Asano Seminar:Doshisha University
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浅野健一ゼミ報告
教育GP in 東京
2010年1月15・16日

報告(PDF)をダウンロード

 同志社大学社会学部メディア学科・浅野健一ゼミは、教育GPの一環として2010年1月15、16日に東京討論会を行った。これはその報告書である。

 討論会の簡単な報告は社会学部のGP関係のHPにアップされている。
 http://ssgp.doshisha.ac.jp/



浅野ゼミ「教育GP in 東京'09年度」の大きなイメージを見る 目次

1.上杉隆さんインタビュー

2.早稲田大学法学部・水島朝穂先生のゼミと討論会

3.共同通信社見学報告

4.1月15日のメディア関係者との交流会について

5.朝鮮大学校と討論会
 i. 交流会概要
 ii. 共同研究の質疑応答
 iii. 質疑応答、補足
 iv. 韓国人留学生から見た朝鮮大学校

6.感想

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


1.上杉隆さんインタビュー


2010年1月15日(金) 11:40~12:50
於:同志社大学東京オフィス・小セミナー室
聞き手:松野穂波(2年生)

【略歴】
上杉隆(うえすぎ・たかし)さん。1968年生まれ。NHK報道局勤務、 鳩山邦夫衆院議員の公設秘書、ニューヨークタイムズ東京支局取材記者を経て02年からフリーランスジャーナリストとして活動。08年に出版した『ジャーナリズム崩壊』(幻冬社新書)で記者クラブ制度を全面批判。鳩山政権発足後も、記者会見の全面公開などを求めて精力的に発言。


