救援連絡センターが2010年4月10日、東京芸術劇場5階大会議場で開いた定期総会の第二部のイベントで、足利事件の菅家利和さんと氷見事件の柳原浩さんに浅野健一さんがインタビューした。
冤罪被害者たちは今、名誉回復の闘いの中で「冤罪を作り出した者たち」の責任を問い、ともに手を携えて、冤罪司法を追いつめつつある。
以下は、お二人の発言の記録である。
(司会・浅野健一、記録協力・同志社大学社会学部メディア学科3年・松野穂波)
浅野:同志社大学でジャーナリズムを教えている浅野健一です。今日は、日本を代表する再審を行った菅家さんと柳原さんが来ています。「冤罪」という言葉はあまり好きではない。むしろ、権力の「でっちあげ」であり、国家の犯罪である。許しがたい犯罪です。
今日は私がコーディネーターをさせていただきます。では、お二人の、簡単に自己紹介をお願いします。
菅家:みなさん、こんにちは。菅家利和です。今月3月26日に再審無罪を勝ち取りました。完全な無罪になりました。ありがとうございました。
柳原:みなさんこんにちは。富山事件の柳原です。私の方は、5月2日にまた裁判が待っておりますので、よろしくお願いします。
浅野:会場には菅家さんを支えてこられた西巻糸子さんが来られています。それでは、柳原さんにお聞きしますが、警察・検察の捜査について、何が一番問題だったと思いますか。
柳原:平成14年(2002年)の4月、私はタクシーの運転手だったのですが、突然警察官が6人やってきて、警察手帳を見せられて、「ちょっと来い」と取調室に連れて行かれた。そこで最初に「お前はどうしてここに連れてこられたかわかるか」と言われた。○○をやったんじゃないか、などの取調べが2日続き、約1週間あいてから「姉たちが「間違いないからどうにでもしてくれ」と言っているぞ」と言われ、私は一度気を失った。気が付いたら取調官が「お前は亡くなった母親の写真を持っているだろう」ということで、私は警察官に(母親のことは)何も言っていないのですが、母親の写真を出せと言われて、写真をこういう風に置いて、「やってないと言えるか。お前の姉さんは間違いないと言ってるぞ」ということを何度も言われ続けていると、投げやりになってしまって、一言「はい」と言ってしまったら、逮捕状を示され、その場で逮捕という形になりました。
浅野:では、菅家さんはどうでしたか。
菅家:平成3年の12月1日、朝7時ごろにいきなり警察官がやってきました。玄関の方でドンドンと音がするので、なんだろうなと思って向かったら、警察が「菅家はいるか」と言うのです。ドアを開けたら、突然3人の警察官が中へ押し入ってきて、私を奥の方へ追いやって、「菅家、そこへ座れ」と言うのです。そして座ると、一人の刑事が「お前、子どもを殺しただろう」と言うのです。私はびっくりしました。「どうして。私はやっていません」と言ったら、いきなり胸にドスンと来て、後ろにひっくり返りました。少しの間起き上がれませんでしたが、起き上がると、一人の刑事が胸元から写真を出して、「この子に謝れ」と言うわけです。私は謝らないですよ、やってないですから。しかし、少し時間がたってから、私はその子どもに手を合せました。かわいそうですから。すると、「やっぱりお前がやったんだ」と言われました。私は「今日、友人の結婚式に呼ばれているんだ」と話しましたが、「無理だよ」と言われ、そのまま警察へ連れて行かれたのです。20~30分待たされて、刑事が戻ってきました。「お前が殺したんだろう」「いや、やってませんよ」。こんなバカなことがあってたまるかと思っていたのですが、やはり「やった」と言うまでは納得しないのです。何度「やってない」と言っても認めない。「やった」と言うまでは詰めるわけです。自分はやっていないのに、どうしてこんなところにいなくてはいけないのかとずっと思っていました。朝から晩まで、13時間ずっと「私はやってない」「お前なんだ!証拠があるんだよ」「いくら証拠があると言われても、私はやっていませんから」と言い合いです。「早くしゃべって楽になれ」とか「どうして自首しなかったのか」とか言うわけです。やってないのに自首なんてしません。しかし夜10時ごろ、疲れて眠くなってきて、両親のことも、兄弟のことも、全部頭に浮かばなくなってしまって、「私がやりました」と言ってしまいました。私はなんでそんなことを言ってしまったのか。やっていないのに。しかし、やったと言ってしまった以上、どうして話したらいいかわからないのです。「やりました」と言ったら逮捕状を見せられて、「逮捕する」と言われました。
自分は、事件当時は自転車を使っていました。真犯人はどうやって誘拐して殺したのかわかりません。しかし私は、自分なりにストーリーを考えていて、その夜は眠れなかった。ずっと考えていました。そして翌日、取り調べで「どうやってお前は誘拐して殺したのか」と言われます。私は自分なりに考えて、「実は、パチンコ屋さんの前に真実ちゃんがいました。真実ちゃんに「自転車に乗るかい」と声をかけて、私は土手まで自転車に真実ちゃんを乗せて行きました。土手を降りますと、野球場があります。野球場のネットの裏を自転車で走り、河川敷のところで真実ちゃんを降ろして首を絞めて殺しました」という話になりました。しかし、真犯人がどうやって真実ちゃんを誘拐して殺したのかわからないので、今言ったのは自分で考えたストーリーなのですが、そのまま調書に書かれました。本当は違うんじゃないか、とか、何か言われるんじゃないかとか思っていましたが、全然そういうことはありませんでした。私が言った通りに(調書を)書いていたのです。以上です。
