匿名報道の記録−あるローカル新聞社の試み−
(斉間 満 著、創風社出版)の出版に寄せて

 私が同志社大学へ移って最初の年のゼミの夏合宿(一九九四年七月)に斎間満氏を講師に招いた。斎間氏の勇気ある試みを学生たちに知ってほしいと思って企画した。合宿の記録はゼミ誌「DECENCY」創刊号に掲載されている。
 私が初めて実名で匿名報道主義を提唱したのは一九八三年から八四年にかけて月刊雑誌『マスコミ市民』で連載した「犯罪報道は変えられる」だった。斎間氏はこの連載を読んで南海日日新聞で匿名報道原則を導入することを決意し、編集部員、読者と相談して、八五年から匿名報道主義で事件報道を実行してきた。
 斎間氏は日刊新愛媛での体験、伊方原発問題の取材と報道を通じて、企業メディアの記者たちの退廃を見抜き、声なき声、少数者、虐げられる側の視点に立つジャーナリズムを模索していた。そんな斎間氏だから、私の提唱する犯罪報道のコペルニクス的転換の意味を正確に理解してくれたのだと思っている。
 斎間さんが匿名報道主義実践の記録を本にした。私も文章を寄せている。ぜひ読んでほしい。
 以下は、創風社出版の案内文である。



匿名報道の記録 −あるローカル新聞社の試み−
斉間 満 著・新書判・並製本・205頁・定価1365円・創風社出版発行
ISBN4-86037-071-6 C0236


「知る権利」に応えつつ、どう人権に配慮していくか−

 今、メディアが突きつけられているこの問題に20年前から挑戦してきた新聞社がある。全国でただ一社、「匿名報道」を実践してきた『南海日日新聞』である

 1975年11月に創刊したローカル紙・南海日日新聞は、1986年11月から全面的に匿名報道を基本にした報道を目指しました。本書は、「何故匿名報道なのか」を問いながら、人権に配慮しつつも「知る権利」に応える新聞づくりを続けてきたローカル紙の奮闘の記録である。
 第1部は、八幡浜市という小さな町で起こった様々な事件をどのように報道してきたか。第2部は著者が同志社大学新聞学科で行った講演記録と、南海日日に匿名報道の意義を伝えた浅野健一さんの連載を中心に掲載しています。
 南海日日新聞の柱は「反原発」と共に「匿名報道」です。大新聞こそが取り組んでもらいたいこの問題について、苦しみながらも逃げないで真っ直ぐに挑戦してきた新聞づくりと、編集に携わったスタッフの心を伝えます。


■目次■

第一部 匿名報道の記録
     各社の報道姿勢が分かれた「フジ八幡浜店、爆弾脅迫事件」
     権力者の犯罪が問われた「警察幹部不正事件」
     農協職員横領事件
     信金の現金不明事件
     中学生自殺事件
第二部 なぜ匿名報道なのか
     斉間満講演録 「読者の視線に立つ」が匿名への第一歩
     浅野健一連載 犯罪報道は変えられるか
     刊行に寄せて 匿名報道は今(浅野健一)


■斉間 満(さいま みつる)■
1943年生まれ
1966年、八幡浜高等学校定時制卒業
新愛媛新聞記者をへて1975年、
南海日日新聞を創刊。
著書
『原発の来た町 原発はこうして建てられた 伊方原発の30年』(南海日日新聞刊)


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※ 創風社出版:〒791-8068 愛媛県松山市みどりヶ丘9-8
          (T)089-953-3153 (F)089-953-3103
          http://www.soufusha.jp/
          Mail:info@soufusha.jp


         八幡浜・南海日日新聞の実践

                                    浅野健一

 私は一連の著作で、犯罪報道の実名主義の誤りを理論的にも実践的にも解明した。「人権と犯罪報道」をめぐる問題は匿名報道主義でしか解決できないことがはっきりしたと思っている。当初は、朝日新聞か毎日新聞が私の犯罪報道改革の提案を受け入れてくれるのではと期待した。しかし、大手メディアは実名報道主義に固執し、私の提案を無視するようになった。

 日本の新聞社で匿名報道主義を本格的に導入したのは斎間氏の南海日日新聞だけだ。同紙の実践を取り上げたテレビ番組で、朝日新聞の幹部が「週三回発行の小さなローカル紙だからできるのだ。我々大新聞は簡単にはできない」と言い放った。何と言う傲慢な発言だろう。斎間氏は「地域の新聞だからこそ、経営的には、本当は事件事故の実名が本当は必要なのだ」と語っていた。斎間氏の近著(創風社出版)を参照。

 あれから二十一年経って、南海日日新聞の画期的な試みに続く新聞社はなかった。私の主張そのものがほとんどなかったことにされている。若き記者たちのほとんどは私の名前すら知らない。今は、「少年も凶悪事件では実名にせよ」とか、「被害者も実名が原則」ということを多くののメディア幹部、メディア御用学者が公言する時代になった。

 また重大事件では少年時代の非行歴,前科なども報道されるようになった。
 もし、逮捕された人が、加害者でなかったら、取り返しがつかない。仮に犯人であったとしても、警察に疑われた人は被疑者・被告人として適切な捜査と公開の公正な裁判を受ける権利がある。責任能力がないと裁定されることもある。死刑囚を除けば、すべての受刑者は社会に復帰するのだから、捜査段階で実名を出されると、更生の妨げになる。実際に罪を犯した本人に制裁を加えることは論議の余地があるが、その人には必ず家族がおり、事件とは無関係な親類、友人にも重大な影響を及ぼす。私の主張は間違ってないと今改めて確信する。

   

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