教育GP 上杉隆さんインタビュー
2010年1月15日(金) 11:40~12:50 於:同志社大学東京オフィス

松野:
私たちは「新聞は生き残れるか」というテーマで共同研究をしています。新聞が生き残るためにはどうすればいいと思いますか。率直な意見をお聞かせください。
上杉:
現在のままのビジネスモデルでは、生き残れないと思う。編集や経営も含めた体質に関わることだが、世界の中で日本だけが“記者クラブ”という制度を持ち、それに守られている。そして見逃されがちだが、経営と編集が分離されていないのも日本の新聞の特徴だ。
 日本特派員協会(FCCJ)で、ハイチ大使の記者会見に行ってきて、それをTwitterで実況(ツイット)したのだが、基本的には日本の会見では、情報を発信することすら認められない。たとえば一昨日、総務大臣の政務三役会議等に出て、私がPCを使って、Twitterで会見を実況していると、記者クラブの人たちが来て、「これは記者会見が終わった後に協定で一斉に(会見の様子を表に)出す」、ということを言ってくる。そういうルールは記者クラブ側のルールであり、私は記者クラブに入っていないので、そうしたルールを守る必要はないということで勝手にやっている。
 話が細かくなったが、大きく言えば編集と経営が分かれていない。新聞がどうして生き残れないのかというと、現在の日本における、記者クラブを中心としたシステムを維持している以上は、ガラパゴス化して、気づいたら(日本だけが)取り残されているという事態になるからだ。
 具体的に2点だけ言うと、まず、経営と編集については、私がNew York Times (NYT) にいるときに、こんなことがあった。サルツバーガーJrというNYT4代目オーナーの学生時代からの親友がテネシー川のダム開発会社の社長だったのだが、NYTがその会社の取材に動いていた。たまたま年頭か何かのパーティーをNYT本社でやっていたときに、編集局の幹部や記者たちを集めて、経営と編集は、普段は触れあわないのだが、慰労するという形でサルツバーガーが(社員を)集めた。その時に、その記事を追っていることに対してサルツバーガーは「諸君は頑張っている。本当にタイムズのジャーナリズムを守るために、日々努力していることに感謝したい。やっていただくのはありがたい。最近は私の大学の親友の会社にまでいろいろ取材をしているようだが」と言及した。実はダムの会社はサルツバーガーの仲の良い親友の会社だった。そのように冗談で(サルツバーガーが)言ったら、次の日に編集主幹レインズのもとに記者がほとんど全員辞表を持ってきて、「我々編集側に対して経営から圧力をかけられた。サルツバーガーが社主に謝るか、もしくは訂正するか、それでもなおかつ編集へ介入を続けるのなら、辞める」ということになった。これはNYTでは普通の感覚なのですが、日本ではこういうことはまず出来ない。たとえば読売新聞では、政治部の記者が取材対象の政治家に少し厳しい記事を書くとする。すると、ある日突然、自分の上司であるデスクやキャップに会社の上層部から電話がかかってきて、「君のところの若い○○っていう記者、ちょっと調子に乗りすぎてはいないか。あまり政治家に迷惑をかけないように」と、会社内部から圧力がかかる。たとえば読売グループの渡辺恒雄さんが何も言わなくても、周りの経営陣が「この記事は怒るんじゃないか」と判断した段階で、自ら部下たちに「そういう記事を書かないように。上が怒っているぞ」と自主規制させるのだ。
 この例ひとつを見ても、システムとして海外と日本では全く違う。そして今なぜ日本の新聞システムはもたないのかというと、現在日本のシステムを作っているのが旧態依然とした記者クラブだからだ。記者クラブメディアが、日本の場合、出世していくと、記者出身の人たちが経営に入る。これが最大の問題だ。ラインが一本化することで自分の部下たちに非常に圧力がかけやすい。ところが海外では経営と編集が分離されている。これは普段の仕事だけではなく、立場としても分離されている。シェリル・ウーダンという同僚の特派員がいて、彼女はピューリッツアー賞も取っている非常に優秀な記者だが、子供も生まれ、そろそろ海外ではなくニューヨークで働きたいと思い始めた。記者職から離れ、NYTの経営陣に入りたいと思うようになった。日本では優秀な記者はそのまま経営に入るようなのだが、NYTでは「じゃあ辞めてくれ」となる。シェリルは一旦NYTを辞めて、大学に通ってMBA(経営修士)を取って、もう一度NYTに再就職することになった。これは、記者と経営は別物と考えているから自然なことだが、日本では100%有り得ない話だ。極端な例だが、相撲をしていた人が引退後、同じスポーツだからといって野球球団の経営者になるのと同じぐらい、職種が違うと考えられている。そして経営と編集が分離されラインが違うから、圧力をかけにくいとされている。
 これがどうして新聞の生き残りに関わるかと言うと、NYTをはじめ、世界のジャーナリズムの頂点、要するに記者たちの頂点というものは、いい記事を書くことが第一条件なのだが、その先のポストを考えると、社内では編集主幹やコラムニスト、社外ではフリーランスなどを目指すことになる。しかし日本では、社長とか部長とか、ジャーナリズムとは関係のないところにいってしまう。これがまずおかしい。もうひとつは役所のような感じで、(日本の新聞社は)非常に人数が多い。記者は3000~4000人必要で、その中から経営に回したり別の部署に回したりしている。しかし海外では記者300人ぐらいでやっていける。会社の中で上がっていくのではなく、優秀な記者は外へ出るからだ。しかし日本の場合は記者3000~4000人を終身雇用でやっていくので、非常に図体の大きい新聞社になってしまう。そして最後に、日本の新聞記者は、海外の記者と違い、通信社のようなワイヤーサービスもやっている。いわゆるストレートニュースですが、事件が発生したら追っかけて行って伝える。政治取材で言えば、総理が1日に何をしました、何を食べました、そこまで全部追いかけるのは通信社の記者で、新聞社の記者とは種別が違う。何か事件が起これば、それが伝えるに値するかどうかを判断して、取材して検証し、調査し、自分の主観も入れながら署名で書くのが、海外で言う新聞記者の仕事だ。そしてストレートニュース、APやロイターの記者たちは、ほとんど署名はなく、いわゆる発表ものも含めて全部書く。つまり、欧米では記者の仕事が、二層になっていて、アメリカではさっきも言ったように、頂点がフリーランス、その下に新聞記者、さらに大きい下層で通信記者がいる。通信記者は若くて、これから新聞記者を目指す人などが多くて、比較的給料も安い。新聞記者は、自分の署名で書くので、スター記者もいるが、長い記事を書くことと、深い取材経験を要求される。通信記者の多くは、新聞記者になるために日々努力している。逆に新聞記者でも役に立たないと判断された人は通信記者に下ろされる。通信記事の方が得意な人が自ら移っていくという場合もあるが。その後どうなるかというと、NYTでは、自分たちの記事は署名で書き、自分たちでは追えない記事だと、AP通信の誰誰によると、ロイター通信の誰誰によると、と堂々と署名を載せる。時にはNYTなのに、ワシントンポストなどのライバル紙の記事を引用したりする。通信業務はワイヤーサービス、ストレートニュースはほとんど外部にアウトソーシングすると、新聞記者だけを雇えばよく、NYT記者が全世界に300人ぐらいで大丈夫だということになる。ところが日本のように各支局記者クラブに1人配置して、抜かれたら嫌だと思ってやっていると、3000人4000人の記者を抱えなくちゃいけない。
 だから、新聞が生き残るかどうかという問題は、つまり通信記者と新聞記者を分業し、編集と経営を分離すれば、単純に人件費を削減できる。朝日新聞は今4000人いるが、極端な話、「朝日新聞通信社」というものを作り、2700人ぐらい入れて、300人を新聞記者として残す。そしてJリーグのように、だめな記者を入れ替え制で通信社に下げるということをやっていけば、人件費は抑えられる。場合によっては通信社の方をどんどん解雇していくという新しいビジネスモデルができれば、非常にスリム化もでき、組織として残る可能性がある。新聞が生き残るかと言うと、2つのシステムを変えれば、十分可能だということです。
松野:
次に、現在の記者クラブ制度は、クラブに入っていない人に対してはすごく閉鎖的ですが、誰に対してもオープンに、ストレートニュースを伝えてくれる場としての“記者クラブ”ならばあった方がいいと思いますか。
上杉:
記者クラブ自体に入ることに一切興味はない。勝手にやっていれば、という感じ。私自身がずっと言っているのは、記者クラブに入りたいとかではなく、記者会見など、公権力に対するアクセス権をオープンにしろということだ。正直言って、無意味な今の記者クラブなんて、あってもなくてもどうでもいい。検察庁から検察庁の記者クラブにリークされた情報をそのまま報じることは、新聞記者でなくても誰でもできる。たとえば今の時代は、インターネットを使えば記者会見を動画で見られる。役人の方がむしろ積極的に公開したいと考えている。当然ですよね、情報公開、国民の知る権利が叫ばれるこの時代では。
 そうすると、記者クラブ自体の意味とは何か。記者クラブ自体の意味を論ずれば、この本を出した時(一昨年)は、まだここまでネットメディアや政権交代はなかったのですが、それ自体にはあまり重きを置いていなかった。むしろ世界中がやっているように、アクセス権を公平にどの国民、どのジャーナリストにも与えること(に重きを置いていた)。民間の任意の団体である“記者クラブ”という特殊なシステムというか団体が、独占的に権力へのアクセス権を持ち、記者室あるいは記者会見の主催権を持つということは、世界的にも例がなくて、同業者が同業者を選定するというのは、どんなに説明しても海外特派員にはわからない。日本だと、日本人はみんな洗脳されていると私は言っているのですが、この制度しか見たことがないので、これがジャーナリズムだと、これが新聞・テレビだと思っているのですが、実は世界中で笑われている。昨日も特派員協会に行ってきて、記者クラブの話になった。
 今年の1月8日に『人民日報』に記者クラブをおちょくるような記事が出て、いよいよ人民日報に書かれたのか、と。日本の記者たちは、自分たちの新聞・テレビが非常に洗練されていると思っている。『ジャーナリズム崩壊』はアメリカ(の視点)から書かれていると言われているのですが、実はアメリカ、欧米、中南米、東南アジア、中東など世界中すべてのジャーナリストに対して日本は遅れている。しかもついにあれだけ閉鎖的でジャーナリズムに厳しいと言われていた中国の、しかも『人民日報』という新聞のコラムで大きく扱われて、海外メディアの支局が日本から撤退している。『TIME』が抜けて『NEWSWEEK』が抜けて、『人民日報』が抜ける。その代わり、海外支局は中国に移っている。その理由はいろいろある。財源上の理由も多々ある。その他に中国の国力が東アジアにおいては日本より大きいので、取材の対象として興味があるという理由もある。しかし最大の理由は、記者クラブだ。日本には記者クラブという制度があり、取材しにくいので、記者クラブのない中国の方が取材しやすいから、中国に多くの海外メディアが来ているというのが人民日報の記事の趣旨だ。そんなことないだろう、中国なんてあんなに取材しにくいのに、と日本人記者は言う。だが、そう思うんだったら世界中から集まっている特派員に誰でもいいから聞いてみなさい。異口同音に言うのは、中国の方がアクセス権は公平にある。その後の取材については別だが、少なくともアクセス権は公平だ。だから、『人民日報』の記事は間違っていない。要するに、そういう状態なのだ。
 これは鳩山由紀夫総理にも伝えていますが、とにかく記者会見を開放しないと、日本全体のマイナスになる。というのは、海外支局がどんどん撤退しているということは、日本からのニュースがほとんど発信されないということにつながるのです。たとえばマイナス25%CO2削減を唱えてみても、それを報じるメディアがなければ、国内だけですごいって言っているだけで、実は海外には全く伝わらないという状況をさらに作り出す。だから「とにかく東京支局の撤退を食い止めないとまずい。100年以上の歴史のあるアメリカ三大紙にも動きがある。戦時中ですら通信員を置いて、日本からアジアの状況を報じつづけてきたのに、人も金も労力も時間もかかる支局を撤退するということは、本当にまずいですよ」と言ったら鳩山官邸は、「だって上杉君、それは本社の財務状況でしょう」と言う。だが、「本社の財務状況が理由なら、なんで中国に新設するんですか。それにもっと残念なことに、じゃあなんでソウルにみんな設けるんですか。国力で見たら、確かに中国はわかるが、韓国は日本より小さいのに」。すると、(鳩山総理は)「なんで」と(言った)。それは直接聞いてもらえればいいが、記者クラブが原因だ。50年も60年も取材させろと言っているのに、全世界で記者会見はオープンになっているのに、日本だけがおかしい。世界中のどこでも、権力に対してジャーナリズムが一致団結して「記者会見を開け」「情報を公開しろ」「国民の知る権利に答えろ」と言うのに、G8にもOECDにも入っていて、民主主義国家と言われている日本に特派員が派遣されるとみんな驚くのは、政治家は記者会見にどうぞおいでくださいというのに、同業者の記者たちが入れなくする。特派員たちは意味がわからず混乱してしまう。こういう制度があるのが日本なんです。記者クラブを開放する、しないというレベルではなくて、アクセス権を認めないと国全体の利益に関わる、国民の知る権利を毀損しているということです。
 また、OECDは2002年、2003年に記者会見の開放を求め、EUはEC時代から委員会で決議をして、記者会見を開きなさいと言い、国境なき記者団も毎年通告している。私が元所属していたFCCJ(日本外国特派員協会)は、年に2回、30年以上にもわたって計60回、記者クラブは国民の知る権利、ジャーナリズムを毀損する制度なので、直ちに開けなさいという決議を日本政府および日本新聞協会に送っているのですが、まったくそれは反映されていないという状況だ。日本人は、日本の新聞・テレビは優秀なテレビだと思っているが、世界中のジャーナリストたちは、日本にはジャーナリズムはなく、あるとすればフリーや雑誌記者が同業者で、新聞やテレビの記者たちは、役所の広報だという認識を持っている、ということです。
松野:
日本の新聞で記者クラブと並ぶ大きな問題として、押し紙問題というのがあると思います。実際これだけ新聞の危機が叫ばれているのに、日本新聞協会が発行している雑誌を使って新聞の発行部数などを調べてグラフ化すると、ほとんど横ばいになっていて、表に出ている情報から危機は読み取れない。この裏には押し紙問題があると私たちは考えているのですが、押し紙制度についてはどう思われますか。
上杉:
押し紙制度に関しては、私自身があまり取材していないので、外形的なことを申し上げますが、これも記者クラブ問題と絡んでいると思います。記者クラブ開放に関しては、読売新聞が一番抵抗が大きい。それはなぜかと何人かの読売新聞記者に聞いたところ、社の意思として記者クラブ開放は許せない。それは、雑誌やフリーランスの記者が会見に入ってきて、この押し紙問題を追及したり、再販制度をやったりしたら(制度が)もたないからだ。なぜならば、押し紙や再販制度というのは制度自体が非常に不正であり、場合によっては法律違反だからだ。新聞自身は、正しいことを伝えるというのがその使命だとされているのに、自らの体質、いわゆる発行部数を水増ししたということがわかると、その信憑性も疑われます。そもそも本来ならば新聞の場合、販売部数で広告の値段が決まったりするのに、その部数を間引くというのは・・・。テレビだとCMの間引き問題があったが、同じようなことが毎日行われている。経営が嘘をついている。だから、新聞全体の信頼性にもとる。
 大分前ですが、2001年にNYTでこういう問題に対してキャンペーンを張った。大きい記事で4回にわたって報じた。その第2回には実は浅野先生にも登場してもらった。そのときに、押し紙問題についても話題になって、仮にこういうことがアメリカで同じことが起きたらどうなんだ、NYTが発行部数をごまかしたら、と尋ねると、支局長は「即倒産だろう」、とたった一言の回答でした。論外です。もし発見されたら倒産だし、「どうして、隠さないのか」と聞くと、「隠すも何も、記者たちが自分たちが働いているNYTという会社がそういうことをしていたら、自ら取材する。NYTでNYTはこんな汚いことをやっているというキャンペーンを張るだろう。そんなに取材しやすいことはない。目の前で行われているのだから」と言う。こう言われて「あ、そうか」と思うのが全世界の人たちで、日本人だけは、「自分たちの新聞が自分たちを批判できるわけがない」と考える。しかしNYTは読めばわかるが、毎日NYTの批判記事を載せている。時々キャンペーンを張るのは、NYTの記事に対して誤報があると、記者が前の記事に対して反論して、NYTの記者同士が議論し合う。名前も顔も出して。
 有名なジェイソン・ブレアのねつ造事件がある。NYTは1面トップで「NYTはなぜジェイソン・ブレアの存在を許したか」という報道をした。2週間にわたって、ずっと大きな記事で報道し続けた。そこに至るまでに、一線級の記者の中から8人を引き抜いて、自分の会社の追及取材をさせた。その取材結果を記事にする。それは、読者こそ自分たちのスポンサーだという認識があって、その読者に対して事実を知らせるのは当然だから。押し紙問題も、仮に海外でやったらその新聞社は倒産するだろうし、そういう不正をジャーナリズム側の記者たちが許さない、ということです。
松野:
今、上杉さんはフリーランスとして活動されていると思うのですが、フリーとして活動していてよかったと思うこと、また逆に、NHKやNYT時代によかったと思うことを教えてください。
上杉:
そうですね。フリーランスとして活動していてよかったと思うのは、こうやって好き勝手なことを言っても誰にも咎められないことです。そして何より、ストレスが溜まらないこと。朝から晩まで働いているし、昨日も急きょ名古屋に言ってきて小沢さんの取材をしたり、大臣会見や総理補佐官に会い、ハイチ大使が記者会見をするというから特派員協会に行ったり…その時々に決められているのではなく、自分がしたいと思う仕事、興味がある仕事ができることです。
 NHKの時代は、基本的には1カ月ぐらいしか外にいませんでした。その後2年間は内勤で、経歴詐称とか言われているんですが、おはよう日本やモーニングワイドにいたのですが、いろいろ学ぶことはあったのですが、歯車のひとつになってしまうので、おもしろくなかった。海外のメディアはおもしろいんだろうなと漠然とおもっていたのですが、NHKは自分の自由がない。通信社記者の扱いをされて、あそこ行ってこい、ここ行ってこい、とストレートニュースを追いかけさせられる。自分の意思がないんです。ジャーナリストなのに。マシーンのように意思を持つより動け、疑問を持つな、という感じでした。とにかく尺を埋めればいいんだ、という考えで。もちろんそれがいいという人もいるでしょうが、私自身は性格上合わないので、まったくおもしろくなかった。ただ安定したお金は入ってきます。当時記者職で手当てが全部ついて年収600万ぐらいだったかな。安定を求める人はそっちの方がいいだろうが、役所と同じ。
 NYTに入ったのは、(海外では)新聞記者って自分の好きな仕事ができるんです。これに興味があるんだけどって。上から指図されることはほとんどないです。たまにありますが、「日本の文化についてキャンペーン張るから」とか、切り口は全部任されるんです。それでポケモンをやって、ポケモンが1面に載る。あとは、ポップカルチャーやりましょうと言われて、ガジェット関連を扱ったり、日本に変なタレントいないか、と言われて、歌も歌えない、演技もできない、面白くもない、なんでこの人が人気あるの?と思ったので叶姉妹にインタビューした。今で言うパリスヒルトンのようなものだろうが、変なアンドロイドみたいなイメージでやったら、叶姉妹は怒っていたらしい(笑)。もともとお金持ちではないし、セレブでもなんでもないんです。そういうのも調べて、「姉妹じゃないんでしょ?」って聞くと、「それが何か問題があるんですか」って。「別に問題はないけど、叶姉妹って言っているから姉妹なのかなって思っただけですが」「それが何か問題があるんですか」(笑)。まあそうしたことを載せたわけです。そういう意味で、自由にできます。
 その代わり、給料は、私の場合は最小の年200万ぐらいです。電車賃・交通費・取材費込みで契約したが、これでは家賃もないし生活できない、と言ったら、土日は完全に休み、夜も10時以降はフリーランスの仕事をしていい、というように契約していくんです。そして特派員の上の方になると、年収1億だとか、そこには家の家賃、家族用の庭付きや家の広さなどすべて契約していきます。また1年に4回はアメリカに帰り、ファーストクラスの往復チケット、家族は2回分のビジネスクラス、とかすべて契約する。ところが次の年に契約更新があって、代理人を連れていく記者もいる。僕は普通にふらっと行ったら、支局長やマネージャーが来て、去年タカシはこういう仕事をした、ここはプラスだろう、しかしここはいなかったからマイナスだ、と言って交渉していく。1年目は言いなりだけど、2年目からは、自分がどれだけ頑張ったか、こんなスクープを取ったなどアピールして、年収をつり上げる。そういう交渉をしてあがって行ったりするが、去年1億だからといって次の年も1億もらえるとは限らない。1年ごとの仕事の出来高だから。どんなに優秀な記者で、ピューリッツアー賞などを取っていても同じ。
 ローゼンバーグという優秀な記者がいたのだが、ある日突然勧告をくらって、レインズという編集主幹から「このところあなたの記事はよくない」と言われる。ローゼンバーグは当時70歳くらいで、スター記者だったが、「3か月以内に改善されなかったら解雇する」と言われて、そのまま解雇された。日々勝負だから、日本の記者のようにちょっと失敗してもまあ会社が守ってくれるだろうなんて甘い考え方はなくて、毎日が真剣勝負です。つまんない記事を書くことはないし、とにかく自分が書きたい記事を書く。そういう意味で、アメリカでは記者全体がフリーランスの感覚に近い。全世界の新聞記者も同じ。同時に彼らが日本なら雑誌記者が近いというのも、そういう理由です。だから、日本で海外の新聞記者ってどういう感じか知りたかったら、雑誌記者を想像するのが一番早い。また通信記者ならば、日本の新聞記者に近い感じです。私自身はフリーランスが一番気楽です。いつやめてもいいし、半分ゴルフしていてもいいし、会社から怒られることもないから。媒体もないと思っていたけど、いまやツイッターやブログもあるから。
松野:
記者として働く上で大切なことと、学生時代にやっておいた方がいいことを教えてください。
上杉:
学生時代にしかできないことっていうのは実は社会人になってからしかわからないものなんです。僕は高校生のときに毎日渋谷で働いていたので、社会人に半分足突っ込んでいたんです。中学のときも年齢ごまかして新宿でバイトしていた。高校のときは働きながらたまに高校に行っている感じだった(笑)。そうすると、学生時代にやった方がいいことっていうのが大学に入ったときにわかった。そこでまずやったのが旅行です。行きたくても、今はフリーランスだから結構行っているが、こういう立場でないと行きにくい。旅行といっても、観光旅行というのではなくて、学生時代にしか見れないものを見るべき。僕は英文学科だったけど、まずは日本国内を旅行した。海外の人間って自分の国のことをよく知っている。向こうも日本のことを知りたいのに、実は日本のことをよく知らないことに気づいて、まず海外に出る前に日本だろうと思って、学生時代に古いタウンエースというトヨタの車を2万6千円ぐらいで買って、そこに布団を積んで、友達を誘って、日本一周しよう、少なくとも1泊ずつしよう、と計画した。実際行くと、お金がないから、夕方に温泉でも見つけておいて温泉に入って、夜は近くの公園や駐車場でじゃんけんに勝った人が布団で寝て、次に勝った人が2列目、負けた人が警備も含めて運転席で寝る、それで全国を周っていた。途中からメンバーも変わって、私だけ一貫して続けていたのだが、沖縄とか北海道はおもしろいから1カ月いたり、そこでいろんな人と知り合って話したり、夜は駐車場を探す前に話を聞いて回って「そこは危ないからだめだよ」とか情報を聞いたり、夜は居酒屋とか食堂に入って、何がおいしいかわからないから、「何がおいしいですか」って店の人や隣のお客さんに聞いたりしていた。その中には家に泊めてくれた人もいた。車で行ったから土地勘もついて、沖縄とか鹿児島とか宮崎、岩手だとかぱっと言われたら、ああ、あそこね、って取材で非常に役立つことがある。日本地理の大体の感覚をそれによって養えた。まず旅行。このおかげで旅行に行きすぎて、2年間ほど浪人しましたが(笑)。
 あと、読書でしょうね。社会人になると読む時間がないから、読めるなら学生時代に読んでおいたほうがいい。僕は古典ばかり読んでいました。岩波文庫の白、赤、青、黄色ってありますが、これ全部読んでやろうって気になって、暇さえあれば読んでいた。働いてるか、遊んでるか、本読んでるか、という感じですね。何がよかったかっていうと、基礎的な学力が無意識のうちにつきます。哲学だろうがなんだろうが。ぱっと話題を振られても、大体はわかる。細かい流れは覚えていなくても、一回読んでいるから。今の職業の基礎になる。読んでいるときは苦痛なんですよ、つまんないなって。でも1冊1冊読んでいくと、今度はそれが達成感みたいになっていった。
 あとは、自分がやりたいと思ったことはやった方がいい。学生だと失敗も結構許されるから。法律を犯したらまずいけど、自分の失敗っていうのは結構許される。わからないことを聞いても、学生だったらしょうがないってなるし、トライしてみようとして、失敗して怒られても、基本的には許される時代。大人になってからすると捕まるようなことであっても、学生時代にやっておいた方がいい。恋愛だって、当時好きだった女の子に、言おうか言わないか。言うか言わないかだったら言えるってことじゃないですか。言ってそこで自爆したとしても、もし言わなかったら、おじいちゃんになって同窓会かなんかで「実はあんたのこと好きだったんじゃ」「私も好きだったのよ!」なんてなったらすごく後悔する。だったら言っておいた方がいい。そういう意味では、学生時代は失敗も許されるし、後悔するよりもやっておいた方がいいです。…全然勉強しろって言っていませんね(笑)。勉強はあとからでも出来ます。大学の勉強の一般教養なんかは、やりたい人がやればいい。専門課程は、浅野先生しか知らないこととか、体験していないこととかはたくさんあるので、それは今のうちに知っておいた方がいいです。いわゆる日本的なお勉強っていうのはいつでもできます。そのへんの優先順位は学生時代につけておくといいですね。
松野:
ありがとうございました。


