NEWS23 特集
日米報道被害は訴える (1997年 9月11日 TBS系で放送) 松本サリン事件報道被害者 河野義行氏、アメリカにてアトランタオリンピック爆撃事件報道被害者 リチャ−ド・ジュエル氏と対談
94年 松本サリン事件
河野氏 犯人認知だけじゃなくて、むしろ警察とかマスコミによる暴力ですよね
(映像:地下鉄サリン事件発生後の記者会見の映像に戻る) 河野氏 どこに怒りをぶつけていいのか、というその持って行き場のない悔しさでいっぱいでございます
96年 アトランタオリンピック爆撃事件
(事件当時) Q:あなたがやったのか?
ジュエル氏 いいえ、やってませんよ
(FBI釈明後の記者会見) ジュエル氏 FBIとメディアは私と母の人生をめちゃくちゃにしました
河野義行氏とリチャ−ド・ジュエル氏対面
河野氏 おはようございます
ジュエル氏 河野さん! Nice to meet you! How are you doing?
筑紫哲也氏 たまたま事件にまきこまれた人が、あたかも犯罪に関わったかのようなイメ−ジを作られてしまう、日本とアメリカと、国が違いますけれども同じ様な報道被害を受けましたお2人が対談しました。松本サリン事件の被害者、河野義行さんがアトランタ・オリンピックで起きた爆弾事件で同じように犯人扱いされたリチャ−ド・ジュエルさんと会うためにアトランタを訪れております。現地に下村記者がいます。下村さん。
下村健一氏 はい。オリンピックが終わってから一年以上たちまして、もうアトランタはすっかり宴の後という感じがあります。しかしそのアトランタで1つだけまだ終わっていないものがあります。それが爆弾テロ事件の捜査です。
一時は、現場の警備員がFBIの疑いをかけられていると大々的に報じれまして、後に捜査当局が潔白宣言を出すという展開がありました。こちらでも松本サリン事件を知る人の間では「これはアトランタの河野さんみたいなケ−スだね」という様な表現がありました。そのアトランタの河野さんと、こちら松本の本物の河野さんが昨日初めて対面されました。河野さん、後程ゆっくりとご感想などをお伺い致しますが、まずは昨日の模様から御覧ください。
ナレ−ション サリンガス中毒で、今なお意識の戻らない妻、澄子さんの看病を身内に任せて、河野さんはアトランタを訪れた。目的はただ1つ、リチャ−ド・ジュエルさんに会うこと。
河野氏 ジュエルさんのケ−スは私と非常に近いものがあります。やはり今、犯罪報道は改革していかなければいけない時期だと思いますので、まあ一緒に頑張っていきたいと、そんなふうに思います。
ナレ−ション それぞれの事件の反省からメディアはその後変わったのか。2人の対談はまずこのテ−マからスタ−トした。
ジュエル氏 新聞は疑惑を大見出しで取り上げますが、お詫びの記事はそれほど大きいものではありません。お詫びする時はトップニュ−スではなくて、ニュ−スの最後の方で謝るのです。
河野氏 そうですね。変わろうと努力しているのは良くわかります。ただ、出てきたものはどうも昔と変わっていない、そんな印象を受けます。
ジュエル氏 私とメディアが和解した直後に、ジョンベネちゃん事件が起きました。メディアのやり方は、私の時とやや変わった様に見えましたが、やはりまだひどいものでした。
ナレ−ション 話すほどに、2人が受けた報道被害の共通性が浮かび上がっていた。それでも2人は、メディアの自己改革への期待も捨てていない。
河野氏 パタ−ンとして全く一緒ではなかったかと思います。それは、警察がリ−クという手法で「あいつが怪しい」という情報を流します。そしてそれをマスコミが広げていく。それを信じた市民が、私であれジュエルさんであれ、社会的制裁を行なっていくそのパタ−ンは、本当に全く一緒だという印象をうけています。
ジュエル氏 記者たちは、またこういう状況になったら考えるでしょう。リチャ−ド・ジュエルに何が起きたか、河野さんに何が起きたかのかを思い出せ。もう一度事件をチェックして事実を再構成してみよう、というふうに。
河野氏 個々の記者に会って、「こいつは悪い奴だ」と感じたことは一度もないわけですね。ですから今ジュエルさんが言ったように、何でブレ−キをかけるかということですね。
ナレ−ション 100人以上が死傷した爆弾テロの現場は、今は樹が植えられ痕跡は残っていない。しかし、2人にとってそれぞれの事件はまだ終わってはいない。
ジュエル氏 私は今でもあの火薬の匂いを感じます。悲鳴も聞こえるんです。たまらない気持ちです。毎日そうなんです。
河野氏 私の事件が終わる時というのは、やはり意識不明の妻が全快した時、これ以外は無いと思います。
筑紫氏 アトランタを訪れています河野さんと話します。河野さん、お待たせしました。ジュエルさんと今回初めて話し合ったわけですが、どんな印象をお持ちでしょう?
