1999年4月15日

脳死臓器移植報道の犯罪

瀕死の状態にあるジャーナリズム

臓器移植専門委員会の議論から

浅野健一

 

 

1 非人間的な取材と報道

「ドナー家族は最初から情報公開に非常に積極的だった。ただ自分たちが特定されてしまうような取材と報道があったために脳死の時間などは公表しないでほしいと要望した。自分たち大人はいいが、脳死による臓器提供の家族だと分かると、学校に通う子供がいじめに遭うなどの恐れがあるので、特定されることに直接つながる死亡時間は明らかにできなかった」。

脳死での臓器提供に同意する意思表示カードを持つ四国の病院の患者は2月28日午前、臓器移植法に基づく手続きで脳死と判定され、この患者をドナーとする臓器移植手術が各地の大学病院で行われた。それから約一カ月後の3月23日、東京都内で公衆衛生審議会疾病対策部会臓器移植専門委員会第13回会合が開かれ、出席した四国の病院の主治医は、ある専門委員による「今回、第2回の脳死判定開始時間(2月28日午前1時40分)は明らかにされたが、最終的な脳死判定の時間が公表されなかったのは遺憾である」という発言を受けて、冒頭に述べたように強調した。専門委員会はこの日の会合から、脳死臓器移植に関する情報公開と患者・家族のプライバシー保護の問題を討議するため、メディア論、情報公開、脳死判定専門家の計3人を臨時委員として増員した。私はメディア論の「識者」として委員になった。厚生省臓器移植対策室長から、東ティモール問題で出張中のインドネシアにまで電話があり、委員になるよう要請された。担当者は「脳死判定が行われてもいない段階で、こんなに大きな報道になり、ドナー家族が特定されかねない事態になるとは想像していなかった。ご家族は厚生省に対しても反省を求めており、報道機関への情報提供の時期や方法について検証し、見直したい」と説明した。厚生省や委員会が、マスメディアを法律などで規制する方向にはないことを確認して、臨時委員になることを受諾した。情報公開の専門家として板倉宏日大法学部教授が選ばれた。今回の経過発表では、脳死の時間が公表されなかっただけでなく、脳死判定医の姓名も公表されていない。四国の病院の院長は「脳死について国民の意見が分かれており、強硬な反対論もある。病院にはさまざまな声が寄せられており、今の段階では氏名公表はできない」と述べた。主治医の救急部長は「病院や家に嫌がらせの手紙や電話などが来ている」と訴えた。また国内初の脳死臓器移植で、脳死判定の手続きに違反して、脳波の測定前に無呼吸テストが実施されたり、臓器移植ネットワークが臓器の提供を受けるレシピエントを選ぶ際に重大なミスがあったことが分かった。「臓器提供病院の医師は臓器摘出作業に加わらない」というのが大原則なのに、救急医療を担当した医師が臓器摘出の際に麻酔をかけている。脳死移植にはもともと、さまざまな危険性がある。脳死による臓器移植など先端医療より、地道な医療の改革にこそ目を向けるべきだという意見もある。脳死を人の死と認めるべきかどうかの議論も続いている。だからこそメディアは、脳死移植の過程を監視し、必要な情報を伝える必要があった。ところがメディアの特ダネ競争による「情報公開された情報は際限なく報道してよい」という立場での過剰取材・報道により、医療機関側が情報を一部非公開にする口実を与えた。ドナー家族が脳死判定がされる前に、「患者が特定されるような取材と報道があった。こんなことでは2回目はなくなってしまう」と嘆いた。ドナーカードを持つ患者が入院した病院の名前が脳死判定、臓器摘出移植の3日も前に明らかにされたことが最大の問題であろう。病院と自宅が近かった。住所(町名まで)、性別、年齢、病名なども報道された。報道陣は家族の自宅まで取材した。医療機関を対象にした共同通信の全国アンケートで、近畿のある施設が「公開されるべき医学データが隠され、守られるべきプライバシーが出てしまったのが問題」と指摘しているが、まさにその通りだろう。メディアは何のためにどこまで報道すべきかを考えた報道ガイドラインを用意すべきだった。取材はするがどの時点でどこまで報道するかを議論すべきだった。自民党がつくった「人権と報道」部会では、臓器移植に関するリアルタイムの情報公開は不要で、法律で報道を規制すべきだ」という意見が出ている。今からでも遅くないから、報道界は誘拐事件などにならって自主規制の方策を考えるべきであろう。

▼善意の提供者に異常な取材

脳死判定から臓器移植へ。97年10月の同法施行以来、国内初の脳死移植となった今回のニュース報道を検証してみたい。3月1日の新聞はまるで戦争でも起きたのかと思うほどの派手さだった。テレビの画面に移植手術に提供されるビニール袋に入った心臓の映像が写った。TBSが2月28日夜にオンエアしたニュースの一こまだ。他局でも、アイスボックスに納められた臓器の映像がオンエアされた。「今、心臓が運ばれています」「腎臓が到着しました」などと記者がリポート。臓器提供を受ける患者が手術室に運ばれる姿も放送された。手術の模様も生で報道陣に公開され、ビデオ映像が各テレビ局に提供された。見たくなかった。どうしてこんなに騒ぐのか。臓器を提供した病院前に林立する中継車のパラボラアンテナは、98年夏から秋にかけて和歌山市園部の毒入りカレー事件の現場で繰り広げられた風景と同じだ。取材した報道陣もほとんどが同じなのだろう。

