浅野先生: |
二年生が昨日早稲田大学で、新聞、紙の媒体が生き残れるかどうかを発表しました。三回生が最初に発表した内容とかぶると思います。 |
質問: |
ジャーナリズムの原理・原則についてですが、マスメディアの、テレビなり新聞なり、言論が扱われているものには、必ず作り手がいて、その作り手の考えに基づいて書かれたり作られたりするので、100パーセントの事実ではないということを必ず付け加えなくてはならない。写真でも撮る人間の思想によって切り取られる。違う視点をいくつか見たなかで、事実を自分の中で再構築しなければならない、ということを見ている人に伝えなければならない、ということをジャーナリズムの原理・原則に含めなければならないのではないか。 |
田ノ上: |
客観報道は不可能という事ですが、確かにそのような意見もあります。しかし新聞でしたら、ストレートニュースや社説で、事実報道とオピニオンを分けています。客観報道をすることで、事実を積み上げて真実に近づいていくということです。何を取材して、どのように編集するかによって、伝える側の主観などが入ってしまうかもしれませんが。そのような事を意識しながら、事実をつみあげ、真実に近づくことができるのであれば、人々に判断をゆだねるうえで、客観報道はやはり意識していかなければならないと思います。 |
津島: |
付け足しという形になるんですが、客観報道の本来の目的が下に書いてあります。「オピニオンを展開する言論活動と事実の報道をはっきりと区別する」ということで、はっきりとした一次情報を伝えるという意味では、客観報道の定義とずれてしまうところがあります。事実はできるだけ客観的に、オピニオンはオピニオンとして事実報道と分けて伝えることが客観報道の精神に入っているのではないかと私たちは考えています。 |
浅野先生: |
私は「客観報道」という本を書いています。客観報道できない、という事はすごく耳触りがいいんです。マスコミはどうせ株式会社なのだからできないとか、すごく分かりやすいんです。「ああそうだね」ということで。しかしそれだと世の中何も変わらないでしょう。資本主義社会なんだからしょうがない、社会主義に変わるしかないとか。社会主義に簡単になれればいいけど、世の中は簡単に変わるものではない。私の考え方は、大きな理想を掲げて、その理想に向かって一歩一歩近づいていく。大きく社会を変化させる革命も大事だけれど、実際に人類が進めていく方法を経ていきたい。だから私たちが言っている客観報道は、ニューヨークタイムズやルモンド、ガーディアンが持っている最低限の客観報道の倫理である。これが日本のジャーナリズムは全くそこまでいっていない。だから、ニューヨークタイムズだって腐敗しているよ、と言う事は簡単だけれども、一番大切のは署名記事なんです。浅野健一が書いている、その署名をニューヨークタイムズは載せている。そしてニューヨークタイムズってどういう会社か、アル・ゴアやオバマに近くて、ブッシュに遠い、みんなそれを知っていて、そうやって読んでいる。NEWS23はTBSの報道局が作っていて、こういう人が作っている、それをメディアリテラシーというんです。
あとレジュメの5ページで、社説の中で発言が引用されているとありますが、「」がついてなかったり、日本の新聞の場合はこれが非常にあいまいなんです。今日の新聞で、小沢さんの件に関する発言で「ある民主党議員」と書いてある。これは卑怯でしょう。自分の名前を出さないで、こそこそ言っている。こういうのは記事にしてはいけないんです、よほどの理由がなければ、政治家なんですからね。発言者をはっきりさせる。いつ、どこで、どのように、電話で言ったのか、FAXで言ったのか、講演でしゃべったのか。そういう事を全部きちんと書くことが客観報道の原則なんです。所属をはっきりさせる。そういうことが、日本の新聞が劣っている点です。今日の新聞はだれだれが責任を持って編集をしましたとか、ニューヨークタイムズではすべてのページに責任者の名前が載っています。 |
質問: |
事実を報道する上で、どういう順番で報道するかによって意図が作られることを、つまり番組には必ず作り手がいて、ニュースの並べ方にも考えが入っていることを、番組は説明をしてほしいです。 |
津島: |
例えば新聞ならば一面、テレビのトップニュースにあがるものは、編集している方々が、今の日本や見ている人や、日本社会において重要であるという、編集の方の判断が入っているので、そこに関して50音順に並べるようにするのは、客観報道の議論とはかけ離れてしまうと思います。 |
森本: |
編集の意図を、説明してほしいということですよね? |
質問者: |
例えば、中国の地震のニュース、建国100周年のニュース、ひとつひとつではその情報なのですが、プログラミング、並び替えることで、ある考えを作れるという事についても、分からないままにコントロールされている感じですので。 |
