97年12月20日

河野さんを囲む会

 

同志社大学を再訪問 河野さんを囲む会の詳細です                      

3回生の玉木真由香が報告します。

                   

玉木:三回生浅野ゼミの玉木です。今日は日米メディア比較を研究している三回生から質問をさせていただきますのでよろしくお願いいたします。それでは河野さんよろしいでしょうか。

 

河野:一九九四年六月二七日に松本サリン事件が起こり、非常に真っ黒な時期がありました。浅野先生とはその年の九月一四日に会っています。九月は警察が私を別件逮捕するという情報がマスコミから流れていた時期でした。松本の市民グループが初期の捜査の問題とか、報道の問題について集会を開きまして、その時の講師として、浅野先生と一橋大学法学部の福田雅章教授の二人が来られて講演したわけです。それは九月一五日でしたが、一四日に私の家に来られていろんな話をして、それからのおつきあいです。それ以降、いろいろな報道の問題、報道被害の問題とかそういう話をしながら、たまたま私の場合は東京地下鉄サリン事件が翌年の三月二〇日に起こって私の潔白というものが分かったんですけど、メディアに対して対抗していく中でいろいろなアドバイスをいただきました。こういう経過で、今に至っています。そんな状況です。

 

玉木:それでは私たちから質問をさせていただきます。最初の質問ですが、河野さんが以前、同志社大学に来られたときに、市民の方から、河野さん自身にオウムに対する怒りはないのですかという質問がありました。それに対して河野さんは、判決が出てもいない段階で、自分の怒りを出したくないと答えていました。それはなぜかというと、オウムに対する報道と捜査と同じパターンで自分が犯人に間違いないとされて、嫌がらせの手紙や百件を越える無言電話が来たので、そういう怪しい段階での社会的制裁に対して一つの反発というものがあるということでした。その後、オウムに対して、一部判決とかが出ましたけど、今でも河野さんの気持ちは変わっていないのでしょうか。

 

河野:私の方は、言い方はおかしいかもしれませんが、オウムの実行犯と言われている人が、有罪になろうが無罪になろうがある意味でどうでもいい。例えば実行犯とされている人が有罪になって、だからといって私の妻が良くなるわけでもありません。ですから今私が思っていることは、あった事件をできるだけ客観的にきちんと審理してもらって、それを一つの歴史として残していくことが大切だということです。ところが、松本サリン事件も地下鉄サリン事件も、負傷者に対しては、被害者をすぐ限定するという感じです。松本サリン事件では一四四名が負傷しているわけですけど、警察がそれを四人に絞ったわけです。その四人の中に私の妻と私が入っていて、あとの二名は分からないんですけど、それはあくまでも裁判を早くするのが目的だと、検察側は言っています。それで、裁判が遅れて困るのは誰かというと、例えば被害者で民事訴訟を起こしている人は困ると思いますけど、いずれも被害者が困るだけです。例えば警察や検察庁にしろ、裁判官にしろ裁判が長引けば、自分に仕事が確保されるだけのことです。国選弁護人は迷惑かもしれませんね。刑事事件の場合、国選弁護はとても弁護料が安いですから、その安い弁護料でずっと拘束されるというのは困るかもしれませんけど、いずれにしても一つの歴史が変わることです。

一四四人の負傷者がいつの間にか四人になっている。事情が分かっているここ五年、十年の間は構わないかもしれないけど、これが五十年、百年経って、松本サリン事件てなんだと調べたときに、七名が亡くなって負傷者は四人かと、そういう風になってしまうわけですよね。それはとても問題があるのじゃないかと言っています。事実をきちっと残していくという事と、国が被害者の救済というものを何もしていないので、それを別で行政がきちっとやっていけば、被害者は待てると思うんです。それをやらないで、安易という言い方がいいか悪いか分からないですけど、簡単に片づけようとしている、それは歴史を変えることだから、反対です。

それから、オウムに対しての憎しみうんぬんというのは、私はないです。それはやっぱり、現実感がない。米国のジュエルさんのお母さんが「映画を見ているようだった」という表現を、浅野先生のホームページで言っていますけど、まさにその世界なんですよ。実際にそれがサリンだと、まかれてすぐ分かったのだったら、現実感があったでしょうけど、ただ、家で本を読んだり、テレビを見ている中で、なんだか知らないけど急に体調がおかしくなって、病院に運ばれた、そして、たまたま後からそれがサリンだと言われても現実感がないわけですよね。ですからそのような実行犯に対しての怒りというものがあまりわいてきません。むしろ、マスコミとか警察にやられた方が私たちの方は実感があるし、精神的に辛かった。そんな風に思っています。

 

玉木:現在すべての民事訴訟をしておられないと言う事を聞きましたけど、なぜ民事裁判を取りやめたのですか。

 

河野:裁判を取りやめたのではなくて、すべて和解をしているわけです。私の起こした裁判というのは、地元の信濃毎日新聞に民事訴訟を起こしたわけです。要求事項は、二千万円の損害賠償金、それから五大紙に謝罪広告を掲載せよということです。これはあくまでも損害賠償金を取るということが目的ではないわけです。当時は逮捕に対する一つの牽制球という考え、それから、例えば警察がリーク情報を流していますが、警察は公式には知らないと言うでしょうし、新聞社の方は警察の方が疑っていたから記事を書いた、真実と信じるに足る相当性があったという言い方をする。そういうものを明らかにしようという裁判なんです。

今のいわゆる名誉毀損、損害賠償という裁判は、やっても必ず足が出ます。足が出るというのは本来、損害賠償請求ということであれば、損害賠償、損害に対して補償されなければいけない、けれども、いわゆる裁判というのは、足が出る。足が出るというのはマイナスが出るということですけど、だから損害が拡大するのが今の損害賠償の裁判なんです。それはどういうことかと言えば、日本の場合、マスコミに対して、民事訴訟を起こした場合、まず損害の要求金額に対して五%の印紙が必要になります。私の場合だと、慰謝料として二千万円、それから五大紙の広告、それがだいたい二千万円かかるらしいですけど、だから四千万円の損害賠償要求をすると印紙代が二十万円かかります。それから弁護費用、裁判に伴う交通費その他諸々の費用がかかり、訴えた方が実証責任を負うわけですから、そういうことをするとずいぶんお金がかかるわけですよね。その中で、こちらが勝ったとしても五十万か百万とかそんな金額にしかならない。過去の判例においても、最高が五百万なんです。裁判をやっても割が合わない。よっぽど、お金があって、暇がある人ならそんな裁判でもいいでしょうけど、普通の人にとっては、そのような報道被害を受けたときにはじっとしているのが一番楽な方法なんです。