河野氏 昨日は彼と一緒にずっといたのですけれども、彼の印象としましては、大変礼儀正しく優しい、なおかつユ−モアがたっぷりな人、そんな印象です。その人がどうして、あの「怪しげな男」というような報道になってしまうのか、本当に恐い思いがしました。
筑紫氏 対話の中で、お二人とも2つのケ−スのパタ−ンが非常に良く似ているとおっしゃっていました。その中であえて違う点、日本メディアの特有の問題があるとすれば、それはどういうことでしょう?
河野氏 そうですね、アメリカの場合は、比較的メディアが早く謝罪、それから和解、こういうものに応じています。日本の場合は、本当にもう最後どうにもならない、自分たちが逃げ場のないところ、そこまでいかないと謝罪しない、その辺がずいぶん違うと、そんな感じがします。
それからもう一点、日本のメディアというのは均質的な報道になっているのですが、今回アトランタの爆弾事件においては、アトランタ・ジャ−ナルとニュ−ヨ−ク・タイムズとずいぶん差がある、そういう意味では特性の差を感じました。
筑紫氏 日本の場合は、いずれも同じ、全部メディアが同じ事をやるとをおっしゃっているわけですね?
河野氏 そうです。
筑紫氏 それでアトランタまでお出かけになっているわけですが、これからも犯罪報道の問題というのを、ずっと河野さん自身は取り上げていろんな活動をなさるおつもりでいらっしゃるんですか?
河野氏 報道被害を受けますとあまりにも悲惨な状況になる、そういうとこをみんなに知っていただいて、やはり報道の方も是非変えていただきたい、そういう気持ちで今動いております。
下村氏 そのためにですね、具体的にどんな活動をされていくのかということになるわけですけれども、実はあの事件以来ずっと河野さんと一緒に行動をされてまして、今回もこのアトランタに同行されました同志社大学の浅野先生がいらっしゃっています。浅野さん、これからの具体的なプランですね、お聞かせいただけますか?
浅野氏 そうですね、まずマスコミ界全体で統一した倫理綱領を作って、その倫理綱領をみんなが守っているかどうかをチェックする市民参加の報道評議会・プレスオンブズマン、そうした制度を日本にも一日も早く作って欲しいと思います。これは放送と人権の委員会がもう出来ております。しかし新聞・雑誌についてはまだ出来ておりませんので、私たち人権と報道連絡会とか新聞労連・日弁連などは、10年前からこうした制度を一日も早く作って欲しいと訴えてきたわけですけれども、河野さんの訴えに、日本の新聞や放送の人たちが真剣に耳を傾けていただきたい。報道の問題というのは、絶対に権力の介入を招いてはならないわけです。ダイアナさんの死以降、やはり法律で規制するべきだというような声が世界的に挙がってきていると思います。しかし、やっぱりメディアというのは表現の自由を守るために自らが律していただきたいと、そのために色々な仕組みをメディア自身が作ることが大事だと考えます。
下村氏 そのために、河野さんの体験談を皆さんに広げながら。
浅野氏 そうですね。ですからジュエルさん・河野さんが日米でこういう訴えをしているわけですから、お二人とも言われているのは自分たちを取材しているジャ−ナリストの中にたくさんいい人がいる、そういういい人たちがいい仕事が出来ないのは何か仕組みに問題があるのではないか、あるいはそれを防ぐための制度をシステムを作って欲しいとお二人とも訴えていらっしゃいますから。
下村氏 実際私も取材しておりまして、お二人ともメディアを憎視ではなく愛していらっしゃる。そのために外からの規制ではなく自分からなんとかして欲しいというその姿勢を・・・。
浅野氏 まあ、市民が支えていけば。
第2部 (毎日放送を除くほとんどのJNN系放送局で放送)
ナレ−ション 1996年夏の夜。アトランタのオリンピック記念公園で爆弾が爆発。観光客ら百人以上が死傷した。この現場でまっ先に不審物に気づき、観客を避難誘導した会場警備員、リチャ−ド・ジュエル氏。