津島: |
編集を行っている側にも、そういう編集を行っているということの説明責任がある。社会、市民に対して伝えて行かなければならないということを原則に盛り込んでほしいということですか。 |
質問: |
研究分析対象に、朝鮮側のメディアが使われていないことに不満・疑問をもっています。この発表を聞いたときに思ったのは、あくまで報道を分析するにあたって、朝鮮側の視点を読み取るにあたっても、日本の新聞に頼っている部分が大きいなとおもいました。 確かに朝鮮側の新聞を入手するのは難しいかもしれませんが、朝鮮新報のウェブサイトには日本語のページもあります。これを読めば、もっと事実に近い分析ができると思うので、もっと価値のある、事実に基づいた研究になると思います。今の研究の時点で私が感じたのは、研究をしているみなさんも事実の事を分かっていないんではないか、という事です。まず事実を知った上で比べないと、空想の研究になってしまうと思うので…やっぱり朝鮮新報をとることをお勧めします。(笑) |
津島: |
僕らもご指摘通り、朝鮮側の報道視点についても、特に朝鮮が伝えている情報に関して、僕らが使っていないというのは、そのとおりだと思います。朝鮮新報に関しても、一度先生の指摘が入って、一回議論にあがって、やはり必要なのではないかということになったのですが、その場では流れてしまって、実際採用という形にはならなかったのですが。こうやって改めて、そのような意見を持った人がいるということを再認識したことによって、やっぱり今後必要なんじゃないかという意識も強くなりましたし、貴重な意見として取り入れさせていただきます。ありがとうございました。 |
浅野先生: |
鋭い質問がのっけから三つ続きました。日本の大学生なので、日本のマスメディアの在り方を研究していまして。研究の比較対象として、全国紙5紙の中に朝鮮新報を入れることはちょっと難しいかな、という気がするんです。また違う研究になってしまうので。今回は、日本のマスメディアがどんなにゆがんでいるか、どんなにえげつないか、これは完全に犯罪ですね。このあいだも、朝日新聞が「金正日総書記が拉致を指揮した」と報じました。マスメディアにはいろんな病気があるんですが、朝鮮報道に対してはブレーキの外れた車が突っ走っている、そういう感じがあるんです。それを検証していかなければ、永遠に広がってしまう。そういう意味で学生はやっています。 |
質問者: |
「朝鮮側の視点が言及されていたかどうか」というものあったので、そこでは朝鮮日報と日本の新聞で比較できると思いました。 |
浅野先生: |
なかなか難しいんですけどね、日本でも「うわ~っ」とマスコミと世論が盛り上がっていく時があるじゃないですか、テポドンのときとか。それが繰り返しありますよね。あるいは、例えばあかぎれの女性の手を写して、それは15年も前の繊維工場の女性の手なんですが、それをいかにも朝鮮の女性はあかぎれして大変だ、とねつ造しているんですね。なかなか、日本にいて事実を得ることは難しくて、おっしゃるとおりです。客観的な事実があるはずなんですね。ロケットなのかミサイルなのか。BBCは少なくとも、ミサイル発射とは言ってないです。 |
宋先生: |
2009年の4月の人工衛星の発射を題材に取り上げているようですが、いつごろからこのようなメディアに変わりだしたのか、朝鮮問題に対して。僕らも、だいたいこのくらいじゃないか、という意見を持っているんですけど。最近は本当にあんまりじゃないか、という、正直なところ、感じがしまして。本当に日本の新聞を読みたくないくらい。どういうお考えをお持ちかということと、あとは、本当にどうしたら直るんだろうか。僕はよく学生に聞くんですね。どうしても日本の報道が入ってくるので、日本の新聞を読みなさい、朝鮮新報も読みなさい、労働新聞も読みなさいと。影響を受けるんです。ここに来ている学生も、我々の情報はたくさん入るんですけど、日本の情報もたくさん入るので、その影響も受けていますゴールというか在り方を聞けたらな、と思います。簡単でいいですよ。例えば、朝鮮大学の卒業生が朝日新聞社に入って、朝日の雰囲気に慣れていって。どうしたら報道は変わるのか。本当にちょっとあきらめムードなんです。日本の報道に何も期待することはない、という感じになってしまうので。 |
亀山: |
共同通信社の方にインタビューをして分かったことは、以前、帰国事業…朝鮮への帰国事業を推進するために、マスメディアが朝鮮を理想の国だという様に扱ってきて、その後本当はそうじゃない、というように変わってきた。 |
森本: |
