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報告
甲山事件冤罪被害者 山田悦子さん講演会報告
掲載日:2006年11月3日
冤罪・甲山事件の被害者、山田悦子さんが
同志社大学の「新聞学原論U」と浅野ゼミ(3回生)で
「マスメディア」「法の精神」について講義を行った。
ゼミの講義を聞いた1回生の的野高久君が報告する。

 「人間が人間を傷つけない社会を作っていきたい。そのためにはマスコミの役割がとても大きい」と話す山田さんの言葉には重みがある。彼女が司法とマスコミをはじめとする日本社会に深く傷つけられた経験があるからだ。

 実際に二十一年間も法廷に立ったことのある立場から山田さんは語った。「日本のマスコミはまだ裁判も始まっていないのに、被疑者を犯人扱いする。マスコミとその報道に煽られた世論が裁判にまで影響を与え、裁判官にプレッシャーをかけていた。最終的な判決が出る前に、社会的に有罪を下すのは間違っている」。三十年前からこのような状況はほとんど改善されていないという。

 「日本人は憲法にある人権の条項を知らない。ジャーナリストは人権を尊重するために、人一倍憲法を学ばなければならない。憲法を単なる知識ではなく、思想化することにより、人を傷つけない記事を書くことができる。しかし、憲法をしっかりと学び、自身の思想としているジャーナリストは少ない」。進まないジャーナリズムの改革についての提言だ。一般市民にまで憲法の理念が行き届いていない日本社会への叫びでもある。

 最後に山田さんはジャーナリストを志す学生に訴えた。「ジャーナリストが国家権力をきちんとチェックしなければ、権力による人権侵害がおこる。憲法の精神にのっとって、市民の側に立った権力チェックの記事を書いてほしい」。

 市民の側に立った権力チェックはジャーナリズムの存在意義とも言える役割だ。それを十分に果してこなかったつけが今の日本社会に回ってきている。憲法を学ぶことが「つけ」を返すきっかけとなるだろう。


山田さんから17日付で浅野宛の手紙もいただいた。抜粋して紹介したい。

 イェ―リングは『権利のための闘争』で次のように言っています。

 「私はどんな争いにおいても権利のための闘争を行なえと要請しているわけではく、権利に対する攻撃が人格蔑視を含む場合にのみ闘争に立ち上がることを求めているのである。」

 そして、「汝の権利を踏みにじった他人をして、処罰を免れて恬然たらしむことなかれ」とのカントの格言を引用して、真の闘争をすることは、権利=法であることを言っています。

 浅野さんは、甲山で報道被害にさらされ続けていた私に、匿名報道という思想を提示してくれました。私はお陰で、マスコミのカメラに自分をさらさないことが、匿名報道の実践につながることに気付き、マスコミ会見を拒否することが出来ました。

 人間が行動をとるためには、確たる思想的根拠が必要です。日本の甲山の報道と対峙する根拠を私に与えてくれたのが、浅野さんでした。

 高校の教科書にも載っている日本人お馴染みの、日本の各種法典を起草し、また、日本の法学教育に尽力したフランスの法学者ボアソナードは、「各人に彼のものを帰すべし、何人も害するなかれ。これら二つこそが、それが遵守されなければ、社会が貪欲と略奪と暴力のえじきになり間違いなくほろびる、そういう準則である。」と、言っています。(略)

 学問を単なる知識にしてはならない、知識を思想化しなければ、私たちは、自らを守ることはできないと思っています。(略)

 3回生の学生からお礼の手紙が今日(10月17日)届きました。とてもいい内容でした。

 「社会、国家にとっていかに憲法や法律が大事であるかを知りました。」「法を知らないことによって、多くの間違った社会に対する認識や常識といったものを持ってしまっていることに気付き、恐ろしいことだと思いました。」と、彼の感想が縷々と述べられ、そして、手紙の最後を、「戦争責任を問う法律を作るべきだという言葉は、特に印象的でした。それが日本が憲法9条を守り、戦争をしない国であるためにも最も効果的であると思います。」と、締め括っていました。

 こんな風に、私の思いを受け止めて貰えて嬉しい限りです。浅野さんのお陰です。心よりお礼申し上げます。

 山田さんから学生たちは多くのことを学んだ。山田さんに感謝したい。(浅野健一)
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