2.早稲田大学法学部・水島朝穂ゼミと討論会
【水島朝穂(みずしま・あさほ)先生略歴 1953年4月3日、東京都府中市生まれ。早稲田大学教授。専門は憲法学、法政策論、平和論。浦田賢治(早稲田大学名誉教授)門下。博士(法学)(早稲田大学、1997年)。平和主義、日本国憲法第9条を中心に研究を行う。NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」レギュラー(1997~)。
 著書に『ベルリン・ヒロシマ通り――平和憲法を考える旅』(中国新聞出版部、1994年)『現代軍事法制の研究――脱軍事化への道程』(日本評論社、1995年)『武力なき平和――日本国憲法の構想力』(岩波書店、1997年)『この国は「国連の戦争」に参加するのか――新ガイドライン・周辺事態法批判』(高文研, 1999年)『同時代への直言――周辺事態法から有事法制まで』(高文研, 2003年)『憲法「私」論――みんなで考える前にひとりひとりが考えよう』(小学館、2006年)。 編著 『ヒロシマと憲法』(法律文化社, 1990年/新版, 1994年/第3版, 1997年/第4版, 2003年)『きみはサンダーバードを知っているか』(日本評論社)『知らないと危ない「有事法制」』(現代人文社, 2002年)『世界の「有事法制」を診る』(法律文化社, 2003年)『改憲論を診る』(法律文化社, 2005年)。著書・共著は合計80冊以上(分担執筆書を含む)。論文、評論、書評、新聞連載、エッセー等多数。】

 1月15日午後1時から3時まで、東京都新宿区西早稲田の早稲田大学早稲田キャンパス10号館301教室で、早稲田大学法学部・水島朝穂教授(憲法、平和学)のゼミと討論会を行った。
 浅野ゼミからは20名、水島ゼミからは水島教授と7名のゼミ学生(3・4年生)が参加した。