拉致問題が発覚したぐらいからが、やっぱり朝鮮バッシングに変わってきて。それまでは朝鮮が「地上の楽園」であるという報道がされてきた時代があったにも関わらず、拉致問題が発覚してから、一変して朝鮮バッシングと変わっていったと、共同通信の方から聞きました。これからの報道がどうなっていくかですが、私個人の考えとしては、社会の様々な人の話を聞いたり、報道の分析をしたりして、こんな報道がありますよね、と記事を書いている人に対して、学生側から責めていくことが必要なのかなと思います。書いている人自身に対して、あなたこんなこと書いていますけど本当にこれで正しいですか、と言えるくらいになれれば、書く人の意識を変えていけるかなと思っています。 |
津島: |
補足なのですが、なによりもこうやって学んできた人が、報道従事者になることによって組織の内部から意識改革なり、例えば一人だけでもそういう意識を持っている人がいれば、賛同してくれる人もいるでしょうし。そうやって内部的に変えていくことも必要ではないかと考えています。外から行って、内部の体質はそんなに変わるものではないとは思うので、やはり内部から、実際にジャーナリズムを志している我々のような意識を持つ人が、マスコミで働く事によって変えていくことが重要だと思います。 |
質問: |
ジャーナリズムの原理・原則にある、第四章で「少数派や弱者の声の代弁者でなければならない」とありますが、例えば拉致被害者の方々の意見というのは、少数派や弱者の声だと思うんですが、現実をみると、拉致被害者の方々が主張していることが障害となって、日朝友好が築かれていない、と思うのですが。原則の中に「非戦社会の実現」がありますが、そういった矛盾はどうやって解決していくのですか。 |
田ノ上: |
そもそも拉致被害者の問題は、実際おきたことですから事実は報道すべきだと思うのですが、どのように報道されるかが重要だと思います。現状は、拉致されて「ひどい、ひどい」と側面だけ取り上げて、必要以上にクローズアップして報道が中心だと思うんです。実際に日本も戦時中に朝鮮からたくさんの人を連れてきましたし、そのような事実は報道すべきなんです。ですから、一側面だけに焦点を当てないで、全体像をしっかり、問題の根源をはっきりさせることが重要である。あと、政治利用など、偏った部分だけで利用しないで、そもそも一部に焦点を当てた報道が喜ばれ、受け入れられる日本社会を根本的に変えていかなければならないのかなと思います。 |
津島: |
僕の意見ですが、日本メディアが伝えているのは拉致被害者の声であると同時に、拉致被害者を支援してそういうことをやっていますよ、という日本政府の態度を伝えていると思うんです。むしろその意味合いの方が強いと感じます。今の拉致被害者に関する報道というのも、そもそも少数派や弱者の声の代弁の報道ではないと考えています。また日本政府の意見として、拉致問題の解決なしに国交正常化はありえないという、強硬姿勢といえる、そういう姿勢を政府なりメディアなりが持っていることによって、結果的に日朝友好の妨げになってしまっていると考えます。 |
質問: |
そういう風なことがなかなかできない状況に今あると思います。その中で報道の真実を見極めていく報道をしても、それが国民に求められていなかったり、読まれないようであれば、あまり意味がない。ならばどうすればいいと思いますか? |
津島: |
非常にテクニカルな部分というか、実際に僕は現場の記者として働いたことはないですし、そういう部分に対してまだ考えの整理がついていない部分があります。その指摘は、重く受け止めるというか、そういった視点を持ちつつ、研究に関しても整理していきたいと思います。 |
趙 銀: |
(韓国人留学生だということで全体に自己紹介をした)
拉致問題に関して、日本政府がいつから拉致問題に興味をもったのか。そういう背景をしらべたら、どういう政治状況だったのか分かると思います。拉致問題についてどう思うか。韓国にいた時は、拉致問題は聞いたことがあったが、日本人を拉致したことは知らなかった。そういうことを聞いたときに、なんで拉致したのかがすごく気になって。それは、分からないですよね。その説明をしてもらいたい。解決すべき問題だと思いますけど、日本側だけでなくて、朝鮮側からもその説明をしてほしいと思います。客観的に見る必要があるんじゃないかと。私の印象では、すごく最近そういう問題がでてきたような気がします。なんでそういう問題がでてきたか、知りたいと思います。 |
浅野先生: |
韓国であんまり日本の拉致が取り上げられないのは、お互いさまということでしょう。 |
趙: |
でも韓国ではそんなに報道しないので、みんな知らないと思います。大きく報道しないというか。 |
iii.質疑応答、補足
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質疑応答の際、十分にこたえることが出来なかった応答に関して、京都に戻った後話し合いをした。その報告を、ここに補足として書く。
●「ロケット」と「ミサイル」の定義は何か?