私はそういうわけにはいかなかった。下手をすれば明日逮捕されるかもしれない状況の中で裁判をやらざるを得ない、警察に対しての牽制球を投げるという意味合いです。もともと、自分の持っているものは全部なくなると当時は考えていたわけです。それは例えば、七名亡くなって、その中で、その遺族の人たちが損害賠償でうちの財産を仮差し押さえに多分やってくるだろうなということです。言ってみれば、何もやってない人の財産を差し押さえられるならば、自分のためにやってくれた弁護士さんに対して、全部の財産を持っていってもらおうと考えたわけです。

 

中村:次の質問ですけど、九十七年九月にアトランタに行かれ、ジュエルさんに会われたときのことについてお伺いしたいんですけど、ジュエルさんに会った第一印象というものが月刊誌「潮」や「創」などに載っているのを見せていただきました。誠実な方だとか、いろいろと読ませてせていただいたんですけど、活字に出ていないエピソード的なものをお聞かせいただけますか。

 

河野:ジュエルさんは、礼儀正しい人でした。それは多分警察官であったから、そういう面が出ていたのかもしれませんが、エレベーターに乗るときはどうぞお先にといって、自分が一番最後に乗るとか、店に行っても、皆さんを通してから自分が、というように非常に気を使っていました。ですから、そういう意味で、とても優しい人だなと感じております。それから、彼と山の中にある渓流に行って、フライフィッシングをしましたが、彼の車の横に乗って二時間くらい走ったんですけど、運転がすごく上手です。それはパトカーに乗っていたという事だと思いますけど。高速で百五十キロぐらい出していたんですけど、手を放しているんです。車の特徴、特性をよくつかんでいるんです。あれだけのスピードで私なんか、手を放すこともできませんけど、平気で放しているんです。渓流の近くは、非常に道が細いわけですけど、かなりのスピードを出して運転していました。かなり運転がうまいんです。

それから、釣りは二時間くらいしかできなかったんですけど、CBSテレビの撮影目的もありまして、その時に一緒に釣りをしました。ジュエルさんは「どれくらいの魚を釣ったんだという話になると、話しているうちに釣った魚がだんだんと大きくなって、オーバーになっていくものだ」と、身振り、手振りでジョークを飛ばしていました。遊び心を持った人です。相当深く付き合えば、冗談ばっかりの人になるかもしれないですけど。それから、家族思いで、お母さんに対して非常に気を使っていました。そんな印象です。

 

中村:日本と米国の報道被害の似てる点、違う点を実際に話されて気付いた点は何ですか。

 

河野:アトランタの爆弾事件は、展開が非常に自分の場合と似ています。どちらも無差別なテロ事件です。私も彼も、第一発見者で第一通報者、それも一緒です。警察の方がリーク情報で、重要参考人という扱い、私は新聞によっては、二社くらい重要参考人という扱いをされましたが、実際は参考人なんです。いずれにしても、重要参考人と捜査当局が考えているというような警察からのリーク情報によって、マスコミが犯人視報道をした。マスコミは、落差を好みます。ですから、彼の場合、英雄が一転して爆弾犯というような落差です。私の場合は先先代が割と有名な植物学者だったんですけど、そういうような家から殺人犯が出るという落差をマスコミが書くわけです。疑惑の中で、彼も疑惑の補強記事がどんどん書かれていっています。メディアに出たがり、英雄になりたかったとか、彼は警察官だから爆弾を作れるという補強記事です。

私の場合は、フロンガスが押収されたとか、薬品会社に勤めていたから薬品の取り扱いになれているということ、いろんな薬品に関するライセンスがあるから、薬品の調合を趣味でやっていたという疑惑が補強されていく。そういう過程も似ています。そして、そういうことを書かれますと、ほとんどの人が彼も私もその事件の犯人であると思ってしまうわけです。そうすると、私や家族のもとに、そして、彼の家族のもとに、マスコミが集中する事で報道被害が起こります。彼の場合も、マスコミがアパートを借りて監視するという事態が発生しています。私の場合も、マスコミが家の前に椅子を持ち込んで道路を陣取るというような状況でした。結果的にマスコミが大勢集まると外にも行けない、それは精神的なプレッシャーで、なかなか家を出られない状況が続きます。ジュエルさんのお母さんは病院にも行けなかったと浅野先生のホームページに書いてありますけど、同じような状況です。私の場合は医者が門から入って来れないという状況でした。当時私は退院してから、往診という形で、病院から先生に来ていただいて、点滴治療を受けていました。ところが、門の周りにマスコミが大勢いるから、医者が入って来れない。結果的にどうするかというと裏に廻って、隣家からうちの塀に梯子を掛けて、梯子を伝って、医者と看護婦が入ってきた。そして私のところに往診して帰っていく、そんな報道被害が起こった。

それから、私も彼も、自分が潔白だと言う必要はないし、証明する必要もない。やはりマスコミが市民にいろんな影響与え、市民が反応してしまう。そういうために、潔白の宣言とかを記者会見を開かなければならない、そんなような立場に追い込まれていく。それは世間が推定有罪に動いていく。本来法律でいえば推定無罪という原則がありますが、世の中はそんな風に動いてないわけです。例えば自分がシロであるという主張をするのなら、あなたがシロであるという証明をしてくださいという動きになるわけです。私のところにもマスコミから、長野県民が持っている疑問という形で質問状が来ました。その内容は、例えば私が早い時期に、弁護士をお願いしているが、自分が被害者であれば弁護士に頼む必要はないのではないかという言い方をしてくる。弁護士にお願いしようがしまいが、こちらの勝手ですよね。そういうことはテレビ局がいうことではなく、マスコミが疑問と思ったことを県民という名前に変えて、説明しろという質問状が来るわけです。本来、自分の疑惑を自分で晴らす必要はないと思います。例えば、私が事件に関与していたという事であれば、警察側が私がクロである事を証明すればいいし、だから私がシロの証明をしないからと言って市民は私に社会的制裁を行う権利はないはずです。ところが、それが当たり前のように認められています。ジュエルさんに対してもそんな状況であったという事です。

それから、私たちが事件に関与していないと分かったときに、メディアは素直に謝罪していないんです。日本の報道の場合は警察が疑っていて、メディアはそれを報じただけだという言い方をしています。米国のメディアも同じ事を言っています。それは信じるに足る相当性があったという風に言っています。ただ、日米のメディアの違いというのは、米国の方が割と早期に和解しているメディアが何社かあります。日本の場合は訴訟を起こされて自分たちが、追い込まれて、逃げ場がない、そういうところまで行かないと謝罪はしないのではないかと思っています。

 

中村:同志社大学に、ジュエルさんと弁護士のワトソン・ブライアントさんが来られたときに、ブライアントさんが、日米の損害賠償裁判の実情に触れられ、日本は賠償金が最高でも五百万くらいで、それは低すぎてマスコミにすれば痛くもかゆくもない金額であり、もっと高くすれば、マスコミももっと人権に対して配慮するのではないかとおっしゃっていましたが、それについてはどう思いますか。

