃなくてパースペクティブを持って全体を見れるかどうかですよ。よく記者たちはこうやってひとつひとつの議論を見てから、ひとつのひとつの議論が民主主義だったからって出てきた答えが民主主義じゃなくてもこれは議論した末こう出てきたっていうでしょ。市民が望んでない答が出て、何で民主主義ですか。
浅野 藤森氏はまた「ザ・プレス」とも言ってますね。
田中氏 その思いあがりはなんですか? 朝日新聞という名刺がなくなったらどれだけの仕事ができるんですか、ということですよ。そりゃ、田中康夫が電話をすればね、知事になる前から会う人がいたかもしれないけど、でもそれは田中康夫が何年か書きつづけてきた成果として蓄積ですよ。個人として。
浅野 東京都は昨年9月から、記者クラブの加盟社に、蛍光灯代とか、掃除代を各社のスペースにあわせて、月額約5000円取りはじめたのですが。
田中氏 オレはランニングコストの計算なんかじゃなくて、公共のスペースにしたから今、表現センターはただで誰でも使えて、しかもうちの職員がそこにいてすべての資料も配ってるわけだよ。》○記者クラブ問題を隠蔽するメディア
県議会の不信任から失職までの新聞報道を見ると、田中前知事の在任中の功績として記者クラブ解体についての報道がほとんどない。むしろ前知事の「マスコミ戦略の巧妙さ」を非難するなど「田中憎し」の感情的な論調が多い。
田中氏自身も「反田中」攻撃はすさまじいと述べている。
また、大手マスコミの「田中嫌い」はあからさまだ。7月4日の毎日新聞「クロ−ズアップ2002」で《議会の反感根強く 一方的発言、タレント活動・・・》などの見出しで、《知事は作家や私人としての活動で長野県を離れることが多い。昨年7月には参院選の最中にガールフレンドと11日間、ヨーロッパで夏休みを過ごした》などと書いた。西田進一郎、木村健二両記者の署名記事だ。
知事であってもプライバシーはある。11日間の休暇はそう長くないと思う。代休もろくに取れず、異常な長時間労働を強いられている新聞社の労働環境を改善するのが先だ。
7月16日の朝日新聞朝刊の《メディア戦略「田中流」 県議側も手法取り入れ》は、田中氏の「メディア戦略」を批判しており、中でも、脱・記者クラブ宣言の書き方が実にいやらしい。こちらには署名がない。朝日では投書欄では「実名」を大原則にするが、記事は署名なしだ。
記事は、田中康夫氏の「失職・再出馬表明」会見が、20台以上のテレビカメラの前で始まったなどと書いて、「パフォーマンスがうまく人間くさい。小泉首相や田中真紀子さんと同じ香りがする」などの引用の後、《政治家が視聴率を取る時代になっている。と同時に、テレビは、「組織と戦う」政治家にとって、視聴者=有権者に直接訴える何よりもの武器になる》と指摘。
《田中氏は99年、東京都知事選に関する朝日新聞のインタビューで、こう「予告」した。
〈メディア映りにたけた候補者なら、当選後こそ、前例踏襲主義の古参議員や事務方との孤高の闘いを、リアルタイムで暴露してほしい〉
その1年半後、「田中県政」は田中氏の名刺を折る県幹部の姿が繰り返し放映されるところから始まった。》と書いた後、次のように続けている。
《01年5月。田中氏は「脱・記者クラブ」宣言を出した。閉鎖性が指摘される記者クラブを廃し、雑誌やスポーツ紙など多くのメディアに道を開く。田中氏の説く「開かれた県政」の実践として報じられた。
だが−−。今年1月、田中氏は東京都内にあるハンセン病療養施設を訪問後、長野県内であった記者会見で言った。
「NHKKと長野朝日放送以外のテレビ局はお越しになり、こうした場所にも長野県を愛して元気に生きている方々がいることを報じてくれました」
11月、航空機事故を報じるため、締め切りの遅い他県向け新聞が長野県内に配られ、そのことに対する回答がないことを理由に、読売新聞社の記者がした質問に答えなかったこともある。》
