ジュエルさん・ブライアントさん来日
1997年10月24日、同志社大学神学館チャペルにて、96年のアトランタ五輪開催中に起きた爆弾事件の第一通報者であるリチャード・ジュエル氏とワトソン・ブライアント弁護士の講演会が行われた。
ジュエル氏は爆弾事件の第一通報者として、当初はメディアによって「英雄」扱いされた。しかし、数日後に地元紙が「FBIが爆弾を仕掛けたと疑っている」と報道。一転して爆弾犯の扱いを受けた。FBIが公式にジュエル氏は被疑者ではなく、捜査の対象ではないと表明するまでの間、疑惑の人として報道され続けた。その報道被害の実情は、松本サリン事件の河野義行さんと共通するものがある。講演の中でジュエル氏は、「英雄」から「爆弾犯」にされた日々と、失われた名誉を回復するための闘いの日々を話してくださった。講演の詳しい内容については、98年2月に三一書房から出版される予定である。
以下の文章は、同志社講演の後でジュエル氏と学生有志との間で行われた京都祇園での交流会の模様である。
リチャ−ド・ジュエルさんにお会いして
講演会のあと、午後7時から祇園の串カツ屋「花ぎをん」でジュエルさんとの交流会を行った。ジュエルさんと弁護士のワトソン・ブライアントさん、アトランタ在住で通訳の栗島敦子さん、同志社大学法学部教授のダン・ロ−ゼンさん、そして浅野教授と2人の大学院生に、1回生から4回生までの浅野ゼミの有志10人が参加した。
「花ぎをん」の女将さんは、いかにも京都人らしいおっとりとした方で、ご子息が報道被害にあわれたことがあったそうだ。こじんまりとした店内はたちまちいっぱいになり、場は和やかに盛り上がった。
お酒が入ると、ジュエルさんはアメリカ南部の人らしい陽気さで盛り上がり、その場の雰囲気をとても楽しんでいるように思えた。私たちの皿が空になると、ジュエルさんがわざわざ席を立って皿を取り替えてくれた。その細かい気配りにジュエルさんの温かい人柄を見たように思った。私は何か言葉をかけてあげたかったが、自分の気持ちをうまく表現できる英語が思い浮かばなかった。ただ「Thank You」を繰り返すだけだった。
宴もたけなわとなると、浅野教授の提案で講演会を聞いた感想や、交流会で感じたことを一人一人英語で述べることになった。学生たちは皆それぞれの英語力を駆使して、自分たちの思いをジュエルさんに伝えようとしていた。「日頃犯罪報道に接していると、私たちはその『報道された人』にいろいろとイメージを持ってしまう。だが、実際にジュエルさんのような『報道された人』に会ってみると、そのイメージとは大きく違っていることを感じた。日頃の報道ではいろいろなことが伝えられるが、肝心なところが伝わっていないのではないか」(1回生)。「ジュエルさんような報道被害に遭われた方とお会いできたこの機会を心に刻み、ジュエルさんや河野さんのような報道被害者を出さないために、何ができるか真剣に考えていきたい」(4回生)。
中でも、2回生の学生が「どうしても日本語で伝えたいことがある」ということで語ってくれたことが印象に残っている。「私は、今まで浅野先生の本や授業のなかでしか報道被害者のことについて知らなかった。今回ジュエルさんにお会いし、その表情やお話を直接伺って初めてその被害の深刻さが分かった。メディアがジュエルさんの日常を奪ったことに大きな憤りを感じる。2度とジュエルさんや河野さんのような悲劇を繰り返さないためにメディアで働く人間や、メディアを研究する人たちが頑張らなければならない」。
最後は98年4月から全国紙で働くことが決まっている4回生2人が「ジュエルさんのお話を実際に伺うことができ、大変感銘を受けた。ジュエルさんのような報道被害者にお会いしてその被害の深刻さを聞くと、自分が記者となって記事を書くことの恐ろしさと責任の大きさを心底痛感した。そういう恐さを忘れない記者になりたい」 。「ジュエルさんやブライアントさんにお会いできた機会をうれしく思う。自分は報道について勉強しておりその重要さを知ると同時に、その報道がジュエルさんや河野さんの人権を侵害していることにショックを受けている。これから報道の現場に向かう者として、何が事実で何が真実なのかきちんと確かめて仕事をしていきたい」と述べて締めくくった。
通訳の栗島さんは、ジュエルさんが受けた報道被害の痛みを忘れず、そこからジャ−ナリズムを変えていきたいという学生たちの言葉に感激し、涙を浮かべていた。ブライアントさんは「この度、浅野教授の招きで日本に来て本当に良かったと思っている。今日は私の人生のなかでも本当に良い日だった」と述べ、ジュエルさんも今日一日の出来事を振り返って、その喜びを語ってくれた。
その後は、近くのカラオケボックスに行った。ボンジョビを熱唱するジュエルさん、レイ・チャールズの「ジョージア」をゼミ生とデュエットで歌うブライアントさん、私の好きな辛島美登里の曲を実にうまく歌っていた栗島さん、驚くほど日本語の歌が上手いロ−ゼン教授、そして「瀬戸の花嫁」を踊りながら歌っていた浅野教授、本当に楽しいカラオケだった。
ジュエルさんは講演のなかで「私は、報道被害を受ける以前の幸せな生活を取り戻したい」と言っていた。私はこの日の楽しい出来事が、そのためになにがしかの役に立ってくれることを心から願っている。
報道被害者の苦しみは、それを受けた本人とその周りにいる人たち以外にはなかなか分からない。メディアの流す情報は、ある日突然平和な市民の暮らしを奪う凶器ともなりうるということに、「報道する」側の人間はあまりにも鈍感だ。「報道された」人たちの痛みを伝え、「報道する」側の意識改革を促し、人に優しい、ディ−セントなジャ−ナリズムを作っていく。それが私たちが日頃勉強しているジャ−ナリズム学の大きな課題であることを強く実感した。
(4回生:政 純一郎)
Copyright (c) 1997, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1997.12.08