甲山資料完成記念シンポジウム
「甲山から富山 冤罪とメディアの現在」
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1974年3月、兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」で、2人の園児が浄化槽から溺死体となって発見された「事件」で、殺人容疑で逮捕された山田悦子(旧姓沢崎)さんは25年後に無罪が確定した。山田さんの支援してきた「甲山救援会」は2000年7月ごろ、裁判記録を龍谷大学へ、また新聞記事などの報道資料は同志社大学文学部社会学科新聞学専攻(現、社会学部メディア学科当)に寄贈した。
院生・学生の協力により06年9月から進められた報道資料の整理が、2007年10月に終了し、その目録も完成した。資料は今出川校地新町校舎渓水館3階のメディア学資料室に保管されている。
今年は、鹿児島県志布志市・選挙違反事件や富山強かん事件など冤罪事件が相次いだ。甲山事件から33年たった今も、警察・検察による自白強要、証拠捏造などでっち上げが未だになされていることが明らかになった。
冤罪をなくすために市民、法律家、マスメディアは何をするべきかを、山田さん、富山事件の冤罪被害者である柳原浩さん、若松芳也弁護士、嶋谷泰典毎日新聞記者らに語っていただき、みんなで「いまできること」を考えたい。
柳原さんが大学でお話をするのは初めて。コーディネーターは浅野ゼミの2回生、藤吉彩乃さんと1回生の長谷川健さんが務める。会場は大きな教室。多くの市民の参加を期待している。 |
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シンポのテーマ:「甲山から富山 冤罪とメディアの現在」
日時:11月22日(木)18:30〜21:00
場所:同志社大学今出川校地・明徳館21番教室(M21)
交通案内:京都市営地下鉄烏丸線今出川駅下車
事前申し込み不要・無料 |
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パネリスト(敬称略):山田悦子、柳原浩、浜田寿美男、嶋谷泰典、若松芳也
主催:同志社大学社会学部メディア学科浅野健一ゼミ
〒602−0047 京都市上京区今出川通新町上ル 同志社大学社会学部
電話 075−251−3457(浅野研究室)
ファクス 251−3066(共用)
山田悦子(やまだ えつこ)さん
1951年生まれ。富山県出身。72年徳島文理短期大学卒業。72年4月甲山学園保母。無罪確定後も、各地の弁護士会に招かれ、司法についての講演を行う一方、日本の警察・司法のあり方から、「無答責性」についても疑問をもち、日韓の研究者、ジャーナリストに呼びかけ、答責会議設立に尽力。1991年からシンポジウムを重ねる。
寿岳章子・祖父江孝男編『無答責と答責』(お茶ノ水書房、1995年)に日本の朝鮮半島などへの戦争責任問題を論じた「無答責から答責への道」を発表。
柳原浩(やなぎはら ひろし)さん
2002年1月、富山県氷見市で起きた女性暴行・同未遂事件で逮捕され、同年11月に富山地裁富山地裁高岡支部で懲役3年の刑が確定。05年1月に仮出所。06年11月、鳥取県警に強制わいせつ容疑で逮捕された男が富山の事件を自供し、証拠が出たことから誤認逮捕であったことが分かり、07年10月、同支部の再審で無罪が確定した。
浜田 寿美男(はまだ・すみお)さん
1947年、香川県生まれ。
発達心理学者。京都大学大学院文学研究科(心理学)博士課程単位取得後退学。長く花園大学に勤務していたが、現在は、奈良女子大学教授。『自白の心理学』(岩波新書)、『証言台の子どもたち [甲山事件]園児供述の構造』(日本評論社)、『自白が無実を証明する―袴田事件、その自白の心理学的供述分析』(北大路書房、2006年)
などの著書がある
嶋谷泰典(しまたに やすのり)さん
毎日新聞記者・元富山支局長。人権と報道関西の会会員。
人権と報道関西の会編『マスコミがやってきた!』(現代人文社)を中心になって編集。
若松芳也(わかまつ・よしや)さん
弁護士(京都弁護士会)。日本弁護士連合会・接見交通権確立実行委員会委員長
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甲山事件
1974年3月、兵庫県西宮市の知的障害児収容施設「甲山学園」(現在は廃園)で、当時12歳の女児と男児が相次いで行方不明になった。警察も加わっての学園あげての懸命な捜索を行った結果、同日夜、園内の浄化槽から2人の水死体が発見された。
警察は、重量が17キロもある浄化槽のマンホールが、発見時に閉まっていたことなどをもって殺人事件と断定。4月、同施設で保母として働いていた山田(旧姓沢崎)悦子さんを男児に対する殺人罪の容疑で逮捕した。逮捕の根拠は、山田さんが、園児が行方不明となった日に勤務していたことや、警察が園児から引き出した、「山田さんが(被害男児を)連れ出すのを見た」旨の虚偽の「目撃証言」などによるものだった。逮捕後、警察は山田さんに対して連日10時間もの取調べを行ったが、山田さんは一貫して無実を主張した。もともと決め手となり得る証拠がなかっただけに、捜査は難航し、神戸地検は同月末には処分保留で山田さんを釈放した(翌年、地検は不起訴処分を決定した)。
釈放から3ヵ月後、山田さんの逮捕に抗議した際に警察から暴行を受けた同僚2名とともに山田さんは、自ら無実を証明するために、国家賠償請求訴訟を起こした。
ところがその後、甲山事件は特異な展開をみせる。1976年10月、神戸検察審査会は男児の遺族による不起訴を不服とする申し立てについて、「不起訴不当」を議決したのである。検察はこの決定に従って再捜査の方針を固め、国賠訴訟が大詰めを迎えた1978年2月、山田さんは同一容疑で再逮捕され起訴された。同日、国賠訴訟で山田さんのアリバイ証言をした元園長の荒木潔さん、同僚の多田いう子さんは偽証罪で逮捕され、それぞれ起訴された。
1985年10月、神戸地裁は検察の有罪立証を完全に否定し、弁護側の主張を取り入れ、完全無罪の判決を出した。だが検察は「1審の証拠調べは不十分で、判決は承服できない」として大阪高裁に控訴し、裁判は長期化の様相を呈した。
1990年3月、大阪高裁は無罪とした1審判決を破棄し、審理を神戸地裁に差し戻す判決を言い渡した。この高裁判決は、1審判決において「事実に反する証言をした疑いが濃厚」とされ、捜査官による誘導の可能性が暗に指摘された「園児証言」について、「捜査官の誘導の事実は認められない」とするなど、ほぼ全面的に検察側に立つものだった。弁護側は上告したが、1992年4月、最高裁はこれを棄却した。また、高裁判決に先立つ1987年には、荒木さん、多田さんの偽証罪裁判で無罪判決が出たが、検察は控訴し、1993年1月、大阪高裁はこの裁判でも「差し戻し」の判決を言い渡した。
1998年3月、神戸地裁は山田さん、荒木さんに再び完全無罪の判決を言い渡した。この判決に続いて、分離裁判となっていた多田さんの裁判についても無罪の判決が出された。検察は異例の再控訴に踏み切ったが、1999年9月、大阪高裁は差し戻し審判決を支持、翌10月、検察は上訴権の放棄を決定し、事件発生・逮捕からおよそ四半世紀を経て、ようやく山田さんの無罪が「確定」した。また同月には荒木さん、多田さんに無罪判決が下され、同年11月、検察はいずれの件についても上告を断念し、山田さんは国賠訴訟について取り下げ、長きにわたった甲山事件の一連の裁判はここに終結したのである。
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掲載日:2007年10月17日 |