1994年同じく夏の夜。長野県松本の住宅街でサリンガスが発生。住民ら50人以上が被害にあった。この現場で真っ先に異変に気付き、119番に電話した第1通報者、河野義行氏。
この2つの事件、発生場所や日付こそ違うが、後に同じような展開を見せる。
アトランタではFBIがジュエル氏を犯人ではないかと疑っているという情報が突如、雪崩をうったように報道され始めたのである。松本の事件も捜査当局の情報がきっかけだった。
(94年6月28日 長野県警定例記者会見) 河野義行方から薬品類数点を押収しました。
アメリカのメディアは先を争ってジュエル氏の経歴や私生活を疑惑に結びつけるような表現で報じた。事件の際の避難誘導までが冷静すぎて怪しいという材料に置き換えられた。日本のメディアも河野氏の経歴や私生活を疑惑のト−ンで報じた。救急車に乗り込むまでの言動までが冷静すぎて怪しいというのだ。
そしてアメリカでも日本でも、容疑者でない市民が自らの潔白を主張する記者会見を開かざるを得ない状況に追い込まれる。
(河野氏 初の記者会見 94年7月30日) 河野氏 いろんな報道がなされてですね、多くの方が非常にそういう様な見方をされてるんではないか、と。
しかしそれでも風向きは変わらなかった。
(・96年 10月28日 無罪が判明しての記者会見) そして爆弾事件から約3ヵ月後、ジュエル氏はもはや捜査対象ではないと潔白宣言した。
一方松本サリン事件から約9ヵ月後、警察はオウム真理教の大々的な捜査に着手。世間の目も一瞬にしてオウムに移り、いわば消去法で河野さんは解放された。
別々の国で同じような体験をしたジュエル氏と河野氏の対面。2つの事件の共通項から見えてくるものは何か。
渡辺真理氏 1部に引き続いてアトランタの河野さんに伺いします。ここからはジュエルさんにも加わっていただきます。
筑紫氏 はい、河野さん、ジュエルさん、引き続きよろしくお願いします。まずジュエルさん、番組に加わっていただいてありがとうございます。あの疑惑の問題が起きてからは、ほとんどメディアの取材に応じてこなかったと聞いておりますが、今日ここでお出いただけるというのは多少メディアに対する不信感といいますか、そこの方は和らいだのでしょうか。
ジュエル氏 必ずしもそうではありません。まだ私はメディアを信頼していません。しかし、やはり個人としてメディアの人たちに対して私ができること、すなわち彼らが私に対して何をしたのかを伝えるということが重要であると考えています。だから今回出演させていただきました。
筑紫氏 はい、ありがとうございます。容疑者扱いされたお2人にお伺いしたいのですが、一番苦しかったことは何だったのでしょうか。河野さん、まず。
河野氏 そうですね、当時、我が家では4人がサリンを浴びまして入院している、そういう中で報道は疑惑の報道をしている、それから警察は私の逮捕を狙っている。そんなような状況だったわけですね。私はその逮捕をどうやって免れて、家族をどうやって守っていこうか、その部分で一番悩みました。
筑紫氏 はい、ジュエルさんの場合はどうでしょう?
ジュエル氏 最も苦しかったのは、やはり自分の母が苦しんだことだと思います。特に最初の3日間、本当に彼女は苦しかったと思います。ああいう経験をするこはまずないと思います。本当に自分の人格が台無しにされました。そして自分の息子が疑われたということで、本当に彼女の気持ちを考えると本当に私はつらい、今も忘れることができません。やはり母が苦しんだことが一番苦しかった経験です。大事な家族の一員ですから。
筑紫氏 いろんなことを伺いたいのですが、ここでちょっと別の話を伺いたいのですが、ダイアナ妃の死について、あのマスコミの在り方というのがいろいろ問題になったり批判の対象になっておりますけれども、メディアの力と言いますか、メディアのやることという関連で言いますと、この事件の扱われ方というものを個人的にどう考え、どうご覧になったか、河野さんいかがですか?