心臓移植を行った大学病院は手術の模様を報道陣にテレビ映像で見せた。大学病院の教授たちが記者会見で、移植手術を成功させて満足した表情を見せている様子が画面や行間から伝わってきた。臓器提供の側の医療機関の医師たちもほっとした表情を見せた。ドナー患者と家族がメディアの集中豪雨的な報道の中で呻吟しているような感じを受けた。先端医療とマスメディアという名のモンスターに振り回されたような気がしてならない。科学者としては「新しい時代」に入った充実感があるのだろう。でも、これでいいのだろうかと思ってしまう。

▼NHKの“スクープ”に怒り

すべては2月25日午後7時のNHKニュースから始まった。NHKの森田アナウンサーが番組の途中で、脳死のニュースを読んだ。同じニュースが4、5回繰り返された。患者が入院した病院名、年齢(○○代)、性別を明らかにした。午後11時のニュースでは町名も明らかにされた。NHKは脳死臓器摘出ができる全国の168施設に網をかけて、初の移植を抜くよう大号令をかけていたという。この“特ダネ”が流れたのは脳死判定が始まってもいない時だった。病院には全国メディアが殺到。脳死判定の結果も出ていないのに、テレビのネット局が病院前から生中継を開始。「法施行後初の移植手術」への期待を煽るような報道が展開された。取材現場は「異常な興奮状態」(ある地元記者)となった。NHKは2月25日の”スクープ”に最高の賞である会長特賞を出した。3月初旬に取材班に授与したらしいが、公表していない。日本テレビ系の放送記者と朝日新聞記者がNHKより前に、情報をキャッチしていたという有力情婦もある。両社の記者が二月二五日午後一時過ぎ、病院に来ていたというのだ。日本テレビは自社の報道ガイドラインに沿って、放送を控えたという。他社が既に知っていることを察知したNHKが、焦って速報したという見方もあるが、実際のところははっきりしない。

一部メディアは患者の細かな年齢、病院へ運ばれてきた経緯などを詳しく報道した。ニュースキャスターの質問を受けて、生中継で立ちレポした現場記者が患者の年齢などのプライバシーを明らかにしてしまうケースもあった。患者の家族構成、職業、人柄まで報道された。報道の当初から、患者の特定につながりかねない状況となった。各メディアは26、27日になって「○○代の患者」(性別を明らかにした社もあった)などと変更した。

25日夜の病院内は大混乱だった。病院内では禁止されている携帯電話を使って情報を送る記者たち。主治医は3月23日私に「ドナー家族はNHKに一番怒っている。民放が変なことをした時に、それをくいとめてくれるのが公共放送たるNHKの役割だと思っていたのに、我々の意向を無視して繰り返し報道した、と言っている」と述べた。また、「我々だって外来用の駐車場には車を停められないのに、報道陣の車両で一杯になった。日曜日だからまだよかったが、病院にはほかに多くの患者がいることを忘れてしまっている。人の死は厳粛なものなのに、それを待ち望むような報道が続いた。子供がどう感じたかに思いを寄せてほしい」と語った。記者たちは病院内にいた患者や面会人たちに次々と取材した。病院関係者は「ドナー家族も報道陣に取材を受けた。家族とは分からないように適当に対応したが、後で怒りがこみあげてきた、と言っていた。この記者は携帯電話をかけながら質問していた」と述べた。

病院は報道陣に求められて、2月25日午後8時に初めて経過を説明した。当初「臨床的な脳死」という曖昧な表現で発表。ところが、25日に行われた最初の脳死判定では判定基準を満たさず、26日の診断であらためて「臨床的な脳死」と判断。再び判定の手続きがあり、28日午前、最終的に脳死と判定された。共同通信記者は、真っ先に家族の留守宅を取材。「やさしい人だから・・・明るくきさくな働き者」と題して配信した。患者の日常、家族構成、近所の人の談話などをまじえた記事で、犬が淋しくないていた、灯りがついていなかった、などという雑感記事も配信した。地元の高知新聞は「私的情報は絶対に使えない」と判断した。一部テレビは患者の自宅や近所を撮影したという。患者の実家にも取材陣は押しかけた。一部メディアは患者の子供たちを学校付近で付け回した。「東京などの都会と違って、狭い地域だから特定されたも同然になった」と主治医は述べた。2月26日に報道陣は「移植記者クラブ」を結成。病院内の3階第1会議室が会見場と報道関係者の作業室をかねて用意された。会議室の白板に社名を書けば入会できる臨時記者クラブで、ここには150人前後の記者が待機した。記者クラブは病院側に、「臓器を摘出する場面を撮らせてほしい」などと申し入れようとした。地元の高知新聞がこれに反対し、高知放送なども同調。結局、残る社が申し入れた。病院との交渉の場で、最初に「臓器摘出時の映像を取らせてほしい」と言ったのもNHK記者だったという。「時間がたってきているが、提供を希望されている臓器に影響はないか」という質問をした記者もいた。日本のニュース報道は、すべてがワイドショーのようになってきた。

