オ・ヨンホ代表は最初の挨拶で、「韓国を愛する準備された国民がいたからこそ、創刊のコンセプトである『あらゆる市民は記者である』を実現できた」と述べ、「二〇〇五年には市民記者の参画をより多角化し、経済・国際記事を補強するなど、大韓民国特産品の世界化に力を注ぎたい」と語った。オ代表はオーマイニュースの世界化に関して、@英語で記事を書く外国人の市民記者を年末までに現在の三〇〇人から一〇〇〇人に増やすA市民参画ジャーナリズムモデルを世界の他国に拡大・適用するB来る7月、「世界市民記者フォーラム」をソウルで開催することを明らかにした。
オ代表は今後の抱負を明らかにしながら、心をこめて市民記者への感謝の気持ちを伝えた。「いつも多くの市民記者の皆さんに助けられながらも、まともな食事をご一緒することもできなかった。今日は皆さんとおいしい食事を取りながら、思う存分楽しい時間を過ごしたい」と、彼があたたかい気持ちであいさつすると市民記者らは大きな拍手でこたえた。
オーマイニュースが創刊5周年を祝う記念式
浅野教授、李其珍(院生)が式典に出席
座談会
「日本におけるオーマイニュース・モデル成功の条件とは」で対談
オーマイニュース創刊5周年記念式
「オーマイニュース、世界を目指す」
二〇〇五年二月二二日午後七時、韓国ソウルの世宗(セゾン)文化会館・世宗ホールで、オーマイニュース創刊五周年記念式典が開かれた。会場には約三〇〇人の市民記者と経済・言論・文化・政界からの参加者を合わせて約六〇〇人が集まった。特に、廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と金大中(キム・デジュン)元大統領は映像メッセージでオーマイニュースの五回目の誕生日を祝い、注目を集めた。
オーマイニュースは、世界で初めて市民参画型ジャーナリズムを実現させたことで、日本のみならず世界メディア界の熱い注目を浴びている。同志社大学メディア学科の浅野健一ゼミでは〇四年九月、オーマイニュースのオ・ヨンホ代表を招き、講演を開いたこともある。オーマイニュースと浅野ゼミとの縁は同年二月にさかのぼる。韓国のオルタナティブ・メディアによる言論改革に注目した浅野教授・森類臣(現同大学院生)・李(本報告の筆者)は、ソウルに行ってハンギョレ新聞・オーマイニュース・プレシアンなどを訪問取材したのである。浅野教授は今回の創刊5周年記念式で祝辞を頼まれた。韓国の各界著名人の祝辞が相次ぐなか、外国人として、学者として唯一であった。
式典の様子
続いて、廬大統領と金元大統領から送られたメッセージ映像が会場に流れた。廬大統領は当選直後、真っ先にオーマイニュースと単独インタビューした記憶を振り返りながら、オーマイニュースが「言論界の発展に新たな地平を開いた」と述べ、「なるほど『大韓民国特産品』と称していいだろう」と褒め称えた。そして最後に「改革に対するネティズンの皆さんの熱望がよく分かる。決して中断したり挫折したりしない。任期を終えるその日まで一歩一歩頑張って行きたい」と、就任二周年を迎えた覚悟を伝えた。
一方、金元大統領は「前回の大統領選挙やその後に行われた総選挙でオーマイニュースを始めとするインターネット・メディアが決定的な影響力を発揮した。我が国の歴史で初めてのことだ」。「オーマイニュースは21世紀情報化時代に自らが担っている役割の重要性を肝に銘じ、歴史的な使命をやり遂げるのに一層最善を尽くしてください。国民と時代がそれを望んでいる。オーマイニュースが成功するとき、韓国の未来も大きな成功に至ることができる」と述べ、オーマイニュースの未来に強い期待を示した。
この後、チェ・ミンヒ民主言論運動市民連合の事務総長が祝辞を述べ、「今までオーマイニュースは希望と夢、そして未来のビジョンを与えてくれた」「これからは読者へのアフターサービスにも心掛けてほしい」。