水島朝穂・早稲田大学法学部教授のゼミ生との交流会
――2010年1月15日 浅野ゼミ「教育GP」東京討論会にて

文責:生田楓

水島先生:
今日は私のゼミの13期と12期のそれぞれ執行部のメンバー中心に来ていますどうぞよろしくお願いします。
浅野健一先生:
同志社大学の浅野ゼミです。今日は2年生浅野ゼミ(基礎ゼミ)の共同研究「新聞に未来はあるか」について発表させてもらい、そのあとみんなでディスカッションしていきたいと思います。また、水島先生からもいろいろ教えていただきたい。では2年生の担当者が発表します。
山本美菜子:
本日はお忙しいところありがとうございます。共同研究の研究委員長をしている山本です。私たちは現在、日本や、特に米国などの外国でも新聞離れが進んでいるということで、若者である私たちがどういうことを考えられるのか、何ができるのかということを発点として「新聞に未来はあるのか」という研究を始めました。
 新聞に求められているジャーナリズム性、新聞の言論機関としての重要性について分析するA班と、新聞と読者の関係や、その経営や、外国の新聞との比較などジャーナリズム性に限らず新聞を取り巻く諸状況に関して分析するB班の2つに分かれて研究を進めています。まずは新聞の言論機関としての重要性について分析しているA班の発表をゼミ長である山田侑毅が行います。
山田侑毅:
ゼミ長の山田です。A班は理想的な新聞紙面とは何なのか、新聞は新聞としての役割を果たしているのだろうか、という疑問点を考えてみました。これを考える上で、新聞とはそもそも何なのか、新聞のあるべき姿とは何なのかを6つの観点から考えてみました。
 資料にはそれらを載せていますが、時間が限られていますので、そのうちの「対立意識の表現形態としての新聞」についてのみ詳しく記載させていただきました。対立意識の表現形態とは、新聞学の古典的名著、長谷川如是閑の言葉です。ある新聞=ある群意識は自分の立場、主義主張を載せるものであり、また別の新聞が自己の主義主張を載せる。それを見て自分たちはまた考えるそして反応する。そしてそれは同時に自分たちの考えを再認識することである。明治時代の新聞はまさにこのような意見を前面に押し出す新聞ということでありました。それはより高度な議論だと私は考えました。
 このような自己の立場を明確に表現する新聞が意見をぶつけ合うことにより、読者は読みごたえを感じるのではないかと思います。これは京都大学・佐藤卓己準教授の言葉で言う「輿論形成」ではないかと私は考えました。しかし、資料の「新聞の輿論と世論」のところで提起しているとおり、やはり今の新聞は社会の木鐸として輿論を作り上げるというよりは、“世論”形成つまり空気のように流されやすく中身のないものを作り上げているのではないでしょうか。
 水島先生の2008年10月24日の「新聞を読んで」に書いてありました「新聞と総理大臣の一日」という記事を読ませていただきましたが、水島先生のおっしゃる通り麻生総理のいろんな行動を煽る記事などそれはまさにどうでもいいことだと私は思いました。その記事には何の意味もなく他に伝えるべきことは山のようにあります。ただそれは読者の興味を引きやすくわかりやすいものであり、新聞の格好のニュースではあるかも知れません。
 またニューヨーク市立大学の霍見芳浩教授は、「日本の新聞はどれを読んでも同じで、記者クラブの問題が大きい」と話していました。記者クラブは新聞の機能を大きく阻害していると私たちも考えています。水島先生は新聞の読み比べをなさっているので新聞の特色を知ることができると思いますが、ニューヨーク市立大学の教授でさえどれも同じだと感じるようなら、私たち一般の人が、新聞はどれも同じだと感じるのも仕方ないのではないでしょうか。そうなると、やはり個々の新聞がそれぞれの主張を明確にする必要があると思います。
 また社会の木鐸であるべき新聞の倫理性が崩壊していると考えられる押し紙の問題も調べてみました。しかし押し紙については記者の方々もなかなかお話ししていただけず、話さない、話せないという事実から押し紙問題が本当に新聞の暗部であるということが窺がえます。社会の木鐸であるためにはそのような不正はあってはなりません。新聞の良し悪しや権威、影響力が発行部数と比例するわけではないことは、1000万部を謳う読売新聞と、100万部程度のニューヨークタイムズを比べれば明らかなことです。新聞は質の向上、言論性、ニュースではなくオピニオンを売るという明治時代に栄えた元気な新聞の姿をもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。以上でA班の発表を終わります。
山本:
ではB班に移ります。新聞と読者の関係性について、経営基盤やオンラインジャーナリズムなど新聞を取り巻くいろいろな問題に関していくつかの角度から調べました。まず日本の新聞社の経営基盤や経営状況を見ても、私たちがそれらを調べるときは日本新聞協会が編集発行している『新聞研究』などの雑誌を使いますが、基本的には発行部数や普及度の調査、記者の世代別構成などといったデータはそこでしか知ることができません。それらのデータから読み取れることは、米国で地方紙がつぶれたりしている新聞危機と並べて語るには日本の新聞の状況はあまりにも違いすぎるということです。つまり先ほど申し上げた押し紙の問題が絡んでいるせいで、新聞協会が出しているデータからでは新聞が衰退しているということがあまり読み取れないのです。日刊紙の発行部数や普及度、新聞社総売上高推計調査、日本の広告費、新聞販売店の従業員総数調査などのデータを見ても、従業員数や販売店数は減少しているものの下げ幅は非常に小さく、ジャーナリズムに携わる記者たちがそういった(危機的)状況をオープンにしようとしない姿勢が見え、私たちは疑問を感じました。
 また新聞離れが特に進んでいるのは若者の世代ですが、記者の世代別構成の調査を見ると不景気のせいか若い世代の記者が減っていて、メディアがネットなど多様化しているにもかかわらず、若い記者がどんどん減っている状況でこのまま新聞の危機を迎えていいのだろうかと危機感を持ちました。また世界の新聞社の経営状況についても調べてみました。おもに米国の新聞産業の急速な衰退にスポットを当てていますが、対照的にインドや中国など新興国でのめざましい発行部数の伸びや新聞産業の発展についても世界新聞協会のデータから調査しています。米国の新聞産業の衰退は60年代後半にすでに始まっていましたが、当時は地方紙が安定しており、夕刊が読まれなくても朝刊は伸びていて衰退といっても騒ぐほどのものではありませんでした。現在、米国の新聞社では記者から人員削減をして新聞の値上げ、ページ数を減らすなどしています。2007年には2400人、2008年には5900人の新聞記者がリストラされました。この数字は各新聞社で数百人しか記者のいない米国では新聞社がかなりの危機に直面していることを表しています。
 また、新聞の衰退や人々の情報との関わり方に大きく影響を与えているオンラインジャーナリズムについても調べました。オンラインジャーナリズムと一口に言ってもいろいろあるので、3つに分けて分析しました。一つ目は新聞社のニュースサイト、2つ目は新聞社の記事をもとに配信しているテロップニュースなど、そして3つめをフリー記者のブログやインディペンデントメディアが立ち上げているニュースサイトとしています。調べていく上で、メディア媒体の多様化や多元化が進んでおり、毎日届く新聞と違い自分で探し当てて情報にアクセスしなければならないという仕組みにおいて、記者が知るべき情報を掘り出して社会に訴えるという形ではなくなり、その流れが旧媒体にも広がりつつあると感じました。そんな今だからこそ、ジャーナリズムの原点である新聞に立ち返って学ぶべきことがあると考えています。私たちは今後紙媒体としての新聞をどう残していくかについて、これから研究をまとめていきたいと思います。以上で終わります。
浅野先生:
今2年生が発表しましたが、3年生ゼミは「東アジアの平和と繁栄とマスメディア」について研究しています。4年生は「裁判員制度下の犯罪報道の変容」がテーマです。今回は文科省の学部教育の充実をはかる予算で東京の大学と交流する目的で来ています。去年は立教大学社会学部の服部孝章先生のところで行い、今年は水島先生にお願いしました。
水島先生:
事業仕分けの対象になりそうなお金ですね(笑)。しかし今回は中身のあるものだが、事業仕分けは中身のあるものとないものの区別がつかない。事業仕分けの報道を見ればメディアの報道というのは直ちに明らかになる。瞬間的な数秒のコメントや新聞の簡単な解説ですべてが無駄なものとして印象付けられ、極端な見出しで印象が独り歩きする。そういう意味で、紙媒体の新聞もネットもテレビも全部に共通するのは、瞬間最大風速的な現象の切り取り。今も昔もそれは変わらないが、昔はまだ抑制があり、たとえば整理部のデスクが「この見出しは極端だ」と言って止めていたのがいまでは見出しが先について、朝日ですらダジャレのような見出しを作ってから記事を書くなど、本当に劣化していると思う。紙媒体の新聞ですら映像メディアに引きずられて瞬間風速的になってきている。
 事業仕分けのお話に引っかけたが、これはおそらく問題の根底にあると思う。ただ瓦版の時代からあるいは明治の新聞の時代からそれはあって、ある種の意図に基づいてそれを誇張し、あるいは書かない、という。ハーバード・シラーが初期の時期に“Mind Management”、邦題で『世論操作』という本を出していますが、その中に書かれていることで印象に残っているのが、「新聞やメディアのゲートは2つあって、ひとつは断片性、ひとつは速報性である。この断片性と速報性を組み合わせることによって、大事であることを大事でなくすることもできるし、大事でないことも大事にできる」ということだ。
 小沢さんの事務所から中継すれば、夜で中に誰もいなくとも見ている方は中で何か悪いことが行われているのではないかと思う。「夜12時を超えましたが、容疑者に対し厳しい取り調べが現在も続いています」と報じれば、「待てよ、寝させないのか」と思わずにみんな見ている。犯罪報道の世界でも視聴者はそうやって見てしまうわけだ。 また新聞の早刷りの地域と最終14版との地域で情報が違っても読者はみんなそれがなぜだか教えられないとわからない。あるときは新聞を過剰に信じ、あるときはよくわからないものとする。それで今回の発表を聞いておもしろかったのは、わがゼミでは新聞やメディアを使っていろいろな研究をするが、押し紙問題などの新聞内部の問題については一度もやったことがないということに先ほど気付いた。
 学生が新聞を読まなくなったというのは私も教員として感じていて、授業で新聞を読んでこいと言っても誰も読まない。しかし紙媒体としての価値は、たとえば判決が出た時に1面に要旨、社会面に原告の喜ぶ姿、2面に学者のコメントなど夕刊がワンパッケージとしてひとつの世界が作られる。新聞はその時の瞬間的な気持ちをそのままフリーザーに入れて凍結する、つまり冷凍食品なんです。それを凍結した瞬間、その時の迷いや記者のブレや論説員の迷いを含め全部そこに残される。その時代の空気、ある種の公共的なものだが人びとのなかに当たり前のように常識化しそれが正しいとされているもの、その基準に従ってものは書かれていくが、それでもブレる。そこでのミスは後で見るとすごくわかりやすいが、ネットだとすぐになかったことかのごとく消されてしまう。だから紙媒体は歴史の証言なんですよね。政治家の発言やその時の記者の思いまで入る。すると当時のとらえ方の水準まで理解できる。
 紙媒体とネットの違いですね。しかし紙媒体の意義を考えるときに、手書きの紙媒体からネットに移行していく中で、プラスになった部分と失われたものといろいろあるから、あたかも昔話のようにかつての人びとにとっての紙媒体の意義を並べていくのでは説得力がない。今の時点での紙媒体にはこういう利点があるというのを説明しなければ。私が授業で言った例では、小泉医療改革の変遷を朝日新聞が年表型でまとめた記事を掲載していた。朝日のネットにはそれは載らない。年表をみると徐々に毎年予算が削られていったのがわかる。1面の麻生内閣による医療法案の見直しについての記事と、2面に載ったその背景と野党の反応の記事とともに並べてみると、その全体像を頭の中で把握することができた。
 だから私は紙媒体が今使ってみてもそんなに想像力を発揮し、しかも理解するのに役立つということ、紙をめくっていってまたわからないところで戻って、というアナログ的な手作業がじつは人間の思考のテンポに合っていると思う。それが勉強の仕方として望ましい形ではないか。たとえば図書館で本を探し、見つけたと思ったらその隣にもっととんでもない本があって論文のテーマを変える、ということが検索サイトでその本だけ探して借りていくという方法では起こらない。学問でドラマが起こらないということだ。アナログ的手作業が持っていた人間的思考は単純なものではなくて、行ったり来たり悩みながら前進するが、ネットはきれいにそれを省略してくれて結果を出してしまう。と、そういうことです。じゃあうちのゼミの活動で新聞媒体を使うなかで、あるいは取材のなかで今日のテーマに関する話はないかな。
浅野先生:
ではゼミの紹介も含めてお願いします。
蓬田:
私のゼミでは現場主義を掲げていて、問題意識を初めに決めるが、問題意識を持っている人は社会にたくさんいるので、その人たちに直接話を聞いてきて、それで問題意識をまた固めていく、という方針。取材をやらないと発表も始まらない。本を読んでもこちらの解釈でいろいろ取り様があるので、書いた人に直接聞くようにしている。するとまた違う側面も見えて、ドラマが生まれる。
水島先生:
君が昨日発表した裁判官への取材について伝えてはどうか。
蓬田:
裁判官というのは憲法76条で保障されていて、法律に従って、独立して判決を出すという決まりがある。つまり法律に従わない裁判は裁判じゃない。しかしメディアはそういうのを度外視して報道する部分があり、その側面に対して元裁判官の人は「全然わかってない」と言う。が、それを受け取り動かされているのは国民。つまり裁判所というのは憲法を中心とした規範的存在だが、裁判の報道に国民が動かされて、どんどん国民の意識が規範から離れていっている。
 これは日本の社会全体に言えることだが、規範と現実のかい離。元裁判官の人も、僕らゼミ生もそれを危惧している。日本は世界まれにみる憲法と国民がかい離している国と言われている。水島先生が詳しいドイツでは、憲法と現実が離れたら現実の方を憲法に合わせていく、憲法保障の厚い国だが、日本はかい離しても全然気にしない。すると国と国民が離れて、社会は停滞していくしかない。今はそういう状況なのではと思う。
水島先生:
では北海道でのゼミ合宿について。
横山:
水島ゼミは毎年夏合宿にいっており、去年は北海道に行きました。アイヌ班、自衛隊班、夕張班、北方領土班、知床班に分かれて取材。普通は先生が先頭に立つが、うちは先生がどの班にもつかず、携帯のメールで後ろからアドバイスする形をとっています。
水島先生:
北海道合宿でおもしろかったのは自衛隊班の岡田君の撮ってきた3枚の写真です。自衛隊というと普通基地問題などどちらかと言えば基地批判派のコンテクストなんですが、今回は岡田君の写真が象徴することがすごくおもしろく感じたので、その話をしてもらいたい。
岡田:
前副ゼミ長の岡田です。自衛隊班をやるにあたって、たくさん文献を読んで自分ではかなり準備していったつもりだった。沖縄の基地問題に関してはご存じのとおり、住民の方も反対している人が多い。騒音問題や犯罪問題など、基地反対の住民が非常に多いが、その中で建設の必要性があり、そこに苦労がある、という認識で北海道に取材に行った。写真というのは、1枚が千歳市役所の前で「自衛隊体制維持強化に向けてみんなでがんばろう」、特に何もない日に、基地の前で雨の中「自衛隊体制維持強化」という横断幕を掲げ立っている人たちの写真など。それが非常に印象的だった。自分たちが思っていた北海道と自衛隊のイメージとまったく違っていた。感じたのは、自衛隊と北海道の関係がどんどん変わっていっているのだということ。
 地元の方も端から反対というだけじゃなく、経済的な必要性もある、人的つながりもある、その中でどんどん高齢化が進んでいって、産業もなく自衛隊に頼るしかないという人たちも多くいるということが取材に行ってわかった。地元の住民の方に話を聞いても、みんなただ単に反対というわけではなく、悩んだ結果いろんな行動をされているということが分かった。この合宿で座学と取材のバランスというものが非常に大事だと学んだ。本を読んで座学をしっかりしたうえで取材に行って悩む、ということが自分のなかで納得がいって達成感のある合宿だった。
水島先生:
補足すると、写真にはタクシーに「自衛隊断固維持」と書いてあるというものがあった。千歳市役所には「自衛隊断固維持」と書いてあった。そして雨の中の写真では老人が基地の前で「自衛隊断固維持」と、昔は「自衛隊反対」と掲げていた場所に立っていた。その横に町村信孝氏のポスターを持った人がいたのでそれは選挙運動だったのだが、スローガンに自衛隊維持を掲げているということは、維持できなくなっているということ。これは自衛隊一般ではなく陸自のことで、対ソビエト連邦用だったがもう不要になったため片山さつき氏が大蔵省の主計官時代に予算や人員削減を行った。それを向こうでは「片山事件」と呼んでいる。この削減で町が一つなくなり、小学校が廃校になるという流れだ。つまり、戦争だとか自衛隊が違憲かとかではなく、一つの地域コミュニティにおける連帯が一つの連隊が消えることによってなくなってしまう。
 1985年に僕が北海道の大学の助教授で行った時に、名寄に第三普通科連隊、第六普通科連隊というのがあり、それを廃止するということがあった。そこは名寄機関区といって北海道の国鉄の中心的なところで国鉄マンだけで1000人くらい住んでいて、自衛隊員が2000人くらい住んでいた。ところが中曽根内閣が国鉄を民営化し、赤字路線だから廃止されその1000人が消えてしまった。次に自衛隊を消すと、村には高齢者しか残らない。そこで社会党系の市長が防衛庁へ行って断固連隊を維持させてくださいと主張。まだソ連がいる時代ですらそういう動きがあったのが、もうソ連がいなくなったから、人びとが危機感を感じている。かつてのような自衛隊、憲法、基地の騒音などではなく、地域コミュニティを補助金によって、自衛隊員の税金によってその需要によって維持するというこの維持のされ方に問題が実はあり、より自衛隊を維持することによって解決するかと言うと必ずしもそうではない。夕張を見れば明らかなように、地域全体はどんどん没落しているから。となるとやっぱり税金の使い方、地域のコミュニティの再生の仕方というのは実は自衛隊をどうするかの問題を超えて共通してあるということを、私は行ってないが彼の撮ってきた写真で教わった。これを出会いの最大瞬間風速と呼んでいて、ゼミでは彼らに運営をすべて任せっきりにして私は10分しか発言しない。最初は介入したが任せている方がおもしろいと分かった。ゼミの運営上で困っていることがあれば彼らに質問してみてほしい。
浅野先生:
今回の教育GPも水島先生に申し込んだら「ゼミ執行部に提案したのでその返事を待ってほしい」と言われたが、その理由が分かった。ゼミを学生主体で行うというのは私も同じだが、水島先生のゼミはそこを徹底している。いただいた資料を見ていると、浅野ゼミと題材が同じものが多数ある。赤ちゃんポストについては4年生のゼミ員の卒業論文のテーマだ。また裁判員制度についてだが、裁判員法には「良心に従って」その職務を遂行するという項目がない。憲法には、裁判官はあらゆる権力から独立し、良心に従って行うとあるのだが、そこが問題だろうと考え、4年生が研究している。もうひとつは自衛隊の小牧基地に行って、取材したゼミもあった。
 では先ほど2年生が発表したことで何かみなさんコメントあればお願いします。
岡田:
先生も言われたように、紙媒体の新聞については研究したことがないが、Google検索というのをやった。Googleが許可を得ずに米国および日本の本をスキャンしてデータで配信しようとしたが、それに対して日本の出版業界が反発し和解案に入らないという問題。その話を通して出版・表現の自由があるが、その中ですべての書籍をデータ化して、それは確かに便利かもしれないが、はたしてそれでいいのかという研究をやった。利便性というのは確かに大事だが、それよりも失われるものの方が大きい。
 紙媒体のいいところは、勉強するときに紙の本を手に取り、線を引いたり付箋を貼ったりしながら知識を得ていく。もちろんデータ化によって今まで図書館などに行きづらかった障がい者の方やあまり本を買うお金のない人たちは便利になるかもしれないが、失われるものも非常に大きいのではないか。そういう紙媒体とデータ化という面でその研究とつながる部分もあるかもしれない。
横山:
先ほどオンラインジャーナリズムのところでインディペンデントメディアについて触れていたが、それについても扱ったことがある。新聞記者の方にお話しを伺ったが、その方が言っていたのは、新聞自体に市民の視点がないということ。官公庁が配信するのをそのまま流すことを彼は公的ジャーナリズムと呼び、例えば「のりピー」の事件など非常にプライベートなことを報道する私的ジャーナリズムと、新聞にはその二つしか残っていないと。今までのルポルタージュの時代や調査報道がどんどん衰退してきているのが一番問題であると彼は言っていた。インディペンデントメディアから新聞を見るというのもおもしろいのではないか。
岡田:
紙媒体の新聞が生き残っていくための今後についてはどのようにお考えでしょうか。途中でもいいのですが。
山田:
すごく悩んでいます。
松下:
たくさんの人にインタビューを行ってきましたが、いろんな立場の人がいる。新聞社のなかにいる人から今の新聞はもう駄目だと言われたり、でもやっぱり残ってほしいと言われたりすることもあった。テレビ局の方には自分たちはよく新聞を使っているから生き残ってほしいと言われた。聞く側に回って1年間ほとんどを過ごしてきて、それをまとめる段階で葛藤があるが、私たちはやっぱり紙媒体の新聞に意義を求めたい。あと1カ月でインタビューや調査をもとに新聞の意義を見出していきたいと思う。
水島先生:
みんな自分たちの社の悪口は言う。しかし、誰も本気でそう思って出ていったりしない。紙媒体の今の時代の意義は手書きの意義と同じだと僕は思っている。文章なら何度も読み返して客観化でき、それに自分なりの解釈を加えていける。ネット上の文章では書き手の感情が伝わらない。ネットを使わなかった時代の新聞記者が作っていた新聞と今のメールで原稿を送れる新聞とどこが変わってきたかと言うと、かつてはそこに記者の思いやブレがこもった筆圧が記事そのものにも残っていた。それが例えば犯人に対する怒りでまだ容疑者段階なのに実名報道してのちに冤罪であったこともあるから、一概にいいとは言えない。
 ネットやメールが悪いということでもない。つまりそれぞれが客観的なツールとして機能をもっていることをきちんとわかって使っていけばよいということ。我々は古いワープロを使ったりしているが、そういう人たちがこだわって使っているツールにも何か理由があるのではと見ていけば、そこに紙媒体の意義がつながっているのではないか。
山田:
今の新聞はそれぞれの主張に差がなくなってきているのではないか。
水島先生:
昔の新聞がそれぞれ主張をもっていた時代はなくなってしまったわけではないが、ある時点からすごく似てきた。朝日新聞もリベラル派であったが社説がふやけてきた。地方紙は元気。人びとが新聞を読まなくなってきたのは文化費にさくお金がなくなっていることもある。押し紙もそうだがこの新聞の危機の問題の根底にあるのは貧困かもしれない。少なくとも絶滅危惧種と呼んでしまうツールに目をやって、また危機のなかでがんばっている地方紙の現状などを考えてみるといいのでは。
浅野ゼミ
水島ゼミ