浅野:お二人とも、事件当時を思い出して話すのはつらいと思います。警察官は礼儀が悪いですね。柳原さんと菅家さんでは少し違いますが、柳原さんもいろいろと調べられて、菅家さんは13時間取り調べられて、自白してしまった。「やった」という自白に追い込むかどうかです。「やった」と言った瞬間に、逮捕状を示されたのですね。そこを詳しく教えていただけませんか。
柳原:逮捕状はすでに取られていまして、私が自白という形をすればすぐに逮捕状を持ってくるという仕組みまで整えられていました。
浅野:それはおかしいですね。先ほど菅家さんが調書について話していましたが、警察が作る調書はいわゆる本人が話したことになっている内容が、本当に起承転結が詳細に記述されています。柳原さんの調書はどのように作られたのかを教えていただきたいのですが。
柳原:私の場合は、一度警察官の裁判で否認して回避したら、上申書という形であとは任意抗告を示され、警察官が何を言っても私は「はい」か「いいえ」しか答えることができなくなって、その後は、私は警察官が何を言っても「はい」としか答えていないんです。しかし、私が「はい」としか答えていないにも関わらず、取調官はいかにも私が話したように、供述をしたという形で調書を勝手に作り上げていくんです。つまり、取調官が「お前はこうやったんじゃないのか」ということを私は「はい」としか言っていないのですが、それを書記官がPCを使って、いかにも私が供述したかのように作り上げていくのです。
浅野:書記官は松下刑事ですよね。
柳原:はい。
浅野:取調官が話すのを聞いて、それを松下刑事が(PCに)打ち込んでいくのですか。
柳原:私が「はい」しか言っていないのに、取調官が考えて話すことを、そのまま松下刑事が打ち込むということです。
浅野:最後に(調書を)読み上げるのですか、最初から最後まで。
柳原:取調べが始まって調書が出来上がった時点で、最初から終わりまで「今から読みあげるから、間違いはないか」と読み上げるのですが、すべて間違いなんです。でも、「間違いありません」と言うしかなかったのです。
浅野:菅家さんの場合はどんな感じでしたか。調書を“作られた”時は。そもそも調書は作ってはいけないのですが。
菅家:そうですね。先ほどのお話の通りですが、私が自供したそのとおりに(書記官が)書いているのです。
浅野:菅家さんの場合は、結構(話を)作っちゃったんですよね。
菅家:そうです。自分で新聞や報道を見てストーリーを作ってしまった。
浅野:やっぱり最後に(調書を)読み上げて確認を取るのですか。
菅家:そう思います。
浅野:菅家さんはDNA鑑定が一致したということを(取調べ中に)言われたが、DNAってなんのことだかわからなかった、と著書に書かれていますね。
菅家:そうですね。当時、「新たな証拠がある」と言われたのですが、その時刑事たちもDNAのことは知らなかったらしいのです。ただ「証拠はあるのだ」と言われた。DNAの言葉(の意味)がわかったのは裁判が始まってからですよ。
浅野:刑事は「ただ証拠がある」というだけで、DNA型が一致したことは言わなかったのですか。
菅家:そうです。今は科学捜査だからすぐわかる、の一点張りでした。
浅野:柳原さんはどのような感じでしたか。「何か証拠がある」など言われましたか。
柳原:私は、少し忘れているところなどもあるのですが、ほとんど警察が作った調書なので、未だにニュースで言わなかったこととか、犯行の時に酒屋を装っていたとか、私が全然知らないことを(取調べで)言われたのですが、その時に私は「はい」しか言っていないのです。でも、私が言ったようになって調書は作られていました。
浅野:柳原さんの場合は、被害者が柳原さん(が犯人)だと言ったそうですが。
柳原:私の方は、警察官によって作り上げられた調書なのですが、ある日、いきなり取調室のドアを開けて、「お前はやっていないのならやっていない、と大きな声で叫べ」と言われました。本当に被害女性が来ていたのかどうか私は知りませんが、その声を聞いて被害女性の方が「間違いない」と言ってるぞ、と言われました。警察官からの話なのでわからないですが。警察官に言わされたのかもしれませんし。
浅野:その女性の方は、裁判では証人になっていないのですか。
柳原:裁判の方では、ほとんど認める方向の裁判だったので、被害女性は裁判所には一度も来ていません。
浅野:その方が事件の証拠があるということを警察から聞かされたのか、柳原さんをマジックミラーで見て、「この人だ」という調書をつくっている。
柳原:取調べ中に、私が否認しているときに、未遂事件の被害者は強かん未遂のショックで女の子が白内障になったということを言われました。
浅野:目が不自由なのに、犯人は柳原さんだと証言している。ところで、警察と検察の違いを菅家さんはわかっておられましたか。
菅家:そうですね……、当時私は警察官、弁護士、検察がどういう仕事をやっているのかわかりませんでした。
浅野:弁護士もわからなかった?