 

河野:低すぎるのは実感します。せめて訴訟にかかった経費ぐらいは認めてもらいたいです。例えば、民事訴訟をやったら足りないと思います。やはり、一千万、二千万はかかります。外国みたいに二十億、四十億という制裁的な賠償金額はどうかと思いますが、少なくとも、戦ったときにこちらがかかった経費ぐらいは相手が負ければ当然、出してもいいのではないかと思っています。ただ、とんでもなく高い賠償金は違和感を感じますけど。

 

玉木:河野さんは各地でいろいろな講演会をされてきましたが、この二年間の間で市民に変わった反応や姿勢は見られますか。

 

河野:テレビや新聞などのマスコミに、活字で書いてあるとそれは真実だとほとんどの人が思っているようですが、それが時として誤報もあるし、情報操作されたものもあると私は訴えていますが、話を聞いた人は認識が変わってきたと講演会で集めたアンケートのコメントを見て思います。

 

玉木:神戸で連続児童殺傷事件が起きましたが、その報道を見てどう思われましたか。

 

河野:まず、松本サリン事件と非常に似た部分があります。それは、マスコミが犯人探しをしている点です。犯人はこんな人だと、例えば、白い車だとか、黒いポリ袋を持った男だとかいろんな仮説が出ています。神戸の場合は容疑者が逮捕された後、その仮説はほったらかしになっているわけです。自分たちがあげた仮説は、実はこういう情報からだったとか、そういうフォローが何にもない。それは松本サリン事件ですと、北朝鮮スパイ説とか旧日本軍の毒ガス製造説とか、ひどいのは、私の一家自殺説とかいろいろ流れましたが、実際に違う展開になっても、仮説の説明は全くない。私はこれに対して、良くないと言っています。

それから、容疑者が逮捕されたというときに、テレビを見ていましたが、兵庫県警捜査一課長が「犯人を逮捕しました」と言っていました。警察の人は法律を守っていく立場の人ですが、言ってみれば犯人逮捕なんて法律を破っているようなもんです。刑法、刑事訴訟法では、推定無罪という原則がある中で、誰が犯人を決めたのかという事になります。あくまでも、容疑者として逮捕したという話になればいいのですが、犯人逮捕と一課長がコメントして、それをマスコミがそのまま流しています。だから、マスコミももっと勉強してもらわなければならないし、その後の報道は先ほども言ったように、推定有罪、容疑者が犯人だという前提の元に、識者がコメントをしている展開になっています。非常に良くないことです。

 

中村:最後になりますが、九七年を振り返って何か印象に残った事件、出来事などはありますか。

 

河野:やはりダイアナさんが亡くなったのが印象的でした。

 

中村:パパラッチについては。

 

河野:パパラッチは写真を撮ることによってお金になるからやっているんです。パパラッチが一方的に悪いような言い方をしても、その写真を使う元があります。むしろ、その方を責めるべきだと思います。例えば、とんでもない価格で売れるから、パパラッチが出てきます。それは、一概に責めるべきでないと思います。やはり、新聞社や雑誌社がもっと良識を持ってというか、そういう中で記事を配信すればいいのですが、ただ売れるからという理由で、コマーシャリズムで、ペイできるかどうかという事でやるのなら、本来の報道の道から外れていると思います。

 

中村:他に何かありますか。

 

河野:やはり、神戸事件とその二つが特に印象に残っています。

 

玉木:昨日(十二月十九日)河野さんのお宅に麻原被告の国選弁護団が伺ったと先生からお聞きしたんですけど、どのようなお話をされたんですか。

 

河野:昨日は、一二名の弁護団全員が来るという話だったんですが、緊急に用事ができて二班に分かれて動いたようです。うちに来たのは渡辺修弁護団団長他六名、計七名の方が来ました。午前八時半から一〇時までいました。どんな話をしたかというと、検面調書や員面調書をコピーでもらい、そういう中の事実関係の確認をしました。それはほとんど調書の通りでした。それから、彼らが来たのは、現場を見て、書面だけでなく、体で事件を認識したいという部分があり、七月四日に私の友人が鑑識の人と一緒に写真を撮ったのですが、六〇枚か七〇枚の写真があり、その中で植物の枯れた状態とか、新聞社からもらった航空写真で、現場の位置関係を、歩くよりは割と歴然と見えるので、ここでこういう風にガスが流れて、亡くなった人はここのビルにいたという、現場の当時の周辺状況を写真を使って説明しました。また、我が家の状況、犬小屋がどこにあったとか、庭がここにあって、例えばサリンが南から流れたときに、エアコンのダクトから、こういう風に入ってきたという現場の説明をしました。それから家宅捜査の際の押収品の目録がほしいということで、そのコピーも渡しています。

 

浅野:調書というのは河野さんの被害者調書ですか。

 

河野:そうです。家族全員です。警察は書きっぱなしで私に調書を見せてくれないですから。警察が調書を書いたときは自分で内容を確認しながらサインしていますけど。一年も経てば記憶はぼけてきます。警察から弁護側に行っていますが、それをコピーしてもらったんです。裁判ということで、非常にシビアにしなければならないのに、当時の記憶だけでいうのは、あまりにも無責任になるからそれはできないと言うと、向こうから調書のコピーが来たので事実関係の再確認をしたということです。彼らに言ったことは、私は検察側にも弁護側にもつくわけでもないということです。本来なら弁護側になるかもしれないんですけど、事実をきちっと押さえてもらって、事実に迫ってもらいたいと言いました。ですから、検察側、弁護側に言う内容も一緒です。

 

浅野:証人の依頼はどこからあったのですか。

 

河野:それは検察からの証人依頼ということで三月四日か二〇日に開かれる、松本サリン事件の法廷で、検察側の証人として出ることになると思います。どちらの証人でもいいんです。あったことはあったこととして伝えるだけですから。

 

中村:私たちからの質問は以上です。どうもありがとうございました。

 

玉木:それでは続いて、河野さんと学生の意見交換をしたいと思います。河野さんは講演会という形式ではなく、学生と意見を交換したいとのことなので、何かあればどうぞお願いします。

 

園田:一回生の園田です。今までお話ししてこられた報道被害からはちょっとそれてしまうと思うんですけど、河野さんは事件が起こる前までは普通の会社員として働いていたと思いますが、今日はこのように土曜日に来られていますよね。今は、普通に働いて、こうやって土曜日とか日曜日に講演しているんですか。

 

河野:普通のと言うか、ちょっと不真面目な会社員ぐらいかな。時々さぼったりなんかしてますけど。生活パターンは変わっていませんが、土日にこういうことが増えて、今は土日に休むことがほとんどないです。あと、仕事が終わってから、妻のところに行っていろいろな介護をしていますから、帰るのがだいたい八時か九時頃です。それ以外は、仕事の内容も会社も全く変わっていません。事件前と事件後と普通です。