これは記者クラブ問題と関係ない。NHKと長野朝日放送はなぜ同行取材しなかったかを説明するべきだろう。あまりにも一方的な見方だ。
7月26日号の週刊朝日の《長野・田中知事の「敵役」 県議6人衆の意外な素顔》と題した今田俊記者の記事は、《「脱ダム」をめぐる対立は、改革派知事VS.既得権益派県議という構図でとらえられているが、反田中の県議たちは土建業界の代弁者ばかりなのか》と問い掛けて、強硬派県議たちの経歴を紹介して、《パフォーマンス巧みな田中知事と違い、県議たちは上手な自己アピールのすべを知らない》が、個性の強いキャラクターだと評価している。
今田記者は、県議を4期15年にわたって務め、今年3月に県議会議長に就任した宮沢勇一県議(71)は「豪傑」だと持ち上げて、次のようなコメントを載せている。
《「知事は人間性はもちろんない人だけど、そのうえ頭の構造もおかしいんじゃないかと思うね。議会でもけんかを売るような、挑発するようなことを言うし、ちょっとした英語の間違いをつかまえて、人を小ばかにしたようなことを言う。どういう教育をしてきたのか親に聞いてみたいね」》
「頭の構造がおかしい」というのは明らかに差別表現なので、朝日新聞広報室に抗議した。責任者に伝えるという返事だった。
毎日新聞紙上では、岩見隆夫氏が田中真紀子・前外相と田中前知事を並べて論じていた。予断と偏見に満ちた記事だ。
辻元清美・前衆議院議員や田中真紀子・前外相も同じだったが、マスコミは「マスコミに出たがる」とか、「メディアをうまく利用する」などと非難するのだが、マスコミがニュース価値があり、部数・視聴率が伸びると思って、取材・報道しているのではないか。自らの判断と責任を検証せずに、報道対象を非難するのは不当だ。
選挙戦に入っても、一部の新聞には、田中氏が辞職ではなく失職を選び、失職した前知事が再出馬するのは地方自治法などの精神からみて問題だという記事も見られる。しかし、辞任した場合には、再選されても、前回選挙から4年後に終わってしまう。県民が選んだ知事を、県議会が多数派の力を使って不信任したことこそが、説明責任に欠けるのだ。知事を不信任するのは、よほどの事情がなければならないが、それが全くない。田中氏が防御のため、自分の今後のためにベストと考えて選んだ道なのだから不当な非難だと思う。○「記者クラブをもとに戻す」と花岡氏
対立候補の中で、記者クラブ問題に言及したのは7月24日に県庁5階の表現センターで出馬表明した産経出身の花岡氏は、南信州新聞の高島陽子記者の「記者職を長年されたお立場で、この表現センターがいま会見場になっているのですけれどもこの第一印象を教えていただきたいということと、このセンターは『脱・記者クラブ』で誕生したのですが、今の記者クラブ制度ということについてのお考えをお聞かせください」と聞かれて次のように答えた。
私の知る限り、このやりとりを報道したマスコミはない。
《記者クラブ制度っていうのは、新聞協会の記者クラブ問題の委員会の委員なんかもやりましてね、いま現在ある記者クラブ見解っていうのはあたしが作ったんです。主唱者は私なんです。田中君がやられた「脱・記者クラブ」、これは基本的に考え違いされておられる。マスコミ、マスメディアというものが果たす役割・責務、それと公的機関・長野県庁という公的な機関、これが果たす役割、要するにこれはアカウンタビリティー、説明責任ってやつですね。それがお互い重なり合うところに記者クラブってのがあるんですよ。マスメディアと県庁という公的機関このお互いの責務が重なり合うところに記者クラブがある。だから「記者クラブがけしからん」という考え方を私はとりません。で、もしも、もしもですね。知事に当選させていただければ、まあ、最初にやりたいのは知事室をあの変なガラス張りの動物園みたいなのをただちにやめて元に戻しますが、あれじゃ中で鼻くそもほじくれないじゃないですか。それから記者クラブも当然戻します。あのー、この雰囲気は非常にいいって言うのもおかしいですが、大変開放的で。これがいわゆる表現センター、なんですかね。うん。これはだから、いわば我々の感覚で言えば記者会見場です。》
