Asano Seminar:Doshisha University
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布川事件無罪判決おめでとうございます。
この判決を機に、取調べの方法の人道的な改善や、
任意聴取段階からの全面可視化が実現することを期待します。

2011年5月24日 浅野ゼミ一同




浅野ゼミ主催で布川事件映画会

ウソの自白強要防ぐため取調べ可視化を

報告:浅野健一


 1967年に起きた布川事件で強盗殺人犯とされた桜井昌司氏と杉山卓男氏が29年間拘置所・刑務所で過ごした後、仮釈放されてから、再審裁判が始まるまでを記録した映画『ショージとタカオ』の先行試写会が5月11日、寒梅館ハーディーホールで開かれた。浅野ゼミの主催で、一般市民も含め約100人が参加した。
 この映画は2010年度キネマ旬報ベストテン文化映画部門で第1位を受賞した。
 映画上映の後、私の司会で、桜井・杉山両氏と井手洋子監督がパネル討論を行った。桜井氏は「行ったこともない被害者の家で、会ったこともない人を殺したという自白調書を作られた。普通の人は、『やっていない人間が自白なんてするはずがない』と思っているが、普通の人は代用監獄での警察の厳しい攻めに抵抗できない」と訴えた。
 杉山さんは「布川は、捜査が難航して時間がかかったので、犯人を『捕まえる』を通り越して犯人を『作らなければならない』という姿勢から生まれた事件だ」と述べた。
 井手監督は「二人が仮釈放してから14年間を追った。二人の人間としてのありのままの姿を見て、若い人たちに、権力によるでっち上げの怖さを知って、冤罪をなくすにはどうすればいいかを考えてほしい」と話した。
 3人は12日の私の講義でもゲストで話をしてくれた。学生からの「捜査の録画・録音など可視化をすると、警察が加害者に対し強く出られなくなるのではないか」という質問に対し、杉山氏は「部分的可視化だと、警察の都合のいいように使われてしまう恐れがある。警察は『被疑者との信頼関係が壊れる』と反論しているが、警察との間に信頼関係は必要ない。取調べを録画すれば、誘導、自白の強要ができなくなるので、『全面可視化』を実現してほしい」と答えた。

  

 布川事件の再審判決は5月24日に水戸地裁土浦支部で言い渡される。
 (映画会とゲスト講義について、後日、詳しい記録をアップします)