高知新聞のある記者は「共同通信は二八日夜、臓器移植をすすめてきた責任者の厚生省臓器移植対策室長が、うまくいってよかったと晴れやかな笑顔を見せた、という記事を配信した。取材記者はそう感じたのだろうが、家族がどういう思いで新聞を読むかと考えて、そのくだりを削除して掲載した」と述べた。主治医は「TBSのニュース23で、作家の中島みちさんが、いつまでも患者を追っ掛けるわけではないというようなことを言ったのに対して、筑紫哲也さんは何も言わなかった。ものすごく腹が立った。また臓器移植の詳しい経過は、葬儀のあとに公表されると言ったキャスターもいた。開発院長が会見の席で葬儀という言葉を使ったからだというのだが、放送局がニュースの中で使うのは意味が違う。後日とかいう表現ができるはずだ。自分の家族だったら、という想像力を持ってほしい」と述べた。地元の記者たちは「患者のプライバシー保護が前提の上で臓器移植とそれに関する報道がなされるべきなのに、主治医が家族のプライバシーが踏みにじられることへの不安、不満を代弁せざるを得なかった。報道被害は事件現場だけでなく、善意の提供者の周辺にも起こりつつある」と語っている。外国では絶対にドナー患者のプライバシーは明かされない。

▼「合意」がなかった情報提供のタイミング

患者家族、病院・厚生省、臓器移植ネットワークとマスメディアのやりとりは次のような経緯をたどった。(3月23日に行われた専門委員会での討議、3月9日付の新聞協会報などを参考にした。)

ドナーの家族から2月26日、「今後2回の脳死判定については一切公表せず、遺体の帰宅にあたって取材を控えるよう強い要望が出された」(毎日新聞)。一方、厚生省の伊藤雅治保健医療局長は26日の会見で、「報道関係の皆さまへ」に「お願い」の文書を出した。文書は、「ご家族から、病院を通じ、患者及びその家族のプライバシーにふれる報道が繰り返しなされていることについて、耐えきれないという訴えとともに、プライバシーに係わる報道を自粛してほしい旨の強い要請があったところであります」「私どもとしても、臓器移植の諸手続きの中で、患者・家族の方々のプライバシーを守らなければならないことは当然のことと考えております。特に重篤な状況にあるご家族の御心情を考える時、この念を強くする次第であります」などと述べている。厚生省の幹部が報道機関にこうした文書を送るのは極めて異例だ。

これを受けて病院側は、脳死判定について、その時点では公表せず、臓器摘出後、家族の承諾が得られた時期以降、脳死判定の経緯を公表すると決めた。厚生省と病院は27日、ドナー家族が再度の脳死判定と臓器提供の承諾書を出す際、@1、2回目の脳死判定は公表しないA遺体は臓器摘出後、撮影・取材を受けずに帰宅するBプライバシーにふれる報道の在り方を反省するーーの3点を要望したと説明。厚生省と病院側は家族との話し合いの結果、取材対応は@脳死判定はリアルタイムには公表しないA臓器摘出後、家族の承諾を得たうえで判定に関する経緯を公表するB遺体は撮影・取材しないでほしいC臓器摘出時刻の公表は家族の同意が得られたーーとの方針を決定した。

これに対して厚生記者会は27日、「総会では家族のプライバシーを尊重したいという意見が多数出た。同時に、移植医療は完全な公開で行われることが原則だ」として、脳死判定の情報の非公開に反発。@脳死判定の1、2回目は速やかに内容を公表するA臓器摘出に至る経緯はその時点で公表するーーと要求した。患者の家族は28日、移植コーディネーターを通じ、患者、家族のプライバシー保護をと訴えた所感を発表した。家族はその中で、「遺体および家族は、すべての臓器摘出後、報道関係者からの撮影・取材を受けることなく平穏に帰宅し、生活を続けていきたい」「報道関係者は、患者および家族のプライバシーに触れる報道の在り方以前の非人道的な取材方法の在り方を反省し謝罪すべきだ」と強調。厚生省などに対しても、「結果として臓器提供希望者、家族のプライバシーを保護できなかったばかりか、公表すべきでない情報を一部公表した」と批判した。家族は最後に脳死判定の公表に関して、「しかるべき時期に公表することについては当初から理解して拒否したことは全くない」と付け加えている。

新聞各紙は、厚生省などがドナーの脳死判定などの詳しい経緯を公表しておらず、情報公開の在り方に問題を残したままの移植手術となった、と報道している。しかし、詳しい経緯を公表できなくなったのはメディアが患者が特定されるような取材・報道を行ったからではないか。メディアの責任が大きい。厚生省は報道機関が病院名を特定して報道したのを受けて、自らも病院名を公表した。「メディアが伝え、病院側も記者会見したので周知の事実となったからといって、厚生省が公表してもいいということではない。家族の方は厚生省に対しても批判しているが、病院名を公表したことを問題にされていると思われる。深く反省している」と厚生省のある幹部は述べた。

▼事前取り決めを無視した報道機関

厚生省広報課の話によると、臓器移植法施行直後の九七年一○月、厚生省と厚生省記者クラブは、厚生省側が情報提供するタイミングとして、「二回目の脳死判定手続きが終了した時点で、記者クラブで会見し情報を提供する」という合意で一致した。ところが、臓器提供側の救急医などでつくる救急医学会(会長・大塚日本医大教授ー当時)側が、「臓器摘出前に報道陣が病院に殺到して混乱する。臓器摘出後に公表するということでなければ協力できない」と厚生省に申し入れた。このため、厚生省は記者クラブに「情報提供は臓器摘出後に行いたい」と伝えた。記者クラブ側はこれに反発、厚生省の情報提供時期についての「合意」は宙ぶらりんの状態になっていた。地方によっては、救急医療機関と地元の記者クラブが情報提供時期について話し合い、「家族の承認があった時点で情報提供する」という方針を示した大学病院もあった。