 

園田:こういう事件がなかったら考えもしなかったことを、事件を通して、例えば報道被害などの問題に取り組んでいかなければならないとか、自分からアクションを起こしていかなければならないと思うことが増えたと思います。ふだんの生活で、事件の後の新聞を読まなくなったとか、テレビのニュースにしても前までは普通に感じていたことが違うんじゃないかと思うようになったとか、事件後に見方が変わったことはありますか。

 

河野:活字、電波などから出てきたものは、事件前は事実であると思っていましたし、疑ってもいませんでした。それが例えば、新聞の事件報道で見た場合ニュースソースをぼかしている曖昧な記事があります。そういうものは少なくともそういう情報があったということにとどまって、それが事実であるかどうかは百%信用していません。だから、犯罪報道で、どこどこの県警が記者会見において、公式に発表したというのなら、ある程度信用しますけど。誰が言ったのか分からない記事は信用していないです。違うかもしれない、そうかもしれないと、嘘だという取り方はしていませんが、どっちか分からないというところでとどめています。

 それから、事件前は少なくとも冤罪とか報道被害は関係ない世界でしたが、ああいう事件に遭うと、誰の身にもいきなり降りかかってくる。身近なものです。今やはり、いろいろなところから手紙やファックスが来ます。ある意味で相談所みたいな状況になっていまして。その中でも深刻だなというものはすぐ返事を書いたり、送ったりしています。以前までは自分の領域とは関係ないといったものが実はそうでなかったと分かって、それに対して他の人にも明日は我が身だという事を伝えているわけです。やはり、犯罪報道では記者がずいぶんなことを書いても、それほど加害者意識はないんです。民事を起こしても、刑事告訴をしても、結局、報道被害者は割に合わないので起こさないケースが多いんです。すると、新聞社の人は裁判がないから報道被害は少ないと思っているようなケースもある。けれど実際は裁判をやっても合わないから、起こしてない。もっと割に合うようになればもっと裁判が増えるのではないかと思っています。

 

越田:二回生の越田です。今、被疑者のプライバシーが問題になっていますけど、その一方で東電のOLが殺害されたとか神戸の殺人事件でも、被害者は顔とか名前とか出すのに被疑者はなぜ出さないということで逆に被害者のプライバシーも問題になってくると思いますが、それについて何か思うことがあればお聞きしたい。

 

河野:被害者と被疑者とはあえて分ける必要はないと思います。なぜ分けなければいけないのかなと。それぐらいプライバシーというものは守られるべきものであって、例えば、被疑者といっても、犯人というわけではないわけです。あくまでも疑いがあるという人ですから。だから、被疑者になったから、プライバシーを侵害していいというのであれば、被害者だって同じことが言えると思います。私は分ける必要はないと思います。被害者はすぐに住所とか全部載りますが、あれだって載せてほしくない人がいると思います。例えば、火事になって死んじゃったという場合に、ある人と不倫関係になってホテルに泊まっている場合は載せてほしくないでしょうが、新聞社の人は一切関係なしに火事があって亡くなったということを、住所や名前を出して報道します。なぜ、亡くなった人が同じ部屋にいたんだという話になるとだんだんプライバシーの侵害に進んで行くわけですよね。だからそういう人たちは多分、被害者といえども名前は載せてほしくないでしょう。そういうケースだってあることを考えていかなければならないだろうと思います。

 

浅野:昨日のインドネシアの事故機だってそうですよね。夜中になって日本人の名前が分かったと伝えていましたが、遺族にまだ連絡していないと思います。

 

河野:いろいろなケースが想定されます。だから、場合によっては本当に載せてほしくない人もいますよね。

 

浅野:インドネシア機の事故も、特にインドネシアだから、知っている人かなと見てしまうんです。そういう便利さもあると思いますが、亡くなっている可能性が高いわけもあり、不都合があっても、文句の言いようもない。

 

河野:松本サリン事件では、被害者の時にフルネームで載りました。うちの家族全員が被害者で、病院に収容されたということで。その後イコール加害者という感じになって、特定できますよね。四四歳会社員、○○一丁目で共立病院に入院している人は僕しかいないんです。匿名報道といったって、住所なんて全部分かりますし、次の日なんて加害者みたいな書き方をされて、会社員四四歳と書かれたら、調べれば四四歳の人なんて僕しかいないとすぐ分かります。するとこいつかということになるんです。それでも匿名だと言うんです。松本サリンの場合は各紙バラバラだったんです。産経、中日、東京新聞は住所から全部、実名で出していますが、朝日や信濃毎日や読売は匿名だと言ってくるけど、特定しやすい書き方をしています。全く意味がないです。やはり、業界で統一しなければ匿名の意味はないわけです。信濃毎日は「河野」という表札を撮って出しているんです。それでも匿名だと言っています。

 

合田:三回生の合田と言います。全国に報道被害に遭った人はいっぱいいると思うんですけど、大体が闇に葬り去られて何ヶ月も経ったら忘れられてしまうという感じですけど、河野さんは自分自身で精力的に活動されて、全国で講演会を開いていらしてすごいなと思います。それで各地の報道被害に遭った人が勇気づけられるんじゃないかなと思うんですが、河野さんにしかできないこと、河野さんだからできることというのがたくさんあると思いますが、いろいろな方々から寄せられた意見でこういうことを河野さんにしてもらいたいとか、また河野さん自身これからこういったことをしたいということがあればぜひ聞かせてください。

 

河野:報道被害はほとんどつぶされて終わりという状況です。それはなぜかと言えば、今の日本で報道被害に遭った場合、闘う方法としては裁判しかないわけです。裁判ではたとえ自分が勝ったとしても、採算が合わないのが現状で、そうなると、よほど経済的に余裕があり、時間的に余裕がある人ならできるかもしれませんが、一般の人は一千万から二千万を自分の名誉のために出せるかというと、なかなか難しいです。そうするとメディアと市民の闘う土俵が違います。資金的にも、メディアにとって一千万、二千万はゴミみたいな金額ですが、一般市民にとっては大部分の財産を投げうって喧嘩するという土俵の違いがあります。土俵の落差をなくすためには何が必要かというと、お金をかけずに相談にのってくれる場所が絶対必要になってきます。それが浅野教授が提唱しているプレスオンブズマンであり、報道評議会です。そういうものがないと闘えません。いくら文句を言っても、聞く耳を持たないというか、メディアは文句があるなら裁判でやれと言い、一般市民は裁判をやっても費用がかかるから尻込みをしてしまう状態です。そういうものを同じ土俵で、お互い言い分があるのなら言い合えるような組織が必要です。そういう必要性を訴えながら、作っていこうじゃないかと訴えています。

 