続いて政治界の著名人たちの祝辞が述べられた。林采正(イム・チェジョン)・開かれたウリ党議長は、「オーマイニュースを見るたびに『オーマイゴッド!』と驚くばかり」と大げさにコメントし、参加者らが爆笑した。金徳龍(キム・トクリョン)・ハンナラ党議員代表は「我が共同体社会が何処に向かって行けばいいのかを提示し、きちんと責任をとるメディアになってほしい」と述べた。金恵敬(キム・ヘキョン)・民主労働党代表は、「オーマイニュースが現在の成長に満足してしまうのではないかという予想が外れることを望む」と祝辞で述べた。
金在哲(キム・ゼチョル)・韓国貿易協会会長はオーマイニュースを「茫々たる海を照らす灯台のような存在」だと表現し大きい拍手を受けた。張大煥(チャン・デファン)・毎日経済新聞会長は「経済新聞社を経営している者として、オーマイニュースが2年連続で黒字を出したことをお祝いしたい」。「オーマイニュースが朝鮮半島と東アジアが直面している問題を適切に指摘するメディアになってほしい」と述べた。
©2005 LEE KIJIN
各界著名人の祝辞の後、市民記者が中心となってイベントが行われた。市民記者の活動を表彰するコーナーと、食事と共に市民記者が用意した祝賀舞台が続いた。クイズ大会も開かれ、参加した市民記者らはみんなでにぎやかに楽しんだ。
〇四年一年間最も活発に活動した市民記者に与えられる「二〇〇四、今年のニュースゲリラ賞」はユン・クンヒョク(ニュース部門)、キム・ヘウォン(暮らしの話部門)、イム・ユンス(連載部門)記者が受賞した。ニュース部門で受賞したユン記者は「オーマイニュースがあったから言いたいことが全部言えた」と感想を述べた。キム・へウォン記者は「世界を代表するおばさんになります」と意志強く語った。
また、〇四年一年間目立つ活動を見せた市民記者に授与される「二月二二日賞」は、キム・ミョンコン氏ら十一人が受賞した。
オ代表は参加者である著名人の接待や、市民記者と話すなどで余りにも忙しく、参加者が食事を終える頃になってやっと席に座ることができた。「ご飯を食べる時間もありませんね」と私が聞くと、「食べていないのに満腹な気分です」と笑って答えた。彼の感激が伝わってくるような気がした。
翌日、二月二三日午前十一時、オーマイニュースの代表事務室にて座談会が開かれた。参加者はオ・ヨンホ代表、チョン・ホヨン副社長、ミン・キョンジン国際部長、田中康文さん(アットニューストリム有限会社代表・元経団連勤務)浅野健一教授、李其珍(筆者)の七人だった。座談会では、どうすれば日本でオーマイニュース・モデルが成功するかについて議論した。座談会は昼食を含めて約二時間半続いた。
最初に浅野教授「日本におけるオーマイニュース・モデル成功の条件」というテーマで発表した。
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浅野教授は、オ代表が示している韓国でのオーマイニュース成功の要因に照らし合わせて日本の現状を説明した。浅野教授は「日本はそもそも国際的な基準のジャーナリズムもアカデミズムもないから、インターネット・ジャーナリズムも存在できない」と前述し、日本の現状について、@既成メディアへの不満が新たなメディアへの要求につながらないAジャーナリズムが活性化していないB米国の植民地化しているB社会の右傾化C準備された市民が稀であるD市民の力で変革を勝ち取った経験がない、などと分析した見解を述べた。約二〇分間の発表の後に質疑と討論が続いた。