科学担当の全国紙記者は「厚生省の記者クラブが厚生省の提案を蹴ったので、その後平行線のままになっていた。取り決めが事実上ない状態なので、厚生省は情報提供しないと思っていた」という。この記者は「脳死移植が増えてメディアが取材もしなくなった時に、法律を的確に守って手続きが行われるかどうかが心配だ。メディアもどう対応するかが問われている」と述べた。

▼「識者」の無理解

情けないのは、新聞やテレビにコメントを寄せる「識者」たちだ。元日本新聞協会職員で桂敬一立命館大学教授は「脳死は議論の分かれる問題だけに、情報を公開し、プロセスを透明にするのが臓器移植法の趣旨で、情報規制は問題だ。そもそも、世間が患者の死を待っているような雰囲気ができたのは、脳死が確定する前に、一部の報道機関に患者が脳死したかのような情報が流れたため。家族の心情は察するに余りあるが、すべてのメディアが悪いかのような批判は筋違い」(二月二八日の京都新聞)とコメント。梓澤和幸弁護士は、「患者の家族側に『死を待たれている』と思わせてしまった報道の過熱ぶりは問題だが、家族のプライバシーを含めて関心を集めそうな情報を漏らして報道を過熱させた医療側の責任を重視すべきではないか。(以下略)」(二月二八日の高知新聞)と表明したあ。堀部政男一橋大学名誉教授は「今回の事例は、誘拐報道における報道協定とは基本的に違う。誘拐された人の生命が、報道によって危険にさらされるのとは別で、報道協定にはなじまない。厚生省や病院は、患者のプライバシーの配慮と、報道機関に自粛を求めることを別々に考えるべきではないか」(二月二八日の朝日新聞)などと述べた。ある新聞記者は「脳死移植とメディアの在り方について、多くのメディア論専攻の識者に取材したが、ほとんどの学者が『脳死のことはよく知らないので分からない』と答えた。これからでも遅くないから、メディアとしての取材と報道の基準をつくっていきたい」と話している。

「すべてのメディアが悪いかのような批判は筋違い」というが、25日からの取材と報道は、もちろん違法ではないが、アカウンタビリティ(説明責任)に欠けたものだ。「患者のプライバシーの配慮と、報道機関に自粛を求めることを別々に考えるべき」だというのは、納得できない。報道機関が患者を特定するような取材報道を行ったために、患者と家族のプライバシーが侵害され、情報公開が困難になった。世界で最初に情報自由法が施行されたスウェーデンでも、情報開示された事実をすべて報道していいわけではない。病気に関する情報は原則として八○年間秘匿される。日本でも「裁判は公開」だが、裁判の手続きをすべて報道していいわけではない。取材し報道するのはメディア企業である。メディア企業としての倫理が求められる。報道機関が伝えるにはパブリック・インタレスト(人民の権益)が不可欠である。弁護士の中にも、手続きを透明にして一般市民が心配することについて説明がなければ検証できなくなるという立場から、メディアの報道を擁護する人がいるが、「報道される側」の意思をまず尊重すべきだろう。メディアに取材され報道されなければ、検証できないということはないはずだ。脳死臓器移植が珍しくなくなれば、報道陣が取材することも少なくなるだろう。メディアは、「早すぎる脳死判定」が行われないようにするための仕組みをつくるために努力すべきだと思う。森岡正博大阪府立大学教授は二月二八日の朝日新聞で、「脳死判定は密室ではなく、開かれた形でやってほしいが、今回はマスコミが早い段階で『移植』の話を出し、移植コーディネーターの動きも早すぎたという印象がある。移植をする場合は関係者全員が納得できる形で進めてほしい」と述べている。

▼無反省なメディア

3月3日の朝日新聞によると、NHK広報室は「今回の『脳死判定』は、国民の関心も高い重要なニュースと考える。『提供意思表示カード』が完全なもので、家族も提供に同意していること、まもなく法律に基づく脳死判定が確実に行われることを確認したうえで、患者のプライバシーにも配慮しつつ報道した」と表明している。主治医は「NHK幹部から、個人として謝罪したいという申し出が、ネットワークのコーディネーターを通じてあったが、家族は社会的に明確に謝罪してくれないと意味がないと面談を断ったと聞いている」と私に述べた。共同通信編集局長は3月6日の社内報で「「プライバシー保護という壁」を強調し、《提供者はドナーカードに記入した時点で、直ちに他者(被提供者)と「生と死」という厳粛な仮題を共有する特殊性を持つ。私人を離れて公人、すなわち社会的存在となるのだ。臓器提供は社会的行為と認識すべきだ」と書いている。編集委員は米国で肝臓移植を受けた男性の「ドナー情報というのは少なければ少ないほどレシピエントは救われるのだ」という言葉を紹介している。社内報のどこにも2月25日夜の患者自宅取材を反省する言葉も見当たらなかった。3月2日の朝日新聞は「臓器移植報道 問われたもの 上」で、厚生省担当の記者による反省の言葉を引用している。 《取材の蓄積をどう紙面化するかという思いが強く、臓器提供者の家族の感情について深くは考えなかったという。「(略)病名だって、本人にとっては最大のプライバシーのはずだ。でも僕らは『悪いことをしたわけではないし、家族は当然取材を受けるものだ』と、なんとなく勝手に思いこんでいたんじゃないか」》

