院生・学部生のみなさんへ<講義案内>

米国人ジャーナリスト、ブライアン・コバートさん
2006年から同志社大学で講義


院生・学部生のみなさんへ

                    浅野健一

 4月から私の友人で米国人ジャーナリストのブライアン・コバート(Brian Covert)氏が同志社大学嘱託講師となり、国際コミュニケーション論(春、木3)と外国書講読(春・秋、木5)を担当します。ジャーナリズム論と英語(時事英語)の両方を学べます。履修を薦めます。
【コバート氏略歴】

1959年、アメリカ・カリフォルニア州生まれ。
カリフォルニア州立大学フレズノ校ジャーナリズム学科卒業。1986年来日。
ジャパンタイムス、UPI通信大阪特派員、英文毎日、デイリーヨミウリの英文記者を経てフリーランス。
2001年、カリフォルニア州に戻り、ラジオ番組プロデューサー。2004年、再来日し、インディペンデントジャーナリスト(権力や大企業から独立した記者)として、主にインターネット上で日本の平和活動、社会問題を世界に伝える。
フォトジャーナリストの広河隆一さんが発行している「Days Japan」の国際版の編集に携わっている。
また、詩集「命Inochi」も出版。
兵庫県在住。



ブライアン・コバートさん  

メディア学科2回生の藤野有美子さんがこのほどインタビューし、抱負を聞きました。以下はその記録です。

@授業でどのようなことをする予定ですか

私は今年度の木曜日3時間目・春期の国際コミュニケーション論と、春・秋の木曜5時間目の外国書講読の授業を担当するのですが、外国書講読のほうでは特に、日本だけではなく、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカなど、国際メディアに重点を置いて授業を進めていきたいと思います。私の授業を通じ、メディアがどのように変化しているのか、また、メディアが私たちの生活にどれほど影響をもたらしているかを理解してほしいです。ただ私の授業を聞くだけではなく、ライティングやリーディングなどの様々な活動をして、授業に参加し、生徒がメディアに携わってほしいです。
国際コミュニケーション論では、アメリカのドキュメンタリー番組を見たり、ニューヨークタイムスを読んだりしてその内容についてディスカッションしたり、CNNのニュースを見てリポーターの良い点、悪い点を指摘したり、また、Japan Times
宛の投書原稿の書き方の指導などをしていこうと考えています。

Aジャーナリストになるために何をすればよいのですか

“Try to be the voice of the voiceless”
(声無き声になる)というのは私の座右の銘なのですが、ほかの人が目を向けないようなことや、メディアが取り上げない人や事柄に目を向け、カメラを向け、耳を傾けることが大切です。リポーターを体験するなど、何か段階を踏むのが望ましいですね。そのような経験がエディターになったときとても役に立ちます。
人とコミュニケーションをとることもとても大切なことです。
ジャーナリストは、政府よりも、住民に近い立場にあるべきです。取材活動において、政府のような大きな組織にコントロールされないようにすることにも留意すべきです。

B Days Japanについてのお話を聞かせてください

Days Japanとはフォトジャーナリストの広河隆一さんが出版している月刊誌です。
日本のみならず、世界にもこの雑誌を紹介したいということで、一年ほど前に季刊の英語版も発行されました。パレスチナ、イラク、アフリカ、中南米などを主に取りあげています。私も「アメリカ ハリケーンで露呈したアメリカの真実」という記事を書きました。「日本軍が行った空爆の惨禍 上海、南京、重慶」など、戦争時、日本がアジアにしたことを書いた記事もあります。主に戦争についての真実を取り上げ、大手の新聞や雑誌が報道しないような出来事を取り上げています。爆弾の被害を受けた人々の写真なで、見るのがつらい写真もありますが、真実を見てほしい。たとえば、現在イラクでおきている事はアメリカのイラク侵略のほんの一過程にしか過ぎないのです。歴史は歴史書の上だけで起こっているものではない。歴史が語らない真実を伝えていくことがジャーナリストの使命ではないでしょうか。