河野氏 そうですね、私は公人の方にもプライバシ−はあると思うんです。ですから有名人とか、公人とか、芸能人とかいろんな方のプライバシ−は破られて当然という風潮があるのですが、私はこれは断固守られるべき、そんな風に考えています。
筑紫氏 ジュエルさんは、ダイアナ妃さんの報道についてご感想がありますか、何か。
ジュエル氏 本当に悲惨なことであったと思います。ダイアナ妃の様な方の命が亡くなったということは本当に大きな悲劇だったと思います。彼女は本当に尊敬されていました。あの様な方が命を亡くさなければなかったということは、やはりマスコミの報道にも、あまりにもきびしい報道の仕方があったのではないかと思います。あまりにもプライバシ−に入り過ぎたのだと思います。残念なことに、ダイアナ妃、そしてダイアナ妃の周りにいた人たちが亡くなったということは本当に悲しい事だと思います。やはりもっと前に何らか対策を講じるべきであったと思います。特に家族のことを思うと悲しいです。
筑紫氏 本題に戻りますけれども、お二人の出来事の中で1つの問題というのは、当局とメディアというのが、いわば共同歩調といいますか、一緒に組んで個人に対して向かってきたことだろうと思います。その辺の問題を扱いたいんですが、まずはVTRの方をご覧ください。
ナレ−ション 報道陣注目の中で行なわれた家宅捜索。3年前の日本でも1年前のアメリカでも、人々は捜査を受けるからにはこの家に犯人がいるに違いないと思い込んでしまった。どちらのケ−スでも捜査当局は彼らを「容疑者」とは決して言わなかった。しかし間接的な表現で、彼らの犯行であるという見方を示唆し続けた。例えばこの時期、FBI捜査官はオリンピック閉幕までに事件は解決出来るだろうと記者団に洩らしている。
筑紫氏 これはメディア側にとっても大変頭の痛いところなんですが、当局側は、公式の発表をしないで情報をリ−クするという非公式情報というもので、メディアをこういわば誘導していくことがあるんですけれども、そういうやり方、それに対してメディアはどういう距離を保ったらいいのか、そのへんを含めて、まず河野さんにお伺いしたいんですが。
河野氏 このリ−ク情報というものが得られた時にですね、今のメディアというものは事実検証というものが欠けている、そんなふうに思いますし、それからまた、警察当局も公務員であるわけです。公務員の方が自分で職務中に得られた情報を特定のメディアに流すという、そういうことも私は許されるべきではないと、まあそんな風に考えています。
筑紫氏 ジュエルさんのケ−スの場合も、いわゆるリ−クというのがいろんな形で行われたと思いますが、この辺の問題をジュエルさんはどのようににお感じになっていますか。
ジュエル氏 まず、河野さんの今おっしゃたことに私も賛成です。またアメリカ場合には司法当局が捜査している人の名前を明らかにする、リ−クするということは、実はそれは違法行為です。あくまでも告訴、または起訴の対象になった人たちだけ名前を明らかにすることが出来ます。その前の段階で実名報道するのはいけないことであります。あくまでもプレスの人たちの関心を集めて、そして自分たちが今どのようなことをやっているのか、それを知らせるいうのが目的だったと思います。
筑紫氏 ジュエルさんの場合は、法的な手段を含めていろんなことをおやりになったわけですが、その場合にリ−クする方に、より大きな責任があるか、あるいはそれに誘われていろいろスト−リ−を拡大させていくメディアの方に問題があるか、このへんはどうお考えになっていますか。
ジュエル氏 両方とも罪は同じだと思います。名前をリ−クした当局の方も、またプレスの方も事実を十分検証しなかったわけですから、やはり彼らも責任は同じだと思います。警察から情報が出された時に、そこに名前が発表されたということは、本当にその根拠があるのかないのか、きちんとマスコミの責任として調べるべきだと思います。特に名前を報道する場合には注意すべきだと思います。マスコミとしては警察からのリ−クに対して慎重な態度をとるべきだと思います。そして、いろいろな角度から事実を検証すべきであると私は考えます。そのような責任が彼らにあると思いますし、またどうして当局がそのようなリ−クを行ったのか、その背後にどのような動機があるのかを調べなければいけないと思います。それがなかったということは、両方とも責任が重いと思います。
筑紫氏 はい、ありがとうございました。こういう形でものが報道されていく間に、いわば読者・視聴者いうものがどう反応していったか、そこにも問題があるようです。コマ−シャルを挟んで、じゃあそちらの方に。
ナレ−ション 一連の疑惑報道の中で河野氏の元には、市民から抗議の手紙や無言電話が殺到した。