3月23日の専門委員会の終了後、数人の記者が主治医と私を取り囲んだ。「家族は社告による謝罪を求めているのか」「NHKと我々を一緒にしてほしくない」「うちは町名、性別などは報じていない」。ある記者は「医療機関名は絶対に必要だ。日本の医療は信用できない。臓器提供医療施設の中には悪徳病院もあるのだから」と言ってきた。「今回、リアルタイムで取材・報道していたから無呼吸テストの問題も明らかになった」と主張する記者もいる。「家族がどういう人か調べる義務もある」と述べた記者もいた。

テレビであるキャスターは「今回のことは我々にとっても初めてのことで、どう対応するべきか分からなかった」という言い訳をしていた。しかし、脳死移植があることは分かっていたはずで、プロのジャーナリストとして「初めてだから混乱した」というのは情けない。

マスメディア全体が患者と家族を傷付けたことに悩んでもいないのだろうか。犯罪報道と同様に、「加害者意識」が社としても、個人としても欠けているように思う。ドナーの家族や病院の入院患者あtちらがメディアの横暴でいかに傷付き、迷惑を受けたかについての認識が希薄なのだ。

ただし、高知新聞の宮田社会部長が3月23日朝刊1面で「守られたかルールと節度 自ら道閉ざしたマスコミ」と題して、「ルールと節度、ドナーの心に思いをはせることなしに暴走したマスコミは、情報を取ろうとして逆に自ら情報開示の道を閉ざしたと思えてならない」と書いているのは救いである。この記事は同日付の新聞協会報にも掲載された。

▼問題多い脳死移植

主治医は、「臓器提供について私たちは絶対に勧めるようなことは言えない。言ってはいけない。いつでもやめられるということは言えるし、やめましょうと何度も言った。しかし、家族は患者の意思を尊重して、報道の嵐の中でも移植に同意した」と述べた。主治医は「厚生省は脳波測定についてもっと細かな規定をつくるべきだ。厚生省の基準では30分の測定でいいことになっているが、我々はその数倍の時間をとった。通常の臨床では脳波はほとんどとらない。同じ脳波測定器を厚生省が配備すべきだ」と提言している。

厚生省の臓器移植対策室の幹部も、「ドナー家族のプライバシーをどう守るかについて真剣な対応をしてこなかった。報道が伝えていたからといって、我々があの時点で病院名を公表したのも問題だった。反省している」と語っている。厚生省の事前のマニュアルでは病院名は伏せて、患者の年齢と性別だけ情報提供する予定だった。リアルタイムの報道があったからミスが発覚したという見解に関しては、「記者会見で明らかになる前に厚生省にも連絡があった。法律で透明性が強く要請されており、取材がなくても明らかになった」と述べている。 

▼メディア責任制度で対応を

初の脳死臓器移植に関する報道は、マスコミのもう一つの欠陥を露呈させた。松本サリン事件などで事件報道の在り方が問題化したが、善意の提供者もまた報道界に、「非人道的な取材方法の在り方を反省し謝罪」し、「平穏な生活」の保障を求めざるを得なくなったのだ。臓器移植法や今回の移植手術に関しては賛否両論があろうが、法律に基づき臓器移植に協力しようとする市民が、報道によって冷静な判断を妨げられる事態は避けなければならないということは一致できるだろう。 情報公開が約束されているからといって、公開される事実をすべて報道してもいいというわけではない。マスコミ業界は、個人のプライバシーと「報道の自由」を調整するために諸外国で機能している報道評議会・プレスオンブズマンなどをつくるべきだ。英国の報道苦情委員会(PCC)の報道倫理綱領では、病院関係の取材について一章を割いている。日本弁護士連合会は一二年前、日本新聞協会に対して自主規制機関を設立するよう要請している。

私は三月五日に、大学のホームページで、今回の報道についての見解を公表した。ある医師は「浅野さんの主張にほぼ賛同する。日本のマスコミに自粛や自主規制を望むのは無理であり、それ以外の方法で対処するしかないと思う」という意見をメールで送ってきた。市民の間でもそういう意見が少なくない。気持は分かるが、法的規制は絶対に避けなければならない。

メディアは日本で2回目の脳死移植も大きく報道するだろう。ところが、その時に、厚生省はどの段階でどこまで情報提供するのか、またメディア界は患者と家族の平穏な生活を守るためにどういう対策をとるのか何も決まっていない。

 

2 自ら情報封鎖の口実与えたプライバシー無視

地元新聞の取り組み

「全国紙の大阪本社社会部から出張してきた記者たちの厚顔無恥な振る舞いはまるでヤクザのようだった。同業者として恥ずかしく、また情けなかった」(地元新聞記者)

