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同志社大学メディア学科・浅野健一ゼミ公開講演会

「原発のない未来は可能だ」
―3・11以降、問われる生き方―

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 浅野ゼミは2011年7月5日(火)夜、新町キャンパス・臨光館207番教室で、環境問題専門家きくちゆみさんの公開講演会を開催した。司会は1年生の馬場(ばんば)さあやが務めた。

【きくちゆみさんの略歴】東京生まれ。マスコミ、金融界を経て、1990年より環境問題の解決をライフワークとする。92年、ブラジルのリオで開催された国連開発環境会議でNGO条約の作成に関わる。97年より南房総の山間地にハーモニクスライフセンターを開設し、自給的な暮らしを始める。環境・平和・自然療法・「9・11」事件・ローフード・非暴力コミュニケーションなどをテーマに書き、話し、訳し、企画する。3・11原発震災以降、脱原発とエネルギーシフト、子どもたちの健康を守ることを目指して活動中。著書に、『地球と一緒に生きる』『地球を愛して生きる』『ハーモニクスライフ 自然派生活のすすめ』『バタフライ』『デニス・クシニッチ』『テロと戦争詐欺師たちのマッチポンプ』、訳書に『戦争中毒』『テロリストは誰?』『9・11 ボーイングを探せ』『一本の樹が遺したもの』他。イタリア映画『ZERO:9/11の虚構』日本語版ディレクター、東京平和映画祭・グローバル・ピース・キャンペーン・「つなぐ光」の発起人。現在、ハワイ島にエコビレッジ創設の準備中。

 以下は、きくちゆみさんの講演と質疑応答の記録である。記録作成は浅野ゼミ3年の長畑雪香、1年の黒柳沙矢加、宮本梨代が担当した。

馬場:本日はきくちゆみさんの講演会にお越しいただききまして、ありがとうございます。長らくお待たせいたしましたが、お時間になりましたので、きくちゆみさんの講演会を始めさせていただきたいと思います。本日司会を務めさせていただきます同志社大学社会学部メディア学科1回生の馬場さあやと申します。よろしくお願いいたします。
 なお、本日は講演会の後に質疑応答の時間を設けさせていただいております。みなさまの積極的なご質問などいただければと考えております。よろしくお願いします。それでは本講演会のスピーカーであるきくちゆみさんの紹介を、担当の者にしてもらいたいと思います。どうぞお願いいたします。

長畑:本講演会の担当をさせていただきます、メディア学科浅野ゼミ3回生の長畑雪香と申します。お手元に配布されている資料に、きくちゆみさんの詳しいプロフィールは記載されておりますので簡単に紹介させていただきたいと思います。きくちゆみさんは1962年東京にお生まれになって、現在は鴨川でお米や野菜などを育てて自給的生活をしておられます。
 9・11事件をきっかけにグローバルピースキャンペーンを立ち上げ、米国や英国紙での新聞広告を実現し、『戦争中毒』を出版・翻訳されました。他にも9・11についての映画の日本語版を制作し、様々な本の出版をしておられます。とても多くのメディアから反戦争・反原発を訴えておられ、本日の講演会は「原発の無い未来は可能だ」というテーマでお話しいただきます。それではきくちゆみさん、よろしくお願いします。

きくちゆみさん(以下きくち):みなさんこんにちは。今日は来ていただいてありがとうございます。懐かしいお顔と初めての方がいらっしゃいますね。「初めまして」の方が多いですけれども。今日のテーマは、ここに書いてあるように、原発のない未来は可能だ、ということをお話ししたいと思います。3・11以降、日本のメディアが一生懸命伝えていることは、原発がないと電気が足りないとか、あるいは原発を止めて火力と水力にすると、ものすごくエネルギーコストが高くなって日本の経済が駄目になってしまう、という情報です。そういうことを主要メディアが言っていて、「原発なしでは日本という国はやっていけない」というのが、主流な意見となっています。