オーマイニュースの今年の目標が世界のジャーナリズムを変えるために国際的なサイトを目指すことであるだけに、参加者の関心は高かった。ミン・キョンジン国際部長は、「日本でオーマイニュースのようなネット新聞が創刊されると、そのターゲットはどのような人々になるのか。オーマイニュースは始めから全ての人をターゲットにしたのではなく、政治的に進歩的な人々を読者として創刊されたのだが、日本でもそのような対象が存在するのか」と質問し、日本の進歩的なオーディエンスの層はどのくらいの大きさなのかを聞いた。オ・ヨンホ代表は現在日本の大学生や若者の右翼的・保守的傾向と、インターネットでの実際での声の出し方、違いに関して興味をしめした。オ代表は続けてJANJANや日刊ベリタが影響力を持てない原因について聞き、『2チャンネル』のような匿名の掲示板にもの非常に多くの若者が参加していることを例に挙げ、「そのような勢いをオーマイニュースのような進歩的メディアに転向させることは考えられないのか」と提案した。チョン副社長の「日本の大学には学生が作る新聞がないですか」と質問し、日本の大学新聞が絶滅していることを聞くと驚きを隠さなかった。
座談会は昼食に移ってからも議論を続けた。食事をとりながら、主にオーマイニュース日本語版サイトの立ち上げ計画について意見が交わされた。オ代表は意欲的だが、非常に慎重にオーマイニュース日本語版の計画を練っているようだった。日本語版を作るためには、韓国の記事を翻訳するだけで三人が必要で、専門の編集記者が五人はいるという。それに資金集めが課題の一つだ。オ代表は、「韓国語の記事を日本語に翻訳するのは今できることだし、日・韓に共通して問題と話題になる記事を中心に日本語で流したい」と語っている。浅野教授は「オーマイニュースの日本語版ができると、『2チャンネル』のような刹那的で自己満足型のメディアしか知らない若者の間に、大きな変化がおきるだろう」と期待を示し、オーマイニュース日本語版の実現に向けて積極的に応援するつもりであることを伝えた。
二〇〇四年、最初にオーマイニュースを訪問したとき、ここまで深くオーマイニュースに関わっていくとは予想もしなかった。私はオ代表のことをもっと前から知っていた。知り合いだったわけではなく、オ代表が、私が韓国で大学生だった頃、仲間の間でよく読まれた進歩系雑誌「マル(言)」のカリスマ記者だったからだ。彼は優れたルポライターだった。権力側によって隠蔽された数々の疑惑事件を取材し、徹底的に分析して伝えてくれた。彼がオーマイニュースの社長になった今、オーマイニュースの成功について語る彼を見ていると、「マル」時代のオ・ヨンホ記者がそのまま生き返っているような気がする。だからこそ私はオーマイニュースの成功がただの時代の流れだとは思えない。きっと十何年間執拗に追い求めてきたオさんのメディア改革への意志が大いに働いたはずだ。
日本の人々にも、オーマイニュースの名声がだんだん知られるようになってきた。オ代表は〇四年末、経団連に招待され講演しており、革新的ジャーナリストグループからも招待されたことがある。同年の九月には既に同志社で講演している。しかし、日本では未だインターネット新聞に対する既成メディア人の偏見が強い。紙新聞の記者は口を揃えてネット新聞に載る記事の信頼性を指摘する。記者職を専門職に特化して市民の参画を元から拒む古い姿勢である。さらに、日本の若者はオーマイニュースの存在をまったく実感していない。日本でオーマイニュース・モデルのインターネット新聞が活性化するためには、インターネット社会の主役となる若い世代が、自らの力でメディアを改革できるのだという手答えを覚える必要があるだろう。「変革する快感」を覚えることで、理不尽な社会制度は変えられるのだと強く信じることができる。
オーマイニュースの日本語版ができれば、日本の若者が「変える快感」を覚える刺激ときっかけになってくれるかも知れない。そして「快感」を知るのに留まらず、常に変革を実践する準備された市民に成長していけることを願っている。