3.共同通信社見学報告
日時:2010年1月15日15:30~17:30
場所:社団法人共同通信社本社 東京都港区東新橋1丁7番1号汐留メディアタワー
見学内容:午後3時30分に汐留メディアタワー到着。横には日本テレビ、電通のビルなど高層の建物が立ち並んでいる。
 能力開発センターの東哲也次長にアテンドしていただき、参加者全員が入館証を受けとる。11階にあるイベントフロアの会議室で会社説明を受ける。パンフレットとメモ帳、記念品のペンを頂く。共同通信紹介のDVDを約22分間鑑賞。午後4時ごろから20階に上がり、順に階段を降りて、編集局の各部を回った。東次長に調査部・文化部・運動部・ニュースセンター・社会部・内政部・政権移行報道本部・写真部・グラフィックス部などを案内していただく。調査部には、地図や人名辞典、人物別の記事の切抜きなど、資料が豊富にある。また、汐留メディアタワーはトレンディードラマの撮影にも使用されたことがあるらしい。
 その後、11階に戻り総務局人事グループの辻祐司担当部長から採用試験に関する説明があった。その後質疑応答。近藤順夫編集局次長、東次長に対応していただいた。

共同通信社2010年春季採用試験情報
 応募は、ネットエントリーのみの受付。リクルート・ナビの共同通信社ページからエントリーする。 エントリーは2月21日(日)24時まで受け付け。募集職種・部門は記者、運動記者、英文記者、写真・映像記者、グラフィックス記者、管理部門、システム部門 。複数の職種・部門への応募はできない。 書類選考ののち、通過者に限り3月9日(火)までにリクナビで通知。 その後、1次面接。面接はすべて東京本社。通過者は筆記試験を受ける。その後、グループ面接、個人面接などを経て、採用。同志社からは毎年2名ほど内定者が出ており、内定者も含めて現職の方は33人いる。
 毎年1500人から2000人程が受験。内定者は50人ほど。職種によって異なるが大ざっぱにいうと競争率は30-40倍。また、所定の人数に達しなかった場合は秋試験もある。今年の同志社大学の内定者は2人とも秋試験で合格している。


質疑応答:

学生:
通信社と新聞社の違いを教えてください。
近藤局次長:
一番の違いは締め切りがないこと。また、全国紙には載らないが、全国の地方新聞に記事が掲載されるのでその分、影響力が大きい。
東次長:
海外の通信社と違い、調査報道や連載にも力を入れている。そういった点では新聞社との違いはない。
辻担当部長:
約1700人の社員のうち約900人が記者である。これは新聞社の記者数と比較すると多い。また、約900人の記者のうち約500人が本社務め。共同通信では本人が拒否しない限り、東京本社勤めがローテンションで必ず回ってくる。これも新聞社との違い。全国紙では本社勤めは倍率が高いので難しい場合がある。
学生:
共同通信社の社風や職場環境についてお聞かせください。
近藤局次長:
昔から共同通信社は自由で風通しがいいといわれている。今もまだ、その社風は残っていると思う。他の社の人から、そう言われることも多いのでそうだと思う。しかし、実際にどうかは入社してみないと分からないので、自分で判断してほしい。
東次長:
他の新聞社では上司のことを役職で呼ぶことが多いが、共同通信は基本的に“さん”付け。そういった面にも共同の風通しのよさが現れていると思う。
学生:
採用に関して質問です。女性の採用は何割くらいですか。
東次長:
毎年3割ほどです。年々割合は上っています。今年は40人程度の採用を予定しています。筆記試験の時点では女性のほうが成績のよい場合が多いです。同志社からは毎年2名ほど内定者が出ます。今年は2人とも秋採用での合格者です。
学生:
共同通信が今最も力を入れていることを教えてください。
東次長:
インターネット関連や電光掲示板などの多メディア配信です。今春以降、携帯端末にもニュース配信を予定しています。また、記事だけでなく写真・映像・音声にも力を入れています。最近ではビデオ片手に取材する記者が多くいます。
学生:
共同通信で働くにあたり、求められる人材像を教えてください。
辻次長:
私の個人的な考えですが10点あります。①人が好きであること②社会問題に関心がある③社会正義の実現を目指す④好奇心旺盛⑤外で活動するのが好き⑥お金儲けを重視しない人⑦広い視野を持つ人⑧幅広い知識を持つ人⑨体力⑩優しさ・思いやりのある人が求められます。
学生:
運動記者で採用された場合、一般記者や写真・映像記者になることはできますか。
東次長:
必ずできるとはいえませんが、チャンスはあります。今の運動部長も、もとは一般記者です。記者や部門を変わりたい人が、他にいれば交換人事という形で可能です。基本的にはありません。(※共同新聞社は採用の時点で、一般記者、運動記者、英文記者、写真・映像記者、グラフィックス記者・事務職・技術職と採用が別である)
感想:
通信社を見学するのは初めての経験でした。各部署を回りながら説明を受けたのですが、内政部で原稿を確認されていた記者の方の真剣なまなざしが印象的でした。ニュースが日本と海外に刻々と発信される現場の空気を感じることができたように思います。写真部では、デスクの方に、写真データベースに乗せるための写真選択の方法や写真の編集の仕方をリアルタイムで教えていただき、写真記者の方のわかりやすさに対するこだわりが感じられました。ニュース作りに励む記者の方たちを目の前にし、普段自分が何気なく目にしていた情報が非常に価値のあるものに思われました。職場の記者の方の話されている様子や私たちに接してくださった方を見て、よく言われるように自由な会社であるのだなと実感しました。私たちの質問にも丁寧に率直に答えていただきました。おかげで共同通信社をより知ることができ、魅力的な職場であると改めて感じました。本当に貴重な体験をすることができました。(3回生・森本佳奈)

実際にニュースが発信される現場を見学することができ、ジャーナリズムを学ぶ者としてとても貴重な経験をさせていただきました。私は今まで、共同通信社がどのような仕事を行っているのか詳しくは知らなかったので、本当に多岐に渡る仕事があるということを知り、同時に魅力も感じました。社内を見学させていただいた時も、社内に流れるニュースのアナウンスや、人々の行き交う雰囲気から、ほどよい緊張感を肌で感じることが出来ました。 特に、質疑応答の際で印象的だったのは、記者はペンだけでなくカメラも持つということです。片手にメモ、片手にカメラ・ビデオを持ち、現場で取材活動を行うという所が、新聞社とは違う大きな魅力だと私は感じました。そのような点が、「自由な社風」にも繋がっているのではないかと思います。さらに、「大抵の記者は本社勤務がまわってくる」「女性の採用が増えてきている」ということを聞いて、一人ひとりが働きやすく、またやりがいを感じられる理想的な職場環境であると感じました。 私が就職活動を行うのはもう少し先のことですが、この時期に実際に自分の目で共同通信社を見学させていただくことで、改めて自分のやりたいことを見つめなおす良い機会となりました。ありがとうございました。(2回生・松下桜子)

1月15日の午後。エレベーターから出てくる学生の集団に混じって、11階イベントフロアに足を踏み入れた。歩くには十分すぎる広さの床を踏みしめながら、奥の部屋に通されて、そこに荷物を置く。初めて訪れるということもあり、心の中はまだ落ち着かない。席に着き、能力開発センター次長の東哲也さんから挨拶を受け、会社の紹介VTRを見せていただく。VTRの説明が終わった後、いよいよ見学に入る。がしかし、肝心の「共同通信に来た」という実感はまだ沸いてこない。広い空間、おだやかな雰囲気。怒鳴り声もなく、走り回る人もいない。今、目にしている光景は、私が頭の中に描いていた「騒然とした社内の中を人が動き回り、それとともに情報が飛び交うメディアの戦場」という「共同通信像」とは全く違うものだった。そのとき初めて、私が今まで抱いていた共同通信に対するイメージは、間違いであったことが分かった。
 今回の共同通信東京本社見学の目的は、各部で社員の方々が仕事をされる現場に立ち会うこと。多くの現場を見させていただいた中で、印象深かったのは調査部、運動部である。
 調査部を見せていただいた感想は、まさに「情報の宝庫」のひとこと。調査部には、過去の新聞や、全国の地名が記載されている地図などの資料が大量に置かれていた。東さんの説明によると、記者が記事を書く際に、何か不明な点があれば必ずここで調べるとのこと。私はスポーツを研究テーマにしていることもあり、スポーツに関する文章を閲覧させてもらったが、中には過去のオリンピック全情報が記載された事典がいくつもあった。このような事典は同志社大学の図書館にもなく、大変貴重なものである。
 続いて、運動部。スポーツメディア業界で活躍し、そこに骨を埋めることを生涯の目標としている私にとって、運動部の方々は憧れの存在である。運動部には、日本代表の試合の最新データや、フィギュアスケートの浅田真央に関する書類を確認している方や、ビブスをいすにかけて仕事をされている方がいた。あのビブスはおそらく、サッカーの試合で報道陣がいつも身に付けているものだろう。ついあのビブスを着て仕事をする自分を想像してしまう。
 見学が終了すると、次は学生による質疑応答の時間。質疑応答で最も興味深かったのが、「報道は弱者の視点から伝えることも重要である」という話をしていただいたこと。私はこの一年間で、報道被害に遭われた方々とお話させてもらう機会が数多くあったが、報道被害者の方々は、皆、「メディアを信用できなくなった」とおっしゃっている。こうした報道被害者の方とお話する度に、私は「マスコミ」という仕事の難しさを痛感してきた。情報を伝える側は、一つの報道によって一人の人生が台無しになる場合があるということを、自覚しながらニュースを伝えなければいけない。特に、大量の情報を、日本で一番早く正確に伝えなければならない通信社では、一つのニュースに対する判断が非常に難しいと思う。その通信社で長く働いてこられた方々がおっしゃる「弱者の視点」というものを、私たちマスコミを目指す学生は、深く受け止めなければいけない。
 今回の共同通信訪問は、現場の空気を感じながら「マスコミで働く」ということを改めて考える、非常に意義深いものになった。重要なのは、この見学で学んだことや得た刺激を今後の人生にどう繋げていくか。課題は山積みだが、今回の訪問を思い出して、今後のモチベーションにしていきたいと思う。
 最後に、このような素晴らしい機会を設けていただいた国際担当の編集局次長の近藤順夫さん、共同通信の社内を案内していただいた東さん、採用の説明をしていただいた人事部担当部長の辻祐司さんには、改めて心から厚くお礼を申し上げたい。(同志社大学院 修士1回生・小林塁)
エントランスホールの展示
共同通信社についての説明
共同通信社社会部
写真編集の様子


4.1月15日のメディア関係者との交流会について

 15日夜、教育GP初日の共同通信社訪問後に、メディア関係者とゼミ生たちとの交流会が行われた。ご多忙にも関わらず、朝日新聞の梶山天さん、北海道新聞の高田昌幸さん、そして共同通信社の中嶋啓明さんの三人が駆けつけてくれた。
 交流会の開幕を告げる乾杯の直後から、お三方の話しに熱心に耳を傾けるゼミ生の姿が印象的だった。交流会という、お酒を交えた場だからこそ聞くことのできる話しに、ゼミ生各自学ぶことが多々あったようだ。
 三人の自己紹介を含めたフリースピーチでは、現在行っている仕事の紹介、なぜ記者を志望したのかに始め、学生時代の姿といった踏み込んだ内容まで語っていただいた。記者を目指す学生がゼミ内に多数いる中、三人のお話を聞き、各自問題意識を持ったり、記者への志望意欲を高めたりと、それぞれが良い刺激を受けたのではないか。
 そしてゼミ生による今回の交流会の感想を述べる場面では、各自思い思いの感想を述べたが、印象的であったのは三回生の男子によるものだった。浅野教授やゼミ生への積もり積もる感謝の気持ちを伝えたものであり、感想を述べ終わると場内からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。
 また三人から、三回生の共同研究に関して、貴重なアドバイスを頂くことができた。中嶋さんによる「社説の中で、朝鮮側の視点がどのような意図で使われているか文脈を検証することが重要ではないか」、高田さんによる「ロケットとミサイルの定義の違いをきちんと規定するべき」というご指摘は、改めて自分たちの共同研究を見直すきっかけとなった。そして梶山さんに頂いた「新聞記事を書いた記者に直接会ってみるべきだ。」というご指摘は、現場主義・当事者へのインタビューをモットーとする浅野ゼミとしては是非行わなければと感じた。
 今回の交流会は梶山さん、高田さん、中嶋さんのご協力があって初めて開催することができた。改めて感謝したい。そして終わってみれば、三人のお話に刺激を受けたり、学んだりと学生にとっては大変貴重な時間であった。また機会があれば交流会を継続して行っていきたい。