C 主な活動内容は何ですか

10年ほど前までは日米でニュースリポーターをしていました。日本では、ジャパンタイムス、毎日デイリーニュース、デイリーヨミウリで記者をしていました。その前はUPI通信社(私が辞めた後、2000年に世界基督教統一神霊協会傘下のニューズ・ワールド・コミュニケーションズに買収された)の特派員でもありました。主な活動は活字メディアとしてですが、テレビなど、放送メディアにも携わっていました。しかし、大手メディアのポリシーや検閲制度に満足できず、辞めました。自分でもっと良い仕事ができるのではと思い、独立しました。また、カリフォルニア州立大学 KHSU?FMラジオ「Thursday Night Talk」の番組共同プロデューサーでもありました。浅野先生もゲストに呼びました。2003年3月20日(米国時間)、米国がイラクに侵略した翌日ですね。
今はフリーライターとしての執筆作業をしています。日本の会社で英文記事等の校正をしたりもしています。

D 抱負
方法はまだ模索中ですが、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌など、活字メディアと放送メディアを合体させて新しい市民メディアを創りたいと考えています。近頃は正しい情報を知ることが極めて重要です。同志社では、私たちがどのように、新しいメディアを作り出していけばよいのか、また、メディアがどうあるべきかを生徒と共に考えていきたいと思っています。アメリカはとても活動的で、学生がドキュメンタリーを作ったり、新聞やホームページをつくったりとメディアの領域をどんどん広げています。 新しいメディアをつくっていくために、日本と他の国がリンクして、共に協力していけたらいいなと思います。





コバート氏は2004年11月11日、浅野健一ゼでゲスト講義しました。以下は講義の記録です。


『ニュースメディアは死んだか』

                      ブライアン コバート

みなさま、こんにちは。
本日、同志社大学でゲストスピーカーとして、お話させていただく事ができ、大変感謝しております。
同志社のジャーナリズム専攻のみなさんにお話させていただくために京都にやってくる事をいつも楽しみにしています。このような機会を与えて下さった浅野教授に改めてお礼を申し上げます。
さて、今日は日米両国のニュースメディアの現状と将来について批判の眼をもってお話していきたいと思います。日米の両国で主流メディアと、インディペンデント、両方の立場にいたジャーナリストとして、私自身の考えと経験をお話させていただきます。また、後半の質疑応答の時間ではみなさんの忌憚のないご意見をお聞かせいただきたいと思います。
今日の話の原稿は先週のアメリカ大統領選挙に関するニュースをインターネットでチェックしながら書き始めました。(映画監督マイケルムーアのホームページへの有権者の書き込みも含めて)独立系メディアは幅広く有権者達が投票に行った投票所での不正行為、不審な行為について指摘していました。
あらゆる州、東西南北、あらゆる州で投票にやってきた多くの有権者が投票を拒否されています。一番多く見られたのは、有権者登録をしているにもかかわらず、有権者名簿に名前がないと言われるケース、すでに不在者投票をしていると言われるケース、そして投票日までに投票に必要な書類が有権者のところに届いていないというケースです。
信じられないかもしれませんが、コンピュータ方式の投票機で投票した人からの報告で、「ケリー」のボタンを押しても「ブッシュ」に投票した様に表示されてしまう、というものまでありました。これは選挙詐欺です。
一方、主流メディアの方に眼を向けると、そこには奇妙な「沈黙」ともいえるものがありました。投票に関する不正行為についてなどは、ほとんど報道されていませんでした。2、3の主流メディアで投票の不具合が「散発的に」または「まれに」起きていると伝えていましたが、ほとんどの主流メディアは独立系メディアが伝えていた投票に関する不正行為などは報じていませんでした。

これは、投票日の前のケースです。アメリカで最高レベルの独立系ニュースメディア、「デモクラシー ナウ!」が投票日の前日に伝えたものです。あるインディペンデントジャーナリスト(ハーバードで教育を受け、ワシントンポスト、ニューヨークタイムスに記事を書いてきた記者)がフロリダ州で歩道に立ち、投票のために早くから列を作っていた市民にインタビューし、写真を撮っていたところ、警察から追いかけられ、殴打され、逮捕された、というものです。
アメリカでは公共の歩道上で市民にインタビューすることが犯罪でしょうか。フロリダ州では2、3日前からこのような法律が成立していたのでしょうか。
4年前の2000年の大統領選挙のときの報道の嵐に恐れたフロリダ州当局は投票所での潜在的な問題をメディアから隠しておくことが最良の方法と考えたのでしょう。フロリダ州知事がジョージWブッシュ大統領の弟ジェブ ブッシュであることを考えると納得できます。
まだ不思議に思う事があります。なぜニューヨークタイムスとワシントンポストはこのような、自分達の会社に記事を書いている記者に起こった、許されざる警察による扱いに抗議の声をあげないのでしょうか。なぜインディペンデントメディアに起こった警察による抑圧に抗議せず、報道の自由に対して立ち上がらないのでしょうか。この答えは、疑問そのものの中にあると言えます。なぜなら常に、どの社会でも最初にあらゆる権利に対して立ち上がるのは独立したものであると言う事です。

