Asano Seminar:Doshisha University
HOME新着情報
シンポジウム報告
「裁判所を変えないと冤罪はなくならない」
富山冤罪の柳原浩さんが同大シンポで訴える

 富山強かん冤罪被害者の柳原浩さんが11月22日、京都の同志社大学で開かれたシンポジウム「甲山から富山へ 冤罪とメディアの現在」で「裁判所、検察・警察がこのままで裁判員制度が始まったら、今以上に、ずさんな審理が横行するだけではないか」と訴えた。

 柳原さんは「まず、裁判所を変えることが最も重要だ。警察が明日あなたを犯人にするためにやってくるかもしれないことを知ってほしい」と語った。

 柳原さんは若い人たちに自分の体験を話したいということで同志社大学に来てくれた。
 このシンポは、1974年に兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」で、2人の園児が浄化槽から溺死体となって発見された「事件」で、殺人容疑で逮捕された山田悦子さんの25年に関する報道記事資料が完成して開催された。山田さんを支援してきた「甲山救援会」が2000年7月に事務所を閉鎖した際、裁判記録を龍谷大学へ、また新聞雑誌記事などの報道資料は同志社大学に寄贈した。資料整理は02年に当時の担当者の院生が突然作業を中断したが、別の院生・学部学生のボランティアたちが06年夏から再開してこのほど終了し、資料目録も完成した。

 甲山事件報道資料は新聞記事1164点(ファイル32冊に収納)、雑誌記事14点、甲山救援会関係資料17点である。同志社大学今出川校地新町校舎にある研究室棟・渓水館3階のメディア学資料室に保存している。

 07年は、鹿児島県志布志市・選挙違反事件や富山事件など冤罪事件が相次ぎ、甲山事件から三三年たった今も、警察・検察による自白強要、証拠捏造などでっち上げが後を絶たないことが明らかになっているとの認識から、権力による最悪の犯罪である冤罪をなくすために市民、法律家、マスメディアは何をするべきかを考えるために開いた。

 パネリストは山田さん、柳原さん、浜田寿美男・奈良女子大学教授(『自白の心理学』著者)、嶋谷泰典・元毎日新聞富山支局長、若松芳也・日本弁護士連合会接見交通権確立実行委員長の5人。主催は浅野ゼミで、3回生の岡村優里さんが総合司会を務め、パネル討論のコーディネーターは2回生の藤吉彩乃(あいの)さんと1回生の長谷川健が務めた。あいにくの小雨が降る天気ではあったが、熱心な学生や一般市民の計約90人が参加し、「冤罪を生み出す構造」を様々な側面から検証し、同時に「メディアの役割」についても考える非常に意義深いシンポジウムとなった。
 コーディネーター役の2人は事前準備で富山県高岡市、兵庫県神崎郡へ出掛け、柳原さんと山田さんからそれぞれ約5時間にわたって話を聴いた。藤吉さんはシンポの前、毎日新聞の取材に「なぜ警察はきちんと調べなかったのか。裁判員制度で正しく裁けるのかという不安もある。まず冤罪事件があったことを知ってほしい」とコメントした。

 柳原さん、山田さんは冤罪被害者としての立場から、自身が受けた警察・検察の取調べの様子を報告し、今なおも続く自白強要の実態が明らかになった。
 山田さんは「逮捕された被疑者は取り調べ室の中だけでなく、二十四時間を警察に支配される。取調室の可視化だけでは不十分。犯罪をおかした有実者にも人権があり、公正な裁判を受ける権利があることを保証する社会にならなければ冤罪はなくならない」と強調した。
 虚偽の自白をとる違法捜査が横行する原因、またこれを防止する手段について、若松さんは、戦後生まれの刑事訴訟法においてもなお「戦前の名残」があることを指摘。違法捜査の防止手段としては「取調べの可視化」を挙げ、「可視化」をめぐる最近の動きについても触れた。
 若松さんはまた「警察留置場を拘置所の代用とする代用監獄制度は冤罪の温床だが廃止されず、恒久化された。憲法・刑訴法では被疑者・被告人と捜査権力側とは対等関係であるとしているのにもかかわらず、強圧的な取り調べが行われている」などと語った。
 浜田さんは自身が多くの刑事裁判に特別弁護人や鑑定人として関わってきた経験から、「取調べがどういう状況下で行われているのか、裁判所は分ろうとしない」と批判。浜田氏は「捜査官は逮捕した被疑者を犯人と思い込み、自白をとる。犯人ではないのではという疑問を持つなと教育されている。証拠の有無は無関係だ。そうした実態を裁判官や一部弁護士は全く認識していない」と裁判所の自白調書の安易な採用についても苦言を呈した。

 以上の議論を踏まえて、討論のなかでは「メディアの責任」にも触れた。つまり、メディアは過剰な事件報道を続けることで、冤罪を惹起する土壌を作ってしまっているのではないかということであった。嶋谷さんは、山田さんのメディア批判を受け、「マスコミ側には、より世間受けがしやすい報道を目指すような雰囲気がある。しばしば事件を作り上げてしまう」と発言した上で、こうした現状を変えていこうという動きもマスコミ界にあることを強調し、「メディアは権力を監視していると主張しているが、本当にその役割を果たしているか自問したい」と結んだ。
 柳原さんは「裁判所を変える」ことの必要性を訴えた。取調べの可視化はもちろん推進されねばならないが、それよりもまず、裁判所の体質を改めなければならないと強調した。
 質疑応答で、メディアが柳原氏を取り調べた富山県警捜査一課の長能善揚(ながの・よしあげ)警部補の名前を報道しないことについて、ある放送記者は「慎重に報道したいので刑事たちの名前は報道しないでいる」などと釈明した。山田さんは「マスコミは権力の側に立つのか、弱い市民の側に立つのかが問われている。私たち市民の方だけ、実名を出すことはやめてほしい」と訴えた。
 シンポでは、柳原さんが逮捕後に当番弁護士として面会、裁判で国選弁護人だった山口敏彦弁護士の“不適切弁護”も問題になった。
 約2時間半のシンポジウムであったが、各パネリストからさまざまな問題提起がなされ、冤罪問題の根の深さをより一層実感することとなった。

 富山の民放2社がシンポの取材に駆けつけた。大学広報課はシンポに関する報道資料を近畿の全報道機関へ送ったが、毎日新聞が当日朝刊でシンポが開かれるという記事が出ただけだった。地元の新聞・テレビは全く報道しなかった。
 柳原さんは11月24日からデイサービス施設の職員として働き始めた。柳原氏は浅野健一教授への電話で「ホームヘルパー2級の資格を取得したい。冤罪の怖さを訴える活動は続ける。学生たちと交流できてよかった。第二の人生をがんばりたい」と弾んだ声で話した。
長谷川健(浅野ゼミ・1回生)

掲載日:2007年12月25日
先頭へHOME新着情報
Copyright © 1997-2006  Prof. Asano Kenichi Seminar All Right Reserved.