Asano Seminar:Doshisha University
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「させる教育」論を批判する 日の丸強制裁判鑑定人として
野田正彰さん同志社大学での講演会の記録
文・浅野ゼミ1回生 佐伯俊太郎
 精神科医で関西学院大学教授の野田正彰さんの講演会が2006年11月9日(木)午後6時半から9時まで、同志社大学今出川校地新町学舎・臨光館302番教室(R302)で開かれた。テーマは《「させる教育」論を批判する 日の丸強制裁判鑑定人として》。野田正彰氏講演会推進委員会が主催、同志社大学学生支援課の共催だった。また同日午後4時45分〜6時10分、野田先生が浅野ゼミ(4回生、新町学舎・尋真館45a)に来てくれた。JR事故など「事件事故の被害者とメディア」、「精神医療と犯罪」を中心にお話していただいた。

 野田先生講演会の呼びかけ文は次の通り。

 教育基本法の改定を推進している政府と自民党・公明党の幹部たちは少年犯罪など社会の多くの問題を教育現場のせいにして、「だから教育基本法の改正を」と言っています。
 しかし、戦後61年間「教育」現場を監督・管理してきたのは自民党政府であり、それは権力の側に非があると考えられます。子どもたちが苦しんでいるとすれば、政府が教育基本法を守ってこなかったことに問題があるのではないでしょうか。
 『子どもが見ている背中』(岩波書店)を出版したばかりの専門家に、教育基本法改定案の危険性を話してもらいます。
 同法改悪の最大の問題は、これまで子どもたち一人ひとりの「人格の完成」をめざす教育から「国策に従う人間」をつくる教育へと、根本を180度転換させていることにあると考えられます。格差の痛みを子どもにまで広げ、戦争をいつでもできる国民をつくる教育を狙っているのではないでしょうか。
 東京地裁が9月21日、東京都教委による国旗国歌の強制は違憲と判断しましたが、判決は強制された教師たちが精神的抑圧を受けたことを示した野田正彰氏の「精神医学的意見書」を証拠として採用しました。野田氏は七年前から、思想・信条を踏みにじる強制が教師の精神をいかに破壊しているかを指摘しています。
 11月9日の野田先生の講演会にぜひ参加ください。
野田さん講演会の記録
 自己紹介
 
 私の生まれた所は高知県の高知市の中心で、文化的に特異な町です。隣の家は板垣退助の家で、通りは中江兆民の家などが並んでいるところ。今は高知新聞に少年時代の思い出を連載中です。高知は日本だけど、日本でないようなところがある。四国山脈の向こうには長曾我部という大名がいたが、豊臣秀吉につぶされ、小さな県になった。その後、TVでやっている山内一豊が入ってきたが、支配できなかった。長曾我部の家臣たちは名字、帯刀を豪氏階層に認めて、租税も免除した。だから中世の日本文化がそのまま残った。そういった家臣たちが子供たちに勉強を教え、明治に山を越えていった。高知の人は「言いたいことは言え」と言われて育てられるので、大阪、東京に出て行くと、周りに同調するという文化に合わせられない。そのままでここまで生きてきました。

 大学は北海道大学医学部にいき、精神科の医師になって、精神病理学と比較文化精神学(文化の接触における精神的葛藤)を調べてきました。ここ15,6年は戦争や内乱の中での人の問題を精神学的に調査する仕事が多いです。

 (写真は野田正彰さん。撮影:浅野ゼミ)

 教育基本法改悪について

 現在、教育基本法の改悪が国会で議論されていますが、東京では国会に全国から教職員組合の人が集まり、それほど大きくはないですけど闘争をやっています。しかし、全くといっていいほど全国的な反応がありません。同志社大学も社会学部に教育学科がありますが、何か反応したという話は全く聞きません。全国に教育大学とか教育学科がありますが、今回の教育基本法の改悪に対して、大学あるいは学部として声明を挙げたところは知る限りゼロです。大きな総合大学(旧帝大)の教育学部は戦後に作られている。師範大学(そう呼ぶのはおかしいと思うが)は国家のための教師を養成する大学でした。それに対して戦後、市民のために教育のあり方について研究するための学部として、あるいは国家の行う教育に対して批判的な研究をする学部としてつくられたのが教育学部です。

 今、その基本理念である教育基本法が変えられるということは、作られた学部の存在基盤がなくなるということです。だから大きく批判をするべきなのに、反応がありません。京都大学の研究を見ても訳のわからない研究課題を掲げて、エリート教育がどうだとかの研究ばかりで、現行の教育についての研究は極めて少ないです。私は今日同志社大学へ来て、教育文化学科の話を聞いたところ、現行の教育について選考している教授は一人です。あとの教授は映像が何とかいって訳のわからない人たちばかりですよ。こういうところを卒業していく学生が教育に関して生き生きとした関心が持てるはずがないです。

 こういう状況の中で、教育基本法の問題は進んでいます。少なくとも教育基本法の改定は教育学部、教育学全体の変更です。その問題意識もなしに教育学の授業をやっている人がいるなんて、私は信じられないです。それから法学部でも同じことが言えます。法学で教えている教育法の前提が崩れようとしています。個人を大切にするという戦後の教育の基本が崩れようとしているにもかかわらず、平気な顔で教えています。
この改定について今の教育学者で発言しているのは、堀尾さんとか太田さんのようなお年の先生と、四国学院の大内さんひとりです。私の知っている限りですが。こんなばかげたことほかにはないですよ。そういった状況の中で改定が進んでいるということを皆さんに考えていただきたいです。
 