 以下は新聞学原論Ⅰの受講生の感想文だ。受講生から5月14日届いた。(一部略)
 [ 5月12日の授業で桜井昌司さん、杉山卓男さん、井出洋子さん、Michael.H.Foxさんの講演を聞かせていただき本当に光栄に思いました。良い経験をさせてもらい、素晴らしい機会を与えてくださったことにまずお礼を申し上げたいと思います。
 雑誌などについてはゴシップ記事などがあり、あまり信用できないと思っていたけれど、ニュースの報道や新聞記事については信用を持っていました。それがこの講義を受け、先生の話を聞く中で私が信用していた報道に問題があることを知り、自分自身の報道の受け取り方にも問題があることがわかりました。
 また、菅家さんのことが報道されたとき、その報道をニュースで見たり、新聞で読んだりしていたけれど、正直あまり関心を持っていませんでした。
 しかし、実際に桜井さんと杉山さんの話を聞かせていただいたとき、このような事件に無関心であった自分が恥ずかしくなりました。
 今までこのような事は自分には無関係のことだろう、何もしていない自分が逮捕されるというようなことはありえないことだろう、と思っていました。
 しかし、桜井さんや杉山さんのように無関係の方が無理やり犯人にされてしまうことが実際にあるのだと、そして獄中生活を送った方がいるのだと知り驚きました。
 このような事はどんな事件よりもある意味で凶悪な事件なのではないだろうかと講演を聞きながら感じました。
 桜井さんや杉山さんを見ていると、井出さんがおっしゃったように本当に普通のおじさんで講演を聞くまではこの方が本当に獄中生活をされたのかな、と思っていました。  しかし、お話を聞かせていただくと警察・検察を100%善良な組織だと考えてはいけないと思ったし、容疑者となった方の人権も守られる体制を作らなければいけないと思いました。
 また、29年間の獄中生活をされ2人は多くのものを失われたり、奪われたりしたと思います。だから、警察や検察、裁判所などには怒りを持っておられると思います。けれど、2人の話を聞くなかで2人は常に冷静で怒りだけをぶつけるのではなく、自分たちのような人がこれ以上でないように、被害が起こらないように闘うとおっしゃっていました。
 私は、人はこれほどまでに強いものなのかと感動しました。このようなでっち上げ事件はドラマの中だけの話ではなく、私たちが存在する実際の社会でも起こることなのだと痛感したし、このような事件が起こっていることに関心を持ち、特に私たち若者がこのような問題に対して問題提起する必要があるのだと感じました。
 また、この布川事件では完全に警察・検察側に問題があり、桜井さん、杉山さん、2人の家族の方などに全く非はありません。
 だから、警察、検察などは2人が無罪になることで警察などの側で批判を受け、信用を無くすかもしれないけれど、自分たちが害を加えたのだからきちんと非を認め、そのことについてしっかり反省するべきであると思います。
 取り調べの方法についてもう一度考え直し、より慎重に犯人逮捕に向けて動いてほしいです。
 今は科学技術なども進歩しているので、容疑者の証言を重要視するのではなく、証拠で犯人を突き止めるということを重要視し、犯人逮捕や立件をしてほしいです。
 また、警察、検察だけでなく報道機関も事件についてしっかり報道してほしいです。
 でっち上げ事件を促進させる要因には報道も関係していると思います。
 だから、おもしろおかしく事件を報道するのではなく、ただ真実だけを報道する機関であることを望みます。
 私は今回の講演をきっかけにしてこれからこのような事件についてしっかり知り、向き合い、問題について考えていきたいと思います。
 また、報道が100%だと思わずに、単に情報の1つだということを忘れずに、報道を受け止めようと思います。
 映画「ショージとタカオ」も見ようと思います。
 Fox先生の講演も興味深かったです。きっとでっち上げ事件というものは日本だけで起こっているものではありません。
 日本と他の国の警察や検察などの組織形態や捜査方法は異なると思います。それでも、どこでもでっち上げや強制的な逮捕、起訴が起こるのだとすれば、どこにどのような問題があるのか考える必要があるのだと思います。
 捜査や逮捕、犯人確定、刑の執行などは人間が行うものであるから、ミスもあり、完璧ではないこともあるはずです。
 しかし、それでもでっち上げや拷問などが起こってはいけません。
 だから、何度も何度も捜査し、話し合い、ミスを発見しあい、それを防ぐことが必要であり、慎重にも慎重を期した判断が必要だと感じました。
 本当に4名のかたのお話を聞かせていただけて良かったです。ありがとうございました。]

