ペルー大使公邸で取材を行った原田浩司記者(共同通信)、同志社で講演
共同通信の原田記者が6月19日、大学で初めて講演をしました。立ち見も多数あり、学生、大学職員など150人ほどが熱心に耳を傾けました。京都新聞や高知新聞などメディアの取材もありました。質疑応答も活発に行われました。以下に、原田記者に訂正、加筆をしてもらった講演内容の要旨を掲載します。原田さん、ありがとうございました。
なお、より詳しい内容は後日掲載予定です。ご期待ください。
講演内容 (原田記者に内容を確認していただき一部加筆してもらいました)
まず初めに言いたいことは、邸内取材については一点の曇りもなくジャーナリストとしてやるべき正しいことを実行した、と現在でも考えています。なぜなら、あの時私が邸内に入らなければ、客観的な邸内の様子、またMRTAの姿を誰も知ること無く、事件は終わっていたと思う。
多くの日本の報道で見られたことは、MRTA(トゥパク・アマル革命運動)とセンデロ・ルミノソ(輝ける道)を区別していなかった。これは間違っている。人権保護団体の報告によれば、テロ関係の犠牲者の40数%はセンデロ・ルミノソによるもの、MRTAによるものは1%にも満たない。残りは政府軍、警察によるものである。この内訳をきっちりと伝えるメディアはなかったのではないか。
今回の事件でMRTAの実態をきちんと把握していた日本のメディアは少なかった、と思う。日本のジャーナリストでまともにMRTAを取材したことがあるのは、フリーランスの桃井和馬氏だけである。私自身も友人である彼から、伝え聞いたことしかMRTAに関する知識はなかった。他の日本人ジャーナリストも似たようなものだろう。従って、私はもちろん他の日本メディアも知識不足で取材に臨んだと言える。
ジャーナリストとして、公邸内に入り取材することは当初から考えていた。最初に取材すれば、世界的なスクープになると思った。会社はくびになるかもしれないが、やる価値はあると思った。また、人質の家族ら関係者も公邸内の様子を知りたがっていたはずなので、変な言い方かもしれないが、利害は一致すると思った。当初は1人での実行を考えたが、結局写真部の先輩たちの知るところとなり、共同通信社としての組織のバックアップが得られることになった。
激しい日本メディアのバッシング
批判は予想していたが、予想以上だった。批判のポイントは3点ある。私は容易に全ての批判に反論することができる。
まず第一に「ゲリラの宣伝に加担した」というもの。そもそも取材に応じる以上、相手には利用しようという意図があるのは当然だ。それを一方的にならないようにするために、我々は編集作業という手段を持っている。それでも宣伝というならば、報道は成り立たない。オウム真理教事件の時のように生中継という手段をとったならば、この批判は的を得ているのかもしれない。しかし、批判する一方でセルパらMRTAの映像、彼らの発言などを頻繁に報道する。これは全く矛盾した行為ではないだろうか。
第二に「不測の事態が起こり得た」というもの。取材申し込みをした上で、「共同通信進入可」というMRTAサイドの許可得ていたのだから、彼らからの発砲はあり得ない。また、プレスツアーという政府のいわば“お墨付き”で規制線を越えたのだから、テロリストと間違えられ政府側に発砲されることも有り得ない。しかも、公邸の門を越えたところで、「共同通信さん、入って下さい」と人質から呼びかけを受けている。安全を確保して取材に臨んだのである。どうして不測の事態が起こり得るのか。そういった批判をするメディアに限って、フジモリ大統領の強行突入を絶賛する。フジモリ大統領は「100%の成功を確信したので武力突入した」と語ったが、青木大使ら人質の証言では脱出径路さえも確保されていなかった。彼らは背後に火の手が迫りながら鉄の扉に体当たりして何とか脱出した、という。もし、この鉄の扉が開かなければ、彼らの生命は間違いなく失われていた。より不測の事態が起こる危険性が高かった突入を、なぜ日本のメディアは批判しないのだろうか。都合の良い時だけ、結果論で語るのである。