5.朝鮮大学校国際政治学部・宋修日ゼミと討論会

16日正午過ぎに東京都小平市の朝鮮大学校に到着した浅野健一ゼミ一同は、宋修日ゼミ学生2人の案内で、朝鮮大学校の構内を見学した。全寮制である朝鮮大学は活気が溢れ、アットホームな雰囲気であった。案内の学生が朝大の沿革の説明の中で触れた、「当時の学生が建築した」という講堂などの建物を見て歴史を感じた。
朝鮮大学内見学
 午後1時からは、研究棟2階の教室で浅野ゼミ3回生の共同研究発表会を行った。朝鮮大学の学生約20人が参加したほか、朝大学生と交流を続けている東京国際大学、慶應義塾大学、早稲田大学、多摩美術大学の学生で組織する「日朝学生ネット」のメンバー数人も参加した。
 はじめに、3回生ゼミの代表が共同研究「北東アジアについての日本のマスメディアの報道~日本メディアによる朝鮮報道と権力の関係を中心に~」について報告した。研究目的や分析方法など研究概要の説明の後、本研究の核となる「ジャーナリズムの原理・原則」、そしてこれまでに終えた09年4月以降の朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)のロケット発射などに関する全国紙の社説の比較研究の結果を発表した。
共同研究概要発表
 その後、質疑応答に移ると、研究内容に関する質問が複数出た。「日本の新聞5大紙のみを対象にしていては朝鮮の視点が欠けるので、朝鮮のメディアや在日朝鮮人の新聞である朝鮮新報の紙面も調べるべきではないか。何が事実か、真実はどこにあるかを知るためにそれは不可欠ではないか」「ジャーナリズムの原理・原則にあげられている『客観報道』はもともと実現が無理なのではないか」など、自らが打ち出した研究の進め方を再考させる貴重な質問が多くあった。客観報道に関する質問に対して、ゼミ委員が「問題提起、編集などの過程は記者個人の主観による判断に委ねられるが、客観報道とは、記者にとって最低限必要な姿勢である」と回答した。
 宋先生は「今の日本の新聞やメディアは、読むのも見るのも嫌になるぐらいひどい」と感想を述べた上で、「今の学生は『北朝鮮報道』の転換期はいつだと考えるか、また浅野ゼミの学生が考える理想の報道とはどういったものか」と質問した。ゼミ生は「過去に朝鮮を賛美するような報道をしていたこともあり、2002年9月の拉致事件報道から質が変わってきたと考える」などと答えた。ゼミ生一人一人が、改めてジャーナリズムのあるべき姿を探り、報道をどう改革すべきかを考える契機となった。
 どの質問も今後の研究に役立つ視点や課題を与えてくれ、非常に有意義な発表・討論会となった。報道の現実から離れずに研究を行うためには、実際に話を聞く機会を持つことが大変重要なのだと感じた。
 2時半ごろからは会場を研究棟1階の教室に移し、グループディスカッションをおこなった。3つのグループに分かれておこなわれ、共同研究に関連した意見交換から、互いの学校生活などの話までと幅広い話題で内容の濃い討論となった。朝大生からは「今まで見るに耐えなかった新聞にも、こういった見方があるとは知らなかった」という発言もあった。メディア学科としての研究が、朝鮮大学の学生に対しても新たな視点を提供することができたことを知り、研究の動機付けが強化できたと思う。
 最後は日朝学生交流の一環として朝鮮伝統のお正月の民俗遊びの一つ「チェギチャギ」を楽しんだ。日本の蹴鞠(けまり)に似た、小銭を布に巻いてチェギ(羽根)を作り、チェギを地面に落とさないで蹴り続ける。
 交流会の後、互いの連絡先を聞きあう姿も多く見かけられ、今回の交流が、一時的な出来事に終始せず、継続したものになっていくことを確信した。
 「継続することが大切」と宋先生が指摘したとおり、こうしてできた人とのつながりが、新たなつながりを生むことを期待したい。
 浅野教授は2日間の発表・討論を総括して、「ジャーナリズムの現状分析と改善の方法を模索するために刺激的な討論が展開された。参加したゼミ学生にとって今後の学生生活を送る上で重要な経験になったと確信する。期末試験直前の多忙な時期に受け入れてくれた早大、朝大のみなさんに心より感謝したい」と述べた。
校庭
民族遊戯「チェギチャギ」
グループディスカッション2
共同研究概要発表2

ii.朝鮮大学校における討論会の質疑応答
朝鮮大学校では、朝鮮大学校生と、日ごろから朝鮮大学と交流をしている「ネットワークの集い」の学生の前で、3回生が共同研究「北東アジアの平和と報道」の概要を発表した。その後、40分ほどの質疑応答が行われた。

以下、質疑応答内容。

浅野先生:
二年生が昨日早稲田大学で、新聞、紙の媒体が生き残れるかどうかを発表しました。三回生が最初に発表した内容とかぶると思います。
質問:
ジャーナリズムの原理・原則についてですが、マスメディアの、テレビなり新聞なり、言論が扱われているものには、必ず作り手がいて、その作り手の考えに基づいて書かれたり作られたりするので、100パーセントの事実ではないということを必ず付け加えなくてはならない。写真でも撮る人間の思想によって切り取られる。違う視点をいくつか見たなかで、事実を自分の中で再構築しなければならない、ということを見ている人に伝えなければならない、ということをジャーナリズムの原理・原則に含めなければならないのではないか。
田ノ上:
客観報道は不可能という事ですが、確かにそのような意見もあります。しかし新聞でしたら、ストレートニュースや社説で、事実報道とオピニオンを分けています。客観報道をすることで、事実を積み上げて真実に近づいていくということです。何を取材して、どのように編集するかによって、伝える側の主観などが入ってしまうかもしれませんが。そのような事を意識しながら、事実をつみあげ、真実に近づくことができるのであれば、人々に判断をゆだねるうえで、客観報道はやはり意識していかなければならないと思います。
津島:
付け足しという形になるんですが、客観報道の本来の目的が下に書いてあります。「オピニオンを展開する言論活動と事実の報道をはっきりと区別する」ということで、はっきりとした一次情報を伝えるという意味では、客観報道の定義とずれてしまうところがあります。事実はできるだけ客観的に、オピニオンはオピニオンとして事実報道と分けて伝えることが客観報道の精神に入っているのではないかと私たちは考えています。
浅野先生:
私は「客観報道」という本を書いています。客観報道できない、という事はすごく耳触りがいいんです。マスコミはどうせ株式会社なのだからできないとか、すごく分かりやすいんです。「ああそうだね」ということで。しかしそれだと世の中何も変わらないでしょう。資本主義社会なんだからしょうがない、社会主義に変わるしかないとか。社会主義に簡単になれればいいけど、世の中は簡単に変わるものではない。私の考え方は、大きな理想を掲げて、その理想に向かって一歩一歩近づいていく。大きく社会を変化させる革命も大事だけれど、実際に人類が進めていく方法を経ていきたい。だから私たちが言っている客観報道は、ニューヨークタイムズやルモンド、ガーディアンが持っている最低限の客観報道の倫理である。これが日本のジャーナリズムは全くそこまでいっていない。だから、ニューヨークタイムズだって腐敗しているよ、と言う事は簡単だけれども、一番大切のは署名記事なんです。浅野健一が書いている、その署名をニューヨークタイムズは載せている。そしてニューヨークタイムズってどういう会社か、アル・ゴアやオバマに近くて、ブッシュに遠い、みんなそれを知っていて、そうやって読んでいる。NEWS23はTBSの報道局が作っていて、こういう人が作っている、それをメディアリテラシーというんです。
   あとレジュメの5ページで、社説の中で発言が引用されているとありますが、「」がついてなかったり、日本の新聞の場合はこれが非常にあいまいなんです。今日の新聞で、小沢さんの件に関する発言で「ある民主党議員」と書いてある。これは卑怯でしょう。自分の名前を出さないで、こそこそ言っている。こういうのは記事にしてはいけないんです、よほどの理由がなければ、政治家なんですからね。発言者をはっきりさせる。いつ、どこで、どのように、電話で言ったのか、FAXで言ったのか、講演でしゃべったのか。そういう事を全部きちんと書くことが客観報道の原則なんです。所属をはっきりさせる。そういうことが、日本の新聞が劣っている点です。今日の新聞はだれだれが責任を持って編集をしましたとか、ニューヨークタイムズではすべてのページに責任者の名前が載っています。
質問:
事実を報道する上で、どういう順番で報道するかによって意図が作られることを、つまり番組には必ず作り手がいて、ニュースの並べ方にも考えが入っていることを、番組は説明をしてほしいです。
津島:
例えば新聞ならば一面、テレビのトップニュースにあがるものは、編集している方々が、今の日本や見ている人や、日本社会において重要であるという、編集の方の判断が入っているので、そこに関して50音順に並べるようにするのは、客観報道の議論とはかけ離れてしまうと思います。
森本:
編集の意図を、説明してほしいということですよね?
質問者:
例えば、中国の地震のニュース、建国100周年のニュース、ひとつひとつではその情報なのですが、プログラミング、並び替えることで、ある考えを作れるという事についても、分からないままにコントロールされている感じですので。
津島:
編集を行っている側にも、そういう編集を行っているということの説明責任がある。社会、市民に対して伝えて行かなければならないということを原則に盛り込んでほしいということですか。
質問:
研究分析対象に、朝鮮側のメディアが使われていないことに不満・疑問をもっています。この発表を聞いたときに思ったのは、あくまで報道を分析するにあたって、朝鮮側の視点を読み取るにあたっても、日本の新聞に頼っている部分が大きいなとおもいました。 確かに朝鮮側の新聞を入手するのは難しいかもしれませんが、朝鮮新報のウェブサイトには日本語のページもあります。これを読めば、もっと事実に近い分析ができると思うので、もっと価値のある、事実に基づいた研究になると思います。今の研究の時点で私が感じたのは、研究をしているみなさんも事実の事を分かっていないんではないか、という事です。まず事実を知った上で比べないと、空想の研究になってしまうと思うので…やっぱり朝鮮新報をとることをお勧めします。(笑)
津島:
僕らもご指摘通り、朝鮮側の報道視点についても、特に朝鮮が伝えている情報に関して、僕らが使っていないというのは、そのとおりだと思います。朝鮮新報に関しても、一度先生の指摘が入って、一回議論にあがって、やはり必要なのではないかということになったのですが、その場では流れてしまって、実際採用という形にはならなかったのですが。こうやって改めて、そのような意見を持った人がいるということを再認識したことによって、やっぱり今後必要なんじゃないかという意識も強くなりましたし、貴重な意見として取り入れさせていただきます。ありがとうございました。
浅野先生:
鋭い質問がのっけから三つ続きました。日本の大学生なので、日本のマスメディアの在り方を研究していまして。研究の比較対象として、全国紙5紙の中に朝鮮新報を入れることはちょっと難しいかな、という気がするんです。また違う研究になってしまうので。今回は、日本のマスメディアがどんなにゆがんでいるか、どんなにえげつないか、これは完全に犯罪ですね。このあいだも、朝日新聞が「金正日総書記が拉致を指揮した」と報じました。マスメディアにはいろんな病気があるんですが、朝鮮報道に対してはブレーキの外れた車が突っ走っている、そういう感じがあるんです。それを検証していかなければ、永遠に広がってしまう。そういう意味で学生はやっています。
質問者:
「朝鮮側の視点が言及されていたかどうか」というものあったので、そこでは朝鮮日報と日本の新聞で比較できると思いました。
浅野先生:
なかなか難しいんですけどね、日本でも「うわ~っ」とマスコミと世論が盛り上がっていく時があるじゃないですか、テポドンのときとか。それが繰り返しありますよね。あるいは、例えばあかぎれの女性の手を写して、それは15年も前の繊維工場の女性の手なんですが、それをいかにも朝鮮の女性はあかぎれして大変だ、とねつ造しているんですね。なかなか、日本にいて事実を得ることは難しくて、おっしゃるとおりです。客観的な事実があるはずなんですね。ロケットなのかミサイルなのか。BBCは少なくとも、ミサイル発射とは言ってないです。
宋先生:
2009年の4月の人工衛星の発射を題材に取り上げているようですが、いつごろからこのようなメディアに変わりだしたのか、朝鮮問題に対して。僕らも、だいたいこのくらいじゃないか、という意見を持っているんですけど。最近は本当にあんまりじゃないか、という、正直なところ、感じがしまして。本当に日本の新聞を読みたくないくらい。どういうお考えをお持ちかということと、あとは、本当にどうしたら直るんだろうか。僕はよく学生に聞くんですね。どうしても日本の報道が入ってくるので、日本の新聞を読みなさい、朝鮮新報も読みなさい、労働新聞も読みなさいと。影響を受けるんです。ここに来ている学生も、我々の情報はたくさん入るんですけど、日本の情報もたくさん入るので、その影響も受けていますゴールというか在り方を聞けたらな、と思います。簡単でいいですよ。例えば、朝鮮大学の卒業生が朝日新聞社に入って、朝日の雰囲気に慣れていって。どうしたら報道は変わるのか。本当にちょっとあきらめムードなんです。日本の報道に何も期待することはない、という感じになってしまうので。
亀山:
共同通信社の方にインタビューをして分かったことは、以前、帰国事業…朝鮮への帰国事業を推進するために、マスメディアが朝鮮を理想の国だという様に扱ってきて、その後本当はそうじゃない、というように変わってきた。
森本:
拉致問題が発覚したぐらいからが、やっぱり朝鮮バッシングに変わってきて。それまでは朝鮮が「地上の楽園」であるという報道がされてきた時代があったにも関わらず、拉致問題が発覚してから、一変して朝鮮バッシングと変わっていったと、共同通信の方から聞きました。これからの報道がどうなっていくかですが、私個人の考えとしては、社会の様々な人の話を聞いたり、報道の分析をしたりして、こんな報道がありますよね、と記事を書いている人に対して、学生側から責めていくことが必要なのかなと思います。書いている人自身に対して、あなたこんなこと書いていますけど本当にこれで正しいですか、と言えるくらいになれれば、書く人の意識を変えていけるかなと思っています。
津島:
補足なのですが、なによりもこうやって学んできた人が、報道従事者になることによって組織の内部から意識改革なり、例えば一人だけでもそういう意識を持っている人がいれば、賛同してくれる人もいるでしょうし。そうやって内部的に変えていくことも必要ではないかと考えています。外から行って、内部の体質はそんなに変わるものではないとは思うので、やはり内部から、実際にジャーナリズムを志している我々のような意識を持つ人が、マスコミで働く事によって変えていくことが重要だと思います。
質問:
ジャーナリズムの原理・原則にある、第四章で「少数派や弱者の声の代弁者でなければならない」とありますが、例えば拉致被害者の方々の意見というのは、少数派や弱者の声だと思うんですが、現実をみると、拉致被害者の方々が主張していることが障害となって、日朝友好が築かれていない、と思うのですが。原則の中に「非戦社会の実現」がありますが、そういった矛盾はどうやって解決していくのですか。
田ノ上:
そもそも拉致被害者の問題は、実際おきたことですから事実は報道すべきだと思うのですが、どのように報道されるかが重要だと思います。現状は、拉致されて「ひどい、ひどい」と側面だけ取り上げて、必要以上にクローズアップして報道が中心だと思うんです。実際に日本も戦時中に朝鮮からたくさんの人を連れてきましたし、そのような事実は報道すべきなんです。ですから、一側面だけに焦点を当てないで、全体像をしっかり、問題の根源をはっきりさせることが重要である。あと、政治利用など、偏った部分だけで利用しないで、そもそも一部に焦点を当てた報道が喜ばれ、受け入れられる日本社会を根本的に変えていかなければならないのかなと思います。
津島:
僕の意見ですが、日本メディアが伝えているのは拉致被害者の声であると同時に、拉致被害者を支援してそういうことをやっていますよ、という日本政府の態度を伝えていると思うんです。むしろその意味合いの方が強いと感じます。今の拉致被害者に関する報道というのも、そもそも少数派や弱者の声の代弁の報道ではないと考えています。また日本政府の意見として、拉致問題の解決なしに国交正常化はありえないという、強硬姿勢といえる、そういう姿勢を政府なりメディアなりが持っていることによって、結果的に日朝友好の妨げになってしまっていると考えます。
質問:
そういう風なことがなかなかできない状況に今あると思います。その中で報道の真実を見極めていく報道をしても、それが国民に求められていなかったり、読まれないようであれば、あまり意味がない。ならばどうすればいいと思いますか?
津島:
非常にテクニカルな部分というか、実際に僕は現場の記者として働いたことはないですし、そういう部分に対してまだ考えの整理がついていない部分があります。その指摘は、重く受け止めるというか、そういった視点を持ちつつ、研究に関しても整理していきたいと思います。
趙 銀:
(韓国人留学生だということで全体に自己紹介をした)
拉致問題に関して、日本政府がいつから拉致問題に興味をもったのか。そういう背景をしらべたら、どういう政治状況だったのか分かると思います。拉致問題についてどう思うか。韓国にいた時は、拉致問題は聞いたことがあったが、日本人を拉致したことは知らなかった。そういうことを聞いたときに、なんで拉致したのかがすごく気になって。それは、分からないですよね。その説明をしてもらいたい。解決すべき問題だと思いますけど、日本側だけでなくて、朝鮮側からもその説明をしてほしいと思います。客観的に見る必要があるんじゃないかと。私の印象では、すごく最近そういう問題がでてきたような気がします。なんでそういう問題がでてきたか、知りたいと思います。
浅野先生:
韓国であんまり日本の拉致が取り上げられないのは、お互いさまということでしょう。
趙:
でも韓国ではそんなに報道しないので、みんな知らないと思います。大きく報道しないというか。

