Asano Seminar:Doshisha University
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シンポジウム報告
「記者の方には、現地に足を運んでの取材を強く要望する」


志布志事件の冤罪被害者
中山シゲ子さん、川畑幸夫さんが講演


 2008年5月29日に同志社大学で行われたシンポジウムの報告です。大変遅くなってしまいました。(担当、写真撮影・浅野ゼミ2回生、井上大地)

 2008年5月29日(木)、同志社大学今出川校地明徳館21番教室(M21)で、「志布志事件とメディア―なぜ『架空の事件』を見抜けなかったのか―」と題して公開シンポジウムが開催された。主催は浅野ゼミ2回生。事務局長は浅野ゼミ2回生の長谷川健くん、ディスカッションのコーディネーターは同じく2回生北尾ゆり子さん、総合司会に浅野ゼミ4回生戸田さんが務めた。
 パネリストには、志布志事件の冤罪被害者で273日の長きにわたって勾留された中山シゲ子さん(有限会社中山信商店専務取締役、夫は中山信一県議)、同じく志布志事件での取り調べで「踏み字」を強要されたホテル経営者の川畑幸夫さん、そして弁護士の若松芳也氏(日本弁護士連合会接見交通権確立実行委員長)の3人をお招きし、志布志事件についての講演やディスカッションを行った。
 昨年11月22日に、浅野ゼミでは富山・氷見冤罪事件の柳原浩さんらをお招きし、シンポジウム「冤罪とメディア 甲山から富山へ」を開催したが、今回のこのシンポジウムはその続編とされる。
 会は午後6時半に始まり、最初に事件のおおまかな内容を特集したビデオを上映した。
 その後3人の講演があり、続いてコーディネーターとのディスカッション、最後に質疑応答という流れ。終わったのは、夜9時と長時間のシンポジウムになったが、事件の会場に集まった約70人の聴衆は、冤罪がつくりあげられていった過程や、生々しい取り調べの実状、今後の報道のありかたなどに終始熱心に聴き入っていた。

 
事件の内容
 志布志事件とは、2003年4月13日に鹿児島県下で投開票された県議会選で初当選した中山信一さんの陣営が、投票依頼のために「買収会合」を開き、計191万円の現金授受がったとの嫌疑で、中山さんら13人(一人が公判中に死亡)が起訴された。しかし、公判中から警察・検察の捜査手法に多くの批判が寄せられ、ついには「被告」12人全員に無罪判決が言い渡された事件である。 さらに他の被疑者に対して警察は、弁護人との接見内容を供述するように迫り、それを調書化するなどし、接見交通権を侵害した。この件については弁護士らが国賠訴訟を起こし、今年3月24日、国・県に対して550万円の賠償命令が下され、確定した。

 
取り調べの日々
 「毎日のように圧力のある取り調べが一日中あり、その様子は拷問に近く、自白強要をせばまれました。毎日手錠をかけイスにくくりつけられて、『嘘つき』『ひきょう者』と罵られるのです。」と語るのは中山さん。「なにもしていないのになぜこのような扱いをうけるのだろうと疑問に思いつつ、年月がたっていくうちに精神的にも体力的にも疲労を感じ、生活にも悪影響が及ぼされました」と苦しかった取り調べの日々を語ってくれた。それでも「真実は必ず一つなのだから、私たちは何もやってないのだから、必ず良い日は来ると自らに言い聞かせていました」
 苦しくとも、それに屈しないようにしていた中山さんの凛とした姿が印象的だった。

 また川畑さんは、取り調べでの日々をこう語る。「食事は初日に鳥のからあげを2口食べただけで、それ以降3日間は長時間の取り調べを受けて、食欲もなくなり何も食べずじまい。取り調べの2日目の午前11時頃に頭痛と吐き気がして、我慢できずに病院に連れて行ってほしいと訴えました。1時間ぐらいして病院につれていかれたら、血圧がとても上がり、医師が同行していた警官に安静に寝かせなさい、とおっしゃいました。しかし午後1時くらいにはそのまま志布志署に連れ戻され、夜9時半まで拷問のような取り調べを受けました。」
そして踏み字の詳細を「朝から晩までずっと取り調べを行うものの、警察は何を言おうとしても耳を傾けず、犯人と決め付けていました。また紙に家族の名前を書き、それを無理やり踏まされてウソの自白を強要させるようなこともされました。」と語ってくれた。

