2003年9月4日

迷走する犯罪報道の現在

浅野健一

 

*逮捕=悪人は封建時代の悪弊

辻元清美前議員に関する一連の報道のあり方について夏目書房発行の《ブックレット「辻元!」に一章を書いた。今月末には発行される。

 この中で、逮捕されたらおしまいというマスコミ報道の基準がおかしいと強調した。「お縄になる」という江戸時代の発想問題だ。辻元氏の場合も、逮捕なしの書類送検の場合は、記事の扱いは小さくなっただろう。

 なぜそうなるのか。本稿の最初に論じた実名報道主義が諸悪の根源である。

メディアが警察・検察からの距離を保つことが今重要だ。最近大阪の弁護士から、大阪のメディア幹部が、「浅野は警察担当記者をやっていないから、犯罪報道についてあれこれ言う資格がない」と言いふらしていると聞いた。

 確かに、「ペンを持ったおまわりさん」の優等生はやらなかった。しかし、警視庁と千葉県警の管内で計三年間も警察担当記者をやった。それにしても、警視庁担当をやらないと一人前ではないという発想こそ、時代錯誤である。どこかの団体のような言い方ではないか。

 

*セクハラはなぜ起きるか

〇三年七月二〇日の毎日新聞によると、大阪府淀川署の副署長が七月一六日夕、取材のため訪れた通信社大阪支社社会部の女性記者を飲食に誘い、一緒に飲食した後、「遅いから近くのホテルに一人で泊まっていったらどうや」と迫った。記者が、断れば今後の取材に支障が出ると考えてホテルに同行したところ、副署長は室内で記者に抱きつき、押し倒した。記者はすぐ振り払って逃げたが、転倒し左ひざに軽い打撲傷を負っていたという。

 大阪府警は七月一八日、減給100分の10、3カ月の懲戒処分にした。副署長は同日依願退職した。

 当の通信社は7月18日午後7時35分に、全国ニュースで、《副署長が記者にセクハラ  懲戒処分受け引責辞職》という見出しで次のように報じている。

《大阪府警淀川署副署長の△△△△警視(58)が、〇〇通信大阪支社社会部の女性記者(年齢、筆者が削除)に抱きつくなどのセクハラ行為をしていたことが分かり、府警は十八日、「警察への信用を著しく失墜させた」として△△副署長を減給10%、三カ月の懲戒処分にした。副署長は同日依願退職した。記者はすぐ振り払って逃げたが、その際に転倒し左ひざに軽いけがをした。
 府警の発表によると、副署長は十六日夜、記者と飲食後、断る記者に「遅いから一人で泊まっていったら」と迫り、案内した大阪市近郊のホテルで無理やり肩を抱き寄せるなどしたという。
 〇〇通信の調査によると、記者は同日、取材で淀川署を訪れ、副署長から飲食を伴う懇談に誘われた。副署長は遅い帰宅を避け、ホテルに一人で宿泊するようしつこく勧め、記者は、断れば今後の取材に支障が生じると考え、いったん言うとおりにして副署長が帰ってから自分も帰宅しようと判断した。
 ホテルでは副署長がフロント係から鍵を取ったため一緒に入室するほかなく、早く退室してもらおうと考えているさなかに無理やり抱きつかれ、押し倒されたという。
 中村俊彦淀川署長は「署員を指導すべき立場の幹部の行為で、誠に申し訳ない」と話している。》(筆者の判断で一部匿名にした)

 

私はこの事件の二週間前の大学の講義で、新聞社の女性記者は毎日がセクハラとの闘いだという話をした。数人の女子学生たちは講義の後、「本当ですか」と真剣な顔で聞いてきた。

被害に遭ったこの女性記者は、「警察幹部に嫌われると情報が取れなくなる」ということを心配した。被害者本人のコメントは正直だ。セクハラが起きるのは、警察権力機構がメディアより強い立場にあるからだ。現在の権力とメディアの力関係を見事に表している。

複数の関係者によると、女性の記者が所属する大阪社会部幹部は、私のことをものすごく嫌っているようで、私の本を示して、「ここが間違っている」と若手記者に“教育”しているそうだ。この幹部とは元組合幹部で、会社と裏でつながっている組合中央との強調を常に第一に考えていた人である。

彼も長く勤務していた通信社会部でも、犯罪報道の改革に真剣に取り組んでこず、相変わらず、警察幹部の自宅を朝晩、定期的に訪問して、捜査情報を誰がどういう容疑で逮捕されるかで特ダネ競争している。だから、こういうセクハラ事件はいつ起きてもおかしくない。構造的な犯罪だ。「毎日がセクハラとの闘いだった」と毎日新聞をやめた記者が、同志社でのシンポジウムで語ったことがある。この事件は氷山の一角である。

裁判員制度が近く導入され、「公正な裁判のために」という理由で、起訴前と起訴後の犯罪報道を法規制する動きが強まるであろう。いまメディアは、権力と市民の挟み撃ちに遭っている。これを打開するには、「権力には厳しく、市民に優しい」ジャーナリズムを創生するしかない。その鍵は欧州で実践されている匿名報道主義を導入し、取材と報道についての行動指針を策定して、そのガイドラインを順守しているかどうかの審判を下す仕組みをつくるしかない。

 

*警察と一体化する取材

現場の記者たちは、警察が公表すればそのまま報道してもいいという日本のマスメディア企業に共通するガイドラインに悩んでいる。各社が持っている基準も市民に公表していない。例外は読売新聞だけだ。これは日本のメディアがいかに遅れているかを示している。市民とともに取材や報道のあり方を考えるべきだ。

取材することと報道(publicize)することとは違うのだから、警察が実名で発表したから実名を掲載、放送していいということではない。各メディアの責任で報道すべきなのだ。

 大阪教育大付属池田小で〇一年六月、児童八人が殺害された事件で、殺人などの罪に問われた男性(39)に対する判決公判が八月二八日、大阪地裁であり、川合昌幸裁判長は検察側の求刑通り死刑を言い渡した。この判決報道については、救援連絡センター(03−3591−1301)発行の「救援」の連載に書いたので読んでほしいが、遺族がなぜ顔を隠したのかを深く考えるべきだ。現代人文社の『マスコミがやって来た!』が明らかにしたように、集団取材の人権侵害は深刻だ。

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Last updated 2003.09.04