2004年1月8日
浜田純一氏に「朝日新聞 報道と人権委」委員辞任を勧告する
浅野健一
過日、「ASA」とかいう朝日新聞の地元の販売店の店員が、朝日新聞の購読契約を延長してほしいと言ってきた。私は契約を結ぶ条件として、@被疑者・被害者の匿名主義(公人の職務上の犯罪嫌疑などは顕名報道する)など犯罪報道の根本的変革A「朝日新聞 報道と人権委員会」(PRC)の委員である浜田純一東大大学院教授の解任−の二つをあげた。
地元の販売店は朝日新聞販売局に私の意見を伝えたという。
12月21日付の朝日新聞28頁に「朝日新聞 報道と人権委員会」の「2期第5回例会」報告が載った。見出しは《「犯人視報道」どう避ける》。仙台弁護士会は11月27日、河北新報社、朝日新聞東京本社、毎日新聞東京本社、読売新聞社の4社に対して、「仙台筋弛緩剤混入事件」に関する記事が人権侵害に当たるとして勧告書を出したと発表したことについて、PRCの委員三人が議論している。
この事件は、「北陵クリニック事件」と呼ぶべきで、点滴に筋弛緩剤「マスキュラックス」を混入したとして殺人などの疑いで宮城県警泉署の捜査本部に五回も逮捕された後、起訴された元准看護士の守大助さんは冤罪だと私は思っている。守さんの支援者は、事件名を「北陵クリニック事件」と呼んでいる。病院による医療過誤の疑いが強いからだ。
朝日新聞で問題になったのは01年1月21日付、22日付、23日付の宮城版に「疑惑のしずく」と題して掲載されたインタビュー記事。2人の大学教授と元警視庁捜査1課長に容疑者の心理や捜査、裁判の見通しなどを聞いたものだ。
仙台弁護士会(松尾良風会長)が11月18日付で4社に送った勧告書は25ページに及んでいる。記事によると、朝日に関する勧告は、次のようになっている。
[勧告は、21日付の前文にある「生命を預かる医療従事者が点滴を凶器にするといった前代未聞の事件はなぜ起きたのか」との表現について「被疑者が犯人であると前提した表現」であり、犯人視報道だとした。また、記事全体についても、この前文を受け、容疑者が犯行を行ったことを前提に識者の意見を聞いており、読者に容疑者が犯人と受け取らせるなどと指摘し、「犯人視報道であり、人権侵害にあたる」とした。
さらに「判決確定前の犯罪報道は、容疑対象者が被疑者・被告人段階にあり、犯人であると確定したものではないと、読者が通常の注意と読み方で判断できる事実摘示・意見表明にとどめ、その範囲を超えて被疑者・被告人を犯人視する報道をすることのないよう勧告する」としている。
読売と毎日にも犯人視報道があり、また、毎日が学校時代の運動会の写真を掲載し、河北が同じ写真や容疑者のくわしい住所や本籍、私生活などを掲載したことは、プライバシー侵害だとしている。]
私は近著『「報道加害」の現場を歩く』(85ページ以降)でも詳しく論じているが、守さんに関する捜査段階の取材と報道は、守さんを完全に犯人視したひどいものだった。
PRCのメンバーは、元共同通信編集主幹・ジャーナリストの原寿雄委員、東大大学院教授(情報法・憲法)浜田純一委員、元最高裁判事・弁護士の尾崎行信で、三人の顔写真も出ている。
3人の委員のうち、今回は浜田純一委員の発言には問題が多すぎる。
浜田氏の発言は以下のようだった。
[・推定無罪は、有罪か無罪かを決める司法判断の際の原則だが、報道には両者の中間に「容疑者報道」がある。刑法の免責規定でも許されており、勧告も、容疑者としての報道は許容している。しかし、容疑と有罪だとすることとの区別はあいまいだ。
・僕もこの前文は許されないように思うが、記事自体の中身は容疑者報道なのか犯人視報道なのか、非常に難しい。「疑惑のしずく」に書かれたようなことは読者には知りたい内容だ。動機の分析など、こうした記事自体は必要だ。もしだめだとなると情報量は非常に落ちる。
・犯人視報道は、通常の権利侵害的な報道とは異なって、後に有罪が確定すれば、真実証明ができて免責される可能性を持っている。結局は、疑いについて濃淡とりまぜた書き方になろう。時間の経過で新情報が得られてきたら、軸足を少しずつずらしていく。最初の印象が強ければ、後で大きな記事で直すことも考えていい。読者としては、いつも漠然と薄められた記事だけだとフラストレーションがたまる。
・現行犯逮捕にもいろいろある。たとえば、雑踏の中で何人かを殺傷して取り押さえられても、法的には被疑者、報じるときもやはり容疑者だ。しかし、その枠の中でどこまで書くかという範囲は、メディアが把握できる情報の濃さ、つまり、取材力や取材結果によって違ってくる。現行犯の場合はそれだけ情報量が多いから、ある程度突っ込んで書ける、ということになると思う。
