続 スハルト王朝崩壊へ 浅野健一
スハルト大統領は98年5月21日午前、辞任した。後任にはスハルト氏のイエスマン、ハビビ副大統領が就任した。今後も紆余曲折はあるだろうが、スハルト王朝は崩壊に向かったと言えるだろう。
スハルト退陣を受けて新聞にはインドネシア専門家や東南アジア研究者が、スハルトの「開発独裁」を批判している。しかしこうした専門家の多くが97年夏まではインドネシアのスハルト体制を評価していた。経済発展のためにはある程度の強権政治は必要だとか、経済発展の後に民主化がくるとか論じていた。アジアには民主主義とか人権はなじまない、スハルト氏の言うアジア的民主主義を肯定する学者も多かった。インドネシアの学生たちが普遍的価値としての民主主義、人権を要求して勝利するや、自分たちもスハルト体制が矛盾に満ちていたと思っていたと転向するのだ。水に落ちた途端に石をみんなで投げつけるのだ。これではスハルトさんがあまりにも可哀相だ。スハルト氏と一緒に失脚すべき学者、ジャーナリスト、財界人はたくさんいると思う。
5月24日朝のNHKテレビの「日曜討論」の「スハルト後インドネシアはどう動く」で鈴木祐司法政大学教授、中村光夫千葉大学教授、竹中慶応義塾大学教授、渡辺前インドネシア大使(現在、国際問題評論家)、小渕外相が出演していた。スハルトファッショ体制をずっと護持してきたのは、日本の政府開発援助(ODA)と民間投資なのに、政府も研究者もそのことに全く触れない。広中教授 「ODAは社会基盤整備に役立ったという見方が最近定着している」とまで述べて、援助の方針は変える必要がないと語った。広中教授の同僚である草野厚慶応義塾大学教授は、スハルト政権の開発独裁を評価し、新潟大学の鷲見一夫教授が「世界」91年2月号誌上で、コタパンジャン・ダム問題などを取り上げて「インドネシアがODAの諸問題のショーウインドー」だと批判した。この論文に激怒した外務省・日本大使館は草野教授らに協力を求めて総力を挙げて反論した。書いたのは佐渡島志郎外務省経済協力局政策課首席事務官だが、外務省が関係機関を総動員しての反論だった。
小渕外相は「これまでどおり援助を続ける」と明言した。
東ティモール問題、労働運動課のモフタル・パクパハン氏の釈放などの緊急の問題は何も出なかった。
あげくの果てに渡辺氏が「日本企業や日本人を狙った略奪や破壊がなかったのは、七○年代の反省から日本の経済人が十分な配慮をしてきたからだ」と述べた。
外相は「自衛隊機はしばらく残留する」と述べて終わった。自衛隊機の派遣に批判的コメントも全くない。
Copyright (c) 1998, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1998.06.26