 今、安倍内閣が教育改革だと言っていますが、私はこの一連の教育に物申す人たちに、ずっと違和感を持ってきました。それは彼らが言っていることはすべて「教師に何かをさせる」ということに対して自覚がないということです。私は「させる」と言うくらいなら自分でやれば良いじゃないかと思います。教育とは「する」ものじゃないでしょうか。あるいは子供と一緒に生きるというものじゃないでしょうか。自分がやらないで、誰かにさせるという教育は根本的におかしいと思います。ほとんどの論者が言っていることは、自分の子供時代はこういう教育だったから、教育はこうあるべきだと言い、そういう教育をさせろ、やっていない教師は悪いと言っています。そういう論理で物事を論じています。「させられる側」になってみればわかりますよね。自分が理想とする教育の形を考えることを奪われて、上から教育はこういうものにしなさいと言われます。それが教育でしょうか。

 教育というのは子供と先生のふれあいです。今の日本はふれあいのあり方が、上からさせる形で行われています。こういう風にしろ、という教育論が横行しているのに、それはおかしいという根底的な問いかけが行われない社会です。この間送ってきた、「文藝春秋」の教育論についての特集の雑誌には、全員「させる教育論」を書いています。「自分ならこうさせます」という内容をずっと書いています。教育というのは「する」ものであり、あるいは先生に「してもらっている」のです。だから自分(教育論者)はそこにどういう援助ができるかという立場で、私ならこうさせると書いているならまだわかるが、そうではありません。全て上からの発想で、「させる」ということを言っています。そういう論者たちは何を言っているか、たとえば最近のニュースで言うと単位詐欺問題があります。未履修問題という風に言われていますが、未履修ではありません。これは詐欺です。単位詐欺とか、単位偽造とマスコミは名付けないといけないのに、未履修問題と書いています。これは日本の1割を越える、比較的進学校といわれる学校を中心に、単位を騙して取ったことにした問題です。

 マスコミと社会は国民の意識のすり替えを行っています。具体的に何が行われているか、あたかも校長が悪いという意識のすり替えです。校長が2人も自殺しました。国は自分たちが命は大切だという教育をしているのだから、自殺しないで声明ぐらい出すべきですよ。だけど、校長が悪いという縮図になっています。これは真っ赤なうそです。マスコミが報道しないことがあります。

 今の校長は多くの県で、公立の学校の校長は教育委員会から送られています。教育委員会の指導主事の役職であり、教師を締め付けることに、何らかの功績があった人が校長になっています。生徒たちに10年ぐらい接していない人が校長になっています。校長は教員からなったというわけではありません。教育委員会の回し者です。そういうことは全く報道されていません。

 それから文部省は、自分たちは関係ないような顔をして、悪いのは教育委員会だ、校長だと平気で言っていますが、これも真っ赤なうそです。たとえば、広島県で2001年に単位詐欺問題が露呈しました。そのときの教育長は常盤という文部省から来た人です。その数月前の教育長が辰野です。文部省からきた課長です。彼は99年に世羅高校の校長を追い詰めて、自殺に追いやった張本人です。つまりその当時、文部省からの是正指導で、ある学校に国語の授業が日本語と書かれていました。それがけしからん、ということで脅す、君が代を歌わないのは指導要領違反だと言い、多くの先生を処分し、自殺にまで追いやった教育長のもと、単位詐欺が行われていたのに文部省は知らないと言えるはずがありません。辰野は文部省に帰り、常盤も最近帰りました。こういうことが平気で行われています。広島は今回の単位詐欺のときに2001年にチェックしたから今回はありませんと言っていましたが、11月1日に県立府中高校で、単位詐欺が発覚しています。このときの校長が2001年のときに県の指導代理課の指導官という重要ポストにあった人です。その人は大下という人で、今年の春に教育委員会からこの学校の校長になりました。こういうことをみてわかるように全てグルです。文部省と各県の教育委員会と回し者として有名校の校長に就任して、グルになっているにもかかわらず、校長が生徒のためを思ってやったのだといううその話が蔓延しているのが現状です。

 それでは校長の「子供のためを思って」という言葉を容認している社会はどうでしょうか。高校生はイノセント(無実)でしょうか。私はそうは思いません。高校生は有罪だと思います。高校生は受験のために単位が少なくてすむと思って、高校に行ってそのカリキュラムで学んだのだから、イノセントとはいえません。そういうことを問題として問うところもありません。私は高校生が、全体的に悪いとは思いませんが、3割ぐらい罪があるのではないでしょうか。残りは学校と校長とかです。先生も罪が半分ぐらいあるかもしれません。一番悪いのは教育委員会であり、文部省です。

 しかし一番大きな問題は子どもの教育を受ける権利、カリキュラムについて知る権利が奪われていたことについて誰も考えていません。子どもの権利条約の中に、はっきりと表現、思想等の自由を得られなければならないし、情報にアクセスする権利などが明記されています。日本は戦後、児童憲章を作っていて、子どもの権利条約に近い条項は入っていますが、それを乗り越えて子どもの権利条約は作られていきました。日本は1990年代に条約に批准しています。私たちは子どもたちがカリキュラムについて知らされていなかったことについて怒らないといけません。しかし怒ることもしません。それをさせる社会でもありません。高校生(18)まではすべてイノセントな子どもたちだという前提に立っています。おかしいと思いませんか。高校生がある日から突然全責任を負える人間になぜなるのですか。青年期は社会のことを考える時期がいっぱいあります。それが奪われている状況の中で教育が語られているんです。こういったことを考えることで、教育という問題はいかにすり替えが起きているかを考えることができると思います。

 さて、教育基本法の問題に入っていこうと思いますが、今日は教育基本法をプリントしました。今の状況の中で何度でも読んでもらいたいと思ったのでプリントしておきました。開いてみてください。現行の教育基本法というのは戦後の新しい社会を作るための主張がいろいろとされています。しかし簡単に言ってしまえば、2つあると思います

 1つは戦後の憲法に基づいて、平和憲法の理想を担う人間を作ることがうたわれていることです。教育基本法の前文にあるように、憲法の理想、理念の実現は教育によって行うと、明記してあるわけですね。今回の自民党の改定案はこの部分を削っています。つまり平和憲法をなくしたときに、使える法律として、教育基本法の改定を行うとはっきり書いてあります。そのために、かつての教育勅語に近づいて、公共の精神とか伝統の継承とか、わが国の領土を愛するといった、項目が挙げられています。これが政府の出している、新しい教育基本法に入るということです。これは戦後の社会を基本的な部分で否定しています。そのことを私たちはもっと真剣に考えていかないといけません。