『広辞苑第五版』(岩波書店 2006)によると、ロケットは「機体内に蓄えた推進剤を燃焼させて高速度で噴出させ、その反作用として推力を得る装置」とある。一方、ミサイルは「ロケットなどの推進装置を備えた軍用の飛翔体で、弾頭を装着し、各種の誘導装置を持つもの。発射地点と目標によって、地対空・空対空ミサイルなどに区別する」とある。すなわち、ミサイルはロケットを軍事的利用のために改造したものであり、2009年4月に朝鮮より発射された物体の名称として「ミサイル」はふさわしくない。朝鮮が「人工衛星」と主張し、またその軍事性が明らかでない以上、「飛翔体」あるいは「ロケット」とすべきである。
●社説内で取り扱われている「朝鮮側の視点の有無」の分析方法の設定
社説の中には、文章中に朝鮮の視点を取り上げたものがあるが、これが文脈上でどのように使われているか分析することが必要である。なぜなら、可能な限り双方の意見を対等に扱おうとする意識で朝鮮の視点が書かれている場合と、単にあとから批判をする目的で取り上げている場合を明確に分ける必要があるためである。ただし分析対象が社説のため、意見の主張は客観報道の原則にふれない、という考え方ができる。そのため共同研究では、社説全体を見て、朝鮮の視点の取り扱いかたが妥当あるいは妥当でないかを判断するべきかもしれない。
●客観報道は不可能ではないか。編集者の意図を明示してほしい。
客観報道を行うことで事実を積み上げ、真実に近づくというものが客観報道を行う本来の目的である。確かに客観報道は、編集の時点で記者個人の主観が入るために不可能だという意見があるが、それを可能にするためにはいくつかの方法がある。
第一に、ニュースソースの明示が挙げられる。これにより記者がどのような意図を持って記事を書いたのかを推し量ることができ、同時に記事自体の信憑性を高めることもできる。第二、記者による署名記事が挙げられる。記事を書いた記者の人物像を把握することが出来ると同時に、記事一つ一つへの記者個人の責任を強いることができるためである。第三に、引用の明示が挙げられる。引用先の信憑性を確認し、引用した意図を推し量ることができるためである。そして引用箇所には「~によると」などという読者が判断しやすい表現を使う必要がある。
第四にストレートニュースと論考記事の分離があげられる。社説を初めとする論考記事にはそもそも社の主張や記者の意見が多分に盛り込まれているものである。一方、ストレートニュースはありのままの事実のみを伝えるものである。そのため、ストレートニュースと論考記事の違いを記者が把握し、明確に分離して読者に提供しなければならない。
このようなことを踏まえれば客観報道は可能であると浅野ゼミ16期生は考える。
●拉致被害者は少数派であり、その少数派の意見を代弁するために、非戦社会の実現を妨げているのではないか。
そもそも拉致被害者問題は、少数意見の代弁というよりも、政府の政治利用の目的で使用されている意味合いが強いように感じる。そのため、「拉致被害者は少数派であり、その少数派の意見を代弁するために、被選社会の実現を妨げている」とは言えないだろう。
さらに、少数派の意見を代弁するという点おいては、報道のされ方が大切であると考える。拉致被害者は確かに少数派である。しかし問題の一部分だけに焦点を当てた報道、とりわけ今回の場合だと日本政府の政治的思惑が絡むような報道があってはならない。
●現在の報道に見られる、偏った朝鮮報道はいつ頃はじまったのか?