久田:二回生の久田です。浅野教授の授業を受けて、客観報道原則について初めて聞いたんですが、起こった事件だけを伝えて、例えば会社員何歳とかそういうことだけで客観的に徹するべきだという意見ももちろんだと思いますが、事件の社会における役割を解明して社会にどんな問題があるかをあばかねばならないという意見も賛成できます。神戸事件で、事件背景という名目で少年の子供時代の話とか、精神科に何回かかったかとか、つっこんでやりすぎだと思うところもありましたが、その線引きについてはどう思われますか。

 

河野:神戸事件の背景ということで、識者のコメントが出ているが、彼がやったという前提になっている。いつの時点で彼がやったと分かるかということです。はじめから彼がやったということでずっと論議しているが、それは空論みたいな感じです。ある時期に処分が決まったが、その前から逮捕されたら、その子がやったとか、その子はどんな子だったとか、まさに私の場合と同じです。私は逮捕されていませんし、表向きは被害者で、被疑者という言い方は警察がしていませんが、被害者と言われながら、リークでこいつがやった、逮捕間近という情報を警察が流していました。私の少年時代はどうかということで中学、高校の同級生や先生のところに行き、中学時代というと一五歳だが、その三〇年前の自分がどういう子だといっても、事件の背景に迫れるかというとそうでははないと思います。それは犯罪報道のおきまりパターンです。読者に何が受けるかということで取材したとしか思っていません。

 

浅野:二つ分けなければいけないのは、どの段階でそうするかということです。今のメディアは捜査段階で集中的にやっています。河野さんの背景を探れば探るほど、真実から遠ざかっています。松本サリン事件をオウムが実際にやったのだとすれば。もしオウムがやっていなければまた、真実から一つ遠ざかっていきますけど、オウムがやったことだと確信できる段階で背景を探るべきです。医学で言えば、症例研究ということになります。どうしてこの病気になったのか、どういう生活をしていたのか、実際どんなことが原因となっているのか、それはなかなか簡単には分かりません。まず、病気を診断してその上で、治療していきます。ですから、事件では誰が犯人なのかまず診断しなければおかしいことになります。神戸事件では、父親の会社の名前とかどんな容姿とか関係ないと思います。名前は全くいりませんし、三十代のサラリーマンだとか、どこの銀行だとか、商社だとか特定する必要はありません。今の実名主義者は、名前や写真、住所がないと事件の背景は分からないと言いますが、名前や住所が分かったことによって、背景が分かったと思っているだけで、神戸じゃなくても良かったし、横浜だったかもしれないということです。そういう意味で社会をとらえればいいのであって、個人の特質に目をあてればあてるほど、本当の意味の背景から離れていくと思います。小学生の時、暗い子だったとか、そういうと分かったように思えるが、小学生の時、本当に暗かった子が人を殺す要素があるのかというのは別問題です。

 

河野:例えば、小学生の時悪ガキだった子が、どこかの社長になって成功しているとか、そういうケースがずいぶんあります。だから、たまたま犯罪を犯した人が、小学生の時に悪ガキだったから、犯罪を犯してもしょうがないと言うかもしれないが、実際に悪さをしていた人が実業界でしっかりしたお仕事をずいぶんやっているのを知っています。私も、小、中学校とずいぶん悪さをしていましたが、当時悪かったから、今悪いと言うことにはならないと思います。それは報道の中でどうやったら読者に受けるかということで、小学生の時こうだったから、今こうだと言った方がわかりやすいかもしれませんが、背景に迫ることだと思いません。

 

浅野:神戸の場合、「フォーカス」が顔写真を出して、インターネットでも実名が流れたが、そうすると、ますますそういう傾向になっていきます。もし彼が犯人だとすれば、まず本人が心を開くことです。両親や友人など、一番身近な人に心を開くことが大切です。本人が一番自分をよく知っています。少年の人格を全部踏みにじった後、真相に迫ってもらいたいといっても、被害者や加害者もみんな傷ついて、地域のコミュニティも崩壊しているような感じになっていますよね。そういう状態に追い込んでいるのは報道です。オウムもそうです。これから真相解明が必要なのに、例えば、あの宗教はどうやって生まれたのか、教義の問題、麻原氏個人の資質なのかということを調査報道していかなければならないのです。十年二十年かかってもやるべきです。今のジャーナリズムがやっていることは、愛犬家殺人事件やつくば母子殺人事件とかそういう現象面だけを一生懸命になって報じているんです。でも、過去の事件は、みんな忘れて次々新しいものに流れていっています。本来やるべきことがあるのに、瞬間湯沸かし型のジャーナリズムになっています。

 

河野:なかなか追い続けないですよね。

 

浅野:松本サリン事件もみんな忘れていきます。ただ、松本サリン事件については河野さんがずっと真相はまだ分かってないじゃないかと言われているから、まだ残っていますけど、普通だったら「麻原が悪い」でおしまいとなりますよね。神戸事件だって、誰が責任をとるか考えようとする人がいたら。山下彩香さんの母親はそういう視点がありますよね。河野さんに教えられたんじゃないかと思いますけど。母親の「A少年も包み込んであげたい」という視点があれば、ちょっと変わってくると思います。加害者は社会のゴミだという発想ではそういう視点は出てきません。

 

河野:松本サリン事件は九八年三月にやっと被害者の証人尋問です。何があったか、どういう経験をしたかを初めて法廷の場で話します。まだ実際にはそんな段階です。だけど、はるか昔の事件で、もう全部解決しているという感じです。やっと被害者が初めて、被害の状況を証言するんです。

 

中西:龍谷大学文学部三回生の中西です。僕はマスコミ志望で就職活動を始めようと思っているんですけど。報道被害の最大の問題点は新人記者のサツ回り制度だと思います。それが警察の情報を鵜呑みにするような体質を作っていると思います。これについてはどう思いますか。

 

河野:サツ回りは一番シビアにやらねばならないところです。本来はベテランがやるべき分野ですよね。そうでないとミスをしたときに報道被害者のダメージが大きすぎます。警察の肩を借りて勉強をしてこいという状況だが、そうであってほしくないですよね。場合によっては人権侵害を起こしたり、報道された人を自殺に追い込むことになるのですから。それを学校を出たばかりの何も分からないような人にやって来いという姿勢はおかしいです。

 

中西:河野さんが取材された当時はどんな記者が来ていたのですか。

 

河野:あのときは支局の記者の他に本社社会部記者とか中堅層です。手紙とかで取材依頼が来ました。東京からの応援部隊ですね。今のシステムは若い記者の感性をつぶしている気がします。キャップやデスクに方向付けられて、自分の感性で書いた記事がないような気がします。若い記者と話していてもそう感じます。サツ回りは、警察の上を行くぐらいのベテランにやってほしいです。記者の人が駆け引きの中でちゃんと読めるような人材登用が必要ですね。

 

浅野:外国ではサツ回りと呼ばないで、司法担当記者といいます。刑事政策とかそういう意味でトータルな呼び方です。

 