 みなさんがそれに対して同意しているのか反対なのか、私は今日どんな人が集まっているのかわからないですが、私は「その意見は全くの間違っている」と考えています。まず「原発なしでも電気は足りている」という話をひとつ、それからもうひとつは「原発はとってもコストが高い」ということ。そして今回明らかになったように、危険性もものすごく高い。その3つを改めて伝えたい。そしてもしほんとにコストが高くて、原発がなくても電気が足りているのであれば、どうして今更、原発を動かすのか、ということを問いたいです。
 今日、ここに新幹線の中で浅野先生がもらってきた、「WEDGE」という無料で配っている雑誌があります。キオスクで買えば有料ですがグリーン車では無料でもらえて、グリーン車に乗れない庶民は買わなくちゃいけないっていう雑誌ですが、「それでも原発 動かすしない」というタイトルの記事があります。この3・11があっても日本の経済的国際競争力のためには「それでも原発、動かすしかない」のだそうです。こういう雑誌をグリーン車で無料配布している。グリーン車に乗っているのは誰ですか。私は乗っていませんよ。グリーン車に乗っている人たちは、この記事を読めば、やはり原発を動かすしかない、と思うでしょう。「責任」ある立場であればあるほど、これに賛成しやすいでしょうね。こういう雑誌を読んでいる層は、やはりエリートビジネスマンや裕福な層で、社会的影響力も大きいので、そのような層がこういう風に考えてきたので、日本はずーっと原発を作り続けてきて、今54基もあるわけです。
 今日お手元に配った資料は、何年か前に私が書いたエッセイです。「注目」と書いてあるところを読みます。
「最も愚かな選択だと思うのは、地震国である日本が、原子力発電に頼っていることです。チェルノブイリでの事故が震度4程度の地震でも引き起こされた可能性があったことは、日本では知られていません。地震と原発は相性が悪く、一度原発震災が起きれば、日本の大部分は居住不能になってしまいます。」
 私はこれを2009年に書いています。生協の会員さんが読んでいる会員向けの雑誌なのですが、こういった意見は私だけではなく、いろんな人、どちらかというとあまり有名ではない人たちが(わたしも全然有名ではないです)こういう発言をあちこちでしてきたのです。
 一例を挙げます。2006年には、『放射能で首都圏消滅』という本が出ました。今日持ってくれば良かったのですが、それの本には、今回福島で起きていることがそのまま、まるでドキュメンタリーのように描かれいます。
放射能で首都圏消滅―誰も知らない震災対策 古長谷稔
 地震が原発のあるところであったなら、こういうことが起きる、ということが順番に書いてあり、そのときどうすればいいかという対策も、ヨード剤を飲まねばならないとか、子どもと逃げるときには風向きに向かって直角に逃げろとか、いろんなことが事細かに詳しくあります。三五館という出版社から出ていて、書いた人は古長谷稔さん。この方はこの本を書いた頃に、浜岡原発の地元に移り住んで、浜岡原発を止める活動をされています。今度も多分、地元の議会に立候補なさっていると思う。
 その本を読むと、今回の地震や原発震災が「想定外だった」というのが全くの嘘であることがわかります。ずっと想定されていたのです。まるで、ほんとにドキュメント、今起きていることとまるっきり同じことがその本にすでに書かれています。
 だから反原発の活動をしてきた人とか、私のように、その本を一生懸命広めてきた人などは、「なんだ、この本に書かれた通り、想定通りじゃない」ということが今、起きているのです。
 ところが、3・11以前の日本では、そういったことを言う人はやはり少数派ですし、私のような人間が2009年にこういう記事を書いても、「よし、地震国の原発は確かに危険すぎるから、日本の原発を止めよう」なんていう人はほとんどいなかった訳で、3・11が来てしまった訳です。
 たぶん私はこれからもずっと放射能が漏れ続けると思います。あれから4カ月経ってまだ放射能が漏れていますよね、今日も。この中で「ふくいちライブカメラ」を見たことがある人いますか?はい、何人か結構、いますね。「ふくいちライブカメラ」はずっと原発の様子をライブで撮影して24時間流しています。それを見ていると、ずっと白い煙が出ていて、時々黒い煙も出ていて、時々ぴかぴか光ったりすることもあったりして、かなり活発な活動が今日も昨日も一昨日も、福島原発で起きています。
 チェルノブイリの事故は10日間で一応収束に向かいました。その上、たった1基だった。福島原発は四基同時です。四基同時で、しかもずっと、今日でもうすぐ4カ月ですが、4カ月経ってもまだ収束してない。ということで、たぶんチェルノブイリよりも最終的な放射能の漏れの総量は、大きくなってしまうのではないかと私は心配しているところです。その間、日本政府がどのようなことをしたかというと、最初の2カ月間は、メルトダウンしているという重要なことさえ隠していました。5月15日に発表されて皆が驚いた訳です。でもその驚いたときには、もう「放射能はほんの少しだったら体にいい」という説や、「100ミリシーベルトまでだったらガンにならない」という説などが十分福島県民には伝わっていて、ほとんどの人が逃げなかった。
 それで私は3・11以降何をやってきたかというと、とにかく妊婦と子どもは原発周辺から逃がさなくてはいけないって思ったのです。まず妊婦(胎児)と子どもは大人とは違って、放射能の影響が大きいですから、すぐに逃げる必要がある。そして子どもだけではなく、若い女性や、これから赤ちゃんを生む可能性のある女性のお腹にはもう卵子が入っていて、それがずっと被曝するわけですから、受ける影響というものはとても大きい。そういう人たちに対しては、成人男子の基準を当てはめてはいけないのだということを、私のブログやTwitterなどの媒体で、情報発信をしてきました。そして情報発信するだけでなく、避難したい人が出来るように、沖縄に「つなぐ光」というプロジェクトを立ち上げました。現在、「つなぐ光」は社団法人になっていますので、「つなぐ光」で検索してみて下さい。何をやっているかというと、沖縄でお部屋を提供できる人、ホームステイで受け入れができる人などの情報を集め、避難したい福島の人(基本的に100キロ圏内)につないでいます。たとえば、「我が家は六畳二間余っているので、4人まで受け入れ可能です」とか「五千円で貸すことができます」とかの情報を沖縄の人から集めて、東北から避難したい人につなげるという、まさに「つなぐ」活動です。場合によっては旅費や生活費の補助もしています。
 これまで、そういう形で、福島から、お子様と妊婦さんが合わせて40名ほど、受け入れています(8月末現在で約100名)。でもたったの40名なのですよね〜。私の中では、少なくとも「1000人受け入れる」というつもりで始めて、沖縄の仲間にも「千人目標ね」と最初は言っていたのですが、福島の人たちはそう簡単には動けないということがやってみてわかったのです。
 私は沖縄には2001年くらいからずっと通っていますし、冬の間は時々長期で住んだりしています。『戦争中毒』っていう本を訳して出版したときに、沖縄の平和活動家とつながりができ、なぜ米軍基地が世界中にあるのか、どうして沖縄だけにそんな基地がいっぱい集中しているのか、という、いろんな理不尽なことがある中で沖縄の人と一緒に活動をしてきました。そういう中で親しくなった仲間がいました。3月11日に「福島原発で全電源消失」っていうテロップが出たときに、「ああもうメルトダウンする」と思ったので、これはすぐに妊婦と子どもを遠くへ逃がさなければ大変なことになる、とすぐ行動に移したのです。
 だから、翌日の5月12日には「つなぐ光」のプロジェクトは動き出しています。日本政府よりだいぶ早いです。早いけれど、メディアは載せてくれないし、日本政府は「安全です、メルトダウンしていません」ですから。最初は「放射能はほとんど漏れていません」、あるいは「漏れたけれど直ちに健康に影響はありません」なんて言っていた。でもたくさん漏れたことが分かった後は、お医者さんとか、あの有名な長崎大学の山下さんみたいな人が各避難所を回って、「100ミリシーベルトまでは健康に害を与えるほどのことではない」、と言って歩いていました。お母さんが「本当に大丈夫ですか、マスクをしなくて良いのですか、砂遊びをさせていいのですか」と聞いたら、「全然大丈夫です、マスクなんかいりません」と言って歩いていたのですね。政府とマスコミと学者がスクラムを組んでそういうことを言って歩いたときに、私みたいな無名の専門家でもない人間が、「つなぐ光」で福島の人に「どうぞ逃げてきてください」と言っても、手が挙がらないですよね。そして、お母さんが子どもを連れて逃げようと思うと、親戚中が集まってきて、「うちからそんな恥ずかしい真似はさせられない、行かないでくれ」と言って頼むのだそうです。「避難することは自分だけ助かる行為で卑怯な行為である」と言われたり、「逃げるのか」と言われたり。避難者に対するすごい圧力があります。
 全員が全員とは言いませんが、このようなことがあって、福島の人はもうほんとに身動きとれなくて、いまだにものすごい高線量の中で人々が住み、子どもたちは学校に通っている状態です。長年脱原発運動に関わってきた人は、本当に今悔しい思いをしていると思うし、長く深く取り込んでいた人ほど挫折感が深いだろうと思います。私自身も、すごい罪悪感というか無力感があります。いったい全体私は何十年間もなにをやってきたのだろう、一生懸命原発を止めようと思って、こうやって記事も書いてきたし、講演もしてきたけど、結局世の中何も動かせなかった。それでこんな結果になり、実際子どもたちまで被曝して、妊婦も被曝してしまった。「つなぐ光」を立ち上げたけれど、たった40人しか動かすことができなかった。40人でももちろん、ゼロよりいいけれど、でも何十万、いや何百万の人がいまだに被曝し続けているっていうことに対して、ものすごいむなしさと悲しさと絶望感というようなものがうずまいているのが本心です。
京都大学には小出裕章先生という今一躍有名になった研究者がいます。小出さんは原子炉実験所で四十年間もずっと原発の危険性を訴え続けてきて、311以降、彼の言っていることはほんと正確だし、メディアと違っていても、結局は彼の方が合っていました。もう少し彼の言うことを日本の偉い人たちが聞いていれば、結果は違っていただろうと思うのですが、もうあとの祭りです。日本は、チェルノブイリがあっても原発は止まらなかった。JCO事故でも止まらなかった。だけど、日本で本当に大きな事故があったら原発は止まるだろう、って私は思っていたのです。おそらく藤田祐幸さんや小出さんや広瀬隆さんなどもそうかもしれませんが、私は本当にそう思ってたのです。でももちろん、原発事故はないほうがいいけれど、まあ日本で原発が止まるのは、事故があったときだろうね、って言っていたことがたまにありました。原発に反対する仲間内での話です。でも、福島原発の事故があっても、「それでも原発 動かすしかない」というのですよ、日本の財界や、そういった大企業の人たちは。日本政府もそうです。これは、すごいショックです。