この数年、私はアメリカのジャーナリズムはどんどん「日本化」していると言ってきました。アメリカのニュースメディアはますます体制順応的になってきており、いわゆる「時の権力者」に対して探究心に大胆さがなくなり、そして何よりも大企業化してきています。
このことは現実化しています。今日、アメリカ市民が得ている主流のメディアはたった5社に支配されています。たったの5社です。それらの会社とは、ヴァイアコム(ダン ラザーがいるCBSニュースの親会社)、アメリカオンライン タイムワーナー(CNNの親会社)、ゼネラル エレクトリック(NBCニュースの親会社)、ディズニー(ABCニュースの親会社)、ニュースコーポレーション(フォックスニュースの親会社)これにドイツのベーテルマンという会社を加えて6社になります。
それだけです。これだけの会社でおそらく世界で「一番自由な」国の全ての情報を支配しているのです。
みなさんも私の感じている様な矛盾を感じますか。
みなさんに申し上げるまでもないことかもしれませんが、これらのアメリカのメディアの親会社、とくに、ゼネラル エレクトリック(NBC)とウエスティング ハウス(CBSの以前の親会社)は、アメリカの軍需産業と深い関係を長くもっています。ABCは1980年代にキャピタルシティーという会社に買収されました。この会社の顧問弁護士は元CIA長官のウイリアム ケイシーでした。アメリカのメディアが戦争をテレビゲームのように報道する傾向があるのにも驚く事はないでしょう。

ここ日本のニュースメディアの製品を考える方法の一つに、記者クラブ制度を通して考えることがあります。1980年代の終わり、私が初めて日本に来た時、ジャパンタイムスの大阪で初めての外国人記者として働きました。私は記者クラブに加入して情報を得る事が最上の方法だと考えていました。ですから、私はジャパンタイムスに大阪市役所記者クラブに加入するように強く勧めました。
1980年代にジャパンタイムスが私が駆り立てて記者クラブに加入して以来、たぶん今もメンバーになっていると思います。しかし、私は間違っていた事を今認めます。
ジャーナリストがなんと言おうと、記者クラブはジャーナリストの仕事を簡単にするものにすぎません。記者クラブは民主的社会にはない、組織的バリアです。行政当局と大企業、すなわち社会のエリートだけが記者クラブによって利益を得ています。民衆は得るものはありません。私達はつねにその事を思っていなければなりません。
日本では記者クラブのメンバーではスクープを得る事はできないといいます。しかし、記者クラブのメンバーでなければ、なにも情報を得ることができません。これが本質です。

ジャーナリストとして、私達はしばしば権力に「接近する」か、情報を全く得ないかのニ者択一を迫られる事があります。選択肢は二つだけです。したがって、主流メディアの記者は権力側とよい関係を保つために努力をかさねます。
しかし、ジャーナリストとして、事実を調べる事よりも、より高い優先事項として権力との接近を求める事によって、多くのものを犠牲にしなければなりません。事実の根源、真実を得る事が犠牲になります。中立的立場を犠牲にします。そして大衆に対する自分自身の信頼を犠牲にすることになります。
権力者に取り入りすぎる事は本質的に悪い事です。よい事ではありません。ブッシュが好んで口にする「悪の枢軸」という言葉を聞いた事がありますか。ジャーナリストには「悪の接近」があります。その悪に屈するべきではなく、市民の信頼を得なければなりません。
 昨年、アメリカにいた時に、ニューヨークタイムスのベテラン戦場特派員で作家でもあるクリス ヘッジズに、私がプロデューサーをしていたラジオ番組のゲストとして電話出演してもらったことがあります。もう1年近く前になってしまいましたが、12月18日の放送はすばらしい番組になりました。その中でクリス ヘッジズは番組のリスナーに権力者に接近する事についてこう話してくれました。
「問題は自分が内部の人間でいたいか、外部の人間でいたいか、ということです。内部の人間になることは非常に危険な事だと私は思います。最終的にシステムは記者としてのあなたを堕落させるでしょう。権力とは少し距離を置いていなければならないと思います。」
まったく同感です。