二月二八日に行われた脳死による臓器移植に関するマスメディア取材・報道について私に届いた感想である。これまで無数の虚報、誤報による人権侵害を繰り返しながら、業界として報道倫理を高める努力をほとんどしてこなかったツケが回ってきたとも言える。犯罪の加害者として疑われたり、犯罪被害者でもない、普通に生きてきた市民がドナーカードを持っていたというだけで、「日本初」というニュースバリューで、メディアのえじきになった。この国では善意の提供者とその家族、関係者まで「報道被害」に遭うという深刻な事態なのである。臓器提供が行われた病院と患者の年齢・性別などの属性はメディア報道で周知の事実となっているが、本稿では四国の病院とドナー患者としか表記しない。日本のマスメディアは、医療を受ける人は原則として匿名報道するという原則を貫いてきた。匿名原則とは、報道される人が特定されてはならないということだ。ところが二月二五日午後七時のNHKニュースが、四国の病院名を明らかにして、臓器提供意思カードを持ち、家族も提供に同意している患者に対し、法律に基づく脳死判定が行われると”スクープ”した。この報道で、メディア各社が病院に殺到した。約二百人の記者たちの車は病院の駐車場を占拠し、病院内で禁止されている携帯電話をかけまくった。病院に多くの普通の入院、外来患者がいることが完全に忘れられた。人の死を期待するような報道が二日半も生中継された。

今回の臓器移植報道の犯罪で最も凶悪だったのはドナー患者を特定されるような個人情報を伝えたことだろう。しかも脳死判定の手続きに入る前に、プライバシーを無視した取材と報道が繰り広げられたのである。病院と自宅が車で約三十分と近かったこともあり、住所(町名まで)、性別、年齢、病名などが報道され、報道陣は家族の自宅まで取材したことで、匿名性はほとんどなくなった。摘出臓器の搬送が大事件の被疑者の連行の時と同じようなスタイルで報道された。臓器移植を担当する厚生省、臓器移植ネットワーク、医療機関の側も、「情報怪獣」とも言うべき現代のメディアを甘く見過ぎていた。厚生省は情報開示とプライバシー保護の問題を考えるために、公衆衛生審議会疾病対策部会臓器移植専門委員会の臨時メンバーを3人増員することになり、私がメディア論の専門家として選ばれ、3月23日に開かれた第13回会合から参加している。自民党は今回の患者の人権無視を利用して、法的規制を狙っている。報道界の惨状を見るとメディアの自浄能力に期待するのは無意味だと感じる人も多いだろう。週刊新潮や週刊文春などのでっちあげ記事を書いた記者や編集者を法律で処罰しろという一般市民の気持ちも分かる。しかし、表現(報道の自由)は思想信条や学問の自由と同じように、権力の介入を招いてはならない。私は委員会で、厚生省などが法令でメディアを規制すべきではなく、報道界が自らメディア責任制度で対応するよう要請すべきだと提言した。メディア全体で報道倫理綱領を定め、市民・識者なども参加する報道評議会・プレスオンブズマンが取材・報道活動を監視する仕組みがこの国にも必要不可欠になっている。

人の死をも部数や視聴率のネタにしてしまうメディア界にあって、病院のある県の地元新聞の取り組みは注目される。地元紙は患者のプライバシーを守る姿勢を貫いた。東京や大阪から飛んできた記者たちは、二月二五日夜に早くも「移植記者会」を結成し、病院側に「臓器摘出手術の写真を撮らせてほしい」と要望しようとした際、一部の地元放送局とともに強く反対した。現場記者はこのことを伝える際、「一部報道機関が反対した」と書いたが、社会部長は「本紙が反対した」と明記した。地元紙は脳死判定―臓器移植が行われた翌三月一日付朝刊に「私たち報道をはじめ、今回の出来事にかかわったすべてが未成熟だった」と書いている。社会部長は三月二三日朝刊で「ルールと節度、ドナーの心に思いをはせることなしに暴走したマスコミは、情報を取ろうとして逆に自ら情報開示の道を閉ざしたと思えてならない」と指摘した。同紙はその後も、脳死移植の検証記事を連載している。また新聞労連が出した「ドナーの自宅にまで取材に押し掛けた社は謝罪するべきだし、取材される側の苦痛や怒りにもっと敏感になる必要がある」「現場にあっては何より医療行為が優先されるべきだし、検証取材は欠かせないが、報道は移植が終わってからでも可能だ。配慮のない行為によって必要な情報が公開されるのが妨げられるのは本末転倒だ」との声明にも救われた。

ところがほかのマスメディアは「地元紙だけがいい子になってけしからん」(全国紙記者)という立場だ。地元紙は全国紙などに「二回目の脳死移植があった時にどう対応するか」とアンケート調査したところ、ある全国紙は「一回目と同じだ」と回答したという。市民の間から強い批判が出ているのに、大新聞、通信社の社会部幹部は、「公的な医療機関を監視すべきだ。市民を代表して我々がリアルタイムで取材し報道するから監視できるのだ」という立場だ。「進歩的」な学者や弁護士にも、脳死移植の全プロセスを取材し報道するから、救命治療も十分に行われ、脳死判定もより厳密に行われると主張する人がほとんどだ。これは犯罪報道で「捜査段階で被疑者を実名で取材し報道することによって、警察権力を監視できるのだ」というトリックと酷似している。年間約二百万人に上る刑事事件被疑者に対する捜査を記者たちが監視できるはずがない。脳死移植についても、ニュース価値が低くなれば、取材もしなくなるだろう。日本中で行われている日常的な医療行為どう監視するというのかと思う。記者の仕事は、医療の問題点を摘出し、患者の人権が守られるような仕組みを提言することである。