菅家:はい。
浅野:柳原さんはどうですか。
柳原:警察の仕事については刑事ドラマ等で大体こういうものだなという思いはありましたが、検察もだいたいドラマでしか見たことがなかったので、弁護人がこういう仕事をするのかなど一切知らなかった。
浅野:菅家さんは、本の中で取り調べられた刑事のことをH刑事、Y刑事、M刑事と書いていますが、その刑事のことをどう思っていますか。
菅家:3月26日に無罪判決が出たのですが、まだ取調べをした本人が出てきて謝らなければ、許すつもりは全くありません。大切なことです。
浅野:私もその時取材に行っていたのですが、国賠をやりますかということを記者会見で質問したら、佐藤弁護士が警察は要求しないと言っていたが、おかしいと思う。法務省が謝っても、実際にやった人たちが謝らなければいけない。取調べの問題も解明されていない。それは国賠でやるべきではないのかと聞いたのですが、良い答えはもらえなかった。
警察が謝ったからと言って、刑事本人に謝ってもらわなければという思いが(菅家さんには)あるということですね。柳原さんはどうでしょうか。
柳原:警察・検察両名とも、私の方にはちっとも謝りに来ていない。そのために、今再審の時に、当時の警察官を証人に法廷に出してくれと2回請求を出したのですが、すべて却下されました。そのために、松井刑事を個人被告人として戦っています。
浅野:個人を被告人にしているのに、国賠の裁判の報道で名前を書くことがないのですよ。国だと書かない。テレビも新聞も、記者会見では名前を言ってるのに、紙上には書いていない気がする。
柳原:ほとんど裁判所が提出した書類等には両名の名前は既に書いていないのですが、報道には取調官とか、警察官、検察官とか、そういう形でしか報道はしていないと思います。
浅野:続いて、弁護士・弁護人の人たちがそれぞれどういうことをしてくれたのか、またしてくれなかったのかということをお聞かせください。会場には弁護士の方もいらっしゃるので、心苦しいのですが。菅家さんは、先ほど検察官と弁護士の違いがわからなかったともおっしゃっていましたが、弁護士の方は何をしてくれたのでしょうか。
菅家:そうですね……、1審の弁護士は、はじめから私を犯人扱いでした。こういう風に言われましたよ、「3件あるし、1件もやってないってことはないよな」と。そういう目で見られました。
浅野:1審以降は弁護士が変わって、(裁判も)大きく変わったでしょう。
菅家:そうですね。1審の時は本当に絶望でした。何もないわけですよ、刑事と検察だけです。2審から、弁護士さんと支援者の方がついてくださった。私はそこから希望が持てました。絶望が希望に変わりました。とにかく1審が絶望でした。
浅野:菅家さんの場合は西巻さんが何度も手紙を書かれて、実際に会ったり、2審の弁護士を探したりしましたが、そういう動きはわかっていましたか。
菅家:はい、わかっていました。
浅野:柳原さんはどうでしたか。
柳原:私の場合は最初、取調べの最中に私が(やったと)認めさせられたあとに、当番弁護士が来たのですが、私は弁護士の方に「やっていません」と言ったのです。しかし、「やってないのなら調査をしてみましょう」ということでその場は帰ったのですが、そのあと、6月になって私が拘置所に入ったときに、当番弁護人として一度来た人が、今度は国選弁護人として来たのです。同じ人です。最初、当番弁護人として来たときに「調査しましょう」と言ったことを覚えていますから、最初に調査結果を言われるのではないかと思いました。しかし、「被害者にお金を払えば執行猶予がつきますが、どうしますか」と言われたのです。そのあとは、自分自身も「やっていない」という気持ちが堅かったので、「払ってください」とは言っていないのですが、第1回裁判が始まったときに弁護人が私のところにやってきて、「被害者のところにお金を払ったから、すべて認める方向で行きなさい。否認とかそういう言葉を使うと裁判官への印象が悪くなるから」と言われました。そのまま4回目の判決が出て、裁判官が「この判決に異議があれば1週間以内に控訴してください」と言われるのですが、(裁判が)終わった後に弁護人に「あなたは控訴しても無駄だから、おとなしく刑務所に行ってください」と言われました。「真面目にやっていればすぐに出してもらえるから」とも。
浅野:本当に控訴しなかったのですか。
柳原:はい。弁護士といえども法律家ですから、法律家からそういう言葉を聞かされると控訴してもだめなのかと思ってしまいますので、控訴せずに刑務所にいました。
浅野:国賠でその弁護士を訴えたらどうですか。
柳原:それで今国賠をしているのですが、最初私は当時の国選弁護人を被告人にしようかと考えました。しかし、今は当時の国選弁護人のメモが裁判で証拠の書類になるとまた違いますので、被告人にはしていないのです。いずれは裁判の証人として法廷に出て来てもらおうと思っています。
浅野:少しは反省しているのかもしれませんね。それは山口の弁護士ですよね?