第三に「邸内取材で人質50人の解放が遅れた」という批判もの。この批判は痛かった。そもそも、これは地元のエスプレッソ紙という政府系の新聞が報じたもの。信頼性も疑わしい記事で、地元ではこの1紙のみが報じた。しかし、多くの日本メディアがこれを引用し大きく報道した。この引用の仕方も新聞によってはテクニックがあり、もっともらしく引用する場合には「ペルー地元有力紙によれば」と、普段の引用には「ペルー政府系紙によれば」と使い分ける。この時は、すぐにMRTA側からも「邸内取材と引き換えに50人を解放するという話はなかった」と反論があった。その後の経過を見ても、ペルー政府の嘘は明らかであった。MRTAには当初から80―100人程度の人質を最低限度の人数として確保する目論見があった。また、解放された青木大使を初めとする人質たちも、部分解放の考えはMRTAにはなかった、と断言する。明らかに、ペルー政府は嘘をついていたのだ。しかし、日本のメディアはこれを伝えない。全く読者をだます行為である。こういった日本メディアのバッシングは、日本政府の現地対策本部から人質の家族に伝えられた。その結果、人質の家族から批判の声は高まり、私は眠れない日も続いた。
そもそも、日本の新聞は私の邸内取材で地元ペルーが困惑している、という報道ばかりだったが、賛美する声の方が圧倒的に多かった。新聞では十数紙中のたったの二紙が批判的で、中道紙のエル・コメルシオ紙、政府系紙のエスプレッソ紙だけだった。ましてや世界的には批判するメディアはなく、ニューヨークタイムス、AP通信、ロイター通信を初め、香港、ベトナムでも支持する声しかなかった。
広島ホームテレビの人見剛史記者も同じ論理で批判を受けた。現地の状況を見た限り、状況は安定しており、危険はなかった。彼が公邸内に置いた無線機が日本のメディアに批判を受けたが、これを批判しているのは日本のメディアだけである。しかし、彼らは無線機のことを批判しながらも、AFP通信やWTN、ロイター通信といった外国メディアの無線交信による記事を頻繁に掲載している。さすがに、この矛盾は有識者に批判され、批判の声は少なくなったが、それでも国会にテレビ朝日を呼べなどと批判を続ける恥知らずな新聞もあった。
私が考えるに、私が共同通信ではなくAPかロイター通信、人見記者がCNNかBBCのスタッフならば、日本のメディアは批判するどころか、絶賛していたのではないだろうか。湾岸戦争の時のCNNのピーター・アーネット記者の時のように。つまり、彼らバッシング記者たちは日本社会というムラ社会の論理をペルーにまで持ち込み、記者クラブという横並び意識からくる嫉妬の炎をメラメラと燃やし続けているだけなのである。
武力突入について
必ずしもすべての武力行使を否定しないが、今回の事件では必要はなかった、と考えている。根拠としては、MRTAの仲間の服役囚の釈放の声もトーンダウンしていたこと、また事件当初からニュースウィーク誌が伝えたように、セルパが妻やビクトル・ポライの奪還したいという個人的な想いから事件を起こしたということだ。セルパが情に厚く、いったんやりだすと後に引けないという性格をペルー政府は把握していたはずだ。日本政府からセルパの妻やビクトル・ポライ、またはMRTAに同情的なカンセコ議員などに説得させるよう、ペルー政府に圧力をかければ効果的だった、と思う。そもそもセルパの妻は国会占拠の計画の下見として、国会を写真撮影しただけで終身刑になっている。釈放の余地もあったのではないか。個人的事情で部下や仲間を巻き添えにしたセルパの行動は許されるものではないが、どう考えても今回の事件は平和的解決の余地が十分にあった。
そもそもフジモリ大統領は政治的意図から武力突入を決意したのでは、と個人的には考えている。突入の理由に「人質に重病人が出たのに医師の出入りを制限した」「MRTAが強行突入に備え、ペルー人人質に危害を加えた」というものがあるが、解放された日本人人質によればそのような事実は一切なかった、という。これは外務省の報告でも明らかになっている。
突入の瞬間は公邸から約百メートルに位置するビルにいた。爆発音と銃声は約四十分続いたが、MRTAが応戦する気配はほとんどなかった。ムニャンテ農相は「若いゲリラの1人が銃口を向けたが、苦しそうな表情を見せ去っていった」と証言した。同様の証言を日本人人質もしている。MRTAは十二月に公邸を襲撃した時も、発砲を繰り返したが壁に弾痕はなかった、という。日本人人質は、さかんにカラシニコフのマガジンを入れ替えるメンバーを目撃している。空砲を使っていたようだ。この事実からも、彼らは初めから人質を傷つける意志はなかった、と言える。