 では、どうしたらこの国の原発は止まるの?一体全体、女子どものこと大切に考えているのかしら、とほんとうに疑問に思うのですよ。私はお母さんで、4人の子どもがいます。お母さんの一番の責任は、子どもの命を守るってことなのです。それはもう何よりも優先します。国がなんて言おうと、町会長がなんて言おうと、近所の人がなんて言おうと、友だちが何と非難しようと、誰に何と言われても、私は何よりも自分の子どもを守ることを一番優先します。たぶんそういうお母さんは多いのではないだろうかと思うのです。まあお母さん全員が共通とは言いませんが。お母さんの立場からすると、この記事の「それでも原発 動かすしかない」というこの男たちのことが理解できません。たぶん男ですよ、これを言っているのは。ここに来ている男性はそうじゃないでしょうけれどね!
 日本の将来を決定することが出来る立場の男たちに、ほんとに腹が立ちます。「何考えてんのっ!」というような言葉しか、浮かんでこないですね。じゃあ経済のためには「それでも原発 動かすしかない」を理解したとしましょう。原発が一番安くて、エネルギーのためには仕方ない、経済のためにはしょうがないと言って原発を動かし続けたときに、もし日本の子どもたちがばたばた死ぬようなことになり、チェルノブイリのように25年後に二十代三十代の世代がごっそりいない、ということになっても、それで良いのですか、と聞きたい。日本が経済復興するためには若い世代が元気であるっていうことが絶対に必要です。若い世代が元気で、子どもが産めて、子育てが安心して出来る日本であって初めて、経済復興もなにもかもに意味があるのです。それをなくしていいのか、と言いたいですね。この人たちと話すチャンスがあるなら、話したいです。少なくともこの、「WEDGE」っていう会社の電話番号が書いてあるので、ここに電話しようと思うし、ハガキの一枚でも送ってみようと思っています。みなさんもやってみてください。
 私はこれからもそういうことをし続けますが、いまだに日本の政治や経済の中心メンバー、日本の重要決定をすることが出来る立場の人たちは、原発を捨てません。また、脱原発をするために自然エネルギーに転換しようと言う人がすごく多いのですが、実は脱原発は今のままでもできます。これは忘れないでください(電気は足りている、という意味で)。あとで浅野ゼミの方は、資料を先生かからもらって下さいね。日本政府と政府側が出した資料を元に、水力と火力と原子力と日本の最大の電力のピークを調べてあります。過去何年間、1995年の一時期にちょっとだけ足りない時期がありましたけれども、この1995年以降、2010年までの実績で、原発なしで電気が足りないという時は一日もありませんでした。足りています。それにも増して、日本には、自家発電があります。企業が沢山自家発電をしていて、それが今度、法律が変われば自由に売れるようになると思うので、それらを全部足せば電気は余ります。なので、別に自然エネルギーに頼らなくても脱原発は今のままでも出来ます。いま計画停電をしなきゃいけないというのは、全部、原発を存続するための嘘です。計画停電をしなきゃいけないのは嘘だっていうことの根拠は、この本にも書いてあります。小出さんの『原発の嘘』と『この国の問題点』という上杉隆さんの本にも、計画停電についての嘘が書いてあります。これは読むと面白いと思いますのでぜひどうぞ。この二冊はおすすめです。
 私自身が今一番言いたいことは、福島の子どもたちの疎開です。今でもすごく悲しいことは、4月6日になったときに、「つなぐ光」で逃げてきたお母さんたちが、学校から電話がかかってきて福島に戻っていったことです。「なんで戻るの」と聞くと、お母さんは「ほんとうは戻りたくないのだけれど、でも娘がどうしても受かった高校に行きたいから」と言いました。その気持ちは良くわかります。娘さんが、自分が一生懸命勉強して受かった高校が福島にあって、そこに行きたいっていうのは痛いほどわかります。 でも、その子がこれから受け続ける毎日の外部被曝と、呼吸や飲食で受け続ける内部被曝が、その子の将来の健康にどういうことを及ぼすのか、よく考えてみて下さい、と一生懸命言いました。確かにその高校は大事だとは思うけれども、健康のことも考えて、と伝えたのだけれど、やっぱり止めることはできませんでした。彼らは福島へ戻って行きました。そのときの気持ちは・・・今でもほんと切ないですね。もう絶望感っていうかなんていうか、なんてことを福島の人に強いているのだろうか、って・・。たかが電気ですよ、たかが電気のために・・・。
 今私は京都にいますが、ここ京都というのは、すごく原発に近いです。たぶん日本の大都会の中で一番原発に近いのは京都じゃないかと思います。50キロですよね、敦賀まで。ここも原発現地で何かあったら即、だめになるところであるというところにみなさん生活の基盤や、学問の基盤を持っていらっしゃるのです。
 関西は本当に原発が多くて、福井だけで15基ある訳ですけれども、それプラス高速増殖炉の「もんじゅ」があり、これも今事故で止まったままで、すごく危ない状況です。そこに地震あったときどうなるのか、っていつも心配しています。そして、原発というのは、停止してすぐ「止まる」わけではありません。止まったあともずっと崩壊熱を出し続けるので、その間冷却に失敗するとメルトダウンしてしまいます。今の福島第一原発四号機の場合は、燃料棒が抜いてあったのにも関わらず、使用済み燃料プールの中の燃料棒が解けて、放射能漏れが起きているのです。使用済み燃料の中の放射性物質は桁違いに多いので、それはすごく恐ろしいことなのです。今回、しみじみ思ったのですが、原発というのは、実際「発電所」じゃなかったのですね。長い目で見たら発電するより電力を消費してしまう「原子力電力消費設備」なのだということが今回の事件、事件って言っていいのでしょうか、今回の事故でよくわかりました。
 私自身は子どもを持つ親として今後も原発を止めるための活動をするわけですが、原発と地震が両方ある国には住みたくないと本気で思います。狂っています。そういうことを許容する人というのは。原発だけなら、制御してきちんと管理していれば、まだましです。それでも廃棄物の処理を考えると、あまりいい選択ではないとは思いますが。
 しかし、地震があるところに原発を建てて、しかもこの3・11を目のあたりに経験したあとも、まだ原発動かし続ける人の神経が全然わかりません。それが日本のマジョリティなのでしょうか?どうですか、ここにいる人はどうなのでしょうか?今日、ここにどんな人がいるか私には全然わからないけれども、たぶんまあ、ここに集まってきているということは、この講演のタイトルに関心がある人が来ていると思うので、多くの人が原発を止めることに賛成なのではないかと思いながら話しています。でも日本の国(政府)とか、経団連とか、あとこのWEDGEを読むようなビジネスの中枢にいる人たちは、まだ、「それでも原発 動かすしかない」というのです。これを、どう考えればいいのか。「私の人生、私の子どもの人生、どうしてくれるのよ!!」、と言いたいですね。私はただ安心して子育てがしたいのです。
 私は実は東京に産まれ育ったのですが、今から十四年前に千葉県鴨川市の山間地に移り住んで、何の経験もないのに畑と田んぼを始めて、十五年経ちました。最近やっと立派なニンジンが出来るようになりました。ニンジンは土ができないとなかなかいいものが出来ないのです。やっといいニンジンが出来るようになったのが去年です。十数年かかっていい土が出来てきて、これからやっと根菜類が出来るようになるな、嬉しいな、と思っていた矢先に3・11が起きてしまった。鴨川では友人たちが放射能を測っていますが、だいたい毎時0.1から0.2マイクロシーベルトぐらいです、たまに海側で0.3マイクロシーベルトになるときがあります。それほど高くはないですが、国の定めた、年間1ミリシーベルトの基準は超えるか超えないかのぎりぎりのところです。私と夫がそこで地に足をつけて暮らし、自分たちの子どもに完全無農薬の米と野菜とキノコ類と果物を育てて食べさせ、努力して積み上げてきたことが今回の3・11で根底から覆されました。
 私がいるのは千葉です。千葉でこの程度ならもっと近い茨城の人は、福島の人はどうなってしまうのでしょう?この事故の後に、福島の無農薬の農家の方が自殺し、最近また、酪農家の方が自殺しました。その人たちの心の中を考えると、私がもし、福島の専業農家だったら死んじゃったかもしれないって、思いました。自分は専業農家じゃなくて自分たちが食べるだけの自家菜園ですから、放射能がなくなるまでは遠くの物を買うなりすればいいですが。しかし本当に想像がつかないです。この福島の原発震災がもたらしている影響の大きさは。これで終わりじゃないし、もっと広がっていくし、しかも政府が何をしたかっていうと、放射能の基準を上げて「安全です」というだけですから。
 私が一番始めに原発のことに興味を持ったきっかけは、チェルノブイリの原発事故の後です。1986年のチェルノブイリの原発事故のときに、日本にも放射能がやってきました。一週間くらいでやってきて、そのときに一応放射能汚染のひどい輸入食品は、日本でも輸入禁止になりました。確かそのときの食品の基準は1キロあたり370ベクレルでした。370ベクレルという数字に、そのとき私は驚いたのです。なぜなら、諸外国の基準値がそれぞれ独国、米国、フランスなどにある中で、日本の基準値が一番高かったからです。370ベクレルは、突出して高い基準でした。「なんで日本ってこんなに高いの」と思ったことを覚えています。
なんで高いと思いますか。そのとき私はわからなかったのですが、今思うのは、日本にはいっぱい原発があるから、そのぐらいにしとかないと日本の食品も駄目になっちゃうからではないのでしょうか。これは私の考えですけど。
 日本はこのように前から基準値が高いのですが、今回の3・11のあとにさらに基準値が上がっていきました。今食品の基準値は500とか2000ベクレルとかです。水道水や飲料水が300ベクレルです。世界の基準は、10ベクレルですよ。あるいはプルトニウムなどのアルファ核種なら0です。日本は本当に高い基準になっていて、その基準値以下だったら安全ということで、食品が流通しています。最近では土壌汚染も深刻ですね。堆肥はみなさんも使うでしょ?ホームセンターから買ってきて、堆肥を花壇などに入れることがあると思うのですが、この堆肥の基準値はなかった。農水省は、もうそれに関しては流通させるということにして、放射能入りの汚泥が混入した堆肥がこれから全国に回っていくのです。