柳原:はい、山口敏彦弁護士です。
浅野:冤罪がわかった後、富山県の弁護士は来なかったんでしょうか。
柳原:当時から、山口弁護士は富山県弁護士会副会長を務めておられましたが、未だに富山県弁護士副会長を務めています。
浅野:日弁連が二つの委員会で、柳原さんと弁護士の調査をして、その聴取記録があります。柳原さんはメディアに公開して聴取に応じましたが、山口弁護士は完全非公開、秘密裏に行ったので、未だに聴取記録が公表されていない。何もない。そういうことについてどう思いますか。柳原さんも聞きたいですよね、日弁連の調査結果を。
柳原:一切未だに見たことはありません。
浅野:なぜこのようなことを聞くかというと、柳原さんは、逮捕された後、山口弁護士と2回しか面会をしていない。
柳原:私が拘置所にいたときの面会は、私の記憶上では2回もしくは3回ぐらいしか来ていません。面会に来ても、20分も30分もお話した覚えもないので、約3分ほどで終わりました。
浅野:それにしてはお金を払いすぎですね。返してほしいですね。
それでは、次に裁判所についてお聞きします。裁判所について菅家さんは、警察・検察では犯人扱いされたが、裁判所はわかってくれるんじゃないかと思っていたと思いますが、実際、裁判所はどうでしたか。
菅家:警察ではやりましたと話しましたが、裁判官には絶対わかってもらえると思っていた。しかし、裁判官はわかってはくれませんでした。がっかりしました。
浅野:柳原さんはどうですか。
柳原:私に判決を出した裁判長は、私が一度「やっていません」と否認した裁判官なんです。その裁判官から、私は懲役3年という有罪判決をもらったのです。私は裁判官に「やっていない」と言ったにも関わらず、裁判官が裁判中に「あの時あなたは私に対して一度、「やってませんよ」と言いませんでした?」と言ってくれれば、否認できたかもしれないなという思いはあるのですが。その裁判中でも、一度は「やっていません」と言えたのかなと思っています。
浅野:柳原さんは同志社大学での講演等でも、一番悪いのは裁判所だと言っておられますが。
柳原:そうですね。裁判所にも責任はあると思いますし、今国賠をやっていますが、個人被告人に対する責任でも、個人としてならあっても組織でやったことで責任がないと逃げている。しかし、個人的被告人になった2人も、組織の一員だから責任はないとみられています。
浅野:菅家さんは、今回の再審で(裁判官が)手の平を返すように謝罪したことについて新たな気持ちはありますか。
菅家:そうですね、今再審の裁判中ですからね。私は検察官に「謝ってほしい」と話したのです。ですが、まったく謝らない。そして森田さんに、私と森田さんの立場を逆に考えてみてくださいと話したのですが、まったく謝罪がありません。検察官も人間ですが、私も人間なんです。謝るのが当然でしょう。あの人たちが悪いのですから。謝るまでは許さない。理不尽でなりません。
浅野:まったく何もやっていない、でっちあげの事件で刑務所に行かされたわけですが、刑務所の中はどういうところだったんでしょうか。
菅家:まあ予想したとおりでした。私は刑務所に入ってから1週間後に、殴られたり蹴られたりしました。それは嫌ですよ。「1週間はお客だ。1週間以内に何から何まで全部覚えろ」と言われたのですが、そんなことは絶対に無理なのです。1週間ですべて覚えることは。みんな何年もかかって覚えるのです。布団の上げ下ろしから使った食器や箸を洗うまで。箸箱はみんな同じなのです。何かしるしでもあればわかりますが、(どれが誰のものか)まったくわからないのですよ。ただ、長くいる人にはわかるそうですが、入って1週間の私にはわかるわけがない。「わかりません」と言ったら、「なんだこのやろう」と言われて殴られましてね。ひどいところでしたね。殴られて、締め付けられて、胸の肋骨を2本折りました。
それから洗面器がありますよね。その中に水をいっぱい入れて、顔をうずめさせられました。苦しいですよもちろん。それでもやられて、同じ房内の人に「菅家さん危なかったね。殺されそうになったね」と言われました。私はまた洗面器から顔をあげさせられて、高見の方へ顔を向かせられて、「足を開け」と言うわけです。それを何百回とやられるわけです。それで私は気を失いまして。ところが目が覚めたときにまた殴られて、鼻血は出るし、鼻の骨は折れるは、散々でした。もう絶対に許さないという気持ちはあります。
浅野:刑務所には、公務員の職員の方がいますよね。
菅家:いますよ。いますけど、30分に1回ぐらいしか巡回に来ないんです。(職員が)来ない間にやるんですよ。
浅野:菅家さんを見たらわかりますよね。血を流しているのに。
菅家:しかし、要領がいいですから。また30分ごとに見回りに来るんですが、(職員には)わからないんです。来るとやめちゃうんですよ。「そろそろ来るぞ」と言い合っているわけです。
浅野:刑務所にも防犯カメラとかが必要ですね。
菅家:警察も、刑務所も、絶対に可視化しなければなりません。
浅野:柳原さんはどうでしたか。思い出すのも嫌かもしれませんが。