《「脱・記者クラブ」は間違っている》と断言しながら、表現センターを評価する。花岡氏こそ、「記者クラブ」制度と記者室(プレスセンター)を勘違いしている。日本新聞協会編集委員会の産経新聞代表の委員で、協会の記者クラブ見解をまとめたというのだが、記者クラブ問題の本質が全く分かっていない。
花岡氏の会見場所は県庁5階の「表現センター」だった。会見が終わった後、「『脱・記者クラブ』が行われていたから、この会見に参加できた」と伝えたという。
田中氏は7月27日の私への電話で、《花岡氏は、脱記者クラブは間違っていると会見で明言しています。しかし、「脱・記者クラブ」が行われていたから、表現センターでの彼の会見には、スポーツ紙、ワイドショー等も出席できた訳で、そうでなければ、彼はホテルの部屋でも借りて行わねばならなかったのです》と述べた。
花岡氏は、会見には元自衛隊員の潮匡人氏、アサヒビール名誉顧問・中條高徳氏が同席した。(アサヒビール広報責任者は、「中條氏の活動とアサヒビールは無関係」と強調している)
花岡氏を応援する「有志の会」には、小林よしのり、林道義、岡崎久彦、志方俊之各氏ら「新しい歴史教科書をつくる会」や極右の「文化人」の姓名が並んでいる。
○市民がすべてを決めるという前提での「主催権」
田中知事の「宣言」に対して報道機関と「革新」系の学者が最も力を入れて批判しているのが、知事の記者会見が従来、クラブの主催だったのに、県主催にすると変更した点だ。
桂教授は「会見を県が主催するというのはとんでもない発想。権力者の自覚に欠けている」「宣言は、公権力による国民の知る権利の妨害であり、現場の記者がこれに断固反対しなければ、メディアはますます見くびられるだろう」(2001年5月16日の産経新聞長野版)とまで述べている。
しかし、「記者クラブ」は市民の知る権利を制限し、表現者の取材を妨害しているのだから、そんないかがわしい組織に開催権があったことのほうがおかしいのだ。
行政側が広報機関ととらえる記者クラブに対して会見してきたのだ。 長野県庁の建物の中には、長野県警本部も入っており、県警を取材する「長野県司法記者会」がある。県警本部側の会見の主催権はすべて県警側にあってクラブにはないが、クラブがこれに抗議し、改善を求めたという話は聞かない。司法記者会では、弁護士や市民活動家による県警を批判するような記者発表はできない。
行政の会見が恣意的にならないようにするのはすべての表現者、市民の責任であり、報道機関も知事が会見を情報操作に使うなら、徹底的に批判すればいい。かつて米ホワイトハウスでレーガン大統領の会見を意味がないとボイコットしたことがあった。市民の支持が背景にあれば主催権がどこにあるかは主要な問題ではない。○県政記者クラブに質問
8月1日長野県政記者クラブに質問書を送った。幹事社の県政担当記者に電話取材したところ、ファクスで長野県政記者クラブへ質問書を送ってほしいと言われたからからだ。
質問書では、田中氏の発言を伝えたうえで、《共産党以外の会派の県議が全員、表現センターに反対したのはあまりにも不自然だと思っていましたが、大手メディアの記者たちが、反対するように働き掛けていたとすれば大問題》と指摘。また、この問題に関して、共産党県議団団長の石坂千穂県議は私の取材に対するコメントを[日本新聞協会編集委員会は「記者クラブ」批判の高まりを受けて、2002年1月17日、「記者クラブ」についての新たな見解をまとめました。新見解は《記者クラブが主催して行うものの一つに、記者会見があります。公的機関が主催する会見を一律に否定するものではないが、運営などが公的機関の一方的判断によって左右されてしまう危険性をはらんでいます。その意味で、記者会見を記者クラブが主催するのは重要なことです》としています。