 あと有名になったのは、福島県の子どもたちが通う学校の放射線量。空間線量は20ミリシーベルト/年までOKと文科省が言って、それはさすがにひどすぎると大騒ぎになりました。父兄が文科省に怒鳴り込んで「そんなの駄目だ。撤回しろ」と言って、元の「1ミリシーベルトを目指す」とまではなんとか言わせました。しかし「目指す」と言わせただけで、今のところ20ミリシーベルトが許容されています。そのまま、その線量の中で、福島の子どもたちは毎日授業しています。プールに関しては、基準が無いし、たぶん大丈夫だろうということでOK、お砂遊びもOK。お砂遊びの検査をするときに、福井から原発の関係者が来て、測ってくれたそうです。関西電力の人だという。測った場所は幼稚園ですが、砂場から高さ50センチのところだった。どうやって子どもが空中50センチのところで砂遊びをするのですか。本当に腹立たしい、「いったい何を考えているのだ!!」というようなことが、すごくたくさんあります。私は母親で子どもを育ててきたし、子どもが一番放射能の影響を受けるので、子どものことが一番気になるのです。そういうのを決めている男たちは何にもわかってない。ごめんなさいね、「男たち」って言って。ここにはたぶん良い男たちが来ていると思うのですが!ほんとに子どもと関わっていない男性は何も分かっていなくて、砂場で50センチのところを計って「安全です」って!!子どもは50センチのところで砂遊びはしないですから、砂を測らなきゃだめでしょう。すごく線量が高いですよ、砂だと。50センチに上げると低くなるのです。いまみなさんが測っている空間線量はだいたい1メートル。文科省のデータは地上18とか20メートルですよね(そんな高いところに誰がいるのだろう?)。
 ほんとにこの国は放射能に対する危機管理能力がお粗末で、危機対策は何もなかった。ただ、一生懸命お金かけてやってきたのは「原発は安全です」というPAばかり。PAとは、「パブリック・アクセスタンス」のことです。一般人に受け入れてもらうための宣伝広報(プロパガンダ)活動です。PAにはごまんとお金をかけてきた。それで、彼らがやってきたことっていうのは、日本全国津々浦々で、原発現地の人はお金で黙らせ、反対運動はつぶして、原発54基を作ってきたわけです。
私は今日ここでこんなところに立ってお話をさせていただいているけれど、私より若い世代に対しては、ほんとに、「申し訳ない」「ごめんなさい」しか言葉がないのです。この国に生きる大人として、ほんとに申し訳ないです。子どもを育てることに夢を持てないもの。だから、夢を持てるようにするには原発を止めるしかないって、本気で思っています。
 これから出来ることは、再稼働をさせない、ということです。今原発が日本で17基動いています。なんだかんだいって、いまほとんどの原発が止まっています。54基のうち、37基も止まっているのです。なぜかというと、福島原発で第一、第二合わせて10基、女川原発4基も地震で止まり、青森の東通も茨城の東海も止まっている。あとは定期点検でいくつも止まっている。それから、柏崎は、この前の地震のあと再稼働してない。それから浜岡原発は、管首相の英断で止まった。ということで、今動いてる原発は十七基です。この17基もいずれ定期点検のために止まっていきます。原発は十三ヶ月に一度定期点検をしますから。定期点検は、短くて一ヶ月長くて三ヶ月ぐらいかけて、中をいろいろ調べて、安全性を確かめます。このときに多くの労働者が被曝をします。定期点検が終わったあとに、再稼働する権限は知事にあります。今までは自動的にスルーです。何の問題もなく、定期点検が終わったらすぐ再稼働でしていたのですが、今度は流石に、原発を持っている地元の県知事の中で、(佐賀と愛媛は駄目でした)例えば福井や島根の知事が、こういうことを言い始めました。「浜岡が危険だといって止めた。浜岡原発と、うちのところにある原発はどう違うのか」って。こういう質問を県知事がしだした。これは、とてもいいことです。
 浜岡が危険だというならば、福井の原発もたぶん危険じゃないのか、という疑問は当然持ちますよね。そういうことを言い出す知事がちらほら現れたし、大阪の知事さんも(あんまり好きじゃないですが)、原発に関しては結構激しく言ってくれて、佐賀県の知事を激しく批判したり、「そんなに原発が安全だと言うなら、そういうやつは福島に行って住め!」とか、言っていますね。さすが四十代の知事だと思います。四十代の、将来がまだ何十年かある人と、六十七十八十の先があまりない人とは違うと思うんですよね。その真剣さが。
 長く生きる人ほど放射能の影響をたくさん受けます。また放射能の影響は若い人ほど、細胞分裂の盛んな人ほど、早く影響が現れます。だから、わたしよりも二十代のみなさんだし、二十代のみなさんよりも十代の人、それより子ども、さらに赤ちゃんだし、胎児だし、胎児の前の卵子精子により大きな傷がつきます。若いほど大きな影響を受ける、ということを覚えておいてください。原発事故が起きたときに最初に現れる、目に見えにくい影響というのは、妊娠しなくなるということです。卵子や精子が傷つき妊娠しにくくなるので、不妊が増えます。その次は、妊娠したけれど途中で流産してしまう。流産が増えます。その次は、赤ちゃんは産めたけれど死んでしまうこと。産んだときに死んでいる死産、その次は、産まれてきたけれども重い障害があったり、他の理由で一歳までに死んでしまう。それは「乳幼児死亡率」というデータで目に見えるようになります。乳幼児死亡率はおそらく厚生労働省のデータに載りますから、そのときになって始めて「わあ大変だ!」と、多くの人が気づくようになると思います。たぶんそれは、来年にもはっきり現れるだろうと思っています。
 覚えておいてください、乳幼児死亡率の上昇というのが、まず目に見えるデータとして、現れてくるということ。チェルノブイリでは、本当にひどいことが起こっているのに、未だに国際原子力機関(IAEA)というところは、「チェルノブイリ原発事故で放射能が原因で死んだ人はほとんどいない、甲状腺のガンの子どもがちょっと増えただけだ」というのが公式の見解です。でも、最近は良心的な学者が集まって、詳細な検証をして、チェルノブイリの原発事故の放射線の影響で亡くなった人の総数は、九十何万人という結果が発表されました。百万人弱が亡くなっているということです。
 福島に関しては人口密度がもっと高くって、もうちょっと放射線が高いし、まだ事故が終わっていないので、私はどれくらいになるのか分かりません。しかし、相当の影響が出るだろうと思っています。ただこう言ってしまうと本当に絶望的になるので、ちょっと良い話をします。日本はものすごく免疫を上げる、伝統食という食事を持っている国です。それはとてもラッキーなことで、広島とか長崎の原爆のあとも、お味噌をたくさん食べて玄米を食べた人が助かったという話があります。ちょっとは聞いたことあるでしょう。玄米菜食や発酵食が脚光を浴びているのも良いことです。秋月さんというお医者さんが爆心地から1.7キロの病院で、患者さんに「玄米菜食と味噌で濃い味噌汁毎日喰え!」と言って濃い味噌汁を食べさせて、患者さんや看護婦さんを病気にさせなかったっていう話。それが実話として残っている。
 そういう伝統食がある国なので、もしかしたら微量の放射能を浴びても、そういう食べ物を毎日食べることで免疫力を高めて、ガンにならずに済むのかもしれない。まるで、これから壮大な人体実験をやるようなものです。私は体に良いと思うことは何でもやってみるつもりで、実際いろいろやっています。とろろこんぶを食べることもやっています。自然のヨウ素をいっぱいにしても効果はない、そんなのデマだっていうのもツイッターで流れて、いろいろな論争があったけれど、自然のヨウ素で甲状腺をいっぱいにするのは良いことです。体は放射性ヨウ素と自然のヨウ素と区別なく取り込んでしまうので、いつも自然のヨウ素で満たしておくことは、もちろん良いことです。ということで、いろいろ諦めずに出来ることはいっぱいあります。
 このあいだ札幌で福島から来たお母さんたちに会いました。その方は、お父さんが原発で働いたので、万が一のときにはこういう風にしなさいということを、ずっと小さい頃から教育を受けて育ちました。だから家の中をどうやって除染すれば良いかを徹底して習っているので、それを毎日実行していたのです。それをやったおかげで、福島の街中がだいたい3〜4μシーベルトくらいなのに、彼女の家の中だけは0.08μシーベルトでずっとキープしていたそうです。どうやったかというと、結局お掃除なのです。放射性物質は、埃とか土に付いてくるのですね。塵埃に付いてやってくるので、それを入れない、それがない状態にする。もちろん空気は入ってこないように窓は閉めて目張りし、夏は外気をいれずにエアコンを使うことになります。家の中に入るときは外に水拭きのマットを置いて、足を綺麗にする、土を絶対入れない。外出のときは帽子をかぶり、長袖を着て、帰ってきたらそれを全部固く絞ったぞうきんで拭うそうです。脱げる物は脱ぐ。外着と中着を分ける。帽子とレインコートは外用。家の中に放射能を持ち込まない、ということをずっとやって、その方は三人子どもがいたけれど、部屋の中はずうっと0.08にキープしてきました。それでも、放射能が食べる物の中に入ってきて水の中に入ってきて、子どもを外で遊ばせられないストレスがあって、いよいよ三3カ月後の6月11日に家を出て、札幌に避難しました。そのときにも、「出るな」という圧力がすごくあったので、本当にもう一度出たらもう二度と戻れないという気持ちで出てきた、と言っていました。恐ろしいですよね。
 今の日本の社会はほんと恐ろしいと思う。逃げる人を非難するなんて、「なぜ?」って思います。逃げられるのなら逃げたほうが良いに決まっています。みな、いろいろ事情はあるでしょう。仕事やいろいろな責任があるとか。どうしてもいなくてはならない事情がある人だけが残り、少なくとも子どもとお母さんと妊婦は避難したほうが良いと私は思います。でもなかなかそうはいかない。福島の方に会っていろいろ話を聞いていると、もうそんなことも出来ないぐらいすごい圧力があり、福島に閉じ込められている人が今も200万人もいるのです。あとで、福島県いわき市で被災した私の友人が来ているので、壇上に上がって少し話をしてもらいたいと思っています。
 これから一番したいことは、なんとか子どもだけでも助けたいと思っているので、どんなに非難されようと子どもの避難や保養をサポートするつもりです。「つなぐ光」では、サマーキャンプを計画しています。サマーキャンプというのは、引っ越しではなくて夏の間だけ、放射線の少ないところに、なるべく長く1ヶ月とか1カ月半いることで、その間に、いい食べ物を食べて、汚れのない食べ物を食べて、外で思い切り遊んで、元気になってもらおうと思います。それを沖縄でやろうとしています。いまそのお金も集めているし、人も募集しているので、福島につながりがある方は、ぜひ声をかけてください。ちゃんと面倒見ますよ、親元を離れるのは大変ですけれどね。そのようなサマーキャンプの動きは京都でも京都大学の学生さんたちが中心になってやっていますね。いろんなところで手が挙がっていて、これはほんとに喜ばしいことです。そうやって福島の子どもたちを自分の身近に受け入れることで、原発とはどういうものかという本質をよく理解できるでしょう。日本中の人が、ひとりひとりその痛みを感じてくれたらいいな、と思っています。ひとごとではないのです。