脳死臓器移植に「一点の曇りのない情報公開」が求められるのは、和田心臓移植などへの不信感から当然であり、法律もそう規定している。ある医師は、「救命治療が十分に行われたか、本人・家族の臓器提供意思の確認(コーディネーターによる誘導がなかったかについても)、脳死判定の妥当性、レシピエントの選択の公平さについて、正しく行われたことが誰の目にも明らかにされる必要がある」と述べている。医療を監視するために取材と報道は不可欠というが、脳死移植の過程を監視し、必要な情報を伝えたと言えるのだろうか。

関東にある大学病院に勤務する友人は「日本のメディアには『品性』がない、という浅野さんのいつもの指摘は治りそうがありません」と話した。彼の病院では、明日にも臓器提供患者が現れるかもしれないとのことで、脳死判定実施マニュアルをつくっている。患者代表者と看護婦長を立会人として脳死判定に参加するという公開について一歩踏み込んだものになっていた。友人は次ぎのように言う。《臓器提供病院は公開する必要がない。テレビ会見などすべきではない。厚生省もしくは移植ネットワークで「関東地方の病院」とだけ発表するだけで十分と考えている。臓器提供病院の医師が行うことは、臨床的に脳死に近い状態になったとき、家族に「臓器移植コーディネーター」に臓器移植について話を聞くかどうかを尋ね、承諾を得れば、「臓器移植コーディネーター」に連絡することだけでいいと考えています。その後は「臓器移植コーディネーター」と「移植チーム」の仕事だ。》

 

3 メールによる意見から

私は三月初めに大学のホームページで、脳死移植報道について意見を発表した。小児外科を専攻し、生体肝移植に関わった経験もある医師からのメールがきた。この人からは二回意見が届いた。

最初のメールは次のような内容だった。

《『情報公開イコール報道OKではない 脳死・臓器移植報道検証』を拝見しました。概ね賛同いたしますが,以下の点はどうお考えでしょうか。▼「識者」の無理解の中で,「すべてのメディアが悪いかのような批判は筋違い」というが、二五日からの取材と報道は、厚生省記者クラブの合意に違反している。違反してるわけではないと考えます。なぜなら浅野氏もその前段『▼事前取り決めを無視した報道機関』で認識されているように取り決めは宙ぶらりんの状態になっていたのです。取り決めがなかったのと同じ状態だったわけですから,神戸小学生連続殺傷事件や(浅野氏が指摘しているように)和歌山ヒ素カレー事件などで明かなように,モラルの低下著しいメディアが,報道を自粛するはずがないと考えます。私は,今回の過熱報道の責任は,メディアにあるのはもちろんですが,情報公開の合意をご破算にしたまま放置した厚生省にも大きな責任があると考えます。『▼善意の提供者に異常な取材』の段で「ご家族から、病院を通じ、患者及びその家族のプライバシーにふれる報道が繰り返しなされていることについて、耐えきれないという訴えとともに、プライバシーに係わる報道を自粛してほしい旨の強い要請があったところであります」「私どもとしても、臓器移植の諸手続きの中で、患者・家族の方々のプライバシーを守らなければならないことは当然のことと考えております。特に重篤な状況にあるご家族の御心情を考える時、この念を強くする次第であります」などと述べている。

厚生省は,自らがルール作りを中途半端に終わらせたことが今回の過熱報道をもたらしたことに思い至らないばかりか,「家族のメッセージを伝える」という方法で,情報の制限を行おうとしているのです。事が起きてから,しかも「家族」を持ち出すなど,主体性のないことこの上ありません.このような姿勢こそが問われるべき問題であると考えます。

念のため追記しますが,ドナーが特定されうる情報は,当然秘匿されるべきと私も考えております。公開されるべきなのは,臓器提供者が15歳以上であること,薬物中毒や低体温状態(すなわち脳死判定基準の除外項目)ではないこと,文書による臓器提供の意思の確認,家族の承諾の確認,であり,それらはリアルタイムの公表は必要はないと考えます。そして,脳死判定の検証は第三者の検証機関にゆだねるべき事項であると考えます》

二度目のものを紹介したい。

《Yahooの掲示板では,マスコミの人間(と自称する人)が複数参加しており,報道に携わる人々のホンネの一部を窺い知ることができます。今回の過熱報道は,次の5つに大別できると私は考えます。

1)脳死判定前に報道を始めた

2)ドナーを特定し得る情報を報道した

3)ドナー周辺の情報を報道した

4)報道陣の殺到によって病院内やその周辺が混乱した5)脳死判定のリアルタイム報道を行おうとした6)摘出臓器の搬送がまるで重大事件の容疑者の搬送のように生中継された

これまでの報道検証のテレビ番組や新聞紙上では,これらが同列に論じられる傾向があるように思います。それぞれが生じた背景や原因は別々のはずですから,個別に検討し対策を講じるべきであると考えます。

前回私が指摘した点,すなわち「厚生省と記者クラブとの間で,報道開始時期を,『第ニ回脳死判定終了後』とすることで一旦合意したあと,『臓器摘出後』へ先延ばしすることを厚生省が提案し合意が宙に浮いたままになった」ことがもたらしたものは,上記1)〜6)のうち,1)と5)だけですね。2)3)に関しては,厚生省とメディアの間では何も合意がされていなかったわけですが,もしも浅野様がおっしゃるところの『医療の患者、関係者に関しては、一般市民の場合は匿名報道(誰だか特定されない)という各社の基準』が不文律なり明文化されたものなりで存在するのなら,2)3)に関してはメディアが糾弾されるべきです。

