2004年3月15日

メディア・リンチを追認した麻原氏死刑判決

二重基準とる毎日新聞の危機

浅野健一

 

何か不都合なことがあった場合、政財官の支配者たちは、大ニュースが予定されている日にぶつけて「公表」する。マスメディア報道をできるだけ、小さくするためである。オウム真理教(アーレフと改称)の開祖、麻原彰晃氏に対する死刑判決で騒乱状態にあった二月二七日に、二つの重要な「発表」があった。
一つは、毎日新聞社の斎藤明社長が今年一月、複数の男に車で拉致され約二時間にわたり監禁される事件があり、東京地検は二七日、六人を逮捕監禁と強要未遂の罪で起訴したというニュースだ。事件発生から二七日たって明らかにされた。刑事事件を起訴段階で発表するのは、事件発生時点で被害者を実名報道し、被疑者も「逮捕=実名」原則をとる自社の報道原則を逸脱している。
もう一つは、大阪地裁だ。小泉首相の〇一年八月一三日の靖国神社参拝は「憲法の定める政教分離原則に反する」として、旧日本軍人・軍属の遺族ら計六三一人が国と首相、靖国神社を相手に、一人あたり一万円の損害賠償を求めた訴訟で、村岡寛裁判長は、「内閣総理大臣の資格で行われた」と指摘し、首相の職務としての公的な参拝だったとの見方を明確に示した。憲法の政教分離原則の判断には踏み込まず、賠償請求は棄却したが、首相の靖国参拝が公的行為であると認定したのである。
麻原氏への判決言い渡しは、超大ニュースである。小川一・毎日新聞社会部記者は、いまから約十年前、テレビ朝日のインタビューに、「警察をチェックするために、逮捕時での実名報道が不可欠。匿名報道にすると、人権は守れても、警察が闇から闇に事件を扱うようになり、人権が奪われる」と主張していた。この番組のビデオを大学の講義で使っている。毎日新聞社会部は、犯罪被害者の実名も必要と強調してきた。最近は、凶悪事件なら少年でも実名が必要という田島泰彦上智大学教授らを重用している。その毎日新聞が、一カ月近くも事件発生、被疑者逮捕を伏せていた。しかも「事件の背景が不明で、本人、家族に危険が及ぶ可能性があった」ことを報道しない理由にしているのである。一般市民なら、逮捕、死亡で、「書かれる側」に相談もなく「実名」なのだから、全くの二重基準だ。
また、日本がアジアで生きていくために、避けて通れない「靖国」問題に司法判断を下すのに、行政府に最大限の配慮をした大阪地方裁判所。報道倫理と司法の独立が崩壊していることを、このみえみえの「2・27発表」は示している。
*午後の判決内容を予言したメディア
麻原氏に対する判決に戻ろう。メディア調査のため滞在していた韓国で見たNHK衛星放送で、東京地裁の死刑判決を知った。小川正持裁判長は主文を後回しにしたため判決言い渡しは午後三時一三分になった。ところが、開廷前から生中継で出ていたNHK社会部の清永聡記者は、午前中に早々と、「裁判長は第一の事件で事実認定したので有罪になる」と判決を予言した。
同日の主要紙夕刊も「死刑判決へ」(『朝日』)などの大見出しを立てた。裁判報道で「〜判決へ」というのは極めて異例だ。裁判所の判断がなくても、自社の調査報道で悪いものは悪いと批判するのはかまわないと思うが、裁判を報じる場合には、判決の予測は原則的に許されない。
駅売りの夕刊紙は、判決前の午後三時ごろに配達されるが、オウム問題でワイドショーなどに出まくっていた有田芳生氏が『東スポ』に長文の寄稿をしていた。校了時点で判決は確定していないのに、“予定稿”で思い切った編集方針だ。有田芳生氏の名前はスターリンのヨシフからとられそうだが、現在の有田氏には革命家の面影もない。
 翌日の東京各紙朝刊も醜悪だった。日本は三審制をとっており、国民は最高裁まで裁判を受ける権利がある。有罪が確定するまで無罪を推定される権利を無視した相も変わらぬ「絶対犯人視報道」に怒りを感じた。
 朝日新聞によると、小泉首相は判決日の夜、死刑判決について、“お抱え”の番記者たちに対し、「あれだけの大犯罪ですからね。死刑は当然ですね。もっと早く裁判が終わっていればいいんですけどね。被害者はやりきれない思いでしょうね」と述べた。