 ここ京都は原発から50キロです。たった50キロ。近いですねえ50キロは、あっという間、おそらく1時間もしたら放射能が来ます。54基の原発を私は止めたいし、もうちょっと欲張ると、世界の440の原発も止めたい。私はこの福島原発が電源喪失っていう報道に接した日の夜中に、いつも見ている地図、それは世界地図と原発の位置の地図ですが、それを見て、どこに行こうかって考えていました。世界地図で見ると、福島と東京はほぼ同じ点です。みんなも見てください。日本では福島から10キロとか20キロとか言っていますが、それでは視野が狭すぎます。福島と東京は世界地図では同じ点です。その地図には赤い点で世界の原発立地点が示されているのですが、日本列島はその赤い点で全部埋まっています。それからもう一個地図があって、それは世界の地震帯の地図です。過去50年とか100の間にマグニチュード5以上の地震があったところのデータがあります。原発と地震の二つの地図を重ねると、日本はすっぽり地震が一番起きている地域の中に入っていて、そこに真っ赤な点の原発が54あるわけです。その地図を見るだけで夜も眠れなくなります。「ここで死ぬのを待ってるのだろうか」という気持ちになります。
 私は経済発展が無いほうが良いと思っている訳ではないし、もちろん、みんなが食べられて、ちゃんと暮らせて、幸せに暮らせる社会が良いです。みんなが食べられて、やりがいのある仕事がちゃんとあり、ひとりひとりに役割があって、みんなが幸せに生きる社会が欲しいです。しかし原発があったら、なにもかも台無しになるのです。福島原発の今回の事故だけでも東日本はすごい損害です。たぶん東京電力ではとても損害賠償なんて出来ません。日本国家が全部、国家予算を注ぎ込んでもできないくらいの損害だと思います。ほんとに補償しようと思ったら、です。なので、本当に日本がこれからも発展し、日本人が健康に子どもを産んで育てて、これからも日本列島で生きていこうって思うならば、原発は無いほうが良いのです。そして、もちろん原発がなくても、やっていけるのです。
 あとで電力便覧の資料を差し上げます。また私のブログにはそういったデータがたくさん載っているので興味のある方はぜひ見てください。日本の電力のピークは8月の午後3時に来ますが、ピーク時の使用電気量でも水力と火力の合計で足りています。計画停電は「原発がないと停電しちゃうよ」というアピール(脅し)のためです。こういうことを言うと噛みついてくる人もいますが、わたしはなるべく政府や電力会社側のデータを使って話しています。原発コストは経産省のデータでは5.9円となっていますが、それは外部コストを抜いた数字です。田中優さんの『地宝論』という本に載っているのですが、設置許可書に書いてある数字だと14円になっているのです。国民向け発表は5.9円なのに、政府と東電の間では13から15円となっています。どちらが真実なの?と思いますが、おそらく国民ではなくて、政府に出している数字が本当でしょう。立命館大学の大島健一先生が原発の本当のコストを計算して話題になりました。原発三法交付金をいれて、稼働率—これは高いほうがいいのですが、最近は事故が多くて下がっています—も考慮にいれて、さらに核燃料の処理費用も含めて計算しました。核燃料処理費用はみなさんの電気代から月間200円ほど徴収されています。こういうのを含めた大島先生の計算ですと、原発の発電コストは10.68円です。火力10.7円、水力は11.9円、天然ガスが6.7円、風力が高くて24円、太陽光発電が49円。こういう風に、原発5.9円に比べて他が高いと国民向けには宣伝されていましたが、大島先生の計算から火力とたいして変わらないことがわかりました。
 原発は必要悪ではないのです。温暖化対策にもなりません。原発で得られるエネルギーの3分の2は温排水となって海に捨てられます。電力になるエネルギーは3分の1で、原発の発電効率はすごく悪いのです。実際3分の2が海に捨てられているので「原子力海温め装置」のようなものです。核分裂ではたしかに二酸化炭素(CO2)は出ないけれども、その他のすべての行程においてCO2は出ます。今も福島原発は発電をしていませんが、冷却するために外部電力を使い、たくさんの車両が出入りして、CO2が出ていますよね。その冷却した汚染水は最終的には海に流れていきます。放射性物質が海の生態系の中で濃縮されていったときに、海産物にどれだけ影響が出るのか気になりますよね。
 最後に、パワーポイントを見てください。放射線量はインターネットで見ることができます。また、わたしは鴨川の友達が測ってくれた放射線量を毎日ツイッターでアップしています。福島の原発は今この写真のような状態です。4号機の問題には色々な説がありますが、傾いているので倒壊を心配しています。問題は3号機で、ウランを燃やすように設計されているのにプルトニウムを燃やしています。なぜなら日本は、「プルトニウムを溜め込んでいる」とIAEAから批判されることをおそれているからです。佐賀原発もプルサーマル。元々の目的(ウランを燃やす)と違うことをしているわけだから制御が難しいです。
 繰り返しになりますが、WHOの基準が10ベクレルにたいして日本の基準は、飲料水は300、魚介類は2000ベクレルまで上昇しました。チェルノブイリのときの370ベクレルをさらに上回る数字です。日本政府はただ安全基準を上げて日本人が内部被ばくする可能性を高めただけです。これで日本人は生き残れるのでしょうか。
 ウクライナ、ベラルーシュの甲状腺がんの発生率です。放射性ヨウ素は甲状腺にたまります。放射線のせいであると断言はできませんが、IAEAもチェルノブイリ後に非常に甲状腺がんが増えたということは認めています。「ガンのあたりくじ」と田中優さんはおっしゃっていますが、例えば年間1ミリシーベルトの被曝量だと、放射線の影響で一万人に一人が、ガンになるだろうといわれています。自分はその一人にはならないと思う人が多いと思いますが、そんなことはなく、たとえがんが発症しなくても、免疫は下がり、健康状態は劣化します。
 この「心援隊」は大阪にある東日本大震災の被災者、とくに妊婦と赤ちゃんの支援団体です。今、日本各地にこのような市民活動が生まれています。お金はなくとも受け入れ態勢は十分ですが、福島の方々が来ない状況です。
 日本は地震がとても多い国です。原発保有国の中でも日本はとても小さな国ですが、1970年から2000年の震度5以上の地震が3954回もありました。福島原発は活断層の上にあり、地震が起きたら壊れてしまうことは、私たちの間では想定内でした。日本の原発はたしかに一番近代的で、よくコンピュータ制御されていますが、耐震性は弱いです。福島の原発の限界耐震限度は180~210ガル。これはとても低いですね。地震に弱いということです。日本で一番耐震性が強いのは浜岡の3~5号機が600ガル。けれど阪神淡路大震災が800ガルなので大きな地震には耐えられないということです。
 どのように放射線が漏れたか。メルトダウンのことも、スピーディで放射能が北西方向に流れるという情報も、政府は最初から持っていましたが、2か月も私たちには隠していました。
 日本にある原発54機、動いているのは17機ですが、止まっていても中には死の灰が詰まっていて、安全ではありません。では人々はどのように生きていけばいいか。ヒマワリの種や菜の花を植えることによって、放射線量の少ない、安全な土壌にちょっとだけ近づけると思っています。
 「政府がなぜ隠していたのか」、という質問を受けたことがありますが、政府は「パニックを恐れた」と言っています。本当のことはわかりません。プルトニウムがほしい人や、お金がほしい人がいるから、こういうことになるのです。総括原価方式によって、コストの高い原発を建てた方が東京電力はより高い利益を得ることができます。より建設費が安い火力発電所より5000億かかる原発のほうが、より儲けが大きくなるので、電力会社は原発をなくしたくはないでしょう。総括原価方式が諸悪の根源です。この方式によって日本の電気代が世界一高くなっている。
 原発がなくなると電気代が高くなる、という報告書が提出されていますが、これは大きな間違いです。「原発が一番安い」と言っていますが、廃棄物処理などの費用は、考慮されていません。政府の出している金額は原発が5.9、水力13.6、石油火力10.2、天然ガス6.4、石炭6.5円。しかし電力会社が経産省に提出している設置許可申請書の金額は初年度で13.3円、2年目から12.3円となっています。けっして5.9円ではないのです。高い原発では17.5円もしています。これをなぜジャーナリストが報道しないか。マスコミの大きな広告契約相手が電力会社だからなんでしょうね。
 日本で原子力はベース電力になっていて、足りない分を火力・水力で補っています。原子力は一度動かしたら、つけたり止めたりできませんからね。だから原子力が日本の電力の3割を占めている。ベースを火力や水力にして、それに他の発電方法を足すという形にしたら、原発がなくても電気は足りています。
 日本の電力は、家庭用は電気を使えば使うほど高くなりますが、企業用は使えば使うほど安い。企業も使うほど高くしてしまえば、電気の使用量を大きく減らすことができます。また、電気使用量のピークは平日の午後2時から3時、気温31度以上の時だけ出ます。このときの産業用の電気料金を高くするだけで、ピーク対策ができます。
 58%しか動いていない火力、また揚水発電所は今動いていないのですが、これらをフル稼働させれば今年の夏は乗り切れるはずです。以上の対策で電力の25%を節約することができる。原発による発電は全体の20%なので、動かさなくてよくなります。
 みなさんは「太陽光や風力などの自然エネルギーは原子力よりコストが高くて難しい」と習ったかもしれないですが、これは諸外国ではすでに逆転しています。特に風力は今、一番安くなってきています。未だに原発で頑張っているのは日本だけです。
 九州大学のグループがこのような風力発電設備を発明し、日本の会社が地熱発電を製造販売しています。諸外国で使用されている自然エネルギーの発電装置は日本製が多いのです。日本では全然売れてないのにどうして、って感じですよね。長野には農業用水を使用した小規模水力の装置がたくさんあります。
 これが広告費です。マスコミが原発の真実について報道できない理由です。「スポンサー降りる」と言われたら、テレビも新聞もやっていけませんからね。けれど今の時代、真実を報道したって殺されないですから(脅されるけど)、もっと勇気あるジャーナリストが増えてもいいと思います。また日本で真実を報道できない理由の一つに記者クラブ制度があります。記者クラブに入らないと首相官邸に入れない、など色々な弊害があります。浅野先生は「記者クラブは日本のマスコミが劣化した原因だから解体しよう」、と主張していますが同感です。
 日本の原発は地震があるから、という理由で保険会社から保証されていません。地震がこんなに頻繁にあるところに原発を建てることは、諸外国ではありえないのです。だから福島に対する賠償は、消費者や国民が肩代わりすることになるでしょう。
 最後にもう一度言っておきますが、日本の電力は原発なしでも足りています。それは政府側のデータを使って立証されていますので、だまされないでください。わたしはこれからも、原発はいらないのだ、ということが立証されるようなデータをブログにアップしていくつもりなので、ぜひ見てくださいね。
 最後に、わたしの友人を紹介します。福島のいわき市に住んでいた彫刻家の安藤栄作さんです。