 それから2つ目に、かつての教育勅語を明らかに批判する、「個人の確立」という言葉が入ったことです。よく見てください。前文では「個人の尊厳を重んじ」と書いてあります。そして「個性豊かな文化」と述べて、「個」ということを強調しています。しかも第1条、教育の目的では「個人の価値を尊び、自治的精神に満ちた」と続いています。もう十分ですよね。しかし第2条、教育の方針では、「自発的精神を養い」と繰り返し強調しています。これほど「個の確立」を強調した法律であったわけです。これは戦後の教育の中で、必ずしも重視されませんでした。日教組の運動は平和憲法を守るということで、「教え子を二度と戦場に送るな」ということについてはかなり強調してきましたが、個の確立という面については比較的弱かったと思います。皮肉を言うなら、運動している人の個が確立していなかったからかもしれませんけど。

 私は学生に、卒論で京都、滋賀の小中学校で、教育理念がどんな風に取り上げられているか、全部書いてもらったことがあります。ひとつも「個の確立」なんて言葉を上げている学校はありません。全部「強く、明るく、たくましく」のような今すぐに軍人になれるような造語ばかり書いてありました。こういうことが平気で行われたのが戦後の教育です。

 しかし、教育基本法にあれほど「個の確立」がうたわれている背景には、非常に真剣な議論があったからなのです。教育刷新会議という委員会が、GHQ(連合軍総司令部)が教育基本法も作ったと言っているが、教育基本法は当時の日本の教育学者らの熱心な討論の下で作られました。そのことは岩波書店から13巻で出た『教育刷新委員会の会議録』に載っています。最近復刻版が発刊されました。全文速記されて残っています。そこでの討論の内容について私は『子供が見ている背中』にも引用してありますけど、たとえば今の東京教育大学の前身である高等師範学校の校長であった、務台さんの言葉を引用しています。(はじめに 3ページ〜4ページ参照)考えてください。今の政府の改正案は誰が何を発言したか、60年前と比べてもこれほど秘密主義が保たれています。情報公開の時代なんて真っ赤なうそです。今回の改正案は誰が作ったのか全くわかりません。そして60年前の議論と今行われていることは、全く逆であるということがわかるでしょう。新しいものではなく、これではいけないと言われていたことが今行われようとしています。また他のところには、こうも書かれています。(はじめに 4ページ〜5ページ参照)すべてここで危惧されている通りに行われています。つまり私が冒頭に言った、教育の理念が全部壊されようとしています。それにもかかわらず、のほほんといんちき授業で飯を食べている教官がいて、その授業を受けて、勉強しているつもりになっている学生がいる、というのはどういうことでしょうか。

 この教育基本法が改正されたら、全てが変わります。学校教育法が変わります。地方教育行政法が変わります。社会教育法が変えられます。学習指導要領も変えられます。図書館法も変わります。教職員免許法も変えられます。つまり個の確立に向けて、教育基本法が持っていた理念が変えられる「反革命」なわけですから、私たちはそのことを何も考えないでここにいていいのでしょうか。


野田正彰さん講演会風景©浅野ゼミ

 君が代・日の丸について


 今のこういった教育基本法の改正にみられる「強制」はすでに先取りされていました。その最たる踏み絵は「君が代」であったわけです。君が代と旗の強制はどのくらい必要なものなのかということは、私はうすうす聞いていましたが、広島の校長が自殺したときの新聞を読んだときは、多くの人は、ぼやっと読んでいたと思いますが、基本的に私たちが頭の中に持っている印象は、教育委員会と教職員組合、部落解放同盟の圧力に板ばさみになって校長は自殺した、というものです。しかし校長は、「させる教育」にあたる国歌の強制はできないそれは教育者として生きてきたときに、そういった身分制の中で教育はゆがめられてきたと教えてきました。その身分制をたたえる歌を歌わせることに疑問を感じます。この矛盾をどうすれば良いでしょうか教えてください、というへりくだった手紙を書いています。そして彼は、辰野ら教育委員会から卒業式の進行はどうなっているか、毎日電話をかけられます。彼は夜も電気をつけて、ほかの先生方には帰ってもらい、一人で会議をしているふりをして、午後9時、10時まで学校に残っていました。そういう記録は全部残っています。そして夜がふけて家に帰ると、家に電話がかかってきます。彼はそれを無視して、夜中に起きて教育委員会に電話をかけて、ウソの報告をしていたと記録に残っています。そして亡くなる前日について言えば、夜中の午前1時か2時に起きて、鳴り続ける電話に出ています。翌朝の8時に県教育委員会の人事課の次長が来て、一時間足らずのうちに納屋で自殺しました。私は殺害だと思います。私は辰野が自殺に追いやったという文を岩波の本に入れるために編集者と1ヵ月闘いました。歴史というのは日々偽造されています。一人の人間の無念の思いは逆に利用され、宣伝に使われ、国旗国歌法の制定にすり替えられるのです。これが教育委員会の実態です。

 私はこのことについて裁判所に意見書を出しました。それを読んだ何人かの人が手紙をくれました。また弁護団の方も、襟を正されるという手紙をくれました。その中の一例を『子供が見ている背中』から紹介します。(思いを打ち砕かれる教師たち P125の4行目以降を参照)彼女にとって自分の信条をくだかれることはこれほどつらかったということです。あるいは在日朝鮮人問題に取り組んできた先生が、日本の社会で子供たちが差別を受けてきたことを訴えてきたのに、自分が身分制を讃える歌を納得いかないまま歌う姿を見せることは教育者としての不貞になるという人もいました。あるいは国語の先生は、自分を表現することが国語の教育だと信じていました、だから偽りの自己を表現することはできないという先生もいました。この本には一人ひとりが、自分の信条を壊されることはどれほどつらいかということを語っています。

