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浅野健一ゼミ主催
「警察の裏金とマスメディア」
シンポジウムの報告
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浅野健一ゼミは2008年10月16日(木)夜、今出川校地・新町校舎臨光館301番教室(R301)で、「警察の裏金とマスメディア」をテーマにしたシンポジウムを開いた。
全国で唯一の現職警察官による警察の組織的裏金作を告発した仙波敏郎・愛媛県警巡査部長(59)を招いて警察・検察など捜査当局の裏金問題とメディア報道を考える企画だった。仙波さんの闘いを支えてきた元産経新聞記者の東玲治さん、浅野教授らがパネリストとなり討論した。
シンポの当日午前、同じ新町校舎・臨光館201(R201)で、「新聞学原論Ⅱ」(浅野教授担当)の時間に、仙波さん・東さんによるゲスト講義が行われた。二人は浅野ゼミにもゲストとして話をした。
同志社大学社会学会と社会学部メディア学科の共催で、06年12月1日、北海道新聞記者を招いて、「警察裏金事件とマスメディア報道」と題した公開シンポを開いている。
FEATURES/2006/report-uragane.html
その後も警察の裏金づくりは続いている。北海道警の裏金を調査報道し新聞協会賞を受賞した北海道新聞の記者は全員配置転換となり、北海道警がフリージャーナリストを提訴する事態も起きている。
仙波さんは05年1月20日、実名で警察の裏金問題を内部告発する記者会見を行った。仙波さんはその、直後に地域課通信指令室へ配置転換を強要されたため、愛媛県人事委員会へ配置転換の取り消しを求める申し立てを行い、県人事委員会は仙波さんの申し立てを認め、配転を取り消した。しかし、県警はこの裁決に服さず、仙波さんが同時に起こした国賠訴訟で配転の正当性を主張し、争ってきた。県警は一貫して「(告発された)捜査費の不正流用はなかった」と表明している。
松山地裁は07年9月、「配置転換は、(裏金告発に対する)報復で行われたと推認され違法」と県に請求通り100万円の支払いを命じた。さらに08年9月30日、高松高裁は一審判決を支持し、控訴を棄却。県側は上告を断念し、10月9日に仙波さんの勝訴が確定した。
仙波さんが勝訴確定後に講演するのは初めてだった。
報道機関は判決や決定のニュースを伝えたが、それもつかの間、次から次に起こる新しいニュースに目を奪われ、まだ何一つ解決を見ていない「警察による組織的犯罪」の問題を掘り下げて伝えようとはしなかった。メディアが「市民の知る権利」にこたえ、「決定的に必要な事実を書く」という責務を果たすにはどうすべきかを探った。
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このシンポから5日後の08年10月21日、東氏が松山市内で心筋梗塞のため死亡した。東氏は心臓が悪く、シンポの当日も薬をのんで登壇していたと後で聞いた。09年3月31日、松山市の第一ホテルで偲ぶ会が開かれる。東氏の同志社での講演は、ジャーナリスト・東氏の遺言となった。東氏の冥福を祈り、東記者の遺志を受け継いでいきたい。
以下は、シンポの討論でコーディネーターを務めたメディア学科2回生の報告である。(浅野健一)
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仙波敏郎氏は基調講演のはじめに、直前の9月30日に高松高裁で県警側の控訴が棄却されたことを会場に集まった聴衆に報告した後、その損害賠償金100万円についての話から始めた。
仙波氏によると、それは県警の小さな一室で、2人の警察官によってこっそりと渡されようとしたらしい。そこで仙波氏が「県警察本部長室で県警本部長が直私に接謝罪をした上で渡すのが筋ではないか」と言って、その場での現金受け取りを拒否したところ、その警察官2人は、「それでは現金は拒否されたので供託します」と言い、現在その現金は法務局に渡っているという。「これが今の日本の警察の実情です」はっきりと強い語気で、仙波氏は述べた。
仙波氏はその後、自身の経歴を簡単に述べ、話は初めて裏金工作を迫られた時のことに移った。“組織のための金”、そのような名目で強要された裏金作りを断固として断り続けて、現在に至る。仙波氏が語った裏金問題告発の際の体験は、とても信じがたいものだった。何としても告発を防ぎたいがために、市民の命を守るはずの警察が仙波氏を抹消しようとしたこと、警察署内部での子どもじみたいじめ、それらに耐え、自身の正義を組織上部に通すまでに3年9カ月、1350日もかかった。現在、日本の警察官はそのほとんどが裏金に関わっている。しかし、現場の警察官はそれぞれの家族のためゆえ、仕方なく従っているにすぎない。罰すべきは上層部の管理職なのだ。