新聞協会の新見解は「記者クラブ」加盟の条件を緩和しているが、加盟条件にしている新聞倫理綱領の順守などについて、誰がどういう手続きで審査するかは明らかにされていないし、フリーの記者が入会できる可能性はほとんどないなど問題は多い。しかし、記者クラブの会見開催権にはこだわらないなど、田中氏の宣言を受けて改革案を示しています。
また、新聞労連も2002年2月8日、独自の記者クラブ改革案を発表しましたが、記者会見の開催権について、《取材者ならびに記者クラブは、公権力に対して記者会見を要求できる。また、記者クラブは、市民の「知る権利」に応えるため、公権力に対し記者会見を開かせる役割を果たさなければならない》と述べ、《国や自治体、政党などの公権力が主催する会見》を認めています。
表現センターがきれいにできて、表現者がうまく使えることがわかったら、メディア企業にとってもよかったのではないでしょうか。長野の実践が成功すれば、東京にある永田町や皇居の記者クラブも、今のままで存続するのは不可能になると私は考えます。以下、質問です。
1 田中氏が指摘するような記者がいますか。2 田中知事(当時)が雑誌に書き、また度々批判したことに対して、クラブとして、また個人として田中氏に抗議したという事実はありますか。
3 昨年6月21日の長野県政記者クラブの見解を出して以来、クラブで「脱・記者クラブ宣言」や表現センター設置について総会などで議論したことがありますか。あればどういう議論ですか。
4 前知事が提案したような表現センターの改装はしたほうがよかったと思いますか。
5 昨年7月1日以降の県政記者クラブの所在地、活動内容などを教えてください。
6 NHKは記者室を退去した後、県庁近くの貸しビルを借りて機材などを置いていると聞きました。クラブのメンバーでそのようなことをしている社はありますか。
7 脱「記者クラブ」宣言について、いまどう考えていますか。8 日本新聞協会の新見解、新聞労連の改革案が出ていますが、昨年6月のクラブ見解は不変なのでしょうか。
大変お忙しい折りとは思いますが、できるだけ早く回答ください。遅くとも8月5日午後5時までにご返事をください。
以上、どうぞよろしくお願いします。]○選挙中で総会を開けない
幹事社の記者から8月1日夕方、電話があり、「事実関係のところでいくつか答えられるが、総会を開かなければ回答できない質問もある。いま知事選の取材で総会を開けないので、期限内での返答はできない」という電話があった。忙しいのは分かるが、「脱・記者クラブ」宣言に反対する見解を表明してから1年2カ月もたち、その見解を3会派が「反田中」の攻撃材料に使ってきたことについて、記者クラブには重大な社会的責任がある。多忙を理由に回答拒否するのは「説明責任」の回避だ。「創」9月号は8月7日に発売されたが、8日ごろから長野市内で私の記事が話題になったらしい。友人の記者によると、県政記者クラブの記者たちは雑誌の記事をコピー(著作権侵害?)してまわし読みしているようだ。
NHKの県政キャップ・N記者も読んでいるようで、他社の記者と話しているという。
大新聞の記者たちは、記者同士で「これ書く?」といつも相談しているという。自分で判断できないのだ。記者クラブ制度における最大の弊害だ。あるフリーランスの記者は、「個が責任を持って発信する」という観点に立てば、もっと一匹狼でいくような気概というか雰囲気が感じられてもいいと思う、と話している。
ところで、花岡氏は政策発表をしたときは、表現センターを使わず、今回は事務所が会場だった。