安藤栄作さん:わたしは宮城のいわきに、彫刻のために20年前から住んでいます。地震で被災して、家が全部流されて、次の日に原発が爆発したのを見て、これは駄目だと新潟の妻の家に避難しました。今は縁あって奈良に住んでいるのですが、その当時原発での避難は受け入れられていなかったです。で、被災して思ったことは、わたしたちは3月11日以前に被災していたのだということです。気づかないうちに情報被災していた。それを今から取り戻さなければいけない、ということです。

きくち:「生きてるぞ」とFAXが来たときは本当にうれしくて、涙が出ました。きょうは来て下さって、本当にありがとうございました。

馬場:では、質疑応答に移りたいと思います。質問のある方は挙手してください。はじめに、名前をお願いします。

澤村:貴重な講演ありがとうございます。同志社大学経済学部和田ゼミの澤村と申します。質問が2点あります。まず1つ目が、途中で、菜の花だったり、向日葵などを使った除染のことについて触れられたのですけれども、6月の初めの調査で、セシウムだったり、そういうのが溜まっているのが地表の3センチから5センチぐらいで、チェルノブイリの時とは、状況がちがっていて、向日葵に根を張らせると地下2メートルぐらいいってしまって、放射能をより拡散させてしまうかもしれないと言っている方がいらっしゃいます。それで今文科省の方が、向日葵の種を空中散布しようと言っていますよね、それについてどう思われるか。それともう1点が、先週の日曜日に、敦賀の原発のPR会に行って、質問をぶつけてきたのですけれども、その時にショックだったのが、なぜ、お湯を沸かせてタービンを回すというただそれだけのために、効率がわるい、例えば、3分の1しかエネルギーを使えないだとか、非常にリスキーである原子力発電を使うのか、という質問に対して、広報の方が言われていたのが、CO2を削減できるっていうと思ったのですけれど、一つ、低コストだっていうのと、ウランは世界中から供給できるので、エネルギーのリスク維持が可能だと言った。それで僕らの質問にたいして最終的に何を言ったかというと、国策のためには、安全や人命よりも優先すると言いまして・・・。

きくち:その人、正直ね。

澤村:そうなのですよ。それで、その方がしゃべっている後ろで上司の方が2人見張っているっていう状況だったんですが、それで質問の中で、敦賀の1号基は平成28年に廃炉を予定していて、2号機は来年の2月に検査が終了して、そのあと動かしたいと言っていたんですが、もし一機でも日本で再稼動させてしまったら、なし崩し的にどんどん再稼動してしまうと思うんですね、それを止めたいので、どうやって止めたらいいかアドバイスを・・・ザックリとした質問なんですが。

きくち:ひまわりのことは、私データないから本当のことはわかりません。チェルノブイリでいい結果がでたという話があったので、今年は田植えをやめて、ひまわりを撒くことにしたのです。鴨川はそんなに汚れてないのに米をまかないのは、やっぱり私は放射能汚染が怖いし、去年と一昨年の米が残っているから、うちはあと3年ぐらい田植えしなくても米があるのです。それを食べればいいかなと思って、今年はやらなかったのです。ところで、ひまわりを植えると根が深くなるから拡散するのですか?