 ここに証言してくれた先生はみな何とか生きていきますと言いました。その先生たちは面接において10分で泣きはじめました。抑えていた苦しみが、聞き取られ始めたとき、涙を流して自分の苦しみをあふれるように語りました。その苦しみは、身体的なことで言えば、特に消化器に異状が見られます。不快なものを強制され、飲み込むことで、どうしようもない吐き気、それから胃腸系の器官に痛み、下痢、といった消化器官の過敏症状。それから食欲不振、胸部の圧迫感、不整脈など、不眠、悪夢など身体化された症状がたくさんあります。内科や精神科でいい加減な医者にかかってごまかされている人もたくさんいました。それから感情が不安定になります。慢性的な感情の制御の困難になります。同僚と関係が悪くなって悩んでいた人もいました。そして3番目に抑うつです。つまり偽りの教育者であると思い知らされたときに、働く意欲が低下します。4番目に自己像が変化します。同僚との付き合いを避ける傾向があります。これらのことは長期における精神的拷問であります。音楽の先生は年が明けるたびに君が代を弾くことを強要され、弾かないと学校を変えさせられるために耐え続けます。

講演する野田正彰さん©浅野ゼミ

 こういうことをさせているのは、私たち社会です。私たちが作っている政府が、私たちが容認している教育委員会がやり、のんきな意見を言い、済ましているのは私たち市民です。こうしたことをきちんと報道しないマスコミを容認しているのも私たちです。

 今回の判決は画期的な判決です。こういった良心、思想、信教の自由への抑圧です。これらは基本的人権です。基本的人権には例外はないのです。我慢の必要な基本的人権なんてありません。人間として生まれたときに認められるものです。これを侵害することは憲法違反であります。それから教育は不当な支配に服することなく国民全体に対して直接責任を負う形で行われなければならない(教育基本法10条参照)ため、違反であるというものです。帰ってから皆さんこの文章を読み直してください。実行するには大変なことを言っています。

 国民全体に対して直接責任を負うということは自民党案から削ってあります。その代わりに自民党案では、16条に「教育は不当な支配に屈することなく」というところだけです。「教育は法律、あるいは他の法律によってのみ行われるべきであり」に代わっています。このちょっとしたトリックの使い方が敵ながら見事ですね。国民全体に対して直接責任を負うということは個々の先生が責任を負うという、達成されることはないが、目指さなくてはいけない教育の高い理念を示しています。それは教師があらゆる思想を超えて、生徒と人間的に、直接的に付き合っていく姿勢を持って教育に当たるということが書いてあるわけです。それが改定の文章では変わってしまっています。具体的に教師としての人格において生徒と触れ合うというものから、法律(多くの悪法)の下で、という制限を設けて、「させる教育」に摩り替えようとしているわけです。もし控訴審までに基本法が改定されていったら、この条項はなかったものになります。そうなると判決が変わってきます。

 それは別にして、憲法違反と、教育基本法違反をマスコミは大きく報道しました。しかし全マスコミが、基本的に忘れていることがあります。訴えを起こしたすべての人に、精神的損害の事実は明らかであるから、3万円の賠償をしろという判決が入っていることです。多くの人は忘れています。これは裁判で弁護団が定義したことで、意見書として出されています。

 たとえるなら、自衛隊は違憲かどうかということです。いまさらそんなことは裁判所に訴えても無視されるでしょう。しかし、違憲かどうかとは関係なく、人を殺した場合、これは犯罪の事実として取り上げられます。証拠として裁判官に取り上げられることは、そういう意味で私の意見書は基本的人権の抑圧に対して、しかも教育委員会と文部省は繰り返し人を精神的に拷問したという事実として残ります。もし控訴審で争うなら、東京都と東京都の教育委員会は、私の鑑定書がうそであると彼らは証明しないといけない。ほとんど不可能でしょう。

 私たちは今まで、これほどひどい事態に対して、闘っているからと言い聞かせて、かくして生きてきたのではないでしょうか。しかし精神的拷問について告白する、ということは非常に価値があります。このことを訴えていることを、市民社会は知る必要があります。訴えた側には何も非はありません。私が鑑定書を書いて、提出するまでに6,7年かかっています。今回の文章は集大成です。今回の裁判を通して、現在の司法は証拠を求めているということを実感しました。この話はそれくらいにしておきます。

 先ほど現在の教育は「させられている」と言いましたが、現在、教育の改革といわれているものは、まとめると2つの軸があると思います。それは教育基本法の二つの軸に対応するものであります。平和のための人間を教育でつくるということ、それから個々の人間を尊重し、個性を持って、自分の感覚と意見を持って社会に生き、そのなかでほかの人間とかかわるということですね。

 しかし実際は2つに反する形で進められています。愛国心と国家主義へのイデオロギーが進行していることです。そのひとつが「心のノート」の配布、道徳教育の強制、宗教的感情の介入がまかり通っていることであります。これも今は暴露されています。中教審の教育基本法の改正の公聴会やタウンミーティングはやらせであったということが出ていますし、京都の会議では宗教者が出ていて、盛んに宗教的関与について語っていました。それから日本の伝統に対する崇拝ですね。それに愛国心の強要、「日の丸」のばら撒きと、「君が代」斉唱の強制ですね。そして、非合理的、神秘的なものに対する畏敬の念の強制です。これらを進めて、思考の停止した、かわいい日本人をつくることが進行しています。