日本には、戦前から朝鮮半島およびアジア全体への蔑視があった。それが戦中の朝鮮人の強制連行へとつながっていった。しかし1960年代に入り、社会主義への幻想から、北朝鮮、地上の楽園論が流不した。それは朝日、毎日、共同など、ソ連社会主義を賞賛していた一部のメディアの反応であり、それらのメディア、特に朝日新聞はその反動から、今日は半朝鮮の姿勢を強く打ち出している。この幻想の一方で、1965年6月に結ばれた日韓併合以前の条約が「もはや無効であることが確認される」とする日韓季報条約の際には、在日朝鮮人を異質なものとして報道している。1997年にいわゆるテポドンが発射され、反朝鮮報道が過熱した。また、2002年9月17日に小泉純一郎総理大臣と金正日総書記の元、歴史を清算し、早期の国交正常化交渉の再開を目指そうとする「日朝平壌宣言」が結ばれた。ここで、朝鮮が拉致を認める内容の発表を行われると、国が国家による犯罪を認める行為であるにも関わらず、日本では朝鮮バッシングがさらに高まった。帰国者やその家族が集中的に報道されるだけでなく、在日朝鮮人への嫌がらせや、ナショナリズムの高まりがみられた。その一方で、植民地支配責任は議論されなくなった。これらをきっかけに、朝鮮への犯罪的ともいえる偏った報道が次々と発生していったのである。 |
IV.韓国人留学生、趙 銀が感じた朝鮮大学校
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素敵な友達-朝鮮大学に行ってきて-
3回生 趙 銀(チョウ・ウン)
2010年1月16日教育GPで朝鮮大学を見学することになった。最初この話を聞いた時に正直期待感より不安の方が大きかった。浅野先生がおっしゃった「韓国人が朝鮮大学に入るなんて珍しいことですね」っていう言葉が私の不安を募らせたのかもしれない。
不安な気持ちを抱いたまま私は朝鮮大学の正門にたどり着いた。朝鮮大学の初印象は「普通の大学」だった。ただ、一つ正門から入ってすぐ見える本館に「위대한 김일성 수령님 만세!」「偉大な金日成首領様万歳!」と書いてあることだけが私が、今朝鮮大学にいることを思い出させてくれた。その文句に圧倒されない韓国人はいないだろう。
朝大のキャンパスは思ったより広い。キャンパスの中に寮まで建てられていた。朝大は全寮制で800人ぐらいの学生みんなが学校内の寮で一緒に生活をしていた。寮の近くには洗濯室、購買など施設が設けられていて、日常生活を不便なく普通に送られるそうだった。校内見学で私が一番驚いたのは、図書館に韓国の新聞があったということだった。私のたぶん勝手に朝鮮大学の学生は韓国の新聞は読まないと考えていたかもしれない。
校内見学が終わってから3年生の共同研究成果の報告発表が、朝大生や朝大生と交流している日本の大学生組織「日朝学生ネット」の学生たちの見守る中で行われた。報告が終わった後、浅野先生が私のことを韓国人留学生だとみんなに紹介してくださって、日本語と韓国語で挨拶をした。校内では朝鮮語で話すことが規則だと聞いていたので、朝大生みんなが私の韓国語を理解してくれることは承知していたが、何だが不思議な感じだった。
報告会がお終わった後、グループディスカッションが行われた。今回東京に来て一番楽しかった時間だったかもしれない。なぜなら朝大に新しい友達ができたからだ。
私たちは最初は日本語で会話を交わしたが、彼女のノートをチラッとみたら授業中朝鮮語で書いたメモが私の目に留まった。そこには「전쟁은 증오와 분노를 불러일으키는 것 뿐」「戦争は憎しみと怒りを呼び起こすだけ」だと書いてあった。驚いた。今まで私が見てきたメディアは、朝鮮は戦争を起こしたくてやきもきしているように報道していた。それを見て朝鮮の人もみんなそうだと思っていた。しかし、実際は違った。
私は彼女に「朝鮮語はうまい?」と聞いたら、彼女は「ウリマル(私たちの言葉)で勉強するのである程度しゃべれる」と答えた。早速私は韓国語で話しかけてみた。彼女のウリマルはすばらしかった。日本で生活しながらこれぐらいしゃべれることは相当努力したはずだ。私たちは好きな芸能人やドラマのことで盛り上がった。最後に私は思い切って聞いてみた「韓国についてどう思う?」彼女は一秒の戸惑いもなく「好き。今は日本と同じぐらい発展しているし、応援している」と答えてくれた。
素直に嬉しかった。正直彼女に韓国についての考えを聞いてみたけど、会話中一瞬も彼女が朝鮮人だと意識しなかった。そう、私たちはただの友達だった。最初朝鮮大学に入る前に緊張していた自分とはまるで別人のようだった。