開かれた自由な報道のおおまかな問題において、アメリカと日本はどうでしょうか。アメリカと日本のメディアはどの程度自由なのでしょうか。
ちょうど2週間前、フランスを拠点とする「リポーターズ サン フロンティアーズ」(国境なき記者団?www.rsf.org)は「報道の自由・世界年鑑3」を出しました。167か国を人権侵害ではなく、報道の自由の侵害と報道検閲についてランキングしています。RSFによると、この報告は「それぞれの国で、ジャーナリストと報道機関が自由を共有しているかの度合いと、国家が報道の自由を尊び、保護するような努力をしているかを反映している」と言っています。
デンマークはこのレポートで連続3年間、一位にランクされていて、朝鮮民主主義人民共和国は167位です。その間、アメリカは167か国中の23位です。世界に報道の自由を誇るアメリカはボスニア ヘルツェゴビナより2ランク下です。
RSFはアメリカがなぜこの様に下位にランクされているかをこう説明しています。
「情報源のプライバシーの侵害、プレスビザの存続的な問題、また複数のジャーナリストが反ブッシュ運動によって逮捕されたことがアメリカのランクが低くなっている理由である。」
RSFはある意味、アメリカ政府が最近は総力をあげた戦争の報道の自由に主客転倒的な支配力をもっているという点で、問題を理解しているかもしれません。この報告をさらに見てみましょう。
リストをさらに下の方にみていくと、アメリカからさらに20位下の43位に日本があります。アメリカがトップ20位にも入っていないことも興味深いことですが、日本は40位以内にも入っていません。とくに驚く事には今現在もパレスチナとの紛争を続けているイスラエルがこのリストの37位に入っています。報道の自由においてイスラエルより日本の方が6位上です。これは一考の価値があります。
RSFは日本が43位になっていることについて、このように言っています。
「日本では、メディアは多様で力もある。しかしながら記者クラブのシステムは今なお、外国と独立系のジャーナリストを、多くの情報を得る事から排除している。」
さらにリストの下の方に眼をやると、アメリカ本土から離れて、イラクのアメリカ占領軍政府が167位中、108位で、イラクの国そのものは148位となっています。
RSFのレポートそのものは、矛盾している様にみえます。レポートではイラクは「この数年、地球上で最もジャーナリストに対してひどい場所である」と言っていますが、同時にRSFはアメリカのイラク占領軍政府を取り上げ、イラクそのものもキューバや最下位の朝鮮より上位にランクさせています。
このようなレポートを読みとく方法はいくつかあると思います。しかし、少なくとも私達の全てが同意できると思うのですが、RSFの組織(もちろん、ヨーロッパ中心の見地)によれば、政治的または経済的な国家の力の強さと、報道の自由のレベルは比例していません。
浅野先生と私は時々冗談まじりにこの事について論議する事があります。浅野先生は日本は世界で最もひどい報道のシステムを持っているといい、私はそれはアメリカだといいます。浅野先生も私もお互いに自分の国のニュースメディアを批判しています。これはジャーナリストが持つべき健全な懐疑論だと思います。
しかしながら、すくなくともRSFのレポートによれば、私達は二人とも間違っている事になります。報道の自由という点において、日本やアメリカは最悪ではないというのです。これは、日本やアメリカの様な国のジャーナリストは、しばしば我々が恩恵を忘れがちな報道の自由のために日々、命と仕事を賭けているジャーナリスト達を支持し、闘っていく、強い責任をおっています。
昨年のアメリカがイラクに侵攻した時のことを思い返してみましょう。北カリフォルニアのアルケータという私達が住んでいた町にちょうど浅野先生が来られていました。アメリカがイラクに侵攻した翌日、浅野先生と私は町の中心にでて、新聞を数紙求めました。
地元の新聞、州レベルの新聞、そして全国紙、すべて誇りをもってイラク侵攻の最高司令官としてのブッシュ大統領を支持していました。ある新聞の見出しは強く記憶に残っています。大文字でこう書かれていました。『我々は勝つ』これはブッシュの言葉を引用したものです。
そのとき、私は浅野先生の方に向かい、つい口からでてしまった言葉は「アメリカのジャーナリズムは死んだ」その時、本当にそう思いましたし、今もそう思っています。
アメリカの主流メディアが、イラクを、征服された国としてしか扱わず、このことに疑問をもつアメリカ市民を「愛国心がない」として扱っている事には本当にうんざりしてしまいます。
皆さんの中でトム ブローカーという人の事に詳しい人はいますか。私の子供の頃からNBCナイトリーニュースのキャスターで、非常に保守的で、愛国心を煽るジャーナリストと考えられています。2003年3月19日、イラク侵攻の前日、イラクの今後について、生放送の番組の中で彼はこう述べました。
「我々が、してほしくないことがあります。イラクのインフラ設備を破壊しないでほしいですね。なぜならあの国は数日のうちに我々のものになるんですからね。」
アメリカ政府と主流メディアはある独立国を侵略することによって「所有する」という状況を確立させてしまっています。もちろん、イラク侵攻の以前にも、また途中にも、そして現在もこのようなアメリカ人ジャーナリストの発言はたくさんあります。しかしトム ブローカーのこの発言は聞く度にあきれさせてくれます。