 このことに重要な役割を果たしていたのは心理学です。特に臨床心理学です。臨床心理のグループは1970年代の後半から登場しました。彼らは悪を抱えながら進んできたと思います。日本の臨床心理学グループは、1970年代の初期は子供の知能指数の点数を低くして、養護学校に送るということをしました。そのほうが幸せになる、教育を受けられないよりも、養護学校で十分な教育を受けられるためには知能は少し低くつけたほうがいいという主張をしました。その代表であったのが、河合隼雄です。当時の心理学の反省の中で、なんてことを言うのか、と批判されました。そのとき河合は学会を辞めて、心理臨床学会という紛らわしい名前をつけた学会を作り、一方では文部省とグルになって、臨床心理認定協会を作りました。また別のところでは、リクルート社と組んで新入社員向けに、営業向きなのか、事務向きなのかをきめるテストを開発して売り込みをしました。それから皆さんが就職試験でよくやらされるSPIを開発して、こつこつと臨床心理の売込みを行い、阪神大震災で心のケアを一斉にわめき立てて、心の専門家だと言いながら、やっていることは適当でした。本当に困っている人に重点的にかかわったりしないで、恵まれた人が事件で不安が高まったと言い、文部省と癒着して心のノートを作っていきました。臨床心理は統計的処理と強い関係を持っています。心理学のテストを行い、点数化し、人間を数値化するということに関して、非常に強い執念を持っています。

 それが学校の先生をしばっていると私は思います。パソコンができて、数値化がすすんでいます。たとえば長崎県佐世保の事件で、現場に行って調べました。長崎県ではその1年前に突き落とし事件がありました。その反省から、心のケアや授業を行っている中でこの事件が起こりました。私は驚きました。子供の理解支援シートというものが作られて、20項目にわたる詳細なテストです。となりの人の顔みながら聞いてみてください。「この人は怒りや悲しみを顔に表すことができるが、そのあらわし方が、年齢より幼いか」、「この子供は、先生が私がどうしたらいいか悩んでいる時に、どうしたらよいか教えてくれると感じているか」これを4段階で評価します。こういったものが20項目あります。これを作ったのは東京学芸大学の大河原という助教授だそうです。今、東京学芸大学は文部省の肝いり大学です。こういう心理のグループの教官がものすごい数になって、幅をきかせているそうです。

 そしてこういう人たちが、事件になるとしゃしゃり出て、テストをやれとすすめるわけです。その後テストの統計処理が行われて、結論が書いてあります。「実施校においては、実施しなかった学校よりも、学校が楽しくなくても心の危機には陥らないたくましい子供が増えた」というのが結論です。冗談じゃないでしょう。このテストをやることで、学校が楽しくなくても死なない子供が増えたと言っています。そして「教員にはシートの導入によって負担が増えた」と言っています。こういう形で数字化が行われています。数字が作られれば作られるほど人間が忘れられていくことになります。教育に数字が入っていけばいくほどインヒューマン(非人間的)です。人間を忘れた教育になっていきます。これは心理学と統計学の癒着から生まれてきたことです。

 私は臨床心理学の人が数字を挙げるたびに批判しようと思っています。私は教育学の学者ではありません。しかし私の意見は、私の知っている教育学者の意見と比べても違和感のない意見です。私は精神医学の基本は人と人との一度きりの出会いであると思っていますし、働いている看護師、医師も団結して、全員が患者と出会える環境を病院の中で作っていくことが私の役割だと思います。そういった視点から現在の教育を批判しても違和感がありません。このことから現在の教育が、人と人とのつながりをいかに遠いものにしようとしているかがわかると思います。

 教育基本法が変えられようとしている中で、なにも関係ない顔をしている教育学者の授業をこの後、よく締め上げてください。おかしいじゃないかと議論してください。そして今まで受けてきた教育が、教育基本法に書かれている個を大事にする教育であったか考えてください。もしそういう教育を受けて育ってきたなら、社会を見る目はクリアーになっていたのではないか、それがいかに汚れているかを考え直してください。教育基本法を改正し、愛国心を加えようとしていることは60年前に完全に否定されていることです。そのことへの危機感をきちんと持っていただきたいと思います。

今日はこれで終わります。

会場参加者との質疑応答

質問者A:先生とお会いして、公演を聴くのは2回目なのですが、先ほどお話された広島の民間から校長になった人の話に関心を持っていまして、話の焦点がずれるかも知れませんけど、「夜回り先生」の評価はどういう風に思われますか。

野田さん:私はあまり詳しくないですが、ちょっとした主張を読んだ限りで言えば、現在の教育に対する視点はまったく持っていないと思います。だから、子供たちに正しく生きなさいと言い聞かせることで、生きがいを感じている人だと思います。これは私の印象ですよ。特に興味ありませんから。この答えでいいですか。

©浅野ゼミ

質問者A:ああいった現場の先生の意見が、教育委員会に配慮されていくべきかと…

野田さん:もちろんその通りですよ。私は子供とコミュニケーションをとるということについて個人的に考えたこの方のやり方は、国家レベルでやる必要はないと思います。もっといろいろな先生の試みがあるわけですから、自治体単位で取り組まれることが、まともな社会です。だから百マス計算の先生が、日本の教育を語るのはおかしいと思います。

質問者B:京都で『心の教育はいらない』という教育の問題を考える市民団体をやっています。今野田先生のほうから、教育基本法の話をしていただいたのですが、今の京都の教育委員会の現状を説明して、意見を伺いたいのですが、京都の教育委員長が、教育再生会議の委員になりました。それは京都がモデル都市であったからですが、彼が今小中学校で力を入れているのは、素手でトイレ清掃させることです。ゴム手袋もなしです。その目的は、トイレを洗うことで心を洗うことにあり、心の教育の具体的実践として行われています。これはある意味カルト的な試みで、校長先生が便器に手を入れて洗う、それに子供がびっくりする、そのショックで心が素直になると考えて行われています。そのことが評価されて再生会議のメンバーになったわけです。そういった動きに怖さを感じます。そのことに関係してご意見を聞かせてください。

野田先生:今言われた動き(再生会議のメンバーになったこと)は必然のことだと思います。カルトというよりは、精神主義ですよ。戦中の日本の軍隊のように国のために死ねる人間をつくることにつながることだと思います。日本の文化はそういうものから抜け出せないと感じます。もし、その動きが生徒から出たりして、話し合いで積み重ねられていくならば話は別ですが、教育長が上から行わせています。これは「させる教育」です。問題なのは、彼らが、生徒がそういうことに従順になることが教育だと考えていることです。トイレを掃除しても、上から言われた場合と、生徒と先生から出た動きの場合では全く違います。