(手紙の内容)いい加減に自分がしたことに早く白状し、楽になりなさい。仮にも事件が迷宮入りになったとしても、抹殺される。
それがオウム真理教への強制捜索開始と同時に謝罪の手紙に一転する。
(手紙の内容)お詫びをしなくては、と思って書いています。日本中の人間が河野さんに謝罪しなければいけません。
筑紫氏 今ご覧いただいた様に、一転して反応が変わっていくわけですけれども、ジュエルさんの場合も似たようなことが起きたのでしょうか。いわば大衆の反応という点ですけれども。
ジュエル氏 ええ起こりました。最初は私の命を脅迫するような行動も何件か発生しました。私と母を対象にした脅迫電話がかかってきました。それから潔白宣言が出た後にたくさんの手紙をもらいました。報道ではこういうことを言ったけれども自分はそういうことを信じていなかった。なんでFBIがそんなことをしたのか信じられない、といったような怒りの手紙も貰いました。私たちをサポ−トしてくださるようなたくさんの手紙も貰いました。しかし現在でも調査しますと26%の人が私がまだ犯人であると、まだ犯人が見つかっていない状態で私が犯人であると信じています。それはまだ事実です。
筑紫氏 河野さん、もともと問題の基本は当局あるいはメディアの報道の過ちといいうところからことは発しているんですけれども、今の手紙や電話、そういうところで普通の人たちが非常に激しく反応してしまう、情報化社会の中で特にこういう特徴がありますけれども、このことについては河野さんどうお考えですか?
河野氏 マスコミ情報に躍らされてしまった方、この方も私は2次被害者だとずっと言い続けています。ある日1つの手紙が来たわけです。それは金沢のおばあさんからなんですけれども、このおばあさんの手紙は、私はこの手紙を出さないことには死んでいけないんです、そういうような書き出しで書かれていたわけです。それで自分はメディアの放送によって、「河野が犯人だ」とずっと思っていたと、今思えば大変馬鹿なことをしてしまったと非常に悔いているわけです。ですからこんなお年寄りの方まで巻きこんで、報道被害を起こしてしまっているという現実を、是非メディアの方に知っていただきたい、そんなふうに考えます。
筑紫氏 ジュエルさん、先程26%というお話がありましたけれども、いろんなそういう反応をしている、いわゆるその公衆といいますか、皆さんに対してはジュエルさんどういう感想をお持ちですか?
ジュエル氏 そうですね、是非伝えたいのはテレビに出たからといって、また記者がこういうことが起こったと言ったからといって、必ずしもそれが事実でないということを理解してもらいたいと思います。1つのことをいろいろな方向から見ることが重要だと私は伝えたいと思います。そして自分自身で調査してもらいたいと思います。
筑紫氏 あの、ご自分でどうでしょう。この大変な経験をなさったわけですけれども、今までメディアというものを見ていた自分の見方と、大変変わったのではないかと思いますが、今おっしゃったことは、今度のことが起きる以前にはそう感じていらっしゃらなかったのでしょうか。
ジュエル氏 そうですね、やはり今回の経験をした後感じています。メディアに対して今回こういう経験をしたわけですが、メディアを信頼しないということは前はありませんでした。しかし、今回、こういう私にとって重要な経験をいたしました。自分にとって、また母にとって、今回自分が経験したことをですね、これからも世界に対して伝えていくことが重要だと考えています。ダイアナ妃のような人がまた生まれないように努力しなければならないと考えています。もし昨年何か努力がされていれば、ダイアナ妃の命を助けることが出来たかもしれません。ダイアナ妃は今も私たちと一緒に生きていたかもしれない。どうしてプレスが今のような状況で行動をし、い続けられるのか、やはり我々としてはきちんと自問しなければならないと思います。そしてプレスの責任というものを、きちんと追求するということも考えなければならないと思います。そのために今回こちらに参加させていただきました。メディアの人たちに是非理解していただきたいのは、自分がやったことを決して忘れないでほしい、河野さんにあなた方が何をしたのか、また私に皆さんが何をしたのか、私の母にまた河野さんの家族にどういうことをしたのか、またダイアナ妃に何をしたのか考えてもらいたいと思います。
筑紫氏 こういう事件を経てメディアというのもがどう変わったのか、あるいは何を変えなければならないのか、そのへんをこの後話します。
ナレ−ション 松本サリン事件から約一年後、日本の各メディアは一斉に河野氏に謝罪することになる。一方アメリカではNBCやCNNはジュエル氏に和解金をし払って決着。疑惑報道の火付け役となったアトランタ・ジャ−ナルは今も法廷の場で争っている。