もしもそのような不文律または明文化されたものがないのならば,ドナーとその家族のプライバシー保護を考慮すべき立場にある厚生省と,臓器移植法成立に関わった人々の責任も,メディアとともに追求されるべきです。高知新聞3/4付朝刊にはこんな記事もありました。「臓器移植法成立にも関わった,五島正規氏(民主=衆院・四国比例)は『情報公開とプライバシー保護との関係は法案提出時に私たちも考えたが,マスコミがその点をかなりキャンペーンしていたので信頼した。しかし,今回の事態でマスコミが自ら信頼を損ねた以上,第三者機関に点検してもらうといった情報公開の在り方も考えねばならない』と話している.」自分たちがブレーキをかけなければならなかったはずなのに,『メディアに対する信頼が裏切られた』と言い逃れをしているようにしか思えません。浅野様は>あんなに早い段階から病院名が出て、自宅や実家、子供の学校周辺にまで取材陣が押しかけたことに最大の問題があると思います。とのご発言からすると1)2)3)が最も問題とお考えのように見受けられます。4)6)は当然問題と考えますがそれは浅野様のご専門でしょうから追記することはありません.医療に携わる立場からすると,5)について十分な検討が必要であると私は考えています。

ご承知のように脳死臓器移植に「一点の曇りのない情報公開」が求められるのは,和田心臓移植などへの不信感から,

・救命治療が十分に行われたか否か

・本人・家族臓器提供の意思の確認(コーディネーターの誘導がなかったかについても)

・脳死判定の妥当性

・レシピエントの選択の公平さ

などが正しく行われたことが誰の目にも明らかにされる必要があるからですね。それをメディアは「錦の御旗」のようにふりかざして脳死判定時刻の逐次報道(リアルタイム報道)をもとめたわけです。

前述のYahoo掲示板で登場するマスコミの方々の考えでは,1)リアルタイムで伝えることは,報道の基本であるから2)法律や国家的システムの運用の一部だから3)リアルタイムで伝えるという状況により,救命治療も十分行われ,脳死判定がより厳密に間違いなく行われる効果もあり得るなどの理由・利点が述べられていました。3)に関して私は,「メディアに報道されようがされまいが,救急医・脳外科医は,治療は十分に尽くすし,法律にもとづいた脳死判定が行われるはずだ」と反論しました。その根拠として,臓器移植法にも定められた「脳死判定に関わる記録の5年間の保存」を挙げました。(医師としてのモラルも当然含まれます)1)2)に対しては,それ自体に反論することはできません。しかし,これはプラスマイナスのバランスの問題と考えます。すなわち,脳死判定のリアルタイム報道によってもたらされる,

4)死亡宣告を受けるに等しいドナーの家族が,静かに死を迎えることが困難になる(「これから第一回脳死判定を行う」についても,「約6時間後に脳死が確定する可能性が非常に高い」とほぼ同義であるわけですよね)5)視聴者・読者が,ある一人の死を,いまかいまかと待っているような異常事態が生じるというマイナスの総和が,プラスの総和(1)+2))を大きく上回ると考えます。このようなやり取りを掲示板上で行った結果,あるメディアの記者氏は,次のような公開手順を提案していました。

『ドナーカードを持った患者さんの1回目の判定に入る−地元の県庁の記者クラブに連絡(報道はしない)−1回目判定終了(連絡後、家族がOKすれば「第1回目の判定終わる」の記事)−2回目判定終了(報道公開、同時に担当医が県庁などしかるべき場所で会見)…現場に行った社はこの会見に出席できない、報道は2回目終了までは病院名は書かない、2回目終了後は公開。

ドナー関連の情報は詳細に出すが、個人を識別できる情報(住所、近所の人の話その他)は一切書かないし、取材しない。

病院は混乱しないし(情報が出る場所さえ分かっていれば現場には行かない)、臓器の搬送などは代表撮影でもOKです。』

この提案は,「情報公開が約束されているからといって、公開される事実をすべて報道してもいいというわけではない」という浅野様のお考えにも沿ったものであると私は評価しています。

 新聞労連が出した「ドナーの自宅にまで取材に押し掛けた社は謝罪するべきだし、取材される側の苦痛や怒りにもっと敏感になる必要がある」「現場にあっては何より医療行為が優先されるべきだし、検証取材は欠かせないが、報道は移植が終わってからでも可能だ。配慮のない行為によって必要な情報が公開されるのが妨げられるのは本末転倒だ」との声明には,やや救われた思いがします。これが,マスコミ全体の反省につながっていくことを信じています.

もう一点,脳死判定の検証について,追記致します。「メディアに取材され報道されなければ、検証できないということはないはずだ」。全く賛同致します。ただし,今回設置された「公衆衛生審議会の中の◯◯委員会(正式名称は知りませんが)のメンバーによる検証では,おそらく脳死判定の記録を隅から隅まで検討することはできないと危惧します.第三者機関による検証をするのならば,和田心臓移植以来の不信感を払拭するために,実地検証が当然必要で,カルテや検査記録を全て生データとして検証することを求めるべきです。あるいはもっと踏み込んで,当該医療機関の脳死判定委員会が脳死判定を行うのではなく,専門医を派遣して脳死判定を行う制度を検討すべきではないでしょうか。》

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Copyright (c) 1999, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1999.04.18