質問者C:同志社大学大学院の韓国からの留学生ですが、日本の教育基本法だけじゃなくてあらゆるところで信じられないことが進んでいるように感じます。靖国問題について取り組んでいてそう感じましたし、憲法改定も本当にそうなるのかと感じていますが、野田先生は精神科医の立場から本当に教育基本法は改定されると思っていますか。

野田先生:何もなければ、数の上では国会で通過する可能性は高いかもしれません。ただ相当注目が集まっていますから、今回の国会では通らない可能性も高いと思います。

質問者D:最初の話の中で、『公』ということについて話されていたと思うのですが、今公共哲学の世界の人たちから、公、官のような感覚を払拭していくことが大事だろうという話が出ていまして、その間をつなぐものが必要だろうということを言っています。私もそう思います。そのことについてお聞きしたいことと、それから非合理な精神主義ということをお話されていたと思うのですが、今の社会にはそれを簡単に受け入れてしまいそうな危険があると思うのですが…

野田先生:今日は思っていることをストレートに言うことにしますけど、あなたの勝手な解釈であって、私は興味がないということです。つまりあなたの言っていることは非常に大雑把な分析です。現実に起きていることを分析することが重要です。たとえば日本の社会もひとつではありません。沖縄の社会と大阪の社会を比較することは不可能です。

質疑応答終了                                            (以上)

教育基本法改悪阻止に全力を
浅野健一

 野田正彰氏は12月11日、私に電話で次のように語った。

 連日、1万人の人々が教育基本法の改悪に反対して集会、デモを開いているのに、マスメディアは全く無視している。拉致問題は逐一報じている。教育に関するすべてのマスコミ報道の100%は、ずっと昔からそうだが、権力に完全に操作されている。この間のいじめ、「未履修」など全部そうだ。ところが、民衆に責任を押し付ける。かつて関東大震災の際の朝鮮人虐殺は権力によって仕組まれたものだったが、日本人の差別意識のせいにされた。その構造が何も変わっていない。教育の根幹にかかわる悪法なのに、大学の教授会は反対声明も出さない。教育の中核の研究をしている学者は何をしているのか。

 全国連絡会などが緊急行動を起こしている。署名もすごい勢いで集まっている。
 以下は大内裕和さんからのメールです。

 政府法案の今国会における採決を阻止し、法案の徹底審議を実現するために「【アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」への市民緊急賛同署名を始めます
 西原博史(早稲田大学教授)
 廣田照幸(日本大学教授)
 藤田英典(国際基督教大学教授)
 情報センター(http://www.stop-ner.jp/)のHPからア クセスして、所定のフォーム(http://www.fleic.dyndns.org/cgi-bin/appeal1206.cgi)に入力すれば、署名をすることができます。署名の第1次集約を13日(水)午前10時とします。同日午後に参議院教基法特別委員会委員に手渡しする予定です。

 <緊急の呼びかけ>
 教育基本法の改悪をとめよう!12・12国会前集会に、
 今度こそ一万人の結集を!
                         2006/12/10
                           大内裕和

  「教育基本法の改悪をとめよう!12・5国会前集 会」は、これまでで最多の2000人以上の人々が参加し、教育基本法改悪阻止を訴える集会として大成功しました。この集会の成功によって政府・与党による12月7日〜8日の参議院での採決を阻止することができました。

 12月11日(月)から臨時国会最終週となり、政府・与党は今週中の採決を狙っています。教育基本法「改正」が安倍政権の「最重要課題」である以上、政権の命運をかけて採決を行おうとするに違いありません。これまで以上の闘いが なければ、改悪を阻止することは容易ではないでしょう。

 安倍首相は急遽外遊予定を変更し、12月10日(日)に帰国しました。11日(月)に参考人質疑が行われ、12日(火)に中央公聴会が行わることから、13日(水)にも特別委員会での採決が行われる危険性があります。よって12日(火)の院内集会と国会前集会は最も重大な時期に行われます。

 私は12日(火)の午後、参議院での中央公聴会に公述人として参加し、この12・12院内集会と国会前集会にも参加します。全国の皆さんに、「教育基本法の改悪をとめよう!12・12国会前集会に今度こそ1万 人の結集を!」呼びかけます。

 教育基本法改悪に反対するすべての労働者・市民の皆さん!「教育基本法の改悪をとめよう!12・12国会前集会」への参加をぜひともよろしくお願いします。ここを乗り切って12・14国会前集会につなぎましょう。

 今日(12月10日)、「教育基本法の改悪をとめよう!全 国連絡会」呼びかけ人は「12・12&12・14国会行動参加の呼びかけ」 を発表しました。一人でも多くの方、一つでも多くの労働組合・市民団体への連絡をどうぞよろしくお願いしま す。

教育基本法改悪に反対するすべての皆さんへ
          12・12&12・14国会 行動参加の呼びかけ

「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」呼びかけ人
         大内裕和、小森陽一、高橋哲哉、三宅晶子
         http://www.kyokiren.net


 12月7日(木)〜8日(金)に政府・与党による教育基本法「改正」法案の採決が行われる可能性が高いというマスコミ報道がありましたが、政府「改正」法案の採決はまだなされていません。それは国会内における野党の抵抗とともに、全国各地で広範に展開された教育基本法改悪反対運動の盛り上がりによるものです。 

 「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」が12月3 日(日)から呼びかけた「子どもたちは見ている!!全国ツツウラウラ同時行動」によって、教育基本法改悪反対運動は活気づいています。特に全国連絡会が主催した12月3日(日)の「教育基本法『改正』法案を 廃案にしよう!12・3 PEACE&FAIRパレード」と12月5日 (火)の「教育基本法の改悪をとめよう!12・5国会前集会」は、この間の運動を大きく 活性化させる意味をもちました。