学生:ジュエルさんの話を聞いたときは、テレビも新聞も読まないとおっしゃっていて、そういう意味で完全に離れたいと思っている感じがしたんです。だけど、今話を聞いたときはすごく寛容というか、マスコミに対して、サツ回りにしてももっと上の立場の人がやったらいいとかいうのは事件の後からすぐにそう感じられたものなのですか。

 

河野:事件の時は逮捕という最大の問題がありました。別件逮捕にしても、何にしても、長野県警はもう逮捕をねらっていたわけです。とにかく身柄を拘束して長いことたたけば河野は自白するというふうに考えていたようです。その時のマスコミの役割というのは、一つは世論を変えていかなければならないというのがあったわけです。それはだから、警察もマスコミも世論を無視することはできません。マスコミを使って、世の中の人の考えを中立に戻していきたいということを考えたわけです。特に、警察よりの新聞、当時でいうと読売新聞なんですが、そこを中立に戻していこうと考えました。ただもう駆け引きの世界です。それは逮捕を阻止するというか、世の中の人に中立な意見を持ってもらわないと、あんな奴いつまで放っとくんだという市民から警察にどんどん電話がかかってきたときは、警察というのは動かざるを得なくなるんですよね。私はそういう流れを阻止するために、警察よりの新聞からの取材に応じて事実はこうなんだ、自分で分かっているのはこういうことなんだと全部さらけ出して、そういうものを記事にして黒だとか灰色だとかの方によっていたものを中立に戻す作業をしていたわけです。

それからテレビでもそうです。心情的に騒いで俺はやっていないと騒いだところで、世間の人は言い訳にしか聞いてくれないです。そうすると何をしなければならないかというと、科学的に客観的に実はこうだ、うちで押収された薬品はこうだと、こういうものでサリンが作れるかどうかというものを、大学の化学専攻の教授を交えてコメントを出してもらい、これはできませんとかを積み上げてもらう、そういう作業の時にマスコミを使ったわけですね。

 そういう中で、いろいろな記者にお会いしているんですけど、一人一人の記者は悪い人はいないんですよね。悪意を持ってこいつをおとしめてやろうとか思っている人は一人もいないんです。ですから、彼らも普通の人間なんです。マスコミという組織の中で、例えば編集方針とか方向性がありますよね。その中でああいう報道になってしまったと思っている。ですから特に記事を書いている記者に悪意があるとは全く感じていないんです。言ってみれば、ここにいる人たちと同じ扱いです。ですからマスコミ憎しではなく、こういう部分は違うじゃないかと、直してほしいという形で話をしているわけです。

 

学生:河野さんはマスコミと市民は土俵が違う、だからプレスオンブズマンや報道評議会の必要だと訴えていますが、今もし僕が被害に遭ったとして、その制度を利用しようとしたら、しっかり機能してくれるものなのか、今の段階では提唱している段階だから泣き寝入りするしかないのかなとか、それとも何年後にできるという見通しはどんなものなのですか。

 

河野:冤罪の問題は今、日弁連の人権擁護委員会とかが受け付けています。ただ日弁連と言えども、方向性というか世の中の風で動いているような感じですよね。日弁連の人とお話ししたんですけど。国民の風がこっちから吹いていれば、日弁連が、という感じで逆がなかなかない。例えば当時、松本サリン事件で河野が犯人だと思うというときに、日弁連の人権擁護委員会があの報道はおかしいとか、あんな捜査令状を出した裁判官はおかしいとかいうことを言っている人は一人もいないんですよね。それはやはり、世の中の風というか、言ってみれば自分たちが安全な足場を確保していないとものが言えない、それは本当にそうで、マスコミもそうですよね。そうあってほしくないですけど。自分がおかしいと感じたらおかしいとちゃんと言える記者であって、それが通る職場を作ってくださいと言っているわけです。ただ、多くの人がこんなところでこんな意見を言ったらまずいなとか考えてしまうわけです。それは信州大学の加藤教授は、押収された薬品ではサリンが百%できない、それは百%分かっていると言うんです。ところが、すごく歯切れが悪い。それは警察がすごく自信を持っているからで、隠し玉があるんじゃないかと考えてしまうんです。そして、これは河野さんじゃないと言ったときに隠し玉がぽんと出て、振り返ったときに自分の立場がなくなると。化学者でさえも何というか、足場や安全を考えてしまうわけです。だから、純粋にマスメディアならマスメディアが、これはおかしいとちゃんと言える環境を作っていかないとダメですね。

 

学生:実際はどこまで進んでいるのでしょうか。

 

河野:ですから、今は新聞労連が「新聞人の良心宣言」というのを作ったんですが、これは何かといえば、要は倫理綱領、良品規格みたいなものです。今までの新聞ですと、これは悪いという判断を各社がしています。読売新聞が、これはここまで許されるということが朝日新聞ではそれは許されないというように、バラバラでした。良品規格というものがバラバラになっていたわけです。それを新聞労連が統一しようと、報道倫理綱領を作ったわけです。綱領を作ったら、それが守られているか監視するのが報道評議会です。それを九十八年早々に設置しようとしているんですか、朝日新聞では一月に作るという報道があったんですけど、ちょっともめていると、今はその段階です。けれど、皆さん意識はありますよね。

 

浅野:一月からやるということを、執行部が決めたが、一部組合にまだ、十分議論もしていないのにやるのはどうかという批判が結構あるんです。もっと、慎重にとか、編集権の問題があるとか言われていますが、それについてはどう思いますか。

 

河野:いろいろ言われたくない、昔の方式でやっていった方が楽だということでしょう。だけど、それはいつか自分の所に降りかかってきますよ。もう新聞いらないって。ジュエルさんみたいに新聞、ニュースは不要だとか、信じないという人がいたら、いくら自分たちが立派なことを言って立派なものを出しても、もういらないと市民が判断したら、存続できなくなります。新聞をとらなければ、業界はなくなる。信用できないから新聞取りませんという人が増えたらね。自分たちの理論で存続できませんから。いくらそういうものをしようがしまいが市民が判断するわけですから、不要なものはなくなっていくはずです。本当に自分たちが、読者に有益な情報を提供し続けなければ、ある時期になくなっていくでしょうし、インターネットで検索して、ほしい情報だけ取るからいらないというようになっていきますよね。皆明日があると信じているんです。でも保証は何もないです。突然サリンを撒かれるようなものです。新聞もそうで、明日も読んでくれると思っているだけで、それは分かりません。