・ 否認しているだけで、慎重にとも言いきれない。捜査状況なども含め総合判断をして、どの程度濃度を高めていいかを自己責任で決める必要がある。容疑者報道は犯人視報道とは違う。僕も「もう少し留保を付け、識者の話は記者がオブラートに包んで再構成したら」と助言すると思う。ただ、特定の人に着目した背景報道がだめとなると、書けることが相当に狭くなり、知りたい要求に答えられない。
・地番表示や本籍は権利侵害になるだろう。ただ、父親の職業は、必要性は別として、プライバシー侵害とまではいえないと思う。
・一方で、読者のニーズもある。一番読みたいのは、事件が発生して容疑者が逮捕されたとき。最初はよくわからないから、有罪判決が出てから詳しく報道すればいいというのでは、現実の感覚に合わない。]
浜田委員は、今回も基本的に「市民の好奇心に応えることが報道の任務」という姿勢である。この考え自体が大いに問題。報道の意義を間違って認識している。また、浜田委員の主張では犯人視報道と容疑者報道は境界を引くのが難しいので、今のままの報道で基本的にはよいという結論になる。
さらに、浜田委員の主張を展開していくと「市民の知る権利のためには、ある程度のプライバシー侵害は止むを得ない」という論になる。報道される側が公人なのか、私人なのか、また、公人の場合も職務に関係しているどうかの吟味が全くない。
刑法の免責規定で「容疑者報道」が許されているというのだが、法律で許されても報道倫理として問題がある場合がある。法律によるメディア規制に反対し、報道の絶対的自由を主張する学者が、刑法の免責規定を持ち出して捜査段階の実名・犯人視報道を正当化するのは矛盾している。
浜田氏は、「疑惑のしずく」に書かれたようなことは、「読者には知りたい内容」だと述べて、「動機の分析」のために必要で、「特定の人に着目した背景報道がだめとなると、書けることが相当に狭くなり、知りたい要求に答えられない」とまで言う。
これこそ守氏を犯人とみたうえでの暴言だ。
ロス疑惑事件、甲山事件のように、冤罪(でっちあげ)事件では、被疑者に着目して背景を探れば探るほど、真実から離れてしまう。被疑者が実行者であるという前提に立って初めて成り立つ理屈だ。
後で加害者と裁判で認定されたとしても、捜査段階で犯人と断定した報道は、パブリック・インタレストがない限り許されない。
浜田氏の言う「容疑者報道」という意味がよく分からない。彼の新語だ。
浜田氏は、「一番読みたいのは、事件が発生して容疑者が逮捕されたとき」と断言しているが、なぜそうなったか。江戸時代以降の、お上にしょっ引かれた人を悪人とみなす中世的な価値判断だ。浜田氏はフランス革命の意味を全く理解していない。日本国憲法が保障する基本的人権の意味も分かっていない。「最初はよくわからないから、有罪判決が出てから詳しく報道すればいい」というのは、いったい誰が言っていることなのかを明示すべきだ。
欧州などまともな国のジャーナリズムでは、一般刑事事件については、起訴前に詳しい報道はしない。裁判開始後も、公正な裁判を受ける権利を保障するために報道は禁欲的だ。
「軸足を少しずつずらす」という発想は、かつて柴田鉄治朝日新聞東京本社社会部長が私との討論で持ち出した、「記者は豹変すればいい」という暴論と似ている。
彼の言う「現実の感覚」「情報量」とか「知りたい要求」のために、捜査段階で実名を出され、家族関係から「動機」まで推測で書かれてはたまらない。
守さんは公人ではない。
読者の「フラストレーション」を持ち出すのだが、そこには、報道されて人生を破壊される人への思いは全くない。浜田氏は不満かも知れないが、憲法や刑事訴訟法の理念を理解する市民の多くは、人権擁護のために、好奇心を抑制することこそディーセントなのだということを知っている。
浜田氏のPRCでの議論は、守氏の容疑が濃いという判断としか思えない。まさに守氏を「犯人視」している。仙台弁護士会は浜田氏のPRCでの発言も取り上げて勧告してほしい。
朝日新聞の現場の記者たちは、「現場では日々悩みながら仕事をしているのに、あんなに単純に現在の報道を正当化されると困る」と言っている。
浜田氏は、守さん逮捕されてからの記事をきちんと読んでいるのだろうか。浜田委員のような人が、「人権と報道委員会」の委員をしていると、朝日新聞は読者を失っていくだろう。朝日新聞は浜田氏を委員から外して、市民の立場に立つ委員(報道被害経験者が一番いい)を選ぶべきであろう。