柳原:私は2年1カ月間、福井刑務所にいたのですが、私が入所、というか送検されたときには、最初に人物確認をされ、番号が付けられる。その跡、“びっくり箱”というところに入れられるんです。細長い箱の中に入って順番を待つんですが、待っていて順番が来ると刑務官からの身体検査があります。そこで、まずやられるのが、「足を肩幅まで開け。その体勢で手をつけ。おしりを上げろ」。おしりを上げると、刑務官の方は手術用のビニール手袋をはめるんです。そして刑務官の手がおしりの穴にこれぐらいは入っちゃうんです。それは、中に覚せい剤や薬物を持ってきていないかを調べるためにやるということは後でわかったのですが、そのあとはどこに座るのも3週間ぐらいは痛くて座れない状況が続きました。工場に行っても私語は一切だめと言われました。私が罪を着せられていたのは性犯罪でしたから、刑務官からもいじめがあります。「こいつはちょっとこらしめなきゃいけないな」という感じで、今どこの刑務所も同じだと思いますが、今犯罪者が多いために、6畳の部屋に9~10人入っています。それは雑居部屋なのですが、あと独居(1人部屋)では今2人入っています。その刑務官のいじめは、気の合わない同士を一緒の部屋にして、喧嘩をさせるんです。そして喧嘩両成敗ということで、懲罰行きです。懲罰房にいますと、警察署と同じようにまず最初に取調べが始まり、そのあとは軽い仕事のようなことをさせられて、ずっと取調べを受けているわけですが、その後はずっと懲罰房という独居房で、仕事は一切なく、正座をして1日を過ごしました。あとはトイレの掃除もあるのですが、道具は使えません。素手で洗います。冷たい水の中に手を入れて、素手で洗うのです。あと、ちり紙は1カ月間に30枚です。トイレで普通に使えるのも、風邪をひいたときに鼻をかむのもその30枚だけです。1ヶ月間に30枚しかないんです。
浅野:お二人とも刑務所から突然出所したときはどう思われましたか。それまで犯罪者だったのに。
柳原:刑務所を仮出所したあと、何年かは更生施設で過ごしたのですが、末期の形になるのですが、実家に帰るにもお金がないから、兄貴からお金を借りました。出所して1年後、鳥取県警で真犯人が捕まったのですが、真犯人が捕まったのは警察から聞いたわけでもなく、テレビの字幕放送で知ったのです。またちょっと来いと警察に連れて行かれ、謝るという形を取られたのですが、胸をこうやって入ってきて、私は偉くないという形で入ってきまして、「今回ちょっと悪かったな。勘弁な」と軽く言われました。それが謝るということなのです。そんな謝り方をされたあとに、私は一度県警本部のちょっと偉い人かは知りませんが、「あんたには否がある」と言われたのです。認めたこと、自白したことに否があると言われたのです。
浅野:菅家さんはどうですか。
菅家:私は当時DNA鑑定で出されたのです。ちょっと不思議な状況ですよね。いきなり捕まっていきなり出されて、6月3日に釈放になったのですが、普通なら無罪判決が出てから出るのに、そうでないから、すごく不思議な気持ちでした。まだ再審が決まってもいないのに釈放ですよ。今もものすごく不思議な気持ちです。
浅野:菅家さんに、どうしてもお聞きしたいことが一つあります。菅家さんは、無罪のあとに、「時効制度を廃止すべきだ」という意見を日本テレビなどで言われているのですが、今日本の警察、検察、裁判官、弁護士は全く変わっていないわけです。そこで同じ連中が「真犯人を探そう」と言ったところで、同じことになるのではと思うのです。そういう人たちを改革するのがまず先で、時効制度云々というのはちょっと違和感があるのですが。捜査当局が真犯人捜しを主張するのはわかりますが、一方で人権といいますか、菅家さんや柳原さんのようなケースを防ぐためにも、予防策が日本で非常に不十分な中で、悪い奴は悪い奴だという状況に不安を感じるのですが、どうでしょうか。
菅家:やはり可視化問題ですね。一部じゃ駄目です。可視化を全面的にやっていただいて、そして取調べの時に横に弁護士を置いてもらうわけです。可視化だけだとまた誤魔化されるから、横に弁護士を置いてもらう。そうしないと、警察はまたどんな手を使ってくるかわかりませんから。
浅野:柳原さんは氷見事件の人たちと一緒に行動したりして、川端さんも同じように行動していますが、いわゆる任意という名の強制的な取調べが続くわけですが、可視化問題についてどう思いますか。
柳原:全面可視化は絶対にしなければなりません。菅家さんが割れるように、第三者をつけなければいけないですし、私の経験上のことで、警察の車の中で取り調べることをされましたから、全警察車両の可視化もしなければなりません。取調室の可視化はもちろんですが、警察車両の中の可視化も必要です。
被害者宅に連れて行かれるときには、私は被害者のことを知らないわけですよ。だから、「この道をまっすぐ行ってください」「この道を左に曲がってください」と言っている間に1時間も経つんです。それでしびれを切らして警察が被害者宅に連れていくのですが、そこで被害者宅のまん前に警察の車が止まるんです。「どの家だ、指をさせ」と言われるのですが、指す家はひとつしかないんです。そのあと、被害者宅の中を見た後で取調べ室に戻り、被害者宅の中の図面を書けと言われるのですが、見た後だから書けるんです。どういう風に書けばいいのかなと思っていると、警察官の力を受け、私の後ろに来て、私のボールペンとかを持っている手の上に警察官の手が乗り、警察官の手によってわからないところが埋められていく。
あとは、1点の見取り図の方は、最初から鉛筆書きで書かれているんです。最初から下書きがあって、鉛筆書きで書かれているところをボールペンでなぞれと。はみ出たところは修正液で自分で消すのです。そういうところもあるので、可視化しなければだめだと思います。
浅野:菅家さんは逮捕されたときに、今日も資料でいくつか出ていますが、ひどい記事が書かれましたよね。こういう当時の報道を見たことはあるのでしょうか。あるいは家族の方がこういう報道によってどういう影響を受けたのでしょうか。
菅家:つらい話は聞きましたが、刑務所の中に入っていますと、外のことはわからないのです。あとになって、出所してから「DNA鑑定スゴ腕」と言われていたことを知りました。ですから、今言われていた可視化ですが、任意同行からやってもらわないとだめです。みんないいようにされてしまうんですよ。
浅野:菅家さんの場合も自白されたあとに可視化が始まると危険です。
菅家:そうなんです。連れて行かれたときから可視化しなければなりません。
浅野:柳原さんは当時の逮捕報道をどう思いますか。
柳原:中に入ってるときは、拘置所にいたときも、新聞は入ることは入るのですが、自分の事件記事はすでに切り取られているので、見たところ一切なかったです。
