「子供を守れ!!〜神戸小学生殺害事件情報〜」ホームページ開設者

中泉 宏さんインタビュー

 

1998年3月11日 神戸市営地下鉄名谷駅近くのレストランにて

浅野ゼミ3期生 政純一郎 =文

 

 98年2月28日。神戸市内で神戸弁護士会主催の「須磨事件を考える」シンポジウムが開催され、浅野教授もパネリストとして招かれた。約500人の聴衆の中に一人の地元住民がいた。この人がパネラーに質問として提出した要旨にはこう記されていた。「私は地元の住民として事件を早期に解決したい思いから、インターネットのホームページを開設し、地元の動きを流して情報を募った。少年が逮捕されてから、事件に対する意見が200件近く入った。今日のシンポジウムでも参考になると思い持参している。発言の機会を与えていただければ紹介したい」要旨には「須磨区竜が台 中泉宏」と記されていた。

 3月11日。浅野教授と私は、中泉宏さんにインタビューするため神戸市須磨区に足を運んだ。 中泉さんは神戸市垂水郵便局に勤務されており、97年3月16日に起きた少女殺人事件の現場の真前の団地に住んでおられ、6月1日から「子供を守れ!!〜神戸小学生殺害事件情報〜」というホームページを開設し、事件に関する地元の情報を流し、逆に目撃情報などを募って捜査協力の一助にしてきた。6月28日に、被疑者として同じ須磨ニュータウン内に住む14歳の中学生が逮捕された。少年の逮捕ということに、中泉さんは事件発生以上の強い衝撃を受けたという。インターネットにも様々な意見が寄せられた。野次馬的なものは言語道断だが、寄 せられた意見を元に事件を教訓として子供の教育や地域社会のあり方について数多くの人と考えていきたいと、中泉さんは模索している。

 以下の文章はその時の中泉さんの発言をまとめたものである。(連続殺傷事件の被害者は匿名にした。)

 

 

● ホームページ開設について

 97年の6月1日に、PC−VANナビスクールというプロバイダーの方の協力を得て、ホームページを立ち上げました。わずか1ヵ月で12万ものアクセスヒットがありました。ホームページを開いた最初のころは日々こちらで起こっていることを、新聞やテレビの情報などをもとに、編集して流していました。

 このホームページに少年が逮捕されてから、全国からいろいろな意見を寄せられるようになりました。「これは」と思える意見を寄せてくれた方にはこちらからメールを送り、反応をみたりしていました。そういった人たちのなかには今でもメールのやり取りをしている人もいますし、学校の授業で教材として使われた先生もいます。北海道のある高校の生徒は「クラスで研究発表会をするに当たり、これまで経験されたことを聞かせてほしい」とメールしてきました。授業で役に立つのならと、みなさんから寄せられた意見も無駄にならないと考え、すべての資料を転送したこともあります。

 私がインターネットを使ってこういう活動をしているという、街ネタを拾って記事にして下さる方がいて、神戸新聞と読売新聞に掲載されました。神戸新聞の記事を書いたのが、吹田君という当時まだ新人で、研修を終えて初めて書いた記事だそうです。

 最終的には15万ほどのアクセスヒットになりましたが、そのうちのおそらく3分の2は野次馬でしょうね。アングラで流れているような情報が載っているのではないかと思っている人や、「(被疑者の少年の)顔写真を載せろ」というようなことをいってくる人たちです。

 

● 連続通り魔事件、小学生殺害事件当時の町の様子、報道について

 竜が台の事件が起こってから、この地域は戒厳令下のように警察の24時間体制の重点警備地区になり、全国のマスコミがどっと押しかけました。僕のように変則シフト勤務で朝が早くて夜が遅い人間は、いの一番に怪しまれるのです。毎日のように警官に呼び止められて「あんた、どこへいくんや?」と聞かれました。 ボディチェックや所持品検査もされました。 当時、事件を最初に知ったのは、学校からの緊急連絡でした。「通り魔が出てけが人が出ているから、注意してください」という先生からの一報でした。うちの隣が小学校で、「どういうことだろう」と思って外に出てみると、もうすでに非常線が張ってあるのです。あわてて家にかけ戻り、家中の窓という窓の鍵をかけまくるよう女房と子供に指示しました。

 その日、僕の娘は近くの文化センターであった映画鑑賞会に出かけていて、事件があった頃にうちに帰ってきました。たまたま車で送ってもらって帰ってきたからよかったものの、もし歩いて帰ってきてたら事件に巻き込まれていたかもしれません。そう思うとぞっとしました。子供もおびえて大変でした。