3年生ゼミ(18期生)の感想文は以下のとおり。

メディア学演習Ⅰ 5月12日 杉山さん、井出さんのお話を聞いて

 [ 布川事件について杉山さん、井出さんには貴重なお話を伺えて光栄でした。中でも杉山さんが考えておられる司法、メディアの欠点については大変考えさせられました。拘束されておられた当時、厳しい取り調べや事実無根の調書によって犯人に仕立て上げられた事実には憤りを隠せません。
 ここで、杉山さんがおっしゃられていた冤罪を招く原因について少しばかり言及させていただきます。まず、日本における代用監獄というシステムでは23日間24時間の取り調べが警察によって行われるということを伺いました。この長期間の拘束は外国でも類を見ず、肉体的・精神的衰弱が懸念されて当然です。さらにどのような取り調べが行われているか外部の者は過程すら知ることができない。これでは暴力や自白強要があってもおかしくありません。私たちは全面可視化を求めるべきであると痛切に感じました。しかしながら、杉山さんがおっしゃられていた通り、可視化とは簡単に実現するものではありません。「法務省などの上層部にやる気がないからだ」と冗談まじりに話されておられましたが、全くその通りだと思います。問題意識のない官僚などによって堕落した日本の政治によって苦しむのは市民であり、発言力のない弱者なのだと感じます。そして、杉山さんはメディアの在り方についてもお話ししてくださいました。布川事件についての資料を参照させていただくと、昭和42年10月19日の毎日新聞と常陽新聞には、杉山さん・桜井さんが逮捕され、判決はおろか起訴すらされていない段階でお二人の写真とともに犯人であると断定するかのような記事が掲載されています。これでは冤罪に加担しているも同然です。「推定無罪」は司法だけでなくメディアによっても妨害されているのだと感じます。劣悪な司法の仕組み、メディアの無責任さを目の当たりにした気がします。
 杉山さんは一連の事実をおだやかにジョークを交えて話してくださいましたが、その裏にある計り知れない苦しみや苦労は消えるものではありません。私は現実と向き合い、権力に屈さず徹底的に糾弾できる人になりたいです。そのような存在が社会を変えることができると信じているからです。5月24日、お二人の笑顔を拝見できることを祈っております。 ]

[ 今回の講義を聞いてまず思ったことは、自分がいかに幸せな状況で生活し、いかに世間知らずであるかということである。
 講義を聞いて、まず初めは話の内容を信じることができなかった。
 あまりに自分の生活とかけ離れすぎていて、想像もつかなかったからだ。
 自分の生活がいかに不自由ないものか、と感じ、いかに情報の取捨選択が大切か、を思い知らされた。
 貴重なお話ありがとうございました。 ]

 [ 今回のゼミで、杉山さんとお会いするのは2回目でした。前回、去年の新聞学言論の授業に杉山さんと桜井さんがゲスト講師として来てくださった時に、私は初めて布川事件を知り、その内容に衝撃を受けました。今回、改めてゼミでお話しを聞いて印象に残ったのは、やはり警察による不当な取調べの内容でした。見たこともない家の間取りを書かされたり、嘘の自白を強要させたり、ひどいものでした。過去の新聞を見ると、犯人がなかなか上がらず、信用を失いたくない警察の焦りなどからそのような悲劇は起きてしまったのだろうと感じました。また、杉山さんは「マスコミの責任も大きい」とおっしゃっていましたが、本当にそうだと思います。自白をしていない時点での、警察に連行される写真の使用は、どう見ても犯人にしか見えず、また記事の内容も警察からの情報をそのまま流して、独自の取材をしていないという、まさにマスコミにも作られた冤罪事件と言っても過言ではないと思います。このような事件を聞くと、マスコミの勉強をしている者として、マスコミに対して悲観ばかりしてしまいますが、DNA鑑定の話で唯一マスコミに助けられたと聞いて、マスコミによって救われることもあるのかな、と少し安心しました。
 杉山さんの話をお聞きして、改めて日本の・『推定無罪』で裁判をやらない・代用監獄が長い・取調べの可視化への障害(可視化をする気がない、検察庁内のさまざまな圧力、など)が浮き彫りになりました。これから先、また同じような過ちを繰り返さないためには、これらの諸問題を解決していかなくてはならないし、また杉山さんが「冤罪でまだ獄中にいる人の希望になれたら」とおっしゃっていたように、冤罪で刑に服している人が、もっと立ち上がりやすい世の中になればいいなと思います。そのために、井出さんのように映画として世の中に『冤罪』というあまりなじみのないテーマを若い世代に広めていくことで、『知ってもらう』というのはとても大事なことだと思います。私は残念ながら予定が合わずまだ見ていないので、映画館へ観に行ってみようと思います。
 今回はお忙しい中、わざわざ少人数のゼミにも参加してくださって、また、質問にも気さくに答えていただけて、貴重な時間が過ごせました。本当にありがとうございました。
 24日の報道を楽しみに待っています。]

