スハルト王朝崩壊へ 緊急リポート 浅野健一
インドネシアの民主化闘争は五月に入って重大局面を迎えた。人民の退陣要求の高まる中、スハルト大統領は五月一九日の演説で、即時退陣を拒否した。延命策にきゅうきゅうとしている。しかしBBCのジャカルタ特派員が、あと数日の運命と述べたように、彼が権力を手放す以外に国を救う道は残されていない。 五月九日、スハルト大統領がG15首脳会議でエジプトへ出発。政治改革は五年後の二○○三年以降にすべきだとか、公共料金の値下げ撤回にも応じないと開き直っての外遊だった。五月一二日に、ジャカルタでデモ隊と治安部隊が衝突。学生六人が死亡した。ジャカルタのカトリック系有名私学、トリサクティ大学で抗議集会を開いていた学生、市民に対して軍が民衆に銃を向けたのだ。
日本の新聞は「スハルト体制窮地に」「首都機能マヒ状態」などと報道。連日インドネシア関係のニュースが大きく報道されている。昔インドネシア経済を絶賛していた「有識者」が、スハルト体制を批判している。朝日新聞の元特派員は自著に、スハルト氏を個人的に尊敬すると書いていた。その朝日はコラム、社説でスハルト氏を非難している。変わり身が早すぎる。メディアの検証も必要だ。
スハルト大統領は五月一四日、予定を繰り上げて帰国した。アチャラ(儀式の予定)を重んじる国の指導者としては極めて異例。国民はスハルト氏の限界をはっきり知った。
大統領は国を空けても治安を維持できることを内外に示すために外遊したのが、完全に裏目に出た。政治家としての見通しを誤ったことになる。軍人が路上に倒れた学生の頭部を蹴飛ばしたシーンが繰り返し放映され、国際社会もこの政権の本質を知った。
子供たちが経営する会社や商品が略奪、破壊の対象になった。大統領と近い華人財閥の家が襲われた。人民の怒りはスハルト氏個人に向かっている。「スハルト退陣」しかない。
米国政府が、インドネシア政府が米国民を守る能力がないと断定して、米国市民の脱出を命じた。
五月一七日午後六時からの、TBSの「報道特集」が急遽インドネシア情勢を取り上げた。スハルト政権に追放された記者として私のことを例にして、政治社会体制を分析した。私は前日夜に自宅でビデオ取材を受けて、約五分間放映された、なぜ私が追放されたかは詳しく伝えられなかったが、インドネシアが「トロピカル・ファシズム」の国であることが伝わったと思う。
私は八九年二月から共同通信ジャカルタ支局長を務めた。私の取材や報道が気に入らなかったようで、四回目の記者ビザがなかなか更新されなかった。この経緯は『日本大使館の犯罪』(講談社文庫)に詳しく書いたが、九二年四月四日に、突然パスポートを奪われて、「四月六日までに出国することを許可する」というスタンプを押された。入館当局者は軍の情報機関の指示によるもので、期限までに出国しないと逮捕されて強制送還されるということだった。その後、観光ビザで再入国し、次の特派員が来た九二年七月にジャカルタを離れた。
日本の報道機関の特派員が追放されたのは、八五年一月の朝日新聞の毛利晃記者以来で、私以降はない。
インドネシアの人心はスハルトから完全に離れている。スハルト家族のやり放題に我慢ができないで爆発。93年に退陣すべきだった。
インドネシアは朝鮮民主主義人民共和国と並ぶ一党独裁・軍事体制の国でありながら、民主主義国としてごまかしてきた。大国であり、凄みもあって米国、日本も何も言えなかった(日本はこんな状況でも何も言えない)。
日米、欧州の先進国は、スハルト体制が、自由と民主主義に反する国家であることを知りながら、豊かな資源と安価で従順な労働力を利用して、自国の経済権益を拡大してきた。スハルトファミリーと軍人・政商は先進国にコミッション、賄賂を要求して蓄財をためてきた。
スハルト大統領は六五年の「9・30事件」以降、共産党関係者を約五0万人抹殺してきた。権力を失うと、自分や家族が徹底的に弾圧されるという恐怖感を持っている。
インドネシア研究者の中には、次期指導者がいないと言う人が多いが、そんなことはない。日本よりましなことは間違いない。インドネシアにはテクノクラート、中間層が育っている。スハルトはワンマンで次期指導者を育てなかったから、指導者がいないというのは嘘だ。失礼な言い方だと思う。インドネシアは日本より歴史が古く、文化的にも豊かな国だ。日本とオランダの植民地支配から実力闘争で独立を勝ち取った。大統領が育てなくても、リーダーに育つ人はいる。スハルト氏自身が六五年にはほとんど無名に近かった。
月刊「現代」6月号で私がインタビューをした元環境・人口相、エミル・サリム氏ら多数いる。文人の指導者が協力して挙国一致体制を。軍は国防に徹するという選択が最も望ましい。
▼日本は何をすべきか
ジャカルタには一万人の日本人がいる。スハルト体制危機を招いたのは日本の援助と民間投資ではないか。民主化を求める市民、労働者、学生は、スハルト政権への援助の停止を求めてきた。日本からの援助はスハルトファミリーと一部側近だけを潤しているという批判だ。日本の政府と市民がやるべきことは、スハルト政権への援助の見直しである。日本の政府開発援助(ODA)大綱には、民主主義と市場開放の方向に向かっていない国には援助しないという規定がある。現在の「スハルトのインドネシア」が、自由と民主主義を保障する国とは思えない。
ところが橋本政権は、インドネシア政府への支援を続けていおる。それどころか、五月一五日の読売新聞夕刊は一面トップで、「自衛隊機、出動準備へ 外相、午後に要請 インドネシア邦人保護」という見出しで報じたように、この危機を利用して「自衛隊機派遣」を実現しようとしている。九七年のカンボジアの混乱でもタイへ自衛隊機を派遣したが、プノンペンには行けなかった。今回何とかジャカルタに輸送機を飛ばしたいのだろう。
こういうのを火事場泥棒という。米国でさえ民間航空機をチャーターしている。ジャカルタから脱出するには民間の航空機、船舶で十分対応できる。日本へ直行する便が不足しているなら、シンガポール、クアラルンプール、バンコク、香港、台北などへ向かうこともできる。
日の丸のマークの入った自衛隊機がインドネシアの領空を飛ぶことは、インドネシアの多くの人々に不安を与え、抵抗も予想される。スハルト大統領が許可するかどうかも分からない。
私は邦人保護のために自衛隊機を海外に派遣できるようにした自衛隊法の「改正」に反対した。自衛隊機や艦船を海外に出すことは憲法に違反する。日本帝国軍隊が四一年三月から三年半にわたってインドネシアを侵略したという歴史も考えるべきだ。軍隊のない日本はインドネシアの人民に好かれるような政策をとるべきである。日本がインドネシアの普通に暮らす市民の福祉と幸福のために何をすべきかを考えたい。
Copyright (c) 1998, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1998.05.22