「創」の記事が記者の間で広まっているようで、喜ばしいことだ。花岡氏の対応が面白い。痛いところを衝かれたのだろう。私は歴史修正主義者をずっと批判してきた。また産経で労働組合を作って解雇された松沢さんの裁判闘争を支援しているので、これからもぶつかるだろう。
県政記者クラブの幹事社の信濃毎日新聞の県政担当記者は丁寧にまじめに対応してくれたが、選挙中は総会を開けないので、質問には答えられないということだった。柏の自宅に2回電話があり、事実関係だけでも期限の8月5日までに答えるということだったが、それもほかの幹事社3社との調整が多忙で困難という理由で回答できないということになった。
多忙を理由に取材拒否などしたら、マスコミ企業は徹底的に叩くのに・・・と思う。忙しいのは新聞記者だけではない。実に勝手な商売、論理である。
フリー記者のいうように、個から出発することができず、群れていないと不安になるのは、新聞界にまだ「市民革命」がないからだと思う。ちょん髷の時代そのままで、背広を着ているのだ。
共同通信の尊敬する先輩に、記者は「個人タクシーだ。いつどこを走るかは自分で決める」「ランナーを進めるようなバッターよりも、代打の一振りで試合を決めるような記者になれ。一年に一回でいいから、知事や県警本部長が真っ青になるような記事を書くのがこの仕事の醍醐味だ」などと言われたことがある。ジャーナリスト論として同感できると思った。○花岡氏が辞退
ロンドンで見た新聞各紙のホームページで、15日に告示される長野県知事選への立候補を表明していた元産経新聞論説副委員長の花岡信昭氏が14日、これを取りやめることを決めた、というニュースを知った。午後1時から県庁の表現センターで記者会見して明らかにしたという。
会見には県議などが「一市民」として応援している弁護士の長谷川敬子氏も同席し、前知事の再選を阻止するため両氏で政策協定を結び、花岡氏が辞退することで合意した、と説明した。毎日新聞によると、花岡氏は1日報道陣に「長谷川さんは旧体制の候補。倒すべき対象は2人。田中さんのパフォーマンスだけでもだめ。長谷川さんの旧来型の秩序もだめ」「長谷川氏は県議団をバックに立った」と批判していた1人だった。
長谷川知事が実現した際にが、政策ブレーンに就任するということも会見で明らかにされたが、ポストを約束されて辞退するのは、公職選挙法に違反しているのではないか。
花岡氏の突然の辞退劇は、「反田中票の分散」を懸念した鷲沢正一・長野市長らの仲介だった過程も明らかになった。
首長や県議などが支援する長谷川氏を批判していた花岡氏が、まぜ辞退したのか。これこそ明らかな談合ではないか。全く説明責任に欠ける行動だった。メディアは長谷川氏の裏で動いている政官財について調査報道すべきだ。
ところが、田中氏の事務所が粗末なことを「パフォーマンス」と揶揄するような報道が目立つ。読売新聞の田中氏嫌いも異常だ。
私が二つの雑誌で、記者クラブ問題をなぜ黙殺するのかと問題提起したが、マスコミ企業は地元の信濃毎日新聞が告示前に立候補予定者に聞くという連載企画で、テーマの一つに記者クラブ問題をあげただけのようだ。
告示後も、「脱・記者クラブ」宣言とクラブ解体について全く報じない。ここまで徹底すると、あきれてものが言えない。すべての表現者による「脱・マスコミ企業」宣言がいま必要だと思う。○守旧派が公然支持
長野県知事選で、県内の主な市町村長と県議会4会派(共産党を除く)が長谷川氏を、公然と組織的に支援することになった。8月17日の毎日新聞(西田進一郎、木村健二両記者)によると、《17日、後援会の要請を受け、県議会会派幹部と有力首長らが「心を一つにした積極支援」の方針で一致した。選挙戦に入って3日目に「個人の立場で支援」からの戦術転換で、「前知事VS県議会・首長」の構図が選挙戦の前面に躍り出そうだ》という。 両記者は、《長谷川氏自身は17日午後6時、報道陣から指摘されるまでこの事実を知らず、約2時間後に「私からは要請しない。勝手に支援してくださるということ」と語った》《県議らの動きに、田中氏は「(自分に)民主主義を教えてくれた人たち(県議、市長ら)がお考えになったこと。大変に深い理念に根付いているお考えでありましょう」と皮肉を込めた》と報じた。長谷川氏は本当に知らなかったのだろうか。田中氏のコメントだけに「皮肉を込めた」という表現が入っているのが気にかかる。長谷川氏の出馬の背景に「県内の主な市町村長と県議会4会派」があったかどうかを「記者の目」で取材して報道すべきだ。