私たちは連絡先を交換してまた会えることを信じて別れの挨拶をした。
1月16日は朝鮮大学の訪問した日でもあるけど、素敵な友達ができた日で私の記憶に残りそうな気がする。 |
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<二回生>
松下桜子
早稲田大学では、水島朝穂ゼミを訪問させていただきました。そこで私たちが現在行っている共同研究『新聞に未来はあるのか』の発表をさせていただき、水島教授・ゼミ生の方々から大変貴重な意見をいただくことができました。これから研究のまとめに入らなければいけない時期に差し掛かっているので、今回の意見を踏まえることによって、より密度の濃い研究報告が出来るのではないかと思います。また、「『現場主義』を大切にしている」という水島ゼミの方針は、私たちにとってもとても刺激的であり、見習うべき方針であるとも感じました。
朝鮮大学では、3回生の研究発表の後グループディスカッションを行いました。テーマは『朝鮮報道について』など少し難しいものでしたが、とても活発な議論となり、参加者全員の意識の高さを感じました。
今回の討論会では、たくさんの学生の方と意見を交換することができ、自分自身の成長につながったと思います。そして何より、先輩方の発表を聞き、自分たちの発表を聞いてもらうことによって、浅野ゼミ全体の距離が縮まり、ゼミ全体にまとまりが生まれる良いきっかけになったと思います。
門脇由紀
普段、学内で同じ先生につき、同じ仲間と学ぶのとは違い、学外の、しかも東京という洗練された街で学んでいる学生らの意見を直接聞くことができ、とても刺激的だった。早稲田大学では互いのゼミの活動や主義・主張を披露した後、二回生を中心に「新聞は生き残れるか」というテーマで共同研究の発表を行い、互いの意見を言い合う、という形で交流会を行った。相手方が法学部だったということもあり、法学的観点からの意見や、ある事象に対し、どのような考えやスタンスで向き合っているかなど、同世代の学生が普段何を感じ、何を学ぼうとしているのかを知ることができ、今後の学習の参考になった。
また朝鮮大学では他大学の学生も参加していたのだが、一連の日本の朝鮮報道に対し、皆私たちと同じ問題意識を持っていることが分かった。しかし、問題意識を持つ、というところまでは同じでも、自分自身まだまだ歴史的背景の知識が浅いからか、意見が終始抽象論に帰結してしまったきらいがある。今後はこれらの反省点も踏まえ、今回の教育GPで感じたことを活かし、さらなる学びを重ねていきたいと思う。
藤田恵菜
普段意見交換をすることのない東京の大学生と討論できたことはとてもためになる貴重な機会でした。
早稲田大学のゼミでの勉強方や研究テーマについての意見を聞くことで、今後の研究でのヒントを得ることができたと思います。また共同通信社の社内見学では、実際に職場を見せていただいて、マスコミ業界で働くことへのモチベーション向上に繋がりました。現場で働いておられる方の生の声を聞くことで、自分がこれからやっていかなければならないことや,やりたいことが見えてきたような気がします。
今回東京に行かなくては会うことのできなかった方々にお会いすることができ、とてもいい経験になりました。今回のこの経験を自分にどういかしていくことができるか、よく考え具体的に行動していきたいです。
山岡早紀子
普段出会うことがない人や意見に巡り合うことができ、とても刺激的なものとなった。違った視点、考え方を知ることができ、自分の考えを深めるきっかけにもなったように感じた。なかなか自分の考えをまとめることは難しかったが、多くのものを吸収できたのではないかと思う。同時に自分の勉強不足を痛感したので、向上心を忘れず今回の機会を今後に活かせていければと考えた。
山本美菜子
「夢だったのだろうか」。家に着いてからそう思えるほど、今回の教育GPは大変貴重な体験となった。
まず、自分たちの研究に関する上杉隆氏へのインタビューから15日の活動は始まった。短かかったが大変刺激的な時間であった。それにつづく早稲田大学法学部水島ゼミとの交流では、緊張しつつも、初めて同年代の学生に自分達の研究報告を行った。しかし、準備不足から伝えきれなかったことが多く、初めて会う人に伝えたいことを伝えきり、議論を進めることの難しさを知った。対応してくださった水島ゼミの皆様には本当に感謝している。水島ゼミのモットー=“現場主義”のお話や、学生主体でゼミを運営している様子をお聞きできたことも、とても励みになった。