判決が出た後、若い警官に言われた言葉は、「おめでとうございます」ではなく「ありがとうございます」だった。その時、少しずつではあるが、改善の方向に向かっている警察組織の体制を実感したという。しかし、やはりこのままではこの悪い状況はしばらく続くだろう、自分一人だけでは“鉄のピラミッド”である警察組織を完全に崩すことはできない。警察官という仕事が大好きで、その職務に誇りを持っている。それは今でも決して変わることはない。だからこそ、その警察組織の腐敗した状況は見るに堪えないし、その中にいて非常につらいのだ。
あと半年で定年を迎えるが、仙波氏一人、“天下り先”がないという。「あれば紹介よろしくお願いします」そういった冗談で会場を笑わせながらも仙波氏の口調は重く、淡々と語りながらもしっかりとしていて、その中には揺るぎない、確かな信念、決意が感じられた。
仙波氏の裏金問題告発の話が一通り済んだ後、「仙波敏郎を支える会」会長の東氏からの補足説明があった。冒頭の仙波氏の話からもうかがえるように、今や警察組織は自らの過ちも認められない、自らを律することのできない組織になってしまっている。そこには、民主主義の欠陥を見てとれるという。裏金問題に関して、当然悪いのは警察幹部なのだが、裏金、つまり我々が納める税金による予算の使い道の最終決定権は各都道府県の知事に委ねられている。また、そのチェックを行っているのが各都道府県議会であり、それを監視しているのが、「知事や議会が選任する」監査委員のはずだ。言わずもがな、裏金問題は単に警察組織内部の問題だけに留まらないのだ。そこには、その極悪組織の暴走を見て見ぬふりをしている地方自治体と地方議会という“裏の闇組織”が存在すると東氏は指摘した。さらには、それらを監視すべきメディアがその役割を十分に全うできていないことも問題であるという。
休憩後、浅野教授も交えてのパネルディスカッションに移った。最初に、仙波氏から、より具体的な裏金作りの話がなされた。「警察組織での裏金作りは、俗に言うお役所や会社などにおけるそれとはすこし違う」。事件などの調査費用や旅費(これに関連した金が最も多いらしい)を、実際にかかった経費よりも多く請求し、口座から引き落とした段階で、なんとその約3分の2が幹部たちの懐に入るのだ。請求書などは事件の調査に関わった現場の警官だけでなく、関係した一般の人々にも書かせるため、その手法は巧妙だ。しかも現場の警官は、幹部によって削り取られた調査費で仕事にあたるため、その一部は実費で賄わなくてはならない。裏金の種類はこういった事件捜査にかかわるの調査費や旅費だけにとどまらず、署内の観葉植物代、ボーナス用経費など多岐に及び、説明しだしたらきりがない。「本当にずる賢い」と仙波氏は述べた。
こういった裏金工作は日常茶飯事で、その現場を目の当たりにした職員も大して驚かない。またやっているのか、そう思うだけだという。これでは現場の警官の意欲も損なわれてしまう、そう言い続けてきた。
続いて、東氏と浅野教授から、警察以外の組織での裏金作りの実態が語られた。政府やメディアにおいても、似たようなことは行われている。マスメディアが警察の裏金問題をなかなか暴けない理由の一つに、自らもそれに手を染めてしまっているから、ということが挙げられる。さらに、仙波氏の話によると、マスメディアはそういった問題をなかなか報道したがらず、それどころか、一組織と結びついてそこに情報をリークしたりもするという。現に、仙波氏の告発会見のことは地元の地方紙によって県警に洩らされていた。なぜ、権力を監視するはずのマスメディアが、そこまで堕落してしまっているのだろうか。その答えの一つに、記者クラブの存在がある。
周知の通り、記者クラブとは、日本新聞協会に加盟している報道機関のみが利用でき、官公庁の発表を直接取材する、世界でも日本特有の機関である。東氏によれば、私たちが日常触れているニュースの90%はこの記者クラブによって得られた情報で成り立っているらしい。この機関の存在が、メディアと官公庁の不正な結びつきを生んでいるということは以前からよく指摘されているのだが、ではなぜ、そんな記者クラブが現在に至るまで存続していられるのだろうか。東氏は、その理由の一つとして、その自治権を挙げた。東氏によると、記者クラブは自ら自治権を有しており、さらに記者会見を行えるのは記者クラブのみだ、といった取り決めをしているらしい。そういった状況下で、日本新聞協会に加盟していない報道機関が官公庁に取材に行っても、官公庁自身はそれに応対せず、記者クラブに話をつけるようにと、その責任を回避してしまう。こうして、現在日本では、記者クラブに加入できない報道機関、つまり日本新聞協会に加盟していないメディアは官公庁に取材ができないという状況が根づいてしまっているのだ。言い換えると、記者クラブによって、取材をすることができるジャーナリストが限られているのである。この危険性を指摘するのは浅野教授で、どんなに小さな報道機関でも、その一つ一つには確固としたジャーナリストがいる。それを日本新聞協会への加盟・不加盟で選別してしまっては、決して、多様な報道、知る権利を有する市民に向けた、本来あるべき民主主義的な報道は実現しない。
