同志社大学を再訪問 河野義行氏を囲む会で学生と懇談
松本サリン事件の報道被害者、河野義行さんが、12月20日(土)、同志社大学を訪れ、二時間にわたり学生と意見交換した。最初に、日米メディア比較を研究している浅野ゼミ三回生のアトランタ・松本サリン事件班から河野さんに質問をした。主な質疑応答の内容の要約は以下の通り。
・二年前の九五年十一月一七日に同志社で講演会をされた時、市民から、河野さんはオウムに対する怒りの気持ちはないのですかという質問が出て、河野さんは「判決が出るまでは自分の怒りは出したくない」とおしゃっていましたが、その気持ちは今も変わりはないですか。
オウムの人たちが有罪になろうが無罪になろうが、ある意味でどうでもいいと言うとおかしいかもしれないが、例え有罪になったからといって妻が良くなると言えばそうではない。あった事件を客観的に審議して、一つの歴史として残していく事が大事だと思う。オウムに対する憎しみはない。まず、現実感がない。むしろ、マスコミとか、警察にやられた方が精神的にも苦しかった。
・九七年を振り返って印象に残った出来事、事件などはありますか。
ダイアナ元英皇太子妃の事故死が一番印象に残っている。けれど、パパラッチを一概に責めることはできないと思う。パパラッチはお金になるからやっている。それを高額で買うメディアの方にむしろ責任があるのではないか。
・最後に、昨日の一九日に麻原被告の国選弁護団が河野さん宅を訪問したと聞きましたが、どのような話をされたのですか。
家に来たのは渡辺弁護団長を含め、計七名で、八時半から一〇時頃まで。検面調書や員面調書の事実関係の確認をした。彼らは書面だけでなく、体で事件を認識したいということだったので、当時の現場の周辺状況を写真を見ながら説明した。また、押収品目録などのコピーも渡した。事実に迫ってもらいたいということで、検察側、弁護団側に言う内容も同じだと言った。また、検察から証人依頼が来ていて、三月四日か二〇日に松本サリン事件の法廷に証人として出ると思う。また、負傷者一四四名がいつの間にか四人になっていた。被害者を起訴段階の人から四人に絞ったのは理解できない。それは歴史を変えることになる。事実を残すことが必要だと思う。私と妻のほか、誰だか分からないがあと二人が被害者になった。それなら最初から四人とすべきだ。
その他、今年の九月に浅野教授と共にアトランタを訪れ、リチャード・ジュエル氏と会った時のエピソードや、日米の報道被害の体験後の相似点と相違点などを話された。
最初の一時間は三回生からの質問だったが、後半は参加者ほぼ全員から意見や質問が出され、活発な議論が行われた。主なやりとりや河野さん、学生の意見は以下の通り。
・被疑者のプライバシーが問題になっている中で、被害者のプライバシーも問題になっていると思いますが、それについてはどう思いますか。
被疑者と被害者を分けて考える必要はないと思う。被害者でも名前を乗せてほしくない場合がある。例えば、火事で死んでしまった人など、亡くなった場所や状況によって報道されたくないケースもある。また、私の場合は最初は被害者という事で実名が出されたが、いつの間にか加害者みたいになってきて、その時点で匿名にしたと言っても、すぐにわかってしまった。
・神戸事件で、いかにマスコミが自分たちの情報に対して無責任かわかったが、私たちがそれに対してできることは何だと思いますか。
テレビなどでの、抗議の手紙や電話が来るとずいぶんこたえるようだ。電話十本でもかなり意味があると聞いた。だから、おかしいと思ったときには、それを意見することが大事ではないか。無関心でいたり、それでいいと思うのではなく、おかしいと思ったら、おかしいと言える記者、環境を市民が作ろう。
・日本では起訴されてから、弁護士が付き、それが米国と違う点だと思うが、河野さんはどういうプロセスで弁護士を付けたのですか。
友人の知り合いの永田恒治弁護士を紹介してもらった。度胸がすわってて、そこそこ暇な弁護士を捜して、永田弁護士に依頼した。永田弁護士も周囲から「やめとけ」と言われたようだが「被疑者不詳」の殺人容疑での家宅捜査といういい加減なものを許せないということで引き受けてくれた。起訴前の弁護というのは非常に大事だと思う。冤罪はまさに、逮捕から起訴の間に作られる事を実感した。
その他、サツ回り(警察担当記者)は、若い記者の感性をつぶしていっているような気がする、記者は加害者意識がないし、市民も冤罪について実感はないが、「明日は我が身」ということを肝に銘じてほしいという話も出た。
河野さんは翌二一日には、京都の園部町主催の「人権フォーラムinそのべ」で講演するなど多忙であるが、その中を来ていただき、学生にとって非常に有意義な会だったと思う。河野さんは、現状では報道被害に遭った場合、じっとしているのが楽だと言っていたが、そういう社会はおかしいと思う。現状のままだったら、報道被害者はなくならない。先日、温暖化防止京都会議が行われたが、ゴミの分別や省エネ策など一人一人の環境に対する意識は決して低くないと思う。そういう個人の努力の積み重ねが、環境を守る大きな一歩になるように、今回のような会が開催されることによって、個人やマスメディアが少しずつ変わっていくのではないだろうか。
浅野ゼミ三回生 玉木真由香
Copyright (c) 1998, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1998.01.13