突入の際には様々な偽装工作がなされたようだ。特に遺体の位置は移動されたようだ。2階に登る階段にある2つの遺体はセルパとロリ・ロハスと言われるが、映像を見るにロハスとされる遺体には首がない。しかし、私はロハスの遺族から首があったことを聞いた。これは誰の遺体なのだろうか。
処刑は間違いなく行われた。報道陣から見えない公邸外の北側の燃料タンクの上には、血が溢れていた、という。公邸内でも2個所で処刑が行われたようだ。応戦もできないような不自然な場所に転がっている遺体もあった。シンシアと呼ばれる20才の女性ゲリラが、兵士に「殺さないで」と訴える姿も日本人人質に目撃されている。また、公邸の隣の民家、つまりトンネルの出口付近でも後ろ手に縛られたティトと呼ばれるゲリラが目撃されている。戦争状態でゲリラがどんな反撃をするか予測出来ないので全員射殺したとされているが、抵抗も出来ないような状態、しかも公邸の外で殺されている。これを処刑と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。フジモリ大統領をサムライとたたえる声もあるが、サムライは投降した女、子供を殺すことはしないはずだ。》
質疑応答 ──日本政府の対応についてどう思うか?
マスコミが恐いのだろうが、初めから平和的解決を声に出しすぎる。国家の交渉としては武力をちらつかせた方が良いのかもしれない。
日本政府は何も情報を入手しておらず、何も出来なかったに等しい。ペルー政府にも本質的には無視され続けていたのではないか。フジモリ大統領がドミニカ共和国、キューバに行くことさえも、マスコミに伝えられ初めて知るほどの始末だ。
──青木大使に対する報道についての印象は。
まったくひどい、と思う。今回、マスコミに証言した2、3人の人質がたまたま青木大使を嫌っていた、というだけで、この声を一方的に伝えたのがバッシングである。青木大使の言い分も聞く必要があったはずだ。
私に関するバッシングにしても、ただの一度も直接取材はなかった。「共同通信カメラマンは嘘をついて、人質の写真を撮影した」というとんでもない中傷記事もあった。あまりにも一方的である。バッシング記者はまず批判という意見ありきで、それを固める取材しか行わない。青木大使とは、立場が似ているということで意気投合した。
──死んだジュスティ刑事のことをフジモリ大統領は嫌っていたというのは事実か。
本当だ。現地で何度もそういう情報を耳にした。判事は爆死したのか、政府軍の銃弾で死亡したのか、あるいはゲリラに撃たれたのかは不明だ。遺体に残った銃弾を調べれば、すぐに分かるはずなのに政府は実行しない。この件を明らかにするよう、ペルー弁護士会は政府に要請している。しかし、ペルー政府はこれに答えていないようだ。
──ペルー事件のような政治的事件でのジャーナリストの姿勢はどうあるべきか。
当事者に迫ることだと思う。ろくに情報を持たない日本政府を情報源としたのが、日本のメディアの最大の敗因ではないか。ある意味においてメディアは準当事者であると思う。客観報道といえば聞こえは良いが、それはきれいごとだ。報道することで、対象に影響を与えることは避けられないのだから、当事者であってならないとするなら報道などやらない方が良い。我々に出来ることは、あらゆる側面から得たいくつもの事実を読者に提供することだ。その中から、読者が真実をつかめば良い。
邸内取材のバッシングすることで、日本のメディアは直接取材の手段を完全に失ってしまった。邸内に入って取材することも、無線交信することもできなくなってしまった。結局、自分で自分の首を絞めたのだ。残されたのは、政府の番犬をやることだけである。全く馬鹿げた話だ。ペルーの地元のマスコミも、人見記者の無線機騒ぎの時は困惑し、無線交信による取材を控えるようになってしまった。地元メディアに迷惑までかけているのである。
もし今回の事件で邸内取材が無ければ、誰もセルパの顔も、公邸内の客観的な様子も知ることはなかったのだ。邸内取材は100%、正しかった。これは断言出来る。
Copyright (c) 1997, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1997.07.15