 [ 先日は、貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。
 私は、昨年も「新聞学原論Ⅰ」の授業でお話を聞かせて頂いたのですが、やはり何度聞いても、警察や検察、裁判所の拷問と言えるような酷い扱いに、胸が締め付けられる思いでいっぱいでした。物的証拠がないにも関わらず、精神的圧迫に耐え切れず「自白」させられた、その偽りの「自白」だけを証拠に、お二人の命ある人間の一生の多くの時間を奪ってしまった彼らの行いに、怒りさえ覚えました。お二人が何度やっていないと言っても信じてもらえなかったこと、有罪判決を受けた瞬間、そして29年の獄中生活のことを想像すると、本当に胸が痛いし、彼らは本当に同じ人間なのだろうかと思ってしまいます。いくら仕事であっても、同じ人間ならば、相手の思いや主張を聞いてやろうという気持ちは生まれないのか、本当に不思議でたまりません。警察や検事が皆そのような人ばかりではないと思うし、この悲惨な状況を改善しようと意気込んで警察や検事になる人も多いと思います。しかし、そのような善人の意見は押しつぶされ、既存のやり方を踏襲せざるを得なくなる日本の社会の在り方にも、かなり疑問を覚えました。杉山さんがおっしゃっていたように、取り調べの全面可視化の法制化を、国を挙げて行わなければならないと思います。日本の現在の刑事司法システムでは、また何度も冤罪という同じ過ちを繰り返し続けるような気がしてなりません。そのために、一般人の私たちが身近に出来ることは、このような刑事司法の現状を知り、その問題を自分なりにしっかり考えることと、取り調べの全面可視化の法制化を国に訴えることだと思います。
 いよいよ5月24日には、再審の判決が出て、無罪が確定することでしょう。その後お二人が、今までの失われた時間を取り戻すぐらいの幸せな人生を送ることができますよう、お祈りしております。
 今回のお二人のお話で、日本の刑事司法システムの現状を身を持って知り、問題点を自分なりに考えることが出来ました。映画「ショージとタカオ」も是非見せて頂きたいと思います。本当にありがとうございました。 ]

 [ 今回の杉山さんの話を聞いて、日本の警察のおかしさ、報道のおかしさ、そのおかしさを当然として慣れてしまっている社会のおかしさを感じました。
 冤罪なんてあってはならないものなのに、警察が言わばそれを承知で犯人を作り上げたことに疑問と怒りを感じたし、マスメディアがそれに疑問を持たずに(持ってはいたのかもしれないが)警察の提供したであろう情報をそのまま報道したことに疑問を感じました。
 日本の報道にはおかしな面があり、その犠牲者が大勢いるということを知り、メディア学を学ぶ学生として日本の報道は変わらなければいけないのだと感じました。
 貴重なお話をありがとうございました。 ]

 [ 先週ゲスト講義を聞いて布川の事件のことを分かりました。人を殺していないのに殺害者になって生きて行くことは本当に苦しかったと思います。今回の話を聞いて捜査をした警察たちにも過ちがあったが正確でもない報道をあらかじめ出してその情報を事実であるように作ってしまうメディアの過ちも大きいと思いました。
しかしまだ多いメディアが正確な情報ではなくて不確実な情報を出す傾向があります。例えば今の日本のメディアが本当に事実だけを報道しているか、ただ人々を安定させるための装置なのかに対してもう一度考えるようになりました。また一つの例では今の韓国のメディアは芸能人たちの正確でもないうわさを記事化して多くの芸能人たちが苦労しているしそのため自殺する芸能人が増えています。
 桜井さんと杉山さんの話を聞けば警察の捜査とメディアによって人生に大きな被害を被ったと思います。また知られてないがそんな事件が多くあると思います。これからこんなことが起きないように正確な捜査と正確なメディアの情報が必要だと思いました。またこの話を映画化した「ジョージとタカオ」は次の機会に見ようと思っています。ドキュメンタリーに興味があるので二人の話を映像にどうやって表現しているかを知りたいです。こんな機会を用意してくださった浅野先生にありがとうございます。 ]