 取り調べでの可視化
 弁護士の若松さんは「家族との面会が不可であったり、弁護士との接見が制限されたり、とこの事件には戦前からなされていた冤罪事件に共通する要素が凝縮されている。」と述べた。
「この様な事件が起こらないためには、取り調べの全過程を可視化することが必要である。」しかし警察が取り調べの可視化に反対的であることについて、「公表では容疑者の自白率がさがるから、などといっているが本当は、閉ざされた空間での高圧的な取り調べこそ真相解明に必要、という日本の警察捜査の伝統的な理念が根底にあるからだろう。それとこういった不当な取り調べが表に出るのを嫌がっているのだろう。」
警察が可視化に反対する実情はあるが、若松弁護士はこのような冤罪事件をなくすためには、取り調べの全過程を可視化することが不可欠である、ということ何度も熱弁していた。

 
これからのマスメディア報道
 志布志事件という冤罪事件は警察の手だけによりつくられたのではではない。マスメディアが大きく加担してしまったのである。中山さんらが被疑者として逮捕された時に、地元マスメディアは「やはり」「裏切り者」「地元住民ら怒り」などの大きな見出しをつかって報道した。中山さんは「マスメディアの方には、記事を書く前に直接現地へ足を運んでほしい。志布志事件はマスメディアが、警察の発表を鵜呑みにし、警察寄りの報道をしたために起きてしまった冤罪事件である。記者の方がしっかり現地で取材し、住民の話をきいておれば、情報の真偽についても正しい判断ができただろうし、こういった冤罪事件はうまれなかったであろう。ちゃんと自分の目で確かめて記事にするということを強く要望する。」とマスメディアへの提言をした。
 川畑さんは「志布志事件の冤罪を暴いてくれたのもまた、裁判などをひとつひとつとりあげ、記事にしてくれたマスメディアによる力が大きい。そういったマスメディアの影響の大きさを自覚してほしい。」と提言。
 この講演で、川畑さんは事件がなぜおきたのかという背景についても述べられた。
やはり地域の政治的なしがらみと警察とのかかわりがあったようだ。中山県議が当選すると都合が悪い地域の政治家や権力者たちが、警察と手を組み、また地域のマスメディアもまきこんでいちからこの事件をつくりあげてしまったようである。
 本来マスメディアは、地域の市民の味方である。そして、公平で客観的な情報を市民に伝えるという使命がある。こういった冤罪事件をつくるのに加担するのではなく、一番に明かさなければならなかった。
 浅野ゼミ教授は、最後に日本のマスメディアを取り巻く状況について、こう語った。「日本のマスメディアは法的な自由はあるのだが、実際に行われている取材とか報道を考えてみると外国に比べ、日本のジャーナリズムの教育や報道機関はとても遅れていると思う。」そして海外のマスメディアについて、「現地にいって取材してという形が当たり前で、当局の発表をそのまま鵜呑みにはしない。採用の仕方から記者の育て方までジャーナリズムをしっかり教えていないのも日本だけ。ジャーナリズム論を勉強しないで記者になるってことは外国ではありえない。」と語る。
日本にはジャーナリズム論や新聞学を教えている大学はほとんどない。そういった教育を受けた人が必要とされないという現状があるのだ。そういったマスメディアを取り巻く状況も志布志事件を見抜けなかったことに繋がるのではないか。見抜けるような体制をぜひ作っていかないといけない。
 来年からの裁判員制度に向けて、準備しなければならないのは司法だけではなく、マスメディアもだ。マスメディアは、ちゃんと現場で取材し、一般市民に公平で客観的な情報を伝えるということをしてほしい。このシンポジウムを開くことで我々は、来年の裁判員制度下での報道の在り方も再確認することができた。

 最後に
 このシンポジウムでは、最後の質疑応答の時間にゲストとして、大阪所長襲撃事件で加害者扱いされた少年も参加してくれた。彼は冤罪被害をうけることの恐ろしさと、取り調べでの拷問のような日々を語ってくれた。年代が我々大学生と近いこともあり、実感がわき聞いていて胸がいたいほどであった。ますます冤罪事件がどれだけの人の人生を狂わせるかを強く感じた。そしてこれは、けっして他人ごとではない。だれの身に起こってもおかしくはないということも。
浅野ゼミでは、近日彼を含めこの事件の冤罪被害者達を招いて、講演会を行う予定である。次回もぜひ参加していただきたい。
 またシンポジウムが終わってから、川畑さんと中山さんはこう言ってくれた。「こういったシンポジウムを開いてもらえることはありがたい。また、いい生徒さんばかりで非常に感心した。これからも頑張ってください。」
 僕たちマスメディアも学ぶ者たちは、この期待に応えるためにも、これからもしっかりとした視点を持ってジャーナリズムを学んでいかなければならないし、こういった講演会も積極的に主催していく必要があると感じた。
掲載日:2008年9月17日
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