そのあと向かった共同通信社では、報道に携わりたいという気持ちをさらに強くした。この時期に“現場”を目にすることができたのは、大きな意味があったと思う。
その夜、何人かの現役記者の方と懇親会があったのだが、改めて大学で自分が何を学ぶべきか考えようと感じた。1日ではあったが、1秒1秒が本当に貴重な1日であった。
松野穂波
非常に充実した2日間だったように思う。初日の早稲田大学では、法や具体的な社会の諸問題といった新たな観点から新聞の在り方について考えることができ、勉強になった。また、自分たちの研究を発表し、それに対する意見をもらうことで、新たな発見もあった。これを機に、別の切り口からさらに研究を深めていきたい。
また、2日目の朝鮮大学では、多くの発見があった。3回生の発表を聞き、朝鮮報道の問題点を改めて知ることが出来た。また、その後のグループディスカッションで、在日として生きていくことの困難や、朝鮮人としての誇りについて飾らない意見を聞くことができ、本当によかったと思う。今の日本の報道に対する違和感は深まったが、現状を改善するために自分に何が出来るのか考え、行動していきたい。
他にも、フリージャーナリストの上杉隆さんにお話を伺えたり、共同通信の見学など、学ぶことの多い2日間だった。この経験を活かし、自分が学ぶべきことを考えて、勉学に励みたいと思う。
<三回生>
朝鮮大学を訪問して
森本佳奈
私にとって今回の朝鮮大学訪問は、春に京都の朝鮮第三小学校を訪問して以来二度目の朝鮮の学校訪問でした。日本の対朝鮮報道を見てつらい思いをしている人たちを再び目の前にし、心が痛みました。いわゆるテポドン問題や拉致問題を境に始まった日本の朝鮮報道は日本国民の朝鮮に対する意識を大きく変えてしまったと思います。それによって朝鮮学校の人々は制服を切り裂かれたり、学校に在特会のような団体が抗議に来たり報道による被害をたくさん受けてきました。以前のようにチョゴリが着られなくなり、在日を名乗る人も非常に少なくなってしまったと聞きました。浅野先生がいつもおっしゃられるようにペンの持つ力は大きいのだと改めて感じました。
私はそれだけの影響力を持つ報道が変われば、日本人の朝鮮人に対する見方を変えることが可能であると思います。その可能性を信じてこれからも研究をがんばっていこうと思いました。今回よかったことは、朝鮮人の方と直接交流できたことだと思います。今まで漠然と朝鮮の人と言っていましたが、これからは朝鮮大学で出会った人々の顔を思い浮かべて研究に取り組めます。
教育GP雑感
津島洋平
今回の教育GPの最も大きな収穫は、他大学の学生から私たちの共同研究に対する客観的な意見、批判をしてもらえたことにあると思う。朝鮮の民族教育という私たちとは完全に異なる教育を受け、朝鮮民主主義人民共和国という国家に対して深い知識を持つ朝鮮大学校の学生たちの視点は、非常に新鮮かつ刺激的であり、私たちの知識、理解では到底思いつかないような意見を提供してもらうことができた。それによって私たちの共同研究に足りない視点、問題点に気づかされた。今後も研究を進めていくうえで、定期的に今回の教育GPのような形で、他人の視点から研究全体を評価してもらい続けようと思う。
また、文面で研究を進めていくだけでなく、研究発表というように口頭で他人に研究内容を説明しようとすることによって、自分たちは何を理解できていて何を理解できていないのかを見つめなおすことができた。自分たちの研究に対する理解度を計れたという点でも、今回の教育GPの意義は大きかったように思える。
教育GP感想
仰木淳美
今回の東京討論会は私にとって非常に有意義で刺激的な時間であった。16日に訪問した朝鮮大学では、現在浅野ゼミで行っている共同研究の発表をした。発表者が素晴らしい発表をしたのだが、質疑応答で鋭い指摘を受け、これからの課題が多々浮き彫りとなった。
その後、少人数のグループに分かれてディスカッションを行った。その中で朝鮮学校(小・中・高・大)は公立高校の約10倍の学費がかかるので経済的に行くことが大変なことや、イマージョン教育により学校内では日本語を話すことが禁止されていることなどを教えてもらった。メディアの話について、私たちは毎日、日本の新聞しか読んでいなくて情報が偏っているが、彼らは朝鮮や日本、アメリカなど様々な国の新聞を毎日読んでいるという。そうする事により、自分がどこの視点、立場に立つかによって世の中のあらゆる出来事が正しい基準で見ることができるそうだ。今回の交流を通して学校の勉強だけでは気付く事ができなかったことを気付き、発見することができた。現場へ出向くことは重要である。