犯罪被害者に対する政府の精神的、経済的支援策が十分かとの質問には「状況は人によってそれぞれ違いますからね。できるだけの対応はしないといけないと思っています」と語った。
確定前の判決について首相が評価を述べるのは、三権分立の精神から大問題だ。彼は昨年八月、大阪・池田の小学校での児童殺傷事件で、被告人が死刑判決を受けた際にも「当然だと思う」と語っている。他人の裁判をあれこれ言う前に、靖国参拝など自分の違憲行為を反省したほうがいい。
オウムもカルトだと思うが、国家神道の総本山として侵略戦争を推進しながら、戦後、全く反省も謝罪も教義の変更もしていない靖国神社に比べると規模も影響力も小さい。
 アジア太平洋を侵略して、二〇〇〇万人以上の無垢の市民を死に至らしめた天皇こそ、裁判を受けるべきだった。靖国神社は一九四五年八月一五日に解散すべきだった。
 麻原氏への死刑判決は、メディア・リンチの追認だった。読売新聞に江川紹子氏の「すべての責任があの男にあることを確認してもらった。ただ、信者の問題など何かが大きく変わることはないだろう」というコメントが載った。まさに、裁判所による“新聞裁判”の後追いだった。
 また、二月二七日の読売新聞では、傍聴を重ねてきた作家の佐木隆三氏が「松本被告に黙秘を指示し、発言させなかった弁護団に不信感と不満を感じる。時間を長引かせたとしか思えない尋問も多かった」「弁護団は松本被告の心を開かせて真実を語らせたうえで、守るべきだった」などとコメントしている。
 彼は「ブロードキャスター」(TBS系)で「格調高い判決文でした」と判決を絶賛した。
 佐木氏は『当番弁護士制度を支援する市民の会・東京』の元代表でもある。
佐木氏は松本サリン事件の直後、「週刊新潮」などで、河野義行さんを犯人視するコメントを乱発している。佐木氏は日本民間放送連盟が二月一〇日に開いた報道倫理に関するシンポで、河野さんと一緒にパネリストになった。河野さんと佐木氏はテレビ朝日の番組でも同席したことがある。佐木氏は、河野さんに対する名誉毀損の罪について謝罪していない。このシンポで司会を務めたTBS報道局編集主幹兼解説室長の羽生健二氏は元東大全共闘活動家で、時事通信を経てTBSに入った。私とAFS米国留学の同期だが、留学後、AFS留学制度は米帝の策謀だとしてAFS解体を叫び、ヘルメット姿で同留学生試験の粉砕活動を展開していた。自分は留学しておいて、留学制度解体とか、東大解体とか叫ぶのは無責任だと私は考えていた。読売新聞のドンも同じだが、彼らにオルグされて運動に入り、路頭に迷った人たちも少なくないと思う。リーダーとしての責任は、宗教団体だけでなく、学生運動にもあると私は思う。
羽生氏は犯罪報道の匿名主義や報道評議会設立に否定的な言論を続けている。
佐木氏について、「主張に一貫性がない」と評していたが、羽生氏も同じだ。
*公安調査庁以下の判決
メディア企業はこぞって、判決を評価したが、「日本国を支配して自らその王になることを空想した」という認定は、公安調査庁が破壊活動防止法に基づく団体規制を企んだと際に、持ち出した見解と酷似している。この公安調査庁の主張は弁明手続きにおいて、オウム側代理人の反論に耐えられなかった。また、ある国の王になろうと思うこと自体が犯罪になるわけではない。空想ではなく犯罪を実行したかどうかが問われているのだ。
直接証拠が全くなく、一部信者の証言で有罪としたのは、共謀罪の先取りとも言えるのではないか。 
判決日を前に、テレビの取材陣が麻原氏の子どもたちや元信者の住宅、学校、勤務先に押しかけて取材による人権侵害を起こしている。
判決翌日の『読売』と『産経』に「オウム真理教施設」の分布図が掲載され、その中に「龍ヶ崎施設」「八王子施設」が掲載された。この二つの自治体には教団施設はないという。公安調査庁が判決を前に意図的に流した情報である。
被害者の間にも多様な受け止め方があるはずなのに、《「死刑でも軽い」》(『朝日』)《「敵討ちしたい」》(『毎日』)《「単なる死刑では軽すぎる」》(『日刊スポーツ』)などの激しいコメントがほとんどだった。「死刑以上の刑罰を」という声も報じたが、公開処刑とか市中引き回しでもせよと言うのだろうか。 