9?11の事件のすぐ後、アメリカのメディアは2001年9月11日のテロと1941年12月のハワイ・パールハーバーの日本軍による攻撃とを比較して報じました。
もちろん、トム ブローカーはその先頭に立っていました。「これはパールハーバー以来、アメリカが受けたもっとも深刻な攻撃です」9月11日当日の番組で彼の典型的な「からいばりの見せ掛け」のスタイルでそう伝えていました。アメリカで唯一の全国紙であるUSAトゥデイは9月11日の一面のトップの見出しで「アメリカは第二のパールハーバーから立ち上がる」と書きました。
ハワイの新聞でも動き出していました。ホノルル アドバタイザー紙は9月11日の翌日の紙面で「奇襲攻撃はもう一つの汚名の日の亡霊を呼び起こす」
「汚名の日」これは1941年パールハーバーの日本軍の攻撃のあとに、当時のフランクリン ルーズベルト大統領が世界に向けて発した言葉です。60年後の今、アメリカのメディアはこの言葉を取り上げ、1941年にしたのと同じ様に、アメリカを報復への道に進ませる様に刺激する道具として使ったのです。
アメリカのメディアはすでに9?11を「新たな汚名の日」と呼ぶ事によって、その翌日には歴史を書き換えてしまいました。多くのアメリカ人ジャーナリストは報復攻撃を支持する報道を愛国的な義務として見ていましたが、同時に反対の意見を言う事は余りにも恐れられていたし、また単純に尻馬に乗っていたものもありました。
いずれにしても、私が申し上げた様にインディペンデントジャーナリストとして、このような光景を目にすることは、本当にうんざりする事でした。

皆さんがよく御存じの通り、アメリカと日本の政府は、戦争や、市民に人気のない政策をひいきのジャーナリストが奨励するよう「協力」してくれる事に頼っています。両政府はこのような「メディアの協力」なしには、戦争を始める事もできないし、人気のない法案が通らない事を知っています。
もとFBIの捜査官であるクリストファー ウィットコムは2002年10月のアメリカン大学の学生に向けた講演の中でこう言っています。「メディアなしにはテロリズムはありえない」これは、言いかえると、なにものかのプロパガンダを広める拡声器としてのメディアなしにはテロリズムは存じ得ない、ということです。テロリズムとメディアはお互いに情報を得て、お互いに助け合い、お互いに増長しているのです。世界中の政府、特にアメリカ政府がよく知っている事なのです。
「イメージを支配するものが戦争を支配する」これはアメリカ政府が1960年代のベトナムへの侵略とベトナムでの虐殺から得た教訓です。
今回、アフガニスタンとイラクで、アメリカ政府はニュースメディアをテロに対する戦争に、ボランティアとして参加させる事にしました。アメリカ人ジャーナリストはドラマティックで、センセーショナルなことを話すのが大好きで、喜んで従いました。彼等は自らのことを、軍隊用語で「埋め込まれた記者」と呼びました。しかし、我々インディペンデントジャーナリストは軍に埋め込まれた(embedded with)だけでなく、軍とベッドをともにした(in bed with)と言っています。もちろん、このような記者達は、恋人とぴったり寄り添っているようなもので、感情的なものを抜きにして、戦争を理論的に報じる事ができません。