 「12・3 PEACE&FAIRパレード」は、現在社会や 政治に関わる活動を行うことが容易ではない若い世代によって行われたものでした。パレードには注目が集まり、マスコミでも大きく報道されました。 また 「12・5国会前集会」は、これまでで最も多い2000人を超える人々が参加 し、教育基本法改悪阻止を強く訴える、熱気ある集会として大成功しました。これらの運動は12月6日(水)〜8日(金)の国会前行動や全国各地の運動に大きな刺激を与えるものでした。 
 こうした運動の力によって、政 府・与党が狙っていた12月7日(木)〜8日(金)の参議院 での採決を阻止することができたのです。

 12月11日(月)から、臨時国会の会期最終週の審議が始まります。12月11日(月)には参考人質疑、12月12日(火)には中央公聴会が行われ、参議院での採決の危険性が最も高まることとなります。教育基本法改悪反対運動を一層盛り上げ、改悪阻止のための最大の行動を起こすべき時です。

 「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」は、12月 12日(火)には恒例の国会前集会を行うとともに、教育基本法改悪阻止の声を直接国会内に届けるために院内集会を行います。そして参議院での採決のヤマ場となることが予想される12月14日(木)に、緊急国会 前集会を行います。 教育基本法改悪を阻止できるかどうかは、「教育基本法 「改正」法案成立確実」というマスコミ報道に惑わされたり、決してあきらめたりすることなく、私たちがここでどれだけ力を合わせられるかにかかっています。今週の闘いが決定的に重要です。

 「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」が主催する12・12&12・14国会行動に、全国からのご参加をぜひともよろしくお願いします。


<全国連絡会 今週のスケジュール>

■教育基本法の改悪をとめよう!12・12院内集会
日 時:2006年12月12日(火) 16時半〜17時半
場 所:参議院議員会館第1 会議室(地下鉄「国会議事堂前」
「永田町」すぐ)
発 言:国会議員のみなさん
    全国連絡会呼びかけ人
     大内裕和(中央公聴会公述報告)
     小森陽一、高橋哲哉、三宅晶子
    全国各地から

■教育基本法の改悪をとめよう!12・12国会前集会
日 時:2006年12月12日(火) 18時〜19時
場 所:衆参両議員会館前(地下鉄「国会議事堂前」「永田町」すぐ)
発 言:国会議員のみなさん
    全国連絡会呼びかけ人
     全国各地から

■教育基本法の改悪をとめよう!12・14国会前集会
日 時:2006年12月14日(火) 18時〜19時
場 所:衆参両議員会館前(地下鉄「国会議事堂前」「永田町」すぐ)
発 言:国会議員のみなさん
     全国連絡会呼びかけ人
     全国各地から

■廃案においこもう!座り込み
日 時:2006年12月14日・15日 9時〜17時
場 所:参議院議員会館前
参 加:どなたでも参加できます。全国連絡会呼びかけ人も、可能な限り参加します。

●その他、くわしいスケジュールや緊急行動、全国のうごきは、ホームページ「あんころ」をご覧ください。
   http://www.kyokiren.net 教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会


以下は浅野健一の意見です。

           憲法改悪の前段、教育基本法改悪

 政府と自民党・公明党は少年犯罪など社会の多くの問題を教育現場、とりわけ日教組など労組や教員のせいにして、「だから教育基本法の改正を」と言っている。しかし、戦後61年間「教育」現場を運営・管理してきたのは自民党政府、文部科学省である。国家・政府が教育基本法を守ってこなかったことに問題があるのではないか。

 同法改悪の狙いは一人ひとりの「人格の完成」をめざす教育から「国策に従う人間」をつくる教育へと、根本を一八〇度転換させていることにある。格差の痛みを子どもにまで広げ、戦争をいつでもできる国民をつくる教育を狙っているのだ。

 精神科医、ノンフィクション作家の野田正彰氏は『子どもが見ている背中』(岩波書店)を出版した。野田氏は十一月九日、同志社大学で講演し、同法改定について、「同志社大学も社会学部に教育学科があるが、何か反応したという話はまったく聞かない。その基本理念である教育基本法が変えられるということは作られた学部の存在基盤がなくなるということだから大きく批判をすべきだ」と述べた。

 「今の教育基本法には、平和憲法の理想を担う人間を作ることがうたわれている。前文にあるように、憲法の理想、理念の実現は教育によって行うと、明記してある。今回の自民党の改定案はこの部分を削ってある。つまり平和憲法をなくしたときに、使える法律として、教育基本法の改定を行うとはっきり書いてある。そのために、かつての教育勅語に近づいて、公共の精神とか伝統の継承とか、わが国の領土を愛するといった、項目が挙げられている。これは戦後の社会を基本的な部分で否定している」

 「教育の理念が全部壊されようとしている。この教育基本法が改正されたら、全てが変わる。学校教育法、地方教育行政法、社会教育法が変えられる。学習指導要領も変えられる。図書館法も変わる。教職員免許法も変えられる。つまり個の確立に向けて、教育基本法が持っていた理念が変えられる」

 「今まで受けてきた教育が、教育基本法に書かれている個を大事にする教育であったか考えてください。もしそういう教育を受けて育ってきたなら、社会を見る目はクリアーになっていたのではないか、それがいかに汚れているかを考え直してください。教育基本法を改正し、愛国心を加えようとしていることは六十年前に完全に否定されていることだ」

 教育基本法改定を強行する伊吹文明文部科学相も反動派の重鎮だ。伊吹氏は十一月二十四日午後の参院教育基本法特別委員会で、教育行政について「教育は、法律の定めるところにより行うべきもの」と規定した政府の教基法改定案について「国会で決めた法律は、国民の意思で全体の意思だ。これと違うことを特定のイズム(思想)や特定の思想的背景を持ってやることを禁止しているのがこの条項だ」と述べた。