 私は工業関係で、品質管理課という部門に行っているんです。今の前の職場は半導体を作る機械を売っていたんです。本当に一個八〇円ぐらいの商品、新聞と同じような値段ですね、そのたかだか八〇円の製品だけど、外観、寸法とか高さとか、サイドとか、あらゆるものできちっと管理されているんです。不良品を見つけるために、半導体だとマイナス五〇度からプラス五〇度まで瞬間的に温度を与えたりとか、圧力をかけて不良を出すとか、世の中に出すためにあらゆる試験をして、不良を出すという取り組みをしている。八〇円の商品に二〇項目ぐらいの試験をして世の中に出しているわけです。そういうところを見ていると新聞て一体何だという感じがするわけです。新聞そのものを工業的に見るとペーパーの大きさが寸法通りになっているかとか、黒い字というものが何ミクロンで載っているとか、外観的なものと、後は記事の内容というのものと、それはコンピューターで言うと、ちゃんと機能するかどうかということですが、きちっとできているかどうかをチェックしなければいけないわけです。それが、ノーチェックみたいな感じなんです。デスクがいいと言ったらいいじゃないかみたいな感じで通ってしまうでしょ。だから、瞬間湯沸かし型と言っているんです。

 

学生:そういえば、河野さんは前回、報道と闘うために、戦法を考えているとおっしゃっていたような気がしましたが。

 

河野:それはだから要因解決ということです。例えば、問題点は何があるか、当時の場合は逮捕が一番頭にあったわけです。逮捕するためには、要因として何があるか、警察があり、マスコミがあり、市民があるわけです。この大きな三つの要素が出てきます。で、警察はどういったときに逮捕するかというと、ネタが出てきたときです。証拠があるか、物的証拠や状況証拠などで、何があるか、押収薬品とか危ない薬品がどうかということです。それを一つずつ潰していって、それからガスができるのかどうか調べて、本当に私が購入したのかしていないのかから始まって、本当に当時はわからないというか、覚えが無くて、今もわからないんですが、しょうがないから、東大の森教授の所へ持っていって、これで毒ガスができるのか、できないのかとやってもらって、それで、ガスが出ないことが分かって、要因が一つ消えるわけですよね。そうやって、危ないものを一つずつ消していったんです。それは逮捕を阻止するためです。だから、逮捕に関係する項目をどんどん挙げていって潰していくというやり方でした。工業界では同じことをやっているんですね。ある不良が出た、その原因は何だと、何が問題なのか、人か、設計かといろいろな要因を潰していくのと全く同じです。

 

八木:英文科三回生の八木です。松本サリン事件とか、神戸事件にしても、最初の犯人像が違った情報で流れていますよね。神戸事件だと、四〇代の男とか。後から考えてみれば根拠の無かった情報というのが流れていても、分かってからマスコミのちゃんとした説明がなされていないかと、いかに自分が流した情報に責任を持っていないなと思っています。そういうことに対して、河野さんがいろいろな講演会を開いて、意見を言われるのはマスコミの状態に対して必要だと感じるんですけど、今の、無責任というわけではないけど、そういう感じの情報が流れていることに対して、河野さんみたいに講演会で意見を言うこと以外にどういったことをしていけば状況は改善されるとお考えですか。

 

河野:それは、新聞やテレビでもそうですが、視聴者、読者の手紙や電話の意見や抗議が重なるとずいぶんこたえるみたいです。テレビ局では、例えば一つの番組で一〇通を越える抗議の手紙が来たら、ずいぶん考えて、会議なんかをやるみたいです。だから、おかしいと思ったときに、おかしいと言えるかどうかだと思うんです。それをそのまま放っておくと、テレビ局や新聞社は何も苦情がないんだ、それでいいんだと判断するんです。ところが、何通かの意見だけでもずいぶん効くみたいです。だから、皆さんがおかしいと感じたときは、手紙でも電話でも、いいんです、そういう窓口に意見をするということが大事じゃないかと思っています。一〇通手紙が来るだけでもおたおたするらしいです。

 

園田:今おっしゃっていたようにテレビはどうか分からないですけど、私たちが電話だったんですけど、新聞社に実際言ったときは、学生が一人何か言っているんだろう、社会正義のためにハイハイ、分かりましたみたいな対応だったんですね。

 

河野:だから、電話のこっちとあっちは違うんですよ。

 

園田:で、その後にみんなで相談して、書面で質問状みたいな形でひょっとしたらできないことでも、やることに意味があると・・・・。

 

河野:意味ありますよ。ただ、こんな電話が来たということが事実として残るし、それが抗議であったらまずいなと思ったときに、また二つ三つ来たら考えますよ。それは、私も会社員ですけど、お客さんから、営業やってるけど、顔を見たことがないとか、苦情の電話が来れば大変なことになります。

 

坂田:法学研究科の坂田です。まず、僕は法学を研究しているので、違う視点からお話ししたいと思っています。ジュエルさんや河野さんのお話を聞いて、二人の共通点というか、非常に大切な点は逮捕前、あるいは起訴前の弁護だと思います。ジュエルさんの場合は、米国ということで起訴前、あるいは逮捕中、取調中の弁護確保というものが非常に国民に浸透していますが、日本の場合は起訴されて初めて弁護士が付き、重要参考人の時点では弁護士がなかなか付きにくいのが現状だと思います。河野さんと弁護士のやりとりとか、どういうプロセスで弁護士の方に依頼し、どういうスタンスで弁護士とやり合ったのかその辺をお聞かせ願いますか。

 

河野:私の場合は、事件が起こって二日ぐらいしたときに、うちの長男から私のことを殺人者扱いしているテレビ報道があると聞きました。そのテレビをビデオに収めたということでした。それからもう一つは近くの教会の牧師の妻の方から、今回の事件を、警察が河野の重過失致死で片づけようとしているという情報が入って、弁護士さんをお願いした方がいいですよという手紙をいただいて、その中に山根さんという名前の弁護士さんの名前と電話番号が書いてあったわけです。私は、世間がそんな風に動いているんだと分かって、決定的には子供からの話で殺人者扱いされているとことが分かり、決心したわけです。それで、ビデオがあるなら、証拠があるんだから訴訟を起こすと、弁護士を付けたいと友人に頼みました。友人の方もいろいろな新聞を読んでいて、当然これは刑事弁護と考えていたわけです。それで友人の知り合いで永田恒治弁護士さんがいて、その方がいいだろうと友人は考えたようです。永田弁護士さんは刑事専門ではないですけど、大きな事件であり、司法試験に通ったばかりの若い弁護士さんだと世の中から潰されてしまうということがありました。それから、腕はいいけど、忙しすぎる弁護士さん、これは本人が見てくれないだろうということもあり、度胸があり、そこそこ時間がとれる弁護士さんをと。そういう弁護士さんですと、専任で見てくれますし、永田弁護士さんを選択して依頼しました。永田弁護士さんも当時、マスコミの民事訴訟の弁護なんて考えていないわけですよね。もう当然刑事弁護だと考えていたようで、家族や友人、他の弁護士からさんざんやめとけと言われたらしいです。というのは悪い奴の弁護をするのは悪い弁護士という感じで、だから、七人も殺した悪い奴の弁護をするのは社会的にもバッシングを受けるからやめとけといわれたようです。ただ、永田氏は、社会問題に取り組んでいる弁護士で、例えば車のスパイクタイヤの問題を廃止まで持っていたのは彼なんです。今回は、「被疑者不詳の殺人事件」ということで捜査令状が出ましたが、それがいい加減で許せないということで弁護を受けてくれました。