澤村:耕すからですね。

きくちさん:耕すからなのね!

澤村:それで拡散する可能性が、だいぶ大きくなるんじゃないかって。

小淵(浅野ゼミ院生):土は表面3センチの汚染やったら、それは剥いでしまったほうがいいんじゃないかという議論と、作った土やったら、難しいっていう・・・

きくちさん:表土にすべての栄養があるから、その表土を剥ぐということは難しいですね。我が家も10年たって表面にいい土ができてやっとニンジンができるようになった。私に言わせると、それを剥ぐことは考えられません。「10年間の努力はなによ!」って感じです。まして、先祖代々田畑を守ってきた人たちはどんな気持ちでしょうね。校庭とか遊び場に関しては、表土を剥ぐのが一番いいと思います。1メートルだからだめっていうのは、データがないからわかりません。でも自分のところではひまわりの種をまいています。
 それと、もう一つ、なし崩し的に増えるのを防ぐにはどうしたらいいかということだけど、その答えがあったら私が知りたい。とりあえず、玄海と伊方が稼動しそうなので、それに集中して一個一個と止めていくしかないです。そしてあらゆる方法で、国民が「不安をもっている」とか、「反対だ」とかいうことを政策決定者に伝え、それからさっき話したコストが安い、CO2が出ない、ウラン資源がいっぱいある、ということが嘘だということを、そのPR官が言ったことを覆すデータと共に一般人に広めることです。結局、国民が信じているのですよ、テレビで出てくる情報も、新聞で出てくる情報も。それから金持ちが読むこういう雑誌(WEDGE)にもPR官が言ったようなことが書いてあります。例えば会社の経営者とかサラリーマンの多くは、マスコミやこういう雑誌をより信じます。その人たちはそのシステムからお給料もらっているから。だからお父さんはむずかしいですね、大企業に勤めているお父さんを説得するのは。そこにぶら下がって生きている限り、難しいでしょうね。それを覆せるのは、そこから自由な人でしょう。まずお母さんたちと、学生さんと、原発関連企業(メディアも含む)に直接ぶら下がっていない人たち。ホント大変な戦いですよ。権力持っているのはあっちだから、やりたい放題よ。お金をもっているのも、メディアをもっているのも、原発推進側。テレビでも言えるし、ラジオでも言えるし、新聞でも自分たちの広報ができる。私たちは「いのちを守りたい」という意志以外は何もないからね。だからつながって、twitterやブログで伝え合い、地道に政治家やマスコミにも電話して、ファックスして、今なら稼働しそうな玄海原発について佐賀県議会に働きかけ、佐賀県知事に電話をするなど、気づいた人、できる人からやっていくしかないと思います。
 そういった情報もわたしのtwitterでも流していて、今佐賀の玄海原発のほうに多くの人が結集しています。全国の人が泊りに来られるウィークリーマンションも用意しています。できるかぎり市民同士がつながり、それぞれできることをやったらいいと思います。わたしも、玄海を止めて、伊方を止めて、そして敦賀を止めて、来年の春までに日本を脱原発させたいですよ!やればできるのです、来年の春までに脱原発が。今後原発を一基も稼動させなければ実現します。1964年に原発に火が灯って、47年たってやっと原発の火が消えるかもしれません。もしこのままちゃんと止め続けることができればね!
脱原発したいです。しましょうよ。どうしたらできるか、いいアイデアがあったら教えてください。いいアイデアはどんどん交換しあって、実行可能なことはどんどん行動にうつしましょう。
 わたしはtwitterをやっていて、アカウントはkikuchiyumiです。今フォロしてくれている方が一万二千人です。ブログも書いていて「きくちゆみのブログ」で検索できます。これは一日三千人から一万人ぐらいの方に読まれています。小さいメディアの役割を果たしています。「ひとりひとりがメディアになる」のはすごく大事なことです。テレビに出るとか、新聞に掲載されるとかではないので、大きな影響力はないですが、私たち一人ひとりが「メディア=情報の伝い手」になりましょう。あなたの生き方、存在、どこの銀行にお金を預けるか、何を買うか、どんな仕事を選ぶか、そういうことすべてが世の中を作っていくので、ひとりひとりが生き様を通して何かを伝えるメディアなのです。だから、自分がどういう社会を作りたいかを考えて、自分がそういう社会の実現につながることを、どんなに小さくても体現していけばいいのです。

澤村:どうもありがとうございました。

きくち:他にないですか。

澤村:宣伝になってしまって申し訳ないのですが、9日にも、和田先生の劣化ウランについてのエントロピー学会の講演会があって、尋真館のほうに看板を立てているので、まだ場所は決まっていないのですが、良かったら来ていただければなあと思います。また滝沢さんも講演会をします、福島の子供を集めたり、女性プロジェクトをしています。

きくち:滝沢さんもお友達です。どうですか、福島の子供は集まっていますか?

澤村:京都のほうにですか。

きくち:京都に学童疎開させるって話していました。

小淵:それはなかったですね、やっぱり「疎開」とかっていうと、いろいろ難しいので、いまはむしろ、精華大学に夏に子供たちを一か月20人くらい来られるサマーキャンプともう一つ、滝沢さんたちは、日本全国危ないっていって、留学プロジェクトを作っています。イタリアが母子20組ぐらい無料で引きうけてくれたらしくて、唯一イタリアだけなのですけれどね、

きくち:ドイツもありましたね。

小淵:ドイツもあるんですか?

きくち:ええ、ドイツは3月11日の直後から話がありました。実は、わたしはオーストラリアに疎開村を作ろうと思って、かつてチェルノブイリのときも子供たちを鴨川や、日本全国でも受け入れる活動がありますが、今年からはできなくなるでしょう。かえって被ばくしてしまうでしょうから。福島の子供たちをこんどはどこかに安全な場所に連れていき保養してもある必要があります。それで、原発のあるところとないところと世界地図を眺めていたのですが、南半球しかないなーと思っています。

小淵:そうですよね。

きくち:わたしは、オーストラリアに、チェルノブイリの子どもを保養させたような施設を作って、子どもたちを集めようって、最近決めたところです。今はハワイにエコビレッジを作る活動に関わっていて、これは10年前から動いているので、それはそれでやりとげます。わたしが抜けたらハワイの人に申し訳ないし、それは、来年ぐらいまでに形にしたいです。同時に福島の子供たちを受け入れられる施設をオーストラリアにも作れたら、と夢を描いています。そこで放射能汚染のない新鮮な食べ物を食べてもらい、元気になって、日本に戻れるようにできたら、と思っています。

小淵:精華大学のほうもボランティアを募集しているのですが、福島から出にくいひとがとても多いそうです。その時に疎開とか避難といえば出にくいんですが、夏休みのサマーキャンプだといえば、出やすかったりするんです。やっぱり一回出てくると、決心がついて、母と子だけでも、一回福島に戻るにしても、出る決心がつくという動きがすすんでいます。だから、疎開とかいうより、サマーキャンプとか、留学というほうが、応募者は多いそうです。

きくち:なるほどね。だからこそ、ほんとに福島の人たちが出やすい方法で、準備したいなと思います。私が今考えているのは、オーストラリアにそういう場所を作ろうということ。ハワイが一段落したら、南半球がいいな、と。北半球はジェット気流で放射能がぐるぐる回っているので、長期的にはどこも汚染されてしまうと思っています。すごくお金のかかる事なので、この中にお金持ちはいませんか?