iii.質疑応答、補足
質疑応答の際、十分にこたえることが出来なかった応答に関して、京都に戻った後話し合いをした。その報告を、ここに補足として書く。

●「ロケット」と「ミサイル」の定義は何か?
『広辞苑第五版』(岩波書店 2006)によると、ロケットは「機体内に蓄えた推進剤を燃焼させて高速度で噴出させ、その反作用として推力を得る装置」とある。一方、ミサイルは「ロケットなどの推進装置を備えた軍用の飛翔体で、弾頭を装着し、各種の誘導装置を持つもの。発射地点と目標によって、地対空・空対空ミサイルなどに区別する」とある。すなわち、ミサイルはロケットを軍事的利用のために改造したものであり、2009年4月に朝鮮より発射された物体の名称として「ミサイル」はふさわしくない。朝鮮が「人工衛星」と主張し、またその軍事性が明らかでない以上、「飛翔体」あるいは「ロケット」とすべきである。

●社説内で取り扱われている「朝鮮側の視点の有無」の分析方法の設定
社説の中には、文章中に朝鮮の視点を取り上げたものがあるが、これが文脈上でどのように使われているか分析することが必要である。なぜなら、可能な限り双方の意見を対等に扱おうとする意識で朝鮮の視点が書かれている場合と、単にあとから批判をする目的で取り上げている場合を明確に分ける必要があるためである。ただし分析対象が社説のため、意見の主張は客観報道の原則にふれない、という考え方ができる。そのため共同研究では、社説全体を見て、朝鮮の視点の取り扱いかたが妥当あるいは妥当でないかを判断するべきかもしれない。

●客観報道は不可能ではないか。編集者の意図を明示してほしい。
客観報道を行うことで事実を積み上げ、真実に近づくというものが客観報道を行う本来の目的である。確かに客観報道は、編集の時点で記者個人の主観が入るために不可能だという意見があるが、それを可能にするためにはいくつかの方法がある。
 第一に、ニュースソースの明示が挙げられる。これにより記者がどのような意図を持って記事を書いたのかを推し量ることができ、同時に記事自体の信憑性を高めることもできる。第二、記者による署名記事が挙げられる。記事を書いた記者の人物像を把握することが出来ると同時に、記事一つ一つへの記者個人の責任を強いることができるためである。第三に、引用の明示が挙げられる。引用先の信憑性を確認し、引用した意図を推し量ることができるためである。そして引用箇所には「~によると」などという読者が判断しやすい表現を使う必要がある。
 第四にストレートニュースと論考記事の分離があげられる。社説を初めとする論考記事にはそもそも社の主張や記者の意見が多分に盛り込まれているものである。一方、ストレートニュースはありのままの事実のみを伝えるものである。そのため、ストレートニュースと論考記事の違いを記者が把握し、明確に分離して読者に提供しなければならない。
 このようなことを踏まえれば客観報道は可能であると浅野ゼミ16期生は考える。

●拉致被害者は少数派であり、その少数派の意見を代弁するために、非戦社会の実現を妨げているのではないか。
そもそも拉致被害者問題は、少数意見の代弁というよりも、政府の政治利用の目的で使用されている意味合いが強いように感じる。そのため、「拉致被害者は少数派であり、その少数派の意見を代弁するために、被選社会の実現を妨げている」とは言えないだろう。
 さらに、少数派の意見を代弁するという点おいては、報道のされ方が大切であると考える。拉致被害者は確かに少数派である。しかし問題の一部分だけに焦点を当てた報道、とりわけ今回の場合だと日本政府の政治的思惑が絡むような報道があってはならない。

●現在の報道に見られる、偏った朝鮮報道はいつ頃はじまったのか?
日本には、戦前から朝鮮半島およびアジア全体への蔑視があった。それが戦中の朝鮮人の強制連行へとつながっていった。しかし1960年代に入り、社会主義への幻想から、北朝鮮、地上の楽園論が流不した。それは朝日、毎日、共同など、ソ連社会主義を賞賛していた一部のメディアの反応であり、それらのメディア、特に朝日新聞はその反動から、今日は半朝鮮の姿勢を強く打ち出している。この幻想の一方で、1965年6月に結ばれた日韓併合以前の条約が「もはや無効であることが確認される」とする日韓季報条約の際には、在日朝鮮人を異質なものとして報道している。1997年にいわゆるテポドンが発射され、反朝鮮報道が過熱した。また、2002年9月17日に小泉純一郎総理大臣と金正日総書記の元、歴史を清算し、早期の国交正常化交渉の再開を目指そうとする「日朝平壌宣言」が結ばれた。ここで、朝鮮が拉致を認める内容の発表を行われると、国が国家による犯罪を認める行為であるにも関わらず、日本では朝鮮バッシングがさらに高まった。帰国者やその家族が集中的に報道されるだけでなく、在日朝鮮人への嫌がらせや、ナショナリズムの高まりがみられた。その一方で、植民地支配責任は議論されなくなった。これらをきっかけに、朝鮮への犯罪的ともいえる偏った報道が次々と発生していったのである。

IV.韓国人留学生、趙 銀が感じた朝鮮大学校
素敵な友達-朝鮮大学に行ってきて-
3回生 趙 銀(チョウ・ウン)

2010年1月16日教育GPで朝鮮大学を見学することになった。最初この話を聞いた時に正直期待感より不安の方が大きかった。浅野先生がおっしゃった「韓国人が朝鮮大学に入るなんて珍しいことですね」っていう言葉が私の不安を募らせたのかもしれない。

 不安な気持ちを抱いたまま私は朝鮮大学の正門にたどり着いた。朝鮮大学の初印象は「普通の大学」だった。ただ、一つ正門から入ってすぐ見える本館に「위대한 김일성 수령님 만세!」「偉大な金日成首領様万歳!」と書いてあることだけが私が、今朝鮮大学にいることを思い出させてくれた。その文句に圧倒されない韓国人はいないだろう。
 朝大のキャンパスは思ったより広い。キャンパスの中に寮まで建てられていた。朝大は全寮制で800人ぐらいの学生みんなが学校内の寮で一緒に生活をしていた。寮の近くには洗濯室、購買など施設が設けられていて、日常生活を不便なく普通に送られるそうだった。校内見学で私が一番驚いたのは、図書館に韓国の新聞があったということだった。私のたぶん勝手に朝鮮大学の学生は韓国の新聞は読まないと考えていたかもしれない。

 校内見学が終わってから3年生の共同研究成果の報告発表が、朝大生や朝大生と交流している日本の大学生組織「日朝学生ネット」の学生たちの見守る中で行われた。報告が終わった後、浅野先生が私のことを韓国人留学生だとみんなに紹介してくださって、日本語と韓国語で挨拶をした。校内では朝鮮語で話すことが規則だと聞いていたので、朝大生みんなが私の韓国語を理解してくれることは承知していたが、何だが不思議な感じだった。
 報告会がお終わった後、グループディスカッションが行われた。今回東京に来て一番楽しかった時間だったかもしれない。なぜなら朝大に新しい友達ができたからだ。
 私たちは最初は日本語で会話を交わしたが、彼女のノートをチラッとみたら授業中朝鮮語で書いたメモが私の目に留まった。そこには「전쟁은 증오와 분노를 불러일으키는 것 뿐」「戦争は憎しみと怒りを呼び起こすだけ」だと書いてあった。驚いた。今まで私が見てきたメディアは、朝鮮は戦争を起こしたくてやきもきしているように報道していた。それを見て朝鮮の人もみんなそうだと思っていた。しかし、実際は違った。
 私は彼女に「朝鮮語はうまい?」と聞いたら、彼女は「ウリマル(私たちの言葉)で勉強するのである程度しゃべれる」と答えた。早速私は韓国語で話しかけてみた。彼女のウリマルはすばらしかった。日本で生活しながらこれぐらいしゃべれることは相当努力したはずだ。私たちは好きな芸能人やドラマのことで盛り上がった。最後に私は思い切って聞いてみた「韓国についてどう思う?」彼女は一秒の戸惑いもなく「好き。今は日本と同じぐらい発展しているし、応援している」と答えてくれた。
 素直に嬉しかった。正直彼女に韓国についての考えを聞いてみたけど、会話中一瞬も彼女が朝鮮人だと意識しなかった。そう、私たちはただの友達だった。最初朝鮮大学に入る前に緊張していた自分とはまるで別人のようだった。
 私たちは連絡先を交換してまた会えることを信じて別れの挨拶をした。
 1月16日は朝鮮大学の訪問した日でもあるけど、素敵な友達ができた日で私の記憶に残りそうな気がする。
<二回生>