日本での、私の個人的な「メディアの協力」の例をすこしお話してみたいと思います。
1980年代の終わり、私がジャパンタイムスで働いていた頃、関西の外国領事館のトップにインタビューしていました。その中には、豊中にあった、当時のソビエト連邦領事館の総領事や大阪市内にある中国領事館の総領事もいました。当時はまだ冷戦時代で、中国とソビエト連邦はアメリカの、また日本の「仮想敵国」と考えられていました。
ある日、ジャパンタイムスに私が書いたソビエトと中国の総領事のインタビューの2本の記事が載った後のことです。大阪、中の島のジャパンタイムスのオフィスに近畿公安調査局から2、3人の来客があり私達を驚かせました。彼等はソビエト、中国の総領事とのインタビューについて私と直接、話がしたいと丁寧に言いました。
上司と私は、公安調査局の方と別室に入りドアを閉めました。非常に丁寧に、私がソビエト、中国の総領事とインタビューしたときに得た情報を共有したいと、あいまいに申し出てきました。容易に信じる事ができず、彼等が言っている事を自分が理解していないのではないかと思いました。そしてはっきりと切り出しました。「あなた方のスパイになれとおっしゃっているのですか」「いえ、いえ。スパイではありません。」先方は英語で反論していました。「ただ情報を共有するだけです」
日本でこのように公安当局が新聞社のオフィスに大胆に入ってきて記者にスパイを頼んでくるのは、他の主流メディアがこれまでよろこんで彼等に協力しているからだと思いました。
私は、私が二人の総領事について知っている事は全て記事に書いていて、それ以外のことは何も知らない、そして私はジャーナリストであって、スパイではないと言いました。それでも、彼等は帰ろうとせず、私になんとか話させようとしました。
いよいよ私はいらいらしてきて、ついに彼等にこう言いました。「そんなに私と情報を共有したいのですか」彼の眼はとたんに輝き、さかんに頷きました。私は部屋を出て、オフィスの自分の机の所に行きました。そして自分のファイルからすでに発行されているジャパンタイムスに載ったソビエトと中国の総領事のインタビュー記事の取り出しました。それぞれの記事のコピーを取って、テープレコーダーを取り出し、密談の場に戻りました。
私が2枚の記事のコピーを手渡したとき、公安調査室の上席調査官の穏やかで期待に満ちていた表情は、固く、険しいものに変わりました。「どうぞ。これが私の知っている事の全てです。」私は言いました。そして彼等と自分の間のテーブルにテープレコーダーを置きました。私はもし彼が私のようなジャーナリストに日本の法務省のスパイになる事を本当に期待しているなら、それをテープに録音することを知らしめようとしました。突然部屋の雰囲気は静寂で張り詰めたものになりました。
すぐに調査官達は私をにらみ付けて部屋を出て行きました。それ以降彼等に会う事はありませんでした。しかし私は彼等に、日本で働く全ての記者が「協力的」ではないという教訓を与えました。彼等はあのメッセージを理解したと思います。
同じ頃、アメリカの領事に対しても別の機会によく似たメッセージをおくった事があります。
ジャパンタイムスでフルタイムの記者として働き始める前、在大阪・神戸のアメリカ領事館は、関西の外国人フリーランスライター(特にアメリカ人)と、毎年7月4日の独立記念日に西宮の総領事の日本スタイルの豪華な屋敷に招待することによって「親愛な関係」を築こうと努力していました。
私がジャパンタイムスで働いている時、私はとてもすばらしい公用箋に書かれた招待状を受け取りました。独立記念日の集まりに他の慎重に選ばれた数人のゲストとともに招待されたのです。私は断りました。なぜ招待されたか知っていたからです。彼等は私をアメリカ人として、またジャーナリストとして利用したからです。
当時、まだ計画段階にあった関西国際空港のプロジェクトで在大阪・神戸アメリカ領事館は日本側と激しく争っていたので、アメリカに好意的な(アメリカからすればフレンドリーな)ジャーナリストから協力を得る必要があったのです。
驚くにはあたりませんが、アメリカ政府も日本政府も私の様な「非協力的」なインディペンデントジャーナリストのかわりに大勢の「協力的な」ジャーナリストを見つけ出したことと思います。
現在の日米のニュースメディアが伝える事からして、「ニュースメディアは死んだか」という疑問は正当なものだと思います。市民社会において市民の要求に答えられないとき、あらゆる意味においてニュースメディアは、死んでいるし、また機能していないといえます。先日のアメリカ大統領選挙においてこのことを如実に見る事ができます。
しかしながら、公平にみればこの疑問は半分だけ正しいと言えます。そう、主流メディアは死んでいる様に見えます。一方、世界中の発展中の力強いインディペンデントメディアは生きているし、元気です。主流メディアではなく、インディペンデントメディアが民主社会の先頭にいます。