今回の選挙では県議、首長のほか連合長野も長谷川氏支援の前面に出ている。前回、前・副知事を推した選挙以上に体制翼賛態勢になっていると言えよう。
○記者クラブ解体でジャーナリズム創造を
韓国にも似たような記者クラブ制度が1922年からあり、日帝支配の終わった1945年以降も存続しているが、数年前から多くの自治体で大改革がすすんでいる。記者クラブに属さない中小のメディア記者やフリー記者が、記者クラブと権力の癒着を暴き、自治体労働者が大手メディアの追放を要求した結果だという。
マスコミはマスコミの抱える問題を報道しない。だから市民はマスコミのひどさを知ることができない。「記者クラブの犯罪」は世の中になかなか伝わらない。「マスコミはカルテルを結んで、業界の利益を守っている。記者クラブ問題は絶対にただしく伝えない」と前鎌倉市長の竹内謙氏は語っている。
脱・ダム宣言の3カ月後に出た脱・記者クラブ宣言は、長野から日本全体のシステムを変える試みだったはずだ。すべての人が表現者だという前知事の「表現センター」が全国に広がれば、日本のマスコミを生き返らせることにつながることは間違いない。逆に言えば、記者クラブがある限り、日本のマスコミは権力の広報機関としての機能しか果たせず、インターネット時代に自壊するしかなくなるであろう。
田中氏以外の候補者が当選すれば、「記者クラブ」を解体してできた「表現センター」という歴史的な成果が消えてしまうことになりかねない。これは21世紀の日本における公的情報の自由な流れの促進と、表現の自由の拡大にとって、大きなマイナスとなる。良識ある市民は9月1日に、記者クラブ制度の問題も考えて投票してほしいと願う。[注]
(1)聖教新聞のメディアの頁に、7月14日に韓国ソウルで開かれた国際コミュニケーション学会(International Communication Association, ICA)でヨンセ大学のユン・ヨンチョル教授が発表した韓国の記者クラブについての発表文を要約・翻訳した記事を書き、8月13日に掲載された。聖教新聞のhpにも載っている。http//www.seikyo.org
(2)田中氏へ意見を送りたい人は、yasu-kichi@msn.comにどうぞ。(以上)
(3)浅野の著作の中では「記者クラブ」について論じているが、特に以下の本に詳しい。
単著:『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『犯罪報道と警察』(三一新書)、『客観報道・隠されるニュースソース』(筑摩書房、『マスコミ報道の犯罪』と改題し講談社文庫に)、『出国命令 インドネシア取材1200日』(日本評論社、『日本大使館の犯罪』と改題し講談社文庫)、『メディア規制に対抗できるぞ!報道評議会』(現代人文社)。
共編著:『無責任なマスメディア』(山口正紀氏との共編、現代人文社)。
共著:『松本サリン事件報道の罪と罰』(河野義行氏との共著、講談社文庫)、「週刊金曜日」別冊ブックレット『金曜芸能 報道される側の論理』(金曜日)。
『現代用語の基礎知識』(自由国民社、1998〜2002年版)の「ジャーナリズム」。
Copyright (c) 2002, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 2002.08.27