 最初に連絡が入ったときには被害者がどこの誰だか分かりませんでした。僕もこの地区の自治会の役員をしていましたから、何か情報を集める必要があると思い、外に出て聞き回っていると、どうもうちの団地の子供が被害者らしいということが分かりました。そうこうしているうちに、マスコミが集団になってどっと押しかけてきたのです。夜遅くまで取材攻勢が続きました。被害者が○○ちゃんであることも分かりました。

 そのうちにテレビ中継が始まるわ、取材のヘリコプターは飛んでくるわ、刑事がくるわ、大変な状況でした。刑事事件に巻き込まれるとかなわないなと思いました。もうそれは別世界です。駅を降りると雰囲気が一変するのですから。駅の回りにも警官が立っている。家へ帰ろうとすると必ず呼び止められました。

 マスコミでは、ワイドショーがいちばん酷かったです。ワイドショーは本当に腹の立つ鼻持ちならないものだと思いました。道を歩いていて、いきなり後ろからカメラでつけてくる。こちらの方が通り魔みたいなものです。やみくもにマイクを突きつけてきます。子供たちにもマイクを突きつけるのですが、普段は子供たちが喜んでマイクの前で喋ろうとするものなのに、それを避けて通る。逆に辛かったです。こんな異常な別世界がその後3か月近く続きました。

 ○○君の事件が起こるとさらに酷くなりました。100メートル間隔で警官が立っている。住んでいる人間の数よりも警官のほうが多いという感覚でした。職務質問、所持品検査がさらに徹底され、あまりのしつこさに時には喧嘩腰に怒鳴りあうこともありましたね。「黒いビニール袋を持った中年男」というのが報道されましたし、 見ての通り私もオジサンですから。

 僕の娘は今小学4年生ですが、自分のクラスメートが被害者であるということで心に痛むものがあるのでしょうか、事件のことに関しては何も語りません。子供なりにあの事件を心の中で整理しているのかもしれません。あの通り魔事件以降、外で遊ぶ子供の姿を見かけなくなりました。友達の家に遊びにいくときも、親がその子の家の玄関までついていくのです。娘が登下校する際にも、親が付き添わねばならず、特に共働きのご家庭は大変な苦労を強いられました。しかもこの登下校の際にも警察の護衛がつく。こんな世界を想像できるでしょうか。

 自治会の動きでは事件の発生と同時に「通り魔対策委員会」が設置され、24時間体制でパトロールを開始しました。また、地域内で防犯上改善を要する場所をピックアップして「地域改善マップ」を作成し、行政当局に要請しました。役員の人もそれぞれ仕事をお持ちで、そのやり繰りで大変苦労していました。私自身も夜勤で帰宅して食事を取り、深夜のパトロールに参加し、その足でまた早朝出勤するという、まさに不眠不休体制というのが何度もあります。どうしても人手不足のときには仕事を犠牲にしました。職場にも大変な迷惑をかけたのですが、「後は私たちでやるから、中泉さんはパトロールに専念して下さい」といつも快く送りだしていただいた上司や同僚に感謝しています。

 事件の前は公園で遊ぶ子供の笑い声や、学校でのクラブ活動を元気にやっている子供の姿をいつも見ていたのが、いっさい見かけなくなりました。これだけの大事件があったわけですから、警察がこの辺り一帯にいるということは仕方がないと思います。僕たちも早く犯人を逮捕してもらって安心したいわけですから。しかし、マスコミによる被害は大きいと思う。どうしようもないところで騒いでいるのですから。

 

● 「A少年」について 

 95年の阪神大震災、そしてこの事件とこのところ神戸では悲惨な事件が続いています。あの震災で、多くの人の応援や励ましをいただいて、人間のありがたさや命の大切さが身に染みているはずなのに、こんな事件が何で起こったのか、やるせない気持ちです。この少年の心に、何があったのか。震災があったことが悪い方に影響しているのかもしれません。

 いろいろな疑問点はありますが、あれだけ犯人しか知りえないような供述をしているのですから、僕はこの少年がやったのではないかと認知しています。地元の人たちのなかからも、少年が冤罪ではないかということや、共犯者がいるのではないかといった話はあまり聞きません。

 仮にこの少年が犯人だとして、僕たち地元の人間としては、何が原因でこのような事件が起きてしまったのかということを考えなければならないと思います。それは、10年とか20年という長い目で見ていく必要があります。少年が冤罪かどうかなんてことよりも、今子供たちをどう守ってやるか、どう進ませてあげればいいかを考えてあげるのが大人の責任なのです。

