元毎日新聞記者の西山太吉氏と外務省元米局長の吉野文六氏の対談が17日、東京都内共同通信会館1階の北海道新聞社会議室で北海道新聞、『世界』(岩波書店)編集部、同志社大学社会学部浅野健一ゼミの共催により実現した。3月9日の外務省による密約調査報告書提出を受けて、両氏が快諾した。
2人は昨年12月1日に沖縄密約をめぐる情報公開訴訟の法廷で、西山氏の刑事裁判以来37年ぶりに顔を合わせ、「落ち着いたら二人で会いましょう」という短い言葉を交わしたが、事件後、対話したのは初めてのことだ。
まず、西山氏が暴いた沖縄返還時における日本側による土地回復費用400万ドルの肩代わりの密約について、吉野氏は「(西山氏と)解釈の違いがある」として、当時の交渉現場の一幕を明らかにした。またかつて西山氏の刑事裁判で検察側証人として法廷で「偽証」したことについて、吉野氏は「機密は秘匿するという外務省の習性が根強かった」「(西山さんに)悪いとか良いとかそういう感情は何も抱いていない。すべては裁判所が決めることだと考えていた」と語った。西山氏も「吉野さんは外務省という組織の一員であって、組織に所属する以上、抵抗することが困難だったのでしょう。だからそれ(偽証)は当然の行為でしょう」と深く理解を示した。
外交機密に関する認識は、「相手国との関係もあるので、それは止むを得ない面もある」とする吉野氏と、「外交の結果はすべて公表しなければならない」とする西山氏との間で相違が見られた。しかし、それは官僚とジャーナリストという立場の違いに起因するのであり、「(違いがあるのは)当然のことである」と西山氏は語った。
ところで、吉野氏が真実を語る決心をした理由は二つある。一つは、西山氏が「時間や費用を費やして真実を明らかにしようとする姿に感銘を受けた」こと。もう一つは、公文書などを元に丹念に事実を積み上げていく努力を怠らなかった日本のジャーナリズムの姿であった。
吉野氏は「(日本には)優秀な人が多い。彼らの手によって、今後も歴史の真実が少しずつ明らかになるでしょう」と述べた。また西山氏も、日本のジャーナリズムに問題があることは否定できないとしながらも、「個々のレベルでは優秀なジャーナリストが多い。それに組織の中で闘う人の数が、昔より増えてきた」と語った。
最後に、両氏は将来を担う学生に向けて、「日米関係の変化をしっかりと認識した上で、新しい日本のあり方を模索していく継続的な努力が必要である」と述べた。
この歴史的な対談では、なぜ「密約」になったのか、その背景にはどういった事情があったのか、外務省内の体質、日米両政府、様々な角度から切り込んでいて、「密約」に至る過程の一側面があぶり出された。
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西山氏が原告となった情報公開訴訟の判決が4月9日に下される。歴史的対談に続き、歴史的判決が出されるのか注目される。
2009年1月に浅野ゼミ1回生(当時)が中心になって、西山さんと藤森克美弁護士を招いてシンポ「沖縄密約とメディア」を開いたのがきっかけで、浅野ゼミのTAの同志社大学大学院法学研究科政治学専攻後期課程2年の望月詩史さん、現2回生ゼミ、浅野教授が協力して、道新の徃住嘉文記者(とこすみ・よしふみ)記者と対談の企画を一緒に進めてきた。
※対談の詳細は後日掲載いたします。