私の出身地アメリカでもあてはまります。皆さんの多くは浅野先生の学生としてジャーナリズムの先頭を行く「デモクラシー ナウ!」のようなインディペンデントメディアについてよくご存知だと思います。実際、ニューヨークを拠点とする「デモクラシー ナウ!」はインディペンデントな声と言うだけでなく、アメリカ、カナダ全体で視聴できるラジオ、テレビのネットワークで、公共メディアのコラボレーションとしては北米で最大のものとなっています。
「デモクラシー ナウ!」はリスナーに維持され、非営利のニュース媒体とはいえ、アメリカで企業に支配されている主流メディアの独占に挑戦し成功をおさめています。
またみなさんはニューヨークを拠点としてメディアの監視をしている「報道の公正さと正確性」(FAIR)をよく知っていると思います。主流メディアがその信頼性と市民の信用を失ったとき、FAIRの様なメディア監視グループによってニュースメディアそのものがモニターします。またFAIRは隔週刊の雑誌を発行し、週に一度、ラジオ番組を放送し、Eメールでニュースをおくっています。
何年も前、私が初めて日本に来た頃、FAIRの機関紙はホッチキスで止められた2枚ものの小さなものでした。それからアメリカの信頼のできないメディアに辟易した市民の大きな支持によって、すばらしく発展しました。
グレッグ パラストは、アメリカでいわゆるメディア民主主義の運動の先頭に立つ、インディペンデントジャーナリストの別のよい例です。これが、彼の著書「The Best Democracy Money Can Buy」です。日本語にも翻訳されていてタイトルは「金で買えるアメリカ民主主義」です。
BBCの他、イギリスの報道機関で働くアメリカ人ジャーナリストのパラストは2000年の大統領選挙の際に、ジョージWブッシュを当選させるために、フロリダ州でアフリカ系アメリカ人の有権者の投票登録のリストを不正に改ざんした事を伝えた最初の人です。(ジョージWブッシュは偶然にもフロリダ州知事の兄です。)
主流メディアは、この2000年の選挙のスキャンダルをよく知っていたにもかかわらず、この問題に触れようとはしませんでした。
私はグレッグ パラストが2004年の選挙でもフロリダを始め、その他の州でも投票の前から不正行為を探るために現れたのをみて、大変うれしく思いました。再び彼は、フロリダ、オハイオ、また他の州でも、疑わしい、あるいは違法な行為を発見しました。そしてまた、アメリカの主流メディアは、この大問題を無視しました。
そして、また不幸なことにジョージWブッシュは、アメリカの主流メディアがまじめに仕事をしなかったばかりに再び大統領になることになってしまいました。
私は時々、「デモクラシー ナウ!」のエイミー グッドマンや、グレッグ パラスト達の様なインディペンデントジャーナリストが主流メディアにはなぜいないのだろうと、不思議に思う事があります。
しかし、自問しながらも答えはわかっています。主流メディアは、彼等の会社でこのようなインディペンデントジャーナリストが働く事をますます嫌がっています。これは、日本の主流メディアでも、アメリカでも同じ事が言えます。
主流メディアのアメリカ人記者、有名な人も含めた彼等の仕事に比べて、エイミー グッドマンや、グレッグ パラスト達の仕事の質は非常に優れています。
もちろん、日本にもアメリカにも主流メディアの中に優秀なジャーナリストがいないと言うのは正しくはありません。当然、優秀なジャーナリストはいますし、彼等は内部からメディアシステムを変えようと奮闘しています。しかし同時にそのような勇気のあるジャーナリスト達は報道機関の中では少数派です。少数派ゆえにますます力を失っています。
またアメリカのジャーナリズムの教師達が、学生にメディアの世界で生きて行くための方法を教える事が少なくなってきた事にも疑問を感じています。私がジャーナリズムの学生だった1980年代には、調査の仕方や、インタビューの仕方、情報源の開拓の仕方、情報源の扱い方、司法システムをどう理解するか、また倫理規定にどう従うか、などの厳しい「技術」を毎日の授業で教え込まれました。
「尋問(Inquire)、調査(Investigate)、インタビュー
(Interview)、主張(Insist)」をジャーナリストとしての技術の「4つの I 」と呼びます。
最近のアメリカでは、大学のジャーナリズム学科の授業でもデジタル技術や、かっこよく見えるウェブサイトの作り方などを教える事に焦点がおかれている様です。
アメリカのジャーナリズム学科の学生がこの数年、急激に減り、広報の部門の学生が増えている理由の一つとして考えられるのは、アメリカの若い人達はジャーナリズムを、尊敬が出来、よい収入を得る事のできる職業とはもはや考えていない事だと思います。私も理解できます。