 一部の団体が冤罪じゃないかということなどについて騒いでいますが、そんなことは10年先、20年先になっても構わないと思います。昨年1年間僕たちはえらいめに遭ってきました。僕たちも真相は知りたい。しかし、そのえらいめに遭った立場から言わせてもらえば、そんなことよりも今、子供のために大人は何をしてあげられるのかを考えたい。

 インターネットや週刊誌に少年の顔写真が掲載されたようですが、それは言語道断だと思います。インターネットだから、何を流しても自由だと考えるのは自由の履き違いです。どんな犯罪者であっても人権があるのですから。僕の回りの人たちも顔写真を出す必要はなかったと言っています。竜が台では、事件に全く関係ない第3者の住所と電話番号がインターネット上に流れて、「お宅が関係しているのですか」と聞き回っているひどい人もいた。その番号を見て電話をするそうです。そんな被害にあった人を何人も知っています。ただの面白半分か何かは知りませんが、そんな電話をする神経が僕には分かりません。震災のときもそうでしたが、事件現場までやって来て記念撮影をして帰るような無神経な人たちには腹わたが煮えくり返る思いでした。

 

● 子供たちについて

 子供が犯した犯罪は大人の責任です。今は子供を本気で叱る親がいません。子供は誰でもなにか一芸に秀でたものを持っています。その長所をいい方に伸ばしていくのが親の責任だと思います。ある程度は親が導いてやり、後は自主性に任せるのです。「子供」というフィルターを通して我々の生き方、地域社会のあり方も見直せるのではないでしょうか。

 仮にこの少年が犯人だとして、もし今後、少年に会う機会があったら、まず僕は怒鳴りつけてやりたいです。「お前、何をしでかしとんねん!」と。その上で「お前は一体今まで、どんな生活をしてきたのか。だがやってしまったことは仕方がない。これからこの罪とどう向かって生きていくつもりなのか」と聞きたい。この少年がよそから来た者ではなく、同じ地域のなかで育った者だということを重く受け止めています。それを我々の社会が教えなければならない。それが被害者の少女のお母さんが言っている「A少年を包み込む」ということなのではないでしょうか。

 事件に関して加害者を糾弾することはいくらでもできます。しかし、起こってしまったことは元に戻らないのです。やったことに関しては法の裁きを受けなければならない。しかし、法の決着がついた後で、どうやって社会に戻ってくるかが大事なのです。それをはっきり教えてあげられる大人が今の世の中でどれだけいるのか。

 僕が今若い人たちに言いたいのは、「自分が生きていく道は、自分でしかつくれない」ということです。親から「大学に行け」と言われたから、大学に行っている人もいます。その人たちが卒業して社会に出ていくとき、どうするのか。目標がない。今そんな若い人が多いです。このA少年はそういう人たちに対する信号なのかもしれません。「親の責任」というものの重さを感じています。

 

 

インタビューを終えて

 あの悲惨な事件から1年が経とうとしている。私にとっては初めて訪れる須磨の町。あのころ盛んに騒がれたこの町はようやく静けさを取り戻したようだ。ちょうど1年前に通り魔事件が起こったころ、この町に多くの警官とマスコミの取材陣がいた。彼らが中泉さんのいう「別世界」を作りだしていた。市営地下鉄名谷駅前からいかにも恐ろしげに伝えていたワイドショーのレポーターたちの顔が思い浮かぶ。

 震災、そして今回の事件と、悲しい出来事が神戸で続いている。しかし、「子供をどう守ってやるのか」そして「未来に向けて希望のある社会をどう作っていくか」こんなことを考えながら頑張っている中泉さんの姿に救われる思いがする。「子供の犯罪は親の責任だ」と中泉さんは語る。私が近頃気になるのは、メディアが盛んに子供が犯したとされる犯罪事件を伝えることで、「今の子供はおかしい」という風潮をメディア自身が作りだしてしまっているのではないかということだ。この神戸の事件は「少年犯罪」がクローズアップされるきっかけとなった事件でもある。

 事件の加害者を糾弾し、犯罪の恐ろしさを強調することは簡単だ。しかし、そんなものは何も生み出さないことを中泉さんたちは知っている。親が、地域が、どうやって子供に未来のある社会を作っていくのか。そのための手助けになるメディアであってほしいと思う。「痛み」を知り、そこから何かを学ぶからこそ、人は、そして社会は成長する。そんなことを今回のインタビューで感じた。

 

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Copyright (c) 1998, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1998.04.04