 朝日新聞によると、伊吹氏は十一月二十二日の同委員会で、「国会で決められた法律と違うことを、特定のグループ、団体が行う場合を『不当な支配』と言っている」と語った。一方、法律や政令、大臣告示などは「国民の意思として決められた」ことから、「不当な支配」にあたることはないとの考えを強調した。また、「政治結社、イズム(主義)を持っている団体の介入を排除する」目的だと説明。

 現行の教育基本法にある「不当な支配」の規定は、教育行政による教育現場への「介入」を阻止する「盾」と位置づけられている。また、九月一七日の東京地裁判決では、国の学習指導要領に基づき国旗掲揚・国歌斉唱などを強要する都教委の通達や処分が「不当な支配」にあたると判断された。

 一方、安倍首相は、国旗・国歌について「学校のセレモニーを通じて敬意・尊重の気持ちを育てることは極めて重要だ」と強調。「政治的闘争の一環として国旗掲揚や国歌斉唱が行われないのは問題だ」と批判した。

 また自民党の中川昭一政調会長は同月二十三日、教育問題や社会保険庁改革について、「悪性腫瘍(しゅよう)が王様になっているような教育現場がある。社会保険庁も一部の悪性腫瘍が存在している。組合員が自治労。この実態をまず退治しないといけない」と非難した。

 自民公明政権は、自分たちの失政、悪行を反省せずに、労働組合攻撃を強めようとしている。

 
公明党の歴史的裏切り

 ここで公明党、創価学会の歴史的な犯罪について触れておきたい。私は公明党が結党以来、平和と人権について取り組んできたことを評価してきた。しかし、小泉政権の下で、公明党は党是を忘れ、超えてはいけない一線を越えたと断じる。

 自衛隊のイラク派兵と、今回の教育基本法である。両者とも、公明党の従来の主張から言えば、賛成できるはずがない。

 九月に行われた大阪の衆議院補欠選挙で勝った自民党候補は当選確定後の記者会見で、「創価学会のみなさんの支援に感謝します」と絶叫した。「公明党のみなさん」というところを間違えたのだ。次の日の新聞各紙には、「創価学会のみなさん」という活字は一切なかった。神奈川の補選も自民党候補が勝った。

 安倍首相は就任直後に、池田大作名誉会長にわざわざ会いに行っている。池田氏が、両補選での全面支援を約束したという。「今回の大阪の補選では、創価学会の力の入れ方はいつもとは違う雰囲気だった。100%フル回転した」とある創価学会メンバーは私に語った。勝てるはずのいない選挙区で自民候補が勝った。

 日本の今後を左右する沖縄知事でも三万六千票の差で自公候補が勝ったが、これも公明票が勝敗を左右したと思われる。東京新聞は、公明票が決め手になったと伝えたが、朝日にはそうした記述がほとんどなかった。
創価学会の広告、CMが最近やたらと目立っている。機関紙の聖教新聞のCMも多い。

 創価学会は宗門問題、後継者問題を抱えている。与党に留まらなければならない絶対的な理由があるのだろう。自分たちの開祖を獄死させたファシズムの時代を、正当化して止まない安倍氏といつまで共謀を続けるのだろうか。



資料

野田教授の講演会場で配布された現行の教育基本法と、自民・公明政権が本国会に提案し、衆議院で強行採決され、参議院に送られている全面的な改「正」案

教育基本法

昭和22(1947)年3月31日 法律第25号
昭和22(1947)年3月31日 施行

 朕は、枢密期間の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

第一条(教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。

第二条(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

第三条(教育の機会均等)
1 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

第四条(義務教育)
1 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
2 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

第五条(男女共学)
 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。

第六条(学校教育)
1 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

第七条(社会教育)
1 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。
2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。

第八条(政治教育)
1 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

第九条(宗教教育)
1 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第十条(教育行政)
1 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

第十一条(補則)
 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。
附則
この法律は、公布の日から、これを施行する。



政府改定案

教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。

目次;
前文
第一章教育の目的及び理念(第一条―第四条)
第二章教育の実施に関する基本(第五条―第十五条)
第三章教育行政(第十六条・第十七条)
第四章法令の制定(第十八条)
附則

我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興ひらを図るため、この法律を制定する。

第一章  教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
(教育の機会均等)
第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

第二章  教育の実施に関する基本
(義務教育)
第五条 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。
4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。
(学校教育)
第六条 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。
(大学)
第七条 大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
2 大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。
(私立学校)
第八条 私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。
(教員)
第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。
(家庭教育)
第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
(幼児期の教育)
第十一条 幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。
(社会教育)
第十二条 個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。
(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)
第十三条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。
(政治教育)
第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
(宗教教育)
第十五条 宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第三章  教育行政
(教育行政)
第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。
3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。
(教育振興基本計画)
第十七条 政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。
2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。

第四章  法令の制定
第十八条 この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなければならない。

附則
(施行期日)
1 この法律は、公布の日から施行する。
(社会教育法等の一部改正)
2 次に掲げる法律の規定中「教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)」を「教育基本法(平成十八年法律第号)」に改める。
一 社会教育法(昭和二十四年法律第二百七号)第一条
二 産業教育振興法(昭和二十六年法律第二百二十八号)第一条
三 理科教育振興法(昭和二十八年法律第百八十六号)第一条
四 高等学校の定時制教育及び通信教育振興法(昭和二十八年法律第二百三十八号)第一条
五 義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法(昭和二十九年法律第百五十七号)第一条
六 国立大学法人法(平成十五年法律第百十二号)第三十七条第一項
七 独立行政法人国立高等専門学校機構法(平成十五年法律第百十三号)第十六条
(放送大学学園法及び構造改革特別区域法の一部改正)
3 次に掲げる法律の規定中「教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)第九条第二項」を「教育基本法(平成十八年法律第号)第十五条第二項」に改める。
一 放送大学学園法(平成十四年法律第百五十六号)第十八条
二 構造改革特別区域法(平成十四年法律第百八十九号)第二十条第十七項
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