一同:笑

きくち:まあ、志があれば、実現するでしょう、と思っているところです。(言うは易し、行うは難し、です)

馬場:では他に、何か質問はありませんか、あと時間の関係で一人か二人なのですが、お願いします。

山本(浅野ゼミ四回生):貴重なお話ありがとうございます、浅野ゼミ4回生の山本です。話の流れが希望を持っているところに水を差すようで悪いのですが、また最近NHKのBSの再放送でチェルノブイリのドキュメンタリーとかを流しているところで、はじめて知ったのですが、欧州の方では、チェルノブイリのことをゲームにして事故を解決するプロセスを、サイバーゲームにして、売れているという、過去がどんどん風化していくっていうのが怖いなって最近すごく思っていて、さっききくちさんがおっしゃっていたように、事故がおこるのは、前々から言われていたのに、このような事故が起こってしまって、著書の戦争中毒のプロパガンダに簡単に騙されてしまうって書いていて、今の日本でも同じことだと思うのですね。だからジャーナリストにも市民にも、いつも危うさが潜んでいるということを、私自身すごく危うい存在だな、とうことを今日のお話をきいて思ったのですけれども、脆さや危うさがあっても、進んでいこうっていう、起源や体験があれば、教えていただきたいな、と思います。

きくち:なんだろう、自分のことってよくわからないけど、28歳まで、アメリカの銀行に勤めていて、債券ディーラーという仕事をしていて、それこそ、こういうもの(WEDGE)を読むような人でした。年収は28歳のときに1200万円で、年齢の割にたくさんお金を持っていました。たまたま熱帯林の問題に足を踏み入れて、熱帯林を守る活動に入っていったのです。そのとき仕事で出世して、いっぱいお金もらっているのが成功だと思っている価値観がシフトしたのです。何にシフトしたかっていうと、私の心のなかが喜ぶようなことをやろうという方向にシフトしたのです。それからは、経済的成功っていう意味では、私の28歳以降の人生は成功ではないですが、心の満足感や幸福感ではかなり成功と言えます。ずっとやりがいのある人生を送っていますからね。今の生活はギリギリですが、活動はできているし、米もあるし、野菜もあるし、まあいいかなって。
 何が私を動かしているかって・・・。やっぱり命かな。特に子どものいのちが大事だから動かされますね。争いもそうだけど、何の責任もない子どもが死ぬのは嫌なのですよ。戦争だと、大人が勝手に決めたことで、子供が殺されるじゃないですか。今回の放射能汚染も原発導入を決めたのは、おじいちゃんおばあちゃん世代、いや、おじいちゃんか。でもまっさきに死んでいくのは赤ちゃんなのです。いてもたってもいられなくて、3.11以降すぐ、福島から妊婦と子どもを脱出させるプロジェクトを立ち上げました。ただ、福島のお母さんの話を聞いていると複雑です。地域のコミュニティから離れることは難しい。子どもと母親だけ避難すれば家族が崩壊してしまうこともある。お父さんが残って、お母さんと子どもが出た後に離婚しちゃうこともあるし、家族の中で放射能に対する意見が違うと毎日がギスギスになってしまいます。そういういろんなことに接しながら、自分ができる限りのことをやっているけど、何が本当に正しいのかどうか、じつはいつも揺れています。「これが絶対に正しい」なんて確証はないです。ただはっきりしているのは、自分にとって大切なことはいのちが続くこと、そしていのちを守ること。自分が生かされている限り、今一番できることをやっているだけです。
 28歳のときに、熱帯林にスカウトされたの。わたしは「地球にスカウトされた」と言っているのだけどね。それで価値観が変わってしまってからは、自然を守る活動をいろいろとずっ〜としてきました。私の体も地球の生態系の一部なのですね。地球の中で、私も何かを飲んで食べてしているので、息をする空気、食べる食べ物、飲む水のなかに、放射性物質や化学物質などが入っていたら、私の健康が損なわれる。地球とひとつながりの私(たち)の命、地球とひとつながりのわたしの子どもたちの命を守る側で格闘しています。それが大事。何があっても、どんなに揺れても、いつもその原点に戻ってきます。この価値観は今の日本にはないですね。私がかつてそうだったように、やっぱり今の日本は経済が主で、より経済成長する、より儲けるということが大切にされていて、その方向に物事が動くようになっていますね。それがいま主流だから。みなさんは、それぞれどの声に従って生きていますか、3.11以降。いのちの声に従ってみませんか。

山本:ありがとうございました。

馬場:では時間の関係であとひとりくらい質問したい方がいれば、それで最後にしたいとおもうのですが。

きくち:最後にもう一人紹介したい人がいるのでいいですか。

馬場:はい。

きくち:京都でマリナ美容室っていう美容室があります。そこの美容師さんは、パーマをやめて、毛染めをやめて、要するに化学物質を使うことを一切やめて、シャンプーもやめて、お酢でシャンプー、リンスをやって、ヘナという草木染で髪を染めています。パーマをやめたからカットとヘナだけという美容室ですが、繁盛しています。彼女がきているので、ちょっと立ってもらっていいですか。牧野裕子さんです。彼女は低エネルギーで暮らしていて、おそらく電気代1000円ぐらい、水道代もすごく安く、食費も安くて、昭和20年から30年ぐらいの暮らしをしているとわたしは思います。みんながみんな、そういう生活をしろとは言わないけど、彼女はとっても楽しそうにそれをやっていて、料理もすごくおいしくて、旬の野菜を使った料理をつくってくれます。日本人はずっとそんな風に生きてきたの。だから、本当は原発なんてなくても大丈夫なのです。それを、日々実際の暮らしてで証明して生きているような人です。マリナ美容室です

牧野さん:ゆみちゃんと一緒にいて思うのが、ゆみちゃんは、すごく人を信じるということ。ここまで信じ羅れるかっていうぐらい信じる。子供を全く知らない人に預けて活動していたりとかね。私は今京都が暑いので、滋賀県に住んでいて、店は京都です。滋賀県の家ではこの前紅茶沸かすのに1時間かかったんです。浜や庭で拾ってきた枝を燃やしてお湯を沸かすのがすごく楽しいんですね。これをプロパンガス使ってやることは、私にとったら楽しくないのです。それで冬は冷蔵庫を使っていません。やっと電源入れたのが、今年の6月ですね、そういう生活で一応四季を意識しているだけなのです。そうなったのが、9.11からですね。その時にテレビをやめました。その時唯一見ていたのが、ニュースステーションなのですけれど、スポンサーに「メリルリンチ」がついたのでやめました。それから情報を絶っていますが、それでも今日もゆみちゃんの声が聞こえてきて、ここに立っています。アイパッドを偶然触って、情報を知ったので。そんな面白い生活を送っています。以上です、ありがとうございます。

きくちさん:マリナ美容室の場所を教えて下さい。

きくちさん:行ってください。カットとかすごく上手ですし、素敵です。彼女の話聞くだけでおもしろいから。ほんと9百何十円なんですよ、電気代が。時々、彼女とは暮らしを共にします。

馬場:では主催者の浅野健一先生から挨拶を。

浅野教授(以下浅野):きくちさんは前にも、確かイラク戦争がはじまったころ、来ていただいたときは、隅っこに刑務所から出てきたばっかりの辻本清美さんが来ていた。その頃自衛隊も派遣されて、きくちさんは戦争に反対する市民運動やって、今日も一年生のゼミとこの講演会に来ていただいてありがとうございました。私は堤未果さんも好きなんですけど、きくちさんのお話を聞くと元気が出ます。私も頑張ろうと。今日もみんなそうなった。
 私が書いた『記者クラブ解体新書』が本屋に並んだところです。宣伝的には緊急出版ということで原発の情報隠しとかいうのもこんなひどいのは1945年8月15日以降。事件をでっち上げて、あのとき現場で朝日新聞と共同通信の記事が現場を見ているのに没になって、日本人は15年間結局知らないままです。今も同じことが起きているということです。違うのはきくちさんのブログとか小出裕章さんの今日の一日を見れるということ、いわゆる記者クラブでは流れない情報がながれていて、それがまた口コミで広がるということです。それが70年前と大きく違うことです。人々の力で真実を伝えられるようになりつつあって、ひとりひとりが主張していける。デモクラシーですね。1945年以降の日本が積み上げてきたもののすべてがこの福島を生んでしまったけれど、みんなで考えて、明らかにして、原発のない国を作らないといけないし、訴えていかないといけないと思います。その本も置いておきます。今日は本当にありがとうございました。

きくち:積もり積もったものがでてきたとのことですが、まだまだでてきますか?

浅野:それは、私は新自由主義だと思います。小泉内閣、それ以前もずっと。資本主義の悪いところですね。弱肉強食。中国もそんな風になってきていますよね。共産主義はどこにいったのだと。マリナ美容室の人たちの暮らしのような、昔に戻れじゃないけど、私の学生時代に比べると、電気使用が3,4倍以上増えていますからね。今ある状態を新しく作り変えていく。みんなで考えていかないとね。選挙でも原発支援の人たちが当選しましたからね。一回解散してやり直せと、それくらいのことをしないと変わらないですね。そのことを突き詰めないと。 


馬場:今日は本当にありがとうございました。

同志社大学社会学部メディア学科 浅野健一ゼミ三年生
長畑雪香2011(sep0sep@yahoo.com)


掲載日:2011年11月30日
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