感想
北尾ゆり子
朝鮮大学校での交流で、北朝鮮に関する報道や日本の世論について、学生たちの率直な思いや体験を聞くことが出来た。在日というだけで北朝鮮と同一視し、敵対心を向ける日本人によって、彼らが不条理な目に遭っていることを知り、これまで自分がこの問題に興味を示さないでいたことを恥ずかしく思った。また、これらの被害がほとんど報道されていないのはおかしいと思う。
そして何よりも、当事者の話はとても重みがあり、彼らが「テレビは見ない」「なんで日本に朝鮮人がいるのかってことを知ってほしい」と話した言葉を決して忘れてはいけないと感じた。
ゼミの研究に関してもいくつか意見をもらい、ゲームや討論を通して打ち解けられて、連絡先を交換し再び会う約束が出来たことが嬉しかった。
今回の訪問で、北朝鮮報道の陰で辛い思いをしている人々の声を聞いたことで、研究をしていく上での新たな視点を得ることが出来たのではないかと思う。
教育GP感想
趙銀
今回の機会で普段経験できない他大学との交流、共同通信の見学、そして、いろんな方からの貴重な話を聞くことができ、すごく楽しかったです。特に早稲田大学と朝鮮大学の学生たちとの討論を通じて、共同研究に関しても、個人的にも刺激を受けました。
早稲田大学の水島ゼミとの討論会で早稲田の学生たちが自分らの研究に関して確信を持ってすらすらしゃべる姿がすごくうらやましかったです。それで、なぜ、彼らはそんなに自信を持って話せるんだろうと考えた時、彼らが主張した「現場主義」が思い浮かびました。ある問題を完全に理解するためには資料などを調べて研究することもいい方法だと思いますが、やはり現場に行き、自分の目で確かめて感じることが一番の問題を理解する方法だと思います。浅野ゼミも同志社のメディア学科の中で現場主義を一番実践しているゼミだと思っていますが、もっと自分らの研究に自負心を持ってこれからのゼミを頑張っていきたいと思いました。
教育GP感想
大原優紀
私が思っていた以上に、「北」朝鮮という言葉を在日朝鮮人の学生が意識していることが分かるなど、とにかく気づきが多い朝鮮大学校訪問であった。特に印象深かったのは在日朝鮮人という立場は、朝鮮側でもなく日本側でもない、という事がひしひしと伝わってきたことであった。つい「朝鮮側」だと見てしまうことが、在特会を始め、在日朝鮮人や朝鮮学校の非理解へとなっているのではないだろうか。
私たちの多くが討論会と民族遊戯を通して、朝大生と親しくなり連絡先を交換した。朝大生と親しくなることは、同志社で友人を作ることと同じぐらい簡単であった。しかし宋先生のおっしゃった「これをきっかけに」という言葉を忘れないようにしたい。私は中学生の時に「優紀は好きだけど、日本は嫌い」と言われたことがある。せっかく討論会の場を得、共同研究を行い、鋭い指摘をもらう経験をしたのだから、これ以降ただ友人として交流するだけではもったいない。連絡先を交換した女の子が、夏休みに会いたいと言ってくれた。個人レベルの付き合いをすると同時に、日朝問題を一緒に考えて行く間柄でも在り続けたいと思う。
教育GPを終えて
亀山大樹
とても内容の濃い二日間でした。一日目の水嶋教授のゼミとの討論会は、途中参加ではありましたが、「現場主義」を掲げ、座学だけでは見えてこない問題や対立の構造をあぶり出しているゼミ生の研究に大変刺激を受けました。関東、関西の違いはあれど、現在の社会が抱える矛盾に正面から向き合い、真実とは何かを追求しようとする気概は変わらないな、と感じました。
二日目の朝鮮大学校での交流会は、三回生の共同研究発表を行うということで東京に出発する前から綿密な準備をして臨みました。朝鮮大学の宋教授や学生の他、日朝交流ネットワークを組織する大学生からの鋭い質問で、返答に窮する場面もありましたが、それは私たちが研究を進めていく上で避けられない課題を指摘しているものであり、研究の方法や指針を問い直す機会となりました。また、メディア学科で学んできた視点が、朝鮮大学校の学生や東京の学生に新たな問題の見方を提示していたことを、発表後のグループディスカッションの際に知ることができ、大変嬉しかったです。
今回の交流で生まれた繋がりを継続し、新たな繋がりを作っていければ、と思います。出会いに感謝しています。 |