浅野:では、私から最後の質問なのですが、今、飯塚事件など、多くの冤罪事件が日本にあるのですが、お二人とも自分の事件があったあとに、冤罪をなくすために無実を叫んでいる人たちの思いとかを伝え、支援していきたいと言われているのはなぜか教えてください。
菅家:私と同じようなひどい目にあっている人たちの支援をこれからもしていきたいと思っています。二度とこれ以上冤罪を生むようなことは絶対あってはならないと持っていますので、警察もしっかりしないとだめだと思います。間違えて捕まえた警察官の人たちにも裁判をやってもらいたいです。そうしないと警察官は全然真剣にならない。いいようにいいようにされてしまう。だから、冤罪を作らないためにも、警察官も私と同じように、警察が間違って私を逮捕したのですから、間違って逮捕した、起訴した人のためにも裁判をしてもらいたいと思っています。
浅野:柳原さんはいかがでしょうか。
柳原:警察官は今、犯罪行為をやってもほとんど処分がないということはおかしいなと思います。ですから、間違って捕まえられた人も刑務所の中ではかなりの数いると思います。死刑囚となって入っている方もかなりいます。その方々を一日も早く出す取調べがいると思っています。それを防ぐためには可視化をして、警察官にも悪いことをすればなんらかの措置を取らなければならないと思います。
浅野:お二人ともありがとうございました。今のお話にありますが、警察や検察官が犯人でない人を捕まえた場合に責任を取れというのは少し難しいかなと思います。やはり被疑者ですから、被疑者に対する適切な措置がなされることが大事で、犯人を間違えて捕まえたら処罰されるのでは、警察や検察官は仕事がやりにくくなると思います。疑わしきは罰せずということは守るべきです。それは、疑わしきは無罪だということですから。1審で無罪になったら、そういうルールを設けるべきです。1回無罪を取ったらそれで終わりです。そういう責任を国家に課すべきだと私は思います。特に、菅家さんの場合は途中でやっていないことがはっきりわかっている。自転車に乗せているのに、目撃者はみんな「手をつないでいた」と言っています。柳原さんの場合も、お姉さんへ家の固定電話で電話をかけているのですよ。だから、電話記録があって、それで捜査官はわかっているのに、自分たちに都合のいい証拠だけを利用するんです。それでは、会場からの質問に移りたいと思います。菅家さんは、弁護士立会いのもと取調べをするべきだという発言を、下野新聞が報道しなかったと言っています。
菅家:私が言ったとおりに書いてもらいたいと思っています。
浅野:裁判所にもそういう性質がありますね。
柳原:私たちは、何もやってないのに警察官によって逮捕されました。私たちはいわゆる冤罪の被害者だと言われていますが、実際には、警察組織の犯罪の被害者なんです。警察に非はない、なんてことは一切ないと思います。
浅野:では菅家さんに質問なのですが、でっちあげと戦おうと思ったきっかけはなんですか。何が一番菅家さんにとって戦う支えになりましたか。
菅家:きっかけは1審ですね。当時、周りには警察と刑事しかいなくて、どうしようもなかった。苦しかった。自分としては、生きる気力がなくなりましたね。その後西巻さんたち支援者が出てくれまして、本当に勇気づけられました。そこからですね。2審、3審ですか、希望は捨ててはおりませんでした。1審のときは、苦しんで、苦しんで絶望でしたが、2審からは気力が湧いてきました。そして再審請求をしました。しかし、6年間も待たされたのです。裁判長に請求を却下され、何カ月間か後に高裁の方に出すと、裁判をやるという言葉が入ってきまして、「これで無罪を晴らせる」と思いました。3カ月後、1月29日に採血しました。それで4月21日ですが、足利事件のDNA再鑑定、一致と見たのですよ。しかし、私は絶対にそういうことはないと思っていましたら、DNA再鑑定、真犯人ではないという結果が出ました。そして私は6月4日に釈放されました。6月4日は普通通りに作業に出たのです。すると突然呼ばれて、1時間半ほど待たされました。11時頃に「本日、釈放する」というメモを見せられました。その字を見たときは信じられなかった。職員に「これから昼食を取ってお風呂に何分でも入っていい」と言われて、普通は(入浴は)15分なのですが、その日だけ30分入りました。それで出されたというわけです。
浅野:いろいろと苦しかったですね。では、会場に西巻さんがおられますので、一言支援のきっかけなどについて話していただけますか。
西巻:私が支援をするきっかけになったのは、ここにいらっしゃる、関さんの知り合いだったので、この事件で菅家さんの事件が何かおかしいなって思ったときに、問い合わせ先として、関さんから救援連絡センターのことを聞きまして、聞いてみたらって言われて問い合わせたのがそもそものきっかけで、その時菊池さんが出られたのですが、いろいろ私が聞いたことに対して、「直接本人にお手紙を書いたり、面会したりしてみたら」と言われてしまったのが、本当に最初のきっかけで。そのことから、救援連絡センターを通じては、この事件が東京でもおかしいと疑問を持っていらっしゃる方がいるから現地を案内してほしい、など言われました。最初に来られた方のつながりで、狭山裁判事務局の安田さんや木下先生などいろいろな方たちがこの事件の現地調査をし、菅家さんを励ましたりしてこの支援が立ち上がったという経緯があります。とても感謝しています。ここを起点としていろいろな人がつながっていることが今日の講演でもよくわかります。私の前に座ってらっしゃる方が「救援をつながりの拠点として」とおっしゃっていたのですが、今もやはりそういうことはあると思いますが、より一層支援していってほしいと思います。公安事件と犯罪事件は大変な事件も含め、救援センターがいろいろやっていらっしゃるのはすごく大事だと思います。