1980年代のアメリカのジャーナリズム学科の学生として、UPI通信のベテラン記者、ヘレン トーマスが私達の大学に来て、彼女のホワイトハウス特派員としての仕事を学生達に話をしてくれた時、神の面前で私がどう思っていたかを、今でも覚えています。長年、彼女はワシントンの報道機関の中の最古参で、記者として仕事を始めて以来、何人もの大統領が入れ代わってきました。
しかし、韓国の何かと議論の的となる統一協会の文ファミリーがUPI通信を数年前に買収した時に、ヘレン トーマスはこのような疑惑の多い、右翼のカルト的な組織が所有する会社で働く事を拒否してUPIを退職しました。
しかし、今もヘレン トーマスがインディペンデントのコラムニストとして記事を書いている事をうれしく思います。彼女は今日では珍しいタイプの最後のアメリカのジャーナリストです。彼女は今も尚、私に大きな影響を与えてくれたジャーナリストの一人です。

最後に、私のニュースメディアは死んでいるかと言う推測を少し修正したいと思います。「主流メディアが死にかかっている間にインディペンデントメディアは生き続け、元気で、盛んになっている」
将来、主流メディアに就職したいと考えているみなさんのうちの誰かをがっかりさせていたら、申し訳ありません。浅野先生も私も主流メディアの欠点探しをする傾向にあります。一度、主流メディアで働いたからこそ、ニュースメディアの世界が残念なものになりうるかがわかっています。しかし、同時に浅野先生も私もよい方向に改善させ、向上させたいという共通の願いを持っています。メディアを民主的な理想に高めることを願っています。
主流メディアに就職したいと考えている人にアドバイスがあります。主流メディアの会社の中でできるだけたくさん経験を積みなさい。会社を記者、編集者としてのよい訓練の場として使いなさい。しかし、また大企業の所有するメディアに長く居れば居るほど、自分の倫理観やジャーナリストとしての理想を妥協する事を求められることに、警戒していなくてはなりません。これは必然の運命です。
日誌をつけて、主流メディアの会社の中であなたに起こった全ての事を書き留めておきなさい。あなたのプラスになる様に時間を使いなさい。どんな編集者や同僚にもあなたの仕事に批判的になり過ぎる様にしてはいけません。そして、もしあなたがいつか会社を去る事を決めたなら、あなたがまじめに努力をしていればそのときはインディペンデントジャーナリストかあるいは作家としてのたくさんの財産を得ていることでしょう。
私自身もワシントンポストやロサンゼルスタイムスのような大会社の編集長になる事を夢見ていたときもありました。私は本当に「職業的報道人」タイプの人間なのです。しかし時が過ぎるとともに、新聞社の中でトップに登ろうと、もがく人々の中にいると「長期の職業の保証」は色あせてきます。もはや、高収入を得る事のできる仕事ではなく、あまりにも多くのマイナスがありました。
何度かの場面で、会社の雇われ人(会社員)としての仕事をあきらめるか、自分が愛し、尊敬する専門的職業としてのジャーナリストをあきらめるか、という選択がありました。
私は会社員であることをあきらめましたが、よりよい変革のために働き、声をあげるジャーナリズムの世界にまだいます。インディペンデントジャーナリストとしての収入は以前程高くはありません。しかし経験と世界で積極的な転換をつくるという点においては、今の仕事は以前より豊かであると思います。
ベテランのジャーナリストとして、また若いジャーナリストとして、ジャーナリズムの学生として、ジャーナリズムを教えるものとして、できる限り、この仕事を前進させるよう、一緒に仕事を続けていきましょう。私達の二つの国の民主主義はその事にかかっているのですから。(以上)

   

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