松下桜子
 早稲田大学では、水島朝穂ゼミを訪問させていただきました。そこで私たちが現在行っている共同研究『新聞に未来はあるのか』の発表をさせていただき、水島教授・ゼミ生の方々から大変貴重な意見をいただくことができました。これから研究のまとめに入らなければいけない時期に差し掛かっているので、今回の意見を踏まえることによって、より密度の濃い研究報告が出来るのではないかと思います。また、「『現場主義』を大切にしている」という水島ゼミの方針は、私たちにとってもとても刺激的であり、見習うべき方針であるとも感じました。
 朝鮮大学では、3回生の研究発表の後グループディスカッションを行いました。テーマは『朝鮮報道について』など少し難しいものでしたが、とても活発な議論となり、参加者全員の意識の高さを感じました。
 今回の討論会では、たくさんの学生の方と意見を交換することができ、自分自身の成長につながったと思います。そして何より、先輩方の発表を聞き、自分たちの発表を聞いてもらうことによって、浅野ゼミ全体の距離が縮まり、ゼミ全体にまとまりが生まれる良いきっかけになったと思います。 
 
門脇由紀
 普段、学内で同じ先生につき、同じ仲間と学ぶのとは違い、学外の、しかも東京という洗練された街で学んでいる学生らの意見を直接聞くことができ、とても刺激的だった。早稲田大学では互いのゼミの活動や主義・主張を披露した後、二回生を中心に「新聞は生き残れるか」というテーマで共同研究の発表を行い、互いの意見を言い合う、という形で交流会を行った。相手方が法学部だったということもあり、法学的観点からの意見や、ある事象に対し、どのような考えやスタンスで向き合っているかなど、同世代の学生が普段何を感じ、何を学ぼうとしているのかを知ることができ、今後の学習の参考になった。
また朝鮮大学では他大学の学生も参加していたのだが、一連の日本の朝鮮報道に対し、皆私たちと同じ問題意識を持っていることが分かった。しかし、問題意識を持つ、というところまでは同じでも、自分自身まだまだ歴史的背景の知識が浅いからか、意見が終始抽象論に帰結してしまったきらいがある。今後はこれらの反省点も踏まえ、今回の教育GPで感じたことを活かし、さらなる学びを重ねていきたいと思う。

藤田恵菜
 普段意見交換をすることのない東京の大学生と討論できたことはとてもためになる貴重な機会でした。
 早稲田大学のゼミでの勉強方や研究テーマについての意見を聞くことで、今後の研究でのヒントを得ることができたと思います。また共同通信社の社内見学では、実際に職場を見せていただいて、マスコミ業界で働くことへのモチベーション向上に繋がりました。現場で働いておられる方の生の声を聞くことで、自分がこれからやっていかなければならないことや,やりたいことが見えてきたような気がします。
 今回東京に行かなくては会うことのできなかった方々にお会いすることができ、とてもいい経験になりました。今回のこの経験を自分にどういかしていくことができるか、よく考え具体的に行動していきたいです。

山岡早紀子
普段出会うことがない人や意見に巡り合うことができ、とても刺激的なものとなった。違った視点、考え方を知ることができ、自分の考えを深めるきっかけにもなったように感じた。なかなか自分の考えをまとめることは難しかったが、多くのものを吸収できたのではないかと思う。同時に自分の勉強不足を痛感したので、向上心を忘れず今回の機会を今後に活かせていければと考えた。

山本美菜子
 「夢だったのだろうか」。家に着いてからそう思えるほど、今回の教育GPは大変貴重な体験となった。
 まず、自分たちの研究に関する上杉隆氏へのインタビューから15日の活動は始まった。短かかったが大変刺激的な時間であった。それにつづく早稲田大学法学部水島ゼミとの交流では、緊張しつつも、初めて同年代の学生に自分達の研究報告を行った。しかし、準備不足から伝えきれなかったことが多く、初めて会う人に伝えたいことを伝えきり、議論を進めることの難しさを知った。対応してくださった水島ゼミの皆様には本当に感謝している。水島ゼミのモットー=“現場主義”のお話や、学生主体でゼミを運営している様子をお聞きできたことも、とても励みになった。
 そのあと向かった共同通信社では、報道に携わりたいという気持ちをさらに強くした。この時期に“現場”を目にすることができたのは、大きな意味があったと思う。
 その夜、何人かの現役記者の方と懇親会があったのだが、改めて大学で自分が何を学ぶべきか考えようと感じた。1日ではあったが、1秒1秒が本当に貴重な1日であった。

松野穂波
 非常に充実した2日間だったように思う。初日の早稲田大学では、法や具体的な社会の諸問題といった新たな観点から新聞の在り方について考えることができ、勉強になった。また、自分たちの研究を発表し、それに対する意見をもらうことで、新たな発見もあった。これを機に、別の切り口からさらに研究を深めていきたい。
 また、2日目の朝鮮大学では、多くの発見があった。3回生の発表を聞き、朝鮮報道の問題点を改めて知ることが出来た。また、その後のグループディスカッションで、在日として生きていくことの困難や、朝鮮人としての誇りについて飾らない意見を聞くことができ、本当によかったと思う。今の日本の報道に対する違和感は深まったが、現状を改善するために自分に何が出来るのか考え、行動していきたい。
 他にも、フリージャーナリストの上杉隆さんにお話を伺えたり、共同通信の見学など、学ぶことの多い2日間だった。この経験を活かし、自分が学ぶべきことを考えて、勉学に励みたいと思う。

<三回生>

朝鮮大学を訪問して
森本佳奈
 私にとって今回の朝鮮大学訪問は、春に京都の朝鮮第三小学校を訪問して以来二度目の朝鮮の学校訪問でした。日本の対朝鮮報道を見てつらい思いをしている人たちを再び目の前にし、心が痛みました。いわゆるテポドン問題や拉致問題を境に始まった日本の朝鮮報道は日本国民の朝鮮に対する意識を大きく変えてしまったと思います。それによって朝鮮学校の人々は制服を切り裂かれたり、学校に在特会のような団体が抗議に来たり報道による被害をたくさん受けてきました。以前のようにチョゴリが着られなくなり、在日を名乗る人も非常に少なくなってしまったと聞きました。浅野先生がいつもおっしゃられるようにペンの持つ力は大きいのだと改めて感じました。
 私はそれだけの影響力を持つ報道が変われば、日本人の朝鮮人に対する見方を変えることが可能であると思います。その可能性を信じてこれからも研究をがんばっていこうと思いました。今回よかったことは、朝鮮人の方と直接交流できたことだと思います。今まで漠然と朝鮮の人と言っていましたが、これからは朝鮮大学で出会った人々の顔を思い浮かべて研究に取り組めます。

教育GP雑感
津島洋平
 今回の教育GPの最も大きな収穫は、他大学の学生から私たちの共同研究に対する客観的な意見、批判をしてもらえたことにあると思う。朝鮮の民族教育という私たちとは完全に異なる教育を受け、朝鮮民主主義人民共和国という国家に対して深い知識を持つ朝鮮大学校の学生たちの視点は、非常に新鮮かつ刺激的であり、私たちの知識、理解では到底思いつかないような意見を提供してもらうことができた。それによって私たちの共同研究に足りない視点、問題点に気づかされた。今後も研究を進めていくうえで、定期的に今回の教育GPのような形で、他人の視点から研究全体を評価してもらい続けようと思う。
また、文面で研究を進めていくだけでなく、研究発表というように口頭で他人に研究内容を説明しようとすることによって、自分たちは何を理解できていて何を理解できていないのかを見つめなおすことができた。自分たちの研究に対する理解度を計れたという点でも、今回の教育GPの意義は大きかったように思える。

教育GP感想
仰木淳美
 今回の東京討論会は私にとって非常に有意義で刺激的な時間であった。16日に訪問した朝鮮大学では、現在浅野ゼミで行っている共同研究の発表をした。発表者が素晴らしい発表をしたのだが、質疑応答で鋭い指摘を受け、これからの課題が多々浮き彫りとなった。
その後、少人数のグループに分かれてディスカッションを行った。その中で朝鮮学校(小・中・高・大)は公立高校の約10倍の学費がかかるので経済的に行くことが大変なことや、イマージョン教育により学校内では日本語を話すことが禁止されていることなどを教えてもらった。メディアの話について、私たちは毎日、日本の新聞しか読んでいなくて情報が偏っているが、彼らは朝鮮や日本、アメリカなど様々な国の新聞を毎日読んでいるという。そうする事により、自分がどこの視点、立場に立つかによって世の中のあらゆる出来事が正しい基準で見ることができるそうだ。今回の交流を通して学校の勉強だけでは気付く事ができなかったことを気付き、発見することができた。現場へ出向くことは重要である。

感想
北尾ゆり子
 朝鮮大学校での交流で、北朝鮮に関する報道や日本の世論について、学生たちの率直な思いや体験を聞くことが出来た。在日というだけで北朝鮮と同一視し、敵対心を向ける日本人によって、彼らが不条理な目に遭っていることを知り、これまで自分がこの問題に興味を示さないでいたことを恥ずかしく思った。また、これらの被害がほとんど報道されていないのはおかしいと思う。
 そして何よりも、当事者の話はとても重みがあり、彼らが「テレビは見ない」「なんで日本に朝鮮人がいるのかってことを知ってほしい」と話した言葉を決して忘れてはいけないと感じた。
 ゼミの研究に関してもいくつか意見をもらい、ゲームや討論を通して打ち解けられて、連絡先を交換し再び会う約束が出来たことが嬉しかった。
 今回の訪問で、北朝鮮報道の陰で辛い思いをしている人々の声を聞いたことで、研究をしていく上での新たな視点を得ることが出来たのではないかと思う。

教育GP感想
趙銀
 今回の機会で普段経験できない他大学との交流、共同通信の見学、そして、いろんな方からの貴重な話を聞くことができ、すごく楽しかったです。特に早稲田大学と朝鮮大学の学生たちとの討論を通じて、共同研究に関しても、個人的にも刺激を受けました。
早稲田大学の水島ゼミとの討論会で早稲田の学生たちが自分らの研究に関して確信を持ってすらすらしゃべる姿がすごくうらやましかったです。それで、なぜ、彼らはそんなに自信を持って話せるんだろうと考えた時、彼らが主張した「現場主義」が思い浮かびました。ある問題を完全に理解するためには資料などを調べて研究することもいい方法だと思いますが、やはり現場に行き、自分の目で確かめて感じることが一番の問題を理解する方法だと思います。浅野ゼミも同志社のメディア学科の中で現場主義を一番実践しているゼミだと思っていますが、もっと自分らの研究に自負心を持ってこれからのゼミを頑張っていきたいと思いました。

教育GP感想
大原優紀
 私が思っていた以上に、「北」朝鮮という言葉を在日朝鮮人の学生が意識していることが分かるなど、とにかく気づきが多い朝鮮大学校訪問であった。特に印象深かったのは在日朝鮮人という立場は、朝鮮側でもなく日本側でもない、という事がひしひしと伝わってきたことであった。つい「朝鮮側」だと見てしまうことが、在特会を始め、在日朝鮮人や朝鮮学校の非理解へとなっているのではないだろうか。
私たちの多くが討論会と民族遊戯を通して、朝大生と親しくなり連絡先を交換した。朝大生と親しくなることは、同志社で友人を作ることと同じぐらい簡単であった。しかし宋先生のおっしゃった「これをきっかけに」という言葉を忘れないようにしたい。私は中学生の時に「優紀は好きだけど、日本は嫌い」と言われたことがある。せっかく討論会の場を得、共同研究を行い、鋭い指摘をもらう経験をしたのだから、これ以降ただ友人として交流するだけではもったいない。連絡先を交換した女の子が、夏休みに会いたいと言ってくれた。個人レベルの付き合いをすると同時に、日朝問題を一緒に考えて行く間柄でも在り続けたいと思う。

教育GPを終えて
亀山大樹
 とても内容の濃い二日間でした。一日目の水嶋教授のゼミとの討論会は、途中参加ではありましたが、「現場主義」を掲げ、座学だけでは見えてこない問題や対立の構造をあぶり出しているゼミ生の研究に大変刺激を受けました。関東、関西の違いはあれど、現在の社会が抱える矛盾に正面から向き合い、真実とは何かを追求しようとする気概は変わらないな、と感じました。
 二日目の朝鮮大学校での交流会は、三回生の共同研究発表を行うということで東京に出発する前から綿密な準備をして臨みました。朝鮮大学の宋教授や学生の他、日朝交流ネットワークを組織する大学生からの鋭い質問で、返答に窮する場面もありましたが、それは私たちが研究を進めていく上で避けられない課題を指摘しているものであり、研究の方法や指針を問い直す機会となりました。また、メディア学科で学んできた視点が、朝鮮大学校の学生や東京の学生に新たな問題の見方を提示していたことを、発表後のグループディスカッションの際に知ることができ、大変嬉しかったです。
 今回の交流で生まれた繋がりを継続し、新たな繋がりを作っていければ、と思います。出会いに感謝しています。

朝鮮大学校にて集合写真
(以上)

掲載日:2010年5月5日
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