私自身、冤罪の支援としてだけでなく、救援とつながることで社会的問題に対して物を言っていらっしゃる人たちがひどい目に遭っていることが見えてきたり、刑務所の中の処遇がどれだけひどいものかが見えてきたり、そういう意味で大切な拠点だと思いますし、今後とも言っていってほしいし、これからはできるだけ関われたらと思います。足利事件というのは、DNA鑑定という面でどうしても特別な冤罪事件と言う人もいますが、そうじゃなくて、冤罪被害や刑務所の処遇ということも、大っぴらになって広まって、人々が考えていけるスタンドになっていけばいいなと思います。
浅野:菅家さんへの質問で、再審の判決で、裁判所が「自白は信用性はないが、証拠能力はある」という立場をとりましたが、そのような判決についてどのようにお考えでしょうか。
菅家:裁判官は1審から、そういうものなんだと思います。自白は信用性がないとか言ってますが、そんなことは関係ないですよ。
浅野:可視化が重要だとおっしゃっていますが、取り調べの可視化でこの状況は変わるのでしょうか。検察にとって都合の悪い情報が本当に出るのでしょうか。
柳原:可視化、今も一応やっていますが、あれは可視化ではないのです。いわゆるすべて警察に呼ばれたときから可視化が必要です。自白をとられ、調書を読まれた後に、最後に名前を書いて指紋を押すところだけを録画されると大変なことになります。真実は一つもわからない。それではいけない。
可視化はすべての取り調べにおいて録音するなどしないと、可視化ではないのです。車の中から、最初のうちから可視化する。数時間を可視化する、なんて意味がないことです。今は裁判員制度が始まり、何もわからない素人が裁判に参加するわけですが、今の状況だと警察の言った情報からしか判断できないわけですし、どういう状況で判決を出せばいいのかと思います。メディアから流れる情報のほとんどは警察が言った情報だけですし。すべての段階を可視化してから裁判員制度を始めるべきです。
浅野:可視化についてはどこから可視化するかというのにはいろいろな意見がありますが、私はいつも、警察署の中に防犯カメラを置くべきだと言っています。捜査の様子がすべてうつるようにして、そういうことをきちっと録画すべきです。今の可視化は都合の悪いことをすべてカットしているという意味で、可視化ではないのです。
さて、大体質問は終ったのですが、私から死刑制度についてお聞きしたいのです。菅家さんは3回逮捕されて、別の事件でも起訴はされていないが逮捕されていましたが、もしこの3件とも起訴されていたら、死刑判決が出る可能性もありました。最近中国でも日本人4人の死刑が執行されましたが、菅家さんは死刑制度についてどのようなお考えをお持ちですか。
菅家:死刑制度は、もちろん反対だと私は思っています。もし冤罪であれば、と考えてしまうので、死刑は反対です。
浅野:冤罪がある以上、死刑には反対だということですね。柳原さんはどうでしょうか。
柳原:死刑の執行自体をなくさないとだめだと思っています。
浅野:死刑制度は、執行の停止がまず根幹にありますよね。お隣の韓国は13年間、死刑を執行していないので、事実上の死刑廃止国になっています。先進国の中で死刑を執行している国は少数派なのに、日本は未だに死刑がある。フランスは、世界に2500人ぐらい死刑になる恐れのあるフランス人がいて、それを止めることを、フランスの外務省がやっています。世界中の死刑を廃止するために、死刑になる恐れのあるフランス人を守る政策を、フランスの外務省がやっています。
では、そろそろ時間がなくなってきたのですが、どうしても聞きたい質問があればどうぞ。
質問者:菅家さんに質問です。刑務所で同室に何人かいらっしゃったようですが、そのときに菅家さんと同じように、この人は冤罪じゃないかなと思う人はいましたか?
菅家:いました。室内には6人いましたが、1人は冤罪だと思いました。
質問者:柳原さんはいかがですか。
柳原:福井の方は、犯罪の話をすることは一切できなかったのです。福井刑務所では5分に一回は職員が回ってきますから、話せませんでした。
菅家:こちらの刑務所でも職員の巡回はあったのですが、その巡回の合間にいじめがあったのです。そろそろ来るんじゃないかな、と思った瞬間にはやめちゃうんです。だから、誰が殴っているのか職員から見ればわからないのです。しかし、毎日毎日職員は回っていますから、中の雰囲気が違うことにも気づきます。そういうことがわかることはあります。
浅野:では、そろそろ時間です。あらためて日本の刑事手続き裁判の遅れやひどさの実態を知らされました。冤罪は国家権力による犯罪です。すべての被疑者・被告人に無罪が推定され、捜査は適正手続きに基づいて行われなければならないし、公正な裁判を受ける権利があるということを確認しなければなりません。
実際に犯罪を起してしまった人についても、けしからんと叩くのではなく、人権を保障し、「なぜ罪を犯してしまったのか」を社会全体で考えるようにしなければならないと思います。
今日はみなさん、ありがとうございました。
「冤罪司法」を追いつめる冤罪被害者の闘い
――救援連絡センター総会シンポから
山口正紀(ジャーナリスト/人権と報道・連絡会世話人)
「今、社会の中で冤罪という言葉は当り前になった。十四年前(仮出獄当時)は、冤罪なんて言っても、だれも知らなかった。布川の再審が始まり、『警察も検察も裁判所も、おかしい』と言える。今、ワクワクしています」
布川事件の桜井昌司さんが、人権と報道・連絡会四月例会で述べた心境だ。冤罪をめぐる最近の流れを象徴する言葉だと思う。
救援連絡センターが四月十日の総会で催したミニシンポでも同じことを感じた。足利事件の菅家利和さん、氷見事件の柳原浩さんに浅野健一さんがインタビューした。冤罪被害者たちは今、名誉回復の闘いの中で「冤罪を作り出した者たち」の責任を問い、ともに手を携えて、冤罪司法を追いつめつつある。
◆虚偽自白の作り方
二人はどのようにして「自白」させられたのか。警察には共通した「手口」がある。