多様な意見があることを伝えるのは、ジャーナリズムの最低限の原則だろう。坂本弁護士の妻の母親など、メディアに登場しなくなった遺族も少なくない。彼女は江川紹子氏の面前で、「あなたがオウム問題で息子に頼みに来た。その責任がある」などと激しく批判したことがある。
松本サリン事件の被害者で当初、加害者扱いされた河野義行さん(長野県公安委員)は
『毎日』は二月二二日の連載記事「オウム事件を語る」の第四回目で、《我が家では、松本被告を「麻原さん」と呼んでいる。麻原さんが逮捕された時点で、世の中は既に「死刑が当たり前」という声で一色になっていたが、私にはむしろそのことの方が怖いと感じる。再び私のような人間が出てしまうのではないか、と。死にそうな目に遭い、妻は今も寝たきり。「なぜオウムに対する怒りを表さないのか」とよく聞かれるが、殺されかかったのは数分の出来事。それに比べ、警察とマスコミによる犯人扱いは1年間も続いた。私にとっては、殺されるよりも、ずっときつかった。 
裁判所が何のチェック機能も働かせずに捜索令状を出したこと、警察が私に自白を強要したこと、無責任な報道でマスコミが疑惑を増幅させたこと――。そうした点は、反省してほしい。
 犯罪被害者の救済が不十分なことにも怒りを覚える。現在は、寄付金が原資の犯罪被害者等給付金制度があるだけだ。国民は警察に治安を託しており、犯罪を防げなかった道義的責任は国にある。被害を税金で救済する仕組みを作るべきだ。
 事件後、いろいろなオウム信者と直接話をしたが、極悪非道というイメージはかけらもない。彼らは社会復帰を望んでおらず、解脱や悟りを求めているのだから、われわれが無理に「社会復帰しろ」という権限はない。
 もし、彼らが法に触れることをすれば、法によって罰せられるだけのこと。何もしていない信者に対して、社会はもっと冷静になるべきだ。一つのラベルを張ってバッシングするのでは、私が犯人と疑われた時と全く同じだ。》
各紙の夕刊は、傍聴券を求めて日比谷公園に四七〇〇人が並んだと報じた。TBSは「列の長さが麻原被告への市民の関心の高さを象徴している」と伝えた。しかし、ほとんどが報道機関の集めた「傍聴券希望者」だ。「ニュース23」が「この目で、最後を見ておきたくて」などという市民の声を報じるのは欺瞞的だ。当のTBSもおおいにアルバイトを使ったであろう。
テレビ番組の観覧客を募集する会社は以下のようなメールを送っている。
2/27()傍聴券取りのお仕事があります!730900で実際に並ぶのは40分位。ただ並ぶだけで謝礼1500円!更に傍聴券が当った方には賞金1万円!0才から参加OK!並んでいる間はゲームやおしゃべりもOKです!場所は日比谷公園です。]
*毎日の危機
私は長年、を購読していた毎日新聞を三月からやめた。
牧太郎・『毎日』専門編集委員が麻原氏の判決公判を取材して書いた「傍聴記」を読んで決断した。牧氏は「僕はあえて麻原と呼ぶ」と書いて、毎日新聞が一五年前に決めた“呼び捨て廃止”原則を破った上で、「小心の詐欺師」「演技なら人間国宝」などと麻原氏の心身について人格攻撃した。
牧氏は冤罪・首都圏連続殺人事件の元被告人O氏が無罪確定後に殺人事件を起こした際、「世界」(岩波書店)で、過去の事件についてもやっていると考えるのが当然と書いた。我々の抗議に対して、同誌の岡本厚編集長も、「自分もそれが市民の自然な感覚だと思う」などと言い放った。Oさんを犯人視したことで編集局長賞をもらった毎日のK記者は役員にまで昇進している。(佐木氏は、03年8月13日の西日本新聞の書評欄などで、Oさんに対してひどい中傷発言を繰り返している)
毎日は元日の社説から、日本軍のイラク派兵をありうる選択として容認した。最近は同志社の村田晃嗣助教授も使い始めた。相変わらず高畑論説委員が跋扈し、小泉首相の御用学者、田中明彦東大教授らをよく使っている。
いろんなことがあって、毎日をやめた。





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