 [ 杉山さんのお話を聞くのは、今回が二回目でした。昨年の「新聞学原論」の講義で、杉山さんと桜井さんのお話を聞きました。警察での取り調べの様子や検事の態度、裁判の様子などを詳しくお聞きすることができました。お話を聞いていて、警察が証拠を作り上げ、検察がそれを確実のものとし、裁判官がそれを鵜呑みにし、冤罪を生み出すという構造が見えてきました。犯人が見つからなければ犯人を作り出そうという警察のやり方には、怒りと恐怖を感じます。まだまだ私たちが知らない冤罪事件がまだまだたくさんあるのではないのだろうかと感じました。そして、マスコミは警察が逮捕した人が犯人だと決めつけ、原則無罪ではなく原則有罪であるかのように報道していることも冤罪を生み出す原因になると思いました。マスコミは、杉山さん、桜井さんを犯人だと決めつけた報道をさんざんしておいて、犯人ではないということが明るみになった途端、お二人が犯人ではないという報道を一斉に始め、今までの報道をなかったかのようにしました。マスコミは、自分たちがどのような報道をしていたかということを反省してほしいと思います。警察からの情報を垂れ流してしまうのではなく、きちんと調べたうえで報道すべきです。犯人だと決めつけた報道によって更なる冤罪を生んでしまっていると自覚してほしいと思いました。また、私たちも報道について冷静な目で見る必要があると思います。私たちが報道をふつうに見るだけになってしまうことでも冤罪を生み出してしまうかもしれません。
 杉山さんのお話を聞いて、警察・検察の実態、報道の問題点などを改めて知ることができました。井手さんの『ショージとタカオ』もまた見させていただき、布川事件について考えていきたいと思います。本当にありがとうございました。 ]

 [ お二人の貴重な話を聞いて非常に勉強になりました。私は話を聞く前、半信半疑でした。というのは、仮に容疑をかけられたとしても、自分が無実潔白な場合それを諦めず主張すれば、最終的にはなんとかなるだろうと思っていました。私自身頑固者なので、自分の言い分を粘り強く主張すれば、相手も最後の最後になればわかってくれるだろうと思っていました。しかし、杉山さんのお話を聞いて、とうていそれは不可能だと思いました。執拗な拷問ともいえる長時間の精神的圧迫を伴う事情聴取や自白の強要。「絶対折れない、諦めないぞ」という精神論ではとうてい抵抗できないような大きな強制力であったと思います。
 取り調べが密室であることの擁護論として、被疑者と取調官の信頼関係の構築のためというのが有名なものであります。密室でじっくりと話し合いをすることで被疑者との信頼を深め、反省を促し、その反省のもとに犯行を供述してもらう、というのが一般的な意見ですが、杉山さんが自白を執拗に強要されたとのお話を聞く限り、警察側はもとからそんなつもりはないように感じました。初めから杉山さんを犯人と食ってかかり、執拗に追い詰め、虚偽の自白に誘導してしまう、これのどこに信頼関係が存在するのでしょうか。取り調べ官の思い込みや決めつけに絶望し、屈服することを信頼関係と読んでいるのでしょうか。
 杉山さんと同じような冤罪の犠牲者がこれ以上出ないように、取り調べの可視化を実現させるべきだと思います。信頼関係を築くなら誰でも見られる状況のもと、堂々と信頼関係を築くようにしていくべきです。また、それを実現させるために、私たち自身も積極的に行動していくべきだと思いました。
 お忙しい中わざわざお越しいただいて、貴重なお話をほんとうにありがとうございました。 ] (了)

  


掲載日:2011年5月24日
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