また、東氏は、このような記者クラブの主催する記者会見の場で官公庁が発表する情報は、当然、自身に有利なものになり、それをそのまま垂れ流しているメディアは、知らず知らずのうちに、彼らのピーアール機関になり下がってしまっていると述べた。つまり、いいように役所に使われていることに、メディア自身、気づいていないのだ。自身の理不尽さに気付かないこのようなメディアの状況は、見ていてとても惨めだという。
浅野教授は「メディアの研究者たちが、こういった問題に無関心であることも、記者クラブがなかなかなくならない理由の一つだ」と指摘した。また、そういった状況下で、私たち市民が、この現状をしっかりと認識することが必要だ、とも述べた。東氏も「市民一人一人が、メディアからの情報を鵜呑みにせず、何が信用できる事実なのか、またその本質は何なのかを、しっかりと見極める目を持つことが大切だ」と語った。
こうして、警察の裏金問題に始まり、現在我々の周りに存在する様々な不当な現実を改めて直視する場となった貴重なシンポジウムは、それらの現実に妥協を許さぬよう、我々市民一人一人が、監視役としての自らの役割を再確認しなければならないという認識のもと、聴衆の大きな拍手の中、幕を閉じた。
今回、こうして無事にシンポジウムを終えることができたのは、パネリストを務められた仙波さん・東さん・浅野教授ほか、浅野ゼミの学生の方々はじめ、たくさんの人々の協力があったからです。警察の裏金問題や日本の政府・メディアの問題についての知識を得られただけではなく、このシンポジウムの準備期間を通して、たくさんの貴重な経験をさせていただきました。その機会を与えて下さった浅野教授には、深く感謝しております。
また、準備段階はもちろん、シンポジウムが終了してからも、このような機会に不慣れな一学生である私に、真摯に対応していただき、精神的にも私を支えて下さった故・東玲治さんには、どんなに感謝してもしきれません。この場を借りて、感謝の意を述べさせていただくとともに、ご冥福をお祈りいたします。
●パネリスト紹介●
仙波敏郎(せんばとしろう)さん
1949年愛媛県生まれ。愛媛県警生活安全部地域課鉄道警察隊分隊長。1973年、その年の最年少者として24歳で巡査部長の昇任試験に合格。直後に配属された三島署で初めて上司からニセ領収書を書くことを要求されたが拒否。それ以降に配属された警察署でもことごとく拒否し続けたために30年以上も巡査部長より上に昇任することができなかった。2005年1月20日、現職警察官として初めて実名で警察の裏金問題を内部告発する記者会見を行った。会見から4日後、地域課通信司令室への配置転換を内示、27日付で異動。仙波氏は愛媛県人事委員会へ配置転換の取り消しを求める申し立てを行った。同委員会は翌年の06年6月7日「鉄道警察隊から通信司令室への配置転換は人事権の濫用に当たり、これを取り消す」という裁決を下した。
県警は06年、「(告発された)捜査費の不正流用はなかった」と発表。
仙波氏が損害賠償を求めた訴訟で、松山地裁は07年9月、「配置転換は、(裏金告発に対する)報復で行われたと推認され違法」と県に請求通り100万円の支払いを命ずる判決を出した。
さらに08年9月30日、高松高裁は一審判決を支持し、控訴を棄却。県側は上告を断念し、10月9日に仙波さんの証書が確定した。
県が控訴した控訴審(高松高裁)の判決は9月末に出る予定だ。
東玲治(ひがしれいじ)さん
1948年,東温市生まれ。の08年10月21日、東氏が松山市内で心筋梗塞のため死亡した松山東高校を経て松山商科大学(現・松山大学)経済学部を卒業。サンケイ新聞(現・産経新聞)大阪本社記者となり、高松、松山支局などを経て、本社社会部などで勤務。その後、希望して松山支局勤務となったが、1988年に故あって退社。月刊誌を興し、2005年まで取材活動を続けたが、同年3月末に廃刊した。その直前に仙波氏と出会い、同じ高校の同期生であり、告発を考えていることを知り、行きがかりから告発を支援する組織の立ち上げに関わることとなる。現在、支援組織「仙波敏郎さんを支える会」世話人のひとりだった。
(以上)
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掲載日:2009年1月25日 |
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