菅家さんは九一年十二月一日朝、自宅に踏み込んだ刑事たちにいきなり「おまえ、子どもを殺したな」と言われた。刑事は被害女児の写真を見せて「謝れ」と怒鳴りつけ、警察に連行して「任意取り調べ」で自白を迫った。
「いくら、やってないと言っても全然受け付けてくれないんです。『おまえなんだよ、証拠があるんだよ、早くしゃべって楽になれ』と十三時間も責め続けられ、疲れて眠くなり、『やりました』と言ってしまったんです」
「やった」と認めた後、菅家さんは「犯人はどうやって子どもを誘拐し、殺したのだろうか」と一生懸命考えた。取り調べ刑事に現場状況を教えてもらいながら「犯行ストーリー」を完成させた。それが「自白調書」だ。
柳原さんは〇二年四月十五日朝、勤務先で六人の刑事に取り囲まれ、警察車両に押し込まれた。初日の取り調べは約十三時間。刑事は「なぜ連れて来られたかわかるな」「おまえがやったことがわからないのか」と言うだけ。二日目に初めて容疑内容を告げられ、日を置いて三日目の取り調べで「自白」させられた。
「その日は暑くてふらふらになり、気を失いました。刑事は、『おまえの姉さんも、どうにでもしてくれと言っているぞ』と言い、財布に入れていた母親の写真を出させて『母さんも泣いているぞ』と。そんなことを繰り返されて投げやりになり、ハイと言ってしまった」
その後は、刑事が「こういうふうにやったんだな」と聞き、「ハイかウンしか言うな」という取り調べで調書が作られた。犯行現場の図面も刑事に手をつかまれて書かされた。
メディアは、こんな虚偽自白による逮捕で二人を犯人視報道し、家族を苦しめた。
◆弁護士・裁判官・刑務所
一審弁護人のひどい対応も共通している。
足利事件では、一審の公判途中で一度否認した菅家さんを説得し、否認を撤回させた。
「弁護士は最初から犯人扱いでした。『三件のうち一件もやってないということはないよな』と言われて、絶望してしまいました」
氷見事件では、当番弁護士が接見し、「調べましょう」と言ったきり何もせず、家族に金を出させ、「被害者」に慰謝料を払っていた。
「第一回公判で、『もう金を払ったから、認める方向で』と言い、判決が出ると『控訴してもムダだから刑務所に行きなさい』と」
裁判官はどうだったのか。両事件とも一度は否認の声を聞きながら、耳を傾けなかった。
「警察、検察はだめでも、裁判官はわかってくれると思っていました。しかし、何も聞いてくれず、がっかりしました」と菅家さん。
「判決を出した裁判官には(勾留尋問で)否認していました。もし公判中に質問してくれたら否認できたかもしれない」と柳原さん。
二人は刑務所で、「性犯罪者」として刑務官、同房者たちの「いじめ」にあった。菅家さんは雑居房で「ワル」の暴行を受け、肋骨を折られた。柳原さんは「気の合わない受刑者と同房にされ、ケンカ両成敗といって懲罰、素手でトイレ掃除をさせられました」という。
◆冤罪の責任追及の闘い
二人の無実が明白になっても、冤罪を作り、加担した責任者たちは謝罪しようとしない。
氷見事件は、真犯人出現で再審を余儀なくされたが、取り調べ刑事・長能善揚らの証人請求をすべて却下し、「臭いものにフタ」をした。柳原さんは、彼らを法廷に引き出すべく昨年、国家賠償訴訟を起こして闘っている。
足利再審は氷見再審の経験に学び、森川大司検事の証人尋問を実現させたが、森川は法廷で謝罪を拒んだ。裁判官たちは判決言い渡しで頭を下げて謝った。しかし、その判決は「自白の任意性」を認め、「進んで自白した」と言わんばかりの認定だった。菅家さんは「結局だれも謝っていないです」と話した。
二人は今、各地の冤罪被害者と連携し、互いに支援しながら、「冤罪根絶」を訴えている。
柳原さんは「取り調べの可視化、一部ではなく全面可視化が必要です。それも逮捕前でなく、任意取り調べ、任意同行の車の中から録画・録音しないとだめです。そうしないと裁判員にはわかりませんから」と訴えた。
菅家さんは可視化に加え、「取り調べに弁護人の立ち会いを」と訴えた。それとともに「二度とこれ以上冤罪を起こさないよう、私を逮捕、起訴した人の裁判もやってもらいたい。そうでないと真剣にならないから」と。
質疑・討論で、菅家さんを支えてきた西巻糸子さんが、「救援連絡センター」を通じて支援の輪を広げた体験を話し、こう提言した。
「刑事事件、公安事件、刑務所の処遇問題、いろんな支援活動が『救援』を拠点に、もっとつながりを持てる方向で運営してほしい」
◆この再審の流れを奔流に
この三年、氷見、志布志、足利、布川の再審・国賠の闘いは、「冤罪」の存在を日本社会に広く知らしめてきた。「自白偏重」の裁判・報道で冤罪作りに加担してきた裁判所もメディアも、冤罪を無視しきれなくなっている。
氷見国賠では、富山地裁が被告(検察)に、捜査記録の提出を求めた。布川事件では、昨年十二月十四日、最高裁が再審開始を決定。二日後の十六日、狭山事件の第三次再審請求審で、東京高裁は検察側に警察の捜査メモや犯行時間帯の目撃証拠などの開示を勧告した。
そして四月五日、名張毒ブドウ酒事件で最高裁は、再審開始を取り消した名古屋高裁決定を取り消し、高裁に差し戻す決定をした。弁護側が提出した新証拠のうち四点を退け、「自判」を回避した腰砕け決定だが、奥西勝さんの弁護団は「光が差した」と受け止めた。
免田事件再審以降、よどんでいた再審の流れが動き出した。変化をもたらしたのは、冤罪被害者の連帯した闘いだ。それを象徴する感動的なシーンが私の脳裏に焼きついている。
三月十一日、富山地裁で開かれた氷見国賠の第四回弁論。足利の菅家さん、布川の桜井さん、志布志事件の藤山忠さん、川畑幸夫さんが傍聴席最前列に陣取った。被告の法務省参事官らは証拠開示を渋った。審理中ニヤニヤしていた被告の検事たち。休廷に入った直後、桜井さんたちが一斉に怒りをぶつけた。
「何を笑っているんだ、まじめにやれ。税金で集めた証拠を、なぜ出さないんだ」
エリート検事たちの顔がひきつった。