筑紫氏 こういう経過を受けまして、次に伺いたいんですけれども、お二人の不幸な出来事が契機になってメディアはその後変わったのか、一方では「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という日本の諺もありますけれども、そのへんをお2人はどう受けとめていらっしゃるか。まず河野さんに伺います。
河野氏 今、メディアの方は変わろうとしている、そういう努力はよくわかります。ただ現実に出てきた情報というものは、残念ながら今のものと変わっていない、そんなような状況です。やはり個人とメディアとの力の落差というものがあり過ぎます。ですからこれは何らかのですね、市民をサポ−トするようなそういう仕組みをマスコミ業界で作っていただいて、市民とメディアがやはり対等に話ができる、そういう環境を作らないとどうも報道を変えるというのは難しいのではないかと、そんな感じがいたします。
筑紫氏 ジュエルさんはこの問題をどうお感じになっていますか。
ジュエル氏 自分たちのとった行動に対して責任というものをとるべきだと思います。すなわち自分が記事を書く際に、あくまでも自分の責任という概念の元に記事を書くべきだと思いますし、また記事を書く際にはあらゆる角度から事実を検証するということ、そして再考に再考を重ねて事実を検証して別のソ−ス(情報源)からスト−リ−を確認するという責任を持っていると私は考えます。一体メディアが私に、私の母に、また河野さんにまた河野さんの家族にどういうことをしたのか、またプリンセス・ダイアナに何をしたのかぜひ今回考えていただきたいと思います。記事を書く前に事実を検証して100%これでいけるのだと、内容に間違いないのだということを確認してもらいたいと思います。もしそうでなければ、やはり記事にすべきではないと思います。そして別の情報源を見つけるべきだと思います。きちんと事実を検証するということが大事だと思います。
筑紫氏 今お2人からどうしたら良いかという話が出ましたけれども、河野さん、さらにもっと具体的にですね、先程の話で浅野さんの話の中でオンブズマンが出てきましたけれども、もっといろいろな事を具体化するために、どういう手順、あるいはどういう内容のが重要だと河野さんはお考えになっていらっしゃいますか。
河野氏 私たちは今オンブズマンを作ってほしいということで、PRビデオを出したり、それから全国を講演してまわって皆様方に訴えているわけです。やはりそれを聞いた人が、報道被害というものが人ごとではないということを知ってもらわないと他人事で終わってしまうのではないか、というふうに考えております。それから、メディア自体がやはりもっと原点にもどって欲しい、自分たちは人を幸せにするためにいろんな情報を提供しているんだと、そこの原点にやはり戻らないといけないと思います。
河野氏 ジュエルさんの場合には、例えば、アメリカではしばしば裁判というものは非常に日本に比べて、問題の全部の解決ではありませんけれども手段がとられるわけですけれども、ジュエルさんにまず伺いたいんですが、法廷に話を持っていくことは非常に有効だったとお考えになっていますか。
ジュエル氏 ほとんどの事件の場合、まあ我々の場合には裁判にうって出る、またはその法廷に持ち込むことによって和解に持ち込めることが多いわけです。今回はアトランタ・ジャ−ナル・コンスティツ−ション対私という形で関係ができたわけですけれども、FBIが私の名前をリ−クし、そして私が容疑者として扱われたということで、アトランタ・ジャ−ナル・コンスティツ−ションだけでなくニュ−ヨ−ク・ポストも訴えています。またABCラジオ(ニュ−ヨ−ク)も訴えました。これからの手続きになりますけれども、私は自信をもっています。
まあ和解ということに関して、私は自分に自信を持っています。私は潔白です。現在でも手続きは続いているわけですが、たぶん2年3年ぐらいかかるかも知れません。自分たちがもっているパワ−をすべて使って、手続きを進めていくことになると思います。事実が次から次へと出てくるのを恐れていると思います。和解に持ち込まれるのではないかと考えています。私は1人で戦いに臨んでいるわけです。アメリカ合衆国政府そしてマスコミという2つの悪と戦っているわけです。
筑紫氏 どうも長い時間お付き合いいただきありがとうございました。時間が来ました。どうもありがとうございました。
Copyright (c) 1997, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1997.10.14