一番決定的なのは、七月一五日に国際基督教大学の田坂先生という科学のプロがNHKでサリンの解説をやったんですが、彼を呼ぶことができました。その時に河野さんがやったんじゃないとおっしゃってくれて、永田さんも冤罪ということで自信を持って動いてくれました。それまでは、半信半疑です。当初はマスコミを訴えようとしていましたが、一番初めに会ったときに、永田さんは薬品の調合をしましたかと質問するんです。永田さんは私と面識がなく、私がどういう人間か知らなかったわけですから、私の友人にも、大丈夫かと聞いていたらしいです。私も当初は民事と考えていましたから、入院中の私と永田さんの意見は全く合っていなかったです。永田さんは警察は犯人を作るところだと言いましたが、私はそんなことはないと、市民の生命、財産を守るところだと、かみ合いませんでした。私が退院して、警察の事情聴取を受けて、二日目に、自白強要を受けるわけです。おまえがやったんだろう、正直に言え、と。それでやっと、永田さんの言っていることが分かり、それから、逮捕に備えての戦いが始まるわけです。やはり、あのときに逮捕されれば、起訴前ですよね、サリンの後遺症で体がぼろぼろですから下手すれば私やりましたと言うかもしれませんね。警察はそういう風に追い込むノウハウを持っているようです。ですから、その前に弁護するのは大事なことですね。当番弁護士を支援する会とか各地で発足していますが、私もそこでお話もしています。まさに、冤罪は逮捕から起訴の間で作られるというのが実感です。

 

学生:貴重なお話ありがとうございます。実は私、スポーツ新聞社に内定していまして胸を締め付けられる思いで話を聞いていました。と言うのも、スポーツ新聞の社会面は、コマーシャリズムの問題にあふれていると思うからです。けれど、これからは、自分も含めて、記者がスポーツ新聞で何かできることがあれば・・・期待はないと思うんですけど、何かあればお願いします。

 

河野:一般紙もスポーツ新聞も一緒なんです。例えば、TBSのある方は、かねて「スペースJ」と言う番組を持っていまして、それでいろいろやっている中でマスコミが嫌になったと言っていましてね、TBS問題が起こる一年ぐらい前に会社を辞めるという話を聞いていたんですよね。そういうときに、TBSビデオ問題が起こりましたが、やめるのなら、視点を変えて米国でも二年ぐらい行ってみて、それでも嫌ならやめたらいいじゃないかと言ったんですよね。それから米国に行ったわけですけど。それで、スポーツ新聞は、S記者は米国へ逃げたと書いたわけです。それをどこで聞いたかというと、新聞に書いてあったと。伝聞でいくときは一般紙、スポーツ紙、と言わないわけです。新聞が書いたという感じです。だんだん情報が伝わっていくときに、一般紙で見た、スポーツ紙で見たという言い方はしませんよね。そういう意味で言うと、スポーツ紙だから、いい加減なものを書いて許されるわけじゃないです。同じです。読む方がいくらか違うだけで、伝えるものはきちんと伝えないといけないと、Sさんと話をしていました。だから、一般紙とスポーツ紙と分けることないですよ。私も、スポーツ紙に書かれたことがありますけど、びっくりするぐらい社会面にどんとでますよね。でもそれは、事実関係が違っていいということじゃないです。ただ、表現が、ドラマチックになったり、活字が大きくなったりするかもしれないけれど、内容は同じレベルであるべきだと思っています。スポーツ新聞の謝罪と言っても、私の知らないところで記事が書かれて、その記事を私は知らないわけですから。

 

浅野:河野さんはスポーツ新聞はあまり、嫌いじゃないですよね。

 

河野:あまり、読まないです。図書館にあるんですか。それで、謝罪した、しないと言ってもその記事の内容を知らないし、謝罪したことも知らない。それは共同通信の配信した記事であって、共同はどんなところへ配信したのかと抗議をして、こんな新聞社があって、こんな謝罪記事を載せたのかと、何か変な感じですよ。警察だって、私が知らないところで、長野県議会で私に悪いことをしたと謝っているけど、本人は知らない。謝罪というのは本人に向かって、謝るのが謝罪じゃないかと私は思うんですけど。国会とか県議会で、申し訳ないことをしたと謝っても、それを聞いていれば、謝ったんだなと私は知ることができるけど、聞いていなければ、いつの間にか謝られて、そういう事実があったことすら知らないのが現状です。

 

浅野:河野さん明日は、園部町で講演会ということですが、町長が自民党の野中広務幹事長代理の弟さんです。野中氏は自治省の国家公安委員長の時に、一政治家という立場で、河野さんに対する不当な捜査について謝罪しました。

 

河野:ええ、明日は野中広務さんをほめ殺ししようかと思いまして。冗談ですけど。明日はテレビが入って、園部町で流れるみたいです。彼はちょっと珍しいタイプの政治家ですよね。国家公安委員長が、どこの会社員かも分からないような人と会うなんて。普通会いますか。私の場合、そういう意味であの人に救われた部分がありますね。

 

一同:河野さん、今日は長い間どうもありがとうございました。

 

追記

浅野健一

河野さんは、三回、四回、東京地裁で開かれた新実智光被告の公判で証言した。新実被告は松本サリン事件の実行犯として起訴されており、被告側が被害者調書の証拠採用に同意しないために河野さんに証言を求めた。河野さんは証言では、事件の経過を淡々と述べたという。河野さんはテロ事件の被害者を国が救済する制度をつくるように訴え、事件の真相解明を求めた。

この日の公判には普段より倍の傍聴希望者が並び、七倍の倍率になった。人権と報道・連絡会の山際永久さんら13人は全員が外れて傍聴できなかった。並んだ人たちのほとんどがマスメディアのアルバイトで、メディアは一般市民の傍聴の自由まで侵害している。

河野さんは証言後の記者会見で、浅野ゼミで語った内容とほぼ同じ主張を表明した。「サリン事件の加害者の刑罰について特に言うことはない、警察とメディアは私たちの家族の生活を破壊しようとした。加害者だけに関する思いはない。重体の妻を支えて、妻に支えられている。妻は反応を示すようになった」。

河野さんの主張をテレビはほとんど伝えなかった。関西の新聞も同じだ。東京の各紙は記者会見の内容も伝えたが、「冤罪の体験からの発言」という形にしている。そうではなくて河野さんの人権意識からくる思想なのだ。

 

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Copyright (c) 1998, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1998.03.9