原委員の次のような発言にも問題がある。
[・ただ、ジャーナリズムは必要なら「推定無罪」の原則を超えて報道の自由を行使すべき場合もあり得る。独自に調べたことにより、この点を強調したい、それが公共の利害にかかわると判断する場合には、責任を十分に持った上で書くべきだ。
・否認かどうかで報道の扱い方も変わるべきだというのは問題もある。また、否認の場合はより慎重にというのは、経験則的に言えることで、絶対的な基準があるわけではない。結局は、取材者の取材結果に基づく判断に任される以外にない。]
原氏は、《必要なら「推定無罪」の原則を超えて報道の自由を行使すべき場合》を定義していない。諸外国では取材、報道に「パブリック・インタレスト」(すべての市民の権益に深く関係している)があるかどうかを常に考える。「潮」1月号の英PCCピンカー教授のインタビューと拙稿を参照してほしい。
原委員の主張では「結局は現場判断に任される」ということになり、犯人視報道の根本的な解決策提案になっていない。これでは「報道と人権委員会」 の意味はほとんどなく、委員会自体が機能していないと思われる。
仙台弁護士会の勧告は、逮捕段階での実名報道の問題については言及していないが、警察の逮捕というアクションに連動して実名報道に踏み切るという報道基準に問題がある。浜田氏らは逮捕時点での実名報道を当然のように考えているが、官憲の価値判断に報道の基準を依拠していることにこそ最大の問題がある。浜田氏の実名報道擁護論は、他の御用学者に比べてもお粗末だが、今後きちんと反論していきたい。何しろ「東大大学院教授(情報法・憲法)という肩書きで、メディア現場をさらに硬直化させる「論理」を展開しているのだから、放置できない。
また、「週刊金曜日」12月19日号の「アンテナ金曜」の《筋弛緩剤混入事件 弁護士会が新聞社に「勧告」》という記事(筆者は死刑廃止連絡会みやぎ・石川雅之氏)を読んで、13人の仙台市民が人権救済を申し立てたことを知った。朝日の記事では、どういう経緯で勧告が出たのかが全く分からない。
記事は次のように書いている。
[これは「筋弛緩剤混入事件」被告に対する逮捕当時の報道が、無罪推定原則を無視して被疑者を犯人扱いし、そのプライバシーを著しく侵害したとして13人の仙台市民が人権救済を申し立てたことについて判断したものである。
仙台弁護士会は、有罪を前提に報道した根拠などを各社に紹介し回答を得て審理した結果、『朝日新聞』と『読売新聞』は犯人視報道を、『河北新報』はプライバシー侵害を、『毎日新聞』はその両方を犯したと判断し、今後そうした報道をしないよう、勧告した。
今回、無罪推定ならぬ各社の「有罪断定報道」が人権侵害であることを弁護士会が明快に指摘し是正を勧告した意義は大きい。しかもそれを引き合いに出したのは、丹念に報道を検証して申し立てをした市民たちである。
仙台地裁で進行中のこの事件の裁判では、検察側が無期懲役を求刑。弁護側は冤罪だとして全面的に対決している。来春に予定される判決の際にいかなる報道がされるか、各社が「勧告を真摯に受けとめ、今後の報道に生かす」(朝日新聞社)のかどうか、「13人の怒れる市民」は目を光らせている。]
朝日新聞はなぜ、13人の市民が救済申し立てをしたことを伝えないのだろうか。これらの市民は浜田氏のいう「読者」とどう違うのだろうか。
私は仙台弁護士会の勧告書を入手した。勧告書によると、匿名希望の申立人が02年2月20日、四社の守さんについて、「無罪推定の原則を無視して、守氏を犯人扱いするかのごとき報道を行い、更には同氏の略歴等プライバシーを紙面において暴露することによって、同氏の人権を著しく侵害した」と書面で救済を申し立てた。申立人らは、「守氏と何等の利害関係を有するものではない」という。弁護士会が記事を精査して、四社に照会した上で、勧告書を出した。あまり前例がなく画期的な仕事だ。報道評議会がまだできていない日本において、弁護士会の今後に期待したい。
*2月17日の集会で講演
04年2月17日(火)午後6時半から、仙台シルバーセンターで、「北陵クリニック事件・守大介さんを支援する会」と国民救援会宮城県本部の主催の集会が開かれ、私が講演する。守さんに対する人権侵害記事を擁護する浜田氏の責任をきちんと追及したいと思う。
〈私は一般刑事事件の被疑者・被告人・囚人、被害者は原則として匿名報道すべきだと考えているが、本稿では「正々堂々と名前も顔も出して冤罪を晴らしたい」という守さん本人、家族、弁護人の意向を尊重し、私の責任で顕名とした。〉(了)